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サレルノの港に着いたメトロ・デル・マーレの船を降りて、船の左舷から見えた大きな港に向かって歩きました。事前にミシュランの地図で調べておいたのですがこれがまた遠いのです。当時はまだグーグルマップが無かったころです。入口が一番西側だった事もあり1キロは余分に歩きました。以前にシチリアのパレルモからジェノヴァ港に着いた時も何所にいるのか全く分からなくて途方にくれた事がありました。その思いからも調べておいたのですが、どんなガイドブックにもフェリーについて詳しい事は書いてありません。1時間近く歩いて何とか港に着きましたが、中に入れてもらえません。どうやら乗船するフェリーが入港していない事しか分かりません。船が欠航なのか遅れているのか、何で入ったらダメなのか分かりません。バウチャーを見せてもダメで英語も全く通じません。1時間も待たされたでしょうか、周囲が暗くなった頃に港湾警察の人が沖を指さしました。そこのは横腹にグリマルディと書かれたフェリーが見えました。すると中に入って良いと言われました。コンテナが積まれた道路を荷物を引いて行くとプレハブがあって、ここでチケット交換できました。真っ暗な中で何とか交換してフォークリフトの間を進むと税関と出国手続きがあります。スタンプを貰って車に気を付けて乗船します。横では車両やコンテナの積み込みが行われています。フロント階でカギを貰うとひと安心です。4人部屋は3人で使って良いとの事なので安心しました。デッキに出て車の積み込みを眺めていたらお腹が空いているのに気づきました。深夜の出港なのでレストランは空いていましたが、ここも本格的な料理が食べられます。フットパッセンジャーは先に入れるので、優雅に食事をしているとどんどん混んできました。食事が終わる頃に日付も変わり出港しました。翌日は快晴で地中海の夜明けはクルーズ船であっても定期航路のフェリーであっても同じ感動を与えてくれます。ダブルのエスプレッソを飲みながらそんな事を考えました。<br />この日はシチリア沖を通過してチュニジアのチュニスに向かいます。<br />午後8時にチュニスに着きましたが夏の北アフリカは日が長く、夕暮れ時の海岸線は奇麗でした。ミナレットから流れるアザーンは旅情を誘います。近い将来に訪問したい国の一つです。翌日は昼までほとんど島影も無く、ゴゾ島の西の端のアズールウインドウが見えてくるとマルタ島に到着です。ゴゾのヴィクトリアからコミノ島の青いラグーン、チェルケウアの港、セントポールの島と懐かしい眺めが流れていきます。楽しかった前回のマルタ滞在の事を思い出します。そしてフェリーはスリーマからヴァレッタの港へ入ります。念願の海からのヴァレッタに入港しました。アッパーバラッカガーデンの横にブリティッシュホテルの看板と青いテントを見つけると帰って来たぞと叫びたくなりました。

定期航路フェリーでマルタ島(5)サレルノ港からフェリーに乗ってチュニス経由でマルタ島を目指す。

6いいね!

2006/06/14 - 2006/07/02

510位(同エリア795件中)

