2019/01/25 - 2019/01/30
5331位(同エリア23018件中)
ポポポさん
この旅行記のスケジュール
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
ワット・ポーの次はタイ王宮内にあるワット・プラケオ(エメラルド寺院)です。ご本尊は翡翠でつくられて仏像ですがその色や輝きがエメラルドに似ていることから別名エメラルド寺院と呼ばれています。本堂の他にも多数の仏塔や寺院があるワット・プラケオですが、建てられているのは全て王宮の中。これらの建物や仏像は国王のためだけに建てられたのです。
エメラルド寺院の御本尊は国民の崇拝を集めている守り本尊のため現在では国民は自由に寺に出入りできますが、この寺には一人の僧侶もいません。僧侶が一人もいない寺とはこれまた不思議ですがなぜでしょうか。理由は本文のなかでどうぞ。
<旅程>
1月26日 暁の寺ーワット・ポーーエメラルド寺院・王宮ーアユタヤーワット・プラ・シー・サンペットー王宮跡ーワット・マjハータートーワット・ワイ・チャイ・モンコンーバンコク(泊)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
PR
-
ワット・ポーの次はエメラルド寺院の観光です。
エメラルド寺院はワット・ポーの隣にあるので歩いて行きました。ワットポー 寺院・教会
-
ワットポーの向い側にある王宮旧敷地内の期には多数の果樹が実っていました。
スパさんが木の名前を教えてくれたので写真を写したのですが何の木か忘れてしまいました。 -
さらにその右隣りの期にはピンクの花が咲いていました。遠目には夾竹桃のように見えるのですが夾竹桃ではありません。この花の名前も覚えていない。何だったかな。
王宮は敷地が大変広く、周囲は白い壁で囲まれていました。
ともかく王宮の入り口まで壁沿いを歩く、歩く。 -
王宮の壁に沿って歩いていると騎馬警官とすれ違いました。
-
さらに歩いて行くと国王ラーマ10世と夫人の写真がありました。
婦人の顔はどこかで見たような気がしませんか。私にはに藤子不二雄Aの漫画「笑うセールスマン」の主人公「喪黒福造」に見えて仕方ありませんでした。 -
王宮の出口から眺めた王宮内の様子。エメラルド寺院は王宮内にある寺院ですがこれがエメラルド寺院なんでしょうか。
ワットプラケオ 寺院・教会
-
またしばらく歩くと今度はラーマ9世の遺影がありました。見た感じは祭壇のようです。遺影の前の道路を挟んで反対側には緑の芝生の広い敷地(王宮前広場)がありますが、スパさんの話ではここにラーマ9世の葬祭殿が築かれ、厳かに葬儀が行われたそうです。
葬祭殿の建築費用と葬儀の費用は合計で35億もかかったそうですが、国民からは費用が高すぎるという声は全く出なかったそうです。
35億というとタイの物価から考えて途方もない大金です。ラーマ9世は国民に大変慕われた国王だったそうですから、いくら大金を使う豪壮な葬儀であっても非難が出なかったんでしょうね。
日本の新天皇即位に伴う大嘗祭の費用は約27億です。この費用は高すぎるので公費ではなく皇室の内定費で賄うべきだと秋篠宮から批判がありましたが、そもそも内定費の予算は3億2千万程度であるため内定費で賄えないのは自明の理です。
また身の丈にあった儀式にすればいいという意見もされていますが、今上天皇が平成に行われた大嘗祭が「身の丈を越えたものである」との批判を含むようにも受け取られかねないと思われます。
実兄が天皇として行う大嘗祭について弟がとやかく言うべき性質のものではないと思うのです。タイのように国民が揃って祝う皇室行事であってほしいと思います。
話はそれましたが、ラーマ9世の葬祭殿の向かいに祭壇が設けられているそうです。ラーマ9世は死してなお国民に慕われているようですね。 -
王宮内にあるワット・プラケオです。王宮の外からは寺院の塔や寺院の高い屋根を見ることができます。
