2019/07/12 - 2019/07/12
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しにあの旅人さん
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今日は石見国(いわみのくに)を目指します。現島根県の西部で、益田市、江津市、浜田市、大田市などです。
一宮は物部(もののべ)神社、二宮多鳩(たばと)神社、三宮大祭天岩門彦(おおまつり・あめの・いわかどの・ひこ)神社
まず三宮をお参りします。大祭天岩門彦神社、読み方を知らなければ読めません。レンタカーの車載ナビにひらがなで入力してみましたが、「知らないよ」
予想していたので、あらかじめ登録しておいたiPhoneのグーグルマップを使います。
この旅行記で参照、引用した資料は、
「諸国神社参り 山陰山陽1ー長門国」に列挙してあります。
https://4travel.jp/travelogue/11567638
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ナビゲーター兼記録係の妻が熟練してきて、途中の地名を記録してくれるので、あとでどこを通ったか分かります。
長府を出て中国自動車道、美祢東Jctで下りて国道490、中国山地の縦断に入ったようです。絵堂あたりで「維新のマグマの胎動の地、萩」という看板が出てきました。観光標語にしては、しつこく論理的、いかにも長州らしい。
途中「松蔭記念館」を休憩をかねて30分くらい見学。これが今回の6泊7日の旅で、神社以外唯一の立ち寄り先でした。萩もパス。神社参りに特化した旅です。
萩をすぎて海沿いの道に出ました。 -
関門トンネルを抜けて山口県に入ったら、ガードレールが黄色でした。どうしてかなと注意していたら、島根県との県境に近い萩市須佐では白になりました。妻が後日聞いてくれました。国体の時に、ガードレールを黄色に統一したそうです。
約180キロを、休み休み3時間半かけて目的地にたどり着きました。
ガードレールの黄色は、特産品のミカンの色なんだそうですよ。
By妻 -
石見国三宮大祭天岩門彦(おおまつり・あめの・いわかどの・ひこ)神社。
道路から直接神社に入れます。拝殿手前の空き地も拝殿向こうも駐車場です。 -
隣接する足王神社にも駐車は可能です。
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島根県浜田市相生町1571
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地元では「さんのみやさん」とよばれていました。
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扁額右に掲げられた由緒によれば、阿波忌部氏が応神天皇の時代に創建となっていますが、創立年代は不明ということです。延喜式(927年成立)式内社ですから、10世紀までには成立していたことは確実です。
ご祭神は、
天手力男命(あめの・たじからおの・みこと)天照大神が天岩戸に隠れたとき、岩戸前の騒ぎに興味を覚えた大神がわずかにあけた岩戸を、強引に引き開けて大神を引っ張り出した神様です。この神社の元々の神様です。つまり創建は記紀成立後の8世紀前半以降と云うことです。
健御名方命(たけ・みなかたの・みこと、以降タケミナカタと表記します)諏訪大社の神様です。仁明(にんみょう)天皇2年(834年)諏訪大社より勧請されました。タケミナカタがここに祀られていることは、私たちには非常に不思議に見えます。後述します。 -
本殿
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三宮の称号を許されたのは鳥羽天皇の文治年間(1185年-1189年)、その後三宮として庶民信仰の対象だったそうです。
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本殿背後に大きな岩があります。
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三つ子山という山の麓で、高さ4間(約7.2メートル)幅6間(10.8メートル)という巨石です。背後の巨岩を天岩戸に見立てるのは、きわめて自然、天手力男命が主祭神というのも素直に納得です。
天手力男命を祭神とする神社は記紀の成立後8世紀としても、それ以前から、縄文まで遡る巨石信仰があっても不思議ではない。 -
「配祀神 健御名方命」とあります。
長門一宮住吉神社でも祀られておりました。そこでも書きましたが、タケミナカタは住吉神社には元々縁もゆかりもない神様です。
この神社では誰が勧請したか、由緒には書いてありません。中世以降タケミナカタは武神とされ、武将が崇敬することはあったそうですが、この神社に勧請された仁明天皇2年(834年)はとても中世とはいえない。平安時代も初期です。なぜこの神様が勧請されたのか。
タケミカヅチに出雲を追われ逃げるときに立ち寄った、というような伝承があるのかと思いましたが、諏訪に逃げるなら東です。石見では方向が違います。 -
大祭天岩門彦神社に伝わる特殊神事として「贄狩祭」があります。読み方が分かりません。「にえがりさい」でしょうか。毎年1月25日に山狩りをした獲物の鹿の肉を供えるお祭りです。
