2014/03/28 - 2014/03/30
6451位(同エリア27501件中)
entetsuさん
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- 旅行記675冊
- クチコミ3932件
- Q&A回答16件
- 2,232,047アクセス
- フォロワー99人
今回で7回目のソウル。
航空機は、運賃・サーチャージ・諸税等込みで@17,110円。
ホテルは、2泊料金23,664円(税込サ込)。
合計夫婦二人で、57,884円。
★最終日になりました。
この日は、まず、「ソウル駅都心空港ターミナル」で事前チェックインをした後「昌慶宮」をウォーキングします。
写真は、「昌慶宮」の 「明政門」です。
1日目:「サムゲタン」の夕食~韓国伝統芸能公演「MISO(美笑)」 ↓
http://4travel.jp/travelogue/10839398
2日目(1):韓国ドラマ「屋根部屋のプリンス」ロケ地巡り① ↓
http://4travel.jp/travelogue/10871617
2日目(2):韓国ドラマ「屋根部屋のプリンス」ロケ地巡り② ↓
http://4travel.jp/travelogue/10872652
2日目(3):韓国ドラマ「屋根部屋のプリンス」ロケ地巡り③ ↓
http://4travel.jp/travelogue/10871642
2日目(4):「貞洞展望台」~「徳寿宮」~「ネギプルコギ」の夕食↓
http://4travel.jp/travelogue/10871657
3日目(1):ソウル駅都心空港ターミナル~「旧ソウル駅舎」)↓
http://4travel.jp/travelogue/10876831
★3日目(2):「昌慶宮」ウォーキング
3日目(3):インチョン国際空港~帰国)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩 飛行機
- 航空会社
- チェジュ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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「月覲門(ウォルクンムン)」
李朝第22代王の正祖が彼の父、思悼世子の廟にあたる景慕宮にいつでも参拝できるように1779年、弘化門の北側の壁を取り壊して建られたそうです。
正祖が毎月1日景慕宮に参拝する時には必ずこの門を通って行ったため月覲門と名づけられました。
※「昌慶宮」を今回ウォーキングで選んだのは、韓国ドラマ「イ・サン」にまつわるスポットが多いこともその理由の一つ。
いきなり、ありました!地下鉄「恵化」駅から行くと、「昌慶宮」で最初に巡り合うスポット by entetsuさん月覲門 史跡・遺跡
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「昌慶宮」の石垣道を歩きます。
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着いたようです。
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「弘化門(ホンファムン)」。
昌慶宮の正門で、1484年に建築されました。
文禄・慶長の役の時に全焼し、1616年に再建されたものが現在まで残っています。
再建後も修理と丹青が繰り返されてきたため、本来の美しさは影を潜めているそうですが、17世紀初めの木造建築物の研究資料として重要な価値を有しています。「昌慶宮」の正門です by entetsuさん弘化門 史跡・遺跡
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イチオシ
「弘化門」は正門で、塀の左右に十字閣が置かれ、他の王宮の正門とは違って東向きに建てられています。
これは、この王宮のいわれにも関係があるようです。
そのいわれについては、後ほど。「昌慶宮」の正門です by entetsuさん弘化門 史跡・遺跡
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昌慶宮の歴史は、退位した父・太宗(テジョン)が穏やかに後世を送る場所として、1418年に朝鮮王朝第4代王・世宗が建てた「寿康宮」にはじまります。
その後、1484年に第9代王・成宗が、祖母・貞熹王后、生母・昭恵王后、養母・安順王后の3人が住むための別宮として再建、名前も現在の「昌慶宮」となりました。
ここの「弘化門」が、他の正宮の正門が南向きであるのに対し、東向きにあるのも、女性が住むために建てたということに関係があるようです。
1592年の文禄・慶長の役ですべての建物が焼失、1616年に再建後も大小の火災に見舞われ、そのつど復旧が重ねられました。
