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慶州で最初に見学したのは、世界遺産の石窟庵(ソックラム)です。吐含山の麓にある仏教遺跡です。石造りのドームの中に座す釈迦如来と、その周りの仏像は、実に素晴らしい出来栄えです。今はその石像の保護のため、空調設備の整ったガラス部屋に収まっています。(ウィキペディアほか)

2012初秋、韓国旅行記25(12/20):9月20日(1):慶州、石窟庵、寿光殿、彼岸花

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2012/09/18 - 2012/09/22

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旅行記グループ 2012初秋、韓国旅行記24

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

慶州で最初に見学したのは、世界遺産の石窟庵(ソックラム)です。吐含山の麓にある仏教遺跡です。石造りのドームの中に座す釈迦如来と、その周りの仏像は、実に素晴らしい出来栄えです。今はその石像の保護のため、空調設備の整ったガラス部屋に収まっています。(ウィキペディアほか)

  • 旅行3日目の朝です。慶州の普門湖(プムンホ)の畔にある、慶州(キョンジュ)大明(テミョン)リゾートホテルの部屋からの光景です。車の音もしない、静かな夜明けです。(同上)

    旅行3日目の朝です。慶州の普門湖(プムンホ)の畔にある、慶州(キョンジュ)大明(テミョン)リゾートホテルの部屋からの光景です。車の音もしない、静かな夜明けです。(同上)

  • 慶州大明リゾートホテルの部屋からの光景が続きます。朝焼けの空です。(同上)

    慶州大明リゾートホテルの部屋からの光景が続きます。朝焼けの空です。(同上)

  • 中々変化に富んだ朝明けの空の光景でした。日本では朝明けは夕焼けと違って、好天を意味しませんが、この後の好転が期待される空模様でした。(同上)

    中々変化に富んだ朝明けの空の光景でした。日本では朝明けは夕焼けと違って、好天を意味しませんが、この後の好転が期待される空模様でした。(同上)

  • 空がかなり明るくなってきました。今日は午前中に慶州を見学し、昼食後に伽耶山に向かう予定です。(同上)

    空がかなり明るくなってきました。今日は午前中に慶州を見学し、昼食後に伽耶山に向かう予定です。(同上)

  • 雲一つない青空になった慶州(キョンジュ)です。朝食はホテル内ではなく、荷物を纏めて、出発準備を済ませてから、バスに乗って飲食店街に向かいました。(同上)

    雲一つない青空になった慶州(キョンジュ)です。朝食はホテル内ではなく、荷物を纏めて、出発準備を済ませてから、バスに乗って飲食店街に向かいました。(同上)

  • 慶州大明リゾートホテルの玄関先の光景です。出発時間に余裕をもってバスが準備されました。(同上)

    慶州大明リゾートホテルの玄関先の光景です。出発時間に余裕をもってバスが準備されました。(同上)

  • 同じく、慶州大明リゾートホテルの玄関先の光景です。全員揃ったところで、朝食のお店に出発です。(同上)

    同じく、慶州大明リゾートホテルの玄関先の光景です。全員揃ったところで、朝食のお店に出発です。(同上)

  • 最後にもう1枚、慶州大明リゾートホテルの建物光景です。慶州ではホテルに泊まったこともあれば3千円前後の安宿に泊まったこともあります。(同上)

    最後にもう1枚、慶州大明リゾートホテルの建物光景です。慶州ではホテルに泊まったこともあれば3千円前後の安宿に泊まったこともあります。(同上)

  • 朝食はホテル内ではなく、出発準備を済ませてから、飲食店街に向かいました。短日の慶州旅行のパターンになっているようです。牛肉が煮込まれた、スープが美味しいカルビクッパです。(同上)

    朝食はホテル内ではなく、出発準備を済ませてから、飲食店街に向かいました。短日の慶州旅行のパターンになっているようです。牛肉が煮込まれた、スープが美味しいカルビクッパです。(同上)

  • 朝食を終わった後での撮影です。お店の裏庭で咲いていたヒガンバナ(彼岸花)です。ヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草です。曼珠沙華の別名を持ちます。(同上)

