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 鎮海(チネ)にある海軍士官学校の展示品の紹介です。フラッシュなしでの撮影が許可されていました。

2014春、韓国旅行記27(24/25:補遺):海軍士官学校展示室(1/2):李舜臣(イ・スンシン)、安重根

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2014/04/05 - 2014/04/09

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旅人のくまさん

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 鎮海(チネ)にある海軍士官学校の展示品の紹介です。フラッシュなしでの撮影が許可されていました。

  • 『韓国の英雄・李舜臣将軍』の説明プレートの日本語部分です。1545年にソウルで生まれ、32歳で科挙に合格し、露梁海戦で戦死するまでを略述してありました。露梁海戦は、1598年に起きた慶長の役における最後の大規模海戦です。既に明との間で和議が結ばれ、日本軍が撤退していく最中での戦いでした。

    『韓国の英雄・李舜臣将軍』の説明プレートの日本語部分です。1545年にソウルで生まれ、32歳で科挙に合格し、露梁海戦で戦死するまでを略述してありました。露梁海戦は、1598年に起きた慶長の役における最後の大規模海戦です。既に明との間で和議が結ばれ、日本軍が撤退していく最中での戦いでした。

  • 『パンオクソン(板屋船)』の説明書きがあった模型です。李舜臣将軍といえば、亀甲船で日本水軍を翻弄したように説明されていますが、実際には李舜臣将軍が作らせた亀甲船は5隻だけとする文献があるようですから、ほかは板屋船だったようです。

    イチオシ

    『パンオクソン(板屋船)』の説明書きがあった模型です。李舜臣将軍といえば、亀甲船で日本水軍を翻弄したように説明されていますが、実際には李舜臣将軍が作らせた亀甲船は5隻だけとする文献があるようですから、ほかは板屋船だったようです。

  • 現在のかkン国の領域に記された赤い線と、拠点を記したような黒丸ですが、内容は分かりません。記された日時は、1597〜1598年の慶長の役の時期に相当します。

    現在のかkン国の領域に記された赤い線と、拠点を記したような黒丸ですが、内容は分かりません。記された日時は、1597〜1598年の慶長の役の時期に相当します。

  • 李舜臣(イ・スンシン)将軍、李忠武公の標準肖像画(A Standard Portrait)のようです。最近では、反日のシンボルとして使われることが増えたようです。1953年に原版が造られたようです。

    李舜臣(イ・スンシン)将軍、李忠武公の標準肖像画(A Standard Portrait)のようです。最近では、反日のシンボルとして使われることが増えたようです。1953年に原版が造られたようです。

  • 李舜臣(イ・スンシン)将軍の若かりし頃の辞令です。万歴4年(1576年)、32歳の時に武科の試験(科挙)に合格しました。初めて受験したのは22歳の時とされます。

    李舜臣(イ・スンシン)将軍の若かりし頃の辞令です。万歴4年(1576年)、32歳の時に武科の試験(科挙)に合格しました。初めて受験したのは22歳の時とされます。

  • 『プサンチン・スンチョルド(釜山鎮・殉節図)』です。1760年に描かれた、文禄・慶長の役(1592〜1598年)の始まりの年の1562年の釜山城攻防戦です。

    『プサンチン・スンチョルド(釜山鎮・殉節図)』です。1760年に描かれた、文禄・慶長の役(1592〜1598年)の始まりの年の1562年の釜山城攻防戦です。

  • 『ファンジャ・ジョンドン(黄字銃筒)』の説明書きがあった展示品です。文禄・慶長の役(1592〜1598年)で使われた鉄砲関係の道具で、1978年に発見された品です。

    『ファンジャ・ジョンドン(黄字銃筒)』の説明書きがあった展示品です。文禄・慶長の役(1592〜1598年)で使われた鉄砲関係の道具で、1978年に発見された品です。

  • 『ヒョンジャ・ジョンドン(玄字銃筒)』の説明書きがあった展示品です。文禄・慶長の役(1592〜1598年)で使われた鉄砲関係の道具で、1978年に発見された品です。

    『ヒョンジャ・ジョンドン(玄字銃筒)』の説明書きがあった展示品です。文禄・慶長の役(1592〜1598年)で使われた鉄砲関係の道具で、1978年に発見された品です。

  • 謎が多い、亀甲船(コブッソン)の模型です。2011年、新説に基づいて3階構造の亀甲船と板屋船など4隻が新造され、2013年1月、巨済島に運ばれて水上展示される予定でしたが、想像による亀甲船の再現船は、曳航中に沈没しました。

