2019/07/14 - 2019/07/14
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しにあの旅人さん
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意宇(おう)六社とは、出雲国意宇郡(おうのこほり)に鎮座する、揖夜神社、真名井神社、神魂神社、熊野大社、六所神社、八重垣神社のことです。
今回は八重垣神社を除く5社を回りました。八重垣神社は前回お参りしたとき、幸せそうなカップルや、若い女性の群れに年寄りが混じって、非常に場違いでした。縁結びの最強パワースポットだそうです。
なおこのパワースポットなる単語は、私が大嫌いな言葉で、私たちの神社にはそんなものは出てきません。神社は神様と静かに対面するだけの場です。御利益も蜂の頭もありません。私たちの旅のブログでは、こんなケッタイなものには一切触れません。
神魂(かもす)神社は魅力いっぱいの神社でした。「かもす」という不思議なひびき、古い神社なのに、出雲国風土記と延喜式神名帳に名前がありません。
2016年7月に続き、二回目のお参りです。
この旅行記で参照、引用した資料は、
「諸国神社参り山陰山陽1ー長門国」に列挙してあります。
https://4travel.jp/travelogue/11567638
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
意宇六社の4社めです。
-
神魂神社は真名井神社のすぐ近く、2キロくらい、車で5分かかりません。灯籠と桜並木の美しい参道です。
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参道と道路を挟んで反対側に大きな駐車場があります。
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手水の竹の柄杓がエレガントでした。これが3年前、次が今回
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この手水の柄杓には、感激しました。すてきですよね。変わっていなくてよかった。
By妻 -
階段を上がりましたが、
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途中から女坂にしました。トシをとるとは悲しいものです。昔はこの神社の階段を登れなくなったら隠居せよと意味だったかもしれない。女坂ではなく、年寄り坂でしょう。でもまだまだがんばる。
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神魂(かもす)神社
島根県松江市大庭町563
「神魂」を「かもす」となぜ読むかは、神社案内書に諸説ありとなっています。
☆「・・・神霊の鎮り坐す処、即ち神坐所(かみますどころ)と申され、それが、カンマス-カモスとなった」
☆「・・・神ムスビ(縁結)の大神と唱えたのを神魂(カモス)となった」
☆神皇産霊(かみむすび)がカモスになった。 -
拝殿
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ご祭神は、
伊弉冉大神(いざなみの・おおかみ)
伊弉諾大神(いざなぎの・おおかみ) -
本殿、国宝。
大社造りです。
昭和23年(1948年)の修理の際、主柱上部の突起に「正平元年」(1346年)と墨書きされているのが発見されました。現存する大社造りとしては最古のもので、現出雲大社の改築より約400年も古いものです。(神社案内より) -
それほどの古社なのに、不思議なことに出雲風土記および延喜式神名帳に出てきません。ウイキペディアによれば、「文献における初見は承元2年(1208年)の鎌倉将軍下文であり、実際の創建は平安時代中期以降とみられている」
延喜式神名帳に出ていないので、927年以降1208年の間に創建されたことになります。普通だったら十分古い神社ですが、8世紀の神社がごろごろしている出雲ですから新しい方です。
ただ、そんな新しいものとは思えないのですよね。
一昨日行った石見の多鳩神社の宮司さんが、「神魂神社はいい神社ですね」とおっしゃっていました。私たちは素人ですが、いわばプロである神主さんに「いい神社」といわれるのは、すごく「いい」のです。「いい」とは古いこと。 -
