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この日は出雲大社のあと、日御碕神社に向かいます。<br />県道29号を日本海沿いに走ります。大変景色のいい道路ですが、ほとんど断崖絶壁、曲がりくねった往復2車線です。景色なんか眺める余裕なし。所々に展望台はあります。<br />1890年にハーンが日御碕神社を訪れたときは和船でした。稲佐の浜から海岸沿いに、若い2人の漁師が艪をこぎました。和船を漕げる若い漁師が今もいるなら、私たちも乗ってみたかった。<br />当時の山路は非常に険しく、危険で、難儀と書いています。<br /><br />この旅行記で参照、引用した資料は、<br />「諸国神社参り山陰山陽1ー長門国」に列挙してあります。

諸国神社参り 山陰山陽4ー出雲その2

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2019/07/13 - 2019/07/13

228位(同エリア2168件中)

旅行記グループ 諸国神社参り 山陰山陽2019

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しにあの旅人

しにあの旅人さん

この日は出雲大社のあと、日御碕神社に向かいます。
県道29号を日本海沿いに走ります。大変景色のいい道路ですが、ほとんど断崖絶壁、曲がりくねった往復2車線です。景色なんか眺める余裕なし。所々に展望台はあります。
1890年にハーンが日御碕神社を訪れたときは和船でした。稲佐の浜から海岸沿いに、若い2人の漁師が艪をこぎました。和船を漕げる若い漁師が今もいるなら、私たちも乗ってみたかった。
当時の山路は非常に険しく、危険で、難儀と書いています。

この旅行記で参照、引用した資料は、
「諸国神社参り山陰山陽1ー長門国」に列挙してあります。

旅行の満足度
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
レンタカー
旅行の手配内容
個別手配

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  • 日御碕神社と稲佐の浜

    日御碕神社と稲佐の浜

  • 出雲大社から来る道路沿いに1カ所、日御碕神社を俯瞰できる場所があります。<br />詳しくは私たちの口コミをご覧下さい。<br />https://4travel.jp/domestic/area/chugoku/shimane/izumo/izumotaisha/tips/13870249/<br /><br />

    出雲大社から来る道路沿いに1カ所、日御碕神社を俯瞰できる場所があります。
    詳しくは私たちの口コミをご覧下さい。
    https://4travel.jp/domestic/area/chugoku/shimane/izumo/izumotaisha/tips/13870249/

    日御碕神社 寺・神社・教会

    全景をとらえるポイント by しにあの旅人さん
  • 右から、下の宮楼門、拝殿、本殿が一直線です。

    右から、下の宮楼門、拝殿、本殿が一直線です。

  • 回廊、楼門の一部、拝殿、本殿。

    回廊、楼門の一部、拝殿、本殿。

  • さらに拝殿、本殿をアップ。

    さらに拝殿、本殿をアップ。

  • 撮影場所を少しずらして。上の宮本殿。

    撮影場所を少しずらして。上の宮本殿。

  • この神社には本殿が2つあります。こちらは下の宮拝殿と本殿。別名「日沈の宮、ひしずみのみや」 <br />神社由緒によれば、「伊勢大神宮が日本の昼を守り、日御碕大神宮が日本の夜を護る」という意味で、「日沈の宮、ひしずみのみや」と言います。<br />創建は、神代の昔、現神社の沖合にある経島(ふみじま)に天照大御神を祀ったとあります。733年成立の「出雲国風土記」にある百枝槐社(ももえしぎやしろ)がこれです。現在位置に遷座したのは村上天皇の天歴2年(948年)となっています。<br />主祭神は、天照大御神。

    この神社には本殿が2つあります。こちらは下の宮拝殿と本殿。別名「日沈の宮、ひしずみのみや」 
    神社由緒によれば、「伊勢大神宮が日本の昼を守り、日御碕大神宮が日本の夜を護る」という意味で、「日沈の宮、ひしずみのみや」と言います。
    創建は、神代の昔、現神社の沖合にある経島(ふみじま)に天照大御神を祀ったとあります。733年成立の「出雲国風土記」にある百枝槐社(ももえしぎやしろ)がこれです。現在位置に遷座したのは村上天皇の天歴2年(948年)となっています。
    主祭神は、天照大御神。

