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2日間にわたって出雲の神社を駆け巡ります。出雲は一宮、二宮にこだわりません。2度目なので、多少神社勘があります。ありがたそうなお社を巡ります。<br />目的の神社は出雲市の近辺と松江市の東に固まっています。出雲空港ホテルは、ほぼその中間です。飛行場からは近いし、出雲を車で神社巡りする方にはお勧めです。まあ、そういう方は、滅多にいらっしゃらないでしょう。<br />ホテル口コミご参考までに。<br />https://4travel.jp/dm_hotel_tips_each-13701106.html<br />出雲空港は、数年前来たときには、やたらに華やか。若い娘さんが、いっぱい飛行機から降りてきました。別名「縁結び空港」、なるほど。<br /><br />この旅行記で参照、引用した資料は、<br />「諸国神社参り山陰山陽1ー長門国」に列挙してあります。<br />https://4travel.jp/travelogue/11567638<br />

諸国神社参り 山陰山陽3ー出雲その1

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2019/07/13 - 2019/07/13

176位(同エリア2168件中)

旅行記グループ 諸国神社参り 山陰山陽2019

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しにあの旅人

しにあの旅人さん

2日間にわたって出雲の神社を駆け巡ります。出雲は一宮、二宮にこだわりません。2度目なので、多少神社勘があります。ありがたそうなお社を巡ります。
目的の神社は出雲市の近辺と松江市の東に固まっています。出雲空港ホテルは、ほぼその中間です。飛行場からは近いし、出雲を車で神社巡りする方にはお勧めです。まあ、そういう方は、滅多にいらっしゃらないでしょう。
ホテル口コミご参考までに。
https://4travel.jp/dm_hotel_tips_each-13701106.html
出雲空港は、数年前来たときには、やたらに華やか。若い娘さんが、いっぱい飛行機から降りてきました。別名「縁結び空港」、なるほど。

この旅行記で参照、引用した資料は、
「諸国神社参り山陰山陽1ー長門国」に列挙してあります。
https://4travel.jp/travelogue/11567638

旅行の満足度
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
レンタカー
旅行の手配内容
個別手配
  • 今日はホテルの西方向の神社を目指します。

    今日はホテルの西方向の神社を目指します。

  • 国道9号線を走り始めたら、2時の方向、島根半島西端、出雲北山から雲が沸き立っています。<br />「八雲立つ出雲の国だ!」八雲立つは出雲にかかる枕詞ですが、なるほどこれをいうのですね。<br />車をとめて写真を撮りまくります。

    国道9号線を走り始めたら、2時の方向、島根半島西端、出雲北山から雲が沸き立っています。
    「八雲立つ出雲の国だ!」八雲立つは出雲にかかる枕詞ですが、なるほどこれをいうのですね。
    車をとめて写真を撮りまくります。

  • 谷という谷から雲が沸き上がっています。

    谷という谷から雲が沸き上がっています。

  • 主峰は鼻高山(はなたかせん)ですが、

    主峰は鼻高山(はなたかせん)ですが、

  • どれだか分からない。

    どれだか分からない。

  • これかな。

    これかな。

  • 翌日も。場所は松江の東。

    翌日も。場所は松江の東。

  • 「八雲立つ」というのは誇張でも、修辞でもなく、そのまま景色を描写しただけなのです。<br />「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」スサノオさんは、素直に目の前の景色を歌っただけです。<br />雲はしばらくすると消えてしまいました。

    「八雲立つ」というのは誇張でも、修辞でもなく、そのまま景色を描写しただけなのです。
    「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」スサノオさんは、素直に目の前の景色を歌っただけです。
    雲はしばらくすると消えてしまいました。

  • まずやって来たのは万九千(まんくせん・じんじゃ)神社。立虫神社と隣り合っています。

    まずやって来たのは万九千(まんくせん・じんじゃ)神社。立虫神社と隣り合っています。

  • 鳥居をくぐって正面が立虫神社、右が万九千神社です。

    鳥居をくぐって正面が立虫神社、右が万九千神社です。

  • 万九千神社拝殿<br />出雲市斐川町併川258

    万九千神社拝殿
    出雲市斐川町併川258

  • 万九千神社(まんくせん・じんじゃ)というのは通称で、万九千社(まくせの・やしろ)が正式名です。地元では「まんくせさん」とよばれています。<br />ご祭神、<br />櫛御気奴命(くしみけぬのみこと)須佐之男命(すさのうの・みこと)と考えられているそうです。<br />大穴牟遅命(おおなむちのみこと)大国主命の別名<br />少彦名命(すくなひことみこと)<br />八百萬神(やおよろずのかみ)<br /><br />創建ははっきりしませんが、神社の「社史概要」によれば、「出雲国風土記」(733年成立)にある「神代(かみしろ)社」または「神代神社」がこの神社だとされています。<br />延喜式内社ですから、10世紀に成立していたことは確実です。

