2011/04/11 - 2011/04/16
871位(同エリア3036件中)
kojikojiさん
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- 旅行記1481冊
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- 2,677,302アクセス
- フォロワー151人
「英雄広場」で献花式などを見ていたらすっかり遅くなってしまいました。ずっと立ちっぱなしだったので「国立西洋美術館」の前で妻は疲れ果ててしまいました。行くまではあまり期待していなかった美術館ですが入ってみるとこれが素晴らしい収蔵品ばかりでいきなりギリシャ美術のブースにはまりました。トップライトからの光や淡いブルーで塗られた壁面など、まるでギリシャのどこかの島の美術館にいるような錯覚に囚われます。更に中世ドイツの祭壇画に続き、エル・グレコのコレクションの多さにはビックリしました。デューラーやブリューゲル、そしていつかは見たいと思っていたレンバッハの絵がここにあったと知った時は鳥肌が立ちました。この美術館のコレクションの歴史はハンガリーの美術コレクションの歴史と密接に関連しています。ハンガリーの統治者の財宝は何世紀にもわたる戦火によって散乱し、1848年にブダの商工会議所の大統領官邸を飾っていたウィーン帝国および王室のコレクションからのほんの数枚の絵画だけが、1848年にハンガリーのコレクションに戻りました。その中にはデューラーの「若い男の肖像」も含まれていました。中心的な作品は18世紀および19世紀のハンガリーの貴族や教会のコレクターのコレクションによって形成されました。これらの中で核をなすのはエステルハージコレクションで、1870年から1871年に国がそのコレクションを購入したことで、美術館の前身である国立絵画館の基礎が築かれました。エステルハージコレクションの637点の絵画には、ラファエルのマドンナ、アントニオ・ダ・コレッジョ、ジョヴァンニ・アントニオ・ボルトラフィオ、オランダとフランダースの263枚の絵画、そして博物館のスペイン絵画のリベラ、ムリーリョ、ゴヤの作品が含まれています。日本ではあまり有名ではない美術館ですが、規模こそ違えどウィーンの美術史美術館に引けを取らないコレクションだと思います。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 徒歩
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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「国立西洋美術館」に入る前に「英雄広場」を見ていると、前日から何度も観光の邪魔をされ続けたトルコからの賓客による献花式が始まりました。
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ようやく献花式が終わると陸軍の衛兵部隊はバスに乗って去り、広場は何事も無かったように静まり返りました。
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「ブダペスト国立西洋美術館」は英雄広場を挟んで向き合うように「国立現代美術館」があります。向き合うようにして建つ2つの建物は共にシッケンダンツ・アルベルトとヘルツォーグ・フェレップの共同設計で建てられています。
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建築様式は古代ギリシャのパルテノン神殿のようなドーリア式の美しい姿ですが、シンプルな西洋美術館と違い、柱頭部やメトーブやペディメントは金色に輝いています。ペディメントも西洋美術館がエルギン・マーブルのようなフリーズなのに対し、モザイクで飾られています。
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ずっと歩きっぱなしに立ちっぱなしだったので妻は西洋美術館の入り口でダウンです。お昼も食べずに申し訳ないことをしました。が、美術館の見学をやめるわけには行きません。
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入場券と撮影券を購入して地下のクロークに荷物を預けました。日本と違って立派なクロークがあるのが羨ましいです。もちろん無料ですし、年配の方々が働いていて雇用も確保されているように思えます。
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まずは1階の右ウイングのギリシャ美術の部屋の見学から始めます。トップライトからの光と薄いブルーの壁を見ていると、どこかギリシャかキプロス辺りの地方美術館にいるような錯覚に囚われます。我々以外に見学者がいないのもそんな気分にさせるのかもしれません。
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ウィーンの美術史美術館の様な量の迫力はありませんが、優れた展示品に驚かされます。紀元前580~570年のコリント式の壺には躍動的な鳥の姿が描かれています。
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紀元前6世紀から5世紀のガラスの香水瓶です。自立しないアンフォラ型など可愛らしい形が多いです。現在もヴェネツィアのムラーノ島で同じ技法で造られている作家さんがいます。10年ほど前に円筒形の器を造ってもらい、京都で象牙の蓋を造って替え茶器に仕立てたことがあります。
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紀元前580年から570年に造られたアラバスター製の香水瓶です。黒色でスフィンクスのような図柄が描かれています。
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展示室の淡いオレンジ色もギリシャ陶器の肌色を思わせます。