kojikoji

kojikojiさん

サレルノの港に着いたメトロ・デル・マーレの船を降りて、船の左舷から見えた大きな港に向かって歩きました。事前にミシュランの地図で調べておいたのですがこれがまた遠いのです。当時はまだグーグルマップが無かったころです。入口が一番西側だった事もあり1キロは余分に歩きました。以前にシチリアのパレルモからジェノヴァ港に着いた時も何所にいるのか全く分からなくて途方にくれた事がありました。その思いからも調べておいたのですが、どんなガイドブックにもフェリーについて詳しい事は書いてありません。1時間近く歩いて何とか港に着きましたが、中に入れてもらえません。どうやら乗船するフェリーが入港していない事しか分かりません。船が欠航なのか遅れているのか、何で入ったらダメなのか分かりません。バウチャーを見せてもダメで英語も全く通じません。1時間も待たされたでしょうか、周囲が暗くなった頃に港湾警察の人が沖を指さしました。そこのは横腹にグリマルディと書かれたフェリーが見えました。すると中に入って良いと言われました。コンテナが積まれた道路を荷物を引いて行くとプレハブがあって、ここでチケット交換できました。真っ暗な中で何とか交換してフォークリフトの間を進むと税関と出国手続きがあります。スタンプを貰って車に気を付けて乗船します。横では車両やコンテナの積み込みが行われています。フロント階でカギを貰うとひと安心です。4人部屋は3人で使って良いとの事なので安心しました。デッキに出て車の積み込みを眺めていたらお腹が空いているのに気づきました。深夜の出港なのでレストランは空いていましたが、ここも本格的な料理が食べられます。フットパッセンジャーは先に入れるので、優雅に食事をしているとどんどん混んできました。食事が終わる頃に日付も変わり出港しました。翌日は快晴で地中海の夜明けはクルーズ船であっても定期航路のフェリーであっても同じ感動を与えてくれます。ダブルのエスプレッソを飲みながらそんな事を考えました。
この日はシチリア沖を通過してチュニジアのチュニスに向かいます。
午後8時にチュニスに着きましたが夏の北アフリカは日が長く、夕暮れ時の海岸線は奇麗でした。ミナレットから流れるアザーンは旅情を誘います。近い将来に訪問したい国の一つです。翌日は昼までほとんど島影も無く、ゴゾ島の西の端のアズールウインドウが見えてくるとマルタ島に到着です。ゴゾのヴィクトリアからコミノ島の青いラグーン、チェルケウアの港、セントポールの島と懐かしい眺めが流れていきます。楽しかった前回のマルタ滞在の事を思い出します。そしてフェリーはスリーマからヴァレッタの港へ入ります。念願の海からのヴァレッタに入港しました。アッパーバラッカガーデンの横にブリティッシュホテルの看板と青いテントを見つけると帰って来たぞと叫びたくなりました。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
4.5
グルメ
4.5
ショッピング
4.5
交通
4.5
同行者
家族旅行
一人あたり費用
20万円 - 25万円
交通手段
徒歩
航空会社
キャセイパシフィック航空
旅行の手配内容
個別手配
  • メトロ・デル・マーレの船を降りて約1時間は歩いたと思います。当時グーグルマップも無く、ネットのミシュランの地図で確認していましたが遠かったです。さらに入口で港湾警察にゲートで止められた時はどうなるかと思いました。ここで1時間近く待たされて、沖合にグリマルディのフェリーが見えてくると通行を許可されました。

    メトロ・デル・マーレの船を降りて約1時間は歩いたと思います。当時グーグルマップも無く、ネットのミシュランの地図で確認していましたが遠かったです。さらに入口で港湾警察にゲートで止められた時はどうなるかと思いました。ここで1時間近く待たされて、沖合にグリマルディのフェリーが見えてくると通行を許可されました。

  • コンテナが延々と並ぶ迷路のような中を進むと、真っ暗な中にこのプレハブ小屋がありました。この小屋を見つけたときはホッとしました。

    コンテナが延々と並ぶ迷路のような中を進むと、真っ暗な中にこのプレハブ小屋がありました。この小屋を見つけたときはホッとしました。

  • ここで出力してきたバウチャーとパスポートを提示して、乗船券に換えてもらえばOKです。ちなみにヨーロッパのフェリーはロンドンにあるVIA MAREという会社のHPで予約できました。カード決済でメールに添付されたPDFのバウチャーを出力して、後は現地に行くだけです。航路や料金とタイムテーブルはHPで簡単に検索できます。この当時はこれが画期的なシステムでした。

    ここで出力してきたバウチャーとパスポートを提示して、乗船券に換えてもらえばOKです。ちなみにヨーロッパのフェリーはロンドンにあるVIA MAREという会社のHPで予約できました。カード決済でメールに添付されたPDFのバウチャーを出力して、後は現地に行くだけです。航路や料金とタイムテーブルはHPで簡単に検索できます。この当時はこれが画期的なシステムでした。

