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2011年12月2日、上海武康路113号にある巴金の故居が一般開放されました。1923年に建てられたもので、巴金はここで半世紀もの時を過ごし、代表作『随想録』を書き上げたということです。 半月前には井上靖の息子の井上修一さんが招かれたそうです。また一般公開の最初の訪問者は謝冰心の娘さんの呉青さんだったそうです。長編小説「家」などで有名な作家、巴金の故居が12月1日、一般公開となる。武康路113号にある3階建ての洋館の内側は、歴史保存区・展示区などに分けられ、マルチメディアを使った展示なども参観できる。1904年生まれの巴金は55年にここで生活を始め、2005年に亡くなるまで半世紀にわたって暮らした。上海を代表する文学雑誌「収穫」の編集や、最も重要な作品の一つと言われる「随想録」の執筆もこの場所で行われた。<br />

上海の巴金故居

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2012/02/23 - 2012/02/23

7207位(同エリア12006件中)

中国の風景

中国の風景さん

2011年12月2日、上海武康路113号にある巴金の故居が一般開放されました。1923年に建てられたもので、巴金はここで半世紀もの時を過ごし、代表作『随想録』を書き上げたということです。 半月前には井上靖の息子の井上修一さんが招かれたそうです。また一般公開の最初の訪問者は謝冰心の娘さんの呉青さんだったそうです。長編小説「家」などで有名な作家、巴金の故居が12月1日、一般公開となる。武康路113号にある3階建ての洋館の内側は、歴史保存区・展示区などに分けられ、マルチメディアを使った展示なども参観できる。1904年生まれの巴金は55年にここで生活を始め、2005年に亡くなるまで半世紀にわたって暮らした。上海を代表する文学雑誌「収穫」の編集や、最も重要な作品の一つと言われる「随想録」の執筆もこの場所で行われた。

旅行の満足度
3.0
観光
3.0
交通
4.0
同行者
一人旅
交通手段
鉄道
旅行の手配内容
個別手配
  • 湖南路と武康路の交差点角に建つアパート。1930年代の外国人向けに改装したオールドハイツが建っています。<br />

    湖南路と武康路の交差点角に建つアパート。1930年代の外国人向けに改装したオールドハイツが建っています。

  • 武康路115号。この建物の隣が巴金故居です。<br /><br />

    武康路115号。この建物の隣が巴金故居です。

  • 巴金の死後、巴金研究会が遺品の整理に着手。これまでに3万冊余りにのぼる書籍、30箱近い手書きの原稿や手紙、150点あまりの書画・芸術品を整理し、故居の公開を準備してきた。故居の館長には、巴金の娘であり、雑誌「収穫」の編集長を務める李小林氏が就任する。 <br />

    巴金の死後、巴金研究会が遺品の整理に着手。これまでに3万冊余りにのぼる書籍、30箱近い手書きの原稿や手紙、150点あまりの書画・芸術品を整理し、故居の公開を準備してきた。故居の館長には、巴金の娘であり、雑誌「収穫」の編集長を務める李小林氏が就任する。

  • 1934年、巴金は日本に渡りました。翌年、上海に戻り、散文集「海行雑記」を出版し、文化生活出版社の編集主幹として文化生活衆刊、文季月刊等を出版しました。抗日戦争初期、作家茅盾と共に、「烽火」などを作って、「抗日救国」を宣伝し、童話集「長生塔」、長編小説「春」、散文集「告訴」、「夢と酔」などを出版しました。<br /><br />

    1934年、巴金は日本に渡りました。翌年、上海に戻り、散文集「海行雑記」を出版し、文化生活出版社の編集主幹として文化生活衆刊、文季月刊等を出版しました。抗日戦争初期、作家茅盾と共に、「烽火」などを作って、「抗日救国」を宣伝し、童話集「長生塔」、長編小説「春」、散文集「告訴」、「夢と酔」などを出版しました。

