2010/03/19 - 2010/03/23
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kojikojiさん
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最終日の午前中は書院門を少し散策して、西安名物の羊肉包膜(ヤンロウパオモウ)の昼食をいただきました。食事した場所が町の中心から離れていたので一度ホテルまで戻りました。その後はオプションで「碑林博物館」の見学などがありましたが、ホテルから少し歩いた書院門から「碑林博物館」までは歩いて5分の距離です。何故オプションにしなければならないのか不思議でしたが参加されてる方もいらっしゃいました。ホテルで一休みした後は書院門に戻って「碑林博物館」の見学をして鐘楼から鼓楼を抜けて化覚巷を通って清真大寺まで行きました。「碑林博物館」は元々は宋の時代に孔子廟だった場所が利用されているで、所々に廟の名残が見て取れ建築も楽しめました。残念ながら所についての造詣が無いので詳しく分からなかったのが残念です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス タクシー
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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この日の観光はホテル近くの南門の先の書院門通りまで進みました。バスを降りてここからは少し散策するようです。
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通りの左側にが見えてきました。「宝慶寺華塔」は西安でよく見かけた?弦のような硬い煉瓦で造られていました。宝慶寺は隋文帝の寿初初年に大興城(長安城)安仁坊に建てられましたが五代初年に現在の塔のあるところに移されました。塔は唐太和の開成年間に建てられ、五色のレンガで出来ていましたが、後に寺は消滅して塔だけが残ったそうです。
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現存する塔は明の景泰2年に建て直されたもので、六角七層密檐式のレンガ造りで高さは23メートルあります。1層目のひさしの下には二龍戦珠、風戦牡丹、瑞鶴祥雲、纏枝牡丹などの図案がレンガに彫られていて、2層目のひさしの下にも麒麟など瑞獣の図案が彫られています。塔身の2層と4層の各面と6層目に正面には佛龕があり、北魏から唐の時代に造られた13体の石像が納められています。
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書院門の扁額が掲げられた牌楼を潜ると両側は文房四宝の店や玉を扱う宝石店や土産物屋が軒を連ねます。
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屋台もたくさん並んでいますが、朝早いので半分も開いていませんでした。
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「碑林博物館」に続く参道なので観光客も多く、観光客相手の土産品店なども増えてきてしまっていますが、昔ながらの書画骨董の専門店街という雰囲気も残っています。
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上の彫刻は降るそうですが、円柱部分は新しいようです。
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「関中書院」は明代から清代を通じて中国の四大書院(学府)の1つで、多くの官吏を輩出した学校です。書院門通りという名はこの関中書院からとられたものです。
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印鑑用のめのうを店先で削っています。その横にはお土産用の掛け軸を入れる箱が自転車に山積みです。最近日本では見かけないリヤカーもここでは健在です。この辺りまで散策してバスに戻りました。
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バスに乗って城外のホテルのレストランで昼食になりました。スタンダードな中華の後は西安名物の羊肉包膜(ヤンロウパオモウ)が出てきます。
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羊肉包膜は春雨と羊肉のスープにパンを千切った物が入っていて独特の食感です。本当はドンブリに自分でパンを千切って、そこにスープなどを入れてもらうのですがツアーでは出来上がったものが出てきます。
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この日のお昼でこの料理を食べることが分かっていたので夜遊びしていても食べないでいました。
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レストランで給仕をしてくれた女の子は大学生だけど就職先が決まらないのでアルバイトしていますといていました。日本語も堪能なので日系の会社にでも就職できそうな感じがしました。ツアーの食事にはサービスで干し梅やザーサイやお酒が振舞われますが、最後にお買い物タイムがあります。これが最後の昼食だったのでツアーのみなさんはもう買われていて売れません。ここでお客が買い物をしてくれると彼女たちに多少のマージンが入るようでした。
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我が家はまだ買っていなかったし、可愛そうなので干し梅を千円分買ったら18袋もくれました。でも1袋2元か3元くらいだろうから全然安くは無いと思います。1番高いのはビールで、町中で3元のビールが日本人ツアーの行く店は20元から30元します。10元くらいが相場だと思いますが、ガイドさんの収入になっているのかもしれません。中国のガイドさんは個人契約で会社からは給料は支払われないと聞いたことがあります。
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「一緒に記念写真を撮ってくれたら買ってあげるよ。」ということで今回の旅で出会った一番清楚で可愛らしい方でした。さすが楊貴妃の故郷である長安だけあります。
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一度ホテルに戻って午後は解散になりました。別のツアーでパスポートを盗られた事件があって現地旅行社もナーバスになっていたようで、昼食後にレストランで離団しようとしていたご夫婦も一緒にホテルまで戻されていました。我々は再度書院門を抜けて碑林博物館に向かいました。
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先ほどは無かった屋台がありますが、さすがに昼食後なので食べたい気持ちにはなりません。
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「中国剪紙」の歴史は長く、1000年の昔に周や秦や漢や唐代にさかのぼります。奈良の正倉院には中国唐代の剪紙「人勝図」が保存されています。剪紙は婚礼や葬儀の飾りとして使われ、宋代には「髪飾り」など女性の衣装の一部として使われるようになります。そして中国の正月に玄関に飾る「福」や清明節など暦にある各種行事で室内の装飾などで使われるようになりました。
