2011/04/11 - 2011/04/16
1860位(同エリア3214件中)
kojikojiさん
- kojikojiさんTOP
- 旅行記1763冊
- クチコミ1205件
- Q&A回答73件
- 3,464,737アクセス
- フォロワー169人
宮殿のようなカフェ・ニューヨークで朝食を摂り、シナゴーグからアンドラーシ通り周辺の世紀末建築を探しながら散歩を続けて、昼過ぎにようやく「市民公園」にたどり着きました。公園沿いに北へ進むと現代美術館の裏から「英雄広場」に到着しました。写真を数枚撮って国立西洋美術館に入ろうとするとカーキ色のバスがやってきて陸軍の兵隊(ハンガリーに海は無いので海軍は無いと言う勝手な判断ですが)がぞろぞろ降りてきました。何となく何か始まりそうなので待っていると、記念碑周辺は立ち入り禁止になりました。どうやら記念碑への献花式がありそうな感じでした。休憩中だった兵隊に号令がかかり、まもなくパトカーに先導された黒塗りの車がやっって来ました。中からどこかの国からの賓客が降りてきて、合わせて兵隊が献花するとさっさと車に乗って去っていきました。それだけのことを数十分待っていたというわけです。まあ急いでいる訳ではないので見学出来て良かったのですが、ずっと立っていた妻はへとへとでした。「国立西洋美術館」の見学の後は「市民公園」の中にある「セーチェニ温泉」にも行きました。水着も用意していたのですが、あまりに涼しかったのでこの日は温泉水を飲むだけで諦めました。後日もう一度トライしたのですが、この日はさらに気温が低くて寒いほどだったので諦めました。地元の人は結構入っていましたが。時間があったので「ヴァイダフニャド城」内の「農業博物館」にも入りました。時間潰し程度に考えていたのですが、ここは民族博物館に続いてハンガリーの文化を知るにはとても良い博物館でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 徒歩
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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「英雄広場」に向けて歩くと、現代美術館の裏手に出ました。「ブダペスト現代美術館」の壁に沿って広場に向かいますが、現代美術館の建物にしてはクラシックな建物です。
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「ブダペスト現代美術館」は英雄広場を挟んで対峙する「ブダペスト国立西洋美術館」と同じ設計者による同じようなファサードを持った建物です。
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ドーリア式の美しい姿ですが、シンプルな西洋美術館と違い、柱頭部やメトーブやペディメントは金色に輝いています。ペディメントも西洋美術館がエルギン・マーブルのようなフリーズなのに対し、こちらはモザイクで表現されています。モチーフは玉座の前に立つイシュトヴァーン1世に献堂する建築家とタペストリーを掲げる修道女の姿が見えます。
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「英雄広場」の中心線上には赤いじゅうたんが敷かれ、係員が掃除をしています。どうやらこれから献花式が始まるようです。
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すでに献花された花輪が4つ置かれてありました。手前左からキルギス、右にバングラデシュ、上段左にブルネエイと右にガーナの国旗が添えられています。ハンガリーに各国からの賓客が来るとここで献花するのがお約束なようです。
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「英雄広場」の中央には聖イシュトヴァーンの王冠と大主教十字を握っている大天使ガブリエルを戴く柱があります。建国1000年祭を記念して1896年に建てられたモニュメントでもあります。ハンガリーにとって96というのは大切な数字で、「聖イシュトヴァーン大聖堂」も「国会議事堂」も高さは96メートルになっています。
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記念柱の左右には7つずつの像の建立場所があり、建設当初は9部族の英雄の像を右から作っていきました。当時のハンガリーはオーストリア=ハンガリー帝国であったので、残りの5つの場所はハプスブルク家の人々の像が建てられましたが、第2次世界大戦で像が被害を受けると、ハプスブルク家の人々の像は取り払われています。
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記念柱の上には大天使ガブリエルが翼を広げています。西暦1000年のクリスマスの日にガブリエルがローマ法王ジルベステル2世の夢に現れて、イシュトヴァーン1世に王位を授けるようにと伝えたそうです。この柱の高さは35メートルあるそうです。
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この柱は1900年のパリ万博でグランプリを取ったそうです。ガブリエルは右手に国会議事堂で見た聖イシュトヴァーンの王冠を持ち、左手には大主教十字を握っています。この二重十字架はイシュトヴァーンがハンガリー国王として政治を司ること、同時にキリスト教布教の聖職者の役割も果たすことを意味しています。建設に当たっては当時のサンドル・ウェケルの首相が彫刻家のジョルジー・ザラと建築家のアルバート・スキケダンズに委託しています。
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1919年5月1日のハンガリー革命の後のソヴィエト共和国の時代にはすべてが赤いカーテンで覆われ、大天使ガブリエルの像がオベリスクに変わり、その前に7メートルの石膏から鋳造されたマルクスの像が置かれたこともあったそうです。
