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旅人のくまさんさん
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ヴィリニュス大聖堂見学の次は、この地に遠征したナポレオンが、『この掌に載せてパリに持って帰りたい』との伝説が残る聖アンナ教会等の紹介です。宝石博物館は入場して見学しました。(ウィキペディア、るるぶ・バルト三国)
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ナポレオン・ボナパルト(1769~1821年)が、『この掌に載せてパリに持って帰りたい』と言った伝説が残る、聖アンナ教会に向かう途中の光景です。ナポレオン1世(在位: 1804~1814年 、 1815年)は、フランス第一帝政の皇帝を務め、フランス革命後の混乱を収拾し、軍事独裁政権を樹立しました。大陸軍(グランド・アルメ)と名づけた巨大な軍隊を築き上げました。(同上)
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ナポレオン・ボナパルトについての紹介が続きます。1804年に皇帝に就き、絶頂期をむかえたナポレオンでしたが、1805年10月、ネルソン率いるイギリス海軍の前にトラファルガーの海戦にて完敗しました。ナポレオンはこの敗戦の報を握り潰し、イギリス上陸作戦は失敗に終わりました。海ではイギリスに敗れたフランス軍でしたが、陸上では敵なしでした。しかし1812年、冬を迎えてのロシア遠征の大失敗が、命取りになりました。60万の大軍が、1%以下の5千人に減っていました。1814年に失脚したナポレオンですが、1815年にエルバ島を脱出し、パリに戻って復位を成し遂げました。しかし、イギリス・プロイセンの連合軍にワーテルローの戦いで完敗し、ナポレオンの「百日天下」は幕を閉じ、イギリスにより南大西洋のセントヘレナ島に幽閉されました。彼はこの時、側近に口述筆記させた膨大な回想録を残しました。これが『ナポレオン伝説』の形成に大きく寄与しました。亡くなったのは、1821年5月5日、51歳のときでした。胃ガンが死因とされます。(同上)
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ナポレオンの紹介についての締め括りです。諸説ありますが、ヴェートーヴェンの第3番のシンフォニーの『英雄』にまつわる逸話です。ナポレオンを人民の英雄と期待し、「ボナパルト」という題名でナポレオンに献呈する予定で交響曲第3番を作曲していたヴェートーヴェンは、ナポレオンの皇帝即位に失望して、彼へのメッセージを破棄し、曲名も『英雄』に変更したという逸話があります。(同上)
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若い頃から耳にし、LP時代から何度も聴いたヴェートーヴェンの九つの交響曲です。若い頃に買ったのは、フルトヴェングラー指揮の交響曲全集でした。久しぶりにLP版の解説を読みましたら、このナポレオンへの献呈を破棄した逸話は、渡辺護解説で、ヴェートーヴェンは『ある偉人の霊をまつるために作曲された』と記され、ヴェートーヴェンの友人のシントラー伝記にも逸話が記されました。(同上)
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通りに面した壁に面白い装飾があった場所の光景です。この場所では、上二つがコーヒーポットらしい陶磁器が三分の一程を埋め込まれ、右下のイラストが、白ネコがポットを持ったような絵柄でした。確かめていませんので推測ですが、日本で例えれば、喫茶店か、カジュアルなレストランの壁面装飾か宣伝のようでした。(同上)
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イチオシ
喫茶店、あるいはカジュアルなレストランの壁面装飾か宣伝と推測した、コーヒーポットのズームアップ光景です。白地に青絵の具象的な人物上半身像が描かれ、赤色系統の彩色が空間を埋めていました。柄や注ぎ口には割れた跡がありましたが、人物像とその周りは無傷でした。(同上)
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こちらは、白地の容器の全面に市街図のような青絵がありました。蓋は付いていましたが、取り手は外れてしまったようです。日本など、アジアで使用する茶器に外観は似ていました。なぜか壁は傷だらけでした。日本の家屋では、今は目にすることは稀でしょうが、障子が破れた個所を繕うような張り紙を連想させました。(同上)
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ヴィリニュスは、同じバルト三国の首都であるリガやタリンと較べて、旧市街には城壁など明瞭な境界がないのが特徴です。また、都市の形成される過程において、ドイツ騎士団やハンザ同盟の影響は見られないのも特徴です。旧市街の建築物は約1,500ほどあり、特に教会建築が多様です。バロック様式の建築が多いように思われていますが、実際にはゴシックやルネッサンス様式もあります。(同上)
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ヴィリニュス旧市街は、『ヴィリニュス歴史地区』として、1994年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。バルト三国のなかで、最も南に位置する首都のリトアニアは、とりわけ敬虔なカトリック教徒が多い国とされます。ヴィリニュスが旧市街であることを偲ばせるアーチ造りの門の光景です。(同上)
