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フレンチランチを楽しんだ後は・・・<br /><br />先ほどまでの洋館めぐりとガラリと変わって・・・武家屋敷街の散策。<br /><br />弘前公園の北側に、伝統的建造物群保存地区となっているエリアがある。<br /><br />弘前城が造られると同時に、城のまわりにも町が造られたが、城の正面(築城当時は北門が正面だった)の守護のため、藩の役目のある武士を住まわせた。その武家町の一部が、現在、重伝建地区となっている。<br /><br />いくつか見学できる武家屋敷が残っているのだが、それよりも、通りに沿って植えられたサワラの生垣や黒板塀の景観がとても美しく、整然とした調和が醸し出す雰囲気が素晴らしい・・・武家屋敷街であった。

緑のサワラ生垣と、黒板塀が美しい・・・弘前の仲町武家屋敷街

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2015/08/03 - 2015/08/03

89位(同エリア1550件中)

旅行記グループ 弘前

4

64

こあひる

こあひるさん

フレンチランチを楽しんだ後は・・・

先ほどまでの洋館めぐりとガラリと変わって・・・武家屋敷街の散策。

弘前公園の北側に、伝統的建造物群保存地区となっているエリアがある。

弘前城が造られると同時に、城のまわりにも町が造られたが、城の正面(築城当時は北門が正面だった)の守護のため、藩の役目のある武士を住まわせた。その武家町の一部が、現在、重伝建地区となっている。

いくつか見学できる武家屋敷が残っているのだが、それよりも、通りに沿って植えられたサワラの生垣や黒板塀の景観がとても美しく、整然とした調和が醸し出す雰囲気が素晴らしい・・・武家屋敷街であった。

旅行の満足度
5.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
新幹線 JRローカル
旅行の手配内容
個別手配
  • 弘前城の南側から・・・北側へ・・・移動します。<br /><br />100円巡回バスがちょうどレストランの前を走っているのですが、武家屋敷街のある弘前公園の北側までは行ってない・・・途中まででもいいから乗って行こうか・・・と思ったものの・・・バス停がよくわからずウロウロしているうちに、結局、暑くてカンカン照りの下・・・ダラダラと歩いて目指すことになってます。<br /><br />こちらの建物は、昭和3年築の「小堀旅館」。

    弘前城の南側から・・・北側へ・・・移動します。

    100円巡回バスがちょうどレストランの前を走っているのですが、武家屋敷街のある弘前公園の北側までは行ってない・・・途中まででもいいから乗って行こうか・・・と思ったものの・・・バス停がよくわからずウロウロしているうちに、結局、暑くてカンカン照りの下・・・ダラダラと歩いて目指すことになってます。

    こちらの建物は、昭和3年築の「小堀旅館」。

  • 時々、古い建物や蔵があったり・・・。

    時々、古い建物や蔵があったり・・・。

  • レストランを出てから30分ほどかかって、弘前公園の北側にたどり着きました。<br /><br />昨日と同じ、弘前公園の東側に沿って歩きました。<br /><br />同じルートを歩いても、いつもならば同じような写真をしつこく撮るのに・・・約20分間、全く写真がないので、思わず自分でも不思議に思って・・・連れ合いに、レストランからの後、タクシー使ったっけ?なんて、旅行記を作りながら聞いてしまいまいした。<br /><br />よっぽど暑くて・・・うんざりしながら歩いてたんだなぁ・・・。<br /><br />弘前公園北側のお濠に面した大通りを挟んで、向かい側にある「川崎染工場」。この大通りに面した家並みは、重伝建地区には入っていないようですが、江戸時代の住宅が並んでいます。<br /><br />川崎染工場は、江戸時代の紺屋の建物を今も使用し、藩政時代に行われていた津軽天然藍染めを体験できる施設となっています。

    レストランを出てから30分ほどかかって、弘前公園の北側にたどり着きました。

    昨日と同じ、弘前公園の東側に沿って歩きました。

    同じルートを歩いても、いつもならば同じような写真をしつこく撮るのに・・・約20分間、全く写真がないので、思わず自分でも不思議に思って・・・連れ合いに、レストランからの後、タクシー使ったっけ?なんて、旅行記を作りながら聞いてしまいまいした。