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干支の刺繍もたくさん売られていました。「30元でどう?」前の日までに泥人形や農民画を買っていたので購買欲も無かったので値段交渉もしませんでした。
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先ほどより人通りが減ったような気がします。到着した翌日は30℃近くありましたがこの日は肌寒いほどの寒さでした。
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影絵も西安では有名ですが今ひとつ欲しいと思えませんでした。唯一この作品は大きさも出来栄えも素晴らしかったですが写真で満足です。北院門街に影絵と人形劇の劇場がありましたが、そこで見ていたら違った印象かもしれません。薄いロバの皮で作った影絵芝居の人形はスクリーンの後ろから伝統楽器の生演奏を聞きながら影絵の動きを見て楽しめる民間芸術の一種です。最近は中国西北部の農村でしか見られないそうです。
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「碑林博物館」に到着しました。この文字が表すように元々は孔子(コンツー)を祭る孔廟だったところです。宋の時代に孔子廟だった場所が利用されているで、所々に廟の名残が見て取れるしどことなく神聖な感じもします。
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漢代から清代にかけての石碑のコレクションは「西安碑林」と呼ばれ、この博物館の展示物のなかで最も有名なものです。王義之や欧陽詢、顔真卿や虞世南などの書道の大家の作品が立ち並んでいるほか玄宗皇帝の書もあり、中国最大の書道芸術の宝庫といえます。
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「太和元気坊」を見ていると昨年の旅で行った山東省の曲阜の孔廟を思い出させます。
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元々は「孔廟」なので建物は一直線に左右対称に配置されています。
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第2の門である木造の牌坊をくぐるとその先はもう碑の林の中です。入り口の左右に著名な大夏時代の石馬といった国宝級の石像や石碑が並ぶ長い舗道を進みます。
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訪れる人も少なくちょうど良い時間帯でした。
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花が咲き乱れ春の訪れを感じさせます。
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庭の梅がきれいに咲いていました。
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入り口からまっすぐ奥に向かって進むと、突当りに瓦屋根の美しい東屋風の碑亭が現われ、扁額に「碑林」と書かれてあります。その中央に一際大きな四角柱形をした「石台孝経」が納められています。
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「石台孝経」は親孝行を説く孔子の教えが刻まれた石碑で、なんと唐の玄宗皇帝の直筆ということです。隷書で書かれた文字は力強くかつ流麗で、流石は王者の筆使いで、後世の書道の手本になったというのも頷ける逸品です。
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先ずは7ある展示室の中の第1室から見学を始めます。ここには唐の開成2年(837年)に完成された十二部の儒家経典・開成石経が陳列されています。当時の文士の教科書とされる開成石経の主な内容は古代中国の政治経済や文化、軍事や周辺諸国との交流史などなど多岐に渡ります。
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印刷技術が未発達な唐代に於いて石経は大量印刷のツールでもあったそうです。石碑から拓本をとり、それを教科書として科挙に挑む生徒たちが勉学に励んでいました。
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石碑を背中に乗せた亀のような動物は古代中国の想像上の動物である贔屓です。贔屓は名前の通り「贔屓の引き倒し」の語源です。贔屓を引っ張ると背中の碑が倒れるわけです。北京郊外の皇帝陵墓の大きな物は山で切り出し手彫刻した贔屓を冬場に道路に水をまいて平らに凍らせて滑らせて運んだそうです。
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書についての造詣が無いので、写真の撮りやすいガラスのカバーの無い物を数枚撮影しただけでした。
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どれも拓本を取られているので炭の色で黒くなっています。
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カバーがされた碑の方が価値があるのだと思いますが、写真を撮るには向いていません。
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第2室には顔真卿の多宝塔碑や欧陽詢の皇甫誕碑、欧陽通の道因法師碑など、中国の歴史マニアにとって垂涎の的たる唐代の名書家の筆跡が千余年の時を超えて残されているそうです。唐への景教(ネストリウス派キリスト教)伝来を記した「大秦景教流行中国碑」(781年)もこちらの展示室に置かれてるそうです。
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拓本の取り過ぎで巨大な炭のように見えてしまいます。
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第3室は篆書の「美原神泉詩序」「篆書目録偏旁字源」や隷書の「廣武将軍碑」、楷書の「顔勤礼碑」、行書の「彗堅禅師碑」などが納められているそうです。
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この辺りになるとその良さも分からなくなってきます。
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碑は倒れないようにそれぞれが固定されていますが、碑が林のように乱立する姿は見事ではあります。左から2基目が「曹全碑」(東漢中平二年:185年)3基目が「篆書千字文序碑」(北宋乾德五年:967年)一番右が「篆書目録偏旁字源碑」(北宋咸平二年:999年)です。
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碑自体よりも上部の素晴らしいデザインに気持ちが動いてしまいます。もう少し教養があればと思ってしまいます。
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拓本を取られている所が見られました。
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碑林博物館の係員の方が作業しているようです。
