2017/12/10 - 2017/12/10
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kojikojiさん
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現地最終日はスキポール空港近くのホテルを出て「クレラー・ミュラー美術館」へ向かいます。アムステルダムを出た辺りでは曇り空でしたが、どんどん天気は下り、周囲の景色も昨日までの緑濃い田園風景から雪景色に変わってきます。「デ・ホーヘ・フェルウェ国立公園」近くに差し掛かると辺りは雪雪雪です。イメージしていた美術館の緑の芝生と彫刻と美術館の建物の緑の芝生は一面の雪でした。そのせいか訪れる人も少なく午前10時少し前の開館時間には我々のツアー以外にもう1組の日本のツアー客だけでした。ここのオーディオガイドは非常に優れモノで更に深く聞きたいときの説明まで用意されていたりとても勉強になりました。開館と同時に皆さんはゴッホのコーナーに向かいますが、ゴッホ以外の収蔵品も素晴らしいものがたくさんあり、途中で足が止まってしまいます。とりあえずゴッホは後回しにして美術館全体を楽しみました。日本人にはゴッホが収蔵されている美術館という印象ですが、美術館の案内を見てもそうではないことが良く分かりました。妻とも別々に1人の時間を静かで美しい美術館で楽しみました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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アムステルダムの観光はちょっと残念でしたが、気を取り直して最終日を楽しみます。まずは腹ごしらえです。
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ラディソンホテルはテレビ画面で目覚ましが設定できます。今日も朝6時起床ですが実際は30分前には起きています。
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アムステルダム辺りは曇りの表示ですが、内陸部は雪が降るような気配…。これが後で大変なことになります。
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最後の朝はあさげで始まりました。旅行中に日本食が恋しくなることはないのですが、味噌汁だけは何となく持っていくことが多かったです。体調が悪くなりかけたときとか風邪をひきそうになったときは薬よりこれの方が効きます。40歳くらいまで45日くらいの旅に年2回出ていましたから、大抵どこかで調子が悪くなっていました。
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ロビーのレセプションの裏が団体用の朝食会場でした。
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先ほどの赤いカードと同じ色がテーブルに表示してあります。我々のツアーは4テーブルに分かれていました。4グループくらいが一斉に食事を始めますが、料理はどんどん出てくるので安心です。
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サラダはこのホテルが一番充実していました。伝統にのっとりカイザーゼンメルで卵+ハム+チーズサンドを作って食べました。そう言えばリュブリアーナのラディソンの朝食は感動するくらい素晴らしかったです。ここはそこまででは無かったけれど、個人用のレストランは別にあったので違うのかもしれません。
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最終日も頑張りましょう。
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レストランの脇にはこんなものが。年賀状の写真これにすればよかったかな。
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レセプションの前には鍵をドロップできるポストがあります。特に精算することも無いのでポストに鍵を入れると「どうもありがとう。」と女性が声を掛けてくれます。それだけでも嬉しい気分になります。
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午前8時30分にホテルを出発です。まだこんな明るさです。
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バスの停まっているところがシャトルバス乗り場でもあります。出発時間はHPを確認すると「あと何分」という表示が出てきます。乗らなかったので空港の乗降場は?大体30分間隔で出発するようです。ということは空港まで15分から20分の乗車時間でしょう。
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昨日までの穏やかな冬景色は一変して厳しいものになっています。大昔スイスのグリンデルワルトで日本人の奥さんとアメリカ人のご主人とハイキングしたことがありました。ずっとハワイに住んでいたそうですが、ご主人の仕事の関係でオランダに住んでいて、バカンスでスイスに来られていました。その奥さんが「日本人の持つオランダの印象って青い空に風車とチューリップだけど、実際のオランダは1年のうちで晴れる日は少なく、家のある北海近くの鉛色の海と空を見ていると気が滅入るのよ。」とおっしゃっていたのを思い出しました。