日本による植民地時代には動・植物園が作られ、名称も「昌慶苑」に格下げされて一般人にも公開されるようになるなど、宮内の建物の多くが破壊・変形されてしまいます。
しかし1983年から3年間にわたる韓国政府の大規模な復元・改修工事を経て、「昌慶宮」という名前とともに、ようやく昔の姿を取り戻すに至りました。
当時、昌慶宮には現在とは比べものにならないほどに大きかったようです。イサンやトンイに纏わるスポットが沢山あります by entetsuさん昌慶宮 城・宮殿
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ウォーキングのガイドさんとの待ち合わせは、「弘化門」脇のチケット売場前に9:45という事でしたが・・・。
なかなか来ません。
ウォーキングの開始は10:00ですので、もう少し待ちましょう。 -
とりあえず、チケットを購入。
@1000ウォンでした。
ウォーキングは、ソウル市公式観光情報サイト「Visit Seoul」で予約した、ソウル文化観光解説ボランティアと巡る「【伝統文化】昌慶宮コース」のウォーキングツアーです。
http://www.visitseoul.net/jp/article/article.do?_method=view&art_id=58505&lang=jp&m=0004004004001&p=04 -
「昌慶宮」は、9代王・成宗の祖母と生母、養母を住まわせるために創建された王宮。
亡くなった先王の夫人たちが王宮内で王とともに住むことに気兼ねし、王宮の外での生活を希望したため、新しい宮殿を建てることになったといいます。
もともと、先王の夫人である大妃の住むところは王宮内の、王の寝殿のそばの裏(北東側)にあるのが原則。
王室内の最年長者として、朝夕王の安否うかがいを受ける大妃や大王大妃が王の寝殿および王妃の寝殿から近い距離に住むことのはそれまで当然のこととされていました。
景福宮や昌徳宮にもこれらの人々を迎えられればよかったのですが、その当時、景福宮は世祖の甥である端宗(タンジョン)が王位を不法に奪った場所であり、世祖の子孫はそこに住むのを心苦しく思っていました。
そこで寿康宮に明政殿、文政殿、通明殿を新たに建造し、王宮としての姿を整え、新しく昌慶宮としての歴史がスタートすることになったという訳です。 -
こんなベビーカーを押す、若いお母さん。
程なくガイドさんとも会えて、ウォーキング開始〜。 -
王宮内に入って振り返って見た「弘化門」。
正面3間、側面2間で、2階建て。
全体的に赤く、雄壮な感じがします。「昌慶宮」の正門です by entetsuさん弘化門 史跡・遺跡
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「昌慶宮」は近くの「昌徳宮」とともに、「景福宮」に代わって王朝の中心舞台となり、「昌慶宮」では大小の歴史的な事件が途切れることなく起こりました。
粛宗の時代に起きた張禧嬪とその一族が処刑された事件(韓国ドラマ「トンイ」ですね)や、英祖の時代に起きた思悼世子(サドセジャ)の死(韓国ドラマ「イ・サン」です)など、すべてここ「昌慶宮」が舞台になったそうです。 -
「明政門」です。
桜のような花も咲き、大変美しい。正殿の明政殿の正門 by entetsuさん明政門 史跡・遺跡
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しかしながら、「明政門」には向かわずに、左の方向に向かいます。
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日本統治が始まる直前の1909年、「昌慶宮」の殿閣は破壊され、王宮内には動物園や植物園がオープンしました。また1911年には博物館も設置され、桜の木がたくさん移植され、一般の人のための休憩所となり、名称も「昌慶宮」から昌慶苑に変わり、王宮としての扱われず、格が下がった時期もありました。
その後も、ソウル市民には長い間、王宮というより公園として認識されてきましたが、1983年12月から3年間に及ぶ「昌慶宮」復元工事が行われ、動物園などはソウル市郊外の果川にあるソウル大公園に移され、1986年8月、ようやく往時の王宮の姿を取り戻すことになりました。
まさに今は空き地のこのスペースに、動物園があったそうです。
ガイドさん、「子供が小さい時、よく動物園に連れて来ましたよ」。 -
ソウルは今年の冬は大変暖かく、桜は約2週間早いそうです。
去年は、正月と2月に2回韓国に来て、市内でマイナス8℃、DMZで北との国境近くではマイナス18℃を経験したんですが・・・。
なんだ、暖っかだったんだ・・・(笑)。
家内は、懲りて「冬は韓国はイヤ!」といって譲りません(笑)。 -
「宣仁門(ソニンムン)」
正門である「弘化門」に沿って南側に下るとある門です。
以前の名前は瑞燐門で、王世子(皇太子)が住む東宮の正門にあたり、朝廷の臣下たちがこの門から出入りしていたと言われています。文禄・慶長の役(1592年)と1857年に焼失、1877年に再建されました。
