2015/08/04 - 2015/08/04
88位(同エリア1403件中)
こあひるさん
弘前滞在3日目。
今日は、城下町を守護するために造られた2ヶ所の寺町を散策する。
そして午後からは、弘前からちょっと足を延ばして・・・家々の庇に覆われた通路「こみせ」を持つ商店が軒を連ねる・・・風情ある黒石まで行ってみようと予定している。
ただ・・・寺町にはあまりにも寺が多すぎて・・・もちろんすべてを見て周るつもりはないし、その必要もなさそうなのだが・・・それにしても、どのお寺に寄ってみるか・・・こればかりは行ってみないとわからなそう・・・。
先ずは、3代藩主・信義によって造られた、弘前城の南に位置する新寺町(しんてらまち)の寺院街から訪れた。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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朝食には、前日に買い貯めたアップルパイを分けて食べました。
ホテルの部屋の窓からは・・・う〜〜ん、今日も岩木山は良く見えないなぁ、晴れてるんだけど・・・。今日は、朝から日射しが照り付け・・・ますます暑くなりそう・・・。スマイルホテル弘前 宿・ホテル
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新寺町までは、ホテルから歩いてもいけそうな距離ではありましたが、午後から黒石に行きたいので、時間節約と体力温存のため、最初のスポット最勝院までタクシーで行きました。
タクシーはいきなり、この寺の一番の見どころである五重塔の前で降ろしてくれました。
金剛山光明寺最勝院(真言宗智山派)。
国指定重要文化財である五重塔は、津軽統一の際、戦死したすべての人々を敵味方の区別なく供養するため、3代藩主・信義が明暦2年に着工し、寛文7年(1667)の4代藩主・信政の時代に完成しました。
塔の総高は31・2m。総高に対して相輪部分が長く、また、五重めの柱間が、初重の約半分となっています。
五重塔が少ない東北地方で、東北一の美塔と讃えられています。最勝院五重塔 寺・神社・教会
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寺の歴史は、天文元年(1532)、高僧弘信上人が、(弘前市)堀越城下に伽藍を造営し、開基したことに始まります。
慶長14年(1609)に、弘前藩2代藩主・信枚が弘前城を築城したことに伴い、慶長16年(1611)、城の鬼門(北東)である田町(現在地より北に3kmほど離れた場所)に寺院を移転し、弘前八幡宮の別当寺とされました。
12ヶ寺の塔頭寺院を擁し、また、津軽藩永世祈願所に定められ、寺禄三百石を賜り、手厚い保護を受けました。
しかし、明治の神仏分離令により、支配下の多くの寺院を合併し、田町から当地へ移転しました。その頃まで当地には、大圓寺という真言宗の寺院がありましたが、その大圓寺は南津軽郡大鰐町の高伯寺と合併し、そちらに移転しました。
そこで最勝院は、五重塔や本堂、諸堂、境内地など旧・大圓寺の総てを受け継ぎ、現在に至っています。
ということは、もともとは大圓寺というお寺の伽藍だったんですね〜〜。
五重塔の内部は、極彩色で彩られており、中央須弥壇には本尊の胎蔵界大日如
来、脇仏に稚児聖徳太子像、十王像が安置されているそうです。 -
五重塔の本尊は、明治時代の廃仏毀釈の動乱により、ずっと不在となっていましたが、平成15年春、約130年ぶりに、現在の2代目本尊が安置されました。
もともとの本尊は、金剛界大日如来だったとされていますが、すでに本堂に金剛界大日如来が奉安されていたため、胎蔵界大日如来を奉安することになったようです。
秘仏のようなので(公開の有無は不明)、最勝院で購入した絵はがきを撮ったものです。 -
境内は、こんな感じです(最勝院HPよりお借りしました)。
五重塔から、六角堂〜本堂辺りだけを脇にそれることなく歩き、境内図も見てなかったため、五智如来堂や聖徳太子堂など、ちっこい祠を全く見逃してしまいました〜(´゚д゚`)・・・。まぁ、仏像は見れないだろうから・・・。
旧仁王門を見損ねたのはちょっと残念だったかな。 -
六角堂。
本尊が如意輪観世音菩薩のため、正式には如意輪観世音菩薩堂です。弘前城下本町の豪商であった一野屋の当主・二代目一戸宇三郎庸友が、嫡男運次郎の供養の為に建立したもの。
しかしながら、こちらの本尊も、明治以降ずっと喪失していました。
また六角堂自体も、軸部の傾斜や破損、それに伴う内部雨漏りなど老劣化が進み、修繕するかどうするか・・・ということになっていました。
そんな折、本尊を新しく制作する運びとなり、六角堂も修繕して保存することとなりました。
平成19年、六角堂も大規模に修繕され、新たなご本尊も迎えることとなりました。 -
