2012/10/09 - 2012/10/14
416位(同エリア724件中)
旅人のくまさんさん
- 旅人のくまさんさんTOP
- 旅行記6398冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 5,390,269アクセス
- フォロワー204人
ヴィリニュスの大聖堂の紹介です。1251年、十字軍からリトアニアの領土を守るため、当時のヴィタウタス大公がキリスト教に改宗し、建立した教会とされます。元々はリトアニア神話の雷神、ペルクーナスの神殿があった場所とされます。(ウィキペディア、るるぶ・バルト三国)
-
世界文化遺産として登録されている、『ヴィリニュス歴史地区』の町並み光景です。このあたりは、まだその周辺地域かも知れません。リトアニアの首都ヴィリニュスは、バルト三国の首都としては唯一海に面していない内陸部にある都市です。バルト海に面したリトアニア主要港のクライペダからは 312km離れています。(同上)
-
ヴィリニュスは、名前の由来ともなったヴィリニャ川とネリス川の合流地点にあるゲディミナスの丘を中心として広がった町です。1994年、ヴィリニュス歴史地区の名称で世界文化遺産に登録されました。世界遺産の主な施設は次の通りです。
○ヴィリニュス大聖堂
○ゲディミナス城
○夜明けの門
○聖アンナ教会
○ヴィリニュス大学
○聖ペテロ&パウロ教会 (同上) -
ヴィリニュス大聖堂がある広場の光景です。右側の塔が、大聖堂の前にある、高さ53メートルとされる鐘塔です。鐘塔の下層部分は、13世紀の城壁の一部で、ヴィリニュスで最も古い建造物の一つとされます。1520年代に、二つの八角形の上層部分を加えて鐘塔になりました。(同上)
-
ヴィリニュス大聖堂の鐘塔が、大聖堂広場にあります。鐘塔は、中世の城壁の塔の一つとされます。通常は『鐘楼』と呼ばれますが、なぜか『鐘塔』と呼ばれているようですから、その呼び名にしておきます。『鐘塔』の上部は、19世紀に新古典主義の塔が積み重ねられたようです。(同上)
-
ヴィリニュス大聖堂の鐘塔の出入り口付近のズームアップ光景です。城壁の一部だった時代の名残でしょうか、二階に向けて階段が造られていました。円筒形の建物に比べ、いささか簡易な造りの階段に見えました。(同上)
-
ヴィリニュス大聖堂の鐘塔の側面のズームアップ光景です。アーチ型の窓の下に見えるのは、城壁時代の石垣のようでした。かつての城壁の展示のために、長方形に最外層の施工が省略されたようです。(同上)
-
オリジナルの城壁部分のズームアップ光景です。石質も様々のようでした。大小の石が、表面を平らにしたものも自然石のままのものも使われていました。くりぬかれた部分で、表面の漆喰壁の厚さも確認出来ましたが、強度を分担した壁ではなく、表面化粧だけの厚さのようでした。(同上)
-
イチオシ
大聖堂広場にある、『人間の鎖』の起点となった標識の光景です。1989年8月23日、ソビエト連邦の支配下にあったバルト三国は、独立の意思を国際社会にアピールするため、人間の鎖というデモ活動を実施しました。約200万人が参加し、600キロ以上の鎖を作りました。その起点がここです。200万人が1メートル間隔で手を繋げば200万メートル、2000キロになりますから、十分な人数です。(同上)
-
ヴィリニュス大聖堂(聖スタニスラフ大聖堂)は、リトアニアのシンボルでもあり、リトアニアの人々にとって精神的な支柱となっている場所です。ヴィリニュス大聖堂は、リトアニアのヴィリニュスにある大聖堂であり、ユネスコ世界遺産『ヴィリニュス歴史地区』の一部です。(同上)
-
『ヴィリニュス大聖堂の正式な名前は、『ヴィリニュスの聖スタニスラフと聖ラディスラフの大聖堂』で、聖スタニスラフ(シュツェパノフのスタニスラウス)と聖ラディスラフ(聖王ラースロー1世)に献堂されています。ヴィリニュス大聖堂は、リトアニアの主たるカトリック教会の大聖堂です。リトアニア大公の戴冠式は、ヴィリニュス大聖堂で行われました。(同上)』
-
イチオシ
『バルトの神である『ペルクーナス(雷神)』が、キリスト教時代の前にはヴィリニュス大聖堂の場所で信仰されていたと信じられています。ミンダウカス王は、彼がキリスト教へ改宗した後、1251年に元々の大聖堂を建てました。しかし、彼が1263年に亡くなった後、この最初の大聖堂は再びバルトの神の信仰の場所になりました。ヴィリニュス大聖堂の大きな特徴と言えるのが、正面のポーチを支えるギリシャ神殿を彷彿とさせる6本の円柱です。屋根の上には、中央に十字架を持つ聖ヘレナ、その両脇に聖スタニスラウスと聖カジミエルの彫像が置かれています。これらの像はソ連時代には撤去されていましたが、リトアニア独立後、写真などの資料をもとに再び設置されました。』(同上)
