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平針(第一)古城の時代からあったと想定される平針の古刹、祥雲山・秀伝寺の紹介です。針名神社、秋葉山に至近の場所にあります。創建は、明応2年(1498年)とされます。(ウィキペディア、あいちのお城めぐり)

2016秋、平針古城の伝承地(3/8):平針(第一)古城の時代からの平針の古刹、秀伝寺、山門

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2016/11/18 - 2016/11/30

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旅人のくまさん

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平針(第一)古城の時代からあったと想定される平針の古刹、祥雲山・秀伝寺の紹介です。針名神社、秋葉山に至近の場所にあります。創建は、明応2年(1498年)とされます。(ウィキペディア、あいちのお城めぐり)

  • 『瑞雲山・秀伝寺』の山門光景です。創建は明応2年(1498年)とされる古刹です。文禄元年1588年)焼失し、廃寺となりましたが、慶長17年(1612年)、徳川家康の命により、満嶺徳充和尚が再興したお寺です。

    イチオシ

    『瑞雲山・秀伝寺』の山門光景です。創建は明応2年(1498年)とされる古刹です。文禄元年1588年)焼失し、廃寺となりましたが、慶長17年(1612年)、徳川家康の命により、満嶺徳充和尚が再興したお寺です。

  • 禅宗のお寺ではよく見かける『不許葷酒入山門』の石碑です。かなりの年代を経ていました。曹洞宗とされますから、やはり禅宗のお寺でした。

    禅宗のお寺ではよく見かける『不許葷酒入山門』の石碑です。かなりの年代を経ていました。曹洞宗とされますから、やはり禅宗のお寺でした。

  • こちらはまだ新しい、『祥雲山・秀伝寺』の石碑です。新しい石碑ですが、『伝』の文字は旧字体でした。城東西国10番お札所と、尾張四国73番お札所のお寺です。塀の外に、枯山水風の小さな庭が造ってありました。<br />

    こちらはまだ新しい、『祥雲山・秀伝寺』の石碑です。新しい石碑ですが、『伝』の文字は旧字体でした。城東西国10番お札所と、尾張四国73番お札所のお寺です。塀の外に、枯山水風の小さな庭が造ってありました。

  • 山門越しに眺めた本堂方面の光景です。創建が明応2年(1498年)とされる古刹です。平針古城と同時代と予想されます。

    山門越しに眺めた本堂方面の光景です。創建が明応2年(1498年)とされる古刹です。平針古城と同時代と予想されます。

  • 山門を潜って左手にあった、紅葉の楓の樹です。僅かばかりの紅葉の樹ですが、白い壁によく似あいました。

    山門を潜って左手にあった、紅葉の楓の樹です。僅かばかりの紅葉の樹ですが、白い壁によく似あいました。

  • 紅葉のカエデの葉のズームアップ光景です。カエデ(槭、槭樹、楓)は、ムクロジ科(旧カエデ科)カエデ属の木の総称とされます。

    紅葉のカエデの葉のズームアップ光景です。カエデ(槭、槭樹、楓)は、ムクロジ科(旧カエデ科)カエデ属の木の総称とされます。

  • 秀伝寺の境内光景です。人気者らしい蛙の石像がありました。口を真一文字に結んでいますが、癒し系の顔です。

    秀伝寺の境内光景です。人気者らしい蛙の石像がありました。口を真一文字に結んでいますが、癒し系の顔です。

  • 和洋折衷の造りの、庫裏らしい建物の光景です。様式の白い壁に、本瓦の軒屋根と玄関がありました。山門を潜った左手方面にあった建物です。

    和洋折衷の造りの、庫裏らしい建物の光景です。様式の白い壁に、本瓦の軒屋根と玄関がありました。山門を潜った左手方面にあった建物です。

  • 堂々とした姿の大型の石灯篭の光景です。家康の命により再建された時代のものでしょうか、年代は確認できませんでした。

    堂々とした姿の大型の石灯篭の光景です。家康の命により再建された時代のものでしょうか、年代は確認できませんでした。

  • こちらは、標準的な造りのスマートな姿の春日灯篭の光景です。人気の高い灯篭ですから、現代でも製作が続いています。ネット情報で目にする値段も立派です。

    こちらは、標準的な造りのスマートな姿の春日灯篭の光景です。人気の高い灯篭ですから、現代でも製作が続いています。ネット情報で目にする値段も立派です。

  • 一対で設置してあった、もう一方の春日灯篭の光景です。スマートで人気の高い灯篭ですが、現代では弱点となっているのが耐震性のようです。

    一対で設置してあった、もう一方の春日灯篭の光景です。スマートで人気の高い灯篭ですが、現代では弱点となっているのが耐震性のようです。

  • 年代物の石碑ですが、文字が読み取れませんでした。梵語、サンスクリット語で記してあるようでした。予想される文字は、阿弥陀仏、釈迦如来か、寺名などです。

    年代物の石碑ですが、文字が読み取れませんでした。梵語、サンスクリット語で記してあるようでした。予想される文字は、阿弥陀仏、釈迦如来か、寺名などです。

  • 山門の外にも同じ石碑がありましたが、境内にも『祥雲山・秀伝寺』の石碑がありました。お役を務めあげて、この位置に基礎ごと移設されたようです。

    山門の外にも同じ石碑がありましたが、境内にも『祥雲山・秀伝寺』の石碑がありました。お役を務めあげて、この位置に基礎ごと移設されたようです。

  • 蓮座の上に立つ、観音菩薩の石像のようです。『観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)』、『観自在菩薩(かんじざいぼさつ)』や、『救世菩薩(くせぼさつ、ぐせぼさつ)』などの多数の別名があります。サンスクリット(梵語)の『アヴァローキテーシュヴァラ』の意訳を語源とする説が有力です。