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白い壁面に出現していた四つ足の動物を連想させるような模様です。壁面の下の石積みが顔を出していました。定規やコンパスを用いて作られたような図柄でした。壁面のアーチ窓のようなものが半分顔を出していました。(同上)
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窓辺に飾られた赤い花の光景です。ヨーロッパでは、除虫効果を持つ花を飾るのが一般的ですから、その所の花かも知れません。日本などでは、『除虫菊』が有名ですが、西洋では、センテッドゼラニウムが窓辺に飾られたようです。ラベンダー、たんジーなどにも除虫効果があります。(同上)
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お店のシンボルらしい店先の飾りのズームアップ光景です。荷馬車を連想させるような、がっしりとした体格の馬と、その足元に小さな車輪が四つありました。推測ですが、荷車部分を象徴しているように見えました。鞍を付けていますので、荷運び用ではなく、人を乗せる馬かも知れません。(同上)
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世界遺産の都市のヴィリニュスの構成要素の一つ、『聖アンナ教会』の紹介です。その創建は14世紀初頭ですが、16世紀に現在の姿に改築されました。建物正面には、33種類もの異なった形の赤レンガが使われ、透かし細工のようなゴシック独特の装飾、たまねぎの先端のような半曲線のアーチ、狭い出窓、八角形の塔などで飾られています。炎のような躍動感あふれる外観は、『フランボワイアン(火焔式)ゴシック建築』の傑作と称されています。(同上)
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イチオシ
聖アンナ教会の美しさは、かのナポレオン1世をも魅了しました。1812年ロシア遠征の途中、ヴィリニュスに入城したナポレオン1世は、聖アンナ教会を見て「手のひらに載せて、パリにそのまま持ち帰りたい」と語ったといいます。聖アンナ教会は、長い歴史の中で破壊と再建が繰り返されたヴィリニュスにおいて、建設から500年以上たった今も、当時の美しい姿を留めている珍しい教会です。(同上)
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『聖アンナ教会』は、『聖オノス教会』とも呼ばれているカトリックの教会です。長い歴史の中で幾多の戦禍をくぐり抜け、現在も創建当時の外観をほぼ留めており、ヴィリニュスの旧市街の中でも貴重な歴史的建築物の一つです。フランボワイアン様式の華やかなファサードは、33種類の異なる形のレンガが組み合わされ直線と曲線が見事に表現されています。リトアニアの後期ゴシック様式の最高傑作と称されています。(同上)
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聖アンナ教会があるこの場所には、もともとは14世紀にリトアニアの『ヴィタウタス大公(1352~1430年:在位1401~1430年)』の妻アンナを称えて建てられた木造の教会があったとされています。当時はカトリック教徒のドイツ人や、ヴィリニュスを訪れるカトリック教徒の礼拝の場として使用されていましたが、1419年に焼失してしまいました。父が、従兄弟のヨガイラと大公の地位をめぐる争いで殺されると、プロイセンに亡命しました。(同上)
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その後、1384年にヨガイラと和睦して帰国しました。ジョチ・ウルスの内戦に際しては、トクタミシュを支持し、彼のグループと同盟関係を結びました。1385年にヨガイラがポーランド王として即位すると、実質的にリトアニアの統治を任され、バルト海や黒海方面に勢力を拡大しました。1401年、ヴワディスワフ2世から正式にリトアニア大公の位を譲られて即位しました。その後はポーランド・リトアニア連合としてドイツ騎士団に対抗し、1410年にはタンネンベルクの戦いで勝利を収めました。(同上)
*写真の中央奥の建物は、ベルナルディン教会のファサードになります。 -
その結果、直後のホロドウォ合同において、ポーランドとリトアニア国家は一層緊密な関係を築くことになりました。他方で、娘のソフィアをモスクワ大公ヴァシーリー1世に嫁がせ、その息子ヴァシーリー2世の岳父として、モスクワ大公国の政治に大きな影響力を及ぼしたことでも知られます。1430年に79歳で死去、彼の死後、リトアニアはポーランド王国に組み込まれてゆくこととなりました。(同上)
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『聖アンナ教会』の紹介に戻ります。聖アンナ教会の建設には、33種類の異なる形状のレンガを組み合わせた斬新な手法が用いられています。優美なアーチに透かし細工のような装飾性の高い尖塔が天に向かってそびえ、赤レンガと相まって炎が燃え上がるような、躍動感あるフランボワイアン様式の華やかなファサードは、ナポレオンでなくとも、思わず立ち止まって見入ってしまいます。(同上)
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大小のアーチが三つ連なった、建物最下部のズームアップ光景です。『聖アンナ教会』のファサードの最下部の光景になります。残念ながら、内部見学の時間はありませんでした。『教会内部は、重厚なレンガ・ゴシックの外観とは印象がガラリと異なり、白とブラウンを基調とした単身廊の構造で、明るさの中にも厳かな雰囲気が感じられるインテリアです。』と紹介されていました。(同上)