*写真は、ギリシャ建築風の建物中央に飾られた聖ヘレナ像です。 -
『リトアニアが公式にキリスト教に改宗した1387年に、ゴシック様式の2番目の大聖堂の建設が始まりました。しかし、2番目の大聖堂は、1419年に焼失しました。ヴィータウタス大公が、1429年にこれまでよりとても大きなゴシックの大聖堂を建てました。この3番目の大聖堂の壁や柱は、今日まで生き残っています。その後、ヴィリニュス大聖堂は、何度も改築されました。』(同上)
-
『ヴィリニュス大聖堂は、1783年に新古典主義の現在の外見になりました。内装は、1801年に完成しました。3体の彫像が、1786~1792年にヴィリニュス大聖堂の屋根の上に置かれました。南側の聖カジミエルがリトアニアを象徴し、北側の聖スタニスラフがポーランドを象徴し、中央の聖へレナが十字架を抱いています。これらの彫像は、1950年(ソビエト時代)に撤去され、1997年に復元されました。』(同上)
-
『広々とした純白の身廊や主祭壇は、並んでいる様々な絵画と合わせて、比較的簡素ですが、厳粛な趣きがあります。』(同上)
*写真は、6本ある石柱の一部の、上部のズームアップ光景です。 -
『聖カジミエル礼拝堂は、1623~1636年にバロック様式で建てられました。内装は、1691~1692年に改築され、祭壇、フレスコ画、化粧漆喰で飾られました。聖カジミエル礼拝堂は、ヴィリニュス大聖堂の他の何よりも、ポーランド・リトアニア合同の栄光を象徴しています。(同上)
-
推測ですが、『レダと白鳥』をモチーフにした彫像でしょうか、このモチーフは、『ギリシア神話の主神ゼウスが白鳥に変身し、スパルタ王テュンダレオースの妻であるレダを誘惑したというエピソード』をもとにしたものです。西洋の彫刻や絵画などに数多くとり上げられました。レダは、トロイア戦争の発端の一つとなった、絶世の美女ヘレネーの母です。アイルランドの著名な詩人の『イェイツ(1865~1939年)』は、『レダと白鳥』の題名の詩を創っています。(同上)
-
この後も推測になりますので、ソクラテスやプラトンに始まる古代の偉人を勝手に当て嵌めての説明になります。最初に当て嵌めたのは『ソクラテス(紀元前470~紀元前399年)』です。著作は残していませんが、彼は、後代の古代の哲学者たちをはじめ現代の哲学者たちにも絶大な影響を及ぼしました。芸術、文学、ポピュラーカルチャーなど広範に及び、西洋哲学伝統の中で最も広く知られる人物の一人となりました。釈迦、キリスト、孔子と並び四聖人に数えられます。記録に残したのは、次に紹介する、弟子の一人のプラトンです。ヴァチカン市国の『署名の間』の『アテナイの学堂』に、二人が並んで歩く絵が中央に描かれています。(同上)
-
次はソクラテスの弟子の『プラトン(プラトーン:紀元前427~紀元前347年)』と見做した像の紹介です。ソクラテスの弟子にして、アリストテレスの師に当たる古代ギリシャの哲学者です。『ソクラテスの弁明』や『国家』等の著作で知られます。現存する著作の大半は対話篇という形式を取っていて、一部の例外を除けば、プラトンの師であるソクラテスを主要な語り手としています。プラトンの思想は西洋哲学の主要な源流であり、イギリスの哲学者『ホワイトヘッド(1681~1947年)』は、『西洋哲学の歴史とはプラトンへの膨大な注釈である』という趣旨のことを述べています。観念論哲学を大成し、アリストテレスの経験論哲学とともにギリシア哲学の双璧を成しました。(同上)
*手にした部厚い本と、ソクラテスとの頭髪の違いで推測しました。 -
次は、ソクラテスの孫弟子で、プラトンの弟子の『アリストテレス(384年~紀元前322年)』の紹介です。ソクラテス、プラトンとともに、しばしば西洋最大の哲学者の一人とされます。科学的な探求全般を指した当時の哲学を、倫理学、自然科学を始めとした学問として分類し、それらの体系を築いた業績から『万学の祖』とも呼ばれます。特に動物に関する体系的な研究は古代世界では東西に類を見ないとされます。様々な著書を残し、イスラーム哲学や中世スコラ学、更には近代哲学・論理学に多大な影響を与えました。また、マケドニア王アレクサンドロス3世(通称アレクサンドロス大王)の家庭教師であったことでも有名です。(同上)
-
