2006/09/08 - 2006/09/14
6182位(同エリア11985件中)
杏樹さん
さかのぼり旅行記です。
2004年に上海へ行ったのですが、その時1920〜30年代ごろ、「魔都」と呼ばれた時代の上海の面影を残す建物が残っているのを見ました。そこでその時代の上海に興味を持ち、いろいろ調べ始めました。そうしてもう一度詳しく当時の上海の跡をたどってみたいと思いました。
それが実現したのが2006年です。
ちょうど「上海歴史ガイドマップ」(木之内誠:著、大修館書店)という本も見つけました、さらに「フレンチ上海」(にしむらじゅんこ:文、平凡社)という本も見つけました。この2冊を抱えて上海へ行きました。
ホテルは当時の建物を使ったレトロホテルを探しました。
人民公園向かいの金門大酒店です。ここで当時の雰囲気に浸りながらオールド上海めぐりをしました。
特に今回は「フレンチ上海」を参考に、旧フランス租界を詳しく見て回りました。
詳しい日記はこちら
フランス租界・丁香花園
http://open.mixi.jp/user/1362523/diary/227565046?org_id=226800961
フランス租界・衡山路
http://open.mixi.jp/user/1362523/diary/227585021?org_id=227565046
フランス租界・東平路〜汾陽路
http://open.mixi.jp/user/1362523/diary/227731481?org_id=227585021
フランス租界・復興中路
http://open.mixi.jp/user/1362523/diary/227753843?org_id=227731481
フランス租界・淮海中路
http://open.mixi.jp/user/1362523/diary/227802101?org_id=227753843
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
茂名南路と長楽路の交差点にある蘭心大戯院(ライシャム劇場)。1931年。
右の奥に見えているのは錦江飯店です。 -
茂名南路を南下すると、淮海中路に出ます。淮海中露は旧フランス租界のメインストリートです。当時は霞飛路(ジョッフル路)と言いました。第1次大戦当時のフランスの将軍の名前です。
茂名南路と淮海通路の交差点にある映画館、国泰大戯院です。1932年。
縦のラインを生かして、中央に高くなっていくアール・デコ様式の建物で、当時の様子を今に伝えて…と言いたいところですが、原色の看板が雰囲気ぶち壊しにしています。 -
さらに南下して復興中路まで来ると陝南村があります。もとはアルベール王アパルトマンといい、集合住宅が並んでいる界隈です。
-
復興中路。「パリの街みたい」と思えば思えなくもない…?
-
南昌路の南昌大楼。もとアストリッド・マンション。1933年。
頭頂部の装飾がアール・デコ風。 -
南昌路
-
東湖路
-
東湖賓館7号館。もと上海マフィアのボス、杜月笙の別邸。1921年。この日は雨がひどくなってきたので、ここで挫折して「オールド上海めぐり3」の上海博物館に避難しました。
-
翌日は帰国という最後の日、旧フランス租界を今度こそみっちり見てまわろうと誓います。
天気はあまりよくありませんが、たまに雨がポツポツ来るぐらいで、なんとか1日かけてかなりの範囲を回りました。ここからはこの日に歩いた道順通りの写真になります。
まず丁香花園へ行きました。清代の北洋大臣、李鴻章が「丁香(ライラック)」という愛妾のために作った、という伝説がありますが、実際は李鴻章の三男の邸宅でした。 -
丁香花園。
-
丁香花園。
-
丁香花園。内部は一般公開していませんが、上海の知り合いの方に連れてきてもらって、一緒に入れてもらいました。優雅な階段です。
-
階段を上がったところ。
-
2階の部屋。
-
中国庭園もあります。
-
中国庭園。
-
丁香花園のそばにある洋館レストラン。
-
丁香花園のある華山路から興国路に入ります。
-
興国路
-
興国路を南下すると淮海中路に出ます。さらにその間に武康路があり、三角の角になっています。そこの角に建つ武康大楼。もとノルマンディー・アパルトマンといい、1924年に建てられました。
-
上の写真の左側の部分。
-
さらに窓の細部。
-
淮海中路側から見たところ。三角の角に建っているのでとがって見えます。
淮海中路を挟んで向かい側には宋慶齢故居があります。この時は修理中で入れず…。(結局2010年にリベンジしました)。 -
淮海中路から宛平路に入ります。
-
宛平路を南下すると、衛山路に出ます。
その角にある衛山公園。
もとはペタン公園と言いました。ペタンは第1次大戦の英雄でしたが、第2次大戦時にナチスの傀儡政権に協力して売国奴と言われるようになりました。 -
その隣りの衛山賓館。
新しく塗られていて、古い建物だとすぐには気が付かず素通りしそうになりました。しかしよく見ますと縦のラインに中央が高くなっていくスカイ・スクレーパー様式のアール・デコ建築です。
もとはピカルディー・アパルトマンで、1636年に建てられました。 -
衛山路を進むと西湖公寓があります。衛山賓館と似たアール・デコの建物です。緑に塗られていますが、もとの色は何だったかわかりません。
もとはワシントン・アパート、1928年。 -
西湖公寓の横の方の入り口。装飾がアール・デコです。
-
西湖公寓の入り口。
-
上海アメリカン・スクール。1923年。
-
その向かいにあるコミュニティー・チャーチ(国際礼拝堂)。柵と木で建物が良く見えません。1925年。
-
コミュニティー・チャーチ。
-
アメリカン・チャーチから烏魯木斉路に入り、さらに永嘉路に入ります。その気になればパリの下町に見えなくもない…?
-
永嘉路から岳陽路→東平路へ。
1927年、蒋介石と宋美齢が結婚した時に住んだ家で「愛盧」と名付けた邸宅。現在は上海音楽学院。 -
愛盧(上海音楽院)を柵の隙間から撮りました。
-
旧宋子文邸。1921年。
現在は「Sasha's」というフランス料理店。 -
東平路は古そうな洋館が並んでいて、お店になっています。
-
こちらは中華レストラン。ここでランチにしました。
-
レストランの窓から猫が見えたので撮影。
-
東平路と岳陽路と汾陽路は三叉路になっていて、そこにプーシキン像があります。
-
岳陽路から汾陽路を見ます。
-
汾陽路を行きます。白公館。1920年。
国民党の軍人、白崇禧邸だった所ですが、今は焼肉屋に。 -
汾陽路と太原路の交わるところにある上海工芸美術博物館。1920年頃に建てられた邸宅だと言われます。
中は文字通り工芸品が展示されています。細かい細工に驚いたりもしますが、建物の装飾の美しさにため息が出ます。 -
上海工芸美術博物館。
-
同。あまり後ろに下がないので、全景が撮りにくく、部分を少しずつ撮影。
-
汾陽路をさらに行き、復興中路に入ります。
アール・デコ期のおしゃれなアパルトマンが並んでいます。
これは復中公寓。もと伊白公寓といい、1930年。 -
復興公寓。黒い石が使われていることから、もとは黒石公寓と言われました。1926年。
張り出したテラスに特徴があります。 -
復興公寓
-
克来門公寓(クレマン・アパルトマン)、1929年。
-
クレマン・アパルトマンの別棟。
-
復興中路をさらに進むと宝慶路が交差しています。
フェンスや街灯がオシャレに見えます。 -
中国語が見えなかったら「パリです」と言っても大丈夫…?と思って携帯で何度か撮影にチャレンジ。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
52