2012/10/09 - 2012/10/14
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旅人のくまさんさん
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ヴィリニュス大聖堂広場に建つ大聖堂に入場しての見学です。創建されたのは13世紀とされますが、現在見ることが出来るギリシャ建築風の建物は、18世紀後半に建設された建物とされます。(ウィキペディア、るるぶ・バルト三国)
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イチオシ
ヴィリニュス大聖堂のパイプオルガンのズームアップ光景です。聴かせる楽器というより、見せるためのような豪華な造りに見えました。キリスト教会において、最も重要な道具・施設の一つになるようです。それぞれの円形のパートの最上部には像が置かれていました。(同上)
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ヴィリニュス大聖堂の中の『カジミエル礼拝所』の周りの壁画紹介の続きです。大聖堂の内部は、いくつかのスペースに分かれていて、最も人気があるのがバロック様式で造られた、聖カジミエルの礼拝所となっています。このフレスコ画は、ウルスラという名の若い娘の死後、その父親がカジミエルの棺に祈ると娘が復活したという奇跡を描いています。(同上)
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同じく、奇跡を描いたフレスコ画です。『カジミエルの奇跡』と呼ばれ、彼の死後120年後に開棺したところ、全く無傷の状態であったとされる奇跡です。大聖堂の最大の見どころはリトアニア大公国の王子が1484年に25歳で早世し安置された『カジミエル礼拝堂』とされます。(同上)
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ここからは、壁面に飾られた金属製の像の紹介です。全部で6体とも8体とも紹介されていました。像の個別の名称は分かりませんでしたから、リトアニア大公国の歴史などを交えて、像の特徴などを紹介します。王冠らしいものを頭に被った、比較的若い男性像です。その手には、権力のシンボルらしい道具がありました。比較的簡易な式服姿のようでした。(同上)
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全身を鎧と兜で包んだ男性像です。右手には刀剣を、左手には由緒がありそうな棒を持っていました。この棒も、権威・権力のシンボルのようでした。王様らしい6体の像は、中央祭壇の左右に配されていました。リトアニア大公国は、13世紀から1795年のあいだにベラルーシを中心とした地域を支配した国家です。全盛期には、広大な領土を擁するヨーロッパの強国でした。(同上)
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すらりとした姿態で、一見女性のようにも見えましたが、王冠を被り、権威の象徴と思われる品を手にした若い男性像のようです。袖の長い服を直用していました。リトアニア大公国の支配層の民族構成は、人口においてはリトアニア人はむしろ少数派で、特にルーシ人と呼ばれる東スラヴ人が多かったようです。このルーシ人は、のちのベラルーシ人やウクライナ人の先祖に当たります。やがてリトアニア人とあわせてリトアニア人(リトヴィン人)と呼ばれるようになりました。(同上)
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立派な王冠を被り、貫録を見せた、いかにも王様といった姿の像です。甲冑を身に着け、右手に巻物を持っていました。リトアニア人が支配した当初は、その領土もいわゆる「原リトアニア」と呼ばれる、現代のリトアニア共和国とほぼ同じ狭い地域に限られていて、小さな異教(非キリスト教)国家でした。複雑な政治的経緯により、人口の膨大なルーシ(現在のロシア・スモレンスク地方、ベラルーシ、西部ウクライナ)の正教徒の人々が住む広大な地域、すなわちヴォルィーニ公国やハールィチ公国の地域も徐々に広く包含するようになり、そうした地方の支配層も取り込んだ結果、大公国全体で徐々に正教徒の東スラヴ人が政治的に優勢となりました。(同上)
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写真は、壮年の王様といった雰囲気の像です。髭ははやさず、背筋が伸びた姿でした。左手の丸い品には、十字架が立てられ原リトアニアでも東スラヴの文化を広く受け入れるようになり、大公国の唯一の公用語として教会スラブ語が採用されました。1387年にローマ・カトリックを正式に国教としましたが、正教徒の信仰も認められました。(同上)
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最後に紹介する王様像です。瞑想姿で、右手を胸に当てていました。1430年以後、ポーランド王国と実質的な同君連合(王朝連合)となり(ポーランド・リトアニア合同)、支配階層のポーランド文化への同質化が進みました。1569年のルブリン合同をもってリトアニア大公国はポーランド王国との連合政体であるポーランド・リトアニア共和国を形成した。以上で、王様らしい像群の消化今お終いです。(同上)
