2011/04/11 - 2011/04/16
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kojikojiさん
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ブダペストに旅行に来て「王宮の丘」に行かない人はいないでしょう。ウィーンからの列車を乗り間違えてブダペストに着いたのが午後になってしまったので翌日にになってさっそく出かける事にしました。ルートは「セーチェニ鎖橋」を渡ってケーブルカーで一気に丘の上に登って美術館から漁夫の鳥でとマーチャーシュ教会を見学して廻るという王道のルートを行きました。くさり橋を渡る前にフォーシーズンホテル(グレシャムパレス)周辺が物々しい雰囲気だったので気になっていたのですが、ケーブルカーで王宮の丘に着いて「国立美術館」に入ろうとすると突然「クローズです。」と締め出されました。滞在期間は6日しかないので再度ここへ来る予定もありません。予定の「国立美術館」の見学が出来ないと何のために3日有効のブダペストカードを買ったのか意味も無くなります。インフォメーションの人が外国の要人がいつどこへ行くかなど知るはずも無いので文句の言い様もありません。多分1時間も時間をつぶせばいいのだろうけれど、この時はハンガリーの近代絵画にはさほど興味が無かったので先を急ぐ事にしました。観光客が少ないと思っていたブダペストですが、さすがに王宮の丘では団体旅行者の姿も見えます。「漁夫の砦」からヒルトンホテルに寄って「マジパン博物館」に行こうとすると今度は交通規制で裏側に廻れません。この日はトルコから来た賓客に振り回され続きでした。また後日ドナウクルーズで夜景を見た後に夜の王宮の丘にも行ってみたくなり、2回目の見学もしました。小雨のせいかほとんど観光客もいなく、漁夫の砦からのペスト側の夜景はあまりに美しく思い出に残るものでした。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 徒歩
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ブダペストの町を歩いていて驚いたのは、横断歩道でもないのに通行者が道を渡ろうとしているとほぼ100%に近い車が停まって道を譲ってくれることです。そして大抵ドライバーさんがにっこり笑って、手でどうぞ合図されます。そしてそれは公共機関のトロリーバスやトラムも例外ではありません。
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「国会議事堂」の見学からブダの丘を目指す途中にグレシャムパレスが見えました。ここはフォーシーズンホテルになっています。滞在中に一度は行ってみようと思っていたのは、我が家の結婚式と披露宴が目白のフォーシーズンだったからです。
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グレシャムパレスの目の前に「セーチェニ鎖橋」があります。この橋を渡って東側のペスト地区から西側のブダ地区に渡ります。ブダ地区とペスト地区が合わさってブダペストという地名になったということを知ったのは中学校2年生の社会科の時間でした。
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教科書に載っていたブダペストの白黒写真を見て、なるほどなと思ってから35年が経ちましたが、こうして渡ることが出来て大満足です。
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「王宮の丘」がだんだん近づいてきますが、こんなに高低差がある街だとは思いませんでした。2週間前に旅したプラハもモルダヴァ川を挟んで2つの町がありましたが、ブダペストの町の方が丘が迫っている分メリハリがあるような気がします。
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ブダとペストはドナウ川を挟んで発展した町で、それを結ぶ橋を建設しようという試みは15世紀初頭から何度も行われますが成功しませんでした。
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19世紀になると伯爵セーチェーニ・イシュトヴァーンが恒常的な橋の建設を本格的に検討するようになります。その理由は1820年12月に彼が父の訃報を受け取り、急いで駆けつけようと川を渡ろうとすると舟橋は解体されていたうえにドナウ川はまだ凍結していなかったために渡れなかったためです。
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セーチェーニ伯爵は1832年に「ブダペスト橋同盟」を発足させ、構想の実現に向けて動き出した。「ブダペスト」という名称が初めて使われたのはこの団体名からだったそうです。
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イングランドの技師ウィリアム・ティアニー・クラークが設計し、建設はスコットランドのアダム・クラークが行いました。
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鎖橋の名前が付いていますがこの橋にいわゆる鎖は見えません。19世紀初頭にはネックレスチェーンのような鉄輪をつなぎ合わせたリンクチェーンを使った吊橋も複数建設されましたが、強度の問題などからこの当時はアイバーと呼ばれる両端に穴の開いた細長い鉄板をつなぎ合わせて鎖状にするアイバーチェーンが主流となっていました。
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単に「鎖橋」と呼ばれていたこの橋を「セーチェーニ橋」と名付けようと提案したのは、ハンガリーでの革命で指導的立場にあったコシュート・ラヨシュでした。先ほどの「国会議事堂」の前にもコシュートの像がありました。しかしセーチェーニ自身は完成した時点で病気療養中で、結局この橋を見ることも渡ることもないまま亡くなっています。