これを見て妻がすぐ諏訪神社上社に伝わる御頭祭(おんとうさい)を連想しました。毎年4月15日に鹿の頭を神饌として神様にささげます。江戸時代の記録では75頭の鹿の頭と、イノシシの脳みそ、ウサギなどの小動物も含まれました。とても縄文的です。
同じく諏訪大社上社の「蛙狩神事」(かわずがりしんじ)というのもあります。正月元旦蛙を捕まえて神様に供えます。
大祭天岩門彦神社ではタケミナカタと鹿の肉を神饌としてささげる祭がセットです。
タケミナカタが大祭天岩門彦神社に勧請されたから贄狩祭が行われた、と想像できます。でもこれだとなぜタケミナカタを勧請したかが説明できません。
逆ではないか。
この神社成立はるか前、巨石信仰の祭祀の場がここにあった。鹿肉の神饌をささげる祭がもともとあった。天手力男命を祀る神社が成立した後、贄狩祭を正当化する根拠、あるいは権威付けのためにタケミナカタを勧請したとすると、すっきり理解できます。 -
周囲の景色です。このあとお参りした多鳩神社の宮司さんのお話では、もともとこの道路は神社の神域でした。高架の道路などもありません。
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道路の向こうは製材所です。お稲荷さんが祀られています。道路がない昔は谷の奥で、周囲を巨石と森と山に囲まれていたのです。縄文的祭祀の場所としてふさわしい。
昔はたぶん深山幽谷だったでありましょうが、現在は、はっきり申しますが、実に味気ない所でした。高速道路のすぐ横、正面は県道186号線。廃棄物処理場かと思いました。こう人家が少なくては氏子さんもいないかもしれません。前の製材所さんが手を入れている様子はありましたが。 -
こんなに面白い神社なのにもったいない。なんとか盛り立てようとした気配はありました。赤いのは提灯です。
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夜神楽の会場でした。
夜神楽の夜は提灯も賑やかで、いいのかもしれません。 -
でも朝の光の中では、それすら場末のストリップ劇場の昼間かと思ったほど、わびしく見えました。(場末のストリップ劇場なんて知らないけどね)
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お祭りの日は違うのかな。お名前といい、神様といい、ワクワクする神社なのにね。祭の夜に来るべきでした。
By妻
☆☆☆ -
多鳩(たばと)神社にやって来ました。
神社前駐車場から参道を振り返りました。遠くに見えるのが一の鳥居です。その間、細い道です。人家の周辺以外車はすれ違えません。 -
二の鳥居前に駐車場があります。10台以上駐められるでしょう。
鳥居の向こうを歩いておられるのは宮司さんでした。あとでお話をうかがうことができました。
鬱蒼とした森の中にあります。道はここで行き止まりです。谷の奥に本殿は鎮座しています。
多鳩神社
岩見国二宮
島根県江津市二宮町神主イ307 -
二の鳥居の奥の随神門。
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白木の、飾りのない美しい門です。
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門をくぐると苔むした参道が続きます。左の川はタマト川。小さな瀧があります。
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随神門を後ろから。
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瀧はタマトの瀧といいます。この川は神社背後のタマト山から流下りてきます。神社はかつてタマト神社と云われておりましたが、現在は多鳩神社と称します。宮司様は「なぜでしょうね、ごらんの通り、鳩などおりません」とおっしゃっていました。
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拝殿です。
主祭神は、
積羽八重事代主大神(つみはやえ・ことしろぬしの・みこと)
出雲の大国主大神の長男、エビス様です。この地方を開拓した神様で、昔から二宮「にくう」さんと親しまれてきました。 -
天井に飾られている折り紙のようなもの、由来と名前を宮司さんに聞いておけばよかった。
-
拝殿、幣殿、本殿と細長く続きます。見たことのない作りです。
創建は貞観3年(861年)式内社ですので、10世紀初めまでに成立していたことは確実です。
ここで宮司さんとお会いし、お話しすることができました。
社殿は当初たまと山山頂にありましたが、文安年間(1444年-1448年)に現在地に遷座しました。 -
本殿です。
「左手前の屋根から、ブランコのようなものがぶら下がっています」 -
これですね。
「これは、お祀りの時に、八咫烏(やたがらす)が飛んできて止まる止まり木です。神饌台と申します」 -
(熊野那智大社の八咫烏。ウイキペディア・コモンズより、ライセンス・フリーです。撮影者m-louis)
八咫烏は、古事記や日本書紀で、神武天皇を熊野から大和へ道案内したとされる3本足のカラスです。
八咫烏がどうしてこの神社に?