  • 出国手続きもこんな真っ暗で良いのでしょうか?テントに設えたカウンターに並んで、パスポートにスタンプを押してもらいました。車に轢かれないように船に乗りました。

    出国手続きもこんな真っ暗で良いのでしょうか?テントに設えたカウンターに並んで、パスポートにスタンプを押してもらいました。車に轢かれないように船に乗りました。

  • 乗船するとカウンターでチケットを見せて部屋のキーをもらいました。これでとりあえずマルタ島に行けることになり安心します。もう午後10時くらいです。

    乗船するとカウンターでチケットを見せて部屋のキーをもらいました。これでとりあえずマルタ島に行けることになり安心します。もう午後10時くらいです。

  • 早い人はもうバールで一杯やっています。レストランは開店準備中でしばらく時間がかかりそうです。

    早い人はもうバールで一杯やっています。レストランは開店準備中でしばらく時間がかかりそうです。

  • もう少し時間があるのでデッキに出てみますが、まだまだ自家用車やトラックは積み込まれています。

    もう少し時間があるのでデッキに出てみますが、まだまだ自家用車やトラックは積み込まれています。

  • ようやくレストランが開いたので遅い夕食です。イスキア島で優雅なお昼を食べた以来飲まず食わずでした。綱渡りになるなと思いながら計画を立てたらその通りでした。フェリーのレストランの料理は本格的で、どれも美味しかったです。飲み物は別でだいたい1人1,500円くらいです。

    ようやくレストランが開いたので遅い夕食です。イスキア島で優雅なお昼を食べた以来飲まず食わずでした。綱渡りになるなと思いながら計画を立てたらその通りでした。フェリーのレストランの料理は本格的で、どれも美味しかったです。飲み物は別でだいたい1人1,500円くらいです。

  • 翌朝の風景は360度視界を遮る物は何もありません。大学生の甥っ子はびっくりです。

    翌朝の風景は360度視界を遮る物は何もありません。大学生の甥っ子はびっくりです。

  • 大好きな立ち入り禁止のマークです。VIETATO L&#39;ACCESSO

    大好きな立ち入り禁止のマークです。VIETATO L'ACCESSO

  • 乗客の多くはチュニジアへ車で帰る家族連れが多いようです。観光客らしい人も少ないので、デッキに上がってくる人もいなく一番良い場所を占有出来ました。デッキにはチェアもたくさんあるし、壁にはシャワーもあります。終日ここにいたような気がします。

    乗客の多くはチュニジアへ車で帰る家族連れが多いようです。観光客らしい人も少ないので、デッキに上がってくる人もいなく一番良い場所を占有出来ました。デッキにはチェアもたくさんあるし、壁にはシャワーもあります。終日ここにいたような気がします。

  • 船首に向かって窓があるのでレストランからの眺めは最高です。<br />ランチ時間もとても贅沢な時間を過ごせます。この白ワインも美味しかったです。キンキンに冷えて出されるのが何よりです。

    船首に向かって窓があるのでレストランからの眺めは最高です。
    ランチ時間もとても贅沢な時間を過ごせます。この白ワインも美味しかったです。キンキンに冷えて出されるのが何よりです。

  • お昼はこんな感じで、みんなでシェアして食べます。毎食事のメニューが違っているので、食べたいものは食べておかないと次はありません。

    お昼はこんな感じで、みんなでシェアして食べます。毎食事のメニューが違っているので、食べたいものは食べておかないと次はありません。

  • シチリア島の沖を通過する時間なので、多分マレッティモ島でしょう。シチリア島ではマタンザというマグロの追い込み漁を見に行きたいと思っているのですがなかなかシーズンが合いません。

    シチリア島の沖を通過する時間なので、多分マレッティモ島でしょう。シチリア島ではマタンザというマグロの追い込み漁を見に行きたいと思っているのですがなかなかシーズンが合いません。