※ここは、「イ・サン」にまつわるスポット。
英祖の時代、思悼世子(サドセジャ、イ・サンの父)は、政治的な派閥の争いの中で濡れ衣を着せられ、英祖の命令によって米櫃の中に閉じ込められた8日後に餓死してしまいます。
その亡骸を運び出したのが、この門。思悼世子の亡骸を運び出したのが、この門 by entetsuさん宣仁門 史跡・遺跡
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イチオシ
槐(えんじゅ)の古木。
樹齢300年とも400年ともいわれています。
※ガイドさん曰く、「この樹は、思悼世子が亡くなるところも、運ばれるところもじっと見てきたんですよ」(合掌)。 -
「槐(えんじゅ)の樹」。
中国原産で、古くから台湾、日本、韓国などで植栽されている木です。
中国の周の国では宮廷の正門と正殿の大門の間に槐の木を三本を植え、最も高い職位の三公が木の下に集まり政事を司ったという伝統を受け継ぎ、韓国でも宮廷の入口に槐が植えられています。
もう、自力では立つことが出来ず、かつ樹の中はスカスカみたいですが、毎年青々とした葉をつけるそうです。 -
韓国の王宮には必ず川があります。
これには、「風水」と関わりがあるといわれています。古宮や王陵は昔から風水地理学的によい場所に立てられていたこともあり、どこも気の溢れるスポッで、それぞれ古宮の「気」の流出を防ぐために川を作りました。
これは宮殿の内外を区分し、一般人の出入りを禁止するという意味だけでなく、風水的に「水が吉」と信じられていたため、この地のパワーである「地気」が逃げていかないようにするためだったそうです。
従って、日本のお城のように、敵の攻撃から守りの意味が強い「お堀」とは根本的に考え方が違うのだそうです。
ガイドさん、熱弁でした。 -
今一度、「宣仁門」を振り返ります。
※幼い「イ・サン」も、ここで父の亡骸が運び出されるのを見たのでしょうか・・・。
サンの子役だったパク・チビンくん。
あの熱演が忘れられない〜。 -
これも古い。
柳の樹とのことです。 -
「昌慶宮」は、成宗の祖母と生母、養母を住まわせるために創建された王宮で、いわば女性のための王宮。
石垣塀越しに外から覗けないようにと植えられたそうです。
日本だと、多分、植えるのは松の木になりそうですが、そこは文化の違い。 -
「弘化門」の前の所に戻ってきました。
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「玉川橋(オッチョンギョ)」。
花崗岩で造られた長さ9.9m、幅6.6mの石の橋。
王宮の中心にあたる建物である正殿に入っていくときは、風水に従い正殿の正門と王宮の正門の間に流れる明堂水(ミョンドス)を渡って入っていくように作られています。
「玉川橋」はまさにその明堂水の上にかけられた橋で、「昌慶宮」創建当時の1483年に造られたものと推定されています。
橋の床面には左右の道より幅が広く、少し高く作られた歩道がありますが、ここは王様だけが通ることができる「御道」です。
欄干の細工は、15世紀石像美術の卓越した技術をうかがわせます。昌慶宮に流れる明堂水(ミョンドス) by entetsuさん玉川橋 史跡・遺跡
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「明政門(ミョンジョンムン)」。
「弘化門」から「玉川橋」を渡って明政殿へと至る昌慶宮の中門で、明政殿の正門にあたります。正殿の明政殿の正門 by entetsuさん明政門 史跡・遺跡
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「昌慶宮」創建当時、1484年に建てられましたが、文禄・慶長の役で焼失し、その後1616年に再度再建されたものです。
南側と北側の行閣の一部は、日本統治時代に撤去されましたが1986年に復元されました。 -
イチオシ
「明政殿(ミョンジョンジョン)」。
「昌慶宮」の正殿にあたり、王宮内で最高の殿閣とされています。
李朝の王宮正殿内の建物がほとんど南向きに建てられているのに対し、「明政殿」だけは東向きに作られています。
「明政殿」を中心に即位式、朝賀の儀式、科挙の試験、各種宮中宴会など公式的な大きな行事がたくさん行われたそうです。
「明政殿」は現在残っている韓国王宮の正殿のうちで最も古いもので、文禄・慶長の役で焼失していたものが1616年に再建されて、現在に至っています。「昌慶宮」の正殿にあたります by entetsuさん明政殿 史跡・遺跡
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「明政殿」に向かって右側です。
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今度は、「明政殿」に向かって左側です。
