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ノスタルジックなソウルの街並み、北村韓屋村の紹介です。北岳山南麓の傾斜地に形成された住宅地であり、東側を世界遺産の昌徳宮に、西側を景福宮に挟まれたエリアにあります。

2014秋、韓国旅行記28(9/30):10月29日(8):ソウル、北村韓屋村、北村文化センター、仁村先生故居

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2014/10/28 - 2014/10/31

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

ノスタルジックなソウルの街並み、北村韓屋村の紹介です。北岳山南麓の傾斜地に形成された住宅地であり、東側を世界遺産の昌徳宮に、西側を景福宮に挟まれたエリアにあります。

  • 北村文化センターの一角にあった建物光景です。『桂洞の裵濂(ペ・リョン)家屋)』として、大韓民国指定登録文化財第85号に指定されています。著名な東洋画の画家である裵濂(ペ・リョン)が住んでいた跡地に、2004年に新しく建てられた、韓屋ゲストハウスです。

    北村文化センターの一角にあった建物光景です。『桂洞の裵濂(ペ・リョン)家屋)』として、大韓民国指定登録文化財第85号に指定されています。著名な東洋画の画家である裵濂(ペ・リョン)が住んでいた跡地に、2004年に新しく建てられた、韓屋ゲストハウスです。

  • 同じく、北村文化センターの建物光景です。昔ながらの生活を体験できるよう、床暖房のオンドル(温突)を用いた構造として建築されました。

    同じく、北村文化センターの建物光景です。昔ながらの生活を体験できるよう、床暖房のオンドル(温突)を用いた構造として建築されました。

  • 北村文化センターで、北村散策のパンフレットを入手し、さらに北に向かって進みました。緩やかな登り道になっていました。

    北村文化センターで、北村散策のパンフレットを入手し、さらに北に向かって進みました。緩やかな登り道になっていました。

  • 彫刻が施された、立派な門構えのお宅です。表札は見当たらなかったようです。ほかにも出入口があるのかもしれません。呼び鈴だけが付いていました。

    彫刻が施された、立派な門構えのお宅です。表札は見当たらなかったようです。ほかにも出入口があるのかもしれません。呼び鈴だけが付いていました。

  • 赤レンガの古い塀に飾ってあった何枚かの絵です。1枚物の立派な木材が使ってありました。絵そのものは、色彩を抑えたシンプルな構図でした。

    赤レンガの古い塀に飾ってあった何枚かの絵です。1枚物の立派な木材が使ってありました。絵そのものは、色彩を抑えたシンプルな構図でした。

  • 改築より、新築に見えた韓屋の建物光景です。石垣、石塀と建物のデザインが一貫していました。

    改築より、新築に見えた韓屋の建物光景です。石垣、石塀と建物のデザインが一貫していました。

  • 同じお宅の緩い坂道の脇にあった石塀のアップ光景です。坂道に合わせて、石塀にも段差が設けられていました。

    イチオシ

    同じお宅の緩い坂道の脇にあった石塀のアップ光景です。坂道に合わせて、石塀にも段差が設けられていました。

  • 伝統的な家屋が建ち並ぶ韓屋村では、少し違和感を覚える赤レンガ造りのお宅です。まだ新しい洋風の造りでした。

    伝統的な家屋が建ち並ぶ韓屋村では、少し違和感を覚える赤レンガ造りのお宅です。まだ新しい洋風の造りでした。

  • 『清圓山房』のおおみな看板があった建物です。建物も看板も新築のようでした。『清圓山房(チョンウォンサンバン)』は、小木匠(ソモッジャン)と呼ばれる建具職人としてソウル市無形文化財の認定を受けた、沈龍植(シム・ヨンシク)氏が、40年以上に亘り制作してきた窓戸を自宅展示した博物館です。

    『清圓山房』のおおみな看板があった建物です。建物も看板も新築のようでした。『清圓山房(チョンウォンサンバン)』は、小木匠(ソモッジャン)と呼ばれる建具職人としてソウル市無形文化財の認定を受けた、沈龍植(シム・ヨンシク)氏が、40年以上に亘り制作してきた窓戸を自宅展示した博物館です。