    イチオシ

    謎が多い、亀甲船(コブッソン)の模型です。2011年、新説に基づいて3階構造の亀甲船と板屋船など4隻が新造され、2013年1月、巨済島に運ばれて水上展示される予定でしたが、想像による亀甲船の再現船は、曳航中に沈没しました。

  • 『ミョンリャン・ヘチョンド(鳴梁海戦図)』のタイトルがあった絵です。鳴梁渡海戦とも呼ばれ、1597年9月16日に陸の軍に呼応して西進した日本水軍と朝鮮水軍との間に起こった慶長の役における海戦の一つです。

    『ミョンリャン・ヘチョンド(鳴梁海戦図)』のタイトルがあった絵です。鳴梁渡海戦とも呼ばれ、1597年9月16日に陸の軍に呼応して西進した日本水軍と朝鮮水軍との間に起こった慶長の役における海戦の一つです。

  • 韓国の軍艦、板屋船の図です。図には本板長90尺(約27メートル)、広14尺8寸(約4.4メートル)等の数字が書き込まれています。

    韓国の軍艦、板屋船の図です。図には本板長90尺(約27メートル)、広14尺8寸(約4.4メートル)等の数字が書き込まれています。

  • 『ハサルドン(箭筒9』です。19世紀のものと添書きがありました。

    『ハサルドン(箭筒9』です。19世紀のものと添書きがありました。

  • 文字が滲んで読み取れませんが、文禄・慶長の役当時の火縄銃のようです。戦国時代を経た日本の火器は、当時の明国と並ぶ世界最強の戦力に達していたようです。

    文字が滲んで読み取れませんが、文禄・慶長の役当時の火縄銃のようです。戦国時代を経た日本の火器は、当時の明国と並ぶ世界最強の戦力に達していたようです。

  • 韓国水軍の板屋船に対抗する当時の日本の安宅船です。室町時代の後期から江戸時代初期にかけて多く用いられた軍船です。戦闘時には数十人の漕ぎ手によって推進され、小回りがきき、百数十人の戦闘員が乗り組むことができる大きさのものまで建造されました。

    韓国水軍の板屋船に対抗する当時の日本の安宅船です。室町時代の後期から江戸時代初期にかけて多く用いられた軍船です。戦闘時には数十人の漕ぎ手によって推進され、小回りがきき、百数十人の戦闘員が乗り組むことができる大きさのものまで建造されました。

  • 『ヘチャンド・ピョンプ(海陣図・屏風)』です。19世紀に描かれたものです。想像上の亀甲船が数多く描かれているようにも見受けます。

    『ヘチャンド・ピョンプ(海陣図・屏風)』です。19世紀に描かれたものです。想像上の亀甲船が数多く描かれているようにも見受けます。

  • 『チョソン・ヨクグァンソン(朝鮮・譯官船)』の図です。原図は日本の慶応義塾大・図書館と添書きがありました。日本の江戸時代に行き来した、朝鮮通信使を乗せた船のようです。釜山の港への入港の図です。

    『チョソン・ヨクグァンソン(朝鮮・譯官船)』の図です。原図は日本の慶応義塾大・図書館と添書きがありました。日本の江戸時代に行き来した、朝鮮通信使を乗せた船のようです。釜山の港への入港の図です。

  • 複製品かオリジナル品かわからなかった小型の大砲の数々です。この大砲には、『天字銃筒及大将軍箭』の説明文がありました。

    複製品かオリジナル品かわからなかった小型の大砲の数々です。この大砲には、『天字銃筒及大将軍箭』の説明文がありました。

  • この大砲には、『地字将軍箭』の説明文字がありました。『箭』は、矢と同じ意味のようです。

    この大砲には、『地字将軍箭』の説明文字がありました。『箭』は、矢と同じ意味のようです。

  • 推測ですが、この3つの大砲は、弾丸を飛ばすためのものではなく、伝令の信号を伝えるための道具のようです。

    推測ですが、この3つの大砲は、弾丸を飛ばすためのものではなく、伝令の信号を伝えるための道具のようです。

  • 『チュンワング(中碗口)』と記された展示品です。文禄・慶長の役(1592〜1598年)で使われた鉄砲関係の道具のようです。1978年に発見された品です。

    『チュンワング(中碗口)』と記された展示品です。文禄・慶長の役(1592〜1598年)で使われた鉄砲関係の道具のようです。1978年に発見された品です。

  • 旅順の獄中で揮毫された安重根の『青草塘』の書です。『庚戌三月 於旅順獄中安重根書』の落款と手形がありました。『塘』は、水を溜ためるために築いた土手を意味します。『庚戌三月』安重根が処刑された1910年3月となります。