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壁面に飾られた、レリーフ像です。足下にゴールドのエンジェルが配された、全身像でした。外国人旅行者のブログが和訳されたものからの紹介です。この肖像画は、リトアニアの守護聖人である聖カシミール(カジミエル)像と紹介されていました。また、ヴァヴェルのジギスムント礼拝堂のモデルに基づいて建てられた、ジギスムント3世ヴァーサとヴワディスワフIVヴァーサによって設立された聖カシミール礼拝堂は、リトアニアの守護聖人である聖カシミールの遺物があるため、非常に重要な場所とも紹介されていました。(同上)
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荘重な造りの『カジミエル礼拝所』の出入り口門の光景です。カシミール(カジミエル)は、カシミール・ヤギェロンの息子であり、1484年に30歳になる前に亡くなり、彼の列聖は120年後に行われました。遺物は、祭壇の一部である壮大な銀の棺の中にあり、重さは半トンです。棺の上に置かれた聖人の姿は、片手に十字架を持ち、もう片方の手に無実の象徴であるユリを持っています。祭壇は美しく表情豊かな漆喰の装飾で構成されており、聖カシミールの姿の上には、雲から浮かび上がって、子供と一緒に微笑む神の母が寄りかかっています。(同上)
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『カジミエル礼拝所』の身廊の光景です。メイン通路とサイド通路の絶妙な外観とは対照的に、礼拝堂の豊かな装飾です。 カシミール・ヤギェロンによって設立され、バロック様式で再建されたロイヤルまたはウォウォヴィチ礼拝堂は、ポーランドの王とリトアニア大公のアレクサンダー・ヤギェロンと美しいヘレナ、イワン3世の娘、そしてジギスムント・アウグストゥスとバーバラ・ラジヴィウヴナの結婚式が行われました。(同上)
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イチオシ
少しだけズームアップした、『カジミエル礼拝所』の身廊上部の光景です。『身廊(しんろう)』は、ロマネスク様式やゴシック様式のキリスト教建築の一部分の名称で、入口から主祭壇に向かう中央通路のうちの袖廊に至るまでの部分を指します。色彩を排した、リズミカルな構造美が見応えだがありました。(同上)
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最初に紹介した、パイプオルガンがある部屋の光景になるようです。パイプオルガンは、階上に設置されていました。また、大聖堂の王室の地下室には、ポーランド王アレクサンドル・ヤギェロンとジギスムント・アウグストゥスの妻、ビリニュスで亡くなったオーストリアのエリザベス、そして最愛のバーバラ・ラジヴィウヴナが祀られているようでした。地下室内は見学していません。(同上)
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見学を終えて、振り返って眺めた、ヴィリニュス大聖堂の出入口光景です。見所満載のヴィリニュスの建物群の中でも、屈指の建物の一つでした。リトアニア大公国 の戴冠式は、この大聖堂でのみ行われてきたようです。ソビエト支配の時代には、倉庫として使われたこともあったようですが、現在は『ヴィリニュス大聖堂(聖スタニスラフ大聖堂)として復活し、リトアニアのシンボルでもあり、リトアニアの人々にとって精神的な支柱となっている場所です。(同上)
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ヴィリニュス大聖堂の建物の背面か側面光景かと思いましたが、違っていました。ヴィリニュス大聖堂の東側に隣接する、『リトアニア大公の宮殿』の建物でした。もともとはリトアニア大公国の支配者と、将来のポーランド王のために15世紀に建設されました。1801年に取り壊され、16年かかって2008年に完成した建物です。(同上)
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横から眺めたヴィリニュス大聖堂の建物光景です。年代を経たようなドーム屋根が見えていました。平面図で見ますと、この姿のドーム屋根は、東北と、東南に2箇所あるようでした。推測ですが、主祭壇の左右に位置する副祭壇辺りが置かれた場所のようです。公式サイトなどで、平面図を探してみましたが、見つかりませんでしたから、あくまでも推測です。(同上)
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先生に引率されての社会見学のようです。色とりどりの私服姿の小学生のようでした。10人ほどの生徒さんを二人の先生が引率されていました。先生を含め、全員がコート姿でした。生徒さんたちは、耳当てを兼ねた帽子も着用していました。(同上)
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東南側から眺めたヴィリニュス大聖堂の建物光景です。左端に鐘楼の姿も見えています。ドーム屋根の手前に見えている像が、この後に紹介するゲディミナス像です。ゲディミナス家によるリトアニア大公国の中興の祖と呼ばれる人で、ゲディミナス家の第三代領主です。(同上)
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副祭壇画置かれた場所のように推測した、ドーム屋根のズームアップ光景です。ドーム屋根の上部は、外光を取り入れるためらしい窓が見えていました。円形ドームの下は、六角形の造りの建物のようでした。ビリニュス大聖堂には6世紀以上の歴史があります。この大聖堂には、ビリニュスの人々だけでなく、リトアニアの人々全体にとっても重要な多くの宗教的、芸術的、歴史的価値が収められています。(同上)