  • 意匠を凝らした石塀が並んだ小路の光景です。韓屋村が観光地になったことで整備された、民家の塀のようにも見えます。

    意匠を凝らした石塀が並んだ小路の光景です。韓屋村が観光地になったことで整備された、民家の塀のようにも見えます。

  • イヌタデ(犬蓼)によく似た野草風の草花です。イヌタデは、赤い小さな果実を赤飯に見立て、日本ではアカマンマとも呼ばれます。

    イヌタデ(犬蓼)によく似た野草風の草花です。イヌタデは、赤い小さな果実を赤飯に見立て、日本ではアカマンマとも呼ばれます。

  • 家の横に並べられた大きな甕です。推測ですが、飲食店で作られたキムチが入った甕かもしれません。

    家の横に並べられた大きな甕です。推測ですが、飲食店で作られたキムチが入った甕かもしれません。

  • 路地の奥の家屋の光景です。壁にカラフルな金魚が描かれていました。民宿か、お土産店でしょうか、『ゴールド・フィッシュ・イン』の文字がありました。

    路地の奥の家屋の光景です。壁にカラフルな金魚が描かれていました。民宿か、お土産店でしょうか、『ゴールド・フィッシュ・イン』の文字がありました。

  • 新しい石畳が敷かれた通りの光景です。この辺りはお店ではなく、民家が多いようでした。

    新しい石畳が敷かれた通りの光景です。この辺りはお店ではなく、民家が多いようでした。

  • お土産屋さんの店先光景です。レトロな人形やカップなどが並んでいました。手作りの品のようです。

    お土産屋さんの店先光景です。レトロな人形やカップなどが並んでいました。手作りの品のようです。

  • 時間の余裕があったら、立ち寄ってみたい喫茶店です。この喫茶店だけでなく、数多くの喫茶店を見かけました。

    時間の余裕があったら、立ち寄ってみたい喫茶店です。この喫茶店だけでなく、数多くの喫茶店を見かけました。

  • 下向きに大きな花を咲かせたダチュラです。コダチチョウセンアサガオ(木立朝鮮朝顔)やエンゼル・トランペットの呼び名もあります。ナス科チョウセンアサガオ科の植物です。

    イチオシ

    下向きに大きな花を咲かせたダチュラです。コダチチョウセンアサガオ(木立朝鮮朝顔)やエンゼル・トランペットの呼び名もあります。ナス科チョウセンアサガオ科の植物です。

  • 通りに面した家の改修工事です。若い職人さんによって、真新しい韓屋の仕上げ工事が行われていました。

    通りに面した家の改修工事です。若い職人さんによって、真新しい韓屋の仕上げ工事が行われていました。

  • お店の宣伝用の飾りのようです。店の軒先に自転車が乗せられていました。あまりいい趣味とは言えないようです。

    お店の宣伝用の飾りのようです。店の軒先に自転車が乗せられていました。あまりいい趣味とは言えないようです。

  • 『奉山斎』の表札があった伝統家屋です。ネット情報では、『奉山斎(ボンサンジェ)』は、既存の韓屋を、2007年にギャラリーとして全面改修したものと紹介されていました。漆塗りなどが体験できるようです。

    『奉山斎』の表札があった伝統家屋です。ネット情報では、『奉山斎(ボンサンジェ)』は、既存の韓屋を、2007年にギャラリーとして全面改修したものと紹介されていました。漆塗りなどが体験できるようです。