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1989年にはソヴィエト軍によって絞首刑にされた元大統領ナジ・イムレを追悼するために、この英雄広場に25万人もの人が集まりました。英雄広場はハンガリーの歴史的な事件と非常に関わりの深い場所だということを感じます。
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軍服と同じカーキ色のバスから降りてきた兵隊さんが広場に並び、何か始まりそうです。多分記念碑への献花だろうということは状況からも想像できました。ただ兵隊さんは雑談しているので、まだまだ時間はかかりそうでした。
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そのうち号令がかかり、いよいよ始まりそうな雰囲気です。本当は「国立西洋美術館」に行きたいところですが、セレモニーも見てみたいところです。
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先頭にはハンガリー陸軍の軍旗が見えます。白地に国章があしらわれていますが、周囲の赤と緑の三角形がピッツァ屋さんのテイクアウトの箱ように見えてしまいました。
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かなり近くで見学していても兵隊さんたちは気にも留めていません。
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おしゃべりが止んでそろそろ始まるようです。
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広場を大きく回り込んで現代美術館の方まで行進していきます。
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空は真っ蒼に晴れ上がり、ガブリエルが祝福を与えているようです。
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ガブリエルの足元には7人の大きな騎馬像が取り囲んでいますが、真正面に据えられた騎馬像はアルパードで、マジャール民族の部族長の1人です。マジャール民族はその昔はウラル山脈の麓に住んでいましたが、西への移動しはじめて現在のハンガリーに辿り着きます。896年に他の6人の部族長たちをとりまとめて、マジャール族をカルパチア盆地まで導いたのがアルパードでした。
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彼の曾孫が初代ハンガリー国王となったイシュトヴァーン1世です。マジャール族は優れた騎馬民族だったため、巧みな馬術で度々イタリアやドイツを襲って西ヨーロッパ諸国を荒し回っていましたが、955年にドイツのオットー大帝と戦って大打撃を受けた以降はカルパチア盆地に定住することになります。
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この後タイの伝統衣装を着た女性と数人の賓客らしい方々が物々しい警護に付き添われ遣って来ました。
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献花するのは兵士たちなので、彼らの存在意味が分かりました。
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5個目の花輪にはタイの国旗が添えられています。
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献花が終ると賓客たちは警備の車に付き添われて立ち去りました。
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セレモニーはほんの10分ほどであっけなく終わってしまいました。礼砲の一つくらいあるかと思ったのでちょっと残念でした。
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そして隊列を組んだまま広場を後にして、待っていたカーキ色のバスに乗って去っていきました。
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広場中央の塔の後方を取り巻く半円形の装飾台も見てみます。その上には立派な柱が何本も並び、間を埋める様に左右で7体づつ合計14体のハンガリーを代表する英雄像が建っています。像のうち8人が歴代のハンガリー国王で、残りの6人も政治家や貴族など、ハンガリー史上にその名を轟かせた英雄ばかりです。
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一番左側の銅像が聖イシュトヴァーンです。イシュトヴァーン1世は建国の父として知られるハンガリー初代国王です。ハンガリーにキリスト教を根付かせた人物で聖王とも呼ばれています。
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「国立西洋美術館」の見学の後は引き続き「市民公園」の中を散歩することにします。
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英雄広場の後ろにある池に架かった橋を渡ると「ヴァイダフニャド城」が見えてきます。建国1000年祭のパヴィリオンでしたが人気があったので、終了後に建て直したという経緯があるそうです。
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かつてハンガリー領だったルーマニアの「フネドアラ城」をモデルにしているそうです。城を建てたのはハンガリーの英雄のひとりであるフニャディ・ヤーノシュ侯で、彼は15世紀にヨーロッパへ攻め込んでくるオスマントルコの大軍をベオグラードで打ち破り、ヨーロッパのイスラム化を阻止した英雄です。もちろん英雄広場には彼の像が置かれています。