こちらが本尊の如意輪観世音菩薩。蓮華座に思惟する姿で座しています。こちらも最勝院で買った絵はがきを写したものです。
こちらの本尊は、年1回旧暦6月13日例大祭の日に御開帳されるようです。 -
護摩堂。
なんだか修繕中みたい・・・立ち入り禁止だし・・・。
護摩堂は、旧・大圓寺の本堂でした。本尊は、旧・大圓寺の本尊であった牛頭天王で、疫病除けの御利益があるとされています。 -
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津軽地方には、自分の生まれた年の干支を守り神として信仰する風習があり、これを「一代様」と呼んでいます。
最勝院の一代様は、卯年(文殊菩薩)なんですね。
本堂も修繕中のようです。お盆に向けての準備なのか、これから訪れる多くのお寺が、修繕中だったりお庭の手入れ中だったりの・・・真っ最中が多かったなぁ。最勝院 寺・神社・教会
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水屋。津軽産の総ヒバ、入母屋造り。
平成15年に、五重塔に新しいご本尊が奉安された際、21日間の開眼供養式が行われ、ご本尊の御開帳も行われました。その21日間に訪れた参拝者は3万人を数えたともいわれました。
多くの参拝者によって奉納された浄財について、蓄財するのではなく、何か記念のものを残そうという事になり、水屋を建立する事となりました。
水がめは、文久元年(1861)に造られたものがそのまま使われています。
まず目につくのは、見上げた時、四方の真ん中に鬼がいて、天井の梁を支えている姿。 -
最勝院の鬼たちは「護法四善鬼」(喜鬼、怒鬼、哀鬼、楽鬼)と呼ばれます。
もともと邪鬼でしたので、正しい教えや言葉に耳を貸さず、悪の道に浸りきり、世の中の人を悲しませ、怒らせ、邪悪な快楽の世界へ誘う悪行を繰り返し、困らせ続けてきました。
そこで、如来は忿怒の形相を示現し、明王に姿を変え、如来の教えに従わせることにより、邪鬼たちを迷いの淵から救い出そうと強く強く働きかけました。そしてついに、邪鬼たちは改心し、善鬼として如来の教えを信奉することとなりました。
この四体の善鬼たちは、人の感情の喜・怒・哀・楽を表し、また、仏法を護るべく、天井に彫られた光明真言を、渾身の力で必死に支えているのです。 -
龍神は、水天の使い。龍は、仏法を守護する八部衆のひとつでもあります。
こちらの龍神「バロダ龍王」は、水天の御真言が彫られた金の玉を持っています。 -
鬼が支える格天井の板の厚さは一寸五分(約4・5cm)。
この板に、Vの字に切り込むように刷毛書きの梵字が彫られています。この彫り方を「薬研彫り(やげんぼり)」といいます。
薬研彫りの梵字は、反転して彫られています。龍神よりお水を頂く時、水がめの水面に正しい梵字が映り込むようになっており、読誦することができるよう工夫が凝らされています。 -
龍神の口から出る水は、まずは蓮の葉に水を受け、水がめに水を静かに落とし込むことにより、水面を激しく乱さぬようになっています。
う〜〜!!??水面に映るという天井の梵字、見えないじゃないかぁ〜〜(;゚Д゚)・・・?な、なんで・・・(涙)(←連れ合いには、心が穢れてるからじゃないか?って言われたが・・・)
水面の梵字は、「オンアボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンド マ ジンバラ ハラハリタヤ ウン」と書かれているらしい。光明真言(大日如来の徳が凝縮された真言)というものだそうですが・・・映っていたにしろ、梵字じゃ読めないけどね〜。(←負け惜しみ) -
足元の敷石に彫られた蓮華座。
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水屋の一画にある輪廻塔。
1回転させると、100回まわすのと同じ意味になるそうです。輪廻転生からの解脱による後生の安楽を願うのものです。 -
昭和45年に建てられた本堂。本尊は金剛界大日如来(見てません)。
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卯年の一代守護神。
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卯年生まれの一代様は、文殊菩薩。学業に御利益があるとされています。
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案外、リアルで恐い・・・(笑)。
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本坊。お守りなど売っているところ。
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わ〜〜!四季それぞれの風景のお守り〜〜!迷う〜〜!