    万九千神社(まんくせん・じんじゃ)というのは通称で、万九千社(まくせの・やしろ)が正式名です。地元では「まんくせさん」とよばれています。
    ご祭神、
    櫛御気奴命(くしみけぬのみこと)須佐之男命(すさのうの・みこと)と考えられているそうです。
    大穴牟遅命(おおなむちのみこと)大国主命の別名
    少彦名命(すくなひことみこと)
    八百萬神(やおよろずのかみ)

    創建ははっきりしませんが、神社の「社史概要」によれば、「出雲国風土記」(733年成立)にある「神代(かみしろ)社」または「神代神社」がこの神社だとされています。
    延喜式内社ですから、10世紀に成立していたことは確実です。

  • この神社には本殿がありません。その位置には、

    この神社には本殿がありません。その位置には、

  • 神籬(ひもろぎ)といわれる岩がお祀りされています。

    神籬(ひもろぎ)といわれる岩がお祀りされています。

  • 拝殿側より。

    拝殿側より。

  • 「毎年の神在月に、日本中の天神地祇(あまつかみ・くにつかみ)が、当社の磐境、神籬に参集され、神議りや直会をなさることにちなみ、国内全ての神々をまつる。」(神社由緒より)

    「毎年の神在月に、日本中の天神地祇(あまつかみ・くにつかみ)が、当社の磐境、神籬に参集され、神議りや直会をなさることにちなみ、国内全ての神々をまつる。」(神社由緒より)

  • 平たくいうと、出雲に集まった神様が、最後にこの神籬に集まってお別れの宴会をするということです。旧暦10月26日です。<br />拝殿前の大きな絵馬です。女神さんにお酌なんかさせていいんですかね。女神さんたちも召し上がって、目のふちほんのり桜色という感じで、まあいいか。

    平たくいうと、出雲に集まった神様が、最後にこの神籬に集まってお別れの宴会をするということです。旧暦10月26日です。
    拝殿前の大きな絵馬です。女神さんにお酌なんかさせていいんですかね。女神さんたちも召し上がって、目のふちほんのり桜色という感じで、まあいいか。

  • 立虫神社拝殿です。<br />創建は不明ですが、万九千神社と同じで、「出雲国風土記」(733年成立)に「立虫社」という社名が見えるそうです。式内社です。洪水などで遷座を繰り返し、万九千神社境内に移ってきたのは17世紀後半だそうです。

    立虫神社拝殿です。
    創建は不明ですが、万九千神社と同じで、「出雲国風土記」(733年成立)に「立虫社」という社名が見えるそうです。式内社です。洪水などで遷座を繰り返し、万九千神社境内に移ってきたのは17世紀後半だそうです。

  • 主祭神は3柱とも素戔嗚尊の子供。木材、植林、建築などの神様。<br />全部の神社がこういうふうに主祭神を書いてくれるとブログを書く方は楽です。神様によっては漢字を一字一字入力して、大変なのです。

    主祭神は3柱とも素戔嗚尊の子供。木材、植林、建築などの神様。
    全部の神社がこういうふうに主祭神を書いてくれるとブログを書く方は楽です。神様によっては漢字を一字一字入力して、大変なのです。

  • 神社はよく手入れされていました。窓は伝統を守って半蔀でした。古い神社でも現代風に窓ガラスにしているところが少なくありません。<br />神主さんが手早く巻き上げていました。

    神社はよく手入れされていました。窓は伝統を守って半蔀でした。古い神社でも現代風に窓ガラスにしているところが少なくありません。
    神主さんが手早く巻き上げていました。

