2019/07/14 - 2019/07/14
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しにあの旅人さん
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出雲神社参り2日目です。
出雲には新旧あわせて数多くの神社があります。出雲国風土記に名がある古社だけでも399、限られた時間ではとても回りきれません。
そこで意宇(おう)六社といわれる、出雲国意宇郡(おうの・こほり)にある神社を中心にお参りすることにしました。
現松江市の東に点在しております。「六社さん」とよばれ崇敬されています。
この旅行記で参照、引用した資料は、
「諸国神社参り山陰山陽1ー長門国」に列挙してあります。
https://4travel.jp/travelogue/11567638
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
最初にめざしたのは松江市新庄の久良彌(くらみ)神社でしたが、県道からの分岐まで来て諦めました。林の彼方400メートルに鳥居は見えるのですが、ここからはすれ違いはできない一本道。明け方からの小雨でしっかり濡れた非舗装の農道。諦めることにしました。神社への最後のアクセスで怖い思いは何度もしています。
八雲立つ出雲らしい写真がとれたので、いいということで。
沿道の自動販売機でお茶を110円で売っていました。200円でおつり、200円でおつりと5本買いまして、10円玉を45枚仕入れました。お賽銭です。毎日10円玉の補給に困っているのです。
この機械、おつり不足になったでしょうね。ごめんなさい。 -
今日の予定前半
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揖夜(いや)神社
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島根県松江市東出雲町揖屋2229
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拝殿
主祭神、
伊弉冉命(いざなみのみこと)
なお配神に大己貴命、事代主命、武御名方命など出雲の神様が祀られております。とくに武御名方命(たけみなかた)は出雲を追われた神様です。 -
出雲国風土記意宇郡(おうの・こほり)67社の1つ伊布夜社(いふやのやしろ)に比定されています。延喜式神名帳ではすでに「揖夜神社」となっています。ここでも「いうやのやしろ」と読むようです。
日本書紀斉明天皇5年(660年)に「犬が死人の腕を、揖夜神社(いうやのやしろ)のところに囓って置いていた-天子の崩御の前兆である」という不気味な記事があります。なお斉明天皇崩御は7年(662年)。日本書紀の記述は、継体天皇以降は概ね事実といわれております。したがって創建は660年以前に遡ります。
歴史文献初出が7世紀半ばというのは、さすが出雲国です。 -
本殿は一段高くなっています。
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拝殿から完全に離れています。
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左より
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右より
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大社造りの立派なお社です。
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境内に摂社が2社あります。本殿向かって右が、三穂津姫神社。
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左が韓国伊太氐(からくにいたて、からくにいだて)神社。
2社とも式内社です。摂社が式内社というのはすごいです。
出雲1国で式内社は187社、ついでに大和216社。山城96社。私の地元上総はというと、なんとわずか5社でした。10世紀初頭では、出雲、大和というのは超文化先進地域なのです。
現東京都に該当する武蔵国多磨郡では8社、東京23区(荏原郡)は2社です。都内は湿地帯で、人跡まれ、文化果つる辺境でした。 -
大蛇神というのが鎮座していました。藁でできたヘビです。
このあともまたお目にかかります。妻はヘビが大嫌いなのですが、「気色悪い!」と叫びながら写真を撮ってきました。
もう40才を越した息子が幼稚園のとき、遠足で動物園に行きまして、ボランティアで付き添いました。受け持ったグループの子供たちと見学しているうちに爬虫類エリアへ。
一人の男の子に「よく見えないから」と依頼されまして、この子を持ち上げたその時、まんず、真っ正面からおヘビ様と御対面いたしました。ギョエ!!!