  • 上の宮より見た拝殿。

    上の宮より見た拝殿。

  • 本殿

    本殿

  • 楼門。神社が丘の斜面に建っているので、楼門に続く回廊も斜面を下ります。

    楼門。神社が丘の斜面に建っているので、楼門に続く回廊も斜面を下ります。

  • 上の宮、神の宮ともいいます。<br />主祭神、素盞鳴尊(すさのおの・みこと)<br />この神様を祀る神社の総本営だそうです。<br />由緒によれば、神代以来現神社背後の「隠ヶ丘」(かくれがおか)に鎮座していました。安寧天皇13年に現在地に遷座とありますが、第3代安寧天皇は実在しなかったとされます。要するに創建時期不明ということです。<br />出雲国風土記にある「美佐枝社」がこの神社。733年には成立していたことになります。式内社です。<br />順番に考えると、8世紀までにこの地に上の宮、経島に下の宮の元宮が創建されました。10世紀初頭この上の宮が式内社となり、その後948年に下の宮が経島から遷座してきたことになります。<br />素盞鳴尊の上の宮が、天照大御神の下の宮を見下ろす位置関係は、この順番によるものでしょうか、普通ですと、天照大御神の方が偉いはずです。

    上の宮、神の宮ともいいます。
    主祭神、素盞鳴尊(すさのおの・みこと)
    この神様を祀る神社の総本営だそうです。
    由緒によれば、神代以来現神社背後の「隠ヶ丘」(かくれがおか)に鎮座していました。安寧天皇13年に現在地に遷座とありますが、第3代安寧天皇は実在しなかったとされます。要するに創建時期不明ということです。
    出雲国風土記にある「美佐枝社」がこの神社。733年には成立していたことになります。式内社です。
    順番に考えると、8世紀までにこの地に上の宮、経島に下の宮の元宮が創建されました。10世紀初頭この上の宮が式内社となり、その後948年に下の宮が経島から遷座してきたことになります。
    素盞鳴尊の上の宮が、天照大御神の下の宮を見下ろす位置関係は、この順番によるものでしょうか、普通ですと、天照大御神の方が偉いはずです。

  • 建物の造営は二十数回に及ぶそうです。現在の社殿は上の宮、下の宮ともに徳川3代将軍家光の命で、幕府直轄工事として、10年の歳月をかけ、寛永21年(1644年)竣工しました。375年前の建物にしては見事にメンテナされています。朱塗りも鮮やかです。<br />ハーンが訪れたときも、この神社のきらびやかさに驚嘆しています。

    建物の造営は二十数回に及ぶそうです。現在の社殿は上の宮、下の宮ともに徳川3代将軍家光の命で、幕府直轄工事として、10年の歳月をかけ、寛永21年(1644年)竣工しました。375年前の建物にしては見事にメンテナされています。朱塗りも鮮やかです。
    ハーンが訪れたときも、この神社のきらびやかさに驚嘆しています。

  • これが、下の宮の元宮があった経島(ふみじま)です。現在は防波堤がすぐ近くまでいっておりますが、島ではあります。島中ウミネコに覆われています。<br />ハーンは、経島は海岸から900メートルの沖合にあると書いています。現在の港や防波堤は当時はなかったのです。「文島」(ふみしま)あるいは「お教が島」と現地では呼ばれていたようです。130年で、これほど現在と違いがあるのが驚きです。<br />ハーンが日御碕神社に行ったのは、8月です。数え切れないくらいの乾し烏賊が湊の近くにぶら下がっていました。私たちは7月、乾し烏賊などなかったな。<br /><br />この経島近くの海底に謎の遺跡があるのですよ。地元のダイバーさんが発見したのですが、広大な敷地のサンクチュアリーです。その海底記録はユーチューブでみることができますが、この日御碕神社は今の何十倍もの規模だったことが分かります。<br />日昇るの伊勢神社があの規模なのですから、日没を祀る神社もそれ相応の荘厳なものだったに違いありません。<br />今の経島はどうやらその神域において山だったようです。ウミネコだらけのこの島にいったい何が起きたのでしょう。あー、ワクワクする。<br />今は海が陽を浴びてキラキラ輝き、ウミネコの飛び立つ音以外物音ひとつしない静かな海辺でした。<br />By妻