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あれよあれよのうちに外の景色は一面の雪景色に変わります。
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高速道路もこんな感じです。
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1時間ほどでオッテルロー辺りに到着です。
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「デ・ホーヘ・フェルウェ国立公園」に着きました。公園の入園料と美術館の料金で18.6ユーロと結構な金額です。もちろんツアー代金に含まれています。添乗員さんがチケットを買いに走りますが、HISの添乗員さんが段々気の毒に感じてきます。
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5500ヘクタールという広さを持つ「デ・ホーヘ・フェルウェ国立公園」はオランダ最大の国立公園だそうです。原生林と古代に植林された森林が混在する国立公園ということと鹿やイノシシなどの野生生物、砂地の植物であるヒースで有名らしいですが一面の雪で覆われています。
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しばらく公園内を走って「クレラー・ミュラー美術館」に到着です。まだ開館前の時間です。
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来る前のイメージでは青い芝生に彫刻が立っているはずだったのですが。でも念願の美術館に来ることが出来ました。2年前にベルギーとオランダだけで3週間旅しながらここを外したことをずっと後悔していましたから。
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オズワルド・ウェンクバッハ
「ミスター・ジャック Mister Jacques 」 -
赤いH型鋼はKの文字のようです。これはアメリカ人彫刻家のマーク・ディ・スヴェロの作品です。その名も「Kピース」韓国と何か関係が合うのでしょうか?
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ヘレーネ・クレラー・ミュラーの夢は「美術館の家」をつくることでした。裕福な夫の財力とアドバイザーの助言を元に11,500点を超える美術品を購入します。1938年にデ・ホーヘ・フェルウェ国立公園内にクレラー・ミュラー美術館がオープンしました。
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まずはトイレに向かいます。2時間近くバスを走らせてきましたからね。トイレの洗面台もすでに作品のようです。
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花を眺めていたら大きな体の美術館職員のおじさんが「本物ですよ。」と笑顔で声を掛けてくれます。「日本でこれだけの花を買ったらすごい金額ですよ。」というと驚いていました。オランダはお花安いですからね。
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これも作品の1つです。
ブルース・ナウマン「窓あるいは看板」
書いてある文字は「真の芸術家は、神秘的な真実をありのままに露呈することで世界を救う。」です。美術館のエントランスに飾るには良い作品です。 -
ここに来ることが出来た記念写真を撮りましょう。
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これでオランダに心残りは無いかもしれません。
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添乗員さんがオーディオツアー用の機器を借りてくれます。さすがHISで1人2.5ユーロです。この機器はスポンサー提供のようでポッドキャッチャーのオーディオツアーではコレクションのうちの20作品についての説明を聞くことができます。ポッドキャッチャーの使い方は簡単で20作品の隣に表示されている特殊な情報カードにポッドキャッチャーを向けると装置が自動的に作動します。さらに詳しい解説が必要な場合もボタン1つで説明が始まります。
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27台を日本語設定にするのに少し時間がかかりました。ここで解散して1時間の自由行動です。
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美術館の建物はクレラー・ミューラー家の依頼によりアールヌーボー建築の旗手であるベルギーの建築家アンリ・ヴァン・ド・ヴェルデによって設計されました。さらに1970年にはオランダ人建築家のヴィム・クィスト設計の別館が新たに加わります。まずは建物の美しさに感嘆します。ツアーの方はゴッホの作品へと足早に進んでいかれます。