  • その後、朝のお神楽の奉納がありました。<br />40才代の神主さんは、この朝は飛行機でどこかに行く予定。それでももう一人の作務衣姿の方と朝のお神楽を演奏なさいました。きまりの神事みたいです。出雲神楽は400年の伝統をもちますが、そのなかでこれは「神主神楽」といわれるそうです。<br />伝統を守ろうという熱意を感じました。<br />時間がなくて御朱印はいただけませんでした。やむを得ません。

    その後、朝のお神楽の奉納がありました。
    40才代の神主さんは、この朝は飛行機でどこかに行く予定。それでももう一人の作務衣姿の方と朝のお神楽を演奏なさいました。きまりの神事みたいです。出雲神楽は400年の伝統をもちますが、そのなかでこれは「神主神楽」といわれるそうです。
    伝統を守ろうという熱意を感じました。
    時間がなくて御朱印はいただけませんでした。やむを得ません。

  • 「車イス用スロープ三台」とならんで、かわいい絵の奉納がありました。「すさのうのみこと」です。<br /><br />☆☆☆

    「車イス用スロープ三台」とならんで、かわいい絵の奉納がありました。「すさのうのみこと」です。

    ☆☆☆

  • 出雲大社です。<br />あまりに有名なので、祭神も創建年代も何も追加することなし。朝9時ですが、すでに参拝客が来ています。3時間ほどいましたが、そのころはいっぱいの3乗くらいになっていました。<br />お隣2カ国の観光客が多かった。出雲大社といえば伊勢神宮と並んで、神道のバチカンみたいなもので、気にならないのですかね。日本の国粋主義の精神的バックボーンでしょう。

    出雲大社です。
    あまりに有名なので、祭神も創建年代も何も追加することなし。朝9時ですが、すでに参拝客が来ています。3時間ほどいましたが、そのころはいっぱいの3乗くらいになっていました。
    お隣2カ国の観光客が多かった。出雲大社といえば伊勢神宮と並んで、神道のバチカンみたいなもので、気にならないのですかね。日本の国粋主義の精神的バックボーンでしょう。

    出雲大社 寺・神社・教会

    ささやかなおすすめ by しにあの旅人さん
  • 拝殿。奇跡的にだれもお参りしている人がいません。

    拝殿。奇跡的にだれもお参りしている人がいません。

  • この写真、気にいりました。カップルがアンバランスで、そのカップルと拝殿がまたアンバランス。

    この写真、気にいりました。カップルがアンバランスで、そのカップルと拝殿がまたアンバランス。

  • 神社は背後がご神体の山のことが多く、一周できないのですが、出雲大社は回れます。

    神社は背後がご神体の山のことが多く、一周できないのですが、出雲大社は回れます。

  • 本殿向かって左の隅です。

    本殿向かって左の隅です。

  • 本殿背後

    本殿背後

  • ほぼ真後ろ。人がいません。

    ほぼ真後ろ。人がいません。

  • 右隅から。

    右隅から。

  • 本殿

    本殿

  • 本殿裏手の素鵞(そが)社です。

    本殿裏手の素鵞(そが)社です。

  • 素戔嗚尊(すさのおの・みこと)をお祀りしております。<br />小さいけれど、人気があります。

    素戔嗚尊(すさのおの・みこと)をお祀りしております。
    小さいけれど、人気があります。

  • 若い女性が多かった。しかも美形。<br />出雲大社にかぎらず、ちかごろ神社にお参りする女性の姿が目につきました。歴史に詳しい歴女というのがいらっしゃいます。神社まわりが趣味の方はなんというのでしょう、「神女」でしょうね。じんじょ、しんじょ、かみじょ? なんと読みましょうか。

    若い女性が多かった。しかも美形。
    出雲大社にかぎらず、ちかごろ神社にお参りする女性の姿が目につきました。歴史に詳しい歴女というのがいらっしゃいます。神社まわりが趣味の方はなんというのでしょう、「神女」でしょうね。じんじょ、しんじょ、かみじょ? なんと読みましょうか。

