防府旅行記(ブログ) 一覧に戻る
周防国(現山口県の一部)。一宮・玉祖(たまおや)神社(防府市)、三宮・仁壁(にかべ)神社(山口市三の宮)をお参りします。<br /><br />この旅行記で参照、引用した資料は、<br />「諸国神社参り山陰山陽1ー長門国」に列挙してあります。<br />https://4travel.jp/travelogue/11567638

諸国神社参り 山陰山陽13 周防国、仁壁、玉祖

38いいね!

2019/07/16 - 2019/07/16

16位(同エリア143件中)

旅行記グループ 諸国神社参り 山陰山陽2019

4

27

しにあの旅人

しにあの旅人さん

周防国(現山口県の一部)。一宮・玉祖(たまおや)神社(防府市)、三宮・仁壁(にかべ)神社(山口市三の宮)をお参りします。

この旅行記で参照、引用した資料は、
「諸国神社参り山陰山陽1ー長門国」に列挙してあります。
https://4travel.jp/travelogue/11567638

旅行の満足度
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
レンタカー
旅行の手配内容
個別手配
  • 鄙びた、

    鄙びた、

  • 山口市三の宮の町に溶け込んだ地味な神社でした。

    山口市三の宮の町に溶け込んだ地味な神社でした。

  • 仁壁神社<br />山口県山口市三の宮2-9-1<br />

    仁壁神社
    山口県山口市三の宮2-9-1

  • 二の鳥居

    二の鳥居

  • 拝殿

    拝殿

  • きれいに掃き清められていました。

    きれいに掃き清められていました。

  • 創建は、<br />社伝では崇神天皇の御代となっています。つまり不詳ということです。歴史文献初出は嘉祥(かしょう)3年(850年)、これ以前の創建ということです。式内社です。

    創建は、
    社伝では崇神天皇の御代となっています。つまり不詳ということです。歴史文献初出は嘉祥(かしょう)3年(850年)、これ以前の創建ということです。式内社です。

  • 神社由緒

    神社由緒

  • 本殿<br />ご祭神は、<br />右殿:下照姫命(したてる・ひめの・みこと、大国主と宗像三女神のたぎりひめの娘)<br />中殿:表筒男命(うわつつのおの・みこと)・中筒男命(なかつつのおの・みこと)・底筒男命(そこつつのおの・みこと)住吉3神<br />左殿:味耜高彦根命(あじすき・たかひこねの・みこと、大国主と宗像三女神のたぎりひめの息子、ことしろのぬしの別名、下照姫命の兄)<br />この組み合わせは、よく分かりません。

    本殿
    ご祭神は、
    右殿:下照姫命(したてる・ひめの・みこと、大国主と宗像三女神のたぎりひめの娘)
    中殿:表筒男命(うわつつのおの・みこと)・中筒男命(なかつつのおの・みこと)・底筒男命(そこつつのおの・みこと)住吉3神
    左殿:味耜高彦根命(あじすき・たかひこねの・みこと、大国主と宗像三女神のたぎりひめの息子、ことしろのぬしの別名、下照姫命の兄)
    この組み合わせは、よく分かりません。

