2015/08/02 - 2015/08/02
83位(同エリア1420件中)
こあひるさん
1昨年は青森ねぶた、昨年は秋田竿燈まつり、そして今年は弘前ねぷたまつり。
弘前の街には、江戸時代からの現存天守を有する12城のひとつ・・・東北地方で唯一の弘前城や、明治・大正時代の洋館、そして国指定重要伝統的構造物群保存地区になっている武家屋敷街があったり・・・と、見どころがいっぱい!そして何よりも、アップルパイの食べ比べもしてみた〜い!
最初は2泊3日のプランだったのだが、エクスカーションとして、田んぼアートが有名な田舎館や、こみせと呼ばれるアーケードつきの家並みが美しい黒石などに、列車1本で日帰りできると知り、直前になって1泊追加して、3泊4日の旅となった。
今夏の東北は異常に暑く、弘前も蒸し暑かった〜〜!肌がじりじりと痛いほどの日射しが照りつけ・・・プラン通りには周り切れなかったが、それもまぁ、暑い夏には予想範囲内であり・・・充実した弘前の旅となった。
まずは弘前到着から、フレンチレストランでのランチ・・・そして弘前城天守のある弘前公園へ・・・。
弘前公園
http://www.hirosakipark.jp/
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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仙台駅9:16発の東北新幹線で新青森へ・・・新青森からJR奥羽本線に乗り換えて約30分・・・弘前に到着したのはちょうど正午ころ。
仙台から弘前までは、直に高速バス(しかもトイレ付き)もあるのですが、4時間半かかるので・・・色々と見たいスポットが多そうなので、少しでも時間節約のため、新幹線を選びました。
弘前駅につくと・・・さっそく駅構内に、小型の扇ねぷたが飾られていました。中の灯りもついているみたいですが・・・あまりわかりません。弘前駅 駅
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弘前駅から、宿泊する弘前国際ホテルまでは徒歩15分ほどらしいです。駅と弘前公園とのちょうど中間くらいになるのかな。
荷物を持ったままなので、フレンチランチは、ホテルへ向かう途中にあるレストランを選びました。
駅前にも扇ねぷたが置かれ、太鼓演奏をして気分を盛り上げてくれます。
明るいところで近くで見ると、扇の部分って、もっとピンと張っているものと思っていたら、わりとベコベコとしてるんですね。ねぷたは、やはり暗くなって灯りが点らないと、いまいちだな〜・・・と思いました。でも、純粋な色彩は、昼間のほうが鮮明です。 -
駅前から、イトーヨーカドーのある大通りを通って、ランチを予約してあるレストランへ向かいます。
駅周辺は、どこの地方都市にもありがちな風景。 -
予約した12時半ぴったりに「フランス食堂 シェ・モア弘前」に到着しました。
弘前には、フランス料理研究会が考案した「洋館とフランス料理の街」というコンセプトのもと、地元の素材を活かしたフランス料理のお店がたくさんあるということで、2日間はフレンチランチを・・・とプランしています。
だからといって・・・こだわってここに行ってみたい!と思い入れのあるお店があるわけでもないので、歩き回るスポットのルートをイメージして、そこから一番近そうなレストランを選びました。
おまつりシーズンなので、混んでいて待たされるのは時間の無駄だと思い、一応予約は入れておきました。フランス食堂 シェ・モア グルメ・レストラン
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レストランの中は・・・席数が多く、なんだか詰め込みすぎのような・・・落ち着かないといったら落ち着かないような・・・雰囲気かな・・・。お客さんの人数に対して、調理人や配膳人がたぶん少ないんだと思います。フランス並みに待たされました(笑)。
今日の午前中は、雨が降ったようで(新青森辺りでもパラついてました)今も曇っていますが・・・そのせいかかなり蒸し暑くて、ワインよりも・・・スパークリングものやビールが飲みたい気分です。
弘前はりんごの街なので、シードルを頼みました。 -
わが家は、メインが一皿のAランチにしました(1780円)。メインは、いくつもの種類から選べるのですが、追加料金が必要なものもけっこうあり、つい、2〜300円ならいいか・・・と追加料金の発生するメニューを選んでしまいます(笑)。上手くできてるな〜ぁ。