ナープララーン通り 散歩・街歩き
-
王宮の王宮入り口の衛兵。この衛兵直立不動ではなかった。足を開いていたよ。これってタイ式?(笑)
-
入り口を入ってすぐ左手に見えてきたのが緑の広い芝地。ここは集合写真の撮影ポイントで多数の団体客がとっかえひっかえ写真に収まっていました。我々のツアーもここで集合写真を撮りました。
ここからはワット・プラケオの仏塔群が一望できるんです。確かにここからの景色は良かった。ただし逆光なので写りは今一つ。
この方向は東のため午前中は日差しがきつく強烈な逆光になります。写した時帽子で光を遮ったものの暗く映っていました。写真は明暗を調整して見やすく修正したものです。
現在10時15分、すでに気温は30度を超えているそうですが湿気がないせいか思ったほどは暑くありません。
ガイドのスパさん一人が暑い暑いとフーフー言っていました(笑)。日本人は湿気の高い蒸し暑さに慣れているせいでしょうか、さほど苦になりませんでした。
最も気温が高くなるのが雨期の4月。雨期の時期の暑さは蒸し風呂状態で特に暑いのが4月だそうです。この時期の旅行は避けた方がいいそうです。それからこの寺院を観光するのは逆光にならない午後がお勧めです。ホー プラ ナーク堂 (ワット プラケオ内) 寺院・教会
-
入場チケットです。チケットの左部分は王宮とエメラルド寺院の入場券、右はタイ古式舞踊の鑑賞券です。
古式舞踊のチケットは1週間有効で開演は10時半、13時、14時半、16時、17時半の一日5回公演。月曜日から金曜日まで毎日公演されています。
スパさんからチケットを貰うと全員が口々に見たい見たいと言ったのですが、「ダメ、見れないの。ツアーは見る時間が無いの。見ても面白くない、寝るだけだよ。動きがゆっくりだからみんな眠たくなるよ。チェンマイでカントークディナショーがあるからそこで見れるよ。今日は時間無いの。」とそっけない反応。
決局どこで見れるのか聞きそびれてしまいました。
帰国後どこで見れるのか調べようと地球の歩き方を見てみました。すると「併設の王室紋章・貨幣博物館入場可。ウィマーンメーク宮殿とアナンタ・サマーコム宮殿、アユタヤのバーン・パイン宮殿、ナコーン・パトムのサナーム・チャン宮殿のどれか一か所に入場できる1週間有効チケット付き」と書かれています。
貰ったチケットと見学できる場所が違う。スパさんもタイ古式舞踊の事しか言っていなかったので、多分宮殿の観光がタイ古式舞踊の見学に変更されて「地球の歩き方」ではまだ修正されていないのでしょう。
チケットの舞踊は仮面舞踊劇で「ラーマエン物語」、ラーマーヤナのタイ版の物語です。王宮のチケットなのでここのどこかで舞踊を見れるのでしょうが、どこで見れるか分かりませんでした。
興味のある方は事前に調べておかれたらいいでしょう。 -
王宮の日本語版のパンフレット。
ワット・プラケオは王宮内にある寺院で王宮の付属施設なのです。
これからは王宮の説明をパンフレットから抜粋して紹介していきます。。
この王宮は1782年、ラーマ1世によって建設されました。国王の宮殿、即位式の建物、王室守護寺院のエメラルド仏寺院などのほかに宮内庁や官庁の建物が建てられています。王宮の敷地面積は218千㎡で四方を長さ1900mの壁でかこまれています。
1782年に即位したラーマ1世は、チャオプラヤー川の西側にあるトンブリーは王都として相応しくないと考え、東側のバンコクに遷都しました。
なお、トンブリーはアユタヤ陥落後15年間タークシン王の都でした。
ラーマ4世の即位時にエメラルド寺院の南側にあるスィワライ庭園の中に宮殿が建てられボロム・ピマーン宮殿と名付けられました。ラーマ5世はこの宮殿の材質が良くなかったため取り壊し、新しく立て直しました。さらにラーマ6世が改築し伴のが現在のポロム・ピマーン宮殿です。 -
王宮の見取り図。
-
王宮の見取り図と建物の説明図。