「境内の摂社に高神神社が鎮座されております」 -
高神神社
-
かつて二宮町の高岡の丘にあった神社ですが、今は多鳩神社神域に遷座しました。
御祭神は鴨健角身命(かも・たけつのみの・みこと)とその妻伊可古夜日女(いかこや・ひめ)。鴨健角身命の化身が八咫烏です。
二宮村史という資料があります。昭和6年(1931年)に旧二宮村が編集した石器時代からのこの地方の歴史です。村史にある鴨健角身命の伝承は、記紀とはずいぶん違います。
下記で読むことができます。昭和58年再版されています。
https://gokokai-kanto.jimdo.com/ふるさと石見の情報/江津市二宮町/
多鳩神社パンフレットおよび村史によれば、この神さまはこの里がお住まいで、出雲の神コトシロヌシノミコト(エビス様)やアジスキタカネヒコ(古事記では阿遅鉏高日子根神、大国主神と宗像三女神のタキリビメの間の子で、農耕の神様)と鳩山(多鳩神社のあるタマト山)の高台で物々交換(原文ママ)をしていた。え! エビス様と物々交換!?
奥さんは出雲のうから(氏族)である丹波のキズ耳の娘だそうです。詳細不明。
神武天皇が熊野から大和に向かうとき、お使い(原文ママ)が来ました。以下長いですが引用です。
「大和御討ち入りには熊野路の険しい迷い道を、先に立って案内した。このとき兵士たちはくたびれてなかなか付いてこないので、タケツノミノ神は「うら(私)通り、こがして歩けぇ、カア(すぐ)そこだけぇ、カア峠にあがりゃカアみえるけぇ」といとも簡単そうにカアカア岩見弁丸出しでするので、つい皆笑いこけて少しはくたびれが直り、タケツノミノ神に八咫烏(やたがらす)のあだ名をつけた。妻も兵士たちの先に立って、女が通れる道を男がいかれぬことがあるか、イコカヤ、イコカヤと云いながら案内した。イコカヤとは出雲弁で「さあ私と一緒に行きましょう」という意味である。夫婦は手柄が多かったので、お上から宮が建てられた」
いかこやひめが、イコカヤ、イコカヤと言ったのは、この素朴な笑い話のオチなんでしょうかね。この話を輪になって聞いていた村人がドッと笑ったんじゃないでしょうか。
都人にも臆せず、我が土地の言葉で率直に親切に接するこの二神は、いつの時代にも親しまれ愛される神様ですね。
そしてわずかな時間のお話からも、誠実で親切なお人柄が伝わってきた宮司さんそのものでした。この宮司さんとの出会いによって、多鳩神社はこの旅行一番の心に残る神社になりました。
By妻 -
「八咫烏のご縁で、日本サッカー協会から奉納されたエンムブレムです」宮司様が指さす先には、たしかに八咫烏。
宮司さんが大のサッカーファンで、あれを飾ってあるのかと思っていました。
「いえいえ、そう簡単にいただけるものではありません」 -
社務所右の鮮やかな緑が梛(なぎ)の木です。凪に音が通じることから、船乗りの信仰を集めています。何本か境内にありました。
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葉脈が葉本から先にかけて平行して走っている珍しい葉だそうです。
-
御朱印をいただきました。時間をかけて丁寧に書いていただきました。
「御神酒をいかがですか」と勧めていただきましたが、車ですのでと辞退させていただいて、今日最後の物部神社に向かいます。
☆☆☆ -
物部神社
石見国一宮
島根県大田市川合町川合1545堂々たる神社です by しにあの旅人さん物部神社 寺・神社・教会
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継体天皇8年(513年)創建と伝えられています。
式内社ですので、10世紀初めまでに成立していたことは確実です。
現在の社殿は宝暦3年(1753年)の再建で、2度の修理を経て現在の姿だそうです。
主祭神は宇摩志麻遅命(うましまじのみこと) 物部氏の祖神です。 -
実に堂々としたお社で、春日造りの社殿としては全国一。
ところがどういうわけか、私たち二人ともこの神社の記憶が曖昧なのです。いつも神社を最初に目にしたときの記憶は鮮明で、それが鳥居でも、建物はまだ見えない参道でも、しっかりと記憶に残ります。その第一印象がない。今日の大祭天岩門彦神社や、多鳩神社は、はるかに小さな神社ですが、印象はとても強烈です。私たちは、大きな神社は苦手なんだなと思いました。
人間にそれぞれ性格があるように、神社もそれぞれです。この神社はなにもかも立派で、手水舎も凝っているし、参拝人が喜ぶ御利益があるようにあちこち整備されていました。あまりに神社的神社で、心に残っておりません。
疲れていたのか、私たちのおへそが曲がっていたのか。きっとこの日の、前二つの神社が強烈すぎたからでしょう。そういえば優等生って、えてして、つまんない人が多いんですよね。
By妻 -
そのなかで覚えているのはこの手水屋。
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龍だか、ヘビだか。
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砂金を含んだ石だそうです。
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妻は5つの曲玉にばっちり触れてきましたので、必ずや近いうちにお金が転がりこんでくるはずです。
はずです! 期待しています!!
By妻 -
御朱印をいただいて、今日の神社参りはおしまい。いよいよ出雲に向かいます。
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