  • マレッティモ島はトラーパニから船で1時間くらいの距離です。昔トラーパニに行ったことがあって、美しいサリーネ(塩田)を見に行きました。「ニュー・シネマ・パラダイス」という映画で有名なジョゼッペ・トルナトーレの「みんな元気」という映画があり、トラーパニに住む年老いた父親(マルチェロ・マストロヤンニ)が、妻の墓参りをした後にイタリア中に住む子供たちを驚かそうと訪ね歩くのですが、それぞれに家庭に問題を持っていることが分かります。

    マレッティモ島はトラーパニから船で1時間くらいの距離です。昔トラーパニに行ったことがあって、美しいサリーネ(塩田)を見に行きました。「ニュー・シネマ・パラダイス」という映画で有名なジョゼッペ・トルナトーレの「みんな元気」という映画があり、トラーパニに住む年老いた父親(マルチェロ・マストロヤンニ)が、妻の墓参りをした後にイタリア中に住む子供たちを驚かそうと訪ね歩くのですが、それぞれに家庭に問題を持っていることが分かります。

  • 最後にトラーパニに戻ってきて墓前で「みんな元気だったよ。」と報告する心に沁みる映画でした。映画の中でリミニの海岸近くの公園でダンスを踊るのですが相手の女優を見た父が「ミッシェル・モルガンだ。懐かしいな。」といった言葉を覚えています。この映画を観ると亡くなった父のことを思い出します。

    最後にトラーパニに戻ってきて墓前で「みんな元気だったよ。」と報告する心に沁みる映画でした。映画の中でリミニの海岸近くの公園でダンスを踊るのですが相手の女優を見た父が「ミッシェル・モルガンだ。懐かしいな。」といった言葉を覚えています。この映画を観ると亡くなった父のことを思い出します。

  • イタリア共和国の「商船旗」は軍艦旗と類似した意匠です。軍艦旗との相違は城壁冠が無い点とヴェネツィアの紋章の獅子が剣を持つ代わりに PAX TIBI MARCE EVANGELISTA MEVS (我が福音記者マルコよ、汝に平和を)と銘打たれた書物を持っている点です。

    イタリア共和国の「商船旗」は軍艦旗と類似した意匠です。軍艦旗との相違は城壁冠が無い点とヴェネツィアの紋章の獅子が剣を持つ代わりに PAX TIBI MARCE EVANGELISTA MEVS (我が福音記者マルコよ、汝に平和を)と銘打たれた書物を持っている点です。

  • 最初見たときはイタリアの国旗でもないし、真ん中の紋章の左下はマルタ十字なので混乱しました。マルタ十字はキリスト教の騎士修道会である聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団)の象徴とされますが、元来は11世紀のイタリアの小共和国であるアマルフィの象徴でもありました。ここにアマルフィを経由してマルタに入る意味があります。

    最初見たときはイタリアの国旗でもないし、真ん中の紋章の左下はマルタ十字なので混乱しました。マルタ十字はキリスト教の騎士修道会である聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団)の象徴とされますが、元来は11世紀のイタリアの小共和国であるアマルフィの象徴でもありました。ここにアマルフィを経由してマルタに入る意味があります。

  • 前日のイスキアでの1日とこの日でほとんど真っ黒になりました。この後も毎日海で遊んでいたので、小学生の夏休みのようでした。

    前日のイスキアでの1日とこの日でほとんど真っ黒になりました。この後も毎日海で遊んでいたので、小学生の夏休みのようでした。

  • 海は何とも言えないブルーです。夕方になると段々と葡萄色に染まってきます。

    海は何とも言えないブルーです。夕方になると段々と葡萄色に染まってきます。

  • さすがにイタリアの船なので、エスプレッソは1ユーロくらいで飲めます。コーヒー好きの妻にはもってこいの船です。

    さすがにイタリアの船なので、エスプレッソは1ユーロくらいで飲めます。コーヒー好きの妻にはもってこいの船です。

  • 日が暮れる頃にはチュニジアに到着するはずです。この時くらいまでは自分のクレジットカードが使えたのですが、翌日からは使えなくなりました。船の売店で買い物した時も使えなくて、クルーのお姉さんとデッキに上がって衛星の方向へ端末を向けましたがダメでした。この後ヴァレッタに着いてから面白い事件が我が身を襲います。