プチ・オードブル。 -
冷製スープ。
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いろいろなお肉や魚介の中で、わが家は二人とも、ホタテを選びました。
連れ合いは、チーズっぽいクリームがけのホタテ。 -
私はシンプルにグリルしたホタテ。
青森なのでホタテは美味しいだろう〜と二人とも思ってオーダーしたのですが、なんだか普通だったなぁ・・・このランチのホタテに関しては・・・ちょっとだけガッカリだったかな。 -
デザートと紅茶(かエスプレッソ)
フランス食堂 シェ・モア弘前
http://chezmoihirosaki.com/ -
弘前国際ホテルへ向かう途中・・・道は1本遠回りになりますが、ちょうど「日本聖公会 弘前昇天教会」を通ることができるので、回り道していきます。
英国国教会系の教会で、大正時代に建てられたゴシック様式の赤煉瓦づくりの聖堂は、アメリカ人が設計したもの。弘前昇天教会 寺・神社・教会
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司祭がいれば開館している・・・との前情報でしたが、残念ながら、お留守のようで・・・教会の扉は施錠され、中には入れませんでした。
外国人が設計したものだというので、内部もちょっと見てみたかったですね。 -
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鐘は、礼拝の前に鳴らされ、普段は朝と夕の2回、日曜日には4回鳴らされています。12使徒を意識してもらうために、1度に12回鳴らすそうです。信者の方が亡くなった時には、1度にその方の年齢の数だけ鳴らすそうです。
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裏手のほうにも周ってみましたが・・・目新しいものは発見ならず・・・。
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まだわずかに紫陽花が残っていました。
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さて・・・弘前国際ホテルへ向かうため、ホテルが面している通りに出ました。
ここは、1日〜4日まで、ねぷたの土手町コースになっている通りです。
この通りは、わりと賑やかな商店街なのですが、各お店の前には、各お店が自分たちやお得意さま用にキープしていると思われるパイプ椅子が早々と並べられています。
通りの向こう側の円錐屋根の時計台があるお店は「一戸時計店」。明治32年に、陸軍の御用商人が広告塔として建てたそうです。
商店街全体の雰囲気も、なんとなく昔ながら・・・でいい感じですね。一戸時計店 名所・史跡
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ホテルに荷物を預けて・・・通りを弘前公園の方へ向かってさらに進みます。
各店舗前では、こんな感じで席とりしてあるのが、どうやら毎年当たり前の風景になっているようです。
一般の観客は、このように歩道が狭いため、椅子の後ろに場所をとるのは無理なので、椅子がないところになりますね。すでに、歩道の地べたに場所取りしている人もチラホラいないわけじゃありません(今は14時半ころです)。
シートを敷いて、上に折り畳みの小さな椅子等を置いて飛ばないようにしたり、ガムテープで四角く印をつけたり(これはいけないと思いますけどね)したまま、特に見張りがいない場所取りも見かけましたので、場所取りに関しては、案外ゆるくて大らかなのかもしれません。 -
ちょっとレトロっぽい香りの商店街。
今のところ、場所取りするには全然早すぎのように見えます(わが家は場所取りするつもりはないのですが)。 -
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大正13年(1924)に創業の弘前無尽株式会社が、自社ビルとして昭和2年(1927)に建てた「三上ビル」。
弘前に現存する最も古い鉄筋コンクリート建造物です。アールデコ調のデザインが特徴で、現在もバーや喫茶店などが営業しています。
こちらのビルについては、明日、近づいてゆっくり見たいと思います。
今日は、とにかく弘前城を見るのがメイン。総面積が約50haとかなり広く、閉園の17時までに全部見きれるかどうかわかりませんが、とりあえず、天守だけでも見ないと・・・。 -