  • 低く作られた石塀から顔を覗かせた甕です。その低い石塀には、歴史絵巻が描かれていました。前庭が広い、レストランのような家の作りでした。

    イチオシ

    低く作られた石塀から顔を覗かせた甕です。その低い石塀には、歴史絵巻が描かれていました。前庭が広い、レストランのような家の作りでした。

  • 石壁に描かれていた古地図です。タイトルは『都城図』でした。北村地区を含む広範囲の地図かも知れません。

    石壁に描かれていた古地図です。タイトルは『都城図』でした。北村地区を含む広範囲の地図かも知れません。

  • レストランらしい建物と、その前庭光景です。敷石の代わりに、枕木のようなものが使われていました。

    レストランらしい建物と、その前庭光景です。敷石の代わりに、枕木のようなものが使われていました。

  • 『仁村(インチョン)先生故居』の表示があった門です。仁村先生は号の呼び名で、本名は金性洙(キム・ソンス)です。早稲田大学で学び、日本植民地時代に東亜日報を創刊し、京城紡織と高麗大学を設立した、民族指導者としも名を残した人です。

    『仁村(インチョン)先生故居』の表示があった門です。仁村先生は号の呼び名で、本名は金性洙(キム・ソンス)です。早稲田大学で学び、日本植民地時代に東亜日報を創刊し、京城紡織と高麗大学を設立した、民族指導者としも名を残した人です。

  • 『仁村先生故居』には入場できませんでした。門の傍らにあった説明看板です。教育家で、実業家、そしてジャーナリストとも紹介されていました。金性洙(1891〜1955年)氏は、右翼政党の韓民党を創設するも、表舞台で活躍することを好まなかったようですが、1951年5月から1年間、李承晩大統領のもとで、副大統領職に就きました。

    『仁村先生故居』には入場できませんでした。門の傍らにあった説明看板です。教育家で、実業家、そしてジャーナリストとも紹介されていました。金性洙(1891〜1955年)氏は、右翼政党の韓民党を創設するも、表舞台で活躍することを好まなかったようですが、1951年5月から1年間、李承晩大統領のもとで、副大統領職に就きました。

  • 塀の外から眺めた、『仁村先生故居』の庭木の光景です。手入れの行き届いた樹木が顔を出していました。

    塀の外から眺めた、『仁村先生故居』の庭木の光景です。手入れの行き届いた樹木が顔を出していました。

  • 『仁村(インチョン)先生故居』の入口を守っていた、賢そうな大きな体のワンちゃんです。シベリアン・ハスキー犬のようです。

    『仁村(インチョン)先生故居』の入口を守っていた、賢そうな大きな体のワンちゃんです。シベリアン・ハスキー犬のようです。

  • 『仁村(インチョン)先生故居』の近くの路地の光景です。日本統治時代に、企業を運営して富を蓄積し、この過程で親日行為をしたという嫌疑で、2002年に発表された親日派708人名簿と、2005年に民族問題研究所が整理した親日派リストの3090名に含まれています。民族問題研究所の名簿には、朴正熙大統領、丁一権国会議長も含まれています。

    『仁村(インチョン)先生故居』の近くの路地の光景です。日本統治時代に、企業を運営して富を蓄積し、この過程で親日行為をしたという嫌疑で、2002年に発表された親日派708人名簿と、2005年に民族問題研究所が整理した親日派リストの3090名に含まれています。民族問題研究所の名簿には、朴正熙大統領、丁一権国会議長も含まれています。

  • 表通りの街並み光景に戻りました。左の家は韓式食堂です。建物の指定文化財としては、北村文化センターのほか、安国洞の尹潽善(ユン・ボソン)家屋、苑西洞の白鴻範(ペク・ホンボム)家屋、嘉会洞の白麟斎(ペク・インジェ)家屋、嘉会洞の金炯泰(キム・ヒョンテ)家屋等があります。

    表通りの街並み光景に戻りました。左の家は韓式食堂です。建物の指定文化財としては、北村文化センターのほか、安国洞の尹潽善(ユン・ボソン)家屋、苑西洞の白鴻範(ペク・ホンボム)家屋、嘉会洞の白麟斎(ペク・インジェ)家屋、嘉会洞の金炯泰(キム・ヒョンテ)家屋等があります。

  • 立派な門構えのお宅ですが、現在はレストランになっているようでした。北村韓屋村の紹介は、この後も続きます。

    立派な門構えのお宅ですが、現在はレストランになっているようでした。北村韓屋村の紹介は、この後も続きます。

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2014秋、韓国旅行記28

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