    よっぽど暑くて・・・うんざりしながら歩いてたんだなぁ・・・。

    弘前公園北側のお濠に面した大通りを挟んで、向かい側にある「川崎染工場」。この大通りに面した家並みは、重伝建地区には入っていないようですが、江戸時代の住宅が並んでいます。

    川崎染工場は、江戸時代の紺屋の建物を今も使用し、藩政時代に行われていた津軽天然藍染めを体験できる施設となっています。

  • そして・・・川崎染工場から、一本北側の通りを目指して角を曲がると・・・そこは突然の別世界!!緑が美しい生垣の連なる町並みにビックリ!

    そして・・・川崎染工場から、一本北側の通りを目指して角を曲がると・・・そこは突然の別世界!!緑が美しい生垣の連なる町並みにビックリ!

  • 大通りから一本北側の通りに来ました。この通りと、もう一本北側の通りを含むあたりが重伝建地区となっています。<br /><br />

    大通りから一本北側の通りに来ました。この通りと、もう一本北側の通りを含むあたりが重伝建地区となっています。

  • ほんとにキレイな町並みです〜〜!ちょっと感動〜〜!<br /><br />どのお家も生垣をキレイに刈り込んで・・・景観を保つのは大変でしょうね。

    ほんとにキレイな町並みです〜〜!ちょっと感動〜〜!

    どのお家も生垣をキレイに刈り込んで・・・景観を保つのは大変でしょうね。

  • 緑豊かな生垣は、サワラという木です。<br /><br />弘前にあるサワラの生垣は、サワラの木が雪に強く、生垣の形に整えやすいことから、弘前藩によって利用が進められた・・・と考えられています。<br /><br />生垣は、内から外を透かして見ることができ、しかも敵が攻めて来た時には、生垣を通して敵を槍で突くことができる・・・という説もあるそうです。<br /><br />この重伝建地区のサワラ生垣の長さは、全体で2700mくらいあります。

    緑豊かな生垣は、サワラという木です。

    弘前にあるサワラの生垣は、サワラの木が雪に強く、生垣の形に整えやすいことから、弘前藩によって利用が進められた・・・と考えられています。

    生垣は、内から外を透かして見ることができ、しかも敵が攻めて来た時には、生垣を通して敵を槍で突くことができる・・・という説もあるそうです。

    この重伝建地区のサワラ生垣の長さは、全体で2700mくらいあります。

  • 門や生垣の内部・・・各お宅は、新しい現代風のお家に建て替えられていますが、昔ながらの地割がほとんどそのまま残り、昔ながらの土地の使い方をしているお家が多いです。<br /><br />門、道路や隣地に面する部分のサワラ生垣や黒板塀、坪庭(観賞用の庭)、門から玄関や勝手口への飛び石、裏庭は畑にしたり梅や柿など実のなる木を植える・・・など、伝統的な景観が守られています。<br /><br />家屋が昔のまま・・・という点ではなく、昔のままの地割や門や生垣・・・などの伝統的な町並みが、重伝建地区に選定されたのです。

    門や生垣の内部・・・各お宅は、新しい現代風のお家に建て替えられていますが、昔ながらの地割がほとんどそのまま残り、昔ながらの土地の使い方をしているお家が多いです。

    門、道路や隣地に面する部分のサワラ生垣や黒板塀、坪庭(観賞用の庭)、門から玄関や勝手口への飛び石、裏庭は畑にしたり梅や柿など実のなる木を植える・・・など、伝統的な景観が守られています。

    家屋が昔のまま・・・という点ではなく、昔のままの地割や門や生垣・・・などの伝統的な町並みが、重伝建地区に選定されたのです。

  • この重伝建地区は、仲町伝統的建造物群保存地区と言いますが、「仲町」は地名ではありません。<br /><br />弘前城の西側を下町、東側を上町、その中間の北側を「仲町」と呼んだもので、仲町重伝建地区には、3つの町名が含まれます。<br /><br />それぞれの町名(若党、小人、馬喰)は、職業に関係のある名前ですが、時代によって町の名前や広さが変わったり、実際には身分の高い武士が住んだこともありました。

