2017/08/11 - 2017/08/11
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ぱんスキュさん
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2017年8月3日~26日
ポーランド・スロバキア・ウクライナ・ベラルーシ(・沿ドニエストル共和国)・モルドバ・ルーマニアの7ヶ国を3週間でぐるりと回ってきました。
目的は3つ、チェルノブイリ・沿ドニ探訪・東欧各地のフォークロアおよび少数民族文化に触れること。
ダイジェスト版はこちら
https://4travel.jp/travelogue/11276078
★
2017年8月11日
キエフに滞在中、この旅1つ目のハイライトであるチェルノブイリ訪問へ。
ダークツーリズムの先駆けともいえるチェルノブイリ見学。2011年から当局により観光での立ち入りが許されるようになり、今では専門のツアー会社に頼めば誰でも足を踏み入れることができるようになりました。チェルノブイリに行くのは、実は結構簡単なのだ。
◆
ツアー参加者は各国の若いトラベラーが多く、物見遊山そして廃墟見物という目的でチェルノブイリツアーに参加しています。
しかし我々日本人が参加する時にはもっと違った、覚悟のような重みのようなものを持たざるを得ない気がします。それは広島・長崎の原爆のことであったり、東日本大震災における福島第1原発事故のことであったり…。
そんな思いを抱いてのツアー参加でしたが、チェルノブイリは意外にも観光地としてこなれている感もあり。原発周囲は普通の工業地帯のような光景で少しビックリしたけれど、これがダークツーリズム、チェルノブイリの今なんだなと思いました。
あ、廃墟マニアや共産主義マニア、大きな建築物マニアにもオススメ!宝の山のような光景にきっと大興奮間違いなし。
悲劇のイメージが先行してるチェルノブイリですが、行ってよかったです。
さてこの旅行記では、皆さんにそんなチェルノブイリの様子を空気感も含めてお伝えできればと思います。
チェルノブイリへようこそ!
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
PR
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まずは準備編。
チェルノブイリへ行くためには、専門のツアー会社で申し込む必要があります。
" chernobyl tour"といった単語で検索すろといくつかの会社HPが出てきます。各会社によってツアー内容やコースが若干異なりますが、日帰りツアーの場合はチェルノブイリ+近郊の廃墟となったプリビャチという町の訪問になるかと思います。宿泊ツアーを扱う会社もあり、その場合は見られるところが増えるみたい。
キエフ滞在がある程度長ければ、ツアー会社に行って直接申し込むことも可能。写真はキエフのアンドレイ坂にあった、その名もズバリchernobyl tourという会社。
こちらのHPにチェルノブイリをダークツーリズムの観光スポットとして案内を始めた方の紹介などがありました。
https://chernobylguide.com/who-makes-chernobyl-tour/アンドレイ坂 散歩・街歩き
-
チェルノブイリ見学への申し込みですが、遅くとも数日前までには済ませておく必要があります。これほ訪問者の名前やパスポート番号を当局に申請する必要があるかららしい。
というわけで今回は日本から申し込み。Solo Eastという会社のツアーにしましたがそこそこメジャーなとこみたい。日本語コースもありましたが、日程の都合が合わず英語コースで申し込み。英語なら基本的に毎日催行しています。
https://www.tourkiev.com
料金は1day tourで99ドル+保険料10ドル(強制加入)。ちなみに週末の方が参加者が多いため料金は下がります。またオプションでガイガーカウンターレンタルというのがありますが、申し込んでも結局はガイドが持っているので不要です。10ドルもするのに申し込んで損した!
クレジットカード払い可能、申し込み後すぐに領収書とドレスコードなど諸注意が書かれたメールが送られてきました。 -
さて出発当日。
独立広場の奥の方にあるKozatskiy hotelに8:00に集合。名前からしてコサック系の経営なホテルである。地味目な建物ですが、マクドナルドの隣にあるのですぐにわかると思います。独立広場 広場・公園
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ホテルの前にはすでにツアーバスが数台止まっている。Solo East社のバスを探し、受付を済ませる。この時パスポートを持っていないとツアーに参加ができないので要注意!
