2010/03/19 - 2010/03/23
823位(同エリア1561件中)
kojikojiさん
- kojikojiさんTOP
- 旅行記1487冊
- クチコミ1138件
- Q&A回答73件
- 2,691,941アクセス
- フォロワー151人
引き続き「秦始皇兵馬俑博物館」の2号俑坑と3号俑坑、そして「銅車馬陳列館」の見学に移ります。こちらは規模こそ1号俑坑より小さいながら素晴らしいものがたくさんありました。2号3号俑坑の発掘と修復はまだ進行中です。1976年に発掘された2号俑坑は、1号坑の約20メートルほど北に位置しています。2号俑坑は東西に94メートル南北に84メートル深さ5メートルで4つの部隊で構成されており、6000平方メートルの規模があります。3号俑坑は3つのうちで一番小さく、わずか68体の兵馬俑の多くには頭がありません。これは文化大革命時代に、共産党の幹部への贈答品となったと言われています。すべての人物が将校であるため、3号俑坑が軍団の司令部であることは明らかとなっています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
PR
-
「1号俑抗」の次は「3号俑坑」に入りました。ここは更に深く掘られた印象を受け、安全な地下に司令部を設けたような印象を受けます。
-
司令部はいくつかの部屋に分かれ、軍の会議が行われているような雰囲気です。
-
入口の脇に記念写真用の部屋がありました。もちろん並んでいる俑は複製品ですが、表から見ると兵馬俑の喫煙休憩室のようにも見えます。「お前今日何時まで?」「俺は遅番なんだ。」「もう1本吸ったら列に戻るか。」なんて声が聞こえそてきそうです。
-
ここは隊列を組んだ兵隊の姿はありません。床には煉瓦が敷き詰められ、他の抗とは違うことが分かります。
-
切り取られた壁やスロープも軍事上の設えのようで、2200年前の軍夫指揮に付いていろいろなことが分かるのだと思います。
-
この当時は馬も武器と考えられ、大切に扱われたのでしょう。場合によっては歩兵よりも待遇は良かったのかもしれません。
-
ここの俑を見ていると共通点があることに気が付きます。
-
ほとんどの将校の首が無いのです。破片が無いということは元々無かったことになってしまいます。
-
ガイドさんによると文化大革命の頃に首は共産党の幹部への贈答品として持ち去られたそうです。そんな兵馬俑の頭は中国各地の家に隠されているのでしょうね。相続した家族もそう簡単に表に出せるものではないでしょう。
-
馬は土台など無いので窯で焼く前はどのようにこの形を保ったのでしょう。
-
ラテン十字型の部屋は古いキリスト教会のようにも見えます。
-
部下を集めて軍の会議でも行っているのでしょうか。
-
「3号俑坑」からは儀礼用の銅殳(どうしゅ)が30本、また祭祀や祝勝のために捧げられた動物の角や骨も出土しているそうです。
-
ここでは11体×2列の武士俑が発掘され、同時に鹿の角や動物の骨も出土しています。鹿は「純霊の物」という扱いを受けていて、政治や軍事戦略などの策定手段のひとつとして祈祷が用いられていたそうです。
-
この馬は伝令用の馬車に使われたようです。
-
レプリカの兵馬俑の前で記念写真を撮りました。
-
「3号俑抗」にはミュージアムショップも設けられていました。
-
「2号俑坑」の建物の外壁には兵馬俑の顔がレリーフになっています。
-
ここもかなり広いですが発掘はまだ4分の1に留まっています。それは発掘して3日ほどは鮮やかな色が残っているのですが、それを過ぎると全くの素焼き状態にもどってしまうからだそうです。
-
波打っているのが丸太が渡されていた後です。土の重みでたわんでいるのが良く分かりますが、2200年の間に木は失われています。その下には兵馬俑が埋まっているのです。
-
1か所に発掘した後がありますが、他のスパンは手つかずのままのようです。
-
碁盤の目のように配置された軍団の全体像が何となく感じられます。
-
「1号俑坑」も同様ですが、ほとんどの兵馬俑は東を向いています。これは諸国を統一した当時に秦が最も西にあり、秦の東に位置する各国(斉・楚・燕・韓・魏・趙)に対しての護りを固めたからだそうです。
