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平針(第一)古城より古い時代にあったと想定されている、平針(第二)古城が比定される場所の紹介です。城下公園・原中学校とその中間の区域です。平針街道の抑えに適した場所です。(ウィキペディア、あいちのお城めぐり)

2016秋、平針古城の伝承地(4/8):平針(第二)古城の伝承地、城下公園・原中学校との中間

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2016/11/18 - 2016/11/30

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

平針(第一)古城より古い時代にあったと想定されている、平針(第二)古城が比定される場所の紹介です。城下公園・原中学校とその中間の区域です。平針街道の抑えに適した場所です。(ウィキペディア、あいちのお城めぐり)

  • 『飯田街道』の道路標識です。現在も、歴史的にも複数存在する街道です。現在、地図や道路標識で確認できる尾張地区(名古屋)の飯田街道は、名古屋城下から八事興正寺に向って斜めに貫く愛知県道56号名古屋岡崎線沿いの天白川を超えて平針までの部分です。この場所は、天白川を東に渡った平針区域です。

    『飯田街道』の道路標識です。現在も、歴史的にも複数存在する街道です。現在、地図や道路標識で確認できる尾張地区(名古屋)の飯田街道は、名古屋城下から八事興正寺に向って斜めに貫く愛知県道56号名古屋岡崎線沿いの天白川を超えて平針までの部分です。この場所は、天白川を東に渡った平針区域です。

  • 『平針(第二)古城』の伝承地の目印となる、平針西口交差点です。名古屋城方面からは、天白川に架かる天白橋を東に渡って、200メートルほどの場所です。交差点の東南側からの撮影です。

    『平針(第二)古城』の伝承地の目印となる、平針西口交差点です。名古屋城方面からは、天白川に架かる天白橋を東に渡って、200メートルほどの場所です。交差点の東南側からの撮影です。

  • 平針西口交差点の南側一帯の案内地図です。手元のガイドブックには、『平針(第二)古城』の伝承地見学の目標とした『城下公園』の名前が記載されていませんでしたが、この地図で確認できました。地図の中央の原4丁目に表示されていました。

    イチオシ

    平針西口交差点の南側一帯の案内地図です。手元のガイドブックには、『平針(第二)古城』の伝承地見学の目標とした『城下公園』の名前が記載されていませんでしたが、この地図で確認できました。地図の中央の原4丁目に表示されていました。

  • 平針西口交差点の南角にあるマックスバリュからは、100メートルもない距離でした。この辺りは、まだマックスバリュの南側の光景です。四差路交差点から眺めた、東方面の光景です。マックスバリュは、以前は松坂屋ストアだった建物です。

    平針西口交差点の南角にあるマックスバリュからは、100メートルもない距離でした。この辺りは、まだマックスバリュの南側の光景です。四差路交差点から眺めた、東方面の光景です。マックスバリュは、以前は松坂屋ストアだった建物です。

  • 同じく、マックスバリュの南側の四差路交差点から眺めた、西方面の光景です。左上方面に公園らしい場所の木立が見えていました。最初の目的地の『城下公園』のようです。

    同じく、マックスバリュの南側の四差路交差点から眺めた、西方面の光景です。左上方面に公園らしい場所の木立が見えていました。最初の目的地の『城下公園』のようです。

  • 『城下公園』の大木の光景です。常緑樹のクスノキ(楠、樟)のようでした。『平針(第二)古城』の伝承地に相応しい名前の公園です。この公園からその南にある天白中学校の北辺りまでが、平針(第二)古城』の伝承地になります。

    『城下公園』の大木の光景です。常緑樹のクスノキ(楠、樟)のようでした。『平針(第二)古城』の伝承地に相応しい名前の公園です。この公園からその南にある天白中学校の北辺りまでが、平針(第二)古城』の伝承地になります。

  • 『城下公園』の東北角付近の光景です。公園の東側が長く、平行する西側が短い四角形の公園敷地です。東西の敷地境が並行した、台形と表現できる敷地です。

    『城下公園』の東北角付近の光景です。公園の東側が長く、平行する西側が短い四角形の公園敷地です。東西の敷地境が並行した、台形と表現できる敷地です。

  • 『城下公園』の東北角付近にあった公園の出入口です。公園敷地は周りより1メートル以上高く、敷地の中でも北側が高く、自然の傾斜に従って南側が少し低くなっていました、

    『城下公園』の東北角付近にあった公園の出入口です。公園敷地は周りより1メートル以上高く、敷地の中でも北側が高く、自然の傾斜に従って南側が少し低くなっていました、

  • 公園の中から眺めた北側方面の光景です。隣接した場所に、広大な敷地の屋敷がありました。城主やその一族の末裔を連想してしまいますが、『平針(第二)古城』は、『第一古城』よりも古い時代とだけ推測亜sれていますが、城主などは不詳です。もちろん、縄張りなども分かりません。

