2009/09/12 - 2009/09/15
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旅人のくまさんさん
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バッチャン焼、その昔は安南焼の名で有名なバッチャン村の見学です。家族、親戚ぐるみでの陶磁器製作でした。小学校高学年か、中学生くらいの人も働いていました。
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工場の入口近くの側面の光景です。天井からは、ペットの鳥籠が吊り下げられていました。中国文化との融合を垣間見た感じです。
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このバッチャン焼工場のマスコット犬です。見るからに大人しそうな顔をしていました。繋いでおく必要はない犬でしょう。シェパードか、シェパードの雑種犬でしょうか。
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工場内の光景です。型に粘土が流し込まれたり、型から取り出した半製品が自然乾燥されていました。中央の容器の中の液体が、ドロドロの粘土です。
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ドロドロの粘土が流し込まれたばかりの型の列です。右半分はこれから年度が追加されるのでしょうか。溢れた粘土は後で回収され、再使用されていました。
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型から取り出して、自然乾燥中の工程です。型に入れられていた時の筋が見えます。ある程度硬くなってから、削ぎ落とされるのでしょう。
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型作業の工程です。バッチャン村が、最初にベトナムの歴史に顔を出したのは、14世紀の1352年の紅河氾濫の時とされます。15世紀に入り、バッチャン村は、陶器の村として記録に残っています。
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作業中の皆さん達です。現地ガイドさんのお話ですと、家族や親せきの人達ばかりのようです。私語もなく、黙々と仕事をこなされていました。
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半製品が型から取り出された後、回収された余分な粘土です。失敗作なども一緒に回収されていました。
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回収された粘土は水に溶かされ、再利用のために、もう一度撹拌されていました。撹拌作業は電動でした。
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焼き上がった、鮮やかなブルー色のバッチャンヤ木の完成品です。バッチャン村が繁栄したのは、李朝(1428〜1527)のマック朝(1527〜1592)の時代とされます。
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包装工程です。焼き上がった茶器の本体と、蓋の部分をセットにしてクッションの紙に包みまれていました。この仕事も根気が要ります。
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マック朝時代のバッチャン焼は、大衆向けの陶器から、貴族階級のための高級品まで幅広い商品を供給していたとされます。高級製品の文様には、中国の影響を強く感じます。
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色とりどりの完成品の山です。比較的安価な製品のようです。濃い紺色の焼物、若草色の焼き物にも、可愛らしい文様がありました。
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無造作に積み上げられた完成品のアップです。地味な鼠色をベースに、オレンジ色を使った花柄模様がありました。
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茶色をベースにした焼物の山です。描かれた文様は白とオレンジ色が使われていました。デフォルメされた花柄模様のようです。
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ざる籠に収められた各種の完成品です。5、6種類はあるようです。選り分けられた理由は分かりませんでした。出荷する数量が半端になったためでしょうか。
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完成品を運ぶ馬です。ロバではないようです。車で運ぶより馬の方が便利な地形、道路なのでしょうか。
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練炭の燃えがらの山です。製造工程の中で使われたようです。形は、昔日本で使われていたものと同じです。中国や韓国では、今も煮物料理等に使われています。
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見学した工場兼販売店の近くの街並み光景の紹介です。バッチャン村は、本通りに面した家すべてが、焼物関連のお店のようでした。
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動物やマスコットキャラクターなどの焼物が多かった、お土産店の店先です。正面を向けて、丁寧に並べられていました。
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ゴールド・ハンドの英文字が記されたお店の正面です。ハンドメイドを売り物にしているようです。お洒落なデザインの品が並んでいました。
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バッチャン村のメインストリートの光景です。敷地が限られているためでしょうか、村とは言っても4、5階建の家が並びます。
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中型から大型の壺が店先に並べられていました。硝子戸の中には、更に大型の壺の姿がありました。白地を生かした彩色の品が多いようです。
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バッチャン村が裕福なことを思わせる建物です。西洋風のテラスがある建物です。やはり入口に焼物が置かれていました。
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倉庫のような展示の仕方のお店です。竹で編んだ籠の中にも製品がありました。小売より、卸しがメインのお店でしょうか。
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バッチャン村のメインストリートはそれほど広くはありませんが、中心地から少し離れた場所では、ぎりぎりバスを止めることが出来ました。右奥の方です。
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工場見学をさせて戴いたお店に戻ってきました。道路に面した店先光景です。余裕のある前庭で、庭木が生い茂っていました。
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完成品の紹介です。白と青と茶色の三色に染付された大壺です。中国の唐三彩や、日本の奈良三彩を連想させます。そのルーツは、ペルシャ三彩のようです。
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藍釉を使った口広の大壺です。藍色に濃淡が付けられた文様でした。台座と上部が別々に作られているようです。
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日本の陶器で言えば、信楽焼等を連想させるような肌合いの壺です。傘立てなどにも使えそうな大きさです。
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