  • 本殿背後より拝殿

    本殿背後より拝殿

  • 拝殿前に唐獅子さんがいました。伝統的なスタイルです。

    拝殿前に唐獅子さんがいました。伝統的なスタイルです。

  • 境内に「硫黄島の砂」がありました。

    境内に「硫黄島の砂」がありました。

  • 「山口県内に残る旧軍関係の遺跡等」というホームページ中の「硫黄島の砂」によると、境内社である江良神社に奉納されたもので、「山口42聯隊補充隊で編成された独立速射砲第12大隊」に由来するものと思われます。この部隊は1945年3月16日、硫黄島の戦いで玉砕全滅しております。<br />戦死された方々のご冥福をお祈りします。<br />このホームページのURL<br />http://sakurakai2015.ec-net.jp/kyuugun/ioutou_suna/ioutou_suna.html<br /><br />この「硫黄島の砂」というのは衝撃的でした。数々の神社をお参りしましたが、初めてです。この神社の関係者が硫黄島に遺骨収集に行かれたのですね。<br />砂はただの砂でした。血の跡があるとかいうことはありません。けれどこの砂のあった浜辺を、死んでいった若者たちが行き来して、この今目前にある砂を踏みしめ、触れたのでしょう。<br />夫の、マキアヴェッリの机に触れて、机を介してマキアヴェッリと握手したという言い方なら、私は死んでしまった多くの若者達に間接的に触れたのです。<br /><br />七十路夫婦のイタリア旅行6 マキアヴェッリとの握手<br />https://4travel.jp/travelogue/11375631<br /><br />現代の我々にとって、死は原則として老人のものです。私たち2人はそれぞれの両親を見送ってしまいましたが、親戚、友人、知人は介護の真っ最中だったりします。100才近いお年寄りの世話をする友人は「いつ、なにがあっても」と言います。<br />何があってもって、死ってことですよね。ああそうか、私たちは「死」とこんなにも近く生きているのか。<br />それがあの時代は「何があっても」の人がまだ20代、30代、はなはだしい場合は10代の少年だったのですね。<br />もちろん年寄りは死んでいいといっているのではありません。けれどお年寄りはそれでもそれぞれの人生を生きたのではないでしょうか。火が燃えて消え失せるように、全うしたのではないでしょうか。<br />けれど若者の死は無念です。<br />死んでゆく青少年はもちろん、残された周囲の人々は、どんなに無念で残念で悔しかったでしょう。<br />おいしい料理も食べさせたかった。楽しいことも、美しい乙女と恋もさせたかった・・・<br /><br />「硫黄島の砂」は境内の片隅にありました。お参りを済ませて、ぶらぶら歩いていて、出会いました。のんきな気分は吹っ飛び、姿勢を正して合掌してしまいました。<br />ほかに何ができるでしょう。それ以外どんな青年たちの魂を慰める方法があるのでしょうか。<br />ああ、そうだ、だから神社ってできたんだ。生を全うできなかった人の魂を慰め、そのかかわりのある人の心の拠りどころなんですね。<br />By妻<br /><br /><br />☆☆☆<br />

    「山口県内に残る旧軍関係の遺跡等」というホームページ中の「硫黄島の砂」によると、境内社である江良神社に奉納されたもので、「山口42聯隊補充隊で編成された独立速射砲第12大隊」に由来するものと思われます。この部隊は1945年3月16日、硫黄島の戦いで玉砕全滅しております。
    戦死された方々のご冥福をお祈りします。
    このホームページのURL
    http://sakurakai2015.ec-net.jp/kyuugun/ioutou_suna/ioutou_suna.html

    この「硫黄島の砂」というのは衝撃的でした。数々の神社をお参りしましたが、初めてです。この神社の関係者が硫黄島に遺骨収集に行かれたのですね。
    砂はただの砂でした。血の跡があるとかいうことはありません。けれどこの砂のあった浜辺を、死んでいった若者たちが行き来して、この今目前にある砂を踏みしめ、触れたのでしょう。
    夫の、マキアヴェッリの机に触れて、机を介してマキアヴェッリと握手したという言い方なら、私は死んでしまった多くの若者達に間接的に触れたのです。

    七十路夫婦のイタリア旅行6 マキアヴェッリとの握手
    https://4travel.jp/travelogue/11375631

    現代の我々にとって、死は原則として老人のものです。私たち2人はそれぞれの両親を見送ってしまいましたが、親戚、友人、知人は介護の真っ最中だったりします。100才近いお年寄りの世話をする友人は「いつ、なにがあっても」と言います。
    何があってもって、死ってことですよね。ああそうか、私たちは「死」とこんなにも近く生きているのか。
    それがあの時代は「何があっても」の人がまだ20代、30代、はなはだしい場合は10代の少年だったのですね。
    もちろん年寄りは死んでいいといっているのではありません。けれどお年寄りはそれでもそれぞれの人生を生きたのではないでしょうか。火が燃えて消え失せるように、全うしたのではないでしょうか。
    けれど若者の死は無念です。
    死んでゆく青少年はもちろん、残された周囲の人々は、どんなに無念で残念で悔しかったでしょう。
    おいしい料理も食べさせたかった。楽しいことも、美しい乙女と恋もさせたかった・・・