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中央です。
三本の道のうち、真ん中は王様だけが通ることができる「御道」です。 -
王の即位式や大礼など国の公式行事が行われ、建物の手前の石畳の広場には家臣たちが並びます。
韓国ドラマ時代劇ではお馴染みですね。
階級ごとに並ぶ位置が決められ、それを示す「品階石(プンゲソッ)」が見えます。 -
1544年には、第12代・仁宗(インジョン)がここで即位しました。
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現在残っている王宮の正殿のうちで最も古いということですが、そう言われれば、そう感じます。
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「御道」の部分には鳳凰のエンブレムのような石(踏石)があり、その脇をヘチが守ります。
王が正殿へ上がる時のための踏石で、君主を象徴した鳳凰が描かれています。 -
玉座(オッチャ)と日月五嶽図(イルウォルオアット)。
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玉座は王が座る椅子のこと。
日月五嶽図は宮中にだけある絵で「太陽と月」は王と王妃を象徴し、「5つの峰」は王が治める広い国土を意味しているのだとか。 -
ガイドさん曰く、「この柵は恐らく400年前のものでしょう」。
そうか・・・。 -
ここに、王が座った・・・。
感慨深いものがあります。 -
天井には金色の鳳凰。
国宝226号だそうです。「昌慶宮」の正殿にあたります by entetsuさん明政殿 史跡・遺跡
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これに水を張り、火災などに備えたそうです。
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独特の、斜め格子の文様は珍しいし、建物の位が高い証拠とのこと。
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「文政殿(ムンジョンジョン)」。
王の執務室に該当する便殿(ピョンジョン)。
正殿である「明政殿」に比べて建築手法が簡潔で素朴です。
昌慶宮の中心一郭がすべて東向きに建てられているのに対して、唯一この文政殿のみが南を向いているのが特徴だそうです。王の執務室に該当します by entetsuさん文政殿 城・宮殿
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内部は他の殿閣とは違って開放されています。
玉座や「日月五岳屏」などをより近くで見ることができました。
この文政殿も、文禄・慶長の役で焼失。光海君の時に正殿である明政殿とともに再建されました。
しかし、日本統治地時代に昌慶苑として造成された際に取り壊され、1984年に始まった昌慶宮発掘作業を土台に1986年に再建されたのだそうです。 -
先ほどの「明政殿」の斜め格子のような細工が無く、質素な造り。
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「文政殿」の脇の広場です。
それで、ここが・・・。 -
ガイドさんの説明を聞きます。
※この広場が、イ・サンの父、思悼世子(サドセジャ)が米櫃に閉じ込められ8日後に亡くなった場所です。
思悼世子は、第21代王・英祖の次男。
少論派の学者たちから学問を学び、朝廷を掌握した老論派と対立します。 -
1749年、英祖が健康上の理由から14歳の息子・思悼世子に政治を任せようとしました。少論派は裏で実権を握ろうとしましたが、対抗勢力の老論派と貞純王后(英祖の后)が、英祖に思悼世子の言動を歪めて報告し、陥れます。
真に受けた英祖に何度も叱責された思悼世子は、精神を病み奇行にはしるようになります。
その非行跡を英祖に報告したのが貞純王后の父キム・ハングで、その讒言が決定打となり思悼世子は父親の英祖の命令で米櫃に閉じ込められて餓死してしまします。
このあたりの話は史実で、「イ・サン」ではこの米櫃に入れられたあたりは、あまり詳しくは描かれませんでしたが、父の無念を晴らそうとするイ・サン=成祖の姿は、よく出てきました。
無念を晴らし、きちんとお祀りしたいという気持ちが、「水原華城」建設にも繋がっていきます。
また、「トキメキ☆成均館スキャンダル」では、ユチョン(イ・ソンジュン)や
パク・ミニョン(キム・ユニ)達が、成祖の命により、消されてしまっていた思悼世子に関する記録を探しますよね。 -
英祖はこの方・・・(笑)。
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うーん、ここですか・・・。
イ・サンは、このときまだ10歳。
どんな思いでその事実を受入れたのか・・・。
