2016/05/24 - 2016/05/24
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徳川家康の祖父、松平清康が25歳で亡くなった、守山崩れの地の守山城跡の紹介です。清康が家臣の阿部正豊(弥七郎)に斬られて即死したのは、天文4年(1535年)12月のことでした。
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愛知県名で設置された、『急傾斜地崩壊危険区域』の立看板です。そのエリアが地図で示されていました。
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守山城址と宝勝院がある場所の西側から眺めた、矢田川方面の光景です。川の方面に向かって、家の高さほどの段差がありました。
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右が宝勝院のあるエリア、左が守山城址の石碑があるエリアです。その中間にあった堀址の西端付近の光景です。東西に延びる堀址は、約100メートルです。
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『急傾斜地崩壊危険区域』ですから、近代工法を使った、擁壁工事が行われていました。二段になった上の石垣は、宝勝院の境内の西北角になるようです。
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少し離れた場所から撮影した、同じ石垣の光景です。最初の方で紹介した、名古屋市教育委員会名で建てられた立札には、『大永6年(1526年)、連歌師宗長がこの城を訪れ、連歌の会が盛大に催された』と紹介されていましたから、それ以前の築城であることは間違いないようです。その時の発句は、『花にけふ、風を関守山路哉』です。
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イチオシ
守山城址と宝勝院がある場所の西側の通りの脇で咲いていた紫陽花の花です。鮮やかなピンク色の縁取りの花でした。
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イチオシ
鮮やかなピンク色の縁取りの花の近くで咲いていた、白い紫陽花の花です。こちらの花のチャーミングポイントは、純白の色と、鋸歯状の縁取りでした。
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振り返って眺めた、守山城址と宝勝院がある場所の西側の通りの光景です。
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同じ場所から眺めた、これから向かう前方の光景です。コンクリート擁壁の上は、宝勝寺の境内になるようです。後ほど紹介しますが、境内の西北方面には広い墓地がありました。
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『守山区歴史散策路』のタイトルがあった案内看板です。城跡と寺社巡りのコースが、赤いラインで記されていました。現在地は、矢田川に面した左下付近です。右上の市バス停『川村口』から『矢田川橋』まで、約6.7キロのコースです。
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守山城址と宝勝院があるエリアの東側から出発し、反時計回りに北側と西側を散策してきました。現在地は南側になります。前方に、宝勝寺の境内の上る石段が見えていました。
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玉峯山・宝勝寺の山門光景です。寛永14年(1637年)に創建された、禅宗の曹洞宗のお寺です。日本における曹洞宗は、鎌倉時代の道元(1200〜1253年)に始まります。
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玉峯山・宝勝寺の本堂光景です。曹洞宗(そうとうしゅう)は、中国の禅宗五家(曹洞、臨済、潙仰、雲門、法眼)の一つです。中国曹洞宗は、洞山良价と彼の弟子である曹山本寂を祖とし、はじめ『洞曹宗』を名乗りましたが、後に『曹洞宗』となりました。日本の曹洞宗は、曹渓慧能と洞山良价の頭文字を取って曹洞宗と呼ぶのを定説としています。
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『当山御本尊・十一面観世音菩薩』の文字が記された表札です。『十一面観世音菩薩』の梵名は、『エーカダシャ・ムカ』です。観音菩薩の変化身の一つとされます。
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本堂のガラス戸越しに眺めた室内光景です。五色旗が見えていました。仏旗は、青・黄・赤・白・樺の五色です。第一回世界仏教徒会議が開かれた1950年(昭和25年)に、正式に『国際仏旗』として採択されました。
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イチオシ
唐風の屋根を持った、格式を感じさせる堂宇の光景です。このお寺が、徳川家康の祖父の位牌を祀ることを偲ばせてくれました。
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本堂の周りの建物の紹介です。バリアフリーの工事が施されていました。車椅子も使用できそうな、緩いスロープの出入口です。
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本堂の正面に向かって、左端にあった建物光景です。普段は使用されていない建物のようでした。
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台座に『三界萬霊』の文字や、多くの戒名が刻んであった大きな石像の光景です。蓮座の上の石像は、地蔵菩薩でしょうか。
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宝勝寺境内の墓地の光景です。古い墓石を探してみましたが、多くの墓石が新しく建てられていました。
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宝勝寺境内の墓地と、その北側方面の光景です。守山城址碑がある場所との間には現在も堀跡が残されています。こちらの方角も新しい墓石ばかりです。
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一族の歴代のお墓がまとめられていた一角です。その一族の名前が入口にありました。中央奥の墓標の文字は、『積善院寿嶽良慶居士』の文字でした。国立国会図書館のデジタルコレクションの索引に『水野軍治氏』の名前がありましたが、それ以上は非公開の情報でした。
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中央に見えるのは五輪塔です。その台座には、『納骨塔』の文字がありました。入口右手の墓誌には、昭和4年に亡くなられた17世和尚の名が筆頭に記されていました。その名前の墓碑は、納骨塔の右横にありました。
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歴代住職のお墓のようです。一番新しそうな墓碑には、『当山七世大智性春大和尚禅師』の文字がありました。
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墓地の中から眺めた、宝勝寺の建物光景です。寛永14年(1637年)に玉峯山・宝勝寺を開基したのは、大永寺7世大渓良沢師とされます。同じ守山・小幡地区にある、建久元年(1190年)創建の寿昌院を始まりとする、曹洞宗の古刹です。
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墓地の光景が続きます。中央付近に見える五輪塔は、先に紹介した『納骨塔』の側面光景です。その背面に昭和17年(1942年)5月建立の文字がありました。
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守山城址碑がある場所に近い北側に位置するこのお墓も歴史がありそうです。左の墓碑には、『興岩院徳翁嘉種大居士』の戒名がありました。その側面には、尾州藩の文字が刻まれていましたから、尾州藩士か、その子孫のようです。尾州藩は、尾張徳川家の尾張藩の別の呼び名です。
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玉峯山・宝勝寺の境内から眺めた、矢田川方面の光景です。川の流れも少しだけ見えました。矢田川は、愛知県瀬戸市と豊田市の境、猿投山の戸越峠付近を水源とし、赤津川、海上川、水無瀬川の水を集め、山口川、矢田川と名を変え瀬戸川と合流、更に香流川と合流、名古屋市北区の庄内橋辺りで庄内川と合流します。
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同じく、玉峯山・宝勝寺の境内から眺めた、矢田川方面の光景です。明和4年(1767年)の守山城址の南を流れる矢田川の氾濫は、名古屋東北部、西部を中心に溺死者2000人に及んだ大洪水でした。
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その状況について『守山市史』は、『明和4年7月10日より12日にかけて大雨、矢田川は八合八勺の出水、12日夜、猪子石、守山、比良、大野木の堤が切れ、また長母寺北の山がくずれて瀬ちがいとなり、(長母)寺は孤立し、守山村大門・秦江など砂入りとなった』と述べています。宝勝寺は無事だったようですが、守山から切り離されて矢田川の南になった長母寺は、現在は東区に位置します。
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