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ヘレン・ミューラーは1869年にウィルヘルム・ミューラーとエミリー・ネッセとの間に誕生した3番目の子どもとして、ドイツのエッセン市に近い町のホルストで誕生しました。父親のウィルヘルム・ミューラーは鉱業と高炉の生産物の販売に携わっており、創業から2年後にはロッテルダムにミュラー合名会社の支店が開かれることになり、ウィレム・クレラーがロッテルダムの運営を任されることになります。
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ウィレム・クレラーの末弟だったアントン・クレラーは最初にミューラー家と仲良くなりました。1887年に18歳になるヘレン・ミュラーとアントン・クレラーが、ヘレンの父親の事務所で再会することになり、2人は1888年に結婚してロッテルダムに移り住みます。
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結婚した翌年の1889年にアントン・クレラーは社長に就任し、会社はアントン・クレラーのリーダーシップのもとで、アメリカとの穀物取引や輸送や北アフリカとスペインでの鉱石採掘といった事業などかなり大きな影響力を持つとても強力な国際企業へと成長します。
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アントン・クレラーとヘレン・ミュラーとの間には、1889年から1897年の8年間の間にヘレンとトゥーン、ウィムとボブという4人の子供をもうけています。クレラー家は会社の本部があるハーグに長い間住んでいましたが、1916年初頭のころにワッセナーへと引っ越しをします。アントン・クレラーはとても熱狂的な狩猟愛好家だったこともあって、その地域の数ヶ所の農地と6,000ヘクタールの森林と荒地を数年かけて買い取ります。後の経済不況を受けてクレラー家も大きな打撃を受けることになります。そのため会社の経営状況に伴いクレラー家の収集した美術品と田舎のホーヘ・フェルウェ所有地の両方もが危機に面してしまいます。
一家は今まで収集した美術品の数々がバラバラにならないように、そしてどこにも流出することがないようにと考え、1935年ヘレン・クレラー・ミューラーはコレクションを収蔵するのにふさわしい美術館を建設することを条件にして、オランダ政府に寄贈することになります。 -
バルト・ファン・デル・レック「絵を見る」
ファン・デル・レックは1916年までミュラー合名商会でデザイナー兼画家として雇われていました。この作品は上の写真にも写っています。クレラー家の家族を描いたものでしょう。 -
H.P.ブレマー「軽騎兵」
美術評論家で教師であったH.P.ブレマーはファン・ゴッホを「現代美術の偉大な精神」と見なし、ヘレン・クレラー・ミュラーにその作品を購入するよう助言しました。1908年から1929年の間、ヘレンは夫のアントンと共に現在美術館に所蔵されている貴重なコレクションを築き上げました。クレラー・ミュラー夫妻のファン・ゴッホに対する注目は、彼の作品に対する現在の評価に大きく影響しています。 -
「鉱業を表すステンドグラス」下絵。
これはファン・デル・レックがスペインとアルジェリアで描いたスケッチがもとになっています。 -
「鉱業を表すステンドグラス」
北アフリカやスペインの鉱石採掘から精製や運搬の様子も描かれています。 -
「アクシデント」
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「狩人」
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「ダックスフント」
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バルト・ファン・デル・レック「バタヴィア航路のポスター」
バタヴィア (Batavia) はインドネシアの首都ジャカルタのオランダ植民地時代の名称です。 -
ピエト・モンドリアン、テオ・ファン・ドゥースブルフ、バルト・ファン・デル・レック、ヘリット・リートフェルトなどの珠玉の作品によりクレラー・ミュラー美術館はデ・ステイルの宝庫の1つとなっています。このコレクションの基礎となったのはヘレン・クレラー・ミュラーの収集でした。ヘレンは何年もかけた契約により、ファン・デル・レックの作品を最初に購入する権利を持っていました。
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妻の気に入った「猫」の絵です。
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ピエト・モンドリアン「黒と白の10のコンポジション」
1915年の作品ですので、父親の病気でフランスからオランダに戻り、第1次世界大戦の勃発により戻ることが出来なくなったころの作品です。彼はスヘフェニンゲンの海岸近くに滞在し、海や防波堤からインスピレーションを得ています。別名は「波と防波堤」というそうです。スヘフェニンゲンにも2日滞在しましたが…。その様子はこんな所でした。
https://4travel.jp/travelogue/11025525 -
巨匠キューブリックが近未来を舞台に核による世界破滅を描いたブラック・コメディ映画を思い出しました。。アメリカ軍基地の司令官が、ソ連の核基地の爆撃指令を発した。司令官の狂気を知った副官は、司令官を止めようとするが逆に監禁されてしまう。大統領は、ソ連と連絡を取って事態の収拾を図る。しかし、迎撃機によって無線を破壊された1機が、ついに目標に到達してしまう……。という「博士の異常な愛情」という映画のポスターを思い出したのは私だけでしょうか。