その時以来の正面。逃げようもない御対面でございました。でも今回はワラですからね、ワラですよ。
By妻 -
揖夜神社から徒歩20分の林の中に、黄泉比良坂(よもつひらさか)があります。置いてあるのはこの石3つ。
古事記のお話。死んだ妻(イザナミ)が恋しくて、イザナギは黄泉国に会いに行きます。イザナミが見てはいけないというのに、約束を破ってイザナギは腐乱して醜い妻の姿を見てしまいます。イザナギは逃げ出しますが、怒った元妻は追いかけてくる。イザナギは黄泉比良坂に大きな石をおいて道を塞ぎます。黄泉の国とこの世の境目です。
それがこの石だとさ。
気色悪い話しです。この場所、本当に気持ち悪いですよ。ここに行ったのは2016年の7月なのですが、じめーっとうすら寒いところでした。今回はパス。前回の写真で間に合わせます。あんまり何回も行きたいところではありません。
ラフカディオ・ハーンは、この手の話しが大好きなのです。「日本の面影」の一章「杵築-日本最古の神社」の冒頭で紹介しています。「あの世のことを描いた古代神話は数々あるけれど、これほど不可思議な物語はきいたことがない。アッシリアのイシュタルの冥界下りでさえ、この話しには足下にも及ばない」
イザナミが怒って追っかけてくるというのが独創的らしい。
「見るな話」の最古の話ですね。このあと「見るな」と言ったのに見たら、美しい妻が大ワニになってのたうちまわっていた「山幸彦と豊玉姫」とか。「見るな」と言ったのに見たら、おいしい料理を食べさせてくれたオオゲツヒメが鼻や口、お尻から食材を出していたので怒ったスサノオとか。有名民話の鶴の恩返しとか。
「見るな」というから見ちゃうんだよ、私なら言わないと、友人。でも言わなかったら、ナニゲに見ちゃうんじゃないの?! 要するに関心ある人が自分に内緒で何かしたら、見ちゃうよね-!
By妻 -
御朱印をいただきました。
☆☆☆ -
阿太加夜(あだかや)神社
島根県松江市東出雲町出雲郷587
住所の「出雲郷」は「いずもごう」や「いずものさと」ではありません。予備知識がなければ絶対に読めません。「あだかえ」
なぜ「出雲郷」を「あだかえ」と読むのか。
松江市総務課に電話して聞いてみました。結論は、「分からない」
出雲郷公民館に聞けばもっと詳しいことが分かるのではないか、と勧められて再び電話。
館長さんに教えていただきました。
結論「分からない」
ただ一説には、太古、朝鮮南部の「あだかえ」または「あだかや」というところからこのあたりに移住してきた人々が、故地の地名をつけた。
それに後世「出雲郷」という字を強引に割り振った。
なぜ「出雲郷」かというと、この近くに出雲の国府があったので、ここが出雲の中心だという意味で「出雲郷」と名づけた。
館長さんによれば「古い話で、確かなことは、分からない」
朝鮮南部からの移住説は十分あり得ると思いますが、「あだかえ」を国の中心だから「出雲郷」と書いたというのは、かなり疑問。出雲大社のある出雲郡(いずもの・こほり)には出雲郷(いずもの・さと)という郷が別にあります。出雲国風土記の時代に、国内に同じ郷名をつけるというのは、あり得ないと思います。律令制が崩壊して、出雲の国が国としてのまとまりを失った、もっと後の時代ではないでしょうか。
「あだかや」が朝鮮南部からの移住地なら、北海道の北広島とか、ご存知ニューヨークとか同じなのかしらん? だとしたら、あだかえは「新しい伽耶」、「あたかや」を訛って「あだかや」というのはどうでしょう?
By妻
妻はトンデモ古代史が大好きで、迷惑しています。でもこれは珍しく正解かもしれない。古代南朝鮮に「伽耶」(かや)という国がありました。「新しい」の古語は「新し(あたらし)」、もっと古いと「あらたし」です。古墳時代くらいに「あらた伽耶」、「ら・た」が「あ」で終わるので「た」だけ残って「あたかや」、訛って「あだかや」、「や」は「え」に変わりやすいので「あだかえ」
いけるんじゃないかな。
国文科の学生さん、卒論のテーマにいかが?
証明できれば島根県から出雲蕎麦1年分くらいもらえる?
By夫
自分でやれ!