    「硫黄島の砂」は境内の片隅にありました。お参りを済ませて、ぶらぶら歩いていて、出会いました。のんきな気分は吹っ飛び、姿勢を正して合掌してしまいました。
    ほかに何ができるでしょう。それ以外どんな青年たちの魂を慰める方法があるのでしょうか。
    ああ、そうだ、だから神社ってできたんだ。生を全うできなかった人の魂を慰め、そのかかわりのある人の心の拠りどころなんですね。
    By妻


    ☆☆☆

  • 玉祖神社拝殿

    玉祖神社拝殿

  • 山口県防府市大字大崎1690

    山口県防府市大字大崎1690

  • 周防国一宮。<br />創建は不明ですが、ウイキペディアによれば、「(神階は)貞観9年(867年)3月10日、従四位下から従三位(『日本三代実録』)- 表記は「玉祖神」となっています。このころまでには成立していたことになります。式内社です。<br />神社名のとおり、古代の勾玉などを造る職人集団が祖先を祀るために創建した神社でしょう。<br />出雲国で、玉作湯(たまつくりゆ)神社を訪れました。同じように玉造職人集団の神社でした。中国地方は古代では神社などの文化だけではなく、宝飾品の製造という、当時の最先端技術をもった地域だったのです。<br /><br />周防国一宮が、大陸または半島から来たに違いない技術者集団を祀る玉祖神社だというのは、いかにもこの山口県という地理的な位置を示しています。<br />存命ならば今年97才になる母は、初めて博多に行くとき、下関で連絡船に乗るのに、「朝鮮行きに間違えたらどうしよう」と心臓が口から出そうだったと言っていました。子供のときと言っていましたが、いくつだったのか。そのターミナルは国内線と国際線ごちゃ混ぜじゃないかと一瞬思ったけれど、当時はともに国内でしたね。<br />ま、さておき、それにしても半島は遠いでしょうに。<br />今ならさしずめ新宿から成城学園行きと小田原行きの電車がでるようなもんなんでしょうかね。今は大人の諸事情で遠い異国認識されていますが、昔は北海道東北はもちろん、東京よりはるかに近い所だったのでしょうね。<br />By妻

    周防国一宮。
    創建は不明ですが、ウイキペディアによれば、「(神階は)貞観9年(867年)3月10日、従四位下から従三位(『日本三代実録』)- 表記は「玉祖神」となっています。このころまでには成立していたことになります。式内社です。
    神社名のとおり、古代の勾玉などを造る職人集団が祖先を祀るために創建した神社でしょう。
    出雲国で、玉作湯(たまつくりゆ)神社を訪れました。同じように玉造職人集団の神社でした。中国地方は古代では神社などの文化だけではなく、宝飾品の製造という、当時の最先端技術をもった地域だったのです。

    周防国一宮が、大陸または半島から来たに違いない技術者集団を祀る玉祖神社だというのは、いかにもこの山口県という地理的な位置を示しています。
    存命ならば今年97才になる母は、初めて博多に行くとき、下関で連絡船に乗るのに、「朝鮮行きに間違えたらどうしよう」と心臓が口から出そうだったと言っていました。子供のときと言っていましたが、いくつだったのか。そのターミナルは国内線と国際線ごちゃ混ぜじゃないかと一瞬思ったけれど、当時はともに国内でしたね。
    ま、さておき、それにしても半島は遠いでしょうに。
    今ならさしずめ新宿から成城学園行きと小田原行きの電車がでるようなもんなんでしょうかね。今は大人の諸事情で遠い異国認識されていますが、昔は北海道東北はもちろん、東京よりはるかに近い所だったのでしょうね。
    By妻