    旅順の獄中で揮毫された安重根の『青草塘』の書です。『庚戌三月 於旅順獄中安重根書』の落款と手形がありました。『塘』は、水を溜ためるために築いた土手を意味します。『庚戌三月』安重根が処刑された1910年3月となります。

  • 同じく、旅順の獄中で揮毫された安重根の『臨敵先進為将義務』の書です。『庚戌三月 於旅順獄中安重根謹拝』の落款と手形がありました。どちらも処刑の月の揮毫です。

    同じく、旅順の獄中で揮毫された安重根の『臨敵先進為将義務』の書です。『庚戌三月 於旅順獄中安重根謹拝』の落款と手形がありました。どちらも処刑の月の揮毫です。

  • 『海軍士官学校』の文字が記された表札です。『国防長官・李範●(イ・ボムソク』の落款がありました。ネット検索しましたら、初代国防長官(在位:1948年8月〜1949年3月)でした。

    『海軍士官学校』の文字が記された表札です。『国防長官・李範●(イ・ボムソク』の落款がありました。ネット検索しましたら、初代国防長官(在位:1948年8月〜1949年3月)でした。

  • 『明朝八賜品』と記された一角の展示品です。『チャンド(斬刀)』です。日本の刀には反りがありますが、飾りが付いた柄が長く、反りが全くない刀です。明朝第14代皇帝の神宗(在位1572〜1619年)の時の下賜品と記されていました。万歴帝とも呼ばれましたが、治世を疎かにし、明朝衰退のきっかけを作ったと評価されています。

    『明朝八賜品』と記された一角の展示品です。『チャンド(斬刀)』です。日本の刀には反りがありますが、飾りが付いた柄が長く、反りが全くない刀です。明朝第14代皇帝の神宗(在位1572〜1619年)の時の下賜品と記されていました。万歴帝とも呼ばれましたが、治世を疎かにし、明朝衰退のきっかけを作ったと評価されています。

  • 同じく、『明朝八賜品』と記された一角の展示品です。『チャンド(斬刀)』です。この刀の柄の飾りはシンプルで短く、反りはほとんどありません。

    同じく、『明朝八賜品』と記された一角の展示品です。『チャンド(斬刀)』です。この刀の柄の飾りはシンプルで短く、反りはほとんどありません。

  • 赤と青がセットになった『ヨンギ(令旗)』です。英文では『コマンディング・フラッグス』の説明文となっていました。

    赤と青がセットになった『ヨンギ(令旗)』です。英文では『コマンディング・フラッグス』の説明文となっていました。

  • 左が『都督印』、それを収めた『櫃(ひつ)』が右手です。『皇朝 御賜印』の文字が櫃にありました。年代が記されていませんが、中国の清朝時代のもののようです。造作から判断しても、日本統治時代(1910〜1945年)のものではなさそうです。

    左が『都督印』、それを収めた『櫃(ひつ)』が右手です。『皇朝 御賜印』の文字が櫃にありました。年代が記されていませんが、中国の清朝時代のもののようです。造作から判断しても、日本統治時代(1910〜1945年)のものではなさそうです。

  • 『大将』の文字が記された、『ヨンピ(令牌)』です。英文表記は。『コマンディング・タグ』でした。

    イチオシ

    『大将』の文字が記された、『ヨンピ(令牌)』です。英文表記は。『コマンディング・タグ』でした。

  • 同じく、『令』の文字が記された、『ヨンピ(令牌)』です。英文表記は、『コマンディング・タグ』でした。どちらも髭を生やした虎の絵がユーモラスです。

    同じく、『令』の文字が記された、『ヨンピ(令牌)』です。英文表記は、『コマンディング・タグ』でした。どちらも髭を生やした虎の絵がユーモラスです。

  • 2本の『ゴクナパル(曲喇叭)』です。戦闘開始の時に鳴らされたようです。

    2本の『ゴクナパル(曲喇叭)』です。戦闘開始の時に鳴らされたようです。

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2014春、韓国旅行記27

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