今日はバス2台分の参加客の模様。平日なのに参加者が多いのは夏休みだからか。 -
パスポートを提示して受付を終えると、写真のような紙のリストバンドが貰える。これをつけて他者のツアー客や別のワゴンとの区別をする。
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8:15 ミニバン内
バスはチェルノブイリに向けて出発。車内ではチェルノブイリの説明ビデオや事故当時のニュースなどの映像が流される。 -
30分ほど走った後、ガソリンスタンドに寄ってトイレ休憩と買い物タイム。チェルノブイリへの食べ物や飲み物の持ち込みは認められているのでここで買い出し。チェルノブイリからの持ち出しは購入品以外はNG。
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15分ほどの休憩後、9:00には再び車は動き出す。
車内では先ほどに続きチェルノブイリ原発事故当時の映像など。ここからすでに臨場感が伝わってくる。 -
チェルノブイリでガイガーカウンターをかざしている映像。想像通り線量が非常に高い。現在はどうなっているのだろう…
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P02という幹線道路をさらに北に走ること1時間、イヴァンコヴスキー・ライオンというエリアに入った。いよいよチェルノブイリの域内です。
30km以内は制限区域となり、入るにはチェックポイントでの許可が必要。パスポートチェックと誓約書にサインをして、制限区域内へ。 -
チェックポイントを越えて川を渡ったところに最初の見学場所がありました。
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最初に降りたのは、チェルノブイリの中心部の手前、南西6kmのところにあるSelyshche Zalissyaという小さな集落。もちろん現在は廃墟となっている。
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本日のガイドさん。ガイガーカウンターを所持しており、ホットスポットも大体知ってはいるがまだ未発見のところもあり、自分からはぐれないようにと説明を受ける。フレンドリーガイでした。
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彼を水先案内人に廃屋が並ぶ集落へと進んでいく。木々が鬱蒼と生い茂っており、昼間でも薄暗い。地図でいうとこの辺り。
Zalissia -ウクライナ キエフ
https://goo.gl/maps/gr9DvMkDJYq -
ガイドとともに建物内部へ。事故より30年経っており建物も劣化が激しいため、足元には注意して歩かねばならない。ツアー会社からの事前メールには、長袖に歩きやすい靴と靴下履きを推奨とあったがよく理解できた。
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室内は基本荒れ果てており、廃墟マニアはたまらないと思います。実際そっち系が好きな旅行者の参加が多いらしい。
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室内には当時の遺留品が残されており、当時の様子が想像できる。ここで人が亡くなった訳ではないが、靴などを見かけるとやはりギョッとするものがある。
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当時の車がそのままに置かれている。薄っぺらい旧ソ連製の車だ。
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この集落で一番大きな建物へと入る。ここはかつての村の集会所であった。立派な外観である。
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村の集会所。掲げられた旧ソ連のスローガンが虚しくその姿を留めている。
ガイド曰く『これはコミュニストの行き着く先の暗示、というだけではなく、全人類の行き着く先なんだぜ』。 -
集落の見学が済んだ後、再度車に乗ってすぐそばにあるチェルノブイリの町の入口を示す標識前へ。これは事故前からあるオリジナルだ。
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ガイガーカウンターは0.2マイクロシーベルトの数値。特段高いとは言えないが、他の場所にはまだホットスポットが残っているとのこと。
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再び車に乗って町中へ移動。途中にあったレーニン像。チェルノブイリ原子力発電所は、正式名称をV・I・レーニン記念原子力発電所というためレーニン像が置かれている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/チェルノブイリ原子力発電所 -
この一帯には映画館などもあり、色々な文化的催し物がなされていた跡が見られる。
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ここの広場にあった、ラッパを吹く天使のモニュメント。チェルノブイリ原発事故は、聖書のヨハネの黙示録のラッパ吹きの章にすでに書かれていたというエピソードからきている。
"ヨハネ黙示録8-10より"
『第三の天使がラッパを吹いた。すると松明のように燃えている大きな星が天から落ちてきて、川という川の三分の一とその水源の上に落ちた。この星の名は「ニガヨモギ(=チェルノブイリ)』といい、水の三分の一がニガヨモギのように苦くなり、そのために多くの人が死んだ…』
実際にはウクライナ語ではニガヨモギは別の単語で表現されるらしいのですが、それにしても…。 -
奥の方にはチェルノブイリ近辺の町や村の名前を書いた看板があった。事故後には住めなくなり移住を余儀された町村である。人々の望郷の念がひしひしと伝わってくる。今のウクライナの領土のみならず、ベラルーシ南東部も大きな被害を受けた。