By妻
出雲蕎麦はかたくてね。
By夫 -
交通量の多い国道9号から直線100メートルほどですが、静かな境内です。
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拝殿
主祭神は、
阿陀加夜奴志多岐喜比賣命(あだかや・ぬし・たききひめの・みこと)
神社由緒では大国主の御子となっています。
出雲国風土記では神門郡(かむどの・こほり)多岐郷(たきの・さと)の地名伝説として「・・・大神の御子、阿陀加夜奴志多岐喜比賣命がご鎮座していた。だから多吉といった。神亀3年字を多岐と改めた」
御子であることは間違いありません。
神門郡には多吉社(たきのやしろ)、多支枳社(たききのやしろ)がありましたので、元々は多岐郷の神様でした。多支枳社は現在の多枝藝(たきき、たきげ)神社です。ここでは「多伎伎比売命」となっています。
ところがこの神様、出雲国風土記ローカルの神様のようです。古事記、日本書紀には出てきません。
古事記、日本書紀の原文から単語を検索できるすごいHPがあります。愛用させていただいております。
http://www.seisaku.bz/shoki_index.html
これで「阿陀加夜奴志多岐喜比賣命」「阿陀加夜」「多伎伎比売命」「多伎伎比賣命」、念のため「阿陀加」などで検索しても何もヒットしません。
正体不明の神様です。出雲郷を「あだかえ」と読むのはおそらくこの神様が関係しているはず。古代にここでなにがあったか、興味ワクワクです。 -
本殿
創建は出雲国風土記意宇郡(おうの・こほり)に「阿太加夜社」(あだかやのやしろ)とあるので、8世紀初頭以前。式内社ではありません。出雲では「式内社、なにそれ?」という感じです。我が上総では、式内社なら「へへー」とひれ伏します。
へへーっ! -
この神社にも藁でできた大蛇神が鎮座していました。タブノキに巻き付いています。
藁蛇(わらへび)はしめ縄です。 -
口が開いているように見えます。「阿形」(あぎょう)
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町荒神
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口が閉じている。目が付いていて、リアルです。
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竹を2本加えている。口を閉じているので「吽形」(うんぎょう)
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ここまで豪快だと、それほど気色悪くない。
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御朱印をいただきました。
☆☆☆ -
小雨のなか真名井(まない)神社にやってきました。阿太加夜神社から10分ほどです。このあたりはかつて出雲国の中心でしたから古い神社が固まっています。
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車が2台停まっています。ここは神社へあがる道ですから、駐車しないほうがいい。
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鳥居を背にして左道路向こうに立派な駐車場があります。10台はとめられます。
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真名井神社
島根県松江市山代町84 -
流れ手水
右の柄杓の下、石の下から水が流れ続けております。これを両手でうけてお清めをします。
清らかな水があふれる、真名井の名にぴったりの手水でした。
水道がなかった昔の人は、この清らかな水が潤沢にあることがどれほどの幸せとおもったことでしょう。私たちは清らかな水があることに慣れて図々しくなっていますね。いつも災害時に聞くことですが。
By妻 -
鳥居の向こうに手強そうな階段があります。
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神社の階段は、好きではありませんが、これを登らないとお参りした気になりません。休み休み登ります。これができなくなったら神社参りを終わりにします。私たちの老いの目印です。
ご隠居さんの物見遊山、神社仏閣巡りと申しますが、昔の年寄りって若かったのね。50才、60才だったみたい。
夏目漱石は49才で亡くなっています。あの右肘に頭を傾けた写真は40才台です。40歳代というと、竹野内豊、西島秀樹48歳、木村拓哉47歳ですと。漱石って老成していたのね。
By妻 -
ご祭神、
伊弉諾神(いざなぎの・みこと)
天津彦根命(あまつ・ひこねの・みこと) -
とても質素な拝殿です。1934年(昭和9年)に建てられてものです。質素ですが、それが好ましく感じました。
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本殿
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大社造り
拝殿と本殿が完全に分離しています。出雲大社がそうでした。
1662年(寛文2年)の再建だそうです。
出雲国風土記によれば、意宇郡(おうの・こほり)真名井社(まないのやしろ)とあります。意宇郡には、67社の名があります。さすが出雲の中心です。
延喜式神名帳にも「真名井神社」と記載されています。 -
本殿背後の山は茶臼山、地元では「かんなび山」。
出雲国風土記意宇郡にある7山のうち「神明樋野」(かむなびの)に相当します。「熊、狼、猪(ゐ)、鹿、兎、狐、飛鼯(むささび)、猴(さる、この字ではありませんが変換できない)の族(やから)あり」
イノシシはともかく、熊や狼がいたんですと。
出雲の山、川はほとんどが風土記に記され、名称は現代と同じか、比定できるそうです。 -
平成12年の本殿改修では、千木、鰹男木の端にはチタン素材を使用しています。錆びず、光沢が褪せません。神社も最新テクノロジーを採用しているのです。
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この神社にもおしり上げ狛犬さん。「阿」
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「吽」
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台座に「慶応3年」(1867年)とあります。制作年が分かったのは初めて。
出雲の神社ではほとんどがこのおしり上げ狛犬です。
私たちがお参りしたとき、丁度赤ちゃんの初参りで、若い両親とその一家が神社にいらっしゃいました。人気のない静かな神社で一族だけの初参りは、ステキでした。神社はいつもは無人で、宮司さんもこのために今日は神社に来たようです。
初参りが終わったとき、思い切って宮司さんに、この狛犬の由来を聞いてみました。
神道上の深い由緒はないそうです。出雲で狛犬を彫った石工の流派が、このスタイルを好んだからではないかと。いずれにしても狛犬は氏子さんから奉納されるもので、奉納されるものに神社からデザインの指定はしないそうです。
納得。でもちょっと残念。出雲独特の伝統でもあれば良いブログネタだと思ったのですが。
神社は謙虚に文句はつけないとおっしゃり、その心に発奮した石工さんの心意気でしょうかね、躍動する出雲のコマイヌさんは。
By妻 -
御朱印をいただきました。
いつもは社務所は無人ですので、ラッキーでした。
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この旅行記へのコメント (3)
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- 前日光さん 2020/01/21 15:36:53
- どうやって御朱印ゲットできたのですか?