見取り図の左端部分がエメラルド寺院です。下の矢印表示がある入り口から入場し、中央にある建物を左折して進みます。この建物がチケット売り場で、その先のチケット改札口を通ってエメラルド寺院に入場しました。 -
寺院の回廊から見たエメラルド寺院の境内です。
写真右は市の建物が寺院の本堂、左の建物は手前からプラ・モンドップ、プラサート・プラテープ・ビドーン(ロイヤル・パンテオン)です。
プラ・モンドップは経堂、プラサート・プラテープ・ビドーンにはラーマ1世からラーマ8世までの彫像が安置されています。ワットプラケオ 寺院・教会
-
金色に輝く仏塔はプラ・スイー・ラッタナ・チェーディーと呼ばれる仏舎利塔です。
ワットプラケオ 寺院・教会
-
これらの建物は上部テラスの建物と呼ばれており、建物の壁や柱が金箔や金銀の切り紙のようなもので装飾されていて非常に美しかったです。
左手前からプラ・モンドップ、プラサート・プラテープ・ビドーン(ロイヤル・パンテオン)です。ワットプラケオ 寺院・教会
-
黄金の仏舎利塔プラ・スィー・ラッタナ・チューディーは眩いばかりに輝いていました。
プラ スィー ラッタナ チェーディー 建造物
-
ここにもヤック(鬼神)とモック(猿神)がいましたよ。
ヤック (ワット プラケオ内) 史跡・遺跡
-
エメラルド寺院本堂の側面の様子。
ワット プラケオ (エメラルド寺院) 本堂 寺院・教会
-
エメラルド寺院の本堂です。入口正面はこちら側。
ワット プラケオ (エメラルド寺院) 本堂 寺院・教会
-
金の仏塔プラ・スワンナ・チェディです。支えているのはヤックの面々。ヤックの細かなタイル装飾は見事でした。
ブラ スワンナ チェディ 建造物
-
本堂の中ではガイドの説明が禁止されているため、外でエメラルド寺院について説明しているガイドのスパさん。
本堂に安置されているエメラルド仏は実際は翡翠で作られたものです。仏像の色がエメラルドに似ていることからエメラルド仏と呼ばれるようになりました。
タイの気候は暑期、雨期、乾期に分けられますが、各季節に応じてエメラルド仏は衣替えをするそうです。
写真左から暑期、雨期、乾期の衣です。この寺は王室専用の寺院なので国王自らが衣替えをされるそうですよ。現在は乾期なのでエメラルド仏は一番右の衣装を纏っておられるはずです。 -
エメラルド仏の写真のアップ。高さは66㎝、膝幅は48㎝の仏像です。
エメラルド仏の由来は次のように伝えられています。
1434年、チェンライにある仏塔が落雷で破壊され、その内部から漆喰で覆われた仏像が発見されました。そして漆喰の剥げた部分から緑色の仏像が現れ、中からエメラルド仏が取り出されました。その後ランバーンにしばらくの間留まりましたが、1468年、ランナータイのティローカラート王はチェンマイの都にエメラルド仏を安置しました。
1552年、当時のチェンマイ王が後継者がいないまま死去したためラオス王に嫁いでいた王女の息子チャイチェッター王子がチェンマイ王として迎えられました。
しかし、父であるラオス王が亡くなるとチャイチェッター王子はラオスの都アンプラバンにエメラルド仏を持ち帰りラオス王として即位しました。
その後ラオスはビルマ軍に侵攻されたため、チャイチェッター王は1564年に都をヴィエンチャンに遷都し、都合226年に渡ってエメラルド仏はラオスに留まりました。
その後1778年タークシン王の時代、ラーマ1世がまだ将軍チャオプラヤー・チャックリーであった時にラオスのヴィエンチャンを占領し、エメラルド仏をタイに持ち帰りました。
そして1782年、タイ国王に即位したラーマ1世はバンコクに都を築き、1784年荘厳な儀式の下エメラルド仏を王室守護寺院に安置して現在に至っています。
さてこの後は25分の自由行動でした。25分後に再びここに集合です。
まずは本堂のエメラルド仏を見に行かなくっちゃ。 -