三上ビルのあった交差点から、お濠に突き当たるまでの300mほどの広い通りが桜大通りという名前になっていて、有料観覧席が設置される場所になっています。
ねぷたは、こんな感じで倉庫の中にしまわれているんですね。 -
桜大通りを進むと、外濠にぶつかりました。そこから一番近い追手門に向かいます。
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これ、全部桜なんですよね〜〜ぇ。満開のときには、ものすごいだろうな〜と想像できます。
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追手門から園内へ入ります。
弘前公園は、面積約49万2千?・・・皇居の約半分の広さがあります。
六郭(本丸、二の丸、三の丸、四の丸、北の郭、西の郭)より成り、三重のお濠と土塁でめぐらされた城郭となっています。
現在では、江戸初期に建てられたとされている、3つの隅櫓(丑寅櫓、辰巳櫓、未申櫓)と5つの城門(追手門、南内門、東内門、東門、北門))が現存し、いずれも重要文化財に指定されています。 -
城門の屋根にも鯱がついているんですね。尾鰭が元気に跳ね上がった鯱です。
弘前城には、築城当初10棟の城門があったとされていますが、現在まで残っているのは5棟です。
弘前城の城門は、周辺を土塁で築き、内外に枡形を設けた2層の櫓門で、簡素な素木(しらき)造りとなっており、戦国時代の古い形式を残すものとして、全国の城郭建築のなかでも珍しいものとされています。
藩政時代の初期の頃を除いて、この門が正門とされていました。 -
追手門は三の丸にあります。
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弘前城は、津軽統一を成し遂げた津軽為信によって慶長8年(1603)に計画され、二代藩主信枚(のぶひら)が慶長15年(1610)に着手し、翌16年に完成しました。以後、弘前城は、津軽氏の居城として、廃藩にいたるまでの260年間、津軽藩政の中心地となりました。
明治28年(1895)に弘前公園として開放され、昭和27年(1952)には史跡に指定されています。
明治末期ころから市民による桜の寄贈が盛んになり、現在は、ソメイヨシノやシダレザクラ、八重桜など約2600本余りの桜が、春になると園内を埋め尽くします。 -
三の丸の追手門から入って、とにかく天守のある本丸へと急ぎます。
三の丸には植物園もありましたが、今は15時なので・・・植物園に寄っていたら、天守までたどり着けないかも・・・と思い、三の丸はさくさくと素早く通り抜けます。
中濠をはさんだ向こうが二の丸になりますが、現存する3つの櫓のひとつ「辰巳櫓(たつみのやぐら)」が、木々の合間から何とか見えました。桜の葉っぱが茂りすぎていて、こっちからはこれくらいしか見えません(笑)。
城郭にとりつく敵への攻撃や物見のために造られたもので、防弾・防火のために土蔵造りとなっています。1、2層は四間四方の同面積ですが、3層目を小さくし、屋根は入母屋にしています。
歴代の藩主は、この櫓から、三の丸を通る弘前八幡宮の山車行列などを観覧したと伝わっています。
櫓の名前は、天守から見た方角を12支で示したもので、辰巳は南東に当たります。 -
中濠に架けられた「杉の大橋」から二の丸へ・・・。
園内の水濠には、8つの橋が架けられています。
この橋は、築城当時、スギ材でつくられた橋であったため、杉の大橋という名が付けられたとされています。
戦になると敵の侵入を防ぐため壊される架け橋でした。そのため、壊すにしても焼き払うにしても、柔らかく燃えやすい性質を持ったスギが用いられたと考えられます。
文政4年(1821)、濠の両側が石垣となるとともに、ヒノキ材による架け替えが行われ、欄干と擬宝珠(ぎぼし)が付け加えられました。弘前公園 (弘前城) 公園・植物園
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「杉の大橋」を渡るとすぐに、南内門。
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南内門を入った二の丸には、先ほどよく見えなかった「辰巳櫓」、そして反対側に「未申櫓(ひつじさるのやぐら)」があったのですが、この時には急いでいたので、そのまま二の丸は通り抜けてしまいました。
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内濠に架けられた、二の丸と本丸をつなぐ「下乗橋」が見えてきました。