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橋の両側のたもとにある合計4頭のライオンの石像は1852年に設置されています。手がけたのは彫刻家のマルシャルコー・ヤーノシュで、このライオン像に舌がないと除幕式の際に人々に揶揄われ、ヤーノシュはドナウ川に投身自殺してしまったという逸話があります。実際には口の奥に舌はあり、彫刻家はライオンは舌を垂らさないという判断でそのように彫ったそうです。実際に確認してみましたが確かにありました。
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ブダペストは第2次世界大戦中の1944年3月にドイツ軍によって占領されており、侵攻してきたソヴィエト軍との間で激しい戦闘になります。ドイツ軍は戦略上の理由から同年12月から市内に架かる橋を次々と破壊し、セーチェーニ鎖橋も1945年1月に中央径間が破壊されます。
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セーチェーニ鎖橋は戦後に再建され、開通100周年に当たる1949年に開通式が行われます。再建にあたっては以前の姿を復元することが求められ、ドナウ川の中に落ちた鋼材も可能な限り再利用され、その鋼材の55%が再利用されたものだったそうです。
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ブダの王宮の手前には鉄板が何枚も重ね合わされたアイバーチェーンが見えます。
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ドナウ川に浮かぶ白亜の「国会議事堂」はとても美しいです。参考とされたウェストミンスター宮殿同様のゴシック・リヴァイヴァル建築です。この旅の最後の晩にドナウ川ディナークルーズで川の中からその姿を見る事が出来ましたが、ライトアップはしていませんでした。その美しい姿を見る事が出来たのは7年後のクルーズでのことでしたが、息をのむほどの美しさでした。
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橋を渡りきると「クラーク・アダム広場」に出ました。ここは鎖橋と王宮の丘の下を貫通するトンネル工事に携わったスコットランド人の技師の名前が由来だそうです。
ちなみにこの広場がハンガリーのゼロポイントで、日本で言う日本橋と同じ地点です。 -
妻はケーブルカー乗り場を見つけると一直線に進んでゆきます。本当は歩いて登りたかったのですが後に続きます。ブダヴァーリ・シクローと呼ばれ、シクローとはアプト式のケーブルカーのことで、このシクローは1870年に開通された世界で2番目に古いものです。
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王宮の城壁には「聖イシュトヴァーンの王冠諸邦の国章」が描かれていました。紋章の左右には2人の天使が王冠を掲げています。これは先ほど国会議事堂で見てきたイシュトヴァーンの王冠です。その下に掲げられたのは中央にはハンガリーの国章を置き、外側には左上から時計回りにクロアチア、トランシルヴァニア、フィウメ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、スラヴォニア・ダルマチアの国章が配置されています。
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ハンガリー王冠領の大部分はハプスブルク家領のうち1806年まで神聖ローマ帝国に属していた領域外の地域で、その後いくつかの国は旧ユーゴスラビアに併合され、現代まで歴史に翻弄されています。1991年の10月にイタリアのバーリの町でクロアチアから来たフェリーのマストにまで人が鈴なりになった難民船を見たことを思い出しました。
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可愛らしい3連のケーブルカーです。妻はさっさと先に行って待っています。
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お客さんはあまりいないので1ブース貸し切りで乗ることが出来ました。
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段々になっているのと座席がドナウ川向きなので眺めが綺麗ですが、ほんの2分で丘の上まで昇ってしまいます。
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ケーブルカーの山頂駅もガラス張りの19世紀の終わりを感じるアール・ヌーヴォー様式の美しい建物です。
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「セーチェニ鎖橋」とグレシャムパレス越しに「聖イシュトヴァーン大聖堂」を望む素晴らしい景色が広がります。
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国会議事堂は川辺の高さから正面に見た方が美しいと思います。少し前まであの中にいたと思うとすごいところに来たなと思いました。
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伝説の鳥トゥルル。ハンガリー人の祖と言われるアールパートの母親の夢枕にこの鳥が現れ、その後にアールパートを身籠ったという伝説があるそうです。また一説ではアルパートが騎馬民族マジャール人を率いてハンガリー平原に入ってきた時に現れて進軍に疲れたマジャール軍を励まし導いたともいわれ、今でもハンガリー民族統合を象徴する霊鳥となっています。その霊鳥が王宮の門柱の上に大きな翼を広げています。