本堂の中央の扉です。扉は開け放たれていて本来はここから入場するのでしょうが、入場するのは左の扉からでした。中央の扉からはエメラルド仏を拝むことができますし、ここからなら写真を撮ることができました。
それにしても本堂入り口の壁の装飾の素晴らしいこと。金糸銀糸を使用しているようなので光に反射してキラキラ光るんです。
さらに壁の下には金箔のガルーダさん達が並んでいました。ワット プラケオ (エメラルド寺院) 本堂 寺院・教会
-
本堂正面の扉は左、中央、右の3か所。本堂入り口は左の扉から、中央の扉はエメラルド仏の正面でした。そして出口は右の扉です。
本堂へは靴を脱いで入りますが、素足になる必要は無く靴下のままで入れました。ワット プラケオ (エメラルド寺院) 本堂 寺院・教会
-
内部の撮影は禁止なので外から写したエメラルド仏です。
仏像の背後は釈迦の一生が壁画として描かれているそうですが、暗くて絵が分かりません。 -
本堂正面の右端の扉は出口です。本堂の内部は激コミでほとんど身動きできません。人の流れに沿ってじりじり動くのみ。やっとのことで一番前に移動したものの内部は薄暗いし、エメラルド仏までまだ距離があるため、仏像ははっきりとは見えませんでした。
そこから出口に進むのがこれまた一苦労でした。出口に向かう人の波に紛れ込めたら後は流れにまかせるのみ。こうしてやっと外に出れましたが25分という自由行動の大部分を本堂の中で過ごしてしまいました。ワット プラケオ (エメラルド寺院) 本堂 寺院・教会
-
本堂入り口の天井。
-
天井の方向を変えてみるとこんな感じ。注意して見ることのない場所にも緻密な装飾が施されていましたよ。
-
天井の装飾を取り込んだ本堂入り口の様子。
自由時間も残りが僅かです。本堂の中は大混雑だったので思いの外出るのに時間がかかりました。
境内を隈なく見る時間は無いので上部テラス周辺の写真を撮ることにしました。ワット プラケオ (エメラルド寺院) 本堂 寺院・教会
-
本堂横の出入り口。金箔の扉周辺の装飾は豪華でした。
-
上部テラスにあるプラ・モンドップ。この建物は経堂で、中には螺鈿で装飾された厨子があり、その中に三蔵教トリピタカが納められています。
経堂を守っているのは金のヤック(鬼神)でした。プラ モンドップ (ワット プラケオ内) 寺院・教会
-
経堂の隣が金の仏舎利塔プラ・スイー・ラッタナ・チューディー、仏舎利塔とは仏舎利塔(お釈迦様の遺骨)が納められている塔のことで、このチューディーもキンキラキンでした。
仏の世界(天界)は光に満ちた輝く世界だと言われますが、上部テラスの建物はそのような世界を地上に現出しようという意図を持って造られたのではないでしょうか。
燦然と輝く黄金の建物群は、そのように感じざるを得ませんでした。ワット プラケオの仏舎利塔 寺院・教会
-
黄金の仏舎利塔の入り口です。金箔で覆われた入り口の柱は眩いばかりに光を放っていました。
太陽の光が当たるとここもかしこもキンキラキンでした(笑)。ワット プラケオの仏舎利塔 寺院・教会
-
仏舎利塔と経堂の間にあった小さな祠ブッサボック。
タイ王室の象徴である象の彫像があるので王家にゆかりの祠なんでしょうが、何の祠かは分かりません。説明があったと思いますが全く記憶にないんです。
この祠の後ろを奥に進んで行くとラーマ4世4の命により作られたアンコールワットの精巧な模型があります。私は時間もないし、パンフレットを詳しく見ていなかったこともあり、この模型は見ていません。この模型の後ろにも重要な3つの建物があり、そのうちの北西隅にあるホー・プラ・モンティエンタム(経堂)の西側の壁はバンコクで最も美しい装飾が施されているということがパンフレットに書いてありました。
全て気づいたのが後になってのことで、寺院に入相だは全然気付かず見ていません(泣)。ガイドさん、そこん所ちゃんと説明してよね。