藩政時代、二の丸側には下馬札が置かれ、藩士は馬から降りるよう定められていました。下乗橋の名は、そのことに由来すると思われます。
築城当初、橋の両端は土留板でしたが、文政11年(1811)に石垣に直されました。
藩政時代は、戦になると敵の侵入を防ぐため壊される架け橋でした。そのため今に見られる立派な姿ではなく、簡素なものだったと考えられています。 -
さすがに歴史ある城郭内だけあって、古木があちこちに見られるのですが、こちらは「二の丸大シダレ」と呼ばれる、園内で最も太いシダレザクラ(だった)。
大正3年(1914)に宮城県人会から寄付されたうちの1本だそうで、平成23年12月の大雪により根元から倒れ、24年1月に主幹の3分の1を切除して立て直したそうですが、ほとんどの根が切断されてしまったため、再生に向けて治療中なんだそうです。
上手く再生するといいですね。 -
これが倒れてしまう前の大シダレ。さくらまつり期間中には、ライトアップされ、撮影スポットとして人気があったそうです。
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内濠に架かった下乗橋を渡って、本丸へ渡る・・・この位置が、桜シーズンには撮影スポットのようです。
確かに・・・朱い橋と、お濠(今は、本丸を曳屋して移動させる準備のため、埋め立てられています)と、天守と・・・バッチリ揃って入りますね。弘前公園 (弘前城) 公園・植物園
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本丸の石垣修復工事のため、8月下旬から10月までの2ヵ月ほどをかけて、少しずつ天守を約70m、本丸の内側へ移動させる準備が着々と進行中。
こんな光景も、今しか見られないので・・・まぁ、貴重といえば貴重・・・(?)。 -
現代になって復元されたお城には、さほど興味はないのですが、日本で現存している江戸時代の12天守のうちのひとつで、東北地方に現存する唯一のものと聞いたら、これは見とかなくちゃね〜!と連れ合いと楽しみにしてきました。現存の城を見るのは初めてです。
しかし実は・・・前情報不足で、現在は、曳屋の準備のために天守に入れない・・・ということを全く知らず、ここで初めてそのことを知り、ちょっとショック〜〜!今になって見たら、HPにも明記してあるし、チケットの窓口にもその旨が貼ってありましたけど、この時点まで全く気付かず・・・。
修復工事の機器や車が周りにたくさんあって、どこから天守に入るんだろう?と、その辺にいた地元か工事か・・・のおじさんに尋ねて、今は入れないってことを初めて知りました〜〜(来年4月1日からは、移設先で天守は公開の予定だそうです)。 -
しかし・・・私としては、天守に上れなかったショックよりも・・・天守が・・・想像していたよりもあまりにも小さかったので・・・そっちのほうがかなりショックでした(ほかの城をあまり知らないので、鶴ヶ城くらいのイメージでいたんです)。
それもそのはず・・・実はこの天守は、もともと築城当時の天守ではなかったのです〜(これにもビックリ)。
もともとこの辺りの地は鷹丘(高岡)と呼ばれており、城の名称も鷹丘城(高岡城)でした。
築城当初の天守は5層(5階建)で、本丸の南西隅に建てられていました。現在、「本丸未申櫓跡」といわれる石垣が、旧天守台のあった場所です。
ところが、寛永4年(1627)、その五層の天守は、落雷により焼失してしまいました。
土地の旧名である高岡が、現在の弘前に改められたのは、その翌年のことで、これには魔除けの意味がこめられていたと言われています。
その後長らく、弘前城は天守を持たぬ城となっていました。これは、幕府から弘前藩に対し、天守新造の許可が下りなかったためだと言われています。
文化7年(1810)に、第九代藩主・寧親(やすちか)の時代に、隅櫓の改築という名目で、当時、現在の場所にあった本丸辰巳櫓を解体して新造したのが現在の(3層の)天守なのです。
幕府から天守新造の許可が下りた理由としては、この数年前に弘前藩が蝦夷地(北海道)警備の任にあたってその功績が認められたことや、当時、ロシア船が津軽海峡を往来し、その防備のため、という説が一般的です。
また、この建物はあくまで天守の代用であって、当時は「御三階櫓」と呼ばれていたとも言われています。 -
天守のある本丸は、面積が約1万4千?、四方に石垣が築かれ、藩政時代には御殿や能舞台が建てられていました。
