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中国の東北地区の一田舎町だった大連の近代化は、日清戦争後の1898年迄遡ります。<br />三国干渉の代償として、関東州を租借したロシアが、東清の終着駅を設け「ダーリニー」と名付け、旅順にある艦隊と要塞の物資をまとめるため、また貿易の拠点として、港の整備とパリをモデルにした都市づくりを始めました。<br />ロシアの租借地時代は、現在のロシア人街の区割りとごく一部の建築物ができた状態でした。<br />その後、日露戦争により、日本に租借権が譲渡され大連と名付け、貿易都市として発展させるため、関東都督府と南満州鉄道にインフラの整備を続行させました。<br />その結果、道路が舗装され、レンガ造りの街並みが形成されていきました。<br />昭和初期には大連駅とその駅前一帯が整備され、旧市街がほぼ現在の形になりました。<br />第2次世界大戦末期、日ソ中立条約破棄によりソ連軍が対日参戦しまし大連を占拠。再びソ連の支配下に戻り、中国に返還されたのは1951年の事。<br />そんな歴史を今に伝える近代建築が大連の町には数多く残されています。<br />

近代建築を訪ねて~中国・大連編~

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2010/05/14 - 2010/05/16

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ぬいぬい

ぬいぬいさん

中国の東北地区の一田舎町だった大連の近代化は、日清戦争後の1898年迄遡ります。
三国干渉の代償として、関東州を租借したロシアが、東清の終着駅を設け「ダーリニー」と名付け、旅順にある艦隊と要塞の物資をまとめるため、また貿易の拠点として、港の整備とパリをモデルにした都市づくりを始めました。
ロシアの租借地時代は、現在のロシア人街の区割りとごく一部の建築物ができた状態でした。
その後、日露戦争により、日本に租借権が譲渡され大連と名付け、貿易都市として発展させるため、関東都督府と南満州鉄道にインフラの整備を続行させました。
その結果、道路が舗装され、レンガ造りの街並みが形成されていきました。
昭和初期には大連駅とその駅前一帯が整備され、旧市街がほぼ現在の形になりました。
第2次世界大戦末期、日ソ中立条約破棄によりソ連軍が対日参戦しまし大連を占拠。再びソ連の支配下に戻り、中国に返還されたのは1951年の事。
そんな歴史を今に伝える近代建築が大連の町には数多く残されています。

交通手段
観光バス
航空会社
JAL
  • 中山広場は10本の放射線道路の中心に位置あります。<br />周囲には租借地関東州として日本の統治下にあった1908年(明治41年)から1936年(昭和11年)の間に建てられた当時の行政機関や銀行だった建物が建ち並んでいます。

    中山広場は10本の放射線道路の中心に位置あります。
    周囲には租借地関東州として日本の統治下にあった1908年(明治41年)から1936年(昭和11年)の間に建てられた当時の行政機関や銀行だった建物が建ち並んでいます。

  • それらの建築様式は歴史主義建築の影響が強く、ゴシック建築やルネサンス建築を基調とした建物が並んでいて、ここがあたかもヨーロッパの街並みのような錯覚を感じさせてくれます。

    それらの建築様式は歴史主義建築の影響が強く、ゴシック建築やルネサンス建築を基調とした建物が並んでいて、ここがあたかもヨーロッパの街並みのような錯覚を感じさせてくれます。

  • 現存する9棟の建物の中で、日本の建築家の設計による建物が7棟あります。

    現存する9棟の建物の中で、日本の建築家の設計による建物が7棟あります。

  • なかでもひと際存在感を放っているのがこの建物。<br />大連賓館(旧大連ヤマトホテル)

    なかでもひと際存在感を放っているのがこの建物。
    大連賓館(旧大連ヤマトホテル)

  • ヤマトホテルは満鉄が中国で経営していた高級ホテルチェーンで、中でもここ大連ヤマトホテルは最も格式の高いホテルだったようです。

    ヤマトホテルは満鉄が中国で経営していた高級ホテルチェーンで、中でもここ大連ヤマトホテルは最も格式の高いホテルだったようです。

  • こちらはヤマトホテルの東側にある旧大連市役所

    こちらはヤマトホテルの東側にある旧大連市役所

  • 唐破風風の玄関は日本建築の意匠が取り入れられていて、塔屋のデザインは京都祇園祭の山車をイメージしたもの。

    唐破風風の玄関は日本建築の意匠が取り入れられていて、塔屋のデザインは京都祇園祭の山車をイメージしたもの。

  • 設計者の松室重光は関東都督府土木課の課長だった人で、京都府技師時代には社寺建築の保存修復にも携わっていたそうでその経験がこの建物のデザインに反映されています。

    設計者の松室重光は関東都督府土木課の課長だった人で、京都府技師時代には社寺建築の保存修復にも携わっていたそうでその経験がこの建物のデザインに反映されています。

  • 終戦後も1950年まで大連市人民政府庁舎として使用され、その後は市政府各部局の分庁舎となっていたようです。

    終戦後も1950年まで大連市人民政府庁舎として使用され、その後は市政府各部局の分庁舎となっていたようです。

  • 現在は中国工商銀行大連市分行として使われています。<br /><br />

    現在は中国工商銀行大連市分行として使われています。

  • こちらのヨーロッパの町の市庁舎のような外観のこの建物は旧大連民政署(大連警察署)

    こちらのヨーロッパの町の市庁舎のような外観のこの建物は旧大連民政署(大連警察署)