    この重伝建地区は、仲町伝統的建造物群保存地区と言いますが、「仲町」は地名ではありません。

    弘前城の西側を下町、東側を上町、その中間の北側を「仲町」と呼んだもので、仲町重伝建地区には、3つの町名が含まれます。

    それぞれの町名(若党、小人、馬喰)は、職業に関係のある名前ですが、時代によって町の名前や広さが変わったり、実際には身分の高い武士が住んだこともありました。

  • 江戸時代からの家屋は、個人のお家だとさすがに建て替えてしまって、見る限り残っていないようですが、自治体が関わっている4軒が、修理復原されて保存されており、一般公開されています。<br /><br />おまつり期間中には無休で、開館時間も拡大しているようですが、暑いせいなのか・・・洋館に比べると、あまりひと気がないですね・・・。<br /><br />私たちとほぼ同じコースで、フランス人の女の子が数人、武家屋敷を見学して歩いていました。武家屋敷をどう感じているのか知りたいですね〜〜。<br /><br />まずは・・・公開されている1軒目「旧岩田家住宅」。

    江戸時代からの家屋は、個人のお家だとさすがに建て替えてしまって、見る限り残っていないようですが、自治体が関わっている4軒が、修理復原されて保存されており、一般公開されています。

    おまつり期間中には無休で、開館時間も拡大しているようですが、暑いせいなのか・・・洋館に比べると、あまりひと気がないですね・・・。

    私たちとほぼ同じコースで、フランス人の女の子が数人、武家屋敷を見学して歩いていました。武家屋敷をどう感じているのか知りたいですね〜〜。

    まずは・・・公開されている1軒目「旧岩田家住宅」。

    旧岩田家住宅 名所・史跡

  • 仲町地区の保存を積極的に進めていた故岩田夏城氏の遺志によって、昭和56年、遺族から市に寄贈されたもの。市では、細部にわたって調査し、その結果に基づいて昭和57年に半解体修理工事を行い、一般公開されるようになりました。<br /><br />間口約16m、奥行約43mの細長い敷地は、藩政時代からほとんど変わっていないものです。

    仲町地区の保存を積極的に進めていた故岩田夏城氏の遺志によって、昭和56年、遺族から市に寄贈されたもの。市では、細部にわたって調査し、その結果に基づいて昭和57年に半解体修理工事を行い、一般公開されるようになりました。

    間口約16m、奥行約43mの細長い敷地は、藩政時代からほとんど変わっていないものです。

  • 建物は、道路から9mほど離れて建ち、その間が庭になっています。

    建物は、道路から9mほど離れて建ち、その間が庭になっています。

  • 「旧岩田家」は、約210年ほど前の、寛政年間末〜文化年間に建てられた武士の住居です。移築ではなく、もとからこの場所に建っていました。<br /><br />発掘調査や柱に残された痕跡から、建てて間もない時期に一度、曳家され、その後4回ほど間取りや造作などの改造がなされているそうです。岩田家が入居した明治時代に、使用人の部屋などを増築し、規模が大きくなりました。<br /><br />しかし、それらの改造はあまり大がかりではなく、柱や小屋組みなどの主要構造部材や茅葺屋根などは、ほぼ建築当初のまま現在に残っているそうです。<br /><br />中へ入ってみます。

    「旧岩田家」は、約210年ほど前の、寛政年間末〜文化年間に建てられた武士の住居です。移築ではなく、もとからこの場所に建っていました。

    発掘調査や柱に残された痕跡から、建てて間もない時期に一度、曳家され、その後4回ほど間取りや造作などの改造がなされているそうです。岩田家が入居した明治時代に、使用人の部屋などを増築し、規模が大きくなりました。