階段です。石の摩耗を見てください。
-
話は飛びますが、これはローマ郊外アッピア街道の花崗岩の敷石です。年代が分かっています。街道完成後2千数百年、石の取りかえなどメンテナンスが放棄されてから1700年たっています。少なくとも1700年間、人が通り、馬車が通り、現代では自動車ですら通ります。
-
神魂神社。階段ですから、人間以外通りません。もしかすると馬が通ったかもしれませんが、たかがしれています。
この摩耗のしかたは、1000年やそこらではないと思うのですが。 -
神魂神社由緒によれば、
神代 出雲国造の太祖、天穂日命(あめの・ほひの・みこと)がこの神社を創建、以降出雲国造として奉仕
斉明天皇(在位655年-661年)の勅令により出雲大社創建
元正天皇霊亀2年(716年)杵築(きづき、出雲大社のこと)へ(国造は)移住
以降、出雲国造(出雲大社の宮司)は、「国造就任の印綬ともいうべき神代ながらの神火相続(おひつぎ)式並新嘗祭を執行の為、現在も参向されている」
普通の神社は祭神、まつられている神様が重要ですが、ここ神魂神社においては、まつった天穂日命(あめの・ほひの・みこと)というのがすごいのです。
この神様はアマテラスとスサノオの誓約(うけい)で産まれた五男神の一柱で、天孫降臨のニニギノミコトの父神の弟ということになります。そして出雲国造家の祖先。宗像三女神と同時に出現した神様が創建(!)って、どんだけ古いんだ!!普通まつられる側だろうに。現に天穂日命(あめの・ほひの・みこと)をまつる神社にも、天穂日命神社をはじめたくさんあります。子孫に相撲の祖野見宿禰、菅原道真がいますから、後の歴史上にも崇敬された神様ですね。
そういう御由緒の神社ですが、簡素な、周囲の自然にしっくり溶け込んだお社でした。建物がもはや人工物ではなく自然物であるかのような。世俗の汚れを洗い流される神社でした。
By妻 -
ウイキペディア・出雲大社より引用
「前国造が帰幽(死去)した際、新国造は喪に服す間もなくただちに社内の斎館に籠もって潔斎した後、燧臼(ひきりうす)・燧杵(ひきりきね)を携えて、熊野大社に参向する。そして熊野大社の鑽火殿にて燧臼・燧杵によって火を起こし、鑽り出された神火によって調理された食事を神前に供えると同時に、自らも食べる。 その後、『神魂神社』において饗宴を受けた後、出雲大社に戻り、奉告の儀式を行い、火継式は終了する。この儀式にて鑽り出された神火はその後、国造館の斎火殿にて保存される」(二重カッコ『 』は筆者挿入)
ウイキペディア・神魂神社によれば、「神火相続式は明治初年まで当社(神魂神社)で行われていた」となっています。
いずれにしても神魂神社が出雲国造の代替わりに重要な役目を果たしていたと思われます。
その神社が出雲国風土記や延喜式に記載がないのが、ますます不思議です。
これは妻の意見です。
後年神魂神社とよばれるこの場所には、諏訪の守矢(もりや)氏に相当するような、神事の事務を引き継ぐ氏族の館があったのではないか。
国譲りに相当する、出雲族と先住民族が平和裏に融合したとき、先住民族の長は出雲族の神を受け入れるかわりに、出雲族の祭祀の長が代替わりするとき、その儀式を主催する重要な役割を担った。
諏訪の守矢氏のケースですね。
守矢氏は諏訪の地つきの豪族だったようですが、タケミナカタを祀る種族が諏訪に入ってきたとき、これと争わず、受け入れます。そのかわり神長官(じんちょうかん)または神長(かみのおさ)として、諏訪上社の現人神(あらひとがみ)大祝(おおほうり)の即位式を取り仕切り、神社の事務方のトップとなりました。
そうすると、そこにあるのは神社でなくてもいいわけです。事務所で結構。守矢氏の場合は、明治時代にその権限を失うまで、そして現在でも守矢神社というような大きな神社をもってはおりません。
出雲の場合は、時代がうつり、人々の記憶もかわり、祭祀の事務所であった土地に、いつの日か神魂神社が成立した。
神魂神社由緒によれば、
元正天皇霊亀2年(716年)杵築(大社)へ(国造は)移住
となっているので、早々と事務所は出雲大社近くに移住し、引き継ぎの儀式の場所だけが残った。
「神魂神社の社名について」の項の末尾にこうあります。
「従って神社とか神宮とか社と呼ばれるようになる以前の一層に古い信仰上の表現だと云えるとおもいます」 -
本殿左の神籬(ひもろぎ)です。神様の依り代です。これは今回撮影したものです。