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城の一部はヨーロッパ最大の「農業博物館」として見学することができます。
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この日は「セーチェニ温泉」に入る予定だったので、「農業博物館」の見学は後日にしました。
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お城を抜けた先にも美しい城館が建っていますが、ここも内部で「農業博物館」とつながっています。
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「ヴァイダフニャド城」の向かいにある回廊がある小さな教会は、ハンガリー西部のヤークにある13世紀の修道院教会をモデルに建てられたので「ヤークチャペル」と呼ばれています。
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城門と池を越えて「セーチェニ温泉」に到着しました。ブダペストと言えば露天の温泉でチェスを楽しむ写真などで有名な温泉です。
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温泉に入るつもりで水着も持ってきていましたが、天気は良くても風も強くて肌寒いので温泉に入るのは止めました。ちなみに表のプールの湯温は27℃から38℃らしいので日本でいう温水プールのイメージです。
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プラハから始まった今回の旅も3週間目に入って、少々疲れてきているので風邪などひいたら大変なことになりそうです。
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折角ここまで来たので内部の見学はしていきます。ヨーロッパの温泉はスイスのイヴェルドン・レ・バンやエヴィアンなどに行っていますが、どこもスポーツ施設のような感じでした。こんな優雅な温泉には入ってみたかったのですが、妻は一度嫌と言ったら絶対に嫌なので諦めました。
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セーチェーニ温泉はヨーロッパ最大の温泉で、名称はくさり橋にも名前の残る19世紀前半に活躍したハンガリーの自由主義貴族で政治家でもあるセーチェーニ・イシュトヴァーンの名を取って命名されています。
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ケンタウロスが赤子を掲げているので、アポローンが嫉妬に駆られて射殺してしまったコローニスと、我が子である彼女の胎内から取り出したアスクレーピオスの姿のようです。ケンタウロス族の賢者ケイローンに預けられたアスクレーピオスは医術の神の血を引くので、やがてすぐれた医術を獲得します。ヨーロッパの温泉はかなり医療的な要素が強いので、こんな室内の泉が置かれているのだと思いました。
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アポロンはどこへ行ってしまったのかと思っていると中欧のドーム天井の一番高いところに間白い4頭の馬車に牽かれた2輪戦車のクワドリガに乗っています。ドームから続く壁の上部にもポセイドンとヒッポカムホスという海馬の姿も見えます。
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ここはブダペストにできた最初の温泉で、その存在は鉱山技術者であるヴィルモス・ジグモンティによって発見されています。彼の功績により1881年の後半にすでに自噴式の飲泉が稼働していました。このタイプの浴場は次第に時代の要求を満たされなくなったため、ギョーゾ・チクラーが作成した計画に基づいて新しい温泉は1913年に建てられました。さらに大浴場が1927年に公衆浴場と室外浴場が拡張されました。
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この建物は1909年から4年かけて宮殿風の巨大で荘厳なバロック・リヴァイヴァル建築様式で建てられ、浴槽を飾る彫像やガラスのモザイクは当時のハンガリーをリードする芸術家によって制作されています。
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観光客も多いので英語で施設の利用の仕方をレクチャーしてくれるスタッフもうろうろしているので外国人も安心です。男女共通のロッカールームもあって、個別の更衣室があるのはヨーロッパの温泉施設に共通するシステムです。
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昔スイスのツェルマットへ1人でスキーに行って、1週間後にローザンヌまで戻ってくる途中、スキーと言えば温泉だよなと思い立って、電車で30分ほど先にあるイヴェルドン・レ・バンと言う町の温泉に行った事がありました。12月の真冬の夕方で湯気で周りが見えない屋外の温泉プールだったので、この時も頑張って入れば良かったと思いました。
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緑色のポロシャツの女性が案内してくれるスタッフの方です。この時はほとんどお客さんがいない感じでした。
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表の池の畔にある飲料温泉施設に移動してみました。ここでは飲泉があるので、今日のところはこれで我慢しましょう。
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ここはガラス張りなのでぽかぽか暖かいです。飲泉には冷たい物と暖かい物がありますが、迷わず暖かい物を注文します。ビールの中ジョッキくらいのグラスで1杯20円ほどでした。