    日が暮れる頃にはチュニジアに到着するはずです。この時くらいまでは自分のクレジットカードが使えたのですが、翌日からは使えなくなりました。船の売店で買い物した時も使えなくて、クルーのお姉さんとデッキに上がって衛星の方向へ端末を向けましたがダメでした。この後ヴァレッタに着いてから面白い事件が我が身を襲います。

  • 沈みゆく太陽に向かってフェリーは進んでいきます。

    沈みゆく太陽に向かってフェリーは進んでいきます。

  • アフリカ大陸が見えてきました。チュニジアの海岸線です。スペイン旅行の合間に行ったモロッコのタンジール以来何年振りかのアフリカです。妻に取っては初めて見るアフリカ大陸です。

    アフリカ大陸が見えてきました。チュニジアの海岸線です。スペイン旅行の合間に行ったモロッコのタンジール以来何年振りかのアフリカです。妻に取っては初めて見るアフリカ大陸です。

  • 黄昏と言う言葉が似合う時間です。チュニスの街がシルエットになって見えます。

    黄昏と言う言葉が似合う時間です。チュニスの街がシルエットになって見えます。

  • チュニスの街中の港では無く、少し郊外のラ・グレットの港のようです。チュニジアを旅する時はマルセイユから船で来たいと思っているので地図を見ながら位置を確かめました。

    チュニスの街中の港では無く、少し郊外のラ・グレットの港のようです。チュニジアを旅する時はマルセイユから船で来たいと思っているので地図を見ながら位置を確かめました。

  • スペインのバレンシアからの船です。このフェリーも同じグリマルディ社のものです。

    スペインのバレンシアからの船です。このフェリーも同じグリマルディ社のものです。

  • 夕闇に溶け込もうとしているモスクの尖塔からアザーンが聞こえてくると異国情緒を感じます。

    夕闇に溶け込もうとしているモスクの尖塔からアザーンが聞こえてくると異国情緒を感じます。

  • 海と空が溶け合って何とも言えない空気感です。

    海と空が溶け合って何とも言えない空気感です。

  • まだ下船する車があるようです。まあ急ぐ旅ではありませんから景色を眺めています。

    まだ下船する車があるようです。まあ急ぐ旅ではありませんから景色を眺めています。

  • 通常クルーズ船の場合は初日の出港後に救命胴衣を着けて避難訓練をしますが、フェリーの場合は特にそんな行事はありません。一応救命胴衣のつけ方を確認しておきます。

    通常クルーズ船の場合は初日の出港後に救命胴衣を着けて避難訓練をしますが、フェリーの場合は特にそんな行事はありません。一応救命胴衣のつけ方を確認しておきます。

  • 翌朝の海です。波の無い鏡のように静かな海です。

    翌朝の海です。波の無い鏡のように静かな海です。

  • 朝食を食べ終わった午前9時頃にゴゾ島が見えてきました。マルタ共和国を西側から東橋のヴァれったに向かっています。あと2時間位でヴァレッタに到着するのでしょう。

    朝食を食べ終わった午前9時頃にゴゾ島が見えてきました。マルタ共和国を西側から東橋のヴァれったに向かっています。あと2時間位でヴァレッタに到着するのでしょう。

  • ゴゾ島はマルタ共和国で2番目の島です。大きな島は2つしかありませんが。キャプテンモルガンのクルーズで何度も島を巡っていますが、こんな沖合いを通るのは初めてです。

    ゴゾ島はマルタ共和国で2番目の島です。大きな島は2つしかありませんが。キャプテンモルガンのクルーズで何度も島を巡っていますが、こんな沖合いを通るのは初めてです。

  • 前回のマルタの旅で思った海からヴァレッタの港に入るという夢が叶いました。宿泊していた旧市街のブリティッシュ・ホテルの部屋の窓からは港に入港して、そして出港してゆく大きな船が行き交うのを眺めていた時にそう思いました。

