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徳寿宮(トクスグン)紹介の続きです。建物の見学の後、正門に当たる大漢門の前で行われた栄交代儀式を見学しました。

2014秋、韓国旅行記28(6/30):10月29日(5):ソウル、徳寿宮、中和殿、衛兵交代儀式

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2014/10/28 - 2014/10/31

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旅人のくまさん

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徳寿宮(トクスグン)紹介の続きです。建物の見学の後、正門に当たる大漢門の前で行われた栄交代儀式を見学しました。

  • 回廊のような低い建物で囲われた、徳弘殿(トッコンジョン)と咸寧殿(ハムニョンジョン)がある一角の光景です。その回廊風の建物です。

    回廊のような低い建物で囲われた、徳弘殿(トッコンジョン)と咸寧殿(ハムニョンジョン)がある一角の光景です。その回廊風の建物です。

  • 門を潜って、徳弘殿(トッコンジョン)と咸寧殿(ハムニョンジョン)の建物光景です。左の徳弘殿(トッコンジョン)は、高宗皇帝(1852〜1919年)が外国の使臣や高位官僚たちを接見した建物、右の咸寧殿(ハムニョンジョン)は、高宗皇帝が日常生活をした建物です。徳弘殿にはオンドル施設がありません。

    門を潜って、徳弘殿(トッコンジョン)と咸寧殿(ハムニョンジョン)の建物光景です。左の徳弘殿(トッコンジョン)は、高宗皇帝(1852〜1919年)が外国の使臣や高位官僚たちを接見した建物、右の咸寧殿(ハムニョンジョン)は、高宗皇帝が日常生活をした建物です。徳弘殿にはオンドル施設がありません。

  • 咸寧殿(ハムニョンジョン)の建物の右端方面の光景です。高宗皇帝の後を継いだ、純宗(スンジョン)皇帝(1874〜1926年)は、即位した頃、ここで生活していたようです。その後の王宮は昌徳宮(チャンドックン)です。

    咸寧殿(ハムニョンジョン)の建物の右端方面の光景です。高宗皇帝の後を継いだ、純宗(スンジョン)皇帝(1874〜1926年)は、即位した頃、ここで生活していたようです。その後の王宮は昌徳宮(チャンドックン)です。

  • これで、徳弘殿(トッコンジョン)と咸寧殿(ハムニョンジョン)の紹介はおしまいです。門の外から眺めた咸寧殿(ハムニョンジョン)の建物光景です。

    これで、徳弘殿(トッコンジョン)と咸寧殿(ハムニョンジョン)の紹介はおしまいです。門の外から眺めた咸寧殿(ハムニョンジョン)の建物光景です。

  • 徳寿宮(トクスグン)の中の中心的な建物、中和殿(チュンファジョン)です。

    イチオシ

    徳寿宮(トクスグン)の中の中心的な建物、中和殿(チュンファジョン)です。

  • 臣下の中の第一の位、『正一位』の石標です。韓国の官位制度は中国の制度を下敷きにしています。王や中宮、王子などは無冠です。正一品、従一品、正二品と続き、正九品、従九品までです。数字の小さいほうが高位で、従より正が上位です。大監(テガム)と呼ばれる人は、正一品、従一品と正二品です。

    臣下の中の第一の位、『正一位』の石標です。韓国の官位制度は中国の制度を下敷きにしています。王や中宮、王子などは無冠です。正一品、従一品、正二品と続き、正九品、従九品までです。数字の小さいほうが高位で、従より正が上位です。大監(テガム)と呼ばれる人は、正一品、従一品と正二品です。

  • 従一品の石標です。大監(テガム)と呼ばれる人は、日本の太政大臣、左右大臣に当たる領議政・左右議政と、各省庁の大臣に当たる六曹の判書などです。

    従一品の石標です。大監(テガム)と呼ばれる人は、日本の太政大臣、左右大臣に当たる領議政・左右議政と、各省庁の大臣に当たる六曹の判書などです。

  • 双龍の図が刻まれた敷石です。大韓帝国が成立した後の建物のため、王ではなく、皇帝の象徴である龍を刻んだとされます。

    双龍の図が刻まれた敷石です。大韓帝国が成立した後の建物のため、王ではなく、皇帝の象徴である龍を刻んだとされます。

  • こちらの踏み石も立ち入り禁止の柵が設けてありました。刻まれている文様は鳳凰です。その脇に亀に似た贔屓らしい欄干がありました。贔屓は重たい荷物を背負うのが得意ですが、背中に石碑がありませんから、別の想像上の動物かも知れません。龍生九子と呼ばれる、龍の子供の一人です。

    こちらの踏み石も立ち入り禁止の柵が設けてありました。刻まれている文様は鳳凰です。その脇に亀に似た贔屓らしい欄干がありました。贔屓は重たい荷物を背負うのが得意ですが、背中に石碑がありませんから、別の想像上の動物かも知れません。龍生九子と呼ばれる、龍の子供の一人です。

  • 『中和殿』の扁額です。徳寿宮の中枢として、国の公式行事を司とったところです。保存状態が良い建物です。

    『中和殿』の扁額です。徳寿宮の中枢として、国の公式行事を司とったところです。保存状態が良い建物です。

  • 『中和殿』正面の軒下光景です。鳥除けの金網が巡らしてありました。ルーツは中国でしょうが、独特の色彩と文様です。丹青と呼ばれる赤と青を主にした色彩です。

    『中和殿』正面の軒下光景です。鳥除けの金網が巡らしてありました。ルーツは中国でしょうが、独特の色彩と文様です。丹青と呼ばれる赤と青を主にした色彩です。

  • 『中和殿』の中央奥にある玉座です。背後には玉座に付きものの、日月五岳図の屏風絵がありました。

    イチオシ

    『中和殿』の中央奥にある玉座です。背後には玉座に付きものの、日月五岳図の屏風絵がありました。

  • 『中和殿』の天井の中央にある龍のレリーフ像です。徳寿宮の元々正殿は即祚堂でしたが、高宗帝が大韓帝国の皇帝になってからは、即祚堂の前に中和殿を建てて正殿としました。

    『中和殿』の天井の中央にある龍のレリーフ像です。徳寿宮の元々正殿は即祚堂でしたが、高宗帝が大韓帝国の皇帝になってからは、即祚堂の前に中和殿を建てて正殿としました。

  • 鼎足の大きな製銅容器です。防火用水として使われた置物でしょうか。徳寿宮は、1904年に大火に見舞われました。背後に見える黄色の格子模様の壁は、木造ではなく焼物です。

    鼎足の大きな製銅容器です。防火用水として使われた置物でしょうか。徳寿宮は、1904年に大火に見舞われました。背後に見える黄色の格子模様の壁は、木造ではなく焼物です。

  • これで中和殿の見学はおしまいです。最後に振り返って眺めた中和殿の全景です。

    これで中和殿の見学はおしまいです。最後に振り返って眺めた中和殿の全景です。

  • 正一品と従一品の石評は先に紹介しましたが、今度は一番後ろの方の正九品の石標の紹介です。三品までは正と従の石標がありましたが、四品以下は正だけの石標でした。韓国の官位としては、四品から九品までも、正と従がありました。

    正一品と従一品の石評は先に紹介しましたが、今度は一番後ろの方の正九品の石標の紹介です。三品までは正と従の石標がありましたが、四品以下は正だけの石標でした。韓国の官位としては、四品から九品までも、正と従がありました。