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歴史を感じるような立派な木が目を惹きます。
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今日(18日)テレビで、天守が何十センチかジャッキで持ち上げられたニュースを何度も見たので、これから毎日少しずつ、70m先の予定されている場所へ動いていくわけです。
お城の重さは、400トンあるって言ってました。
石垣の修復が終わり、天守が元の位置に再び戻るのは平成33年度の予定だそうです。 -
現在の天守の位置から、赤いところまですこ〜しずつ、解体せず天守そのままの形で移動させていきます。天守が小さいので、曳屋という方法が可能なのかもしれません。
実は、明治時代にも天守台下石垣の崩落が起こり、そのままだと天守まで崩落する危険性があったため、明治30年(1897)に、弘前市出身の大工棟梁・堀江佐吉が、天守を西側に曳屋して、石垣を修復しています。
それ以降、およそ120年ぶりの天守の曳屋という珍しい光景が、今から10月頃まで見られるということです。 -
本丸の南西隅にある「本丸未申櫓(ひつじさるやぐら)跡」。築城当時、ここに5層の天守閣がありました。
寛永4年(1627)に落雷で焼失したため、隅櫓が建設されました。 -
「本丸未申櫓跡」・・・旧天守からの眺め(建物が無いので、高さは低いでしょうが)。木々が茂りすぎていて、向こうが見えません。
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本丸の西側の眼下には、蓮池濠があり、今時期には蓮がびっしり水面を埋め尽くしていました。
今日は曇っていて遠くまで見渡せませんが、ほんとうは、背景に岩木山がバッチリ見えるらしいです。
ここ本丸と蓮池のあたりでは、標高差17mあるそうです。
下に降りて、蓮池を近くで見たい気はしましたが・・・上って戻って来るのは・・・この蒸し暑さの中ではうんざりで・・・降りませんでした。 -
この井戸枠は、天守より約65m北側の石垣沿いにあったものですが、本丸石垣修理に伴い、移設したものだそうです。
昭和初年に撮影された写真に、この井戸枠が見えるそうですが、造られた時期についてはわかっていません。
巨石を加工して造られており、一辺136cmの正方形で角が面取りされ、高さは71cm、穴の直径は95cm。重量は、約2・4tと推測されます。石質は、デイサイトかデイサイト質の凝灰岩であり、岩木山産出の輝石安山岩を用いた本丸石垣の石材とは異なっているそうです。
移設された井戸枠だけなので、井戸にはなっていません。 -
籠城の際に、生命線となる井戸。
弘前城の絵図面によれば、本丸内にはこの他にも数か所の井戸があったことが分かっていますが、現在その跡が確認できるのはここだけです。 -
かつて本丸には色々な建物があったのに、今は桜の木で埋め尽くされています。
桜のシーズンにはホント、ものすごくキレイでしょうね〜ぇ。 -
本丸の北東にある「本丸戌亥櫓(いぬいのやぐら)跡」。
こちらの隅櫓も土蔵造りであったようで、櫓下には番所があって、本丸の北側にある「北の郭(くるわ)」から、櫓台下を通る本丸への通路がありました。 -
本丸から、内濠に架けられた鷹丘橋。
弘前城は、寛永5年(1628)に改称される以前には、鷹丘城(高岡城)と呼ばれていました。
鷹丘橋は、四代藩主・信政が、母の屋敷のある「北の郭」を行き来するために架けたものとされています。
藩政時代は、敵の侵入を防ぐため、戦時には壊される架け橋でした。 -
鷹丘橋を渡ります。
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ほんと、お濠だらけだね〜ぇ。
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「北の郭(くるわ)」は、西方から北方にかけて高さ6mあまりの崖に面しています。北東隅には、二の丸に現存する3棟の櫓と同規模の3層の「子の櫓」がありました。
発掘調査により、「子の櫓」のほかに、「館神(たてがみ)」、「籾蔵」などの跡が確認され、本丸に次ぐ重要な郭であることが明らかになりました。
まずは「館神跡」。
館神は、二代藩主・信枚(のぶひら)が、太閤秀吉の木像をご神体として安置した場所でした。ここでは、藩主や城内の安全などにかかわる加持祈祷が執り行われており、ここに出入りできたのは、藩主や神官やその家族など、ごく限られた人のみでした。