    しかし、それらの改造はあまり大がかりではなく、柱や小屋組みなどの主要構造部材や茅葺屋根などは、ほぼ建築当初のまま現在に残っているそうです。

    中へ入ってみます。

  • お庭。

    お庭。

  • 玄関から続く広間と座敷が接客部分にあたり、常居(居間)より北側が日常生活で使われる部分になっています。<br /><br />

    玄関から続く広間と座敷が接客部分にあたり、常居(居間)より北側が日常生活で使われる部分になっています。

  • 明治時代から住んでいた岩田家から受け継いだものなので、古い家財も色々ありそうです。

    明治時代から住んでいた岩田家から受け継いだものなので、古い家財も色々ありそうです。

  • このお家に関係あるのかよくわかりませんが、わりと年代物の鎧兜のようです。

    このお家に関係あるのかよくわかりませんが、わりと年代物の鎧兜のようです。

  • 土間の台所。

    土間の台所。

  • 常居。

    常居。

  • 建物の背面にも小さな庭をしつらえ、さらにその奥を、野菜や薬草を栽培する菜園として利用するほか、柿や梅などの果樹やクコなど薬用となる木を多く植えています。

    建物の背面にも小さな庭をしつらえ、さらにその奥を、野菜や薬草を栽培する菜園として利用するほか、柿や梅などの果樹やクコなど薬用となる木を多く植えています。

  • 井戸小屋や庭なども、市によって整備されました。

    井戸小屋や庭なども、市によって整備されました。

  • 古そうな松の木。立派で、美しい形状をしています。

    古そうな松の木。立派で、美しい形状をしています。

  • さて再び・・・美しい生垣に縁どられた通りを歩きます。

    さて再び・・・美しい生垣に縁どられた通りを歩きます。

  • このお宅・・・門と生垣はそのまま残っていますが、その内側は空き地になって草ぼうぼうになっていました。

    このお宅・・・門と生垣はそのまま残っていますが、その内側は空き地になって草ぼうぼうになっていました。

  • サワラ生垣のほかに、黒板塀も見られます。

    サワラ生垣のほかに、黒板塀も見られます。

  • このあたりは黒板塀が続き、なかなか落ち着いた景観です。

    このあたりは黒板塀が続き、なかなか落ち着いた景観です。

  • 「旧笹森家住宅」。宝暦6年(1756)の「御家中屋舗建屋図」(武家屋敷住宅図台帳)に、佐々森(笹森)傳三郎の家として、平面図が記載されています。<br /><br />建築当初は、仲町地区内北東部の小人町にあったものを、平成7年、所有者の小野氏から、市が主屋と門の寄贈を受けたもので、解体した部材を一時保存し、平成24年に現在地に移築復元しました。

    「旧笹森家住宅」。宝暦6年(1756)の「御家中屋舗建屋図」(武家屋敷住宅図台帳)に、佐々森(笹森)傳三郎の家として、平面図が記載されています。

    建築当初は、仲町地区内北東部の小人町にあったものを、平成7年、所有者の小野氏から、市が主屋と門の寄贈を受けたもので、解体した部材を一時保存し、平成24年に現在地に移築復元しました。

    旧笹森家住宅 名所・史跡

  • 江戸時代中期の建築で、この重伝建地区で現存する最古の武家住宅です。<br /><br />連れ合いは、靴を脱いだり履いたりが面倒な上、外で待っていた方がまだ暑さがマシ(屋内よりは風があるので)なので、門をはいったところにある休憩所のベンチで待っていることにしました。

    江戸時代中期の建築で、この重伝建地区で現存する最古の武家住宅です。

    連れ合いは、靴を脱いだり履いたりが面倒な上、外で待っていた方がまだ暑さがマシ(屋内よりは風があるので)なので、門をはいったところにある休憩所のベンチで待っていることにしました。