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紀元前6世紀のエトルリアのテラコッタ製の軒先飾りはゴルゴンが描かれています。エトルリアはイタリア半島中部にあった都市国家群で、古代ギリシアとは異なる独自の文化をもっていました。当時としては高い建築技術をもち、その技術は都市国家ローマの建設にも活かされました。紀元前4世紀にローマの勢力が強くなると、周辺の都市から順にローマに併合され、最終的には完全にローマに同化されます。
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注ぎ口がジョウロのようになっている不思議な壺です。こんなのは初めて見ました。紀元前610年から620年にエトルリアで造られたオイノコエと呼ばれるワイン水差しです。黒色の陶器はエトルリアの特徴で、イタリア中部のオルヴィエートでは現在もこれらの黒色陶器を造っています。1つの工房の方と仲良くなってワインをいただきながら陶器の話をした楽しい思い出があります。
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美術館のホームページにも紹介されているニオベーの石像です。ギリシャ神話によるとニオベーは女神レートーに対して子供が多いことを自慢しました。それだけでなくアポローンとアルテミスの姿を馬鹿にして、自分の子供たちが優れていると自慢します。怒ったレートーはアポローンとアルテミスに彼女の子供を殺させたます。嘆き悲しむニオベーの涙はとまらず、故郷のリューディア地方に帰り、シピュロス山でゼウスに願って石に変えられます。あるいは子殺しを後悔したレートーがニオベーを哀れみ、石に変えたとも言われます。ニオベーは石になっても涙を流し続けたといわれます。
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英語のエンゼルはギリシア語のアンゲロスに由来し、その原義は「伝令」「使いの者」という意味です。古代ギリシア・ローマ世界ではアンゲロスは生身の人間としての伝令を表す言葉であると同時に、神々と人間の中間の霊的存在としての伝令を指す言葉でもありました。これらの陶器はクレーターと呼ばれ、壺には水とワインを混ぜたものが入れられました。そしてここからリュトンなどの容器に移し替えられました。(クレーターの語源はギリシャ語で皿とかボウルという意味だそうです。)
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ウィーンの美術史美術館にもあった道化師の両面レリーフは2世紀に造られたものです。
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整然とした美術品も素晴らしいですがギリシャ・ローマ美術が好きな理由に家族愛を感じる物が残されていることです。エトルリア美術でも感じますが、夫婦の石像が蓋に彫られた石棺や、小さい子供の柩なのに精緻な彫刻が施されていたり、そんな発掘品が小アジアの港町に残っていたり、ロードス島やキプロスの島に残っています。このレリーフもそんな家族の肖像だと思います。
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古代ギリシャではケルベロス、古代ローマではケルベルスと呼ばれるギリシア神話に登場する冥府の番犬です。3つの首と蛇の尾を持ち、首元から無数の蛇を生やした猛犬は冥府の神ハデスによって地獄の番犬として飼われています。
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ゲオルギウスの龍退治の構図に良く似ていますが、騎乗の男性はローマ兵のマントをたなびかせています。これはサガムと呼ばれ真っ赤な色をしていました狩りの様子を描いたようで、猟犬に追われたイノシシが見えます。
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紀元300年ころに造られた素焼きの陶器の花瓶です。トルコのパムッカレでこんな形の鶏の水笛を買ったことを思い出しました。
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竪琴を弾くオルフェウスの姿が描かれたモザイクです。オルフェウスはアポロンの息子とされ、竪琴もアポロンから伝授されその技は非常に巧みで、彼が竪琴を弾くと森の動物たちばかりでなく木々や岩までもが彼の周りに集まって耳を傾けたと言われます。妻エウリュディケが毒蛇にかまれて死んだとき、オルフェウスは妻を取り戻すために冥府に入ります。彼の弾く竪琴の哀切な音色の前にステュクスの渡し守カローンも、冥界の番犬ケルベロスもおとなしくなり、冥界の者は魅了され、みな涙を流して聴き入ります。ついにオルペウスは冥界の王ハデスとその妃ペルセポネの王座の前に立ち、竪琴を奏でてエウリュディケの返還を求めます。オルフェウスの悲しい琴の音に涙を流すペルセポネに説得され、ハデスは「冥界から抜け出すまでの間、決して後ろを振り返ってはならない。」という条件を付け、エウリュディケをオルペウスの後ろに従わせます。目の前に光が見え冥界からあと少しで抜け出すというところで、不安に駆られたオルペウスは後ろを振り向き妻の姿を見てしまいますが、それが最後の別れとなります。
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1世紀の大理石のレリーフはアクティウムの戦いの勝利を記念したモニュメントの一部で、イタリアのカッラーラ産の白い大理石で造られています。カッラーラの大理石はミケランジェロも使った高級な石材です。
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美しいエンタシスの柱までがどこかの神殿から持ってこられたようです。上部に比べて下部が広がった安定性を感じます。
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ギリシャ・ローマ部門で言うとウィーンの美術史美術館よりこちらの建物の雰囲気の方が好きです。