平成11年〜12年の発掘調査では、鳥居の礎石や本殿の柱穴、柵列跡などの遺構が確認されたほか、藩政時代の陶磁器や土器が多数出土しました。 -
発掘された遺構は、盛り土により保護し、その上に鳥居の礎石や柱、本殿の柱、柵列の柱を表示してあります。
こちらは、本殿柱跡の表示。 -
鳥居跡の表示。鳥居の奥に本殿・・・という位置関係です。
通路は、遺構の配置や絵図を参考に設定されたものです。 -
「館神跡」から見える天守・・・桜のシーズンには、ここもすごくいい撮影スポットでしょうね!奥の朱い橋は、二の丸と本丸をつなぐ「下乗橋」です。
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「武徳殿休憩所」。
明治44年(1911)に演武場として竣工し、その後、休憩所として保存修理した建物です。
お土産や、喫茶コーナー、無料の休憩所になっています。 -
ひとりでちょっと覗いてみました。中は冷房が効いていて、とっても涼しくてきもちいい〜〜。でも、店員さん以外、誰もいません。
そういえば、今、ねぷたまつり期間中なのに、弘前城、とっても空いているんですよねぇ。天守に入れないせいなのかしら? -
「子の櫓(ねのやぐら)跡」。
「北の郭」北東隅の土塁上には、藩政時代を通して、「子の櫓」という3層の櫓がありました。櫓の中には、武具のほかに藩庁日記なども保管されていました。
「子の櫓」は、廃藩以降もその姿を留めていましたが、明治39年(1906)に花火のため焼失してしまいました。
平成13年度の発掘調査により、正方形に並ぶ櫓の礎石と石段が確認されました。
櫓の礎石には、石切の際の矢穴や、柱を据えた窪みのあるものがあり、中央には束石(つかいし)があります。櫓の規模は、4間×4間(約8×8m)であり、二の丸に現存する3棟の櫓と同規模となります。 -
土塁もあちこちで目にすることができます。
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さっきとは違う方向から、二ノ丸にまた戻ってきました。
こちらには「二の丸東門与力番所」があります。
与力とは、上級武士に仕えていた人々のことで、その与力が見張り役として警備をした詰所(番所)を与力番所といいます。
与力番所は、城内の要所に配置され、藩政時代には追手門与力番所、三の丸東門与力番所など12ヵ所に建てられていたと伝わっています。 -
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「二ノ丸与力番所」あたりから見える天守。桜が咲いていたら、これも撮影スポットだね〜!
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与力番所のすぐそばには東内門。というより、東内門のそばに与力番所があるといったほうがいいのかな。
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暑さで体力消耗が激しく(笑)・・・すでにかなり疲れてきちゃったけど、一応四の丸にも寄っていきたいので、東内門をくぐらずUターンして北方向へ進みます。
このあたりは、日本庭園のような造りになっていて美しいです。どうやら、この池のすぐそばに(子供用の遊具が置いてあるあたりに)、3棟の現存する櫓のうちの「丑寅櫓(うしとらのやぐら)」があったらしいですが、ちょうどこの池あたりで遊歩道へ戻っちゃったから・・・全然気づかなかったわ〜('◇')ゞ・・・。 -
二ノ丸から、三の丸にある「賀田御門跡(よしだごもんあと)」を通って四の丸へと向かいます。
築城当初は、北門(亀甲門)が城の表玄関で、ここにあった「賀田門」は、三の丸の北門として、旧賀田城(岩木町大浦城)の大手門を移築したと伝えられています。門の内外は、直進できないように折れ曲がった桝形に造られており、堅固な備えをみせています。 -
四の丸にある「青森縣護国神社」。高さ15mの大鳥居。
津軽藩主・津軽承昭(つぐあきら)により函館戦争の戦没者慰霊のため、明治3年に創建されたもの。昭和14年、一府県一社を原則とした内務大臣指定護国神社となったものです。
幕末・明治維新以来、日清戦争、日露戦争、大東亜戦争など多くの戦争で亡くなった青森県出身の29171柱の御霊が祀られています。 -
鳥居をくぐった先も、すてきな桜並木。そんなに巨木ではないけれど、キレイに並んでいるので、ここも桜がキレイだろうなぁ。あれ?桜じゃなく梅かな・・・?