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この像を見ていて思い出したのがロキシー・ミュージックというイギリスのロックバンドの「AVARON」のジャケットの写真です。兜を被った騎士の後ろ姿と右手に鷹をとまらせている姿が印象的です。音楽もブライアン・フェリーの美学が最高ですが、アヴァロンはアーサー王物語の舞台として知られ、戦で致命傷を負ったアーサー王が癒しを求めて渡り最期を迎えた場所だったなと思い出しました。
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王宮の丘に登って一番最初に目にするのがこのブダ城です。13世紀にモンゴル軍の攻撃で木造城壁だったブダ城が破壊されるとベーラ4世が石造で城を再建します。14世紀にラヨシュ1世によってゴシック様式の王宮に改造されましたが、17世紀にオスマン帝国軍の攻撃で破壊されます。
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18世紀にかけてハプスブルク家の支配下で再建されてバロック様式への改造が行われ、19世紀半ばに発生した火災とその後の第1次世界大戦と第2次世界大戦で大規模な被害を受け、20世紀半ばになって修復されています。
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王宮の中にある「国立美術館」に入ろうとすると係員がやってきて「急遽閉館です。」とのこと。「国会議事堂」の見学でもトルコからの賓客のために見学時間が少しずれましたし、ここでも同じ賓客の見学と重なってしまったようです。修復が始まったブダ城は1960年代に入ってから修復工事が始められ、「国立美術館」として開業されたのは1975年です。4階からなる美術館には中世から現代までのハンガリー美術の集大成、日本ではほとんど見ることのできないハンガリー人画家の作品が見られたのですが。
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王宮の正面にはウィーンの王宮でも見たオイゲン・フォン・ザヴィエン公の騎馬像がありました。爵位とは異ななりますが活躍を称えて公子の称号を授与されたのでプリンツ・オイゲンと呼ばれています。1687年にハンガリー大平原を舞台にしたオスマン帝国軍との「モチーハの戦い」で騎馬隊を指揮し、最前線でハンガリーを守った英雄とされます。
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王宮の裏手にまわると中庭があります。ここにマーチャーシュの噴水があります。1904年にシュトルブルが制作したもので、狩猟姿をした若き日のマーチャーシュ王が立っています。マーチャーシュは身分を隠してしばしば国内をまわったと言い伝えられています。噴水の右下の女性はセーブ・イロンカという女性で、王が変装して狩りに出た際に魅力的な農家の娘とめぐり合い、一目で恋に落ちてしまいました。王は別れ際に娘にブダ城へ来るように言い残して去ります。
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娘はブダ城へ行きましたがその日は王が凱旋した日でした。たくさんの家来に囲まれたマーチャーシュ王が自分が恋に落ちた人物だったと気づき、農家の娘である自分が国王とは結婚出来るはずはないと考えて失意の中で村に帰ります。その後恋しさのあまり死んでしまいます。
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今から思えば1時間ほどぶらぶらして「国立美術館」に戻ればよかったと思います。その後ブダペストには再訪していますが、やはり時間が取れなくて見学することはできませんでした。2020年には東京の新国立美術館で「ハンガリーの美術400年展」が開催されていましたが、行く直前にコロナ問題で中止になってしまいました。
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王宮の丘の上には広大な中世の遺跡が残されていました。その積みあがった高さにこの丘の歴史の深さを感じました。その傍らでは中世の弓矢で遊べる場所がありました。
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ペスト側からは一切見えない王宮の丘の西側の景色を眺めながら王宮を後にしてマーチャーシュ教会方面へ向かいます。
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途中にあった郵便局のポストは雰囲気があります。華奢なポスト部分に対し脚部が以上に堅牢な感じがします。
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小さな広場に「独立戦争記念碑」がありました。戦闘で負傷しブダ城で歓迎され、国旗と剣を持った陸軍士官を描いた銅像です。彼の上には、勇敢さと栄光の象徴である翼のある人物が彼に冠を被せようとしています。基壇には1849年5月21日の日付書きされ、碑文には「匿名の英雄のために」、「自由または死」のバナーと「正義の戦いで、国家の勝利」のブロンズ製のリボンが置かれてあります。
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だいぶ遅くなりましたがお腹が減ったので近くにある「シシィレストラン」に入りました。観光客向けのお店なので中途半端な時間でも営業していて助かりました。
歩き疲れた体にはやっぱり生ビールですね。この旅行で一体何リットルのビールを飲んだことでしょう。Samsonビールはチェコのブドヴァイゼル・ブドヴァル系のビールでした。 -
典型的な観光地メニューの中からシーザーサラダを注文しました。
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ハンガリー料理からピエロギのような料理のデレイェを選びました。ラビオリのような麺にサワークリームとパプリカがかかったもので、薄味で美味しかったです。