    これが、下の宮の元宮があった経島(ふみじま)です。現在は防波堤がすぐ近くまでいっておりますが、島ではあります。島中ウミネコに覆われています。
    ハーンは、経島は海岸から900メートルの沖合にあると書いています。現在の港や防波堤は当時はなかったのです。「文島」(ふみしま)あるいは「お教が島」と現地では呼ばれていたようです。130年で、これほど現在と違いがあるのが驚きです。
    ハーンが日御碕神社に行ったのは、8月です。数え切れないくらいの乾し烏賊が湊の近くにぶら下がっていました。私たちは7月、乾し烏賊などなかったな。

    この経島近くの海底に謎の遺跡があるのですよ。地元のダイバーさんが発見したのですが、広大な敷地のサンクチュアリーです。その海底記録はユーチューブでみることができますが、この日御碕神社は今の何十倍もの規模だったことが分かります。
    日昇るの伊勢神社があの規模なのですから、日没を祀る神社もそれ相応の荘厳なものだったに違いありません。
    今の経島はどうやらその神域において山だったようです。ウミネコだらけのこの島にいったい何が起きたのでしょう。あー、ワクワクする。
    今は海が陽を浴びてキラキラ輝き、ウミネコの飛び立つ音以外物音ひとつしない静かな海辺でした。
    By妻

  • 望遠にしてみました。鳥居とお社があります。ウミネコだらけ。

    望遠にしてみました。鳥居とお社があります。ウミネコだらけ。

  • これで望遠いっぱい。ブレずにとれた。最近撮影の腕が上がったと自画自賛。望遠がビシッと撮れる安いカメラないかな。

    これで望遠いっぱい。ブレずにとれた。最近撮影の腕が上がったと自画自賛。望遠がビシッと撮れる安いカメラないかな。

  • ときどきウミネコが一斉に飛び立ちます。空を覆うという感じになります。それを狙ってしばらく粘ったのですが、小さめの一斉しかなかった。点々と多少は飛んでいます。見えるかな。<br />こんな所まで、神社マニアの女性、神女(じんじょ? かみじょ? しんじょ?)が来ていました。どういうわけか、神女には若い美人が多い。良縁祈願かな。この3人は、この前の出雲大社でも会いました。

    ときどきウミネコが一斉に飛び立ちます。空を覆うという感じになります。それを狙ってしばらく粘ったのですが、小さめの一斉しかなかった。点々と多少は飛んでいます。見えるかな。
    こんな所まで、神社マニアの女性、神女(じんじょ? かみじょ? しんじょ?)が来ていました。どういうわけか、神女には若い美人が多い。良縁祈願かな。この3人は、この前の出雲大社でも会いました。

  • この神社にも摂社が多く鎮座していました。独立したお社と、このようないわば集合神社、神社の団地。

    この神社にも摂社が多く鎮座していました。独立したお社と、このようないわば集合神社、神社の団地。

  • 私たちは、神社詣では摂社、末社を注意深くお参りすることにしています。もしかして、「あらはばき神」が鎮座していないか。<br />3年ほど前ですが、さいたま市の中山神社に摂社ですが荒脛(あらはばき)神社を発見したことがあるからです。偶然です。予期していませんでした。<br />「東日流外三郡誌」(つがるそとさんぐんし)の「あらはばき」です。「東日流外三郡誌」が偽書であることは百も承知二百も合点の上です。されど「あらはばき」です。なぜか郷愁、ロマンを感じます。ものがものだけにここで深入りは避けますが、私たちみたいな隠れ「東日流外三郡誌」「あらはばき」ファンはいるのではないかな。<br />日御碕神社には「あらはばき神」はいらっしゃいませんでした。