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この美術館でゴッホの作品を観る前にこの「THE PATRON AND THE ‘HOUSE PAINTER’」のエキシビジョンを見た方が良いですね。時代背景や家族についてとても勉強になりました。
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明るい日だと天井から光が差し込むのでしょうね。
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さて勉強が済んだところで収蔵品を見て行きましょう。
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アルベルト・ジャコメッティ「歩く男Ⅱ」
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ハンス・バルドゥング・グリーン「ビーナスとキュービッド」
16歳で画家修業を始めたのでグリーン(坊や)という名前が付けられたそうです。16世紀の頃は絵画に道徳的教訓を込めることが普通でした。キューピッドが目隠しをしているのは肉体的な愛情におぼれ目が見えなくなった人の象徴で、不安定な球体に座る姿はその愛情の危うさを表しています。 -
ビーナスとキューピッドといえばルーカス・クラーナハですね。「ビーナスと蜂蜜泥棒のキューピッド」同じ題材の作品は8点製作されているようで、ブリュッセルの王立美術館とロンドンのナショナル・ギャラリーで観た記憶があります。
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母であるビーナスは「蜂は小さいけれど痛みを与えるように、あなたも金の矢で人間を恋に陥れて苦しめるでしょう。」と言っているようです。
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左上のラテン語はテオクリトスの詩の一部で「我々の憧れる官能美は長続きせず、痛みを伴って我々を苦しめる・・・。」と書いてあります。これはベルギーの作品と同じです。
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薄衣の独特な描き方が素晴らしいです。
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オーギュスト・ルノワール「音楽家ピエロ」
この作品はパリのシルク・ディベール(冬のサーカス団)の飲食店のオーナーからの依頼でこの絵を描いています。モデルは当時人気のあったジョン・プライスで「音楽家ピエロ」として有名でした。 -
バイオリンの演奏が終わったその瞬間を描き切っていると思いました。
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ジョルジュ・スーラのこの作品はクレラー・ミュラーにあったんだと感激しました。
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ジョルジュ・スーラ「シャユ踊り」
シャユとはフランス語で喧噪とか大騒ぎという意味だそうで、カンカンダンスの別名です。スペイン語だとファンダンゴ(バカ騒ぎ)に近いのだろうかと思いながら、ケビン・コスナーの「ファンダンゴ」という映画を思い出しました。ケビン・コスナーの最高傑作だと思っています。 -
19世紀の産業革命後の娯楽産業が盛んになったパリの姿を感じさせます。彼が通ったカフェ・ル・ディヴァン・ジャポネ(日本風長椅子カフェ)は名前は変わっていますが現在もパリのマルティル通りで営業しているそうです。
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ポール・ゴーギャン 「Atiti」
ゴーギャンがタヒチ滞在で知り合った家の子供が亡くなった時に死に顔を描いた作品だそうです。 -
クロード・モネ「グーテェエ嬢のポートレート」
1871年にモネはザーンダムに4ヶ月ほど滞在しています。この期間中に彼は17歳のグーテェエ・ファン・デ・シュタットの肖像画を描いています。他にも24枚のザーンダムの風景を描いています。ファン・デ・シュタット家は木材貿易に携わり、ザーンダムの豊かな一族でした。 -
モネの他のザーンダム作品と比べると、この黒灰色の絵はむしろ落ち着いていますが、彼女のの父が亡くなったことを意味しているからでしょう。黒いドレスやイヤリング、リボンはその少女がまだ喪に服していることを示しています。
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モーリス・ドニ「カトリックの秘蹟」
ドニが15歳の時「そうだ、僕がクリスチャンの画家になること、キリスト教徒のあらゆる奇跡を賞賛することが必要だ。それが必要なことだと感じる。」と書いているそうです。 -
ナイーブ・アートのような穏やかさを感じる作品です。19世紀に入ると宗教画は時代遅れの感がありましたが、点描という新しいスタイルで表現した珍しい作品です。身を屈めた聖母マリアは「受胎告知」の伝統的なスタイルを思わせます。
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モーリス・ドニ「春」(少女の部屋)