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ずらりと並んだ、『聖アンナ教会』の尖塔光景です。まさにゴチック建築の尖塔群を持った建物です。リトアニアの世界遺産『ヴィリニュス歴史地区・旧市街』にあるこの聖アンナ教会は、現在のリトアニアに唯一残る『後期ゴシック様式の教会』です。(同上)
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イチオシ
ベルナルディン教会のファサードを右手に入れた、聖アンナ教会の光景です。ベルナルディン教会も聖アンナ教会と同じ16世紀に建設された、ローマカトリック教会です。15世紀にベルナルディンと呼ばれる修道士によって、木造の教会が建てられたのが起源とされます。(同上)
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見学者のブログを参照しながらの、ベルナルディン教会の名異母の紹介です。協会は、ヴィリニュスの城壁の一部に組み込まれたため、壁に銃眼が設けられたようです。以降改築が繰り返されましたが、1655~1661年のモスクワとの北方戦争で荒廃してしまいました。現在の建物は、後期のブリック・ゴシック様式とされ、装飾にはバロック様式が混在しているようです。(同上)
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遊び心が一杯だった、木々の装飾光景です。賑やかな晴れ着を着せられたような飾り付けでした。黄葉の樹ではなかったようですから、その代わりの飾りつけかも知れません。クッションなどを使って、樹木を痛めないようにも配慮されているようでした。(同上)
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『ミツキェヴィチ像』の紹介です。ポーランドを代表する国民的ロマン派詩人であり、政治活動家だった『アダム・ベルナルト・ミツキェヴィチ(1798~1855年)』は、元々はリトアニア人の家系とされます。ポーランドでは『国民的詩人』としての評価が与えられ、クラクフのヴェヴァル大聖堂に埋葬されました。一方、リトアニアでも敬意の対象となり、首都ヴィリニュスに博物館が置かれ、1998年には生誕200周年の記念硬貨が発行されました。代表作は、『パン・タデウシュ物語』です。(同上)
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ポーランド文学の最高傑作とされるアダム・ミツキェヴィチの長編叙事詩『パン・タデウシュ』の紹介です。ポーランド語の『パン(Pan)』は、英語の『Mr.』に相当する敬称です。長編叙事詩『パン・タデウシュ』をポーランド映画界の巨匠アンジェイ・ワイダ監督により完全映画化されました。その映画のストーリーは、ナポレオンのモスクワ遠征を目前に控えた1811年から1812年のリトアニアの農村を舞台に、対立する小貴族のソプリツァ家とホレシュコ家に生まれた若い男女の愛を、ロシア帝国の支配下にあった当時のリトアニアの歴史を背景に描いたものです。原作者であるミツキェヴィチが、パリでポーランド人亡命者らを前に原作を朗読する形式で物語が構成されています。(同上)
*写真は、石畳の裏通りの光景です。植木の花が飾られていました。 -
2~3回誰の建物が立ち並んだ街並み光景です。壁面は黄色に彩色されていたようですが、色が褪せて、程よい色調の落ち着いた雰囲気の街並みになっていました。この辺りも世界遺産の旧市街になるようでした。(同上)
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世界遺産の旧市街にある『聖ミカエル教会』の建物光景です。余り高くない塀越しの眺めになりました。ネット情報によれば、『17世紀初期に、リトアニア大公国の最高位にあったレオ・サビエガにより、一家の廟として建てられた「聖ミカエル(ミコロ)教会」、1655年のコサックの襲撃により、この教会はダメージを受けましたが、その後、何度も改修され現在に至っています。』と紹介されていました。(同上)
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『ミカエル教会』の尖塔のズームアップ光景です。コサックは、ウクライナや南ロシアなどで生活していた軍事共同体のことを言いますが、その起源については不明点が多く、15世紀後半にウクライナで発祥し、ドニブロ川中流を中心とするザポロージャに根拠地を置いたとされています。第二次世界大戦後に、コサックは弾圧され滅亡する形となりましたが、未だにロシアの中では、自らコサックと名乗り、ロシア軍とは別に義勇兵として戦争に行く人もいるようです。コサックの襲撃を受けた歴史を持つ聖ミカエル教会ですが、1985年に芸術性の高い秘宝が大聖堂の壁の内側から大量に発見されました。(同上)
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しかし、まだソ連時代です。秘宝が発見されたことを公表してしまうと、リトアニアの秘宝がモスクワに持ち出されてしまう事にもなりかねません。そのため、調査に当たった専門家たちは、秘宝の発見を秘密とし、リトアニア独立後の1998年、その存在を発表する運びとなりました。そして、現在この教会は『教会遺産博物館』となっています。(同上)
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