  • ご祭神は、<br />玉祖命(たまのおやのみこと)<br /><br />この神社は佐波川という川の河口近くにあります。<br />佐波川の名の由来は、ちょっとイエス・キリストの奇跡みたいな昔話があるそうです。<br />ざっと紹介しますと、昔東大寺大仏殿が焼失して、その再建の木材伐採のため人夫たちがたくさん働いていました。その中の1人が「こんな飯じゃ力が出ねえ。魚くらい食わせろ」と言ったので、えらい御上人様がそのあたりにあった木片に鯖と書いて川に放り込んだら、鯖が川に溢れたそうで、それから川はサバガワと呼ばれることになりました。メデタシ、メデタシ。<br />だそうですが、川に鯖はいません。<br />で、私なら、<br />昔々人夫たちが働いて昼ご飯に川で獲れた魚を焼いて食べておりました。と、そこに金髪碧眼の大男が現れ、人夫たちに向かって、ニッコリしながら「サバ?」 フランス語で「ハロー」<br />あまり突然のことなので驚き恐れた人夫たちはそれでもやっと答えました。<br />「あゆ、あゆ」<br />その様子を見た大男は、こわがらせまいと「だいじょうぶ、だいじょうぶ」をフランス語で「サバ、サバ、サバ」<br />人夫たちは恐怖でガタガタ震えながら、本当は鮎だけど、名前なんかどうでもよくなって、相手のいうとおり「サバ、サバ、サバ」と叫びました。<br />そのときからこの川はサバガワという名前になりました。メデタシ、メデタシ。<br />何でフランス人が? どうやって? 何しに? とかは昔話だから、つっこまないでください。<br />By妻

    ご祭神は、
    玉祖命(たまのおやのみこと)

    この神社は佐波川という川の河口近くにあります。
    佐波川の名の由来は、ちょっとイエス・キリストの奇跡みたいな昔話があるそうです。
    ざっと紹介しますと、昔東大寺大仏殿が焼失して、その再建の木材伐採のため人夫たちがたくさん働いていました。その中の1人が「こんな飯じゃ力が出ねえ。魚くらい食わせろ」と言ったので、えらい御上人様がそのあたりにあった木片に鯖と書いて川に放り込んだら、鯖が川に溢れたそうで、それから川はサバガワと呼ばれることになりました。メデタシ、メデタシ。
    だそうですが、川に鯖はいません。
    で、私なら、
    昔々人夫たちが働いて昼ご飯に川で獲れた魚を焼いて食べておりました。と、そこに金髪碧眼の大男が現れ、人夫たちに向かって、ニッコリしながら「サバ?」 フランス語で「ハロー」
    あまり突然のことなので驚き恐れた人夫たちはそれでもやっと答えました。
    「あゆ、あゆ」
    その様子を見た大男は、こわがらせまいと「だいじょうぶ、だいじょうぶ」をフランス語で「サバ、サバ、サバ」
    人夫たちは恐怖でガタガタ震えながら、本当は鮎だけど、名前なんかどうでもよくなって、相手のいうとおり「サバ、サバ、サバ」と叫びました。
    そのときからこの川はサバガワという名前になりました。メデタシ、メデタシ。
    何でフランス人が? どうやって? 何しに? とかは昔話だから、つっこまないでください。
    By妻

  • 山口県の山間部には秋芳洞があったりするのでわかりますが、ここら辺り大理石が豊富に産出したのでしょう。それを加工して勾玉にしたのを、ここ佐波川の港から、例えば吉野ヶ里、三内丸山、ヤマトまでも輸出したのではないですかね。吉野ヶ里に勾玉持って行って、帰りに速吸瀬戸(はやすいのせと)の関サバを船一杯もらってきて川にまき散らした、とか。<br />By鯖にこだわる妻

    山口県の山間部には秋芳洞があったりするのでわかりますが、ここら辺り大理石が豊富に産出したのでしょう。それを加工して勾玉にしたのを、ここ佐波川の港から、例えば吉野ヶ里、三内丸山、ヤマトまでも輸出したのではないですかね。吉野ヶ里に勾玉持って行って、帰りに速吸瀬戸(はやすいのせと)の関サバを船一杯もらってきて川にまき散らした、とか。
    By鯖にこだわる妻