またまた、子役のパク・チビンくんの顔を思い出します〜。 -
「崇文堂(スンムンダン)」。
主に王と臣下が学問や国史を論じる「経筵(キョンヨン)」に使われていた建物。 by entetsuさん崇文堂 城・宮殿
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「崇文堂」は文字通り、主に王と臣下が学問や国史を論じる「経筵(キョンヨン)」に使われていた建物。
第20代王・景宗のときに建てられ、その後第23代王の純祖の時代の1830年に大火で焼失し、その年の秋に改築され、現在に至っているそうです。 -
崇文堂の扁額(文字や絵などを刻んで壁や紋の上に掲げる板)と「日監在茲」と描かれた掲板の文字は、第21代王・の英祖の手によるものだそうです。
英祖は特に学問を推奨し、秀才を養成しましたが、ここで自ら成均館の学生たちと接見、試験を行い、また時には酒宴を設けて彼らを励ましたと言われています。
「トキメキ☆成均館スキャンダル」を思い出すなぁ。 -
「雑像(チャプサン)」。
王室関係の建物の屋根にある、多様な動物の姿をした彫刻物で、魔除けであると共に装飾の効果も持たせているらしい。 -
正面の石垣塀は、隣接する「昌徳宮(チャンドックン)」の入口。
相互に出入りできます。
一回退場して再入場したい場合は、係りの人に申出ると、目印になる券を渡されるそうです。 -
知っているようで知らなかった〜。
隣接してるんだ・・・。 -
「涵仁亭(ハミンジョン)」。
大小の接見行事が行われたところ by entetsuさん涵仁亭 史跡・遺跡
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大小の接見行事が行われたところ。
第21代王・英祖は、ここを文武科挙で壮元及第(主席合格)した人たちと接見する場として使用したといわれています。
内部には4個の扁額に、中国宋代の詩人「陶淵明」の詩が掛けられています。
五言絶句の形式で四季を詠んだものが方向に合わせ季節ごとに掛けられています。ちなみに詩の内容は「春水満四沢(東−春の水はすべての池に満ち)、夏雲多奇峰(南−夏の雲は奇峰に多く)、秋月揚明輝(西−秋の月は空高く明るく輝き)、冬嶺秀孤松(北−冬の嶺に生うる松は美しい)」。
写真には、秋と冬が写っていますね。 -
「景春殿(キョンチュンジョン)」。
明政殿の後方にある内殿の建物の一つで、第9代王・成宗の時代、大妃のために建てられましたが、のちに王妃たちの住まいとして使用されていました。
第22代王・正祖(韓国ドラマ「イ・サン」の主人公)と、第24代王憲宗が誕生したところです。
また、成宗の生母である昭恵王后韓氏、仁顕王后閔氏、献敬王后洪氏が崩御した場所でもあります。
「景春殿」の扁額は、第22代王・純祖の手によるもので、現在の建物は1834(純祖34)年に再建されたものだそうです。
※イ・サンはここで生まれたんですか・・・。大妃のために建てられました。 by entetsuさん景春殿 城・宮殿
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「通明殿(トンミョンジョン)」。
66歳の英祖と貞純王妃の婚礼が行われたといわれます by entetsuさん通明殿 史跡・遺跡
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中宮殿の殿閣の中で最も大きく、他の王宮同様屋根に棟の部分が無いのが特徴です。
女性の生活空間らしく建物の周囲に花壇や池などが配され、華麗に飾られていました。
「昌慶宮」の創建時に建てられ、文禄・慶長の役(1592年)の際に焼失しましたが1616年に再建。再び正祖の時に火災で焼失しましたが1834(純祖34)年に再建され、現在に至っています。
扁額は純祖の親筆です。 -
裏庭には、オンドルの煙突がありました。
「通明殿」では66歳の英祖と貞純王妃の婚礼が行われたといわれます。
また、ドラマ「トンイ」で描かれた、ただの女官だった張禧嬪が王の子を産み、当時の后であった仁顯王后を放り出し后の席に上がったり、肅宗が宮から追い出された仁顯王后のために祈祷したムスリ(宮女に手水を運ぶ女官、トンイ=英祖の母)に出会った所でもあります。 -
内覧できます。
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質素ですね。
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「養和堂(ヤンファダン)」。
第16代王・仁祖がこちらに住んだと言われています。 by entetsuさん養和堂 史跡・遺跡
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丙子胡乱(1636年、清が侵入した乱)の際、第16代王・仁祖は南漢山城に避難し、翌年戻ってきてこちらに住んだと言われています。