最近では、お守りの効力はほとんど信じてないけど(こら!)、可愛いお守りがあると、つい集めてしまう・・・。お守りコレクターのようになっています。 -
鐘楼。
藩政時代から戦前まで、森町(弘前城の南側、市役所の南側あたり)に、市民に時を告げた「時の鐘」がありました。しかし、戦時中の供出により、一時その姿を消しました。
昭和31年、商工会が中心となり普請を行い、最勝院境内に鐘楼を復原しました。基礎の石は、弘前公園本丸に建っていた藩祖・津軽為信公の銅像の台座であったもの。
後年、その鐘楼と梵鐘は、商工会から最勝院へ寄進され、現在は「平和の鐘」として、開放されています。 -
鐘楼と、その向こうに五重塔。
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さて・・・そろそろ次へ向かいます。
五重塔の横を通って・・・。 -
本来は、こちらの新仁王門から入って来るべきなのですね。
昭和58年(1983)、参道の整備とともに建てられました。 -
三十三観音。キレイな参道ですね。真夏で暑くてたまらんのに・・・なぜか紅葉の秋っぽい景色が妙・・・。
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こちらが新仁王門の正面です。左手に五重塔が見えます。
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新仁王門の金剛力士像は、岩木山の旧・百澤寺(現在の岩木山神社)の山門に安置されていたものと伝えられています。
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最勝院の御朱印とお守り。
金剛山最勝院
http://www15.plala.or.jp/SAISYOU/ -
新仁王門のすぐ隣に・・・(隣すぎる)・・・八坂神社の鳥居がありました。
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朱い鳥居をくぐると、直角の位置に石造りの鳥居があり、その向こうに拝殿が見えました。
こちらの鳥居をくぐって振り返ると・・・お隣の最勝院五重塔がばっちり見えます。鳥居と五重塔の妙なコラボ。 -
秋の五重塔(笑)。
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拝殿。参拝者もいませんが、神社にもひと気はないような感じ。
弘前八坂神社の創建は不詳ですが、正保4年(1647)、神仏習合していた大圓寺と共に、弘前城の戦略的、霊的拠点としてと共に現在地に移されました。
大圓寺の創建は、延暦年間(782〜806年)に、坂上田村麻呂が阿闍羅山に開いたのが始まりとされ、八坂神社はその鎮守社として勧請されたと思われます。
境内地は寺沢川と土淵川の合流地点で、弘前城から見て南側の防衛拠点になりうる場所だった事から、大圓寺には、3代藩主・信義の守り本尊である大日如来が安置され、水を司る牛頭天王が祀られました。
以来、歴代弘前藩主津軽家から祈願所として庇護され、社運(寺運)も隆盛しましたが、明治時代の神仏分離令により、大圓寺と分離し、明治4年(1871)には社号も、牛頭天王から八坂神社に改められました。
大圓寺は、大鰐町の高伯寺境内に移転させられ、その跡地には最勝院が移ってきています。
神仏習合時代は大圓寺と八坂神社の境内は一体でしたが、最勝院が移ってきた為、境内が分断され、現在に見られるように一之鳥居と二之鳥居の位置関係が直角となっています。
また、八坂神社の本地仏で仏教色が強かった牛頭天王像は、旧・大圓寺の本堂を引き継いだ最勝院の護摩堂の本尊として移され、八坂神社には改めて須佐之男命の分霊が勧請されました。
現在の社殿は、昭和21年に火災で焼失後の昭和24年に再建したもので、拝殿は入母屋、鉄板葺、妻入、正面1間向拝付。本殿は一間社、神明造、鉄板葺。
祭神は須佐之男命、奇稲田姫命、草野姫命、菅原道真公。
この神社も、もとは大圓寺の伽藍だったのかぁ〜〜。 -
神社境内。
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神社を出て、参道を通り、表通りへと出ます。
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最勝院から2〜300mほどのところにある「袋宮寺」。ここに安置されている高さ約5・9mの十一面観世音立像を見たくてやってきました。