    公園の中から眺めた北側方面の光景です。隣接した場所に、広大な敷地の屋敷がありました。城主やその一族の末裔を連想してしまいますが、『平針(第二)古城』は、『第一古城』よりも古い時代とだけ推測亜sれていますが、城主などは不詳です。もちろん、縄張りなども分かりません。

  • 公園敷地の東北角付近から眺めた、西方向の光景です。すぐ前に見えているのが、公園の北側の出入口です。

    公園敷地の東北角付近から眺めた、西方向の光景です。すぐ前に見えているのが、公園の北側の出入口です。

  • 同じく、公園敷地の東北角付近から眺めた、公園内の西方向の光景です。昨日が雨でしたが、随分と泥濘(ぬかるみ)が多い公園でした。水はけがよくない粘土質の土壌のようです。

    同じく、公園敷地の東北角付近から眺めた、公園内の西方向の光景です。昨日が雨でしたが、随分と泥濘(ぬかるみ)が多い公園でした。水はけがよくない粘土質の土壌のようです。

  • 公園内の東端を南に向かって歩きました。公園全体に、泥濘ができていました。削り取られた固い地盤の土地ではなく、埋め立てられた土地のための現象かもしれません。

    公園内の東端を南に向かって歩きました。公園全体に、泥濘ができていました。削り取られた固い地盤の土地ではなく、埋め立てられた土地のための現象かもしれません。

  • 公園の縁ではなく、広場の中央付近にあった木立の光景です。その紅葉の樹の周りは地盤が固いのか、泥濘はできていませんでした。その高さまで、周りが土盛りされた可能性はあるようです。

    公園の縁ではなく、広場の中央付近にあった木立の光景です。その紅葉の樹の周りは地盤が固いのか、泥濘はできていませんでした。その高さまで、周りが土盛りされた可能性はあるようです。

  • 公園の脇に立てられていた町内会の広報版です。町名確認に参考となりました。原学区の原四丁目第二町内会でした。

    公園の脇に立てられていた町内会の広報版です。町名確認に参考となりました。原学区の原四丁目第二町内会でした。

  • 『城下公園』の南側の区域境の光景です。公園の北側に比べますと、1メートル程は公園内の地盤が低くなっていました。正しくは、周りの地盤が1メートル程高くなっているためのようです。低い石垣での土留め工事がされていました。

    『城下公園』の南側の区域境の光景です。公園の北側に比べますと、1メートル程は公園内の地盤が低くなっていました。正しくは、周りの地盤が1メートル程高くなっているためのようです。低い石垣での土留め工事がされていました。

  • 『城下公園』の西側の区域境の光景です。地形確認のため、公園の外周を一回りすることにしました。公園の西南角付近からの撮影です。

    『城下公園』の西側の区域境の光景です。地形確認のため、公園の外周を一回りすることにしました。公園の西南角付近からの撮影です。

  • 公園の西側の出入口光景です。道路との段差が少ない、南寄りにありました。この出入口を含め、公園には四方に1箇所ずつ出入口がありました。

    公園の西側の出入口光景です。道路との段差が少ない、南寄りにありました。この出入口を含め、公園には四方に1箇所ずつ出入口がありました。

  • 『城下公園』の北側の区域境の光景です。褐葉や、紅葉の大木がありました。まだ緑なのは、黄葉をする公孫樹の樹でした。損も銀杏の木は、法面から生えていました。褐葉の樹は、プラタナスでした。

    『城下公園』の北側の区域境の光景です。褐葉や、紅葉の大木がありました。まだ緑なのは、黄葉をする公孫樹の樹でした。損も銀杏の木は、法面から生えていました。褐葉の樹は、プラタナスでした。

  • 北側の出入口横にあった、公園の名前が記された標識です。『城下公園』の文字だけがありました。名古屋市の天白土木事務所の管理です。昭和56年(1981年)に開園した、広さ0.49ヘクタールの街区公園です。少し広めの公園敷地でした。

    北側の出入口横にあった、公園の名前が記された標識です。『城下公園』の文字だけがありました。名古屋市の天白土木事務所の管理です。昭和56年(1981年)に開園した、広さ0.49ヘクタールの街区公園です。少し広めの公園敷地でした。

  • 『城下公園』の西北角付近の光景です。周りの道路とは、目測で1.5メートル内外の地盤差がありました。この辺りでも、埋もれた部分を含めて石垣2段だけの低い土留め工事でした。

    イチオシ

    『城下公園』の西北角付近の光景です。周りの道路とは、目測で1.5メートル内外の地盤差がありました。この辺りでも、埋もれた部分を含めて石垣2段だけの低い土留め工事でした。