  • 出雲大社正面の銅の鳥居をくぐってすぐ右に曲がると、小川があります。

    出雲大社正面の銅の鳥居をくぐってすぐ右に曲がると、小川があります。

  • これが趣のある川なのです。清流に藻がいっぱい。ここから観光客の数が減ります。

    これが趣のある川なのです。清流に藻がいっぱい。ここから観光客の数が減ります。

  • ほとんど人影がありません。

    ほとんど人影がありません。

  • しばらく歩くと左側に、

    しばらく歩くと左側に、

  • 北島国造館です。<br />出雲大社は古くから出雲国造家が宮司を担ってきました。14世紀半ば、出雲国造家は北島家と千家家に別れ、宮司職を分担しておりました。明治からは千家家が宮司職を継いでいます。北島家は出雲教という宗教法人をおこしました。北島家は現在79代、千家家は84代と、大変古い家柄です。両家とも皇室から内親王が降嫁しています。

    北島国造館です。
    出雲大社は古くから出雲国造家が宮司を担ってきました。14世紀半ば、出雲国造家は北島家と千家家に別れ、宮司職を分担しておりました。明治からは千家家が宮司職を継いでいます。北島家は出雲教という宗教法人をおこしました。北島家は現在79代、千家家は84代と、大変古い家柄です。両家とも皇室から内親王が降嫁しています。

  • 庭園は公開されております。<br /><br />もう一方の千家国造館(せんげ・こくそうかん)は出雲大社を挟んで反対側、神楽殿の隣にあります。公開されておりません。<br /><br />「日本の面影」によれば、1890年9月にラフカディオ・ハーンは出雲大社に来ております。彼は「杵築(きづき)大社」と出雲大社の古名でよんでいます。松江を小さい蒸気船で午後一番にたち、船旅1時間半、庄原村で船を降りたと書いています。ちょうど私たちのホテルがあるところです。それから人力車で、夕方暗くなってから出雲大社に近い宿に着いています。<br />翌日、大社宮司、81代出雲国造、千家尊紀(せんげ・たかのり、1860年-1911年)に会っています。千家尊紀と懇意であった西田千太郎(1862年-1897年。ハーンが英語を教えた島根県尋常中学校教頭、ハーンの親友)の紹介状がありましたが、外国人が出雲大社本殿で国造に会うのは初めてでした。<br />明治23年、このとき西田千太郎28才、千家尊紀30才、ハーン40才。みんな若かった。若き国造は、外国人に大社を知らしめる進取の気概があったのでしょう。ハーンはその希望をかなえ、千家尊紀と出雲大社の名を世界に紹介しました。「日本の面影」のなかで、ハーンと千家尊紀の対面は私には最も感動的です。ハーンの日本文化への尊敬の念がはっきりと読み取れます。<br />ハーンは本殿の後、千家国造館、つまり、神楽殿左の国造私邸にも招かれております。

    庭園は公開されております。

    もう一方の千家国造館(せんげ・こくそうかん)は出雲大社を挟んで反対側、神楽殿の隣にあります。公開されておりません。

    「日本の面影」によれば、1890年9月にラフカディオ・ハーンは出雲大社に来ております。彼は「杵築(きづき)大社」と出雲大社の古名でよんでいます。松江を小さい蒸気船で午後一番にたち、船旅1時間半、庄原村で船を降りたと書いています。ちょうど私たちのホテルがあるところです。それから人力車で、夕方暗くなってから出雲大社に近い宿に着いています。
    翌日、大社宮司、81代出雲国造、千家尊紀(せんげ・たかのり、1860年-1911年)に会っています。千家尊紀と懇意であった西田千太郎(1862年-1897年。ハーンが英語を教えた島根県尋常中学校教頭、ハーンの親友)の紹介状がありましたが、外国人が出雲大社本殿で国造に会うのは初めてでした。
    明治23年、このとき西田千太郎28才、千家尊紀30才、ハーン40才。みんな若かった。若き国造は、外国人に大社を知らしめる進取の気概があったのでしょう。ハーンはその希望をかなえ、千家尊紀と出雲大社の名を世界に紹介しました。「日本の面影」のなかで、ハーンと千家尊紀の対面は私には最も感動的です。ハーンの日本文化への尊敬の念がはっきりと読み取れます。
    ハーンは本殿の後、千家国造館、つまり、神楽殿左の国造私邸にも招かれております。

  • 御朱印をいただきました。<br /><br />写真がもう40枚を超えました。あまり写真が多いと読みにくいので、ひとまずこの稿おわり。出雲国神社参り続きます。

    御朱印をいただきました。

    写真がもう40枚を超えました。あまり写真が多いと読みにくいので、ひとまずこの稿おわり。出雲国神社参り続きます。

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