    前回のマルタの旅で思った海からヴァレッタの港に入るという夢が叶いました。宿泊していた旧市街のブリティッシュ・ホテルの部屋の窓からは港に入港して、そして出港してゆく大きな船が行き交うのを眺めていた時にそう思いました。

  • チュニスでほとんど降りてしまった残りの乗客もデッキに上がってきました。

    チュニスでほとんど降りてしまった残りの乗客もデッキに上がってきました。

  • 妻の初めての地中海クルーズはヴェネツィア発着の8日間の東地中海のクルーズでしたが、2回目は定期航路のフェリーの旅となりました。

    妻の初めての地中海クルーズはヴェネツィア発着の8日間の東地中海のクルーズでしたが、2回目は定期航路のフェリーの旅となりました。

  • 海の色はさらに青く美しく変わりました。

    海の色はさらに青く美しく変わりました。

  • ゴゾ島の北側の海岸線の景色がゆっくり流れていきます。

    ゴゾ島の北側の海岸線の景色がゆっくり流れていきます。

  • ヴィクトリアの街が望めます。

    ヴィクトリアの街が望めます。

  • St Elmo Bridgeの先を大きく廻り込んでヴァレッタに入港です。

    St Elmo Bridgeの先を大きく廻り込んでヴァレッタに入港です。

  • これでキプロス島とマルタ島へのフェリーでの上陸が叶うと思うと感無量です。

    これでキプロス島とマルタ島へのフェリーでの上陸が叶うと思うと感無量です。

  • キャプテンモルガンのハーバークルーズの船です。ちっちゃいです。

    キャプテンモルガンのハーバークルーズの船です。ちっちゃいです。

  • 以前このルートを巡る船にも乗っているので懐かしく思い出されます。その時はイギリス海軍の航空母艦が停泊していて、その大きさに驚いたのとホーカーシドレー・ハイアを肉眼で初めて見て興奮しました。

    以前このルートを巡る船にも乗っているので懐かしく思い出されます。その時はイギリス海軍の航空母艦が停泊していて、その大きさに驚いたのとホーカーシドレー・ハイアを肉眼で初めて見て興奮しました。

  • Ricasoli East Breakwaterはヴァレッタの港を挟んだ反対側の防波堤です。

    Ricasoli East Breakwaterはヴァレッタの港を挟んだ反対側の防波堤です。

  • ヴァレッタの懐かしい風景が続きます。前回はこの旧市街の中に1週間ほど滞在しました。

    ヴァレッタの懐かしい風景が続きます。前回はこの旧市街の中に1週間ほど滞在しました。

  • ヴィクトリアゲートが見えました。港からホテルまでのルートを目で追って確認していきます。ヴァレッタの旧市街のすべてが世界遺産です。

    ヴィクトリアゲートが見えました。港からホテルまでのルートを目で追って確認していきます。ヴァレッタの旧市街のすべてが世界遺産です。

  • 宿泊するホテルが見えてきました。ブリティッシュホテルです。

    宿泊するホテルが見えてきました。ブリティッシュホテルです。

  • 赤い扉の建物の最上階のテラス月の部屋を予約してあります。青いテントの下がレストランで、ヴァレッタでも美味しいことで有名な店です。前回と同じ部屋が予約できて良かったです。家族経営の小さなホテルでエレベーターもありませんが、ベランダからの景色は旧市街のホテルでは一番です。

    赤い扉の建物の最上階のテラス月の部屋を予約してあります。青いテントの下がレストランで、ヴァレッタでも美味しいことで有名な店です。前回と同じ部屋が予約できて良かったです。家族経営の小さなホテルでエレベーターもありませんが、ベランダからの景色は旧市街のホテルでは一番です。