    蓮座の上に立つ、観音菩薩の石像のようです。『観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)』、『観自在菩薩(かんじざいぼさつ)』や、『救世菩薩(くせぼさつ、ぐせぼさつ)』などの多数の別名があります。サンスクリット(梵語)の『アヴァローキテーシュヴァラ』の意訳を語源とする説が有力です。

  • 観音菩薩らしい立像があった付近の前庭光景です。本堂に向かって左手になります。

    観音菩薩らしい立像があった付近の前庭光景です。本堂に向かって左手になります。

  • お揃いの赤い前掛けをした、六地蔵尊の光景です。仏教の教えでは、人は死後に、地獄、畜生、餓鬼、修羅、人、天という六道の境涯を輪廻・転生するといわれます。そのそれぞれに、衆生救済のために配される地蔵尊の六分身です。

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    お揃いの赤い前掛けをした、六地蔵尊の光景です。仏教の教えでは、人は死後に、地獄、畜生、餓鬼、修羅、人、天という六道の境涯を輪廻・転生するといわれます。そのそれぞれに、衆生救済のために配される地蔵尊の六分身です。

  • お寺や神社に付き物の蘇鉄の光景です。その後ろに、既に紹介した庫裏らしい建物がありました。

    お寺や神社に付き物の蘇鉄の光景です。その後ろに、既に紹介した庫裏らしい建物がありました。

  • 秀伝寺の本堂光景です、御本尊は、享保10年(1725年)に制作された釈迦牟尼仏です。このお寺は、1612年に徳川家康の命により、龍谷寺から満嶺徳充和尚を招いて再興された歴史を持ちます。

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    秀伝寺の本堂光景です、御本尊は、享保10年(1725年)に制作された釈迦牟尼仏です。このお寺は、1612年に徳川家康の命により、龍谷寺から満嶺徳充和尚を招いて再興された歴史を持ちます。

  • 金文字で認められた、『祥雲山』の扁額の光景です。

    金文字で認められた、『祥雲山』の扁額の光景です。

  • 『十三重石塔』の光景です。この『十三重石塔』で有名なものが、京都府立宇治公園中の島に建つ高さ約15メートルの石塔です。現存する日本最大の最古の石塔される、鎌倉時代のものです。国の重要文化財に指定されています。

    『十三重石塔』の光景です。この『十三重石塔』で有名なものが、京都府立宇治公園中の島に建つ高さ約15メートルの石塔です。現存する日本最大の最古の石塔される、鎌倉時代のものです。国の重要文化財に指定されています。

  • 柵で囲われた、本堂前の庭園光景です。推測ですが、幼稚園が併設されたお寺ですから、園児が立ち入らないように柵が設けられているようでした。

    柵で囲われた、本堂前の庭園光景です。推測ですが、幼稚園が併設されたお寺ですから、園児が立ち入らないように柵が設けられているようでした。

  • 雨受けの石枡の側面に記されていた『五七の桐紋』です。桐紋は、皇室から下賜された有力武将から、更にその臣下へ与えるというかたちで増えていったようです。信長や秀吉は拝領したようですが、家康は固辞したと伝わります。

    雨受けの石枡の側面に記されていた『五七の桐紋』です。桐紋は、皇室から下賜された有力武将から、更にその臣下へ与えるというかたちで増えていったようです。信長や秀吉は拝領したようですが、家康は固辞したと伝わります。

  • 本堂の右手にあった、純和風の立派な建物です。庫裏でしょうか、あるいは本堂と役割を分担した堂宇かも知れません。

    本堂の右手にあった、純和風の立派な建物です。庫裏でしょうか、あるいは本堂と役割を分担した堂宇かも知れません。

  • 『ソテツ(蘇鉄)』の光景です。先に紹介した庫裏のような建物に遭ったものとは別の樹です。本堂の右前にありました。

    『ソテツ(蘇鉄)』の光景です。先に紹介した庫裏のような建物に遭ったものとは別の樹です。本堂の右前にありました。

  • 奉納の石像ですが、謂れをまだ調べていません。

    奉納の石像ですが、謂れをまだ調べていません。

  • 真ん中ほどに丸い穴が開いた庭石の光景です。禅問答の様なイメージがありました。

    真ん中ほどに丸い穴が開いた庭石の光景です。禅問答の様なイメージがありました。

  • 正面から見上げた本堂光景です。中央に、先ほど紹介した『祥雲山』の扁額が懸かっていました。

    正面から見上げた本堂光景です。中央に、先ほど紹介した『祥雲山』の扁額が懸かっていました。

  • 本堂の脇にあった墓地の光景です。歴代住職のお墓でしょうか、無縫塔が並び、その後ろに地蔵尊が置かれていました。

    本堂の脇にあった墓地の光景です。歴代住職のお墓でしょうか、無縫塔が並び、その後ろに地蔵尊が置かれていました。

  • 同じく、斜め前から眺めた墓地の光景です。平針古城に関する墓石が見付かるかどうか、迷いましたが、探すのは諦めました。

    同じく、斜め前から眺めた墓地の光景です。平針古城に関する墓石が見付かるかどうか、迷いましたが、探すのは諦めました。

  • これで、『祥雲山・秀伝寺』の紹介はおしまいです。最後にもう一度紹介する本堂の全景です。徳川家康が再建を命じたお寺であることは、今回調べてみて初めて知りました。

    これで、『祥雲山・秀伝寺』の紹介はおしまいです。最後にもう一度紹介する本堂の全景です。徳川家康が再建を命じたお寺であることは、今回調べてみて初めて知りました。

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