  • 1940年から、昆明、成都、重慶を転々とし、長編小説「火」「秋」、中編小説「憩園」を出版しました。抗日戦争勝利後、上海に戻り、相次いで、中編小説「第四病院」、「寒夜」を出版し、国民党統治下の暗い現実や侮辱を描きました。この頃から、巴金の作品は、芸術上の円熟期に向かいます。 <br />

    1940年から、昆明、成都、重慶を転々とし、長編小説「火」「秋」、中編小説「憩園」を出版しました。抗日戦争勝利後、上海に戻り、相次いで、中編小説「第四病院」、「寒夜」を出版し、国民党統治下の暗い現実や侮辱を描きました。この頃から、巴金の作品は、芸術上の円熟期に向かいます。

  •  新中国建国後、全国文連副主席、作家協会主席などを歴任し、「文芸月報」、「収穫」、「上海月報」などを編集しました。同時に文学の創作と翻訳に取り組みました。そして、中国人民と世界各国の人民の友好、侵略戦争反対、世界平和を訴える作品を多く書きました。<br /><br />

     新中国建国後、全国文連副主席、作家協会主席などを歴任し、「文芸月報」、「収穫」、「上海月報」などを編集しました。同時に文学の創作と翻訳に取り組みました。そして、中国人民と世界各国の人民の友好、侵略戦争反対、世界平和を訴える作品を多く書きました。

  • 文化大革命後は、散文集「随想録」、「創作回憶録」などを続々と出版。その中の「随想録」第五集において、憎むべき社会現象を深く分析し、厳密な自己分析をおこないました。これは、作者自身の誠実さが現れるとともに、祖国人民の運命に対する深い思いが表現されています。<br />

    文化大革命後は、散文集「随想録」、「創作回憶録」などを続々と出版。その中の「随想録」第五集において、憎むべき社会現象を深く分析し、厳密な自己分析をおこないました。これは、作者自身の誠実さが現れるとともに、祖国人民の運命に対する深い思いが表現されています。

  • 1923年に建てられ、1948年に改築されている。洋風庭付き戸建住宅で、傾斜のゆるい屋根やベランダ、暖炉を備えた構造で、巴金にとって1966年から1976年の激動の期間を除いて、一番長く時間を過ごした場所は、この家である。長編小説「家」などで有名な作家、巴金の故居が12月1日、一般公開となる。武康路113号にある3階建ての洋館の内側は、歴史保存区・展示区などに分けられ、マルチメディアを使った展示なども参観できる。<br /><br />

    1923年に建てられ、1948年に改築されている。洋風庭付き戸建住宅で、傾斜のゆるい屋根やベランダ、暖炉を備えた構造で、巴金にとって1966年から1976年の激動の期間を除いて、一番長く時間を過ごした場所は、この家である。長編小説「家」などで有名な作家、巴金の故居が12月1日、一般公開となる。武康路113号にある3階建ての洋館の内側は、歴史保存区・展示区などに分けられ、マルチメディアを使った展示なども参観できる。

  • 1904年生まれの巴金は55年にここで生活を始め、2005年に亡くなるまで半世紀にわたって暮らした。上海を代表する文学雑誌「収穫」の編集や、最も重要な作品の一つと言われる「随想録」の執筆もこの場所で行われた。<br /><br />

    1904年生まれの巴金は55年にここで生活を始め、2005年に亡くなるまで半世紀にわたって暮らした。上海を代表する文学雑誌「収穫」の編集や、最も重要な作品の一つと言われる「随想録」の執筆もこの場所で行われた。

  • 巴金の死後、巴金研究会が遺品の整理に着手。これまでに3万冊余りにのぼる書籍、30箱近い手書きの原稿や手紙、150点あまりの書画・芸術品を整理し、故居の公開を準備してきた。故居の館長には、巴金の娘であり、雑誌「収穫」の編集長を務める李小林氏が就任する。<br />

    巴金の死後、巴金研究会が遺品の整理に着手。これまでに3万冊余りにのぼる書籍、30箱近い手書きの原稿や手紙、150点あまりの書画・芸術品を整理し、故居の公開を準備してきた。故居の館長には、巴金の娘であり、雑誌「収穫」の編集長を務める李小林氏が就任する。

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