  • 黒柏鶏。日本の鶏の在来種です。

    黒柏鶏。日本の鶏の在来種です。

  • 神社の一隅に飼われておりました。<br />防府の文化財で、国指定天然記念物だそうです。外来種に押されて非常に数が少なくなっています。

    神社の一隅に飼われておりました。
    防府の文化財で、国指定天然記念物だそうです。外来種に押されて非常に数が少なくなっています。

  • 堂々たるものです。

    堂々たるものです。

  • 6,7羽いたでしょうか。

    6,7羽いたでしょうか。

  • 眼光鋭い。

    眼光鋭い。

  • 立派といえば立派、でもなんとなく横柄な態度の鶏でした。絶対に食われることないもんね。

    立派といえば立派、でもなんとなく横柄な態度の鶏でした。絶対に食われることないもんね。

  • 例によって狛犬。頭の上に角らしきものがあるので、古い形式の狛犬のようです。<br />「吽」ですね。

    例によって狛犬。頭の上に角らしきものがあるので、古い形式の狛犬のようです。
    「吽」ですね。

  • 「阿」こちらは角がない。たてがみらしきものもありますが、「阿吽」対なので、多分狛犬。

    「阿」こちらは角がない。たてがみらしきものもありますが、「阿吽」対なので、多分狛犬。

  • 御朱印をいただきました。

    御朱印をいただきました。

38いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

この旅行記へのコメント (4)

開く

閉じる

  • kummingさん 2020/03/06 15:15:42
    改名?
    シニア→改め、しにあの旅人さま♪
    さすが、ご夫婦揃って仏語に精通していらっしゃる!
    サバ→鯖(笑)
    毎日届く、たびレジ情報(-。-;
    に戦々恐々と、身も細る思いで、日々過ごしております。
    不要不急なコメント、失礼おばm(_ _)m

    しにあの旅人

    しにあの旅人さん からの返信 2020/03/06 17:05:04
    Re: 改名?
    万葉の酔いどれ歌人、大伴旅人にあやかりました。ついでにひらがなにして、ちょっと古代っぽく。このところ古代に凝っております。
    イタリアを諦めて、奈良に行く予定。4月15日から7泊、台所付きホテルを予約しました。これもどうなるか分かりませんが。
    例によって、人が滅多に行かないようなお寺と古墳なので、コロナちゃんをもらう心配はないと思うのですが。往復自家用車です。
    それにしてもイタリアは残念。ピアチェンチェからイエージまで、コスタンツアの辿ったエミリア街道もぱあ。イエージからフォーリニョまで、コンラッド夫人に抱かれたFDIIが通った可能性がある古城と教会を、5日かけてシラミつぶしにフィールドワークで探す予定でした。これもぱあ。ビアンカ・ランチアのお城もぱあ。
    FDII本人より、周りの女性たちの足跡をめぐる予定だったのです。
    来年、できるかな。移動型の旅行にはちょっと体力的に自信がなくなりつつあります。最後のチャンスだったかもしれない。

    kumming

    kummingさん からの返信 2020/03/06 17:35:59
    敢えて、喝!?!
    はやくも奈良路寺社古墳巡りの企画をされるとは、さすが七転び八起きスピリット、素晴らしい♪
    ですが、人生の旅の大先輩に向かって生意気にもここは敢えて“喝!”
    未公開「FDII所縁の女たち」、その陰に絶賛待望読者の(涙)がある事をお忘れか?
    今年は筋力、体力アップに努め、来春の“夢は山野を駆け巡る”ブログアップ、お待ちしておりまする~^o^

    しにあの旅人

    しにあの旅人さん からの返信 2020/03/09 14:06:34
    元気出します
    目下のところふてくされておりますが、そのうち元気出ると思います。「喝!」背筋がピシッとしました。期待されるとその気になる子です。
    エンツオが捕虜になったボローニャ郊外の橋までつきとめました。現存しています。行ってみたいですよね。
    カタール航空が、ドーハ ーローマを大幅に減便しました。私が予約した便もなくなったので、航空券代はは全額戻ってきます。ホテルとレンタカーは余裕で無料キャンセル。イタリアレイルパスや予約券は、はそうはいきませんが、それでもお金の面ではそれほど被害は大きくありませんでした。このまま貯金しておいて来年に回します。
    問題は奈良です。資料あさりで博物館がいくつか予定に入っていますが、そのうち1箇所は3月末まで締めるとか言いくさっております。そのあともわかったもんじゃない。
    ホテルは台所付きなので、外で食べないで、食料品をもちこんで自炊も可能ですが、そうなると旅行というより探検にちかくなるなあ。
    奈良の鹿がせんべいをくれる観光客がいないので、おやつに困って凶暴化しているという話です。大仏殿や法隆寺を独り占めできるかもしれないので、チャンスではあります。
    それにしてももうちょっと落ち着いてくれないと、やはり旅の気分が出ません。

しにあの旅人さんのトラベラーページ

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

この旅行記の地図

拡大する

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP