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ソウル市民に人気が高いとされる、王宮跡の徳寿宮(トクスグン)の紹介です。日本も絡んだ韓国の近代史の舞台にもなりました。

2014秋、韓国旅行記28(5/30):10月29日(4):ソウル、徳寿宮、徳弘殿、咸寧殿、静観軒

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2014/10/28 - 2014/10/31

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旅人のくまさん

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ソウル市民に人気が高いとされる、王宮跡の徳寿宮(トクスグン)の紹介です。日本も絡んだ韓国の近代史の舞台にもなりました。

  • 徳寿宮(トクスグン)の敷地の西北側に位置するエリアにある遺跡の紹介です。地図には、『璿源殿址』と記されていました。歴代王たちが祭祀を行う場所とされます。

    徳寿宮(トクスグン)の敷地の西北側に位置するエリアにある遺跡の紹介です。地図には、『璿源殿址』と記されていました。歴代王たちが祭祀を行う場所とされます。

  • 『ソンウォンジョン(サイト)』と記された平面図で示された案内看板です。『璿源殿址』は、韓国の歴史を象徴する神聖な場所と考えられています。

    『ソンウォンジョン(サイト)』と記された平面図で示された案内看板です。『璿源殿址』は、韓国の歴史を象徴する神聖な場所と考えられています。

  • 『ソンウォンジョン(サイト)』と記されたハングルと英文で記された案内看板です。1900年に完成した『璿源殿』には、肅宗をはじめ七位の御真影(王の肖像画)が飾られていたようです。

    『ソンウォンジョン(サイト)』と記されたハングルと英文で記された案内看板です。1900年に完成した『璿源殿』には、肅宗をはじめ七位の御真影(王の肖像画)が飾られていたようです。