-
「2号俑坑」には修復されて状態の良い兵馬俑が数体ガラスケースに入れて展示してあります。
-
「弩兵俑」は「弩」強力な弓のような武器を持った俑で、細かいディティールまで良く再現されています。
-
靴の裏まで滑り止めが施されています。また鎧の石のプレートを繋いだ紐の赤い色がきれいに残っています。
-
この俑は2号坑の将官の側から出土したもので,将官より身分が低い士官の俑と考えられます。胸には彩色のある長さ65センチの鎧甲を纏い、足には先端が上に反り返った靴を履いています。
-
髪の一本一本まで忠実に現されています。
-
将校の俑は美味しい物を食べていたせいかゆったりして、鳥の尾状の帽子を被り、腰にベルトがある長丈のゆったりした服を纏っています。 角状の靴を履き重々しく真剣な表情をする武将俑です。
-
後ろから見ても寸分の隙もありません。造り手も一般の兵士と違い、将校の俑の製作には注意を払ったと思われます。手を抜くと処刑されたのかもしれません。
-
当時の風俗を知るうえには一級の資料だと思います。
-
キャプションに書かれてあった英姿颯爽的騎兵俑とは「さっそうとした勇姿の騎兵俑」の意味です。
-
これまで見て来た馬の俑には馬具が付けられていませんでしたが、ここではすべて完璧な姿で残されています。
-
騎兵は将校や射手とは違う穏やかで優しい顔をしているように思えます。
-
中国を旅しているとこんなおじさんに何度も出会った気がします。
-
立射俑は立ったままで遠射兵器の弓を操作する兵を俑にしたもので、俑に動きが感じられます。 このスタイルの俑は2号俑坑から172体出土したそうです。
-
弓を構えながら穏やかな表情をしていたのは何故でしょう。
-
何か悟りの境地の表情にも見えます。
-
2号坑の修復前の兵馬俑たちは戦場の死体のように見えます。
-
この「2号俑抗」が「1号俑抗」のように修復されるまでにはまだかなりの時間がかかりそうです。
-
発掘された後の数日は造られた当時の色が鮮やかに残っているそうです。それが数日すると色が褪せてしまうそうで、この退色を止める方法の研究がされているそうです。
-
2200年前の当時の鎧の色まで分かってしまうのですから驚きです。早くその色止めの技術が開発させるといいですね。
-
それまで俑は地下で眠り続けるのでしょう。
-
「2号俑坑」は裏から入って正面に抜けてきました。
-
そしてその正面に「銅車馬陳列館」の建物が見えました。
-
中国の人はポーズをとって写真を撮るのが本当に好きです。でもほんの10年前はほとんどの人がカメラを持っていなかったのにいきなりデジカメになり、あっという間にスマートフォンに変わります。
-
「銅車馬陳列館」の中には巨大な吹き抜けがあり、大きな俑の模型が飾られていました。
-
前に立っている人と比べるとその巨大さが分かると思います。
-
銅車馬陳列館に陳列された銅車馬は始皇帝陵の西20メートル付近の地下8メートルの車馬坑から発見された青銅製の車馬を復元したものが陳列してあります。発見された車馬は天子(皇帝)が国の各地を巡幸するための車輌群である車駕の1部と見られています。当時の天子は巡幸の重要度により大駕(81輌編成)中駕(36輌編成)小駕(9輌編成)に分けており,発見された銅車馬群は中駕との説が有力です。
-
この2号車は長さ 3.17メートル高さ 1.06メートルで重さは1241キロもあります。車上の部屋は長さ88センチ幅78センチで内部は前後2室に分かれているそうです。 前室は後室に較べてやや小さく窓があり、外部との連絡要員が乗っていたものと考えられます。
-
後室は四方を閉塞されていて上部には日よけのような覆いがかけられている。後部には乗降用の扉も付いています。
-
スポークは30本で1ヶ月を表わすなど、いろいろな吉兆の意味が込められているそうです。
-
発掘された当時は潰れていたのを3年掛けて現在の形まで修復したそうです。そのパーツは数万点にも及び、厚さ1ミリの銅版をどうやって作ったのか?溶接の方法や銀メッキなど謎はたくさんあるそうです。でも誰が何のために2分の1に縮小した馬車を残そうとしたのでしょう?