    私たちは、神社詣では摂社、末社を注意深くお参りすることにしています。もしかして、「あらはばき神」が鎮座していないか。
    3年ほど前ですが、さいたま市の中山神社に摂社ですが荒脛(あらはばき)神社を発見したことがあるからです。偶然です。予期していませんでした。
    「東日流外三郡誌」(つがるそとさんぐんし)の「あらはばき」です。「東日流外三郡誌」が偽書であることは百も承知二百も合点の上です。されど「あらはばき」です。なぜか郷愁、ロマンを感じます。ものがものだけにここで深入りは避けますが、私たちみたいな隠れ「東日流外三郡誌」「あらはばき」ファンはいるのではないかな。
    日御碕神社には「あらはばき神」はいらっしゃいませんでした。

  • 御朱印をいただきました。<br /><br />☆☆☆

    御朱印をいただきました。

    ☆☆☆

  • 稲佐(いなさ)の浜にやって来ました。<br />出雲の国譲り神話の舞台です。日本書紀バージョン、古事記バージョンなどいろいろありますが、一番おもしろいのは古事記です。<br /><br />まあ、いろいろありまして、天照大神の命令で、建御雷神(たけみかづちのかみ、以下タケミカヅチ)と天鳥船神(あめの・とりふねの・かみ)が、出雲国の伊那佐之小浜(いなさのおはま)に降りたちます。それがこの浜辺です。<br />この天鳥船というのは飛行機械のようで、天鳥船神が操縦しているという意味でしょう。小回りがきくみたいで、ナウシカのメーヴェのようなものではないか。

    稲佐(いなさ)の浜にやって来ました。
    出雲の国譲り神話の舞台です。日本書紀バージョン、古事記バージョンなどいろいろありますが、一番おもしろいのは古事記です。

    まあ、いろいろありまして、天照大神の命令で、建御雷神(たけみかづちのかみ、以下タケミカヅチ)と天鳥船神(あめの・とりふねの・かみ)が、出雲国の伊那佐之小浜(いなさのおはま)に降りたちます。それがこの浜辺です。
    この天鳥船というのは飛行機械のようで、天鳥船神が操縦しているという意味でしょう。小回りがきくみたいで、ナウシカのメーヴェのようなものではないか。

    稲佐の浜 自然・景勝地

    国譲りの現場 by しにあの旅人さん
  • 浜辺のどこですかね。<br />タケミカヅチは、十掬剣(とつかのつるぎ)を抜いて逆さまに立て、その切先にあぐらをかいて座ります。<br /><br />神話にはいろいろ理解不能は話が出てきますが、これもわけ分からない話です。<br />けれど!見つけちゃいました。ジェットブレード、これです。水圧で空中に立ち上がるやつ。ふふん、タケミカヅチはこれをやったのよ!神代にジェットブレード?とかはなし。なんたって神様なんだから。<br />By最近ユーチューブを見まくっている妻

    浜辺のどこですかね。
    タケミカヅチは、十掬剣(とつかのつるぎ)を抜いて逆さまに立て、その切先にあぐらをかいて座ります。

    神話にはいろいろ理解不能は話が出てきますが、これもわけ分からない話です。
    けれど!見つけちゃいました。ジェットブレード、これです。水圧で空中に立ち上がるやつ。ふふん、タケミカヅチはこれをやったのよ!神代にジェットブレード?とかはなし。なんたって神様なんだから。
    By最近ユーチューブを見まくっている妻

  • 出雲の主の大国主神(おおくにぬしの・かみ、大黒さんです、以下オオクニヌシ)に、丸めていうと「出雲を寄こせ」と迫ります。オオクヌシはびびります。なんたって、剣の切っ先に座っているのです。

    出雲の主の大国主神(おおくにぬしの・かみ、大黒さんです、以下オオクニヌシ)に、丸めていうと「出雲を寄こせ」と迫ります。オオクヌシはびびります。なんたって、剣の切っ先に座っているのです。