  • 『璿源殿址』の散策です。途中まで、この一角では全く人と出会いませんでした。建物を全く見掛けなかったエリアです。

    『璿源殿址』の散策です。途中まで、この一角では全く人と出会いませんでした。建物を全く見掛けなかったエリアです。

  • 散策途中、右手に石段がありました。その石段を登ることにしました。20段前後だったようです。

    散策途中、右手に石段がありました。その石段を登ることにしました。20段前後だったようです。

  • 石段を登り終えた後、振り返って見下ろした石段の光景です。『璿源殿』一帯は大韓帝国を象徴する神聖な空間でしたが、高宗王の死後。民間に売却されたようです。

    石段を登り終えた後、振り返って見下ろした石段の光景です。『璿源殿』一帯は大韓帝国を象徴する神聖な空間でしたが、高宗王の死後。民間に売却されたようです。

  • 石段を登り終えると、その先は直ぐに石塀になりました。現在のトクスグン(徳寿宮)の敷地境界でした。

    石段を登り終えると、その先は直ぐに石塀になりました。現在のトクスグン(徳寿宮)の敷地境界でした。

  • 敷地境界の石塀の光景です。区域境とは思えないような面白い石塀の造りでした。再建されたような、新しい造りでした。

    イチオシ

    敷地境界の石塀の光景です。区域境とは思えないような面白い石塀の造りでした。再建されたような、新しい造りでした。

  • この後、敷地境界の石塀の近くに沿って散策しました。ただし道が狭くなった場所では、並行する広い道の方を選びました。ここからは、手前を右に折れました。

    この後、敷地境界の石塀の近くに沿って散策しました。ただし道が狭くなった場所では、並行する広い道の方を選びました。ここからは、手前を右に折れました。

  • 並行する広い散歩道から眺めた、敷地境界の石塀の光景です。かなりの段差がありました。

    並行する広い散歩道から眺めた、敷地境界の石塀の光景です。かなりの段差がありました。

  • 並行する広い散歩道の光景です。石畳になっていました。その石畳は、長年使われたらしく微妙な凹凸がありました。

    並行する広い散歩道の光景です。石畳になっていました。その石畳は、長年使われたらしく微妙な凹凸がありました。

  • 1900年に完成した『璿源殿』があった頃の石柱でしょうか、文字が削られていたようですから、全く手掛かりがありませんでした。

    1900年に完成した『璿源殿』があった頃の石柱でしょうか、文字が削られていたようですから、全く手掛かりがありませんでした。

  • 敷地境の石塀に並行する散歩道から見下ろした南側の光景です。大韓帝国歴史館の建物裏側が見えていました。

    敷地境の石塀に並行する散歩道から見下ろした南側の光景です。大韓帝国歴史館の建物裏側が見えていました。

  • 散歩道の光景が続きます。この辺りから散歩する人達とすれ違うようになってきました。

    散歩道の光景が続きます。この辺りから散歩する人達とすれ違うようになってきました。

  • 散策途中で出会った、キジバトさんです。人馴れしているようでしたが、少しずつ遠くに離れていきました。ハト科キジバト属の鳥類で、ヤマバト(山鳩)の別名を持ちます。

    散策途中で出会った、キジバトさんです。人馴れしているようでしたが、少しずつ遠くに離れていきました。ハト科キジバト属の鳥類で、ヤマバト(山鳩)の別名を持ちます。

  • 小高くなっていた敷地を歩き終えました。敷地境界の石塀とも同じレベルになりました。

    小高くなっていた敷地を歩き終えました。敷地境界の石塀とも同じレベルになりました。

  • こちらに見える石塀と門は、現在の徳寿宮(トクスグン)の敷地境界ではありません。区域内にあるエリア区画のためのものです。

    こちらに見える石塀と門は、現在の徳寿宮(トクスグン)の敷地境界ではありません。区域内にあるエリア区画のためのものです。

  • 南に向かって、緩やかな下り坂になった徳寿宮(トクスグン)の敷地内の光景です。中央から右手に見える建物は、後ほど紹介する『昔御堂(ソゴダン)』です。

    南に向かって、緩やかな下り坂になった徳寿宮(トクスグン)の敷地内の光景です。中央から右手に見える建物は、後ほど紹介する『昔御堂(ソゴダン)』です。

  • 静観軒(チョングァンホン)は、1900年に建てられた最初の西洋式建物です。ここで高宗王(1852〜1919年)がコーヒーを飲みながら余暇を楽しんだとされます。裏側には、ロシア公園に通じた狭く長い秘密地下通路が今も残っています。

    イチオシ

    静観軒(チョングァンホン)は、1900年に建てられた最初の西洋式建物です。ここで高宗王(1852〜1919年)がコーヒーを飲みながら余暇を楽しんだとされます。裏側には、ロシア公園に通じた狭く長い秘密地下通路が今も残っています。

  • 『ジョングァンヒョン(静観軒)』の説明パネルです。正面7間、側面5間の規模で、八作屋根の様式の屋根を乗せ、単層に木彫と赤いレンガが使われ、床には大理石が敷かれています。ロシア建築技師のサバテンによって設計されました。韓式と洋式を折衷した建築物とされます。

    『ジョングァンヒョン(静観軒)』の説明パネルです。正面7間、側面5間の規模で、八作屋根の様式の屋根を乗せ、単層に木彫と赤いレンガが使われ、床には大理石が敷かれています。ロシア建築技師のサバテンによって設計されました。韓式と洋式を折衷した建築物とされます。

  • 半ば壊れて、高さも低くなったようです。孔が開けられた造りから言って、明かりを灯した石灯篭のようです。

    半ば壊れて、高さも低くなったようです。孔が開けられた造りから言って、明かりを灯した石灯篭のようです。

  • 1898年、コーヒーと係わる高宗毒殺未遂事件が発生しました。キム・ホンリュクという通訳が、高宗と皇太子が好んで飲むコーヒーに毒を入れたことによるものです。高宗はすぐに吐き出し、大事には至らなかったものの、皇太子(後の純宗)は、吐き出したにも拘らず、後遺症に苦しんだとされます。処遇に対する恨みによる犯行だったようです。