ところで、新寺町とは・・・
もともと弘前城の東側にあった15ヶ寺を含む寺町(寺院街)が、慶安2年(1649)に起こった火事で焼失してしまったため、3代藩主・信義によって、慶安3年(1650)に現在の地(城の南側)に寺院群が移され、新たな寺町が造られました。これが新寺町です。
現在でも23ヶ寺が甍を連ねています。 -
鬱蒼とした木々の間に小さな本堂が見えます。延宝5年(1677)頃の建立と伝えられています。
袋宮寺本堂は、藩政時代には、天台宗の報恩寺の末寺であった無量院観音堂でしたが、明治の神仏分離の際に、(弘前市)樋の口の熊野宮別当であった那智山袋宮寺が移転・合併して以来、袋宮寺の本堂となりました。
神仏分離令によって、多くのお寺や神社に大きな動きがあったんですねぇ・・・。 -
この地に移転してくる前から存在した袋宮寺の創建は不詳ですが、古くは那智山袋宮寺と称し、弘前市樋の口町にある熊野宮の別当寺院でした。
熊野宮は弘前藩主の祈願所として庇護され、熊野宮には社領30石、袋宮寺には寺領50石が安堵され、寺運も隆盛し、津軽天台四山に数えられ、延宝年間(1673〜1681年)から延享3年(1746)の間の津軽三十三観音霊場では、第1番札所に選定されるなど、多くの参拝者が訪れました(現在、霊場からは除外されています)。袋宮寺 寺・神社・教会
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古来、津軽三十三霊場第1番札所であった那智山袋宮寺でしたが・・・現在では、この地に移転し・・・札所でもなくなり・・・境内には、ひっそりと・・・新しい西国三十三観音像が奉安されています。
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地蔵菩薩。
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境内に地蔵堂があります。
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このお地蔵さまも古そう。
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地蔵堂の戸は施錠されておらず、開けて参拝できました。
う・・・ん・・・ちょっと不気味な感じもするが・・・。 -
こちらが地蔵堂のお地蔵さま。手や持物が損なわれ、けっこう古そうです。
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かなり不気味な雰囲気を醸し出しているようだが・・・地蔵菩薩なんだから、怖いことはないはずだ・・・と自分をなだめつつ・・・。
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お地蔵さまのほかに色々奉納されていて・・・昔からずっと積み重ねられてきた願いや祈り・・・すがる気持ちや悲しみ、苦しみ・・・などの念が籠っていて・・・地蔵菩薩のせいじゃなく・・・独特の雰囲気がするのだろうな・・・。
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本堂を横から・・・。
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今は本堂となってますが、かつて観音堂だったことがわかる扁額です。
旅行前に、仏像はいつでも自由に見ることができる(ま、時間帯は昼間でしょうが)・・・と確認していたので・・・戸を開けて勝手に入ります。最初、扉が固くて、施錠しているのかと思って、一瞬、ガックリしました。 -
十一面観世音立像は、4代藩主・信政が、延宝5年(1677)、父・信義の菩提を弔うために、弘前城内の老木を使用し、無量院観音堂の本尊として造らせたものと言われています。
木を前後に割って内部をくり抜く技法で、頭部と両腕は金具で取り付け、全身を漆と金箔で仕上げています。
素朴な造りながら、江戸時代の地方にある仏像としては、総高が6mの大型なものであり、「背高観音」とも呼ばれています。 -