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ヴィリニュス大聖堂の建物の東南角に位置するドームになるようです。左手にギリシャ・ローマ建築を模したらしい石柱が見えますが、大聖堂の正面の石柱より一回り小さな脊柱のようです。その大聖堂正面出入口は、左手方面になります。ドーム屋根の下には、二段にステンドグラスがあるようです。(同上)
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大聖堂広場に建つ、鐘塔の見納めです。日本語訳された公式サイトでの紹介文です。『ローワーキャッスルの領土にビリニュス大聖堂が建設された後、XV世紀の初めに、城の防御壁の西側の塔の1つもそれに接続され、大聖堂の鐘楼が設置されました。地下の四角形部分は、リトアニアで最も古い石積みの遺跡の1つであり、XIII世紀に散らばっていました。ビリニャの原生林の底にあります。その遺跡は、現在の地表の1.2 m下に始まります。地下部分の石積みの表面では、レンガはバルト海の方法で結ばれています。大聖堂の鐘楼の下部は、下城の防御塔のゴシック様式の残骸です。当時、現在の鐘楼の平屋建ての8階建ての部分は、丸い塔の上に建てられました。その壁はゴシック様式の石積みで、漆喰は塗られておらず、継ぎ目は溝が付けられ、レンガの色で塗られていました。壁にアーチがあり、その上に発射穴がある高くて広い開口部がありました。第18部の最初の2つの段階は古典主義様式です。(同上)
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『VILNIUS・1323~1973』の文字が刻まれた大きな石碑の光景です。1323年は、リトアニアが独立した年ですが、1973年が、どんな年か分かりませんでした。リトアニアや、ヴィリニュスの年表を確認しても、1975年まではソビエト連邦の影響下にあったようです。.ゴルバチョフのペレストロイカが、ソ連支配の基礎となっていた恐怖の雰囲気が解消した直後、リトアニアのソ連人はリトアニア国民となりました。1990年3月11日、リトアニアは再度、独立を宣言し、ソ連邦の共和国の中で最初の独立国となりました。(同上)
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高い台座の上に載せてあった、ゲディミナス像の光景です。両手を前に差し出して、敢て不安定な姿勢の像のように見えました。中世リトアニア大公国の君主だった『ゲディミナス(1274~1341年:在位1316~1341年)』は、本来のリトアニアをはじめ、ジェマイティヤ、ナヴァフルダク、ポドラツィア、ポロツク、ミンスクといった広大な領土を相続しました。(同上)
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イチオシ
ズームアップしたゲディミナス像と、その背後のドーム屋根の光景です。ここから眺めるゲディミナス像は、両手で刀剣を振るっている姿に見えましたが、実際には左手に持った刀剣です。主にリトアニア人とルーシ人の君主でしたが、帝国としてのリトアニア大公国の実質的な創始者でもありました。(同上)
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さらにズームアップした、ゲディミナス像の光景です。ゲディミナス朝の歴代君主は、初代のブトヴィーダス(在位:1289~1295年)から、第15代のジーギマンタス3世(在位:1548~1572年)まで続きました。この像の『ゲディミナス(在位:1315~1341年)』は、第3代で、中興の祖とも呼ばれています。(同上)
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ヴィリニュス大聖堂に近い場所にあった公園か、林のような光景です。ヴィリニュス大聖堂は、13世紀半ばリトアニアを統一した王が、十字軍騎士団の圧力から逃れるため、キリスト教に改宗した際に建てた教会が起源となっています。王の死後、ヴィリニュスにもともとあった自然崇拝の聖地に戻されましたが、すぐにキリスト教化され、再度教会が建てられました。周りに緑が多いのは、その歴史と関連しているようです。(同上)
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歴史と関連しているような、林と教会の紹介の続きです。その後、幾度も増改築がされ、15世紀にゴシック様式、16世紀にはルネサンス様式になり、17世紀バロック様式で再建されます。そして、18世紀後半に、現在見られる6本のドーリア式円柱をもつ新古典主義様式の姿となりました。(同上)
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ヴィリニュス大聖堂の見学を終えて、次に向かったのは、聖アンナ教会とベルナルディン教会です。どちらも16世紀に建設された建物で、聖アンナ教会のゴチック建築と、ベルナルディン教会のファサードの見学は見逃せません。幸い隣接した場所ですから、同時に見学できます。(同上)
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聖アンナ教会とベルナルディン教会の見学に向かう途中のヴィリニュス災害の光景です。この辺りは、世界遺産に登録された旧市街ではなく、新市街かも知れません。広い通りに面してビルが立ち並んでいました。(同上)
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