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仲の鳥居をくぐると拝殿。
もうすぐお盆だからかな・・・それらしい準備がなされています。青森県護国神社 寺・神社・教会
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明治時代に創建された当時の建物のようです。
弘前は空襲を受けなかったので、古い建物も(保存しようと思えば)たくさん残っているんですね。弘前城も然り。 -
拝殿の隣には、神楽殿。
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神社にしては、美しい文字のご朱印(こら!)。
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護国神社から北門へ至る広場は、さくらまつりには、露店がいっぱい出ていそうなスペースだね。
16時をまわりました。天守に入って上ったりすることがなかったので、思っていたよりも早く見終わっちゃった・・・。これなら植物園見れたかもね〜〜。でも・・・もう・・・蒸し暑くてバテバテ・・・。
今日は、お店の都合で17時半に夕食の予約をしてあり、そろそろホテルの方向へ戻る心構えをしないと・・・。
観光スポットがあるエリアには、100円の土手町循環バスが10分おきに走っているのですが、弘前公園の北側までは走っていなくて・・・。ほかの100円バスについては、運行本数が少ないし・・・いまいち使えなかったなぁ。頑張れば(暑くさえなければ)歩ける距離なんだよねぇ、大体。 -
「北門(亀甲門)」から出ます。
ホテルの方向に戻るなら、公園内を戻っても同じなんですけれど、道路の方が早いかな・・・。
中国の古い言い伝えで、北方の守護神として玄武という亀の神様がいたとされており、お城の北側にある門の別名が亀甲門とされたのは、この伝説に由来していると言われています。
築城後間もなくは、この門が弘前城の正門とされていましたが、やがて追手門が正門となり、この北門は裏門の扱いとなりました。弘前公園 (弘前城) 公園・植物園
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現存している5棟の城門の中で、特に規模が大きく、また形状も異なり、最古の形式を呈しています。
北門は、もと大光寺城(現在の南津軽郡平賀町)の城門を、慶長16年、二代藩主・信枚が築城にあたり、弘前城追手門として移築再建したもので、昭和33年の保存修理工事に当たっては、柱などから多数の矢傷跡が発見されています。
弘前城は、築城以来、実戦の経験がないため、この北門が城郭内で唯一、実戦の痕跡をとどめる貴重な城門となっています。 -
「北門(亀甲門)」から外濠を渡って公園から出ました。
続きま〜す。
弘前公園
http://www.hirosakipark.jp/
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この旅行記へのコメント (4)
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- aoitomoさん 2015/08/20 01:51:51
- 『弘前城』貴重な歴史的瞬間です。
- こあひるさん
『弘前昇天教会』
こんなゴシック様式の教会が日本で見られることに驚きました。
しかも、煉瓦造りで。
内部も、Web検索で見ましたが、フォトジェニックな木組みの内装が凄いです。
また、機会あればこあひるさんに内部の撮影もしてもらいたいです。
『三上ビルなど』
昭和初期、映画『三丁目の夕日』にでてくるような建物に感動します。
続きで旅行記を期待しておきます。
『弘前公園』
広大な敷地面積に驚きます。
夏の暑い時に、こあひるさんのパワフルさにも驚きます。(笑)
『天守』
曳屋の準備中だったのですね。
400トンをどのように、ずらして動かすのか気になります。
へんなところにヒビが入ったり、弱った構造材が折れないかとか。
このような技術も進んでいるのですね〜
天守には入れないかわりに貴重な光景を見ることができましたね。
『8つの橋』
水濠に8つも橋があると、橋を含めた景観も気になりますね。
今回もかなりの下見もできたのではないでしょうか。
桜のシーズンは天守の場所が違う弘前城の写真も撮れそうです。
フットワークの軽いこあひるさんなら、桜の季節も訪れそうです。
GoogleMapのstreetviewが桜満開となってます。
『井戸』
生命線となる井戸ですから、井戸がたくさんあると水が豊富というイメージで戦いにも粘り強いと感じさせます。
ですからダミー井戸あるいは、あまり水量が豊富でない井戸なども城内には作ったりします。
ですから、そんな井戸もあったのかな〜って思いました。
和歌山城もそんな井戸があります。
『本丸』
本丸にはどんな建物が立っていたのか、ネットでCGでもいいので再現してほしいと思ってしまいます。
想像力が無いもので。(^_^;)