    朝食を終わった後での撮影です。お店の裏庭で咲いていたヒガンバナ(彼岸花)です。ヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草です。曼珠沙華の別名を持ちます。(同上)

  • ヒガンバナの光景が続きます。今日は9月20日、例年、この日当たりが秋のお彼岸の入りとなります。彼岸明けまでは7日間です。(同上)

    ヒガンバナの光景が続きます。今日は9月20日、例年、この日当たりが秋のお彼岸の入りとなります。彼岸明けまでは7日間です。(同上)

  • 綺麗に咲いた花を探して、もう1枚撮影です。日本と韓国の季節感はほとんど変わりませんから、ヒガンバナの時期も一緒でした。(同上)

    綺麗に咲いた花を探して、もう1枚撮影です。日本と韓国の季節感はほとんど変わりませんから、ヒガンバナの時期も一緒でした。(同上)

  • 芯の黄色と、花弁の赤色のコントラストが綺麗なキク(菊)の花です。中菊と呼ばれるほどの大きさの花弁です。(同上)

    芯の黄色と、花弁の赤色のコントラストが綺麗なキク(菊)の花です。中菊と呼ばれるほどの大きさの花弁です。(同上)

  • 白い小菊の花です。野草の野菊ではなく、園芸品種のようでした。華の大きさが、1センチから3センチほどのものが小菊と呼ばれています。(同上)

    白い小菊の花です。野草の野菊ではなく、園芸品種のようでした。華の大きさが、1センチから3センチほどのものが小菊と呼ばれています。(同上)

  • ピーマンか、その仲間の植物のようです。小さな実が生っていました。ピーマンですと、ナス科トウガラシ属の一年草です。(同上)

    ピーマンか、その仲間の植物のようです。小さな実が生っていました。ピーマンですと、ナス科トウガラシ属の一年草です。(同上)

  • 横から眺めたピンクの花のアップ光景です。日本でもお馴染みのオシロイバナ(白粉花)です。南アメリカ原産のオシロイバナ科の多年草または一年草です。(同上)

    横から眺めたピンクの花のアップ光景です。日本でもお馴染みのオシロイバナ(白粉花)です。南アメリカ原産のオシロイバナ科の多年草または一年草です。(同上)

  • ベゴニアの葉裏の光景です。シュウカイドウ科シュウカイドウ属の植物の総称です。広く普及している、シキザキベゴニア(四季咲きベゴニア)のようです。(同上)

    ベゴニアの葉裏の光景です。シュウカイドウ科シュウカイドウ属の植物の総称です。広く普及している、シキザキベゴニア(四季咲きベゴニア)のようです。(同上)

  • 朝食を戴いた、『チョンサンシクタン(青山食堂)』の看板です。ドラマ『春のワルツ』の舞台となった『青山島』に所縁があるようでした。(同上)

    朝食を戴いた、『チョンサンシクタン(青山食堂)』の看板です。ドラマ『春のワルツ』の舞台となった『青山島』に所縁があるようでした。(同上)

  • 『世界遺産石窟庵・石窟』の文字とユネスコマークが刻まれた標識です。同じ時期に築かれた、石窟庵と仏国寺とを併せて、世界文化遺産に登録されています。(同上)

    『世界遺産石窟庵・石窟』の文字とユネスコマークが刻まれた標識です。同じ時期に築かれた、石窟庵と仏国寺とを併せて、世界文化遺産に登録されています。(同上)

  • 『吐含山石窟庵』の文字が揮毫された山門の扁額です。一柱門とも呼ばれています。『吐含山(トハムサン)』は、慶尚北道慶州市普徳洞・仏国洞・陽北面の境界にある、高さ745メートルの山です。慶州市の最高峰です。(同上)

    『吐含山石窟庵』の文字が揮毫された山門の扁額です。一柱門とも呼ばれています。『吐含山(トハムサン)』は、慶尚北道慶州市普徳洞・仏国洞・陽北面の境界にある、高さ745メートルの山です。慶州市の最高峰です。(同上)