ソクラテスの弟子とも友達とも伝わる『クセノポン(クセノポーン:紀元前427年?~紀元前355年?)』に見做した像の紹介です。右手に刀剣を持った姿でした。アテナイの騎士階級の出身のクセノポンとソクラテスのアテナイでの出逢いは、3世紀中頃の哲学史家のディオゲネス・ラエルティオス著の『ギリシャ哲学者列伝』に書かれています。それによれば、問答の最後に『立派な人になるためには、どこに行けばよいか知っているか?』と問われ、クセノポンが答えられないでいると、『では、私のところに来て、勉強しなさい』、クセノポンは、この時以降、ソクラテスの弟子になったとされます。(同上)
-
最後に紹介するのは、古代ギリシアの数学者で哲学者の『ピタゴラス(ピュタゴラス:紀元前582年~紀元前496年)』です。先に紹介したラファエロの『アテナイの学堂』にも描かれていましたが、ソクラテスよりは100年以上前に生まれた人です。『サモスの賢人』と呼ばれましたが、『ピタゴラスの定理』は、現代でもあまりにも有名です。ピタゴラスの哲学は、ゾロアスター教や道教と同じく二元論が基礎となっています。現象世界を考察する十項目の対立項を提示しています。ピタゴラスは数の調和や整合性を不合理なほど重視し、完全数や友愛数を宗教的に崇拝しました。そのため教団の1人が無理数を発見したとき、その存在を認めるかわりに、発見者を死刑にしました。(同上)
-
先ほど紹介した6体の像は、『ファサードの窪みには、両端に預言者アブラハムとモーセ、その間にマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4人の福音書記者の彫像(タビット・ヴィリニュス大聖堂)』の情報もありましたが、女性像もあり、ギリシャ風の服装などからも疑問が残りました。そのため推測ながら、古代ギリシャの偉人たちを紹介しました。(同上)
-
ここからは、大聖堂に入場しての内部の紹介です。真下から見上げたドーム屋根の内側の光景です。カジミエル礼拝所のドーム屋根の光景です。『カジミエル礼拝所』には、リトアニアの守護聖人の『カジミエラス(Kazimieras)』の遺骸が安置されていて、周囲の絵画には、死後120年後に棺を開けた際にも遺骸に変化がなかったという伝説が描かれています。(同上)
-
祭壇中央の壁面に刻まれた、レリーフ像のズームアップ光景です。中央に聖母マリア像があり、その周りに沢山のキューピット像がありました。背後にも、空に浮かんだ二人のキューピット像がありました。(同上)
-
同じく、壁面のレリーフ像のズームアップ光景です。先ほど紹介した、マリア像と、その背後に浮かぶ二人のキューピットです。二人だけではなく、雲間から10人ほどのキューピットの顔も見えました。(同上)
-
背後の窓から光が差し込む、『カジミエル礼拝所』の光景です。この教会で最も人気が高い、17世紀のバロック様式の礼拝所です。この礼拝所は、黒い大理石と砂岩で作られているようです。壁面には、8体の王の像や、フレスコ画などで飾られています。礼拝所の正面にあるのは、『聖カジミエルの聖画』です。三つ目の手は、画家が誤って描いてしまったものとされ、画家が何度消しても、現れてしまったという逸話が残っています。(同上)
-
イチオシ
3階の窓まで含めた、『カジミエル礼拝所』の光景です。ビリニュス大聖堂の中には合計11の礼拝所があり、その全てが素晴らしく、美しく、かつ壮大な造りとなっています。ポーランド王国とリトアニア大公国の王子だった人で、後にリトアニアの守護聖人となった『カジミエル王子(1458~1484年)』の遺体が安置されている礼拝堂です。(同上)
-
祭壇中央の聖母像のズームアップ光景です。中央手前がイエス・キリスト像、左手にキューピット像がありました。イエス・キリストと紹介した像の右手には、キリストの磔刑の十字架がありましたから、『カジミエル王子』の像かも知れません。(同上)
-
祭壇脇のフレスコ画の光景です。この絵のモチーフは、先に紹介した『カジミエル王子の遺体は、死後120年後に棺を開けた際にも遺骸に変化がなかったという伝説』が描かれているようです。(同上)
-
壁面の窪みに飾られた人物像です。推測ですが、歴代王の一人のようです。この後にも紹介しますが、4隅に二人ずつ、併せて八人の王の像が置かれているようでした。一見、祭具を手にした司教像に見えました。金属像のようです。(同上)
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2012秋、バルト三国旅行記(下巻)
-
前の旅行記
2012秋、バルト三国旅行記(25/40):10月12日(2):リトアニア、ヴィリニュス、聖ペトロ&聖パウロ...