目を凝らして頑張って見つめても・・・小さなお堂なのでそんなに距離が遠いってほどでもないながらも、数mは離れていて・・・照明はなく・・・灯りの入るところが出入口の戸くらいなので暗く・・・背の高い観音さまのお顔は、肉眼でもよくわからないです。
小さな阿弥陀如来(かな?)が観音さまの太ももあたりにおられますね〜。
ISO感度を6400に上げてみましたが・・・それでもさすがにこの暗さには敵わない・・・。 -
フラッシュを焚くしかないか・・・と思い、ほんとに不躾だと思いながらも・・・ちょっと焚いてみた・・・。
フラッシュを焚いて写してからその液晶画面を見て、初めて、お顔や頭の十一面や瓔珞などの様子がわかりました。 -
しかしながら・・・フラッシュって・・・予想だにしなかった写り方に撮れてビックリすることが多々ありますが、これって私だけでしょうか・・・?光を調整しながら、長々と・・・すごく暑いお堂の中で四苦八苦・・・。汗が玉になって・・・顔を伝ってきます〜〜。
一緒にお堂に入った連れ合いは、暗くてな〜んにも見えないから、ただ蒸し風呂の中で耐えているようなもんで・・・これに懲りて、この後、どのお寺の本堂にも入らず、外で待っていることになりました。 -
観音像の横、板に素朴な絵が描かれているのが見てとれます。奉納した絵馬なのかな。
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頭上の阿弥陀如来には光背の輪っかまでついてるんですね〜。肉眼じゃ全然見えないです。
結局10分くらいは粘っていたかもしれない・・・ほんと〜〜に蒸し暑かった・・・。
観音さまにばかり集中して、どうやら天井に天女が描かれていたらしいですが・・・全く気付く余裕がなかったです(苦笑)。 -
境内は苔生し・・・木々が鬱蒼として・・・お堂から出ると涼しく感じます。
11時半になります。
新寺町の寺院街の中で、最勝院やこの袋宮寺は、少し離れて建っているので・・・これからお寺が軒を連ねる寺ストリートへ向かいます。
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この旅行記へのコメント (4)
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- ガブリエラさん 2015/09/03 14:02:06
- 綺麗なお顔の如意輪観音さま♪
- こあひるさん☆
こんにちは♪
最勝院の五重塔、本当に美しいですねヽ(^o^)丿
細工が細かくて、見入ってしまいました♪
そして、如意輪観音さまの半跏思惟像、お顔が綺麗で、やわらかい表情がなんともいえません(*^_^*)
東北の方には、美しい仏さまがいっぱいいらっしゃると、聞いたことがあったのですが、本当ですね♪
ますます、行ってみたくなりました(^_^)v
絵ハガキを買われて、素敵なお仏像を見せて下さって、本当にありがとうございました♪
ガブ(^_^)v
- こあひるさん からの返信 2015/09/07 09:57:52
- RE: 綺麗なお顔の如意輪観音さま♪
- ガブちゃん、おはよ〜!
最勝院五重塔は、日本の最北にある五重塔らしいですよ〜。下の層と上の層の長さに差があるので、すらりとして、いいスタイルですよね〜。
六角堂のご本尊の如意輪観音さま、なかなか魅力的ですよね〜。新しい仏像ですが、新しいからこそ、色が鮮やかで・・・モダンな感じがします。やさしいお顔ですね〜。秘仏なので、年に一度だけ御開帳があるようですが、それに合わせて・・・とはなかなかいかないので(弘前はちょっと遠い)、残念です。
東北の仏像は、素朴であか抜けないものが多いと思いますが、中には、都(京都)の仏師の影響が大きい美しい仏像もあるので、そういう仏像に巡り合えるとすご〜く嬉しいです。
こあひる
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- aoitomoさん 2015/09/03 12:55:28
- 袋宮寺も気に入りました〜
- こあひるさん
『最勝院』
境内も広く見所がたくさんで、暑いなか巡られたのでしょう。
良かったと思うのが、ご本尊などの写真の絵はがきが販売されていることです。
実際に見れないのなら絵はがきでもということになりますからね。
『水屋』
入母屋造りの護法四善鬼が支える水屋が、凝った造りになってますね〜
梵字は私もさっぱりですから、水面が鏡になっても同じですね〜
暗記して唱えましょうということでしょうね?!