  • 『城下固円』内の褐葉と紅葉の光景です。奥の方に四本並んだ樹々はケヤキ(欅)のようです。黄葉に近い褐葉の色でした。

    イチオシ

    『城下固円』内の褐葉と紅葉の光景です。奥の方に四本並んだ樹々はケヤキ(欅)のようです。黄葉に近い褐葉の色でした。

  • 『城下公園の西南角付近に生えていた大樹の光景です。昭和20年(1945年)の終戦から70年ほどが経ちますから、樹種によってはこの高さに成長していても不自然ではありません。昭和56年(1981年)の開園の時に苗木ですと、その半分の35年程ですから、この大きさは無理かもしれません。

    『城下公園の西南角付近に生えていた大樹の光景です。昭和20年(1945年)の終戦から70年ほどが経ちますから、樹種によってはこの高さに成長していても不自然ではありません。昭和56年(1981年)の開園の時に苗木ですと、その半分の35年程ですから、この大きさは無理かもしれません。

  • 同じく公園内の光景です。この辺りは、比較的少ない泥濘でした。南面当たりだったようです。城跡の遺跡が残っていないのは、屋敷周りに堀を巡らし、土塁を積んだ備えの城だったためでしょうか、石垣は使用されていなかった可能性が高いようです。

    同じく公園内の光景です。この辺りは、比較的少ない泥濘でした。南面当たりだったようです。城跡の遺跡が残っていないのは、屋敷周りに堀を巡らし、土塁を積んだ備えの城だったためでしょうか、石垣は使用されていなかった可能性が高いようです。

  • 公園の西側の光景です。1段だけの石垣ですが、その石垣が埋もれた部分がありました。この埋もれ方は、土留めの石垣の施工が先で、その後に、周りの道路が整備された名残のようです。あるいは、区画整理に伴って、旧公園が拡張された名残かも知れません。残念ながら、土塁跡とまでは想像は膨らみませんが、気には懸かります。

    公園の西側の光景です。1段だけの石垣ですが、その石垣が埋もれた部分がありました。この埋もれ方は、土留めの石垣の施工が先で、その後に、周りの道路が整備された名残のようです。あるいは、区画整理に伴って、旧公園が拡張された名残かも知れません。残念ながら、土塁跡とまでは想像は膨らみませんが、気には懸かります。

  • 『城下公園』の西側にあった出入口の光景です。一回りして、周りの道路よりは東西南北の四方ともに公園の敷地が高くなっていました。自然の地形ではなく、盛り土かも知れませんし、小高い部分を均した結果かも知れません。土地所有の変遷や、区画整理の時の資料が残っていれば、確認できる可能性はあります。

    『城下公園』の西側にあった出入口の光景です。一回りして、周りの道路よりは東西南北の四方ともに公園の敷地が高くなっていました。自然の地形ではなく、盛り土かも知れませんし、小高い部分を均した結果かも知れません。土地所有の変遷や、区画整理の時の資料が残っていれば、確認できる可能性はあります。

  • 『城下』の名前は、公園だけでなく住宅にもありました。城下公園の南にあった『城下荘』の文字が記された建物です。

    『城下』の名前は、公園だけでなく住宅にもありました。城下公園の南にあった『城下荘』の文字が記された建物です。

  • 城下公園から、周りを見渡しながら南下しました。その時の光景です。住宅と工場が混在するように見えた区域でした。

    城下公園から、周りを見渡しながら南下しました。その時の光景です。住宅と工場が混在するように見えた区域でした。

  • 城下公園の南から、原中学校の北側の通りまでは、途中、3本の東西の通りがありました。区画整理が済んだ区域ですから、『平針(第二)古城』をイメージできるものは何も残されていませんでした。<br />

    城下公園の南から、原中学校の北側の通りまでは、途中、3本の東西の通りがありました。区画整理が済んだ区域ですから、『平針(第二)古城』をイメージできるものは何も残されていませんでした。

  • 前方に学校が見えてきました。原中学校のようです。原小学校も南に隣接しています。この学校の北から、城下公園にかけてが、『平針(第二)古城』の伝承地です。先ほど紹介したように、途中に3本の東西の通りがありました。

    前方に学校が見えてきました。原中学校のようです。原小学校も南に隣接しています。この学校の北から、城下公園にかけてが、『平針(第二)古城』の伝承地です。先ほど紹介したように、途中に3本の東西の通りがありました。

  • 先程の写真で、左手に見えていた果樹園です。周りより、1メートル程、地盤が高くなっていました。城下公園を連想するような高さでした。

    先程の写真で、左手に見えていた果樹園です。周りより、1メートル程、地盤が高くなっていました。城下公園を連想するような高さでした。

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