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破壊されてしまった彫像の頭部が並べられています。どんな全体像だったかは市井の人々では想像のしようもありません。ギリシャの神々やローマの皇帝であれば衣装やアトリビュートから想像もできます。
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強い意志と教養を持った男性のように思えます。石像になるほどですからそれなりの市民だったのではないかと思います。そんな想像を膨らませるのも美術館巡りの醍醐味ではあります。
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もっとゆっくり見ていたかったのですが、妻に先をせかされてしまいました。どんどん先に進んでしまいますが、このルネッサンスホールは、16世紀のイタリア建築を連想させる美しいものです。
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半円形のアーケードと古典的な柱、手すりの欄干や古代ローマの壁画を模倣したフレスコ画は、ルネッサンス宮殿の中庭を想起させます。 ホールは現在の美術館の2つの展示室のエントランスになっています。
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第1次世界大戦後の緊縮政策は博物館の発展に影響をもたらしますが、重要な作品は戦時中にもコレクションされています。 しかし第2次世界大戦は美術館を根底から揺るがして深刻な打撃を与えた上に大きな損害を与えました。
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この階段は爆弾の被害にあい、ガラスの屋根は完全に破壊されました。 戦争の最後の数か月の間に最も価値のある傑作を含む芸術作品の大部分は、鉄道車両に乗せられ西に運ばれました。 コレクションは1946年から1947年の間にドイツからハンガリーに返還されています。まるでナチスの黄金列車の略奪絵画や美術品や金塊の伝説のような話は実際にあったわけです。
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階段を上がりきった上階の回廊はイタリアルネッサンスの優雅な雰囲気を醸し出しています。フィレンツェをベースに回ったトスカーナの小さな町の旅を思い出させます。
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こんな空間を妻と2人で占有していると思うと実に贅沢な美術鑑賞だと思います。
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2階の最初の部屋は中世ドイツの祭壇画が並んでいます。
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イベリア半島の木彫も素晴らしいですが、ドイツのリーメンシュナイダーの作品まで収蔵されていました。
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「洗礼者ヨハネの斬首」は1560年にカスティーリャの画家によって描かれたものです。ヨハネは当時の領主ヘロデ・アンティパスの結婚を非難したため捕らえられます。そして結婚相手のへロディアの娘であるサロメが祝宴での舞踏の褒美として彼の首を求めたため処刑されます。マタイによる福音書に書かれた「らくだの皮衣を着、腰に革の帯をしめ…。」という姿で描かれています。
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部屋の展示方法も祭壇のように絵が並べてあるので、三連祭壇画の一部であっても全体的にまとまった印象を受けます。
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そして目的だったエル・グレコの部屋にたどり着きました。ここまでへとへとになって歩き続けてきましたが、その疲れも吹っ飛びました。スペインの各都市とトレドで数々のエル・グレコの作品を観てきましたし、上野の国立西洋美術館や倉敷の大原美術館を回ってきた最終地にたどり着いた気分です。スペイン以外でエル・グレコの作品の収蔵ではここが一番多いといわれます。
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「受胎告知」エル・グレコ
グレコはたくさんの受胎告知の場面を描いています。題材はキリスト教の聖典である新約聖書に書かれているエピソードの1つで、聖告(せいこく)、処女聖マリアのお告げ、生神女福音(しょうしんじょふくいん)ともいいます。処女マリアに大天使のガブリエルが降り、マリアが聖霊によってキリストを身籠ったことを告げ、マリアがそれを受け入れることを告げる出来事です。 -
深い神秘的な闇に包まれた夜空に、突然眩いばかりの光芒を発して天使が登場します。光と闇の力強いドラマは神の子の肉化を告げるというドラマティックな事件の舞台として描かれています。 雲に乗って現われた天使は右手を大きく捩(ねじ)りながら天に向け、左手に純潔のシンボルである白百合の花を持って、やや上の方から聖処女マリアを見下しています。
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体が不自然に長く伸びた典型的なマニエリスムの表現です。真正面から見ると異様に長い体躯に見えますが、低い位置から見上げるとまた違った印象を受けます。この作品は1907年にパリで画商フランツ・クラインベルガーから購入した比較的新しい収蔵品です。ちなみに児島虎次郎が大原美術館のために受胎告知を購入したのは1922年で、パリのベルネーム・ジュヌ画廊からでした。