「昌慶宮」の創建時に建てられましたが、文禄・慶長の役(1592年)や丙子胡乱で焼失、そのたびに再建されました。
現在の建物は、1830年に再び火事にあったものを1834年に再建したもの。
扁額は純祖の親筆とのことです。第16代王・仁祖がこちらに住んだと言われています。 by entetsuさん養和堂 史跡・遺跡
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「迎春軒(ヨンチュノン)/集福軒(チッポッコン)」。
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「養和堂」の東側にあるこじんまりとした殿閣で、「迎春軒」は「昌慶宮」の内殿の建物、「集福軒」は「迎春軒」の西行閣。
第22代王・正祖(イ・サン)がここで崩御しました。 by entetsuさん迎春軒 史跡・遺跡
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「迎春軒」は第22代王・正祖(イ・サン)が過ごしたところで、1800年6月28日にここで崩御しました。
「集福軒」は、思悼世子(サドセジャ)と正祖の息子・純祖が生まれたところです。
1830年に火災で焼失しましたが4年後に再建され、2000年に改築された部分を解体・復元し、現在に至っているのだそうです。 -
ガイドさんによると、成祖(イ・サン)は、何かににつけここをよく訪れ、読書室と執務室として利用し、病により崩御した場所もこの建物だそうです。
合掌。 -
岩のような石?
ここの階段を上がっていきます。 -
小高い丘に来てます。
またまたガイド情報。
「遠くにNソウルタワー、手前は「昌慶宮」の建物群。一番の景色でしょう?」 -
「慈慶殿(ジャギョンジョン)趾」。
今は、空地で荒地みたいになってはいますが、ここには「慈慶殿」という建物があったらしい。
「慈慶殿」は、1777年、正祖の母で思悼世子の妃であった恵慶宮洪氏のために建立したのだそうです。 -
「恵慶宮洪氏」をドラマ「イ・サン」で演じたのは大女優「キョン・ミリ」さん。
「宮廷女官チャングムの誓い」では、「チェ尚宮」を演じ、何かににつけチャングムを苛める悪役でした。ホント憎たらっしかった(笑)。
大変綺麗な女優さんなんですが・・・。 -
「風旗台(プンギデ)」。
1732(英祖8)年に作られたものと推定されています。
本体の一番上の穴に旗棹を挿し、その竿に旗を付け「風の方向と速度」を測っていた気象観測器具です。
花崗岩で作られ、全体の高さは228.1cm。「風の方向と速度」を測っていた気象観測器具です。 by entetsuさん風旗台 史跡・遺跡
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日時計もありました。
散策を続けます。「風の方向と速度」を測っていた気象観測器具です。 by entetsuさん風旗台 史跡・遺跡
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「成宗胎室碑(ソンジョンテシルビ)」。
李朝の王宮では王孫が生まれるとその胎(胎盤やへその緒)をきれいに洗浄し、白磁でできたツボに入れて地勢のよいところに胎室を造りました。 -
第9代王・成宗の胎室は、王宮の中に胎室を設置できなかったため京畿道広州市慶安面におかれていたものが、日本統治時代にこちらに移された、と言われています。
成宗が、この昌慶宮を創建したということからここに移したのではないかとのことです。
成宗は、「景福宮」で即位し、「昌徳宮」で崩御したのだそうです。 -
「春塘池(チュンタンジ)」。
もともと王自らが農業試験を行い、農政を指導した内農圃(ネノンポ・朝鮮時代宮中に納品するために栽培されていた野菜畑)があったところ。
日本統治時代、春塘池が一つの大きな池として造成されました。もともと王自らが農業試験を行い、農政を指導した場所 by entetsuさん大春塘池 史跡・遺跡
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「小春塘池」。
もともと、池はこの部分だけだったのを、日本統治時代に今の規模に造成したのだそうです。もともと王自らが農業試験を行い、農政を指導した場所 by entetsuさん小春塘池 史跡・遺跡
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「集春門(チッチュンムン)」。
昌慶宮の東北側の塀に設置された宮門。
この門は、成均館に最も近く、歴代の王が成均館に出向く際にこの門を通って行ったと言われています。
成均館の学生は、「齋生」と呼ばれ、寮生活をしながら国家から授業料のほか俸給を受け、勉学や武術に励みました。
現在の成均館大學校の前身です。
この成均館を舞台に、「男装して科挙試験の代筆を始めようとするが、ひょんな事から、男として成均館に入学する破目になる〜」というドラマが、「トキメキ☆成均館スキャンダル」でした。