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ローザンヌからレマン湖を船で渡って行ったエヴィアンのことも思い出しました。エヴィアンの温泉施設もガラス張りで気持ち良かったです。エヴィアンのショップで買った飲泉用のガラスのグラスは持ち歩けるように、可愛らしいバスケットの容器が付いていました。
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有名な飲泉を飲む専用のカップを買いました。さっそくこれに移して飲んでみます。これを持ってゲッレールトにも行ったのですが、ホテルの前の飲泉は止められていました。これは取っ手の部分が吸い口になっているので療養中の父のお土産にしました。
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もう一つは先々の妻のために用意しておきました。
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「セーチェニ温泉」を出て、遅いお昼に向かいました。お昼と言ってももう4時前になっていましたので、早い晩御飯といった感じです。動物園のフェンスのデザインが可愛らしいです。
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目的のレストランへ行く途中に今回行く予定の動物園の前も通りがかりました。
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すでに4時近いのでチケット売り場はすでに閉まっています。この動物園の世紀末建築も素晴らしいので後日見学に来ました。
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この後は「グンデル」というハンガリー有数の高級レストランの予約に出向き、その店の近所にある姉妹レストランの「パゴイヴァール」で食事をしました。
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後日改めて「市民広場」にやってきました。英雄広場からぶらぶら散歩しましたが、
公園内には1896年の建国千年祭博覧会の名残のようなものが多くみられます。 -
「ヴァイダフニャド城」はイグナーク・アルパルによって設計されましたが、トランシルヴァニア(現在はルーマニア)のフニャド城など城さまざまな時代の建物の一部が含まれています。そのためロマネスク様式やゴシック様式、ルネサンス様式からバロック様式などのさまざまな建築様式が見られます。もともとは仮設の建築のためにパネルと木材で造られていましたが、人気があったので1904年から1908年にかけて石とレンガで再建されました。
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組み合わせたのはジャーク教会のポータル、ペーチ大聖堂の礼拝堂の一部、スピスキーシュヴルトークのザポリア礼拝堂から一部、レボチャの屋根付きの家々とバンスカービストリツァの特徴やブラショフの聖カタリーナ門、バルデヨフの市庁舎のロッジア、アルバユリアのチャールズゲート、ゲデル湖の王宮なども組み合わさっているそうです。
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博物館の入り口の辺りは典型的なバロック様式の教会のファサードのようです。設計者のイグナーク・アルパルは今までに見てきた建築でも旧証券取引所(ハンガリーテレビの本社ビル)の設計もしています。
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入口の脇の壁面には小さなニッチ(壁龕)があり、ハンガリー系アメリカ人の俳優ベラ・ルゴシの胸像があります。通常胸像の顔は素顔だと思いますが、彼の場合は違っています。1927年と1931年に映画化(ブラム・ストーカーの小説に基づく)されたブロードウェイ映画のドラキュラの顔のままです。
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「農業博物館」には案内看板の通りに巨大なイースターエッグがいくつもありました。特に見ておきたいのが「ハンガリーの農業歴史展 (起源から 1945 年まで)」で、新石器時代から現代までの農業活動や道具を紹介する展示場です。
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子供向けの参加型アクティビティも用意されていますし、ハンガリーの家畜業や狩猟、漁業や林業の発展についての展示も見ごたえがあります。
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建国1000年祭で建てられたヴァイダフニャド城もすでに105年経っています。その城の内装をそのままにハンガリーの農業(かなり幅広い意味での農業)についての展示がなされています。
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雲南省の昆明の民俗村で見たモンゴル族のゲルみたいです。これを見るだけでも中国やモンゴルから中央アジアを経て東ヨーロッパまでがつながっているのだと感じます。これはマジャール族の農業と初期のアルパード時代の展示で、遊牧から定住への流れが分かります。
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初期の定住型の簡易な住居の原寸模型も展示してありますが、宮殿の中なのに簡素な家屋が建っていること自体が面白く見えてしまいます。
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展示物も興味深いのですが、城の内装だけ見ていても飽きません。建国1000年である1896年と世紀末建築であるアール・ヌーヴォーの時期がうまい具合に重なったのだと思います。意匠が施された列柱は鋳造されたもののようなので、強度を支えるものではなさそうです。