『お守りコレクター』
私も記念みたいなつもりで、御朱印頂いてますからね〜
お守りコレクターもありだと思います。
こあひるさんの手に入れたお守りなどの写真を見るのも楽しいです。
『紅葉』
暑いはずなのに涼しげです。(笑)
本格的に秋になったら、さらに紅葉が美しくなるのでしょうね〜
『袋宮寺の地蔵堂』
不気味な感じ大好きです。
精神が揺さぶられるというか、何か訴えている感じがね〜
こあひるさんの戸を開けて参拝する度胸も凄い〜
行ってみたくなります。(笑)
『袋宮寺の菩薩立像』
ゆっくり見ることが出来ましたね〜
フラッシュも使えてラッキーです。
とにかく、暗いのはかないません。
しっかりとお顔などを拝見すべき照度が必要ですよ。
撮影してファインダーで気付くことも多いですからね〜
貴重な写真、拝見させていただきました〜
aoitomo
- こあひるさん からの返信 2015/09/07 09:50:38
- RE: 袋宮寺も気に入りました〜
- aoitomoさん、おはようございま〜す。
最勝院の五重塔は、ガイドブックなどでも紹介されていて、有名スポットのようですが、本堂などのことについては触れられていないので、行ってみて初めて、真言宗のお寺なんだ〜と知りました。一代様のうさぎが、うさぎ好きの私には嬉しかったんですが、残念ながらうさぎグッズはなかったです・・・。
水屋は新しいものですが、なかなか凝っていて素晴らしく、天井から、輪状に、糸で吊るされた梵字が並んでいるのが印象的でした。ちょっとカッコいいですよね、梵字って(こら!)。
ご本尊の絵はがきまで売っているような観光客向けの大規模なお寺は、ここだけでした。あとのお寺は、檀家さんや信徒さんメインの(葬式仏教の)お寺ばかりでしたので、そこまで観光客向けに用意はしていないようでした。
最近では・・・全く信心がないくせに、ご朱印同様、かわいいお守りをつい購入してしまう癖がつき・・・日常的に使っているリュックにジャラジャラと吊るしているので・・・他人から見たら、こいつ、何かに憑りつかれてるんだろうか・・・なにか不幸続きなんだろうか・・・病的に縁起かつぎなんだろうか・・・なんて思われているかもしれません(笑)。
袋宮寺の地蔵堂・・・に限らず・・・地蔵堂って、お地蔵さまはともかく、お供えしているものがなんか不気味っぽい雰囲気のことが多いですよね〜。戸が閉まっていましたが、戸を開けた所に賽銭箱がおいてあるので、たぶん日中は、わたしみたいに勝手に開けてお参りしてOKなんだと思います。
最近では、お寺の本堂でも、靴を脱いで階段を上がってみて(通せんぼしてあるところは入りませんが)、一応、お堂に入れないか・・・戸を確認してしまいます(笑)。
フラッシュを焚いて写して、後から液晶やPCで見ると、肉眼では見えなかったものが見えたり(これは有難いんですが)、あるいは、あまりにも予想外の写りになったり(真っ白だったり、真っ暗だったり)して、けっこう難しいな〜と痛感です。
そもそも、仏像を写す・・・ってことが・・・かなり無礼な行為のような気がして、気が引けるので(その割には、撮りたくて本堂にまで上がるのですが)・・・もっと明るくしてほしいなんて・・・言えません(笑)・・・。
そうはいっても・・・参拝するだけの場合でも、もっとお顔がよく見えるといいのにね・・・とは思います。でもこれはたぶん、仏像をじっくり見たいっていう・・・畏れ知らずの欲望だけのため・・・なのかもしれませんね。
こあひる
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