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グレコは描いた受胎告知はプラド美術館に収蔵されたもの2点、テッセン・ボルネミッサ美術館、トレド美術館と大原美術館で見ています。その中でも迫力があるのはプラドのドーニャ・マリア・デ・アラゴン学院の大祭壇画の迫力はすごかったです。
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「オリーブ山のキリスト」エル・グレコ
主題はユダの裏切りによりローマ軍に捉えられることを予知したイエスが、最後の晩餐の後に弟子のペトロと大ヤコブとヨハネの3人を連れゲツセマネのオリーブ山に赴き、父なる神へ災いを退けるよう祈りを捧げるゲッセマネーの園とも呼ばれるオリーブ山の祈りです。夜景の場面を月明かりに照らされる青い色調で描き、うねりにも似た不安定な構成でイエスの内面の恐怖感や、イエスに訪れるユダの裏切りと受難への苦悩を表現しています。 -
雲の間から射し込む月明かりによって神秘的に照らされる登場人物や、その人物たちの内面まで深く抉り込む感情の表現は見事です。なおイエスがオリーブ山へ連れて行った弟子はペトロと小ヤコブ(ゼベダイの子)とヨハネの3人で、それぞれキリスト十二使徒の中でも特に重要視される存在です。また弟子たちとは対照的に画面右側にはイエスを捉えに来たユダとローマ兵の姿が描かれています。
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ルカの福音書ではキリストは死への恐怖と血の汗に悩まされますが、天使が彼を「強める」ために到着したと書かれています。 天使が光を浴びて左手に杯を持っていますが、この杯は神から送られたもので苦味と苦痛に満ちていますが、復活の希望も含まれています。
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「聖アンデレ」エル・グレコ
右手で支えているのは60年にギリシャで磔刑にされ殉死したとされる大きなX字型の十字架です。ロシアとルーマニアのほか、スコットランドとギリシャでも守護聖人とされており、アンデレが処刑されたとされるX字型の十字架は「アンデレの十字架」と呼ばれます。さらにアンデレを守護聖人とする人物や団体の旗や紋章に採り上げられ、スコットランドの国旗は「聖アンドリュー旗」と呼ばれます。 -
マルコによる福音書によると、兄弟ペトロと共にガリラヤ湖で漁をしていたときに初めにイエスに声をかけられて弟子となります。弟子の中でもペトロとヤコブとヨハネについで4番目にあげられています。五千人にイエスが食べ物を与える物語では、アンデレはパンと魚を持った少年を連れてきてイエスに紹介し、食べ物が増える奇跡を導く役割を果たしています。
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「マグダラのマリアの悔悛」エル・グレコ
マリア信仰の深い地であるスペインで描かれたこの作品は題名の示すとおり、イエスによって自らの罪を諭され、悔悛するマグダラのマリアを描いたものです。その表現はそれまでの典型を大きく逸脱し、マグダラのマリアの憂いを含む意味深げな視線や表情などエル・グレコが持つ独特の世界観によって、マニエリスム特有の洗練された不安定感がよく表れています。 -
マグダラのマリアについて四福音書がはっきり語っているのは、七つの悪霊をイエスに追い出していただき、磔にされたイエスを遠くから見守り、その埋葬を見届けたとされます。復活したイエスに最初に立ち会い「すがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから」とイエスに窘められます。復活の訪れを弟子たちに告げるため遣わされたことから初期キリスト教父たちから「使徒たちへの使徒」と呼ばれ、正教会での彼女の称号「亜使徒」はこの事績に由来します。
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アトリビュートは髑髏の他にイエスの足に塗ったとされる香油や十字架像などが挙げられますが、ここでは聖書の上に置かれた髑髏だけです。
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隠修生活を描いたものでは西欧キリスト教の聖女の中では珍しく肌を露出し、ときに裸身で描かれることも多いです。隠修中しばしば天国に昇り、天使の歌声を聞いていたとして「マグダラのマリアの昇天」という主題でも描かれる場面かもしれません。またマグダラのマリアは永く「悔悛した罪の女」とされてきました。 カトリック教会では591年グレゴリウス1世ローマ教皇によってそれが教義化され、それは 1969年のバチカン会議で見直されるまで続きました。
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「聖小ヤコブ(男性の頭部の習作)」エル・グレコ
小ヤコブは「アルファイの子ヤコブ」と呼ばれ、十二使徒の中に大ヤコブがいますが、こちらは「ゼベダイの子ヤコブ」と呼ばれます。2人の使徒を区別するために、「小ヤコブ」と「大ヤコブ」と呼ばれています。小ヤコブは使徒マタイの兄弟でもあります。 -
この作品は尖った耳や窪んだ目元などの顔立ちの細部が見事に描写されているため、画家の自画像とみなされたこともありました。しかし現在はキリストの十二使徒を描いた12点組の連作における聖小ヤコブの制作過程で、習作として描かれたものと考えられています。水色と灰色が入り混じる幻想的な背景や、絵の内側から輝きを放つような衣服は、エル・グレコならではの筆使いで描かれています。
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「聖衣剥奪」エル・グレコ
スペインのトレド大聖堂の作品の部分のようです。本家の作品は群衆がキリストより上に描かれていると物議をかもし、大聖堂から報酬を払えないと言われて裁判にまでなっています。 -