  • 中和門(チュンファムン)の扉のアップ光景です。ベンガラ色に塗られた板が、頑丈な金具で留めてありました。

    中和門(チュンファムン)の扉のアップ光景です。ベンガラ色に塗られた板が、頑丈な金具で留めてありました。

  • 中和門(チュンファムン)と、その先に見える中和殿(チュンファジョン)の光景です。王が存在していた朝鮮時代には、門だけでなく塀もあったかもしれません。

    中和門(チュンファムン)と、その先に見える中和殿(チュンファジョン)の光景です。王が存在していた朝鮮時代には、門だけでなく塀もあったかもしれません。

  • 徳寿宮(トクスグン)の中の黄葉の光景です。右手の大木は黄葉が鮮やかな銀杏の木です。

    徳寿宮(トクスグン)の中の黄葉の光景です。右手の大木は黄葉が鮮やかな銀杏の木です。

  • 衛兵交代儀式が行なわれていた、大漢門(テハンムン)の光景です。徳寿宮(トクスグン)の内側からの光景です。

    衛兵交代儀式が行なわれていた、大漢門(テハンムン)の光景です。徳寿宮(トクスグン)の内側からの光景です。

  • 左下に見える欄干は、禁川(クムチョン)に架かる禁川橋の物です。かつては川が流れていたとされますが、今は形式だけの川と橋です。前方に見えるのは、衛兵の後姿です。

    左下に見える欄干は、禁川(クムチョン)に架かる禁川橋の物です。かつては川が流れていたとされますが、今は形式だけの川と橋です。前方に見えるのは、衛兵の後姿です。

  • 大漢門(テハンムン)の前で行われていた、衛兵交代儀式の紹介です。以前は、騎馬による儀式も組み込まれていたようですが、2011年で終了となりました。

    大漢門(テハンムン)の前で行われていた、衛兵交代儀式の紹介です。以前は、騎馬による儀式も組み込まれていたようですが、2011年で終了となりました。

  • 衛兵交代儀式の音楽隊の紹介です。音の高低差が付けられた金属の太鼓は、独特の音色を出していました。

    衛兵交代儀式の音楽隊の紹介です。音の高低差が付けられた金属の太鼓は、独特の音色を出していました。

  • 守備位置や隊を示す旗でしょうか、軍旗を抱えた衛兵も大勢繰り出していました。中々規模の大きな衛兵交代儀式でした。

    守備位置や隊を示す旗でしょうか、軍旗を抱えた衛兵も大勢繰り出していました。中々規模の大きな衛兵交代儀式でした。

  • 衛兵交代儀式の紹介が続きます。儀式順序、服装および号令まで、すべて徹底した時代考証に基づいて行なわれているようです。多分、文書や絵図で残されてきた交代儀式でしょう。

    イチオシ

    衛兵交代儀式の紹介が続きます。儀式順序、服装および号令まで、すべて徹底した時代考証に基づいて行なわれているようです。多分、文書や絵図で残されてきた交代儀式でしょう。

  • 衛兵交代儀式の終盤に差し掛かったようです。儀式を終えた衛兵は、大漢門(テハンムン)に向かって左手に退出していきました。徳寿宮(トクスグン)の塀の外の道でした。

    衛兵交代儀式の終盤に差し掛かったようです。儀式を終えた衛兵は、大漢門(テハンムン)に向かって左手に退出していきました。徳寿宮(トクスグン)の塀の外の道でした。

  • 衛兵交代儀式が終了した、大漢門(テハンムン)の前の光景です。王宮守門将交代儀式は、1995年から伝統文化復元行事の一環として実施されてきました。王宮の伝統儀式の一つです。

    衛兵交代儀式が終了した、大漢門(テハンムン)の前の光景です。王宮守門将交代儀式は、1995年から伝統文化復元行事の一環として実施されてきました。王宮の伝統儀式の一つです。

  • 大きな鉢に寄せ植えされた街路の飾りです。赤がケイトウ(鶏頭)、白とピンクがサフィニアかペチュニア、黄色が菊のようです。

    大きな鉢に寄せ植えされた街路の飾りです。赤がケイトウ(鶏頭)、白とピンクがサフィニアかペチュニア、黄色が菊のようです。

  • 街路樹の黄葉光景です。まだ薄く緑色が残っていましたが、銀杏の木が綺麗に色付いてきました。

    街路樹の黄葉光景です。まだ薄く緑色が残っていましたが、銀杏の木が綺麗に色付いてきました。

  • ソウルの市街光景です。大きな看板があった、公開広場のような場所です。次の見学地の南大門(ナンデムン)に歩いて向かう途中の光景です。

    ソウルの市街光景です。大きな看板があった、公開広場のような場所です。次の見学地の南大門(ナンデムン)に歩いて向かう途中の光景です。

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