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メニューを見ていたらピザが食べたくなりました。アメリカンなピザでピッツアではありません。ウィーンのイタリア人経営のレストランの美味しかったピッツアを思い出しました。
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コーヒーもいただいてお腹も一杯になって力も出てきたので出発しましょう。
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トイレ番のおばさんは日本人でした。チップを要求して小皿を叩いています。
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この辺りまで来ると観光客向けのレストランやお土産物屋が軒を連ねます。
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ようやく「マーチャーシュ教会」の前の広場に着きました。角の家のデザインが非常に変わっていたの1枚。バロックスタイルの2階の出窓から教会に向かってお祈りできそうなデザインです。この建物は旧市庁舎で下の石像はブダペストの守護聖人だそうです。
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窓の前には三位一体記念碑が建っています。ウィーンのシュテファン大聖堂の近くにあるペスト記念碑と同じくペストの終焉を願った記念碑で、父なる神と子であるキリストと鳩で表された精霊で三位一体となったモチーフです。
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「マーチャーシュ教会」はハンガリー国王ベーラ4世によって13世紀に建立されたネオゴシック様式の教会です。この教会はウィーンのシュテファン大聖堂のようにモザイク柄が描かれた屋根と、非常に細かい装飾が施された高さ88メートルの尖塔が非常に特徴的です。
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後の1479年にマーチャーシュ1世に南の塔の建築や増築されたことからマーチャーシュ教会の名で呼ばれるようになりました。700年という教会の歴史の中で聖堂はブダの豊かさやハンガリー人にとって拠り所として、そして悲劇の歴史の舞台にもなりました。
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これまで騎馬像はあまり好きではなく、唯一すごいなと思ったのは北イタリアのパドヴァの大聖堂前に建つドナテッロのガッタメラータ騎馬像が良いかなと思う程度でした。今回の旅では歴史上の人物を調べて旅したのでウィーン以来騎馬像もなかなか良いなと思うようになりました。
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そしてこの「聖イシュトヴァーン騎馬像」は今まで見た像の中では一番場らしいと思いました。まるで生きているような感じです。この数日後に行った「英雄広場」の記念碑の騎馬像も素晴らしかったです。
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疑問に思ったのは何でドナウ川の対岸ペスト地区にお尻を向けて建つのでしょうか?英雄広場の位置では西に広がるドナウ川とブダペストの町に向かっているので分るのですが。先ほどブダ王宮の前に建っていたオイゲン公の銅像もトゥルルの像もドナウ川を向いていました。
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「漁夫の砦」は1895年から1902年にかけて建国千年祭における市街美化計画の一環として建築家シュレク・フリジェシュによって建てられました。シュレクはマーチャーシュ教会の修復も行っています。
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ドナウ川に沿ってネオロマネスク様式で建造された幾つかの尖塔と回廊で構成されています。砦といっても戦いに使われたことはありません。
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「漁夫の砦」の名はかつてここに魚の市が立っていたことや、城塞のこのあたりはドナウ川で漁を営む漁夫たちが守っていたことなどからつけられたそうです。
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白い石灰石でできた建物自体も幻想的で美しいですが、ここはドナウ川と対岸に広がるペスト地区を一望できる絶好のビューポイントでもありました。
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「漁夫の砦」はアーチ型の連続する窓を持ったネオ・ロマネスク様式で建てられ、マジャール人の7部族を表す7つの塔が設けられています。
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弓型の砦の中心には「聖イシュトヴァーン騎馬像」が鎮座しています。1906年に建てられたこの騎馬像の基壇は砦と同じくシュレック・フリジェッシュによるもので、4つの面にはハンガリーの国教をキリスト教に定めて初代国王になったイシュトヴァーンにまつわる話がレリーフで表されています。
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キリスト教国家として建国したことと大司教を任命する権威を持つと言う意味の二重十字の杖を持ち、ローマ法王から贈られた十字架の曲がった王冠を被り、聖人として後輪のあるイシュトヴァーンの像です。馬の鞍や飾りがとても精緻で素晴らしいものです。
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騎馬像などに興味のない妻でさえこの騎馬像の威厳のある姿が気に入ったようです。
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どの角度から見ても素晴らしいです。特に馬具の細かい装飾には目を惹かれます。