37歳の時にトレド大聖堂からの発注で、新約聖書からキリストが十字架かけられる直前の衣服を剥がれる姿を主題に制作しました。新約聖書は本来ギリシャ語で書かれているのでギリシャの出身であるエル・グレコは、原文をより理解して数々の宗教画を残していますが、この聖衣剥奪は外套を朱色で描き、それまであまり見られなかった鮮やかな色彩で描いています。
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グレコの描く甲冑が何とも言えなり輝きを放っています。それと肖像画に描かれる黒い服にレースの首飾りと手首のレース。ヴァンゲリスの作品に「EL GRECO」というアルバムがあるのですが、そのジャケットがプラド美術館の肖像画になっています。
TBSの「世界遺産」でもその中の曲が何度も使われています。 -
「聖家族と聖アンナ」エル・グレコ
エル・グレコが残す聖家族作品の最も優れた例が「聖家族と聖アンナ」です。聖母マリアと幼子イエスに、イエスの養父であり聖母マリアの夫である聖ヨセフ、聖母マリアの母である聖アンナを描いた典型的な場面です。 -
明るめの青空の中に登場人物の浮かべる感情豊かな表情が慈しみを感じさせます。聖衣に包まれる幼子イエスの身体や聖母マリアの姿態はマニエリスム様式らしく縦に引き伸ばされて極めて長身に描かれています。荒
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聖アンナの表現は荒々しい筆致で描かれているように思えます。聖ヨセフも深い精神性を感じることのできる表情を浮かべ、聖人としての存在感を示しているようです。
ほとんど同じ構図の作品が、トレドのターベラ病院に収蔵されています。 -
「洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ」ルーカス・クラーナハ
彼はアルブレヒト・デューラーやハンス・ブルクマイアーらと競いながら、ヴィッテンベルク城にある教会の数多くの祭壇画を描いていました。 ヴィッテンベルクに工房を構え、当地の領主ザクセン選帝侯フリードリヒ3世に御用絵師として仕ええ、主に宗教画で多数の作品を残したほか、同時代人の宗教改革者マルティン・ルターの友人であったため、彼とその家族の肖像画も多く残しています。 -
10日程前にウィーンの美術史美術館で同じクラーハの「ホロフェルネスの首を切るユディット」を見たばかりでしたが、ブダペストの方が穏やかな顔をしているような気がします。
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どのクラーナハの女性像にも共通するのは独特の妖しい魅力を漂わせていることと、感情が抑えられた無表情な顔と豪華な衣装や装飾品が印象に残ります。
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2016年にクラーナハ展が東京で開催されましたが、この作品とは別の「洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ」がブダペスト西洋美術館に収蔵されていると知りました。
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「不釣り合いなカップル:老人と若い女性」ルーカス・クラーナハ
クラーナハはこの題材の絵を何枚も描いています。「愛は人を盲目にし、金は人を従順にする。」といったところでしょうか。年老いて歯も抜けた男が若く美しい女性の肩に手をまわし、右手は胸を触っています。微笑む女性の右手は男の腰のお金の入った袋に入っています。 -
「不釣り合いな夫婦:若い男性と老婦人」ルーカス・クラーナハ
これも上の作品と同じ題材です。歯の抜けた老婦人は若くハンサムな男性にお金の入った袋を渡そうとしています。いつの時代にも同じような考えを持つ人がいたのですね。 -
「ルクレティア・ロマーナ」ルーカス・クラーナハ
クラーナは北方絵画ではじめてとなる裸体のヴィーナスを描きました。装飾品を身にまとって美しく髪を結い、身をくねらせるように立つヴィーナスや女神や貴婦人などどのような対象であっても、独自の完成された女性美の姿で繰り返し描きました。題材のルクレティアはエトルリア王家の中でも「傲慢王」と呼ばれたタルクィニウス王の息子のセクストゥスに横恋慕された女性です。夫の留守を見はからかって訪ねてきたセクストゥスに陵辱された彼女は、その夜のうちにローマにいる父と戦場にいる夫の許に使いを送ります。そして暴行の一部始終を訴えた後にナイフで自分の胸を突いて死んでしまったとされます。 -
「ブドウの房を持つ聖母子」ルーカス・クラーナハ(工房作品)
この美術館のエル・グレコの作品の収蔵は有名ですが、クラーナハの作品の多さにも驚きました。 -
「授乳の聖母」ルーカス・クラーナハ
この作品のマリアは受胎告知を後悔しているような、感情の無い表情をしているのが面白く思えました。幼子イエスはそんなことを知らずにお乳を飲んでいるようで、救世主になれるのだろうかと心配になってしまいます。 -
「キリストと姦淫の女」ルーカス・クラーナハ
ある女が姦淫の罪を犯したためファリサイ派の民や律法学者らがその女の罪を問おうとイエス・キリストの前に連れてきます。この罪は律法では石打ちの死刑に値するとして、イエスにその刑を要請しますが、イエスは聴衆にこう言います。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まずこの女に石を投げなさい。」
この言葉を聞いて聴衆は誰も女に石を投げることができず、イエスはこの女を許したとされます。 -
「若い男性の肖像」アルブレヒト・デューラー
アルブレヒト・デューラーはドイツのルネサンス期の画家で版画家で数学者でもありました。同名の父アルブレヒトは、ハンガリーからドイツ南部に移住してきたマジャル人金銀細工師でした。デューラーがドイツとハンガリーの配布ということはこの時知りました。 -
この作品は17世紀からハプスブルク帝国からオーストリア=ハンガリー帝国末まで、ハンガリー王国最大の大地主であり、事業家であったエステルハージ家のコレクションだったものです。