子らからエメラルド寺院に行かれる方はお忘れにならないようにして下さい。小祠ブッサボック 自然・景勝地
-
経堂と奥にはロイヤル・パンテオン。
プラ モンドップ (ワット プラケオ内) 寺院・教会
-
上部テラスの通路。祠ブッサボックの後ろの通路です。写真ではそうでもないようですが大変混み合っていました。
小祠ブッサボック 自然・景勝地
-
経堂の前にあったガンダーラ仏によく似た仏像。目を引きました。
プラ モンドップ (ワット プラケオ内) 寺院・教会
-
近寄って1枚パチリ。
-
さらにアップで。本物のガンダーラ仏ではないと思いますが、実にリアルでよく出来ていました。
-
本堂南側の様子。
ワット プラケオ (エメラルド寺院) 本堂 寺院・教会
-
同じく本堂南側の様子です。観光客がここから出たり入ったり引っ切り無しです。本堂正面にはここ南側と北側と2か所から入ることができますが、正面からは入れません。
-
ロイヤル・パンテオンと仏塔。
-
別の仏塔とプラサート・プラテープ・ビドーン(ロイヤル・パンテオン)の全景。ここからの景色は綺麗でしたよ。
写真よりもずっと綺麗です。右にはエメラルド寺院の本堂があり、こちらも金銀の装飾が太陽の光に反射して綺麗だった。
パンテオンの前にある黄金の仏塔はブラ・スワンナ・チャディ。プラサート プラ テーピドーン (ワット プラケオ内) 寺院・教会
-
本堂入り口の横から写した寺院北側の景色です。
-
まもなく時間なので集合場所に戻りました。
ここから時間まで何枚か写真を撮りました。これは本堂の正面および周辺の様子です。
日本人の観光客の人も沢山いたと思うのですが、目に映ったのは中国人と韓国人の観光客ばかりでした。
とにかくこの両国の観光客で寺院の中は一杯でした。ワット プラケオ (エメラルド寺院) 本堂 寺院・教会
-
仏塔を支えるヤック(鬼神)達。衣装のタイルがとても細かくて色もカラフルです。
ヤック (ワット プラケオ内) 史跡・遺跡
-
こちら側にはヤック(鬼神)に混じってモック(猿神)もいました。
ヤックとモックの見分け方は足です。靴をはいているのがヤック(鬼神)、裸足がモック(猿神)です。それともう一つ、顔の色です。モックは白っぽい色の一色ですが、モックは入れ墨を入れたように多色で表現されています。ブラ スワンナ チェディ 建造物
-
再び金の仏塔ブラ・スワンナ・チャディです。私はヤック(鬼神)とモック(猿神)が支えるこの仏塔が一番気に入りました。
全員揃ったところで再びスパさんの後に続いて進みますよ。ブラ スワンナ チェディ 建造物
-
本堂正面入り口の階段の側を抜けるようにして進んで行きました。仏様へのお供え物や蓮の花があります。本堂正面入り口の前には蓮の花と線香をもったタイの信者さんたちがお参りしていました。真剣な顔で参拝していますね。
-
仏様に献花された蓮の花です。写真には写っていませんが花の側に水盤があり、蓮の花もしくは花の蕾の先を水盤の水に付けて頭をポンポン叩くんです。
無病息災や病気平癒、家内安全などの願いを込めて。
私もやりましたよ。ワット・ポーでやったんですけど記事にするのを忘れていましたのでここで追記します。 -
本堂正面入り口の前を通り抜けて本堂左側(南側)に来ました。
正面に見えているのが鐘楼です。鐘桜 (ワット プラケオ内) 建造物
-
写真は本堂南側ですが、太陽の日を受けて金の装飾がキラキラ輝いていました。
王家の紋章のガルーダさんも金色に輝いていますね。眩しいなー。ワット プラケオ (エメラルド寺院) 本堂 寺院・教会
-
本堂の東の端(西側)です。写真中央の小さなお堂はホー・プラ・ラチャポンサーヌサーン。
アユタヤ時代の王たちに奉納された仏陀像が安置されています。その横にもう一つお堂があるのですが、そちらには現王室所縁の様々な形の仏陀像が安置されているそうです。
これらのお堂は観光せずに出口に進みました。ホー ラート コーンマヌソーン堂 (ワット プラケオ内) 寺院・教会
