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東急砧線は玉川線と同時に廃止されました。<br />玉川線は後に新玉川線として生まれ変わりましたが砧線はどのようになっているのか訪ねてみました。<br /><br />

東急砧線 廃線跡の散策

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2015/03/15 - 2015/03/15

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旅行記グループ 廃線探訪

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アルプ・グリュム

アルプ・グリュムさん

東急砧線は玉川線と同時に廃止されました。
玉川線は後に新玉川線として生まれ変わりましたが砧線はどのようになっているのか訪ねてみました。

  • 二子玉川駅<br />本当に久しぶりに下車したので浦島太郎の心境です。<br />駅前に二子玉川園の遊園地があった頃ですから!<br /><br />

    二子玉川駅
    本当に久しぶりに下車したので浦島太郎の心境です。
    駅前に二子玉川園の遊園地があった頃ですから!

  • それでは砧線の廃線跡を辿ってみます。<br />砧線の二子玉川駅は駐輪場あたりではないでしょうか?

    それでは砧線の廃線跡を辿ってみます。
    砧線の二子玉川駅は駐輪場あたりではないでしょうか?

  • 反対側の二子玉川駅方向を見ています。

    反対側の二子玉川駅方向を見ています。

  • 左側の細い通りが砧線が走っていた線路跡です。<br />見える高架の道路は国道246号線で玉川線はこの国道の真ん中を路面電車と同じ車体の電車が渋谷に向けて走っていました。

    左側の細い通りが砧線が走っていた線路跡です。
    見える高架の道路は国道246号線で玉川線はこの国道の真ん中を路面電車と同じ車体の電車が渋谷に向けて走っていました。

  • しばらくはまっすぐ直線を走ります。

    しばらくはまっすぐ直線を走ります。

  • 横に並べてあるのは枕木ではないでしょうか?

    横に並べてあるのは枕木ではないでしょうか?

  • この店ですが丁度昼食時のため聞けませんでした。

    この店ですが丁度昼食時のため聞けませんでした。

  • しばらく歩くと中耕地駅跡の碑がありました。<br />足元には隣の駅の二子玉川駅と吉沢駅がタイルの上に書かれていました。

    しばらく歩くと中耕地駅跡の碑がありました。
    足元には隣の駅の二子玉川駅と吉沢駅がタイルの上に書かれていました。

  • しっかりとしたコンクリート製が良い。

    しっかりとしたコンクリート製が良い。

  • 周囲はこのような場所です。

    周囲はこのような場所です。

  • マンホールには電車の絵が描かれています。<br />砧線を走った単行の電車でパンタグラフではなくポール式なのは開業当時の電車だと思われます。

    マンホールには電車の絵が描かれています。
    砧線を走った単行の電車でパンタグラフではなくポール式なのは開業当時の電車だと思われます。

  • このモニュメントの題材は判りませんがよく見ると電車の絵と砧線軌道跡と書かれています。

    このモニュメントの題材は判りませんがよく見ると電車の絵と砧線軌道跡と書かれています。

  • 電車の絵は先ほどのマンホールの絵と同じで単行でポール式の電車です。

    電車の絵は先ほどのマンホールの絵と同じで単行でポール式の電車です。

  • 砧線軌道跡

    砧線軌道跡

  • こちらは歩道側で1989・2・10と読み取れます。<br />私はこのような碑を見るときは裏側も見るようにしていて旧東海道では江戸末期の年号を目にしています。

    こちらは歩道側で1989・2・10と読み取れます。
    私はこのような碑を見るときは裏側も見るようにしていて旧東海道では江戸末期の年号を目にしています。

  • しばらく歩くとレールが!<br />ガードレールが鉄道用のレールが使われいます。

    しばらく歩くとレールが!
    ガードレールが鉄道用のレールが使われいます。

  • 線路が砧線のものかどうか刻印を確認しましたが何もありませんでした。

    線路が砧線のものかどうか刻印を確認しましたが何もありませんでした。

  • 支柱にはまたまた電車の絵が描かれています。

    支柱にはまたまた電車の絵が描かれています。

  • 位置を変えて、ファミリーマートの前です。

    位置を変えて、ファミリーマートの前です。

  • ガードレールの先には砧線歩道として碑が設置されています。

    ガードレールの先には砧線歩道として碑が設置されています。

  • 砧線を走った電車の写真とその歴史が書かれています。<br /><br />この歩道は新玉川線の前身である玉川電気鉄道(1907年開通)の砧支線跡地です。<br />砧線は1924年、瀬田河原一帯から採れる砂利を、関東大震災からの復興が進む東京市内へ運ぶためにつくられました。<br />そして、当時の東京市民が、まだ郊外であった多摩川辺りに繰り出す足としても使われました。現在、吉沢や砧本村あたりにあるグランド用地は、かつての砂利採取後にできた水溜まりの跡地にあたります<br />

    砧線を走った電車の写真とその歴史が書かれています。

    この歩道は新玉川線の前身である玉川電気鉄道(1907年開通)の砧支線跡地です。
    砧線は1924年、瀬田河原一帯から採れる砂利を、関東大震災からの復興が進む東京市内へ運ぶためにつくられました。
    そして、当時の東京市民が、まだ郊外であった多摩川辺りに繰り出す足としても使われました。現在、吉沢や砧本村あたりにあるグランド用地は、かつての砂利採取後にできた水溜まりの跡地にあたります