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デューラーの絵を見るとどうしても瞳の中が気になります。版画だと瞳の中に写り込んだ窓や描いている画家迄が描かれています。この絵には男性の右手にある窓から入る外光が描かれています。
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「盲目のハーディガーディ弾き」ピーテル・ブリューゲル(子)(工房作品)
ハーディ・ガーディという楽器は一種の機械仕掛けのバイオリンで、バグパイプと並んでヨーロッパの民族音楽で使用されます。ブリューゲルの絵にもバグパイプを奏でる男はよく登場します。この題材は当時の風習としてポピュラーだったようで、同じような題材の絵が他にもあります。 -
盲目の男は村から村を渡り歩き演奏をして喜捨を求めます。このような放浪する芸人たちは異界に属するもので、異界に属するものは喜捨を要求する権利があったそうです。
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面白がってついて回る村の子供たちを見ているとハーメルンの笛吹き男の物語を思い出して、作者のグリム兄弟の童話の闇を感じます。ブリューゲルは盲者を題材にした絵をいくつか描いています。ハーディガーディの音色を初めて聴いたのはブリュッセルの楽器博物館でしたが、後にタリンの中世レストランで生演奏を聴いて感動したことがあります。
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「磔刑」ピーテル・ブリューゲル(子)
ナザレのイエスがエルサレム神殿を頂点とするユダヤ教体制を批判したため、死刑の権限のないユダヤ人の指導者たちによって、その権限のある支配者ローマ帝国へ反逆者として渡され、公開処刑の死刑である十字架に磔になって処刑されることになります。 -
十字架刑はその残忍性のため、ローマ帝国でも反逆者のみが受け、ローマ市民権保持者は免除されていた最も重い刑罰でした。キリスト教の教義においては、救い主であるイエス・キリストが人類をその罪から救うために、身代わりに磔になったものとされます。
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ゴルゴダの丘でのキリストの磔刑の姿です。遠近法で描かれた背景の街が非常に印象的な絵です。イエスの脇腹を突き刺した兵士の名はロンギヌスであると伝えられ、その槍はロンギヌスの槍として有名であるが、福音書には直接的な記述は無いそうです。ロンギヌスはイエスの死の確認の際に血が目に入り、白内障が治ったとも伝えられます。
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周辺ではブリューゲルらしい全く関係のない喧嘩が行われていたりします。
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イエスと共に十字架に磔にされた2人の男の名は、デュスマスとゲスタスと呼ばれる罪人でした。一緒に十字架につけられたゲスタスが悪態をついてイエスに言います。「もしもお前が救世主ならば自分で自分を救い、また俺達を救ってくれればいいだろう。」
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デュスマスという名の男の方が相手を叱って言います。「お前は同じ刑を受けていながら、神を恐れることをしないのか。俺達は自分のやったことにふさわしい罰を受けているが、この方は何の悪いこともしてはいないのだぞ。」
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「洗礼者ヨハネの説教」ピーテル・ブリューゲル
この作品も子供たちによって何枚も複製されています。この当時ブリューゲルの作品はとても人気があり、複製に依頼が多かったためにヨーロッパの美術館をいくつも回っていると同じ絵に出くわすことがあります。そして名前も親子で似ているので混乱することがあります。 -
森の中の限られたスペースで説教を行っているので、木の上から説教を聞こうとする者も現れています。周囲にいる聴衆は農民から貴族迄身分の違う人々や、中国人のような辮髪の人やサンティアゴへの巡礼途中の者までいるようです。よく考えると時代がバラバラなような気もします。
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洗礼者ヨハネは中心で駱駝の衣装を身に着け、身振り手振りを交えて説教しているようで、左手で指さす先に立つ男性がイエスです。
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松の木に隠れて絵の中からこちらを見ている騎士のような姿の男がブリューゲルとされています。
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傘を被ったのは子供を抱えているので女性でしょうか。手相を見ているような男は左側を気にしているようです。そこには真っ黒な犬がそっぽを向いて座っています。
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この作品もピーテル・ブリューゲルのキャプションがありましたが、美術館のホームページを見ても何の情報もありませんでした。
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ブリューゲル作品に多い、農村での争い事が題材になっているので、諺なのか戒めのようなものがあるのだと思います。
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それともただの農民の喧嘩が描かれているだけでしょうか。
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「トゥルーヴィルの防波堤、干潮」クロード・モネ