クーラーの部屋で涼みながら旅行記楽しませていただきました〜
次の旅行記も楽しく拝見させていただきます。
aoitomo
- こあひるさん からの返信 2015/08/22 15:27:12
- RE: 『弘前城』貴重な歴史的瞬間です。
- aoitomoさん、こんにちは。
イギリス風のレンガ造りの教会・・・内部を見ることができなくてちょっと残念でした。ガイドブックによっては、外観のみ・・・とあるので、内部はラッキーじゃないと見れないのかもしれませんね。
三上ビルは、ほんとい〜い感じの・・・銀座あたりの裏道に残っているような取り残されたようなレトロな雰囲気が抜群でした。この翌日にもっと探索してみたので、見てくださいね。
弘前公園は、広大な敷地で・・・歴史スポットを全部見ていると、1日がかりだろうと思います。桜シーズンに訪れることがあったら、桜を見るだけでもかなり・・・時間を要すると思います。公園内あちこち、桜が茂ってすごいのですが、今回は行かなかった西濠のあたりも、並木道になっていて桜スポットのようです。
石垣の修復工事のことは知ってましたが、まさか天守を曳屋して動かす壮大なプランだとは知りませんでした。事前に、HPを見てなかったのは間抜けでした。この時にはまだ曳屋が始まっていなかった上、天守内部も見れなくて・・・タイミングはいまいちでしたが・・・10月くらいまでは、曳屋が見れるので、その時期に訪れるとかなり珍しい光景が見れるんでしょうね〜〜。
弘前城が居城として存在していたころには、多くの桜の木があったわけでもないし、橋も取り壊し可能なシンプルなものだった・・・ってことなので、私たちが見ている弘前城のイメージとは少し違うんですね。
曳屋先の位置だと、岩木山がバックになるそうで、それも貴重な風景らしいです。弘前の桜は一度は見に行ってみたいですが・・・仙台の地元の人も言うように、桜のタイミングに合わせていくのはなかなか難しいようです(仙台からちょっと遠いですので)。わが家は、今のところ、GWに海外旅行ってパターンになってるので、北東北の桜もそうですが、最近では、春のお花たちを撮りに行けないのが悩ましいところ・・・。
お城についてはあまり知識がないので・・・井戸って確かに籠城するには命綱だし、普段の生活でも、必需ですものね〜。ダミーの井戸まで作っていた・・・ってお話は、時代背景を反映していて面白いですね。
本来の5層の天守・・・ほんとにCGでいいので見たいですね。もしかしたら(今の)天守には色々な資料展示があるようなので、そこに何かしらあるのかもしれません。でも、本丸の建てられていた敷地は小さそうなので、やっぱりそんなに大きくなかったのかも(鶴ヶ城なんかに比べて・・・ですが)。
夏祭りの時期の観光は・・・秋田の時にヘトヘトになり、ほとんど歩き回れなかったので・・・計画通りに周れないことを覚悟していきました。ま、ねぷたが目的なので、いいか・・・と(のわりに3泊って・・・)。
こあひる
-
- ムロろ~んさん 2015/08/19 16:06:21
- フランス料理をいただきながら街を巡る旅!
- こあひるさん
こんにちは、ムロろ〜んです。
弘前に行かれた旅行記を拝見しました。
私も和風も洋風もどっちも好きですけれど、機内食を選ぶ際にはやはり洋風を選んじゃいますf^_^;。
フランス料理研究会が考案した「洋館とフランス料理の街」というコンセプトのもと、地元の素材を活かしたフランス料理のお店がたくさんあるというなら私も絶対チョイスしちゃうと思います。
しかもランチなら1780円と安いと思いましたよ。
でもメインがイマイチだったのは残念だったよう。
私も迷う方なので、給仕さんに一押しのものをお願いしていただくんです。
やはりおススメとあって美味しかった思い出が結構あるんですよ(^_-)-☆。
弘前のちょっと面白いコンセプトに妙に興味を持ってしみました。
ムロろ〜ん(-人-)
- こあひるさん からの返信 2015/08/21 12:32:25
- RE: フランス料理をいただきながら街を巡る旅!
- ムロたん、こんにちは〜!
弘前にフレンチレストランが多い(ほかのお料理のお店も多いですが)っていうので、今回の旅は、ねぷたの外に、フレンチとアップルパイってテーマで行きました(笑)。
自分たちの散策ルート上に近いお店を選んだのですが、まぁ・・・わざわざ弘前でフレンチ・・・ってそんなにこだわんなくてもいいのかな・・・って感じでした。
でもアップルパイについては、扱っているお店も多く、各店舗によってさまざまな個性があり、それぞれ形も味も違うので、アップルパイめぐりはものすごく楽しめました。
また弘前に行ったら、今回食べていない中からいくつか食べたい〜〜!と思いました(アップルパイについては、のちに1つの旅行記にまとめたいと思っています)。
海外では、よくわからなかったら、おすすめは?って聞くのがいいって読んだことがあります。
日本だと、わが家は素材によって選んじゃうことが多いかなぁ。
こあひる
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