  • 『吐含山石窟庵』の山門近くにある鐘楼の光景です。吐含山は、新羅時代(356?935年)には五嶽のうちの東嶽と呼ばれ、護国の鎮山として神聖視されていました。(同上)

    『吐含山石窟庵』の山門近くにある鐘楼の光景です。吐含山は、新羅時代(356?935年)には五嶽のうちの東嶽と呼ばれ、護国の鎮山として神聖視されていました。(同上)

  • 『吐含山石窟庵』の建物が見える場所まで歩いて移動しました。世界文化遺産の石仏は、この建物の奥の石室の中にあります。(同上)

    『吐含山石窟庵』の建物が見える場所まで歩いて移動しました。世界文化遺産の石仏は、この建物の奥の石室の中にあります。(同上)

  • 石窟庵の建物光景です。内部の撮影はできませんので軒先だけを撮影しておきました。1909年、郵便配達員によって偶然に発見された後、石窟の保護や見学のために造られた建物です。(同上)

    石窟庵の建物光景です。内部の撮影はできませんので軒先だけを撮影しておきました。1909年、郵便配達員によって偶然に発見された後、石窟の保護や見学のために造られた建物です。(同上)

  • 中央に円筒型の穴が開き、蓮の花が刻まれた台座です。石灯篭の台座のようです。近くに、同じ台座を盛った石灯籠があった記憶です。(同上)

    中央に円筒型の穴が開き、蓮の花が刻まれた台座です。石灯篭の台座のようです。近くに、同じ台座を盛った石灯籠があった記憶です。(同上)

  • 大韓民国国宝24号に指定されたことが記された『石窟庵・石窟』の石碑です。指定されたのは、1962年(昭和37年)12月20日です。石窟庵は、新羅時代の751年に着工され、774年(恵恭王10年)に完成しました。(同上)

    大韓民国国宝24号に指定されたことが記された『石窟庵・石窟』の石碑です。指定されたのは、1962年(昭和37年)12月20日です。石窟庵は、新羅時代の751年に着工され、774年(恵恭王10年)に完成しました。(同上)

  • 石窟庵の境内から眺めた麓の光景です。良く晴れた日には、日本海(東海:トンヘ)が見えるようです。(同上)

    石窟庵の境内から眺めた麓の光景です。良く晴れた日には、日本海(東海:トンヘ)が見えるようです。(同上)

  • 眼下に見えていた提灯列の光景です。花祭りの頃には、韓国国内のいろんな寺院などで目にします。仏教では、五色旗や六色旗を用いますので、そのイメージがあります。(同上)

    眼下に見えていた提灯列の光景です。花祭りの頃には、韓国国内のいろんな寺院などで目にします。仏教では、五色旗や六色旗を用いますので、そのイメージがあります。(同上)

  • 慶州で宿泊しましたから、朝一番の石窟庵見学でした。見学を終えたところで、生徒さん達の団体客の姿が見え始めました。(同上)

    慶州で宿泊しましたから、朝一番の石窟庵見学でした。見学を終えたところで、生徒さん達の団体客の姿が見え始めました。(同上)

  • 『寿光殿』の大きな文字が揮毫された扁額の光景です。落款の日付は、『壬午仲秋』、名前は『白岳樵夫申合熙』でした。日本では、例えば文政壬午は文政5年(1822)、あとは60年飛びの明治の1882年、昭和の1942年が壬午になるようです。(同上)

    『寿光殿』の大きな文字が揮毫された扁額の光景です。落款の日付は、『壬午仲秋』、名前は『白岳樵夫申合熙』でした。日本では、例えば文政壬午は文政5年(1822)、あとは60年飛びの明治の1882年、昭和の1942年が壬午になるようです。(同上)

  • 世界文化遺産の石窟庵の見学を終えて、鐘楼が見える場所まで戻ってきました。これまでに何度も撮影したことがある石窟庵ですから、最小限の撮影に留めました。(同上)

    世界文化遺産の石窟庵の見学を終えて、鐘楼が見える場所まで戻ってきました。これまでに何度も撮影したことがある石窟庵ですから、最小限の撮影に留めました。(同上)

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