この看板の裏側には名前に斜線が引かれたものがあったが見逃してしまった。後日キエフに戻ってチェルノブイリ博物館に行った時にレプリカを見ることができました。 -
12:00
チェルノブイリの町の見学も終わり、区域内にある唯一の食堂で昼食を取る。宿舎も併設されており、1泊2日や2泊3日ツアーの際にはここに泊まるんだそうだ。 -
ツアー客用に作られた施設とあって、内部は綺麗で新しく快適。二階にはトイレや休憩スペース、宿舎があった。
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2階廊下。プレハブ作りですがとても綺麗。そしてフリーでお水が飲めます。もちろん原発事故区域外から持ってきてるそうだ。
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食堂。木造りで温かみのある、ロシア圏らしい作り。薄型テレビが付いていて、チェルノブイリだと言われなければ普通のロッジかと思ってしまう。
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昼食スタート。ランチ代はツアー料金に含まれていますが、ソフトドリンクやアルコールは別料金。
まずは前菜のサラダとスープ、意外としっかりしたメニューと味付けでびっくり!もちろん制限区域外の食材を使用とのこと。 -
メインはチキンのソテー。これも非常に味がよく、ペロリと平らげてしまった。想像以上にまともなものが出てきたので、ツアー客一同びっくりしていた。
ここで他にも日本人旅行者が参加されており、色々と談笑。聞けばロシア文学の教授とのこと。キエフには何度も来ていたけれど、ようやく念願叶って来ることができたのだという。
https://researchers.waseda.jp/profile/ja.77ff6bcd82b700be94e09e30cc1df512.html -
アルコールはチェルノブイリビール!すっかり観光地のノリやな…
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某コーラのロゴを模したと思しきチェルノブイリマグカップ。こちらもお土産物として購入可能。
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壁にはポストカードの販売見本が。うーん、思った以上にポップなチェルノブイリ。
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そしてチェルノブイリTシャツの自動販売機。今思えば記念に買っておけばよかったなぁ。インダストリアルでクールなデザインで若者向け。
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この近くにはマガジン=生活雑貨屋があり、そこにも行けたので行ってみた。
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主に日用雑貨が売られていて雑然とした雰囲気でしたが、お土産品もちょこちょい置いてありました。
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チェルノブイリステッカーやらボールペンやら発見。先程の日本人参加者はキーホルダーを購入。そこに書かれていたロシア語は『不死の勝利・忘れえぬ悲劇』という意味があると教えていただきました。
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チェルノブイリキャップやらTシャツやら。先の食堂の物と比べこちらはややダサ系のデザインである。
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外に出ると犬がツアー客に懐いていた。エサをねだっている模様。
ツアー会社から事前に来たメールによれば、廃墟となったチェルノブイリには少なからぬ野犬が住み着いており、エサをやっても良いとのことであった。 -
と、ここで参加者の1人がホットスポットを見つけたと大騒ぎ。とある木の根元で17ベクレルという高汚染、ガイドも知らなかったとのこと。
しかしガイガーカウンターの警告音が鳴り響く様は、日本人にとっては3.11を想起させるものなのだと思わされる。
他国の人間は無邪気に騒いでいるが、私たちは東日本大震災と福島第1原発事故を経て、それが何を示すのかが具体的に想起できるようになってしまったのだ…。 -
ホットスポットと分かっている場所に関しては警告札が立てられているが、それも全てではないという。なるべく土ではなくアスファルトの上を歩くようにと、ガイドより改めて警告があった。
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近くの広場にあるモニュメント"Those who saved the world"=世界を救った人々
チェルノブイリ原発事故で起こった火災を鎮火するために作業する消防士たちの像。彼らは原発事故による火災と放射線の危険性について一切知らされておらず、消火活動は成功したものの急性放射線障害で次々と倒れていったそうだ。
亡くなった消防士の中には、あまりに強い放射線を浴びたため、瞳の色が茶色から青色に変わってしまった方もいるとのこと(Wikipediaより)。 -
"никто не забыт ничто не забыто"
こちらはソ連大祖国戦争= WW2の兵士を追悼するフレーズ『誰も忘れられていない、何も忘れられていない』が書かれた像。チェルノブイリ原発事故前からあるモニュメントと思われるが、花輪が飾られていたのが印象的。チェルノブイリで犠牲になった兵士も重ねて追悼されているのかもしれない。 -
この像の脇にある建物=保育園へ。チェルノブイリ関連では最も有名な写真の場所かもしれません。
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保育園の名前を掲げたプレート。これはあまり劣化していない。
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родительский уголок=保護者コーナー