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拓本を摂りすぎているのか真っ黒ですが、文字だけの碑と写真を撮るよりは映えます。元々は孔廟なので孔子像との写真は残しておかなければなりません。
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太白山の全景は清の康煕39年(1700年)に造られたもので水墨画のようです。
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中国禅宗の開祖とされているインド人仏教僧で達磨や達磨祖師、達磨大師とも呼ばれます。達磨伝説では「このころ西域の僧で菩提達摩という者がいた。ペルシア生まれの胡人であった。彼は遥かな夷狄の地を出て、中国へ来遊した。永寧寺の塔の金盤が太陽に輝き、その光が雲表を照らしているのを見て、また金の鈴が風を受けて鳴り、その響きが中天にも届くさまを見、思わず讃文を唱えて、まことに神業だと讃嘆した。」
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「その自ら言うところでは、齢は150歳で、もろもろの国を歴遊して、足の及ばない所はないが、この永寧寺の素晴らしさは閻浮にはまたと無い、たとえ仏国土を隈なく求めても見当たらないと言い、口に「南無」と唱えつつ、幾日も合掌し続けていた。」
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これはお土産用の玄奘三蔵法師の拓本です。団体ツアーの集合写真を買ったらお土産にくれました。三蔵は背中に経典を背負い、頭の前に吊るした灯明は昼夜を問わず長安に戻ろうとした法師の気概を現したものだそうです。民國22年に李枝生によって描かれ、郭希安によって彫られたものです。
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文字だけの碑文より絵のあるものに興味が行ってしまいます。先ほど写真を撮った孔子像の碑の拓本です。
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こんな字が書けたら楽しいでしょうね。
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先ほどの拓本はお土産用でこちらで拓本を取っている方々は碑林博物館の制服を着ていました。
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手際の良さに熟練した技術を感じます。
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毎日違う碑の拓本を取っているのでしょうが。現在は碑の保護のためにレプリカの碑から拓本を作っていると聞きました。
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拓本と言いながらこれは立派な印刷技術の1つだと思いました。
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博物館前に林立するのは明清時代の馬繋ぎです。柱の上部に様々な格好をした何とも奇天烈な奇獣が彫刻されているのが興味深いです。
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これらの馬繋ぎの石柱はセンバショウと呼ばれるそうです。明から清代に使用されていたもので、門前に置かれて馬や家畜などをつなぎとめておくための物でした。柱頭は人物や動物や奇獣が表現されています。
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ここは石碑だけでなく石像彫刻の秀品も収められていました。
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不思議な石像がたくさん並んでいます。イタリアのシチリア島のバゲリアにパラゴニア荘という怪物屋敷がありますが、そこの怪物の石像によく似ています。澁澤龍彦に見せてあげたかった気がします。
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隠れようとしても石柱が細すぎます。
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「歴史陳列博物館」にも入ってみました。不思議な見たことも無い彫刻が収蔵されていました。
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巨大な石棺です。さぞ位の高い方の物だったのでしょう。
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グリフォンのような動物の姿も見えます。
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犀の巨大な石像が納められていました。角は折れていますがほとんど忠実に彫られています。古代中国に犀は運ばれたのでしょうか?
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ヨーロッパでは1515年にリスボンに運ばれたインド犀が初めてで、デューラーが木版画で表わした以降の18世紀までその版画が犀の全ての情報だったと考えると感慨深いものがあります。
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最大の目玉は太宗遺愛の名馬の像を板石に刻ませたという「昭陵六駿」でしょう。太宗が隋末の今夏藍から唐朝を創建する戦いの最中に乗馬していた馬を石に浮彫したもので、白蹄烏・特勒驃・颯露紫・青騅・什伐赤・拳毛カの6駿の内、アメリカのフィラデルフィアに渡った颯露紫と拳毛カの2駿以外が碑林博物館に保管されています。
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馬の前に立つ男性は太宗自身なのでしょうか。その愛情の深さを感じさせます。
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一対に置かれた獅子の石像も見事でした。残された自由時間が少ないので博物館の見学はこれくらいにして表に出ます。
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妻はスイカ好きですがこう肌寒いと欲しがりません。
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「碑林博物館」と同じような石像が道路の脇に建っていました。後ろの煉瓦とマッチしていますが、これも同じ馬を繋ぐ石柱でしょうか。
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書院門を戻らないで北に進んで鐘楼に向かうことにします。
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安居巷は鄙びた良い通りでした。オリンピック前の北京の古い胡同に迷い込んだ感じがしました。こういった通りも近い将来には無くなってしまうのだと思います。
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HANSビールには今回の旅では大変お世話になりました。
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