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教会に入るチケットを買おうとすると、係のおじいさんに「どちらの国からですか?」と尋ねられ「日本からです。」と答えると、日本語で挨拶してくれました。ハンガリーを旅していてこの国に方々のホスピタリティーに感激することが何度もありました。
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堂内はオレンジとブラウンとゴールドを基調とした独特の文様に塗られた壁や柱が美しいです。柱から壁から天井とそのすべてに装飾が施されていて、カトリック教会としては他に類をみない特異な雰囲気を醸し出しています。
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ゴシックスタイルの主祭壇には最上段に父なる神と子イエスと精霊の鳩が飛び、その下には大天使に支えられた聖母マリアが昇天していく姿が見えます。4本の尖塔を持った柱には12人の使徒がそれぞれアトリビュートを持って立っています。中欧に置かれた黄金の十字架には黒いカバーが掛けられています。
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シシィとも呼ばれる皇妃エリザベート(ハンガリー語ではエルジェーベト)は1867年の6月8日に、このマーチャーシュ教会で夫である皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と共に戴冠式に臨みました。
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それまでオーストリア帝国の支配下に置かれていたハンガリー(マジャール人)に自治権が与えられたのは、エリザベートの尽力によるものとされています。こうして「オーストリア・ハンガリー二重帝国」という同君連合が成立します。
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戴冠式の後にフリジェシュ・シュレクにより外装が変えられ、セーケイ・ベルタランとロッツ・カーロイによって内装が変えられたので、戴冠当時の面影は残念ながら残っていないようです。
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聖ラースローや聖イムレの祭壇などハンガリーに由来する聖人の祭壇が並びます。イシュトヴァーンの死後のハンガリーでは後継者争いが勃発し、数十年に渡って混乱が続きました。1077年にハンガリー王に即位したラースロー1世によってようやく国内は1つにまとまります。ラースロー1世によるヴァチカンへの働きかけにより、1083年に初代国王イシュトヴァーンと王子イムレは聖人に列せられました。
彼は1095年に亡くなり、イシュトヴァーンと同じく聖人に列せられました。 -
礼拝堂には聖ラースローの頭部像が安置され、その上には彼の生涯が描かれています。
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ラースロー1世の騎馬姿が美しいアール・ヌーヴォースタイルで描かれています。
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これはマーチャーシュ王の紋章です。かつては鐘楼にあったものを19世紀末にここに移動させ周囲をフレスコ画で飾りました。
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王冠の下の盾にハンガリー最初の王朝アルパード朝を表す横じまと二重十字、ダルマチアを表す3つのライオンの首、ボヘミアを表す1頭のライオン、それらに囲まれたフニャディ家の紋章すなわち指輪を咥えたカラスが描かれています。指輪を咥えたカラスの彫刻はこの教会の尖塔の上にもあります。
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天使の周りの5つの円の中ではキリストの受難の場面が描かれています。キリストは最後の晩餐でパンとぶどう酒によりみずからの犠牲死を示してから、ゲッセマネの園におもむいて祈り、間近な苦難を予想して血の汗を流します。その後逮捕されてはずかしめを受け、偽証によって死刑宣告を下され、その後重い十字架をになってゴルゴタの刑場に引かれます。十字架刑は釘づけによるものであって,キリストは約3時間の苦しみののちに死んだといわれます。ヒダリシタノゲッセネマの場面から始まり、一番上の磔刑までを読み解く事が出来ます。
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その側面にも同じデザインでマリアの生涯が描かれてあります。右下がマリアがエリザベスを訪ねる場面で、左下が受胎告知、左上がイエスの誕生で右上が寺院でのイエスの披露で、最上段は傷んでいて読み取れません。
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アール・ヌーヴォーの模様を見ているだけでも楽しいです。
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ステンドグラスも12の場面に分かれた受胎告知から十字架降架迄のマリアの姿が読み取れ、一番下には左からブダペスト、ダルマチア、フニャディ家の紋章が見えます。
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国会議事堂でも見た手法のイエスの姿もあります。柱の模様はビザンチン教会に見られるような雰囲気です。落ち着いた色使いが日本人の趣向にあっています。
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聖イレムの祭壇は左が聖イシュトヴァーンで中央は狩猟の時に亡くなった息子イレム、右は宣教師ゲッレールトです。上段には聖母子の姿があり、扉枠の下には聖骸布が描かれてあります。