  • オオクニヌシいわく、息子の八重事代主神(やえことしろぬし、エビスさん、以下コトシロヌシ)に聞いてくれと、問題を丸投げ。ところがコトシロヌシは美保の岬で仕事中でした。そこでタケミカヅチは鳥船神を遣わして呼び寄せます。メーヴェに2人乗りで帰ってきました。(メーヴェって2人乗りできたかな?)<br />空を飛ばされてびっくり仰天したコトシロヌシは「はい、どうぞ」という感じで、あっさりとディール成立。

    オオクニヌシいわく、息子の八重事代主神(やえことしろぬし、エビスさん、以下コトシロヌシ)に聞いてくれと、問題を丸投げ。ところがコトシロヌシは美保の岬で仕事中でした。そこでタケミカヅチは鳥船神を遣わして呼び寄せます。メーヴェに2人乗りで帰ってきました。(メーヴェって2人乗りできたかな?)
    空を飛ばされてびっくり仰天したコトシロヌシは「はい、どうぞ」という感じで、あっさりとディール成立。

  • ところがもう一人の息子建御名方神(たけみなかた、以下タケミナカタ)がお手玉をしながら登場。千人力で引くほどの岩でお手玉。力自慢です。<br />敢然と異議を唱えます。<br />が、簡単にタケミカヅチに負けてしまい、浜を逃げ出してしまいます。<br />というのが、ここ稲佐の浜です。<br /><br />その後タケミナカタは信州の諏訪湖まで逃げ、タケミカヅチに降参し、諏訪湖の神様に収まります。<br />異説いろいろありますが、古事記の国譲り神話は、おおまかこういう話です。出雲国風土記にはこの話はありません。

    ところがもう一人の息子建御名方神(たけみなかた、以下タケミナカタ)がお手玉をしながら登場。千人力で引くほどの岩でお手玉。力自慢です。
    敢然と異議を唱えます。
    が、簡単にタケミカヅチに負けてしまい、浜を逃げ出してしまいます。
    というのが、ここ稲佐の浜です。

    その後タケミナカタは信州の諏訪湖まで逃げ、タケミカヅチに降参し、諏訪湖の神様に収まります。
    異説いろいろありますが、古事記の国譲り神話は、おおまかこういう話です。出雲国風土記にはこの話はありません。

  • 今は平和な浜辺です。

    今は平和な浜辺です。

  • ここも神女多し。<br />夏は海の家もできて、活気のある海水浴場だそうです。ハーンもここに来ています。人気のある海水浴場だと書いています。130年も前に、島根の田舎でも日本人は今と同じように海水浴をしていたんだ。<br />「稲佐の浜」の語源ですが、タケミカヅチがオオクニヌシに国譲りを迫るとき「否か諾(せ)か」と諾否を迫った、「いなせ」→「いなさ」 ハーンもこの説を紹介しています。この部分、古事記書き下し文では「故(かれ)汝が心いかに」です。たしかに意味は諾否を迫っています。<br /><br />歌舞伎なら、サァー、サァサァサァ。返答やいか~にー。ってところ。<br />誰にさせるかな、憎ったらしいから獅童かな。中車かな。<br />By妻<br /><br />出雲国神社詣で、まだ続きます

    ここも神女多し。
    夏は海の家もできて、活気のある海水浴場だそうです。ハーンもここに来ています。人気のある海水浴場だと書いています。130年も前に、島根の田舎でも日本人は今と同じように海水浴をしていたんだ。
    「稲佐の浜」の語源ですが、タケミカヅチがオオクニヌシに国譲りを迫るとき「否か諾(せ)か」と諾否を迫った、「いなせ」→「いなさ」 ハーンもこの説を紹介しています。この部分、古事記書き下し文では「故(かれ)汝が心いかに」です。たしかに意味は諾否を迫っています。

    歌舞伎なら、サァー、サァサァサァ。返答やいか~にー。ってところ。
    誰にさせるかな、憎ったらしいから獅童かな。中車かな。
    By妻

    出雲国神社詣で、まだ続きます

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