-
馬車は単轅両輪の4頭立てで馬の銅俑は体長1.2メートル高さは0.72メートルあります。車馬と一緒にそれぞれ御者の銅俑も1体出土しています。車馬は金銀の装飾品で飾られていて、朱紅・淡紅・緑・若竹・藍・薄藍・白に褐色など様々な染料による紋様で彩色されています。
-
馬車の精密な形にも驚かされますが、生きているかのような表情をした馬の姿にも感動しました。
-
この銅製の馬はギリシャ彫刻をはるかに超えた技術の高さを感じます。
-
これらを造らせた始皇帝は紀元前259年に生まれ、紀元前221年に始皇帝と名乗ります。紀元前247年に荘襄王の没後13歳で王位に即位しますが、その後9年間の実権は宰相呂不韋(りょふい)らに握られます。
-
紀元前238年の22歳の時に親政を執るようになると呂不韋らの勢力を退け、自らの権力の基礎固めとして李斯(りし)を宰相に起用します。 彼は富国強兵策を進め、戦国時代の七雄であるライバルの斉・楚・燕・韓・魏・趙の六国を滅ぼし天下を統合します。
-
紀元前221年に六国を滅ぼした秦は遂に中国史上最初の統一的中央集権制の国家である秦王朝をたてます。始皇帝は法律の制定や文字や貨幣・度量衡の統一、 更には当時の馬車の車輪の幅を統一して道幅を定めるなど当時の経済成長や文化交流に大きく貢献しました。
-
こうやって眺めるとこの2200年で馬車は何か進歩したのでしょうか?サスペンションのスプリングくらいであまり進化していないように思えます。
-
始皇帝陵は始皇帝が即位した紀元前247年から造営が始まり、崩御した紀元前210年になっても完成していなかったといわれています。秦始皇兵馬俑は始皇帝陵の副葬の一部とみられ、20世紀における考古学上の重大な発見の1つで「世界8番目の奇跡」などとも称されています。
-
この建物にも数体の俑が展示してありました。
-
兵馬を写した俑の迫力も素晴らしですが、文人を写したこのような俑を見るとホッとします。
-
実際に使われていた鎧も完璧な姿で展示してあります。
-
俑の着ていた鎧の実物を目の前にすると不思議な感じがします。
-
「銅車馬陳列館」に陳列された俑の姿は今までに見て来たスタンダードな形とは幾分違うようです。
-
同じ時代の日本人と比べると古代中国の文化の高さを感じます。
-
日本の古墳時代と比べても埴輪を作っていた時代は3世紀から7世紀なので、それより500年以上前にここまで分化が進んでいたと思うとその差に驚かされます。
-
その時代の日本の風習や風俗は埴輪を見てもここまでは分からないと思います。
-
どこかの会社の創業者の胸像のようにも見えます。
-
こんな鮮やかな赤い服を着ていたのでしょうか。
-
かなり彩色が残された「弩兵俑」がガラスケースに収められています。これは退色を防ぐためでもあるのでしょう。
-
黒目の入った俑はさらにその人物の意思や感情まで読み取れるようで怖さを感じます。
-
これまでに見て来た俑の姿とは違う自然な動きを感じさせます。
-
個人的には一番心に残る像でした。
-
やっぱりガラスケースに入っていないほうが良いですね。ただ頭部と胴体が合っているのか疑問が残ります。
-
武器を持たないこの俑はとても魅力的に見え、人物の徳の高さも感じました。
-
そろそろ兵馬俑も見納めになってきました。
-
ガラスケースに入っていると写り込みを避けてアングルが限られてしまいます。この俑は製作当時の色がかなり状態良く残されています。
-
藍色の鎧とそれを繋ぐ赤色の紐がリアルです。
-
3時間ほどでしたが妻共々大満足の博物館の見学でした。
-
中国のお年寄りツアーはこのピラミッド必ず立寄るそうです。兵馬俑は何と言っても世界8大不思議のひとつですからね。そろそろ我々も西安に戻りましょう。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2010 西安と始皇帝陵墓と兵馬俑の旅
-
前の旅行記
長安之旅(6)妻の長年の夢だった「秦始皇兵馬俑博物館1号坑」で膨大な数の兵隊に圧倒され言葉を失う。
2010/03/19~
西安
-
次の旅行記
長安之旅(8)ホテルを抜けだして「鼓楼」と「鐘楼」に遊び、「北院門街屋台」で回教料理を楽しみ農民画と泥人形を...