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どれくらい前の物か分かりませんがドイツ語でいうカッヘルオーフェンという陶製放熱器(クローズ式のタイル張りストーブ)です。薪をくべる焚口は裏側にあり、暖まった内部の放射熱が陶器の穴から出てくるシステムのようです。素焼きの陶器の茶色と白い石灰の組み合わせが素朴できれいです。
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こちらも同じ暖房器具ですが、形状がビザンチン様式の聖堂のようにも見えます。キプロス島の街中を歩いていると正教の小さなミニチュアの祠を何度も見掛けたことを思い出しました。
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有史以前から1945年までのハンガリーの農業の歴史がメインに展示されています。最初のセクションは、マジャール征服の前にカルパティア盆地に定住した人々の農業関連の道具を示し、日常の農作業での使用法の復元展示しています。
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巨大な角を持った灰色牛はマジャール語で灰色を意味する「スルケ」と呼ばれ、直訳するとハンガリーの灰色という名で「マジャール・スルケ」はハンガリー古来の固有種の牛です。 ユネスコ世界遺産に登録されているホルトバージ国立公園で放牧されていて、1,000年近く他種との交配されていない世界的にも珍しい牛です。
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次のセクションにはトルコ時代後の経済の回復と19世紀から20世紀初頭における集約農業の特徴について展示してあります。 1851年に輸入されたイギリス製の蒸気機関車や脱穀機などの現代的な機械の助けを借りての19世紀の脱穀を描いています。
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この蒸気機関の右側には更に巨大な脱穀機が置かれています。蒸気でベルトを回転させて穀物のモミを取ったことが分かります。車輪には溝が無いので線路を走るわけではなく、馬車のように普通の道を走って移動したのでしょう。
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左側に蒸気機関があり、ベルトがこの巨大な脱穀機に繋がっています。とても個人で持てる規模の機械では無いので、集約農業が発展していった18世紀後半から19世紀の情景です。
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このような手動の脱穀機も販売会社から営業マンが馬車に乗せてハンガリーの大草原を売り歩いたのでしょうか。
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その前には馬が引くいろいろな種類の鋤が並んでいます。どれも状態が良く現在でも使っているかのようです。
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マンガリッツァは品種改良により1833年に生み出されたハンガリー固有で希少種の豚です。20世紀初めには約1000万頭飼われていましたが、1991年には191頭まで激減してしまい、その後は国を挙げての保護策で絶滅の危機を免れて、2004年にはハンガリーの国宝に指定されています。
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全身が羊のような毛で覆われているため、「ウーリーピッグ(毛むくじゃらの豚)」という別名もあるそうです。
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今回は中欧の3都市に絞ってそれぞれ1週間ほどの旅としましたが、こんな展示を見ているとホルトバージ国立公園などブダペスト以外の土地へとハンガリーへの興味が広がります。
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観光客向けのショーでもよいので、民族衣装を着たホルトバージの馬術ショーを見てみたいものです。
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農民が町の人に家畜を売ったり、町の職人から品物を購入するために19世紀の中ごろにはハンガリー全土で約600か所、毎年2500を超える市が開催されたそうです。
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これも民族博物館でも学んだことですが、これらの市も鉄道の開通によって激減していきます。
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民族博物館の見学が先で、後から農業博物館の見学が出来て良かったと思いました。ただ、この2か所の博物館は当初の予定になかったので、その分他の予定や食事時間にしわ寄せがいってしまいました。
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昔の薬局を再現した展示もありましたが、琺瑯看板のイラストからすると鍵やコーヒーも販売していた万屋(よろす)屋さんみたいです。
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紀元前1500年のバフィオの黄金の盃はオークロスという雄牛の捕獲の場面を描いたものです。この博物館で唯一のお宝のように思えました。
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農業エリアの見学が終るとしばらくはパネルの展示や写真ばかりなので、お城の内装に目が行ってしまいます。