この絵は印象派の描き方を模索し始めた頃のモネの様式をよく伝える重要な作品です。1870年6月にカミーユ・ドンシューと結婚したモネは、ハネムーンで訪れたノルマンディーの海岸の街トゥルーヴィルで夏の数か月を過ごし、浜辺の風景を数多く描きました。ここに描かれているのは海に流れこむトゥーク川の河口の情景です。防波堤がそびえる岸辺で干潮を利用して釣りをする人々や、いくつかのヨットが見てとれます。モネ、雲に覆われた空と灰色の海面の境界をぼかし、ほぼ一体化して描くことによって、曇天の大気のどんよりした印象を見事に表現しました。また、明るいピンク色を一艘のヨットの帆だけに効果的に用い、画面に精彩を与えています。 -
「三艘のボート」クロード・モネ
この時はモネの絵画にあまり興味は持っていませんでしたが、秋になってパリの美術館を回り、マルモッタン美術館の「印象・日の出」とプティ・パレの「ラヴァクールの日没・冬の効果」に感動しました。 -
「タヒチの女」ポール・ゴーギャン
ゴーギャンはいまだに自分の中でのマイブームは起こっていません。いつかタヒチに行くことがあったらまた違った見方が出来るかもしれません。 -
20代の頃は全く興味の無かった印象派の絵画も、南仏を旅しているときにアルルからモンペリエの車窓から見た糸杉と青い空と雲を見ていなかったらいまだに興味が無かったかもしれません。
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そして作家の名前もどこの美術館にあるのかも忘れていた絵画に再会して、絵を観た旬下院に体の中を電気が走った気がしました。フランツ・フォン・レンバッハは1882年に爵位を得たドイツの画家です。豊かな家の出身で「貴公子画家」と呼ばれたそうです。
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この絵を見たのは日曜美術館だったと記憶しています。年月が経つにつれ全く記憶から消し去れていたものが瞬時に蘇りました。
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題名は「The Triumphal Arch of TITUS in Roma」ここで初めて気が付きましたがこの絵の背景であるアーチはローマのコロッセオからフォロ・ロマーノへ行く途中にあるティトゥス帝の凱旋門だったのです。実際の凱旋門は白大理石なので、印象はちょっと違います。
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1860年当時のローマの女性はこのような衣装を着て、頭の上にたくさんの荷物を載せて歩いていたそうです。ただ、描かれている衣装はローマよりももっと東の国の民族衣装のようにも見えます。また、後ろの牛もマジャール・スルケというハンガリー古来の牛のようにも見えます。
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すごい量の荷物を運んでいることにも驚いてしまいます。そして衣装や肌にあたる太陽光線の具合があまりに巧みに描かれていることに驚かされます。
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ライムストーンのような蜂蜜色なのでもっと東にあるローマ帝国の遺跡だと思っていました。光と影の描写が非常に上手くて絵の中から蒸せるような熱気や誇りっぽさまで感じてしまいます。上手く言い表せませんが空気まで描き込まれているようです。
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手前では何をするでもない子供がヤギと一緒にいます。
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男の子の被る帽子はトルコ帽のようにも見えます。日本ではトルコ帽が通り名ですがモロッコのふぇすに因んでフェズ帽と呼ばれるそうです。この子供がトルコ系なのかモロッコ系なのかエジプト系なのかは分かりませんが、1925年にはトルコではこの帽子が禁止になっています。
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更に迷路のような部屋がいくつも続きます。行き当たりかと思って戻ろうとすると係員のおじいさんに「その扉の先にも展示室がありますから。」と言われました。良く見ると扉に案内板が貼られていました。事務用のエレベーターと階段スペースを抜けて進むと更にスペインやネーデルランドの絵画が待ち構えています。
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ブダペストでムリーリョの作品い再会できるとは思わなかったので感無量です。このパンは後のイエスの奇跡や最後の晩餐を予感させるものかもしれません。
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「巡礼者にパンを配る幼子キリスト」バルトロメ・エステバン・ムリーリョ
ムリーリョはバロック期のスペインの画家で、17世紀のスペイン黄金時代を代表する画家です。初めて作品を観たのはパリのルーブルでしたが、スペイン旅行をしていた際に立ち寄ったセビリアの美術館で虜になりました。 -
「宿屋のふたりの男と少女」ディエゴ・ベラスケス
この作品の茶褐色と黄土色の暗い色調はベラスケスの初期作品であることを示唆しているようです。食宅を囲んで座る3人に人物はスペイン黄金時代に流行したピカレスク小説の登場人物を連想させます。質素な食事と少女が持つヴェネツィアン・グラスや鋼製の塩入れは著しい対照をなし、描かれた人物たちが没落した貴族のように思えます。 -
「好奇心のある部屋のコーナー」ヤン・ファン・デル・ハイデン
テッセン・ボルネミッサ美術館にも同じようなヴァニタス画がありました。 -
手前の書物に書かれた文字は一字一句読むことが出来るほど緻密に描かれてあります。そこに書かれたのは地上の知識と美は無駄であり、結局は死を迎えてその人はすべて消え去ってしまうので虚栄心は無駄であると諭してあります。