-
出口の側には大きなヤック(鬼神)像がいましたよ。
ヤック (ワット プラケオ内) 史跡・遺跡
-
見上げるように大きいのです。見上げてみるとこんな感じ。細かな装飾が綺麗でした。
ヤック (ワット プラケオ内) 史跡・遺跡
-
ワット・プラケオを出て真っ直ぐ進むと左に王宮が見えてきました。
王宮入り口は鉄柵で閉じられていて、入り口には直立不動とはいいがたい衛兵がいました。一見直立不動ですが、微妙に体が動いていましたよ。(笑)
直立不動の衛兵はロシアのクレムリンやポーランド・ワルシャワの無名戦士の墓、プラハの王宮などのことを言うんです。
まさに微動だもしませんでした。それに比べるとこちらは緩いな。足は開いているし。 -
王宮のボロム・ピマーン宮殿は修復中でした。建物の外観が見れなくて残念。
この宮殿は昭和天皇がタイを訪問された時にお泊りになったそうです。
現在ラーマ10世の住居ですが迎賓館として使用されることもあるそうです。ボロマビマン宮殿 城・宮殿
-
宮殿入り口を過ぎて左に見えてきたのがプラ・マハー・モンティエン建物群。
アマリン・ウイニッチャイ殿、パイサーン・タクスィン殿、チャクラパット・ピマーン殿などの宮殿から構成されています。
アマリン・ウイニチャイ宮殿は1785年ラーマ1世によって建てられた謁見の間の建物で、国王の誕生日のや重要な国の儀式が執り行われます。またパイサーン・タクスィン殿は戴冠式が執り行われ、チャクラパット・ピマーン殿は王朝初期三代の宮殿であり国王が即位後王宮に住居を定めた証として少なくとも一晩はこの宮殿で過ごすことが習慣となっています。 -
写真はパイサーン・タクスィン殿。
この手前にあるのがアマリン・ウイニチャイ宮殿です。この宮殿の横には象の彫像がある式台が設けられていました。
象は国王のみが乗れた聖なる獣のため、この式台は国王が象に乗るための場所として作られたのだそうです。
写真を写したと思っていましたが、撮れていなかったので文章で説明しておきます。王宮 (プラボロマ マハー ラーチャワン) 城・宮殿
-
右に見えているのはチャックリー・マハー・プラサート宮殿です。
ラーマ5世とチュラーロンコーン大王によって建てられた宮殿で現在はレセプションホールとしてのみ使用されています。
中央には玉座のある謁見の間があり各国大使へ信任状を授与したり、国賓の宴会を催す場所です。チャクリー マハ プラサート宮殿 史跡・遺跡
-
正面の白い門は後宮への入り口です。後宮は日本では大奥、イスラムの国ではハーレムで男子禁制の場所。
エメラルド寺院に僧侶が一人もいないのは王室専用の寺院だからというのが一般的な理由ですが、本当の理由は王宮内に後宮があるからなんです。
王宮の女官が僧侶と間違いを起こしてはいけませんからね。でもここで疑問が湧いてきたんです。ガイドさんから説明を聞いた時には何とも思わなかったのに、後になって疑問が湧く。最近は反応が鈍いのでこんなことはしょっちゅうです。
話を戻して、では王宮の使用人は全て女性だったのかということ。中国やイスラムの王国のように宦官はいなかったのかということです。
多分女性だけでは処理しきれないことがあると思うので宦官がいたと考えるのが自然だと思いますが、この点について調べたけれど何も記述されたものがありませんでした。
だからいまだ不透明で分かりません。お分かりの方がいらっしゃいましたら何卒ご教授ください。
なお、写真左の建物がチャクラパット・ピマーン宮殿です。王宮 (プラボロマ マハー ラーチャワン) 城・宮殿
-
再び後宮の入り口門をアップで。
王宮内にはいくつもの建物がありますが、いづれも内部は公開されていません。
よって、建物の外観を見ながら出口に向かいました。 -
この建物はドゥースィット・マハー・プラサート宮殿ですが修復中でした。ラーマ1世が建てた木造の宮殿が火事で焼失したので新たに建てられてのが現在の宮殿です。