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1900年代に改修されているので内部の装飾や絵画はアール・ヌーヴォーを感じさせます。中央には聖母子に向かって両手を広げるアッシジの聖フランチェスコの姿があります。左には「聖痕を受けるフランチェスコ」の姿と右側には「小鳥に説教をするフランチェスコ」の姿があります。
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20年前にイタリアのアッシジへ行って、ジョットの描いた大聖堂のフレスコ画を見て感動したことを思い出しました。非常に美しいムハを彷彿させる作品はアール・ヌーボーの様式美を感じます。
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説教壇も美しい彫刻と模様で埋め尽くされています。
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改修はされていますが、この場所でフランツ・ヨーゼフ1世とエリザベートが戴冠したと思うと感慨深く、歴史的な場所に立ち会えた気がしました。
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「マーチャーシュ教会」に入る前に降っていた雨も教会を出るころには上がっていました。
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正面の2本の塔は左が約36メートルの「ベーラの塔」で、右が約80メートルの「マーチャーシュの塔」です。マーチャーシュ教会の改築の際にフニャディ家の紋章である黒いカラスの像を教会に取り付けました。正面からは見えない細い塔の先端にあります。
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「ペストの記念碑」の三位一体の父と子と精霊は仲良く並んでいます。なんか仲良さそうに見えます。
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この後ヒルトンホテルの裏側にある「マザパン博物館」に行こうとしたら警察が道路封鎖していて行けませんでした。どうやらこの日何度も遭遇したトルコからの賓客とまたブッキングしてしまったようです。
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教会を後にして周辺を少し歩てみます。
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ブダペストには1週間の滞在で、ホテルはブダの丘の上のヒルトンホテルにするか、ジェルボーの横にあるケンピンスキーホテルにするか迷っていました。結果はどこへでも行きやすいケンピンスキーで正解でした。次の来るクリスマスマーケット巡りではここへ泊る事が出来ました。
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ヒルトンが立っている場所は元々古い教会があったところで、現代的なホテルの建物の中に古い教会が組み込まれています。このファサードもその一部です。
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ハンガリー国立公文書館の建物は1913年から1923年にかけてネオロマネスク様式で建てられました。ここから右手に下ることもできますが、歩くのが大変なのでぐるりと回って戻ることにします。
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途中マルタ十時を掲げた建物がありました。そう言えばウィーンでもマルタ騎士団に由来する教会を見ましたし、マーチャーシュ教会の中にもマルタ騎士団の礼拝堂や紋章がありました。
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瀟洒な建物の多くはおしゃれなホテルだったりレストランになっていました。
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まだ開店前でしたし、遅いお昼を食べた後だったのでこの辺りのレストランに来ることはありませんでした。
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「ペスト記念碑」の前のバス停からホテルのある「エリザベート公園」まで簡単に戻ってくることが出来ました。後日同じルートでブダの丘まで夜景を見に行くことにしました。
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実際に泊ったデアーク広場のケンピンスキーホテルの前からバスに乗ると15分くらいで王宮の丘まで運んでくれます。夜遅くまで運行しているので非常に便利です。バスは王宮の丘をグルリと廻って同じ道を戻ってきます。
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あいにくの小雨でしたがディナークルーズやグンデルでのディナーを考えると夜景を見に来られる日は限られていました。
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昼間は有料の漁夫の砦の2階も夜は無料で開放されていました。
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マーチャーシュ教会のライトアップはとても美しいです。
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砦のアーチからはドナウ川の対岸の夜景がきれいに見えました。
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一番美しいのはドナウ川に浮かぶ白亜の国会議事堂ですが、この時は全体がライトアップされていませんでした。ディナークルーズでは最初に国会議事堂の辺りを周ったので、明るい時間だったのでライトアップは見る事が出来ませんでした。