玄関をくぐると現れた掲示板。保護者向けの掲示物を貼っていたと思われる。 -
内部には子供用のベッドが並べられていた。30年を経て風化しきっており、ゴーストタウンに相応しい光景である。ちょっと衝撃。
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造花の飾りも土まみれ…。
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図書コーナーと思しき場所も荒れ放題である。
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下に散らばっている本は旧ソ連当時のもの。共産主義マニアにはたまらない光景だけど、もちろん持ち帰ってはいけません!
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チェルノブイリの町を後にし、いよいよ本丸のチェルノブイリ原発へ。原発の周囲には川が流れており、工業地帯のようなプラントがいくつも建てられていた。
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これらは原発では無いが、関連部品を作っているのでしょうか。チェルノブイリだと言われなければ良くある工業地帯のような光景に若干戸惑う。
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川沿いの道を車で進んでいくと、工業プラントに混ざって不思議な半円柱型の建物が。
それが目的地のチェルノブイリ原発だった。 -
原発前で一旦下車。ここから原発方向の写真撮影は禁止とのこと。機密等がある模様。
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原発方面の反対側の川には橋が架かっており、原発関連労働者の憩いの場となっていた。軍もいれば民間企業の方もいた。
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揃って川を眺める原発関連労働者たち。お疲れ様です。
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川の下には無数の魚がおり、希望者はエサをやることができる。ガイド曰く『チェルノブイリ産の魚だぜ!食べてみるかい?』…遠慮しておきます。
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原発が写らないように原発方面にカメラを向ける。やはり作業プラントと思しき建物がたくさん並んでいる。
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そして原発前のモニュメントへ。ここもこの方角でのみ写真撮影が許された。右に写るのがチェルノブイリ原発、2016年に新しい石棺に覆われた姿は近未来のシェルターのようだ。
放射性物質が無害化するまでにはこの先長い年月がかかる。原子力というプロメテウスの火を人間が手にするのは、相応のリスクかあるのだと思い知らされる。そしてどうしても福島のことを考えてしまう…。
この後石棺近くに入れるかと思いきや、車に戻れとの指示。ネット上のレポにはコントロールセンターに入っているのもあったので期待してただけに残念。日帰りツアーだからか新石棺になったからかは分かりません。 -
原発を後にして向かったのは、チェルノブイリ北西にあるプリピャチという原発関連労働者が住んでいた街の跡へ。旧ソ連時代は閉鎖都市といって街の存在自体が秘密にされていた。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/プリピャチ -
ここは少し歩くようにとガイドより指示。街の中心地に行くには道が狭いのもあるようだ。土の上を歩くのは若干勇気がいったけど、我々は福島の方が線量が多いということを知っている。
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プリピャチという町は旧ソ連時代には国内有数の社会インフラを誇った街だったそうだ。そのためいくつもの文化施設などが建てられていた。
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市民体育館。
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市民プール。
これだけの高飛び台を持つプールはソ連でも随一だったそうだ。いかにプリピャチの町が文化的に恵まれていたのかわかる。 -
そんな豊かなプリピャチの街も、1986年にチェルノブイリ原発事故が起こると、その翌日に突然の避難命令が出て住民たちはこの街を離れることとなった。原発事故で漏れた放射性物質が風に乗り、プリピャチの方角に流れ出て高濃度汚染となったからだ。
事故当時プリピャチの人々は何も知らされておらず、数日経てば戻れるだろうと楽観視していたそうだ。それがまさか二度と戻れなくなるとは…。
続いて学校跡へ。 -
校舎内は複数の野犬がウロウロしていた。ここの主は彼らだということがよく分かる。噛まれはしないが廃墟感たっぷり。
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教室に置かれたガスマスク。多分後から置かれたものだと思われる。というのは、当時の住民は防具を持っていなかったからだ。
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CCCP=旧ソ連の文字にノスタルジア。時が30年前で止まっている。
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そして社会主義の跡。今はすべて終わってしまったことだ…
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学校跡は建物の劣化が激しく、また昼間でも薄暗いので足元には要注意。
事故当時プリピャチの住民の平均年齢は凡そ26歳だったと言われている。若い世代の希望に満ちていた街なんだなと思うと、今の状況は切ない。 -