アユタヤ王宮のスリヤマリン玉座間を模倣して造られており、国王、王妃や王族の遺体は荼毘に付す前に一時この宮殿に安置されています。
これはバンコク王朝初代国王ラーマ1世の死去に伴い行われたことが以後慣習となって代々続けられてきたのだそうです。ドゥーシット マハー プラサート殿 建造物
-
建物は十字型で屋根は四層、中央の尖塔は荘厳な印象を与えます。
塔の根元には王の紋章ガルーダがありました。ドゥーシット マハー プラサート殿 建造物
-
この門を抜けて後は人の流れに沿ってて外に出ればいいだけでしたが、ここで大問題が発生。門を出て木陰で休みつつスパさんが点呼を取ったところ3人姿が見えません。迷子になったんです。スパさんの携帯には連絡がないのでどこで迷ったのか、今どこにいるのか全く分かりません。しばらく待ったけれども出てこないのでスパさんが探しに行きました。
迷子になった時の鉄則は「迷子になったらそこを動くな」です。スパさんが探しに行ってようやく2名が見つかりましたが83歳のお爺さんが見つかりません。
このお爺さんは世界一周をした方で、今年もクルーズで世界一周すると話していた旅慣れた方です。まさか旅慣れた方が迷子になるとは。しかも携帯に連絡が入らないんでスパさんも困惑していました。
時間が刻々と過ぎていきます。午後はアユタヤまでバスで移動する旅程になっているのに大穴があいてしまいました。お爺さんはいくら待っても出てきません。スパさんがガイド仲間に電話してそれらしき人を見たかどうか聞きまくっていましたが情報はないようです。
30分以上待ちましたが状況が進展しないため我々はとりあえず出口まで進むことになりました。さらに出口で待つこと10分、一人のタイ人の女性がスパさんと何か話していました。その時有力な情報が入ったようで我々はバスが待つ場所に移動することになりました。
ツアーの仲間からはエメラルド寺院を出た所で点呼をすべきだったという意見も出ていました。 -
宮殿の壁の上から見えるエメラルド寺院の仏塔群。
スパさんは写真屋の女性と一緒に先を歩いて行きますが、どこに行くのかはまだ分かりません。われわれは遅れずにスパさんの後ろを付いて行きました。ワット プラケオ 寺院・教会
-
バス停は宮殿横のサナーム・ルアン(王宮前広場)の横にありました。ここからはエメラルド寺院の北側の建物や仏塔が見れました。
この広場にラーマ9世の葬祭殿が築かれ大規模な葬儀が行われたんですね。
ここからは見損なった上部テラス北側の3仏殿が見れました。仏舎利塔の右の建物から左にホー・プラ・ナーク堂(王室の霊廟)、プラ・ウィハーン・ヨット(仏殿)、ホー・プラ・モンティエンタム(経堂)です。サナーム ルアン (王宮前広場) 広場・公園
-
スパさんがバス停にやってくると、そこには迷子になったお爺さんが待っていました。
お爺さんの話ではいつの間にか周囲からツアーの仲間がいなくなり、迷子になったことに気づいたそうです。周囲を見渡してもツアーの者は誰もいない。この時すぐに添乗員さんの携帯に連絡を入れるべきで、そうでなくともそこで立ち止まるべきでした。
お爺さんは勝手に動いて出口から出て、しかもバス停にまで歩いて行ったそうです。
何故バス停まで行ったのか聞くと、寺院の観光の後はレストランで食事と聞いていたのでバス停でまっていれば皆と合流できると思ったそうです。
バス停にバスが来たからいいものの、バスとの待ち合わせ場所が別の場所だったら我々と出会うことはできなかっただろうに・・・。
反省の言葉も迷惑かけましたとの言葉も無くあっけらかんとしていました。
バス停でウロウロしていたお爺さんに気づいたのが王宮で我々の集合写真を撮ってくれた写真屋の女性従業員でした。彼女は注文を受けた集合写真をバスのなかで我々に渡すためにバス停に来ていたんです。
スパさんから連絡を受けていた女性従業員はバス停にいる老人が迷子の男性ではないかと思いスパさんに知らせたという訳です。