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グレシャム・パレスと「セーチェニ鎖橋」のほうがきれいに見えました。
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グレシャムパレスの奥には「聖イシュトヴァーン大聖堂」が綺麗に見えました。
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「漁夫の砦」には数人の観光客がいましたが、下まで降りてくる人は誰もいません。
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少しでも階段を降りるとドナウ川は見えなくなってしまいます。
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こんな夜景スポットに観光客が数人って一体ブダペストの観光客はどこにいるのかと思ってしまいました。
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美しい夜景を満喫できるのは良いですが少々寂しいです。
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4月の中欧はシーズンオフだったのかプラハもウィーンもブダペストもどこも空いている印象でした。その中でもブダペストは観光客がいないと思えるほど空いていました。
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小雨が降った後なので余計に風情を感じるのかもしれませんが、良い思い出になりました。
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石畳にライトアップされた建物が写り込んで綺麗です。
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プラハからウィーン経由でブダペストまで来るのに2週間経ちましたが、一時は汗ばむほどになりましたが、ここにきてまた肌寒くなりました。
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更に観光客の姿が減ってきたのでそろそろ帰ることにします。
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夜景の写真を撮っているカメラマンの人がちょうど帰るところだったのでシャッターを押してもらいました。
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さすがに王宮まで歩く気力が無かったのですが、帰りのバスを途中で降りて見て来れば良かったと思いました。
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三位一体の記念碑とマーチャーシュ教会で夜景観光も終わりです。
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もうここへ来ることも無いだろうなと思っていましたが、7年後に来ることが出来て良かったです。クリスマス時期のブダペストはとてもきれいでした。
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昼間は曇り空のせいで細かいところまで見えなかった尖塔ですが、夜になって綺麗に見る事が出来ました。
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さあバスに乗ってホテルまで帰りましょう。
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始発駅から乗ったバスは終点のエリザベート公園までノンストップで走りました。翌日からはペスト地区側の観光に移ります。
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2011/04/11~
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中欧3都市周遊の旅ブダペスト(14)中央市場でフォアグラとトカイワインを買い求め、自由橋を渡ってゲッレールト...
2011/04/11~
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中欧3都市周遊の旅ブダペスト(15)世界一美しい廃墟だったパーリジ・ウドヴァルは「裏切りのサーカス」の後にホ...
2011/04/11~
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中欧3都市周遊の旅ブダペスト(16)聖イシュトヴァーン大聖堂に参拝して、3都市の旅の無事を感謝し祈りをささげ...
2011/04/11~
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中央3都市周遊の旅ブダペスト(17)旅の締めくくりは少しおしゃれをして夜景の美しいドナウ川のディナークルーズ...
2011/04/11~
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中欧3都市周遊の旅ブダペスト(19)ハンガリーのNo,1レストランであるグンデルと隣接する姉妹店のバゴイヴァ...
2011/04/11~
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中欧3都市周遊の旅ブダペスト(18)フォーシーズンホテルのグレシャムパレスのバーでくつろぐもその安さに驚く。
2011/04/11~
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