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2016年7月のもの。造り替えられていますが、同じ形式の神籬です。
神社の社殿ができる前は、こういう神籬でよかったのではないか。 -
神社の案内所に興味深い説明がありました。スキャンしました。
千木に「女千木」(めちぎ、内そぎ)と「男千木」(おちぎ、外そぎ)があるのは知っていました。
本殿の造りにも「女造」(めづくり)「男造」(おづくり)があるそうです。 -
神魂神社はご祭神が女神様、伊弉冉大神ですから、女千木、女造となります。
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男千木、男造。
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出雲大社は当然男千木、男造となります。
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出雲大社にこういう案内がありました。
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なるほどと、神魂神社で思いました。
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そういえば揖夜神社でも、千木は女千木で、
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本殿向かって右に案内がありました。主祭神は、女神様、伊弉冉命(いざなみの・みこと)
ところがこれは、必ずしもどこでもこの通りではないのです。 -
先ほどお参りした阿陀加夜(あだかや)神社ですが、阿陀加夜奴志多岐喜比賣命(あだかや・ぬし・たききひめの・みこと)がご祭神ですから女神さまです。ところが、出雲造りで、千木は男千木です。
そもそも、神社の本家というべき伊勢神宮外宮は男千木(外そぎ)ですが、ご祭神は女神さま、豊受大神(とようけの・おおかみ)です。
伊勢神宮外宮の本来の神様は豊受大神ではないという主張が古くからあるそうです。
私たちも、延喜式以前の古い神社で、主祭神が天照大神(あまてらす・おおみかみ)あるいは伊弉冉命(いざなみの・みこと)や伊弉諾命(いざなぎの・みこと)などのヤマト朝廷系の祖先神の場合は、元来は地元の産土神(うぶすながみ)が祀られていて、後日ヤマト朝廷系の祖先神に入れ替えたのではないかと思っています。
神魂神社の場合も、もともとは、主祭神は伊弉冉大神ではなく、出雲地つきの女神様ではなかったか。
ではどなたか。須勢理姫命(すせりひめの・みこと、須佐之男命の娘で、大国主命の正妻)や奇稲田姫(くしなだひめの・みこと、アシナヅチ・テナズチの娘で須佐之男命の正妻)などというところが正統派ですが、出雲の産土神という感じがしません。
阿陀加夜(あだかや)神社の、阿陀加夜奴志多岐喜比賣命(あだかや・ぬし・たききひめの・みこと)というのはどうでしょうか。
もともとはこの女神様が神魂神社にお祀りされていて、ある時代に伊弉冉大神に押し出されて阿陀加夜(あだかや)神社に移った。阿陀加夜神社の男神様はどこかへ消えてしまった。だから阿陀加夜神社は男千木なのに女神様を祀っている。
古代出雲への想像がどこまでも広がっていく、おおらかな神魂神社でありました。 -
御朱印をいただきました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- pedaruさん 2020/01/18 16:00:42
- 出雲の神社
- シニアの旅人さん こんにちは 今年もよろしくお願い申し上げます。
見の引き締まる思いのする荘厳な神社ですね。
純日本人の心の原点、清く生きていきたいと思います。
私の親しい方で、出雲大好きな人がいます。きっと話が合うと思います。
前日光さんといいます。
私の掲示板から探してください。
pedaru
- しにあの旅人さん からの返信 2020/01/19 06:24:29
- Re: 出雲の神社
- おはようございます。前日光さんのブログを教えていただきありがとうございます。さっそく楽しんで読んでいます。観光ルートにはない神社を訪問されていて、同好の士と思います。
ギリシャの旅行記、いつも愛読しています。イタリアが終わったら、次はギリシャかなと思っています。
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