    1898年、コーヒーと係わる高宗毒殺未遂事件が発生しました。キム・ホンリュクという通訳が、高宗と皇太子が好んで飲むコーヒーに毒を入れたことによるものです。高宗はすぐに吐き出し、大事には至らなかったものの、皇太子(後の純宗)は、吐き出したにも拘らず、後遺症に苦しんだとされます。処遇に対する恨みによる犯行だったようです。

  • 横から眺めた、『昔御堂(ソゴダン)』の建物光景です。『昔御堂』は、宣祖の継妃である仁穆王后金氏が、約10年間の監禁生活に置かれた建物です。光海君が王位に着いた後野出来事です。

    イチオシ

    横から眺めた、『昔御堂(ソゴダン)』の建物光景です。『昔御堂』は、宣祖の継妃である仁穆王后金氏が、約10年間の監禁生活に置かれた建物です。光海君が王位に着いた後野出来事です。

  • 赤松の植木越しに眺めた『ジョングァンヒョン(静観軒)』の建物光景です。韓式と洋式を折衷した建築物とされますが、外観は洋式そのものです。

    赤松の植木越しに眺めた『ジョングァンヒョン(静観軒)』の建物光景です。韓式と洋式を折衷した建築物とされますが、外観は洋式そのものです。

  • 緩やかな傾斜地に造られた、石塀と門の光景です。徳寿宮(トクスグン)の敷地内の施設ですから、堅固さよりも、見た目にも変化に富んだ造りです。

    緩やかな傾斜地に造られた、石塀と門の光景です。徳寿宮(トクスグン)の敷地内の施設ですから、堅固さよりも、見た目にも変化に富んだ造りです。

  • 『徳弘殿』の建物光景です。徳弘殿は、明成皇后の魂殿として使用された景孝殿の場所に建ちます。高宗皇帝が、高位官僚と外交使節を接見する建物として使用しました。

    『徳弘殿』の建物光景です。徳弘殿は、明成皇后の魂殿として使用された景孝殿の場所に建ちます。高宗皇帝が、高位官僚と外交使節を接見する建物として使用しました。

  • 『徳弘殿』の扁額のアップ光景です。『徳弘殿』の内部は、天井にシャンデリアを設置するなど、西洋風に飾られました。

    『徳弘殿』の扁額のアップ光景です。『徳弘殿』の内部は、天井にシャンデリアを設置するなど、西洋風に飾られました。

  • 『咸寧殿』の建物光景です。咸寧殿は、高宗王の寝殿として1897年に建立されました。1904年の大火で消失しましたが、再建されました高宗王はここで起居していた時、68歳で崩御しました。死後、高宗王の殯殿及び魂殿として使用されました。

    『咸寧殿』の建物光景です。咸寧殿は、高宗王の寝殿として1897年に建立されました。1904年の大火で消失しましたが、再建されました高宗王はここで起居していた時、68歳で崩御しました。死後、高宗王の殯殿及び魂殿として使用されました。

  • 『咸寧殿』の建物の軒下光景です。緑とベンガラ色が主体の装飾ですが、その所々にあったオレンジ色の装飾が目を惹きました。

    『咸寧殿』の建物の軒下光景です。緑とベンガラ色が主体の装飾ですが、その所々にあったオレンジ色の装飾が目を惹きました。

  • 『咸寧殿』の扁額のアップ光景です。1904年 4月、『咸寧殿』で発生した大火災で、当時の慶運宮はほとんどが灰燼と化しました。火災の原因を巡っては、諸説があるようです。

    『咸寧殿』の扁額のアップ光景です。1904年 4月、『咸寧殿』で発生した大火災で、当時の慶運宮はほとんどが灰燼と化しました。火災の原因を巡っては、諸説があるようです。

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