パク・ユチョンが、「屋根部屋のプリンス」の一作前に主演した作品ですよね。 -
「植物園(シンムルウォン)」。
韓国最初の洋式温室。
1907年、日本統治時代、春塘池とその一帯にも手が加えられ、植物園が造られました。
主に韓国南部地方の自生植物が展示されています。
中に入りましたが、珍しいものはあまりなかった・・・。 -
「観徳亭(クァンドッチョン)」。
春塘池の東北側にある低い山のふもとにあり、王が矢を射ていた射亭にあたります。 -
この建物も丹青が美しい。
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今は、この一帯には木が植えられ、茂ってはいますが、元々は王が矢を撃つ鍛錬をした場所です。
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花壇がありました。
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まだ花が咲くどころか、芽も出ていない部分が大半ですが、季節には綺麗になることでしょう。
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ウォーキングというより、散策を続けていると・・・。
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イチオシ
動物園以外で、こんなにじっくりリスを見たことありませんでした。
大体リスは、ささっと走り去って行きますので・・・。
3分位かな。
楽しめました。 -
リスに象徴されますが、「昌慶宮」は、「昌徳宮」の「秘苑」を除けば他の王宮に比べ格段に自然がたっぷり残っています。
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レンギョウ。
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淡い色をしたツツジの一種。
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ユスラウメだったか・・・。
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たっぷり園内を楽しみ、「明政門」の方向に向かいます。
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回廊を下から見上げています。
ここも美しいですね。 -
玉川と「明政門」。
花が美しい。
手前の花は、杏子(あんず)ではないかとガイドさんが言っていました。
元々、韓国の王宮には、桜を植える習慣はあまりなくて、実がなって食べることができる、杏子や梅、桃などが植えられたのだそうです。
花を楽しむと同時に、実もいただく。
合理的な韓国らしい考え方ですね(笑)。
そもそも韓国人は合理的。
ハングル作ったこと自体がその表れ! -
イチオシ
「明政門」と桜。
これがベストショットですかね。正殿の明政殿の正門 by entetsuさん明政門 史跡・遺跡
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これは桜だそうです。
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「弘化門」から、「玉川橋」と「明政門」を見渡します。
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再び「玉川橋」。
ガイドさんとここでお別れです。
ソウル市観光局のソウル文化観光解説ボランティアによるウォーキングツアーにはこれまで「北村韓屋村コース」、「南山城郭コース」「駱山城郭コース」「漢江・切頭山聖地コース」そして今回「昌慶宮コース」に参加して、5回目でした。
実は、今日のガイドさんは「北村韓屋村コース」を案内してくれた方。
40年ほど前に日本に出張し、生活したこともあるとのことで、もう、10年以上ガイドさんやっているベテランさん。70歳ぐらいかと思います。
日韓の歴史の事など、時に熱く語ってくれました。
「いつまでもお元気で」と、がっちり握手しました。
ウォーキングは、ソウル市公式観光情報サイト「visit seoul」サイトからネットで予約します。簡単です。
http://www.visitseoul.net/jp/statics.do?_method=includeHtml&category=/&fname=cosIntroduction&m=0004004004001&flag=2昌慶宮に流れる明堂水(ミョンドス) by entetsuさん玉川橋 史跡・遺跡
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