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入り口のポスターパネルにあった巨大なイースターエッグがありました。模様は伝統的なハンガリーのものだということは民族博物館の展示で勉強しています。
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ゴシックスタイルの柱とアーチの連続には艶消しの塗料で東洋的な模様が描かれているのでとてもきれいです。ブダの丘の上に建つマーチャーシュ教会の内陣の装飾のようです。
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部屋の中に森を再現したコーナーもあり、丸太で出来た通路まであります。まあ、日本だったらハートビル法とかで出来ない設えです。
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迷子になりそうなくらい広いお城の中を延々と歩き続けます。しかし、広大な博物館の中を歩いていても誰にも出会わないというのがすごいです。妻がいなかったらちょっと怖いくらいです。
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階段の最上部に向かうとステンドグラスの巨大なバラ窓が見えてきます。バラ窓は国の紋章の上のイシュトヴァーンの聖冠モチーフしています。円形の枠に沿って、かつてハンガリー王国の一部だった国々の紋章が見えます。トランシルバニアとクロアチア、スラヴォニアとダルマチア、そしてフィウメの港です。
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バラ窓のステンドグラスは有名なガラス工芸家、ミクサ・ロスが造りました。彼の作品は非常に高く評価され、第1次と第2次の両方の世界大戦中はボランティアがガラス細片を1つずつ網目模様から取り外し、番号を付けて新聞紙に包んで安全な場所に隠しました。そして戦争が終わるとパーツは元の位置に戻されました。
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よくここまでの建物を建てたものだと感心します。それと同時に贅沢な空間がもったいない気がしました。
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階段を登り切った巨大なホールからは漁業についての展示に変わります。漁業と言ってもハンガリーは内陸国なので、ドナウ川などの川両氏についての展示になります。
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最初はガラスケースと写真パネルが並ぶだけなので、あまり面白くないというか、この空間とこの展示はアンバランスではないかと思います。
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西洋風のデザインもありますが、この開口部の意匠は不思議な美しさを感じます。ホール周辺の部屋からジオラマなどの展示が始まります。
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ハンガリーの漁業の歴史はマジャール人の起源と古代の故郷にまで遡ります。 いくつかの考古学的発見と比較言語学および民族学研究は、最も古代の釣り道具と漁法がフィノ・ウグリックの故郷で生まれたことを証明しています。 マジャール人のハンガリーの征服は釣りにも大きな変化をもたらしました。
ハンガリーでは釣りと密接した魚の取引は魚屋によって行われていました。 15世紀から16世紀には魚屋は扱える魚の品種が定められ、チョウザメなどは王室の特許を持つ魚屋のギルドによってのみ販売できました。 -
プロの漁師のフィッシングギルドは16世紀初頭に組織され、彼らの目的は漁業水域の保護と魚小売りの独占を確保することでした。ギルドの規制により専門的な漁法や魚の販売と取引の付いて定められました。
別の展示ではハンガリーの川や湖での釣りの歴史を紹介しています。そしてドナウ川沿いのほとんどの村に漁師が住んでいたことを知る事が出来ます。数世紀の間ここで最も価値のある魚はチョウザメで、重要な漁場はティサ川でした。過去にはその豊かな魚相が豊かな漁獲をもたらし、自然湖の中で最も重要だったのはバラトン湖とヴェレンス湖の存在だったようです。 -
チョウザメはハンガリーの特徴的な魚であり、特別な釣りの方法が必要でした。かつてドナウ川とティサ川沿いの漁師の収入の主要な部分でしたが、船の航行用のドック(閘門)の建設やドナウ川の川幅の狭窄の影響でチョウザメはハンガリーの川沿いでは激減しています。 20世紀には大きなチョウザメが28尾しか捕獲されませんでしが、1554年から55年の記録によれば、1年以内に160尾を超える魚体が捕獲されています。 チョウザメの平均の魚体は3メートルから4メートルですが、9メートルを超え1400キロに達する個体もあったようです。 ショーケースの2つの標本は1962年と1964年にパックスで漁師が捕獲しましたもので、ハンガリーでの最新の漁獲は1987年のものだそうです。
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ゴシック棟の1階にある最初の大きな部屋は、ハンガリーでのカルパティア盆地における狩猟の歴史を紹介しています。漁業の展示に変わって狩猟の展示は圧巻でした。
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この博物館のコレクションの代表的ものは狩猟大会で金賞を受賞したダマジカのハンティングトロフィーがベースになっているようです。ムフロンのハンティングトロフィーとマルトン・ヴァーサールのトロフィーは、1965年から18年間、世界記録を樹立しているそうです。