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モーリス・ドニ「病院の夕刻の祈り」
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今まであまり興味を持たなかった作家ですが、この時はすっと心に感じるものがありました。
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中庭も一面の雪でした。雪が積もっただけで日本の禅寺のようにも見えます。手前の円形のものが蹲(つくばい)に見えたのかもしれません。
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ジェームズ・アンソール「ピエロの絶望」
アンソールも2年前にベルギーとオランダを旅する前はほとんど興味が無かった作家です。子供の頃に感じた「子供の持つ残酷さ」みたいなものを描いているような気がしてあまり好きではありませんでした。 -
彼は1949年に89歳で没していますが、仮面や骸骨をモチーフにした主要な作品は1885年から1895年頃に集中的に描かれています。初期には画壇の異端児とされ、周囲からの無理解と嘲笑にさらされたアンソールでしたが、20世紀に入ってから次第に巨匠としての名声が高まり、1929年には男爵に列せられ、1933年にはフランスのレジオン・ドヌール勲章を得ています。しかし皮肉なことに彼の作品のうち評価が高いものはほとんどが1900年以前のものです。
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ジェームス・アンソール「キャベツのある静物」
このカーテンから顔をのぞかせている男性はこの絵に必要なのでしょうか。この顔が無いとアンソールの絵かどうか分からなくなりそうですが。 -
北海沿岸の海岸リゾート地であるオーステンデ(オステンド)のアンソールの両親の家は観光客相手の土産物店を営んでおり、貝殻や民芸品やカーニバルの仮面などを商っていたそうです。カーニバルの仮面が後に画家としてのアンソールの重要なモチーフとなり、仮面の画家とも呼ばれます。
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ジェームス・アンソール「ホップ・フロッグの復讐」
これがこの美術館で一番良かった作品かもしれません。 -
中世の頃にその容姿からホップ・フロッグ(跳び蛙)呼ばれる小人は、病的に肥満した王とその7人の大臣たちの宮廷道化師でした。王は彼を非人間的に扱うが、一方では彼の才能に信頼を寄せています。ある日、王が宮廷仮装舞踏会を催すことになり、変装についての意見をホップ・フロッグに求めます。しかしホップ・フロッグが愛する小人の踊り子トリペッタに王が醜い仕打ちをするのを見てしまった彼は、王の要望を満たしつつ完璧な一計を案じて復讐を決意します。
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そして仮装舞踏会当日に王に対する究極の報復行為に走るホップ・フロッグとトリペッタは、動きにくく燃えやすい服に身を包んだ王たちに火を放ち、王宮は炎に包まれます。そしてホップ・フロッグとトリッペッタは自由の身になったのでした。
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エドガー・ア・ランポーの小説「ホップ・フロッグの復讐」の劇的な終焉を描き切っています。日本に帰ってからこの作品を読み返したのは言うまでもありません。
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この美術館で残念だったのはオディロン・ルドンの「キュプロクス」が展示されていなかったことです。展示室には学芸員も職員もいないので聞くことも出来ませんでした。
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ルドンも以前はあまり興味が持てなかったのですが、2011年にパリでモロー美術館で感銘を受けて以来気になっている作家ではあります。
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オディロン・ルドン「ペガサスとヒドラ」
赤いペガサスに緑の翼…。ルドンの描くギリシャ神話は不思議です。 -
オディロン・ルドン「花瓶の花」
この絵は安心して眺められます。絵と額もマッチしていると思います。 -
日本に帰ったらルドンの画集を買ってみようかという気になりました。でも本当に好きなのは目玉が気球だったり、花が子供の顔だったり、蜘蛛が笑っていたりする絵です。
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オディロン・ルドン「仏陀」
ルドンの手にかかると仏陀もイエスも同じ顔のようです。オルセー美術館のイエスの絵を思い出しました。 -
オディロン・ルドン「ベールの女」
どこかで観たことがあると思ったら中原淳一の描く少女の目に似ていました。 -
パブロ・ピカソ「バイオリン」
確かにバイオリンであり、それ以上でもそれ以外でもありません。カレイドスコープでバイオリンを見たらこんな風になるのかなと考えてしまいます。 -
パブロ・ピカソ「ギター」
どっちと言われればバイオリンよりこちらのギターの方が好きです。 -