2012/10/09~
ビリニュス
-
次の旅行記
2012秋、バルト三国旅行記(27/40):10月12日(4):リトアニア、ヴィリニュス大聖堂、ゲディミナス...
2012/10/09~
ビリニュス
-
2012秋、バルト三国旅行記(21/40):10月11日(10):ラトビアからリトアニアへ、十字架の丘へ、聖...
2012/10/09~
シャウレイ
-
2012秋、バルト三国旅行記(22/40):10月11日(11):リトアニア、シャウレイ、リトアニアの聖地、...
2012/10/09~
シャウレイ
-
2012秋、バルト三国旅行記(23/40):10月11日(12):リトアニア、首都のヴィリニュスへ、二泊のホ...
2012/10/09~
ビリニュス
-
2012秋、バルト三国旅行記(24/40):10月12日(1):リトアニア、ヴィリニュス、聖ペトロ&聖パウロ...
2012/10/09~
ビリニュス
-
2012秋、バルト三国旅行記(25/40):10月12日(2):リトアニア、ヴィリニュス、聖ペトロ&聖パウロ...
2012/10/09~
ビリニュス
-
2012秋、バルト三国旅行記(26/40):10月12日(3):リトアニア、ヴィリニュス大聖堂、人間の鎖の起...
2012/10/09~
ビリニュス
-
2012秋、バルト三国旅行記(27/40):10月12日(4):リトアニア、ヴィリニュス大聖堂、ゲディミナス...
2012/10/09~
ビリニュス
-
2012秋、バルト三国旅行記(28/40):10月12日(5):リトアニア、ヴィリニュス、聖アンナ教会、詩人...
2012/10/09~
ビリニュス
-
2012秋、バルト三国旅行記(29/40):10月12日(6):リトアニア、ヴィリニュス、琥珀専門店、ゲディ...
2012/10/09~
ビリニュス
-
2012秋、バルト三国旅行記(30/40):10月12日(7):リトアニア、ヴィリニュス大学、大統領官邸、夜...
2012/10/09~
ビリニュス
-
2012秋、バルト三国旅行記(31/40):10月12日(8):リトアニア、ヴィリニュス、夜明けの門、昼食の...
2012/10/09~
ビリニュス
-
2012秋、バルト三国旅行記(32/40):10月12日(9):リトアニア、杉原千畝所縁のカウナスへ、杉原記...
2012/10/09~
リトアニア
-
2012秋、バルト三国旅行記(33/40):10月12日(10):リトアニア、カウナス、杉原記念館、結婚式の...
2012/10/09~
カウナス
-
2012秋、バルト三国旅行記(34/40):10月12日(11):リトアニア、カウナス城、カウナス旧市街・広...
2012/10/09~
カウナス
-
2012秋、バルト三国旅行記(35/40):10月12日(12):リトアニア、カウナス、市庁舎、ヴィタウタス...
2012/10/09~
カウナス
-
2012秋、バルト三国旅行記(36/40):10月12日(13):リトアニア、カウナス、聖ペテロ&聖パウロ教...
2012/10/09~
カウナス
-
2012秋、バルト三国旅行記(37/40):10月12日(14):リトアニア、カウナス、トラカイ城、雨上がり...
2012/10/09~
カウナス
-
2012秋、バルト三国旅行記(38/40):10月13日(1):帰国、リトアニアのヴィリニュスからヘルシンキ...
2012/10/09~
ビリニュス
-
2012秋、バルト三国旅行記(39/40):10月13日(2):帰国、プロペラ機でヴィリニュスからヘルシンキ...
2012/10/09~
ビリニュス
-
2012秋、バルト三国旅行記(40/40:完):10月14日:帰国、ヘルシンキ到着、ヘルシンキからセントレア...
2012/10/09~
ヘルシンキ
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ビリニュス(リトアニア) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
ビリニュス(リトアニア) の人気ホテル
リトアニアで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
リトアニア最安
421円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
旅行記グループ 2012秋、バルト三国旅行記(下巻)
0
30