  • 常居。

    常居。

  • 玄関から広間を通り、床の間・縁側を設けた座敷に至る、接客を重んじる間取りになっており、弘前城下における中・下級の武家住宅の建築様式を伝えています。

    玄関から広間を通り、床の間・縁側を設けた座敷に至る、接客を重んじる間取りになっており、弘前城下における中・下級の武家住宅の建築様式を伝えています。

  • 縁側からの風景。

    縁側からの風景。

  • サワラの生垣は、よく見ると枝ぶりはこんな複雑になっています。

    サワラの生垣は、よく見ると枝ぶりはこんな複雑になっています。

  • 旧笹森家からすぐ・・・「旧伊東家住宅」。<br /><br />

    旧笹森家からすぐ・・・「旧伊東家住宅」。

    旧伊東家住宅 名所・史跡

  • この建物は、藩政時代に代々藩医を務めた伊東家の居宅として、今から約200年前の19世紀初期に、元長町に建てられたものです。<br /><br />昭和53年に弘前市が、伊東凌二氏から譲り受けたもので、その後、移築・復元工事を行い、昭和55年から一般公開しています。<br />

    この建物は、藩政時代に代々藩医を務めた伊東家の居宅として、今から約200年前の19世紀初期に、元長町に建てられたものです。

    昭和53年に弘前市が、伊東凌二氏から譲り受けたもので、その後、移築・復元工事を行い、昭和55年から一般公開しています。

  • 間取りは、式台構えの玄関を上がると広間があり、広間の横から座敷・板の間・次の間・常居がほぼ正方形に配置され、各部屋に長押しを廻しています。

    間取りは、式台構えの玄関を上がると広間があり、広間の横から座敷・板の間・次の間・常居がほぼ正方形に配置され、各部屋に長押しを廻しています。

  • 広間と常居の上には、1室となった中2階が造られています。

    広間と常居の上には、1室となった中2階が造られています。

  • 2階へは上がれませんが、写真で様子がうかがえます。格子窓がついています。

    2階へは上がれませんが、写真で様子がうかがえます。格子窓がついています。

  • 欄間。

    欄間。

  • 隣接する敷地に「旧梅田家住宅」もあるので、そちらへ行ってみます。<br /><br />裏手から見た旧伊東家。

    隣接する敷地に「旧梅田家住宅」もあるので、そちらへ行ってみます。

    裏手から見た旧伊東家。

  • 旧伊東家の裏手・・・生垣を隔てて・・・旧梅田家の茅葺き屋根が見えました。

    旧伊東家の裏手・・・生垣を隔てて・・・旧梅田家の茅葺き屋根が見えました。

  • 「旧梅田家住宅」。<br /><br />19世紀中頃の嘉永年間に建てられ、在府町にあったものを弘前市が梅田家より譲り受け、移築復元し、昭和60年に公開したものです。

    「旧梅田家住宅」。

    19世紀中頃の嘉永年間に建てられ、在府町にあったものを弘前市が梅田家より譲り受け、移築復元し、昭和60年に公開したものです。

    旧梅田家住宅 名所・史跡

  • 茅葺き屋根の内側。天井がない構造のため、屋根を支える小屋組みという構造がよくわかります。

    茅葺き屋根の内側。天井がない構造のため、屋根を支える小屋組みという構造がよくわかります。

  • 冬の季節風対策のため、北と西には窓がほとんどなく閉鎖的に造られ、南と東は採光と風通しを考慮した開放的な造りとなっています。

    冬の季節風対策のため、北と西には窓がほとんどなく閉鎖的に造られ、南と東は採光と風通しを考慮した開放的な造りとなっています。

  • 暗いですぅ〜〜(;&#39;∀&#39;)・・・。

    暗いですぅ〜〜(;'∀')・・・。

  • 土間の台所。

    土間の台所。

  • 中2階もあります。暗いです・・・。

    中2階もあります。暗いです・・・。

  • 内部見学は、いっそう蒸し暑いのを思い知った連れ合い・・・笹森家以降、外で待っているのが常となりました。<br /><br />私も、見学のために一応上がってはみるものの・・・暑いから集中力も途切れ・・・見飽きてきました。