  • 煉瓦を貼ったゴシック様式の建物、日本統治下の大連で最初に建てられた官庁建築でした。

    煉瓦を貼ったゴシック様式の建物、日本統治下の大連で最初に建てられた官庁建築でした。

  • 時計塔を乗せたこのスタイルはヨーロッパの市庁舎を参考にしているそうです。<br />でも、設計者は純粋な日本人で、関東都督府土木課の前田松韻。

    時計塔を乗せたこのスタイルはヨーロッパの市庁舎を参考にしているそうです。
    でも、設計者は純粋な日本人で、関東都督府土木課の前田松韻。

  • 現在はシティバンクの建物として使われています。

    現在はシティバンクの建物として使われています。

  • そして、大連賓館と広場を挟んで向かい合って建っているのがこの旧横浜正金銀行大連支店

    そして、大連賓館と広場を挟んで向かい合って建っているのがこの旧横浜正金銀行大連支店

  • どこかで見たことがあるような建物?<br />横浜の関内馬車道にある神奈川県立歴史博物館(旧横浜正金銀行本店)にそっくり。

    どこかで見たことがあるような建物?
    横浜の関内馬車道にある神奈川県立歴史博物館(旧横浜正金銀行本店)にそっくり。

  • それもそのはず、設計者が一緒で、日本の近代建築の父、ジョサイア・コンドルの弟子の妻木頼黄の作品でした。

    それもそのはず、設計者が一緒で、日本の近代建築の父、ジョサイア・コンドルの弟子の妻木頼黄の作品でした。

  • 基本設計は日本で妻木頼黄が行い、弟子にあたる満鉄技師の太田毅が実施設計を行ったもの。<br />戦後はソビエトの極東銀行となり、現在は中国銀行遼寧省分行として使われています。

    基本設計は日本で妻木頼黄が行い、弟子にあたる満鉄技師の太田毅が実施設計を行ったもの。
    戦後はソビエトの極東銀行となり、現在は中国銀行遼寧省分行として使われています。

  • 大連賓館の裏手にあった玉光街礼拝堂<br />

    大連賓館の裏手にあった玉光街礼拝堂

  • この赤レンガの教会堂は1928年、イングランド国教会と日本聖公会の共同で建設されたもの。

    この赤レンガの教会堂は1928年、イングランド国教会と日本聖公会の共同で建設されたもの。

  • 旧満鉄大連医院<br />病院や学校などの公共の建設にも力を入れていた満鉄が建てた巨大な病院。

    旧満鉄大連医院
    病院や学校などの公共の建設にも力を入れていた満鉄が建てた巨大な病院。

  • 裏側に廻ってみても、とにかくでかい。<br />煉瓦を貼ったシンメトリーな外観は見事です。

    裏側に廻ってみても、とにかくでかい。
    煉瓦を貼ったシンメトリーな外観は見事です。

  • 1925年竣工した建物ですが当時としては大連でも最大級の建物だったようで、東洋一の病院でもあったようです。

    1925年竣工した建物ですが当時としては大連でも最大級の建物だったようで、東洋一の病院でもあったようです。

  • こちらの建物は旧満鉄本社<br /><br />

    こちらの建物は旧満鉄本社

  • 日露戦争終結後、日本は1906年南満州鉄道株式会社を設立して、翌年ここ大連に本社を移転しました。

    日露戦争終結後、日本は1906年南満州鉄道株式会社を設立して、翌年ここ大連に本社を移転しました。

  • 満鉄本社のはす向かいに建つ、旧満鉄図書館

    満鉄本社のはす向かいに建つ、旧満鉄図書館

  • こちらは建物ではありませんが、日本が架けたアーチ型の勝利橋。<br />1907年に架けられた当初は日本橋と呼ばれていました。

    こちらは建物ではありませんが、日本が架けたアーチ型の勝利橋。
    1907年に架けられた当初は日本橋と呼ばれていました。

  • ロシア人街の入口に建っているこの建物。<br />どこかで見た建物・・・<br />昨年、北九州の門司港でこの建物のレプリカを見ました。<br />

    ロシア人街の入口に建っているこの建物。
    どこかで見た建物・・・
    昨年、北九州の門司港でこの建物のレプリカを見ました。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • Weiwojingさん 2010/05/30 18:05:53
    大連旅行を堪能されたようですね。
    ぬいぬいさん、こんにちは。

    大連旅行を堪能されたようですね。一連の大連シリーズを拝見しました。朝5時前に散歩に出かけて、あちこち見て回るとは私にはとてもできません。しかも、いろいろなものを発見されたようですね。特に、中山広場の日本占領時代の近代建築群には関心を惹かれたようで、たくさん撮られた写真を拝見しました。大連にいた時は私もこの広場や周辺はとても気に入っていたところです。

    今回はアカシアの花は開花の遅れのため見ることは叶わなかったのが残念ですね。とてもきれな花です。それに香りが素晴らしいです。

    ところで、このタイトルの「近代建築を尋ねて」とありますが、「尋ねて」は「訪ねて」の方がよろしいのではないでしょうか。というのは、「尋ねる」は「人にものを聞く・たずねる」というような意味ですよね。ちょつと気がつきましたので、少々おせっかいですが、念のためにと思います。

    では。

    Tamegai

    ぬいぬい

    ぬいぬいさん からの返信 2010/05/31 06:23:49
    大連なかなかいい街でした
    Tamegaiさん  おはようございます

    ツアーだったため、自分の時間が取れるのが早朝と夜だけ
    Tamegaiさんからの情報も参考にさせていただき
    そんな時間を使って大好きな近代建築と街歩きをしてきました。
    アカシア期待してましたが、今年は特に寒かったようで全く咲いていなくて
    見ることができませんでした。

    瀋陽にも素晴らしい建物がたくさん残っているようですね。
    次は瀋陽もいいかなと思っているところです。

    尋ねては漢字の誤変換でした。
    訂正しておきました。

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