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ヨーロッパで最も貴重なトロフィーコレクションの1つは、この農業博物館と図書館に保管されているそうです。 5匹のアカシカ、1匹のローバック、7匹のダマジカ、1匹のイノシシの世界記録のトロフィー、金メダリストのトロフィーがコレクションで、 5つの世界記録のレッドディアトロフィーのうちの1つは1970年にスイスの狩人によってザラ郡のレンチ近くで達成されました。 これまでのところこれは女性が手にした世界で唯一のトロフィーだそうです。
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この年の秋にフランスのロワール渓谷の古城をたくさん巡り、その中でもシャンポール上のハンティング・トロフィーは圧巻でしたが、この博物館のコレクションには及ばないなと思ったほどです。
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説明文はありませんでしたが、これは牡鹿同士が縄張りかメスを争って戦っているうちに角が外れなくなって死んだものではないだろうかと思いました。
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ハンガリーに住む人々は自らをマジャール人と呼び、アジアのルーツを持っているヨーロッパでは大変珍しい民族です。騎馬民族であったハンガリー人の祖先は魚労狩猟生活をおくり、良質な牧草地を求めアジアからヨーロッパへ何百年をかけて移動し、9世紀末にカルパチア山脈を越えて現在のハンガリーの地に定住しています。
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林業の展示では生物のコミュニティとして森を紹介しています。 ハンガリーの気候条件では森林は最も豊かで最も複雑な生態系です。 森林は樹木によって定義されますが数千の動植物種が生息しています。 森林管理の歴史は森林への人為的干渉が初期の開拓から現代の多目的計画管理に発展した過程を紹介しています。
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体重301 kgのこの都会のヒグマは、1907年にジェザアンドラーシ伯爵から博物館に寄贈されました。現在ではこのクマの種は高い山脈と深い森でしか見る事は出来ません。狩猟用ライフルが出現するまで、熊の狩猟は最も危険を伴う仕事の1つでした。熊を仕留めるには槍や長い狩猟用ナイフ、トラップなどの武器でしかなかったからです。このクマは当初から博物館に展示されていたため、最も人気のある展示の1つになり、博物館の象徴になっているそうです。
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18世紀から19世紀は計画された長期的な森林管理のための科学的および法的基盤が発展しましたが、反面に開発と森林破壊が増加する時期でもありました。ハンガリーでは現代林業法が1879年に可決されました。これによりほとんどの森林では経済活動は国の監督下でのみ行うことができました。
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第1次世界大戦前はハンガリーの26.2%が森林に覆われていました。戦後の領土喪失の結果この比率は11.8%まで低下してしまいます。第2次世界大戦後は植林プロジェクトなどの影響もあり18.4%まで増加しています。
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林業の展示が終るとまた巨大な階段ホールが現れました。ここからはバロック様式の宮殿のような雰囲気に変わります。
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誰もいない巨大なホールを歩いても自分たちの足音しか聞こえません。
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楕円形の巨大な吹き抜け空間が見事です。その手摺はジョルナイ工房のピログラニッドと呼ばれるテラコッタで造られているようです。
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係員が座っている椅子も素晴らしいものですが肝心の係員さんもいません。
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ホールの一角に置き去られた卵ケースにキャンドルがありました。子供向けのイースターのイベントがあったようです。多分卵の中身を抜いて蝋で線を引いて絵具で塗ったようです。こうやってハンガリーの子供たちはイースターエッグの作り方を覚えるのでしょう。
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間に合えば描いてみたかったですね。人がいた痕跡だけ見ると余計誰もいない空間が寂しく感じます。
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これで「農業博物館」の見学が終わりです。
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ミュージアムショップの先に子供用の特別展示室があって、ここは迷路になっていました。展示物がそれぞれクイズになっていて、AかBを選んで左右の道に進みます。ハンガリー語が分からないので途中で表に出ました。
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ミクロス・リゲティによって造られた年代記の作者アノニマスの像も城の前に据えられていました。アノニマスは12世紀に実在したといわれますが、本当の正体は不明です。年代記「Gesta Hungarorum(ハンガリーの証書)」を書きました。
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うまい具合にフード付きの同じようなジャンパーを着ているものです。