    内部見学は、いっそう蒸し暑いのを思い知った連れ合い・・・笹森家以降、外で待っているのが常となりました。

    私も、見学のために一応上がってはみるものの・・・暑いから集中力も途切れ・・・見飽きてきました。

  • 重伝建地区に含まれる、もう一本北側の通りも歩いてみたい気持ちはありましたが・・・とりあえず公開されている武家屋敷は見たし・・・たぶん同じような生垣通りだろうな・・・と思い・・・もういいや・・・という気持ちが勝ってしまいました。<br /><br />再び、弘前公園のお濠に面した大通りに出て、最後に「石場家住宅」を見ようと思います。<br /><br />こちらは国指定重要文化財になっています。現在は酒屋として営業しています。

    重伝建地区に含まれる、もう一本北側の通りも歩いてみたい気持ちはありましたが・・・とりあえず公開されている武家屋敷は見たし・・・たぶん同じような生垣通りだろうな・・・と思い・・・もういいや・・・という気持ちが勝ってしまいました。

    再び、弘前公園のお濠に面した大通りに出て、最後に「石場家住宅」を見ようと思います。

    こちらは国指定重要文化財になっています。現在は酒屋として営業しています。

    石場家住宅 名所・史跡

  • お店の前の歩道は「こみせ」と呼ばれる、庇のアーケードになっています。

    お店の前の歩道は「こみせ」と呼ばれる、庇のアーケードになっています。

  • 石場家の横側。<br /><br />石場家は、津軽藩政時代、わら工品を中心に雑貨荒物を取り扱っていた豪商。豪商の家といわれるだけあって、通りに面している部分も横に広いですが、角を曲がって、横側にまわると、ずっと後ろのほうまで敷地が続いています。<br /><br />この住宅は規模が大きく、豪壮な構えとなっており、後世の改造をかなりうけているものの津軽地方の数少ない商家の遺構として国の重要文化財に指定されています。

    石場家の横側。

    石場家は、津軽藩政時代、わら工品を中心に雑貨荒物を取り扱っていた豪商。豪商の家といわれるだけあって、通りに面している部分も横に広いですが、角を曲がって、横側にまわると、ずっと後ろのほうまで敷地が続いています。

    この住宅は規模が大きく、豪壮な構えとなっており、後世の改造をかなりうけているものの津軽地方の数少ない商家の遺構として国の重要文化財に指定されています。

  • 見学には100円かかりますが、せっかくなので内部を見せていただこうと思います。<br /><br />こちらは酒屋の店舗になっているミセ。

    見学には100円かかりますが、せっかくなので内部を見せていただこうと思います。

    こちらは酒屋の店舗になっているミセ。

  • トオリニワという広い土間があり、その奥が蔵前と呼ばれるスペース。そしてその後方に土蔵の扉が見えています。<br /><br />最初の建築は18世紀の前半と思われますが、現状に近い間取りになったのは、19世紀の始め頃と考えられています。明治時代以降も、2世帯でこの建物を使用した時期があったり、営業内容が変わる都度、店構えを変えてきたことなどがあって、かなり改造がなされてきました。<br /><br />国指定重要文化財になったことにより、修理事業がなされ、調査によって確認された後世の改造部分をできるだけ復原して、現在地に移築された当時(19世紀の始め頃)の姿になっています。

    トオリニワという広い土間があり、その奥が蔵前と呼ばれるスペース。そしてその後方に土蔵の扉が見えています。

    最初の建築は18世紀の前半と思われますが、現状に近い間取りになったのは、19世紀の始め頃と考えられています。明治時代以降も、2世帯でこの建物を使用した時期があったり、営業内容が変わる都度、店構えを変えてきたことなどがあって、かなり改造がなされてきました。

    国指定重要文化財になったことにより、修理事業がなされ、調査によって確認された後世の改造部分をできるだけ復原して、現在地に移築された当時(19世紀の始め頃)の姿になっています。

  • 土蔵の扉は主屋の中にありますが、蔵自体は外蔵です。

    土蔵の扉は主屋の中にありますが、蔵自体は外蔵です。

  • 一応有料なので、もうちょっと奥の方まで見られるのかと思ってたら、この土間から見るだけ・・・。しかも・・・電気もつけてくれないので真っ暗・・・何の説明すらなく・・・ちょっと不愛想かな・・・という印象でした。<br /><br />暗いです・・・。<br /><br />トオリニワに面した板張りの台所と・・・奥の座敷が常居です。常居の奥は店に続きます。常居の左奥に座敷部屋がなどがあるようです。