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このような「ヴァニタスの静物画」には長い伝統があり、ここに置かれた物は豪華なだけでなく高貴なものも含めて、この世の文化全体を表しています。またオランダからの遠征の起源であるウィレムブロイの地図も見えます。トルコのカーペットに中国の絹と磁器、日本の武器と南アメリカからはく製にしたアルマジロも置かれてあります。
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暖炉の上には「ディドの悲劇」の絵が飾られ、ドイツ製のキャビネットはミネルヴァのイメージで飾られています。地球儀と天球儀が絵画にバランスを持たせています。
ヴァン・デル・・ハイデンは亡くなった75歳の年にこの絵を仕上げました。 -
三連祭壇画の右翼だけになってしまった1枚ですが、「イエスの復活」を描いたハンス・メムリンクの作品です。
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「キリストの捕縛」ミケランジェロ・メリシダ・カラヴァッジョ
キリストがユダの裏切りによって捕縛される場面で、ユダの接吻を合図に兵士たちがいっせいになだれ込んできた瞬間です。左端には驚いて逃げ出す弟子、接吻しようとするユダ、捕らえようとする兵士たちの動きの中に目を閉じ停止しているかのようなキリストの姿があります。動と静によってキリストの存在感が高まる演出となっている。自画像と比べてみると右端にいるのはカラヴァッジョ自身の姿のようです。 -
「夫婦の肖像」アンソニー・ヴァン・ダイク
元々はあまり興味の無かった作家でしたが、3週間ほどのベルギーとオランダの旅行、ロンドンとサンクトペテルブルグで数々の作品を観てから興味を持つようになりました。 -
正装しながらも憂鬱そうな夫婦の顔に比べて手は雄弁に表情を表しています。伝統的な結婚の象徴であるつながれた右手と女性のダイヤモンドの婚約指輪を誇らしげに見えます。絵画は最近結婚したカップルを記念しているように思えます。
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「男の肖像画」フランス・ハルス
17世紀のオランダ絵画黄金期に活躍した大画家ですが、この美術館のフランドルの画家の作品の質の高さにも驚かされました。 -
「男の肖像(習作)」ピーテル・パウル・ルーベンス
精緻な筆致で描かれた細かい表情はとても習作とは思えない完成度です。 -
「レンブラントの母」ジェリット・ドゥー
レンブラントのお母さんの肖像画ということで興味を持ちました。 -
最後の部屋は係員もいない部屋で、見学者も我々だけでした。中央に展示されているのが「洗礼者聖ヨハネと聖母子(エステルハージの聖母)」で、横にはレオナルドの作品もあります。
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「洗礼者聖ヨハネと聖母子(エステルハージの聖母)」ラファエロ・サンティ
この作品は1508年にラファエロが25歳の時にフィレンツェからローマへ移る際に描いたもので、教皇クレメンス11世からハプスブルグ家へ献上されています。その後音楽家のハイドンが仕えたハンガリーの名門貴族エステルハージ家から国立美術館へ寄贈されました。1983年11月5日の夜中にラファエロの作品を初め,数点が盗難事件にあっていましたが,後にギリシャの放置された修道院内で発見されています。 -
「若い枢機卿イポリートデステの肖像」ラファエロ・サンティ
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レオナルド・ダ・ヴィンチの作品がありました。
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ヤノスパルフィ伯爵の邸宅にあったこの絵は、ほぼ100年間保管庫でに納められ、2007年に修復されて初めて常設展示されました。レオナルドのスタイルを細部まで巧みに描かれ、この作品を描いた芸術家の正体は判定されていません。確かなのはレオナルドの工房で働いていた人か、レオナルドの絵を見る事が出来る人だったということです。絵は多くの点でレオナルドの有名な作品を彷彿とさせます。背景の岩の形成は、「岩窟の聖母」の風景を反映していますが、聖母の姿は現在ニューヨークのメトロポリタン美術館に保存されているレオナルドの作品を思い起こさせます。
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地面に膝まづく聖母は子供たちの上に腕を伸ばしています。幼子イエスと洗礼者ヨハネに対するマリアの愛情が感じられます。手前の花の描写における植物の正確さは、この構成の画家に対するレオナルドの分析方法の影響を示しているといわれます。
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美術館のキャプションにはレオナルド・ダ・ヴィンチ(工房)の名前が掲げられています。
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この美術館に「メランコリア1」をはじめサイの版画や「ヨハネの黙示録」の10枚の版画などデューラーの版画作品も数多く収蔵されています。
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「理性の眠りは怪物を生み出す」フランシスコ・デ・ゴヤ
1799年にフランシスコ・デ・ゴヤによって制作されたエッチング作品で、1797年から1799年にかけて制作された80枚からなる銅版作品「ロス・カプリチョス(気まぐれ)」の43番目にあたる作品です。これ以外の一連の作品も収蔵して、ダヴィンチの素描も3枚収蔵している美術館でした。 -
今回2時間ほどの時間しか取れませんでしたが、この美術館に来るには半日くらいは時間を割いてじっくり見学しないともったいないと思いました。
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