トゥーロップの作品。
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ほとんどの人がゴッホの部屋に集中しているので周りの部屋にはほとんど人がいなく、妻とも離れ離れです。贅沢な時間が味わえます。
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コンスタンティン・ブランクーシ「世界の始まり」
贅沢な空間の展示です。 -
左右対称に広がる部屋と天井の照明が美しいです。
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誰もいない展示室自体がアート作品に思えてきます。ウィーンの分離派会館(セセッション)の展示室を思い出させるデザインです。
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ウンベルト・ボッチョーニ「空間の連続性の唯一の形態」
人の動きとその速さを表そうとしたそうです。日本人には縄文土器のように見えると思います。 -
曇り空からはとうとう雪がちらつき始めました。
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どこまで歩いても誰もいません。
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一瞬集合時間を間違えてツアーバスに置いて行かれたのではと心配になります。
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ヨハン・トルン・プリッカー「花嫁」
19世紀末に描かれたアールヌーヴォー様式の美しい絵です。今回初めて知った作家ですが印象に残りました。 -
ウィリアム・ドグーヴ・ド・ヌンク「ウィルブロック運河の運搬船」
1910年頃宗教的な危機に苦しんだ後、心を苦しめる内面の状態を著わした絵を描きます。そして第1次世界大戦中は難民としてオランダに逃れ、そこでわずかな作品を制作しています。1919年の妻の死に打ちのめされたうえ、片手が動かなくなりますが、精神的危機の期間を通じて彼を助けてくれた女性と再婚し、最後の数年をベルギーのスタヴロに定住し、そこで雪に覆われた風景画を描いています。 -
まるでアムステルダムからここまでに見てきた風景が描かれているように思えました。
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後半は作品1つ1つより美術館の建物の美しさに目が行きます。
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しかし誰にも会えないことが心配になってきました。
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そしてこの雪景色。京都の四条通りにある「可必館」という美術館の坪庭を思い出しました。ゴッホは日本にあこがれてアルルに行きましたが、ここに日本的な風景があると教えてあげたいです。
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この美術館のミュージアムショップは素通りできません。重たいけれど作品を紹介した美術館のガイドブックを買いました。
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更に美術館は奥に広がります。谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」という言葉が似合いそうな空間です。
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日本人にとってはゴッホの作品を多く収蔵した美術館という印象ですが、実際は広大な敷地に彫刻が点在しています。
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中庭で冷たい空気を吸って見ますが、先へ進んだら戻ってこれなくなりそうなので止めておきます。
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そろそろ集合時間です。ガイドマップを見てみると庭園の彫刻を見て周ったら半日くらいかかりそうです。
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おやめなさい。
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同じようなシルエット。
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さあデュッセルドルフに向かって出発です。
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これも美術館の作品です。クレス・オルデンバーグ「園芸用のコテ」
高さ11メートルの巨大なスコップです。近くまで行ってトリック写真撮りたかったです。 -
吹雪いてきました。
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クレラー・ミュラー美術館のゴッホの作品は次の旅行記で紹介します。
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