    一応有料なので、もうちょっと奥の方まで見られるのかと思ってたら、この土間から見るだけ・・・。しかも・・・電気もつけてくれないので真っ暗・・・何の説明すらなく・・・ちょっと不愛想かな・・・という印象でした。

    暗いです・・・。

    トオリニワに面した板張りの台所と・・・奥の座敷が常居です。常居の奥は店に続きます。常居の左奥に座敷部屋がなどがあるようです。

  • トオリニワに面した台所と常居は近くで見ることができます、暗いですが・・・。<br /><br />常居の奥に見える部屋は、中の間です。中の間から右手に、座敷部屋が2つあるようです。

    トオリニワに面した台所と常居は近くで見ることができます、暗いですが・・・。

    常居の奥に見える部屋は、中の間です。中の間から右手に、座敷部屋が2つあるようです。

  • トオリニワには井戸がありました。

    トオリニワには井戸がありました。

  • 蔵前には、色々な物品が展示されています。

    蔵前には、色々な物品が展示されています。

  • トオリニワ。現在もここで生活してるんだなぁ・・・と感じられます。<br /><br />旧岩田家から出て・・・時間は16時になるところ。<br /><br />今夜はねぷたを有料観覧席で見るのですが、まだ時間があるなぁ。さて・・・どうしよう・・・暑いのでもう歩き回る元気がなくなって・・・。こういう時期に無理して気分でも悪くなったらシャレになんないし、自分じゃない連れ合いのことは余計わかんないしなぁ・・・。<br /><br />それでも頑張って・・・重伝建地区の、先ほど歩いていないもう一本の通りを歩くか・・・津軽藩ねぷた村にでも行ってみるか・・・それとも旧岩田家の後ろ側にあったカフェで休むか・・・と考えていたら、ちょうどタクシーが目の前を通りがかったので・・・咄嗟に手を挙げて・・・ホテルへ戻ることにしました。涼しいところで・・・ねぷたの時間まで休憩しよ〜う!<br /><br />この旅行記の続きが、8月3日のねぷた運行のものとなります。<br />http://4travel.jp/travelogue/11039645<br />http://4travel.jp/travelogue/11040353

    トオリニワ。現在もここで生活してるんだなぁ・・・と感じられます。

    旧岩田家から出て・・・時間は16時になるところ。

    今夜はねぷたを有料観覧席で見るのですが、まだ時間があるなぁ。さて・・・どうしよう・・・暑いのでもう歩き回る元気がなくなって・・・。こういう時期に無理して気分でも悪くなったらシャレになんないし、自分じゃない連れ合いのことは余計わかんないしなぁ・・・。

    それでも頑張って・・・重伝建地区の、先ほど歩いていないもう一本の通りを歩くか・・・津軽藩ねぷた村にでも行ってみるか・・・それとも旧岩田家の後ろ側にあったカフェで休むか・・・と考えていたら、ちょうどタクシーが目の前を通りがかったので・・・咄嗟に手を挙げて・・・ホテルへ戻ることにしました。涼しいところで・・・ねぷたの時間まで休憩しよ〜う!

    この旅行記の続きが、8月3日のねぷた運行のものとなります。
    http://4travel.jp/travelogue/11039645
    http://4travel.jp/travelogue/11040353

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この旅行記へのコメント (4)

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  • duc teruさん 2015/09/14 12:47:59
    ご訪問ご投票ありがとうございました
    こあひるさん

    ご無沙汰でした、しばらく4トラから離れておりました。

    東北地方を楽しんでいますね、歴史が感じられるもいいですね。

    ご投票励みになります。始めた以上何とか帰国までもっていかないと次が始まりません。

    又お邪魔します。

    duc teru

    こあひる

    こあひるさん からの返信 2015/09/15 09:38:15
    RE: ご訪問ご投票ありがとうございました
    dec teruさん、こんにちは!