- シニアの旅人さん、こんにちは。
出雲シリーズ、たのしく拝見させていただきました!
それにしても揖屋神社とか神魂神社、阿太加夜神社等々、ほとんど宮司さんがいるとも思えない神社なのに、御朱印をいただけるのですね?
出雲に通って17年、未だ揖屋神社や神魂神社等々の御朱印はいただいておりません。
それなのにことごとく御朱印ゲット!とは。。。
真名井神社の件はラッキーな偶然とは言え、特に神魂神社などは、何度か訪れていますが、社務所に人の気配がありません。
御朱印ゲットの方法をご伝授くださいませm(_ _)m
出雲郷を「あだかえ」と読むのは、私も初めて知った時にはビックリ!でした。
出雲は地名の読み方がハンパなく難しいというのが、私がこの地が好きな要因でもあります。
今は合併して変わってしまいましたが、「簸川郡斐川町」なんていうのは、同じ「ひ」でも使い分けしていましたからね。
今では「出雲市斐川町」になってしまい、おもしろくないのですが。
「あだかえ」に関する考察(奥様でしょうか?)、興味深く拝読させていただきました。
朝鮮半島とこの地の結びつきは非常に強いので、その説は「あり!」ではないかと思います。
私はさらに、その渡来人というのは、製鉄業者だったのではないかと思っています。
韓鍛冶(からかぬち)と呼ばれた彼らは、砂鉄を採取するために、移動しながら生活し、出雲往来に沿って生活拠点を変えて行ったのではないかと。
岡山県津山市には、百済さんと言う方が現在も住んでいらっしゃいます。
私が知っている渡来人との結びつきは、出雲地方に多い「荒木」という苗字が、朝鮮半島の古い地名「阿羅」から「来」たので「阿羅来」→「荒木」になり、伊勢神宮の宮司さんの苗字が「荒木田」というのに繋がっているというものです。
確実なことは分からないとは言え、古代のこういった話には想像と妄想の入り込む余地があって、個人的には最高!と思っています。
妄想の入り込む余地のないコンピュータは、したがって好きではありません。
(しかしその好きではないものに、しばしばお世話になっており、その点はクヤシイ部分ではあります^^;)
それにしても、訪れた随所でのさまざまな考察がおもしろく、たいへん参考になります。
今後ともよろしくお付き合いくださいますよう、お願いいたします。
旅行記をフォローさせていただいてよろしいでしょうか?
※それから私は出雲に勝るとも劣らず好きなのが奈良です。
3月にまた行く予定です。
いくら見ても尽きることのないあの古い都も、大好きでございます(^_^)v
前日光
- しにあの旅人さん からの返信 2020/01/21 20:00:40
- Re: どうやって御朱印ゲットできたのですか?
- フォローありがとうございます。私もフォローさせていただきます。
本日初期緑内障検査があって、眼がくしゃくしゃします。改めて返信いたします。
- しにあの旅人さん からの返信 2020/01/22 07:07:28
- Re: どうやって御朱印ゲットできたのですか?
- 御朱印はそれほど苦労しませんでした。ついていただけかな。2人で境内をうろうろしていたら、怪しまれたのか、近くに住んでいる宮司さんが出てきたらしい、などどいうこともあります。
古代朝鮮と日本の話はとても面白い。ただ、古代朝鮮語の発音は13世紀以前はよくわからないそうで、朝鮮の地名をそのまま日本語の発音にもってくるのは、無理があるそうです。
したがって、「伽耶」にしても、その時代ほんとうに「かや」と発音されていたか、正確には分からない。しかしそんなこと言っていたらブログにならないので、頰被りしました。
妻はトンデモ古代史のファンで、ネットでとんでもないトンデモ説を見つけてきて楽しんでいます。褒めていただいたので、心おきなく暴走しそうです。住んでいるとことが房総ですから。
私たちのテーマは神社めぐりとヤマトタケルです。記紀などの歴史文書と考古学的事実に矛盾しなければ、なにをどう書こうとOkという主義で縦の旅を楽しんでおります。
横の旅は普通の旅行、縦の旅は歴史を尋ねる旅です。
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