大迷惑のお爺さんでしたが迷子はこれだけではありませんでした。帰国日の迷子も含めて合計3回も迷子になりました。
このお爺さんは今年世界一周旅行に行くそうですが大丈夫でしょうか。旅慣れしているがために勝手に動いてしまうんですね。本人が反省していないので、また迷子になりはしないかと心配です。クルーズで多くの人に迷惑をかけないといいのですが・・・。
迷子事件による時間のロスがこの後アユタヤの観光で大きく響きました。
ともあれ全員揃ったところでレストランにGO!サナーム ルアン (王宮前広場) 広場・公園
-
今日の昼食は船上レストラン、ビュッフェスタイルでした。
ビール大は160B(560円)、各ジュース140B(490円)、コーラ・スプライは70B(245円)、コーヒー・紅茶は無料でした。
味はまずまず、タイ料理は激辛でした。但し辛くない料理も用意されていました。 -
昼食でーす。デザートはスイカにモンキーバナナ、ココナッツミルクで作られたお焼き。お焼きはたこ焼きのたこがないものと考えてください。甘くて美味しかったです。
午後は古都アユタヤを観光しました。アップまで暫くお待ちくださいますようお願いいたします。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
寒い時は温かい国に行こう。初めてのタイ旅行
-
前の旅行記
寒い時は温かい国に行こう!初めてのタイ旅行 バンコク編 3 金色の涅槃仏寺院 ワット・ポー
2019/01/25~
バンコク
-
次の旅行記
寒い時は温かい国に行こう!初めてのタイ旅行 5 アユタヤ編 アユタヤ遺跡・ワット・プラ・シー・サンペット
2019/01/25~
アユタヤ
-
寒い時には温かい国に行こう! 初めてのタイ旅行 バンコク編 1
2019/01/25~
バンコク
-
寒い時は温かい国に行こう!初めてのタイ旅行 バンコク編 2 暁の寺(ワット・アルン)
2019/01/25~
バンコク
-
寒い時は温かい国に行こう!初めてのタイ旅行 バンコク編 3 金色の涅槃仏寺院 ワット・ポー
2019/01/25~
バンコク
-
寒い時は温かい国に行こう!初めてのタイ旅行 バンコク編 4 エメラルド寺院(ワット・プラケオ)と王宮
2019/01/25~
バンコク
-
寒い時は温かい国に行こう!初めてのタイ旅行 5 アユタヤ編 アユタヤ遺跡・ワット・プラ・シー・サンペット
2019/01/25~
アユタヤ
-
寒い時は温かい国に行こう!初めてのタイ旅行 6 アユタヤ編 ワット・マハータート、ワット・ヤイ・チャイ・モン...
2019/01/25~
アユタヤ
-
寒い時は温かい国に行こう!初めてのタイ旅行 7 ダムヌーン・サドゥアクの水上マーケット
2019/01/25~
その他の観光地
-
寒い時は温かい国に行こう!初めてのタイ旅行 8 バンコクからチェンマイへ
2019/01/25~
バンコク
-
寒い時は温かい国に行こう!初めてのタイ旅行 9 北のバラチェンマイ
2019/01/25~
チェンマイ
-
寒い時は温かい国に行こう。初めてのタイ旅行 北のバラ、チェンマイ ⑩
2019/01/25~
チェンマイ
-
寒い時は暖かい国に行こう。初めてのタイ旅行 11 チェンマイ メーサー・エレファント・キャンプ
2019/01/25~
チェンマイ
-
寒い時は暖かい国に行こう。初めてのタイ旅行 12 少数民族カレン族(首長族)の村に行ってみた
2019/01/25~
チェンマイ
-
寒い時は温かい国に行こう 初めてのタイ旅行 13 北のバラ チェンマイ観光 の最後は寺院巡り
2019/01/25~
チェンマイ
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 寒い時は温かい国に行こう。初めてのタイ旅行
0
72