    お元気で過ごされていたようでよかったです。

    電車とバスで行けるところなら、仙台にいるうちになるべく行っておこうと色々出かけています。東北に来てから、それまで全く興味のなかった日本の歴史に興味がわいてきました。

    再開なさった旅行記・・・また楽しみにしていますね。

    こあひる
  • aoitomoさん 2015/08/31 22:50:46
    気合いの重伝建散策〜
    こあひるさん

    ねぷたがメインとはいえ、色々周辺観光地も調べ上げて行かれているのですね。
    めぼしいところをチェックしているからこそ、暑くても行ってみなければとなるのでしょうね。
    だから暑くても、動けるのでしょうね〜

    『重伝建地区』
    地割や門や生垣などの伝統的な町並みが重伝建地区に選定された理由なんですね。
    昔のままの家屋等は、個人では維持するのがやはり困難なんでしょうね。
    所有者からの寄贈・移築などで残せるのがほとんどなんですね。
    一方で、そのような住宅は一般公開されて見れるのはありがたいです。

    『旧岩田家住宅』
    囲炉裏端には凄く憧れます。
    古い家財や、土間の釜がある壁面のススの付き具合なども実際に生活していたことを感じさせてくれます。
    立派な井戸小屋も珍しいです。

    『旧笹森家住宅』
    中・下級の武家の住宅が残っていることが貴重だと思います。
    中・下級の武家住宅の建築様式で、接客を重んじる間取りというのが興味をそそります。

    『旧伊東家住宅』
    元藩医・中級武士の居宅は、欄間・中2階もあり造りも立派です。
    中2階への急な階段が昔を物語ってますね〜
    夏は中2階は暑くても、中2階があることで1階は涼しそうです。

    『旧梅田家住宅』
    茅葺き屋根の内側の構造が見れて感動します。
    冬の季節風対策などは色々と考えられていると思いました。
    冬の寒さをいかに凌ぐかが重要だったのかもしれませんね。
    そのため開放部分も少ない?
    夏の見学は蒸し暑いのかもしれませんが〜

    『石場家住宅』
    酒屋として営業している唯一の現在も住居として使われているのですね。
    トオリニワの構造が面白いです。
    生活しているだけに無造作に置かれてあるものも多く、生活感が一番感じられる住宅です。

    暑い中、気合いの散策お疲れ様でした〜

    aoitomo

    こあひる

    こあひるさん からの返信 2015/09/01 10:50:57
    RE: 気合いの重伝建散策〜
    aoitomoさん、こんにちは!

    弘前は、仙台からでもちょっと遠い感じがしますので(乗り換えがあるとどうしてもね・・・)、せっかく行くなら、どんな街なのか知りたいな〜と思いまして・・・。昨年の秋田では、暑すぎて思うように歩けなかったので、今回もプラン半分くらい周れればいいかな・・・って感じで、行きたいスポットはピックアップしていきましたが・・・細かい情報を調べて行かないので・・・いつもながら、旅行記を作りながら、へ〜ぇ・・・なんて改めて知ることがたくさんあります。

    仲町の重伝建地区は、江戸時代からの家並みがあるわけじゃないのですが、見事な生垣や黒板塀、そして門・・・お庭と敷石・・・などの地割が変わっていない・・・ってことで指定されました。各お家は、一見、垣根に隠れがちになるので、キレイな緑の生垣が続く景観には感激しました。普通の武家屋敷街だと思っていたので・・・予想外の素晴らしさでした。

    洋館もそうでしたが・・・個人でも何とか使いながら住んでいけるような規模のお家ならともかく・・・洋館やら武家屋敷やら・・・になると、不便なわりにお金がかかるので・・・残したければ自治体が関わらないと無理なんでしょうねぇ・・・。キレイに修復されたものを、一般公開されて見ることができるのは貴重なことで幸せですね。

    角館に比べると、より質素めに感じられた武家屋敷・・・藩の大きさの違いにもよるし・・・江戸時代の中下級武士は、生活も大変だったんでしょうねぇ・・・。

    それに比べて、商家の石場家住宅は広いし・・・豪壮さが際立って見えますね〜〜。商人の時代だったんですねぇ。

    こあひる

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