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そういえばブダペスト2日目に行った「民族博物館」でも幼稚園児に紛れ込んでいました。
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これは後年行ったエストニアのタリンの写真ですが、ここでも同じような格好をしていました。偶然の出会いですが、何度も驚かされることがあります。
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ヤークにある13世紀の修道院教会をモデルに建てられたので「ヤークチャペル」にも農業博物館にあったバラ窓と同じミクサ・ロスの工房の手によるステンドグラスがあります。この建物も「ヴァイダフニャド城」と同じころに建てられたものです。
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新しい建物ではありますが、古いロマネスクの様式で建てられています。ファサード上部にはイエス・キリストを頂点に十二使徒が配され、ヴシュールと呼ばれるアーチが美しい姿を見せています。
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扉上部のタンバンの彫刻はありませんが、ヴシュールから続く柱の細か細工が見事です。柱を背負おう獅子の姿もアクセントになっています。
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1885年にブダペストで開催された国際農民会議で協同組合が結成されたことを最初に示唆したサンドール・カロリ伯爵の像が博物館の中庭にありました。
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城門はダコヴォ要塞を模したもので、ここも別の博物館いなっているのと城壁上部からの景色もよいそうです。さすがにここまで足を延ばす気にはなりませんでした。
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2週間前のウィーンは厚いくらいでしたが、ブダペストに入ってからは季節が戻ってしまったようで、庭園の花もまだ植えたばかりのようで土に馴染んでいませんでした。
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この日も「セーチェニ温泉」にトライしようと準備はしてきましたが、数日前に来た時より更に涼しいので入りませんでした。
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荘厳なバロック・リヴァイヴァル建築を絵に描いたような建物です。
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休憩も兼ねて内部見学もしてきました。長い廊下の右側には更衣室がありますが、ここは個室なので少々お値段が高いようです。通常は男女兼用のロッカー室と、個室の更衣室の利用になります。
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建物の一番奥にカフェスペースがあったので休憩することにしました。巨大な温泉施設にしては少々狭いスペースです。
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3週間の旅も終わりが近づき、2人共疲れもピークになってきているのか、まったりした空気が流れています。
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大理石で造られたトロフィーには本物の貝が嵌め込まれてありました。これもジョルナイ工房のピログラニッドと呼ばれるテラコッタで造られているようです。
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海の無いハンガリーの人にとって貝殻は特別な意味があるのでしょうか。
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東京駅を思い出させるような建物だと思い、白とイエローの組み合わせを見ていたら、この色はマリア・テレジア・イエローではないだろうかと思えました。
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置かれた椅子も当時のままのようです。
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美しい木彫が施され革は太鼓鋲で留められている本格的な造りです。
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腰壁のタイルも良く見ると素晴らしいデザインです。
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これもジョルナイ工房の陶器だと分かります。
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鈍く光る釉薬は「エオシン釉」と呼ばれるジョルナイならではの釉です。現在でもジョルナイで制作されていますが、古いものに比べると光りすぎてるように思います。アンティークショップで古い花瓶を買う事が出来ましたが、2011年当時はアンティークもすごく安かったです。
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照明器具も良く見るとこんなに優雅です。多分この建物の為のオリジナルでしょう。
昔の方が現代の既製品で造られる建物より遥かにデザインする事の意味が大きかったのでしょう。 -
予定では1回来るだけだった「市民公園」周辺でしたが、世紀末建築も数多く魅力のある場所でした。ドナウ川河畔だけがブダペストではないと感じました。
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