学校を抜けてさらに奥と進む。この後は有名な遊園地跡へ。
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遊園地跡に設置されていた観覧車。
事故の起きる1週間後の5月1日、共産主義国の重要行事であるメーデーの日から稼働予定だった。しかし事故翌日4月27日以来住民はこの街に戻ることはなく、この観覧車も一度も動かされることはなく朽ち果てていった。切なすぎる。 -
周りには他の乗り物もあり、同様に朽ち果てていた。子供達の夢は夢のままで終わったのだ…。
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そして文化宮殿と呼ばれる複合施設跡へ。映画館、体育館、公民館などの機能を備えていたそうだ。
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回廊が広々している。現役時代にはさぞかし立派な建物だったんでしょうね…
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往時を偲ばせる看板と絵など。
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かつてのロッカールームだかの跡。
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こちらは映画館跡。プリピャチの人口は5万人ほどだったそうだが、このような施設が作られていたのはよっぽど先進的な街だったんだろな。
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そして体育館。広々としており当時としては最新鋭だったことがうかがえる。
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ここからは例の観覧車が遠くに見える。世界の終わりかと思うような、そんな風景。
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そして人間がいなくなった後は、植物たちが力強く育ち新たな生態系を作っていた。チェルノブイリにもプリピャチにも言えることだが、植物は非常にプリミティブ。希望を感じさせすらある。
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建物の裏側には、打ち捨てられたソ連の指導者たちの写真看板が。この街とともに旧ソ連も終わりを迎えた。
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来たるメーデーに向けての掲示物準備がそのまま残っていた。勉強、勉強、勉強…。これらは色々な意味でもう必要なくなった。
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ここで外に出ます。文化宮殿の周りはマンションがズラリ。ツアーによっては中に入ることができるらしい。そして階段にはバンクシーが書いたかのようなグラフィティーが。
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プリピャチの街にただ一件だけあったホテルを事故前と比べて。元々閉鎖都市とだったため観光客は皆無で、視察の人々のみが泊まるところだったらしい。綺麗だった広場はどこへ…
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もう一枚、同じ角度からの事故ビフォーアフター。不気味に育つ木々と朽ち果てていくマンションのコントラスト。
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隣にあったスーパーマーケット跡。当時としては最新鋭の機器を入れていたらしい。今となってはどうでもよくなってしまった。
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街にあったレストランもこの通り、後は朽ち果てるだけ…
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レストラン内部に入ります。立派なステンドグラスがお出迎え。なんて豊かな場所だったんだろう。
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聖母のステンドグラス。今は廃墟となったプリピャチの街を優しく見守っているかのようだ。
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栄養についてのインフォメーションも。こういうのが分かるのはプリピャチの住民が教養高かった証拠だ。
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レストラン裏手には湖が広がっている。これは原発のために作られた人造湖。船着場もありレジャーの場でもあったようだ。
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ここも木々が生い茂っており、ジャングル化が進んでいる。そして驚くほど静かで平和なのだ。
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そして最後は病院へ。
ここはチェルノブイリ原発事故の対応に当たった技術者や消防士などが目眩や頭痛を訴えて搬送された場所。もちろんそれは急性放射線障害だったが、当時は事故の詳細は知らされていなかったため原因が分からず現場は混乱したそうだ。 -
そのため現在でも線量が強い場所がたくさんあるとのこと。特に一階部分がホットスポット多数なんだそう。
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処置室。当時も今も急性放射線障害に対する治療法は確立されておらず、現場も無力感に苛まれたなではないかと思います。事故の犠牲者の冥福を謹んでお祈りします。
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そしてとある処置室。ガイドが呼んでいるので行くと皆が集まっている。