  • テントと右側の建物の壁が新しくなっていました。そこだけ新しいので宿の主人に聞くと笑って教えてくれませんでした。帰国した翌々週にスピルバーグの「ミュンヘン」を見ていて妻と二人ビックリしました。ミュンヘンオリンピックで選手団を虐殺されたイスラエルがモサドを使って犯人に復讐する話ですが、3人目のターゲットをアテネのホテルでテレビに仕掛けた爆薬で暗殺しようとします。しかし上手くいかなくて手りゅう弾を投げ込んで暗殺を成功させます。

    テントと右側の建物の壁が新しくなっていました。そこだけ新しいので宿の主人に聞くと笑って教えてくれませんでした。帰国した翌々週にスピルバーグの「ミュンヘン」を見ていて妻と二人ビックリしました。ミュンヘンオリンピックで選手団を虐殺されたイスラエルがモサドを使って犯人に復讐する話ですが、3人目のターゲットをアテネのホテルでテレビに仕掛けた爆薬で暗殺しようとします。しかし上手くいかなくて手りゅう弾を投げ込んで暗殺を成功させます。

  • 入口のアーチと外されていたテント、吹き飛んだ窓ガラス、そう映画ではアテネとされていたのはヴァレッタでした。映画を観ているときに違和感を感じたのですが、アテネは右側通行で、マルタはイギリス寄りの時代があったので左側通行でした。そしてスピルバーグ監督に爆破されたのはこのブリティッシュホテルだったのです。

    入口のアーチと外されていたテント、吹き飛んだ窓ガラス、そう映画ではアテネとされていたのはヴァレッタでした。映画を観ているときに違和感を感じたのですが、アテネは右側通行で、マルタはイギリス寄りの時代があったので左側通行でした。そしてスピルバーグ監督に爆破されたのはこのブリティッシュホテルだったのです。

  • ヴァレッタの港内に入ると真っ青だった海の色は緑色に変わりました。

    ヴァレッタの港内に入ると真っ青だった海の色は緑色に変わりました。

  • 1187年に聖地エルサレムの陥落後にこの聖ヨハネ騎士団は現在のイスラエル北部のアッコンまで撤退し、アッコン陥落後はキプロス島にまで撤退していきます。<br />さらにキプロスに撤退後もイスラム勢力に対し戦い続けました。当時のキプロス王がこの騎士団を恐れていたこともあり、1309年当時ビザンチン帝国領であった、ロードス島へ侵攻し占拠します。この当時の聖ヨハネ騎士団はロードス騎士団とも呼ばれます。

    1187年に聖地エルサレムの陥落後にこの聖ヨハネ騎士団は現在のイスラエル北部のアッコンまで撤退し、アッコン陥落後はキプロス島にまで撤退していきます。
    さらにキプロスに撤退後もイスラム勢力に対し戦い続けました。当時のキプロス王がこの騎士団を恐れていたこともあり、1309年当時ビザンチン帝国領であった、ロードス島へ侵攻し占拠します。この当時の聖ヨハネ騎士団はロードス騎士団とも呼ばれます。

  • オスマントルコの圧倒的な戦力差により、ロードス島は陥落して騎士団はシチリア島へ撤退することとなります。拠点失った騎士団はスペインの王であり、神聖ローマ帝国の皇帝であったカール5世の斡旋により、マルタ島とゴゾ島を得ることになります。このようにして、聖ヨハネ騎士団はマルタ騎士団となり、この地に根を下ろしていきまます。

    オスマントルコの圧倒的な戦力差により、ロードス島は陥落して騎士団はシチリア島へ撤退することとなります。拠点失った騎士団はスペインの王であり、神聖ローマ帝国の皇帝であったカール5世の斡旋により、マルタ島とゴゾ島を得ることになります。このようにして、聖ヨハネ騎士団はマルタ騎士団となり、この地に根を下ろしていきまます。

  • 1530年マルタに入った騎士団は現在のスリーシティーズに拠点をおき、天然の要塞とも呼べる複雑な地形を利用し、岬のヴィットリオーザには大きな城砦都市、そして聖アンジェロ砦を建て、海に面する部分をすべて城壁で固めます。そんな歴史が目の前に広がっています。