2010/03/19~
西安
-
長安之旅(1)クラブツーリズムの格安ツアーで妻の子供のころからの夢だった兵馬俑を観にいにしえの都西安へ向かう...
2010/03/19~
西安
-
長安之旅(2)兵馬俑の見学の前に「陜西省歴史博物館」で古代中国の歴史の遺物を垣間見て、改めてその美術品のすば...
2010/03/19~
西安
-
長安之旅(3)西安市内の「青龍寺」で弘法大師空海を想い、大慈恩寺の大雁塔を見上げながら玄奘三蔵法師に手を合わ...
2010/03/19~
西安
-
長安之旅(4)君楽城堡酒店近くの南門を望み、明代の城壁の上から古き長安の都に思いを馳せる。
2010/03/19~
西安
-
長安之旅(5)西安郊外の「華清池」で玄宗皇帝と楊貴妃の話を白居易の「長恨歌」で思い出し、「秦始皇帝陵」の頂か...
2010/03/19~
西安
-
長安之旅(6)妻の長年の夢だった「秦始皇兵馬俑博物館1号坑」で膨大な数の兵隊に圧倒され言葉を失う。
2010/03/19~
西安
-
長安之旅(7)続く「秦始皇兵馬俑博物館2・3号坑」と「銅車馬陳列館」で多岐にわたる埋蔵物の多さと精度の高さに...
2010/03/19~
西安
-
長安之旅(8)ホテルを抜けだして「鼓楼」と「鐘楼」に遊び、「北院門街屋台」で回教料理を楽しみ農民画と泥人形を...
2010/03/19~
西安
-
長安之旅(9)一見すると博物館ですが、実はお土産物の玉器の売り場だった「陝西省美術博物館」の見学。現代美術の...
2010/03/19~
西安
-
長安之旅(10)西安名物の羊肉包膜(ヤンロウパオモウ)を食べて、書院門の孔廟になる「碑林博物館」で膨大な石碑...
2010/03/19~
西安
-
長安之旅(11)格安ツアー必須のお買い物店立ち寄りは「青竜糸毯」絨毯店と「地質鉱産実験研究所」という宝石店で...
2010/03/19~
西安
-
長安之旅(12)北院門街の「清真大寺」を参拝し、近くの化覚巷の丁済堂さんの農民版画を買い求める。
2010/03/19~
西安
-
長安之旅(13)西安の夜は陜西歌舞大劇院で「餃子宴」のディナーの後にオプションの「唐楽舞」を楽しむ。
2010/03/19~
西安
-
長安之旅(14)西安の宿泊は全日空ホテルだった「君楽城堡酒店(グランドパーク)」で、ホテルのレストランで「楊...
2010/03/19~
西安
-
長安之旅(15)西安咸陽空港から北京首都空港へのフライトで、空から万里之長城を眺めて感動し帰国の途に就く。
2010/03/19~
北京
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2010 西安と始皇帝陵墓と兵馬俑の旅
0
82