  • この付近の地図ですが砧線とは関係ありませんでした。

    この付近の地図ですが砧線とは関係ありませんでした。

  • この碑とガードレールの位置は写真の通りです。

    この碑とガードレールの位置は写真の通りです。

  • 砧線跡地歩行者自転車道として地図に書かれています。

    砧線跡地歩行者自転車道として地図に書かれています。

  • 住宅地の中を電車は走っていました。<br />今でこそ、住宅地ですが電車が走っていた頃はまだ畑だったようです。

    住宅地の中を電車は走っていました。
    今でこそ、住宅地ですが電車が走っていた頃はまだ畑だったようです。

  • 間もなく吉沢の鉄橋を渡るために線路は左にカーブします。

    間もなく吉沢の鉄橋を渡るために線路は左にカーブします。

  • 結構急カーブに見えますが単行の電車ですのでこのカーブで十分です。

    結構急カーブに見えますが単行の電車ですのでこのカーブで十分です。

  • 吉沢橋の手前で道路と交差します。

    吉沢橋の手前で道路と交差します。

  • 吉沢橋の直前のカーブです。

    吉沢橋の直前のカーブです。

  • こちらの地図も砧線跡地歩行者自転車道として地図に書かれています。

    こちらの地図も砧線跡地歩行者自転車道として地図に書かれています。

  • 通過するバスは一歩通行のため砧線跡地ではなく一般道を通行します。

    通過するバスは一歩通行のため砧線跡地ではなく一般道を通行します。

  • かつては砧線の鉄橋だった吉沢橋

    かつては砧線の鉄橋だった吉沢橋

  • 吉沢橋は電車専用の鉄橋でした。

    吉沢橋は電車専用の鉄橋でした。

  • それはこの写真が照明しています。

    それはこの写真が照明しています。

  • 欄干部分には版画の電車が描かれています。<br />二子玉川ではなく二子玉川園は営業時の写真を参考にしていると思います。

    欄干部分には版画の電車が描かれています。
    二子玉川ではなく二子玉川園は営業時の写真を参考にしていると思います。

  • 橋を渡ると再び急カーブとなります。

    橋を渡ると再び急カーブとなります。

  • 吉沢橋からは遊歩道ではなく一般の一方通行の道路となります。

    吉沢橋からは遊歩道ではなく一般の一方通行の道路となります。

  • 東京都市大学のグランドが見えてきました。

    東京都市大学のグランドが見えてきました。

  • このグランドこそ多摩川の砂利を採取した跡地なのです。<br />よって地面の高さがからり低くなっているのは写真でも判ると思います。

    このグランドこそ多摩川の砂利を採取した跡地なのです。
    よって地面の高さがからり低くなっているのは写真でも判ると思います。

  • 多摩川の堤防が見えたので寄ってみます。<br />こちらは二子玉川方向です。

    多摩川の堤防が見えたので寄ってみます。
    こちらは二子玉川方向です。

  • こちらは上流側です。

    こちらは上流側です。

  • 電車が走っていた頃は家の玄関は当然線路とは反対側に設けますので線路側は写真の家の通りとなります。<br />線路側には子窓しかありません。

    電車が走っていた頃は家の玄関は当然線路とは反対側に設けますので線路側は写真の家の通りとなります。
    線路側には子窓しかありません。

  • 玄関側はこの通りで生活感がいっぱいです。

    玄関側はこの通りで生活感がいっぱいです。

  • 付近には東京都の水道局があります。

    付近には東京都の水道局があります。

  • 間もなく終点の砧本村駅です。<br />電車は児童公園の中にあるようです。

    間もなく終点の砧本村駅です。
    電車は児童公園の中にあるようです。

  • 児童公園のこの辺りに駅があったようです。

    児童公園のこの辺りに駅があったようです。

  • 現在はバスがここで折り返し運転を行っています。

    現在はバスがここで折り返し運転を行っています。

  • 実はこのバスの待合所は砧線の唯一の遺産で

    実はこのバスの待合所は砧線の唯一の遺産で

  • 電車の駅舎そのものだったのです。

    電車の駅舎そのものだったのです。

  • 柱は太い物を使用しているため長持ちしているのだと察します。

    柱は太い物を使用しているため長持ちしているのだと察します。

  • まだまだ使えると思いますので頻繁にペンキを塗って保全管理してほしい、東急の財産ですから!<br /><br />もう少し、細かい箇所を観察しようと思ったのですがバスを待つ方々が来たので引き揚げることとします。

    まだまだ使えると思いますので頻繁にペンキを塗って保全管理してほしい、東急の財産ですから!

    もう少し、細かい箇所を観察しようと思ったのですがバスを待つ方々が来たので引き揚げることとします。

  • バス停の名は「砧本村」で砧線と全く同じ名前となっていて、車のナンバーが「品川」から「世田谷」に変わったこの辺りで未だに「村」が使われるのは大変興味深いものです。

    バス停の名は「砧本村」で砧線と全く同じ名前となっていて、車のナンバーが「品川」から「世田谷」に変わったこの辺りで未だに「村」が使われるのは大変興味深いものです。

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