    1530年マルタに入った騎士団は現在のスリーシティーズに拠点をおき、天然の要塞とも呼べる複雑な地形を利用し、岬のヴィットリオーザには大きな城砦都市、そして聖アンジェロ砦を建て、海に面する部分をすべて城壁で固めます。そんな歴史が目の前に広がっています。

  • 有名な見張り台も同じ高さで見られます。キャプテンモルガンの小船では見上げるしかありません。初めてマルタ共和国に来ようと思ったのは、アエロフロートの機内誌でこの見張り台の写真とルッツと呼ばれるカラフルな漁船を見たときでした。

    有名な見張り台も同じ高さで見られます。キャプテンモルガンの小船では見上げるしかありません。初めてマルタ共和国に来ようと思ったのは、アエロフロートの機内誌でこの見張り台の写真とルッツと呼ばれるカラフルな漁船を見たときでした。

  • 1602年にはローマで殺人事件を起こした画家ガラヴァッジョがマルタ騎士団に庇護を求めてマルタを訪れています。ガラヴァッジョは聖ヨハネ教会のために「聖ヨハネの斬首」を描いたといわれています。前回の旅はカラヴァッジョの足跡を訪ねたものでもありました。彼もこの景色を眺めながらシシリアから船で辿り着いたことでしょう。

    1602年にはローマで殺人事件を起こした画家ガラヴァッジョがマルタ騎士団に庇護を求めてマルタを訪れています。ガラヴァッジョは聖ヨハネ教会のために「聖ヨハネの斬首」を描いたといわれています。前回の旅はカラヴァッジョの足跡を訪ねたものでもありました。彼もこの景色を眺めながらシシリアから船で辿り着いたことでしょう。

  • ヴァレッタについてホテルにチェックインした後に最初にしなければならないのは、キャプテンモルガンのクルーズを申し込むことです。

    ヴァレッタについてホテルにチェックインした後に最初にしなければならないのは、キャプテンモルガンのクルーズを申し込むことです。

  • 妻とはロードス島の騎士団長の館にも行っていますが、頭の中に十字軍のことなどないと思います。ましてカラヴァッジョン足跡なんて…。

    妻とはロードス島の騎士団長の館にも行っていますが、頭の中に十字軍のことなどないと思います。ましてカラヴァッジョン足跡なんて…。

  • 2泊3日のクルーズが終わり、ヴァレッタに到着しました。イスキア島より暑い昼下がりでした。

    2泊3日のクルーズが終わり、ヴァレッタに到着しました。イスキア島より暑い昼下がりでした。

  • シチリアへ行く高速船が停泊していました。今回はこれにも乗って、シチリアのポッツァーロへ行き、タオルミーナやエトナ山を訪れる予定もあります。

    シチリアへ行く高速船が停泊していました。今回はこれにも乗って、シチリアのポッツァーロへ行き、タオルミーナやエトナ山を訪れる予定もあります。

  • この船は午後に出港して、サレルノへ戻った後にバレンシアを往復して、サレルノから同じルートでチュニスを経由してマルタに1週間後に戻ってきます。それまでお別れです。入国審査を受けてマルタ共和国の旅が始まります。

    この船は午後に出港して、サレルノへ戻った後にバレンシアを往復して、サレルノから同じルートでチュニスを経由してマルタに1週間後に戻ってきます。それまでお別れです。入国審査を受けてマルタ共和国の旅が始まります。

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この旅行記へのコメント (1)

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  • duc teruさん 2013/08/16 15:31:03
    定期航路
    kojikojiさん

    初めまして、duc teru と申します。

    素晴らしい旅ですね、ヴァレッタへの入港風景、目に焼き付けました、晴天に恵まれましたね、帰ってきたと云う感覚が羨ましいです、続きを見させて下さい、不躾ですがフォローさせて頂きます。

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