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ここの遺留品から高い線量を示している。14マイクロシーベルト。30年経ってもこの数値かと思うと目眩がする。
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これにてプリピャチ訪問は終了。次の目的地に着くまでの間、プリピャチの街が豊かだった頃の映像が車内で流れる。無垢な子供たちの踊る姿に、胸が締め付けられる。
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ツアー最後の訪問地は、チェルノブイリ2と呼ばれる地域にある、ドゥーガ1と呼ばれる戦略的レーダー機器へ。
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少し道を歩いた先には、スケールの大きすぎるレーダー機器が鎮座。高さ150m、長さは500mあるらしい。大きすぎてちょっとよくわからない。それぐらい大きい。
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原発事故とともに使われなくなりすでに老朽化が進んでいるが、とてつもないスケール感。別名ロシアン・ウッドペッカー。
こちらに詳細レポあります。
http://portal.nifty.com/kiji-smp/161216198324_1.htm -
そしてツアーはここまで、最後に線量のボディチェックと思しき機械を通って制限区域の外へ。しかしこの機械、ちゃんと稼働してるのかな…結構テキトーに見える。
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外では最後の土産物売り場が。ここでしか買えないグッズ満載なので、話のタネに買ってもいいと思う。
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店のそばには原発事故に関するインフォメーションボードが並ぶ。1986年4月26日、私もこの日を忘れない。
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そしてキエフへと戻ったのは19時過ぎ。長い1日も終わり、先ほどの教授さんと夕飯を食べて感想を語り合う。どうしても福島と重ねてしまい色々複雑な思いでいっぱいですが、見られて本当に良かった。
イメージだけのチェルノブイリとはまた違う、少し観光よりな、だけど考えさせられるツアーでした。キエフに行かれたら是非。 -
翌日にはキエフ市内にあるチェルノブイリ博物館へ。ここはチェルノブイリに行ってから来てもよし、行く前に来てもよし。お時間あれば足を運んでみてください。入場料40グリブナ。
国立チェルノブイリ博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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入口から階段を上がると、チェルノブイリ現地で見た村の名前の看板のレプリカがお出迎え。後ろから見ると…
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この通り、事故によって住めなくなった集落に赤い斜線が。
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内部はたくさんの事故関連の資料が展示されている。残念ながらロシア語のみの説明が多かった。せめて英語のインフォメーションがほしいなー。
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とはいえ写真で迫ってくる当時の様子、結果を知っているだけにこれまた切ないものがある。
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当時の旧ソ連新聞プラヴダ="真実"
ロシア語はよく分からないけれど、多分全然真実書いてないだろなこれは…と思わされる。 -
そして犠牲となった子供たちの追悼コーナー。ソ連の公式発表では直接の犠牲者は30名程度だとのことですが、甲状腺障害となった子供たちも大勢いると言われている。
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子供達の民族衣装。年端もいかない、何の罪もない子供達がどうして…と理不尽な気持ちになる。
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原発事故で被害を受けたと思われる子供達の写真。
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そして日本からの折り鶴も展示。
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一階には福島と関連づけてのコーナーもあり。
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日本人クリエーターによるマトリョシカ展示。
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キエフの栗の木から日本の桜の木に向けて、という詩の展示。
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チェルノブイリ原発事故。
30年前の遠い事故はまだまだ現在進行形で、改めて原発事故の威力を見せつけられた訪問でした。
廃墟となった街や村も見るにつけ切ないのですが、人類が原子力というか核エネルギーと同居できるかどうかという問題は物凄く重いです。
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旅行記グループ 2017夏 東欧7か国周遊、フォークロアの旅
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