2006/06/14 - 2006/07/02
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kojikojiさん
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久し振りに地中海の定期航路のフェリーに乗りたいと思い、ローマからナポリの先のサレルノを出発して翌日夕方にチュニジアのチュニスを経由して、翌々日にマルタ島のヴァレッタに着くグリマルディの航路をベースに計画を立てました。帰りは1週間後に来る同じフェリーでメッシーナ海峡を渡って、同じサレルノに戻ることになります。前にアテネをベースにエーゲ海の4泊5日クルーズに乗った後にマルタ島へ来たときは空路でした。空から見えたモスタやスリーシティも素晴らしかったのですが、次は海からヴァレッタに入りたいと思思っていました。また今回は大学を卒業する妻の甥っ子を連れての3人旅でもあったので、最初はオープントップバスに乗って効率よくローマの市内観光から始まります。航空会社はその時一番安かったキャセイパシフィックで香港経由にしました。まだ中東系の航空会社がポピュラーではなかった頃です。航空券が84,000円に燃油サーチャージが14,860円でした。成田を夕方6時30分に出て、香港に午後10時に到着予定でしたが、少し遅れたのですぐのローマ行きの便に乗り込みました。翌朝の6時にローマ・フィウミチーノ空港に着き、そのまま列車でテルミニ駅へ移動して、駅の荷物預かりに行き、オープントップバスのチケット買い、丸一日ローマ市内を駆け巡りました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- キャセイパシフィック航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
夕方の便で成田からはまず香港に向かいます。この時HISで一番安かったのと、帰りに香港で1泊クルーズも考えています。インターネットで予約しておいた機内販売で、昔のデザインのキャセイ航空のバックもちゃんと座席に届きました。
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CX505便は成田発18:30で香港着は22:05の予定でしたが少し遅れました。乗り継ぎの時間が短くなってしまったので、空港でゆっくりする間もなく日にちの変わった00:05にCX293便でローマに向けて出発です。
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ローマのフィウミチーノ空港には6:35に到着しました。荷物も無事についたので空港駅から列車でテルミニ駅まで30分の移動です。
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テルミニ駅が近づいてきました。この駅へ到着するのは何度目かも分からないほどです。日本では「終着駅」原題:Stazione Termini)の邦題で知られる映画で、ハリウッドの映画プロデューサー、デヴィッド・O・セルズニックが映画「逢びき」に匹敵するメロドラマを作ろうと、イタリアのネオレアリズモの巨匠ヴィットリオ・デ・シーカ監督を招いて作りあげたアメリカの恋愛映画の名作です。
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旅のスタートは「終着駅」であるテルミニ駅です。ホームにある荷物預かりでトランクを預けてしまいます。ついでに帰りに泊るホテルの位置を確認しておきます。このアングルは映画オーシャンズ12で出てきますね。市内を巡回するオープントップの観光バスのチケットも買い求めます。
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この駅にはたくさんの思い出があります。花束を買って空港へ友人を迎えに行ったり、アエロフロートで知り合った人たちと食事することになり待ち合わせをしたり、夜行列車でシラクーサへ旅立つのを見送ってもらったり…。
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身軽になってバスのチケットも手に入れたのでカフェで一休みしました。110OPENというバスで1人13ユーロで約2,000円でした。
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駅前から乗ったバスは500人広場から北に向かいますが、途中でルートから逸れてしまいます。何かと思ったらデモの行進でした。イタリアを旅しているとどこかで出会う光景です。
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オープントップの観光バスには初めて乗りました。日本語のイヤホンサービスがあり、何度も見て見慣れている建物が違って見えます。
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「ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂」は1885年にサヴォイア朝によるイタリア王国を成立させたヴィットーリオ・エマヌエーレ2世を王国の国父と見なし、その偉業を讃えるべくその息子であるウンベルト1世の治世に建設されます。パンテオンと同じコリント式の円柱と大きな階段が特徴的な構造で、建物上部にはクアドリガに乗る勝利の女神ヴィクトリアの彫像が一対配置されています。
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祈念堂を左に交わして先に進むと「コロッセオ」が見えてきます。バスの乗客も少しざわつきます。
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ここへ来たのは何年振りでしょうか。何度か来ていますが中を見学したのは1度だけです。
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こちら側は閑散としていますが、反対側はグラディエーターの衣装を着た人が沢山いて観光客を狙っています。ゆっくり内部を見学している時間は無いので外観大きさを見るだけにします。
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1階はドリス式で2階はイオニア式、3階はコリント式になっていることが良く分かります。柱の頭頂部の形が教科書で観た姿のままです。
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妻とコロッセオに来るのは初めてでした。というかローマを2人でじっくり旅していないことに気づきました。今回で2回目なのですが。
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コロッセオからフォロロマーノへ向かうことにしますが、まだ朝早いのにすごい観光客の数です。紀元前6世紀頃から293年にかけてローマ帝国の国家の政治と経済の中心地でしたが、ローマ帝国が東西に分裂して首都機能がラヴェンナに移されると異民族の略奪に曝されるようになり、西ローマ帝国滅亡後は打ち捨てられてしまいます。
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「ティトゥスの凱旋門」はローマ帝国第11代皇帝ドミティアヌスにより、先代皇帝でドミティアヌスの兄でもあるティトゥスのエルサレム攻囲戦等での戦功を称えるため建てられます。この凱旋門は16世紀以降に建てられることとなる世界各地の凱旋門の手本とされ、その中にはパリのエトワール凱旋門も含まれます。
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振り返るコロッセオの姿は食べかけのケーキみたいで痛々しいです。
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凱旋門を潜ってフォロロマーノの中に入ります。
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遺跡の中は日陰が無いので延々と歩くしかありません。
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「アントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿」はアントニヌス・ピウス帝が皇后ファウスティナを偲び、141年に建造させた神殿です。アントニウス・ピウスが死去した後は後継者のマルクス・アウレリウス・アントニヌス帝によりアントニウス・ピウスと大ファウスティナを共に祀る神殿とされます。
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しかし何度来てもローマ市内には広大な遺跡がたくさん残されていることに驚きます。普通の人の生活と遺跡が組み合わさってしまって、日常になってしまっているのでしょうね。
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「セプティミウス・セウェルスの凱旋門」フォロ・ロマーノの北西端にある白い大理石製の凱旋門で、皇帝セプティミウス・セウェルスとその息子カラカラとゲタの第6次パルティア戦争での勝利を記念して紀元203年に建設されています。
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ここへ来ると日曜美術館」で昔見た記憶のある1枚の絵を思い出します。その絵の作者など詳しいことは全く分からなかったのですが。
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作者はフランツ・フォン・レンバッハという伯爵でもあったミュンヘンの画家です。ブダペストの国立西洋美術館でこの絵を見つけたときは背中に電気が流れたような気がしました。
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炎天下を歩き続けたので妻は少々疲れ気味です。こんな時ローマは水道や噴水がたくさんある意味が分かる気がします。
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「狼の乳を吸うロムルスとレムスの像」
ロームルスとレムスはローマの建国神話に登場する双子の兄弟です。 ローマ市は紀元前753年4月21日にこの双子の兄弟によって建設されたと伝えられています。この双子は軍神マルスとレア・シルウィアの間に生まれたとされます。王の末弟のアムリウスは王位を奪っていたが兄の孫である双子の復讐を恐れて、双子をテヴェレ川に捨てしまいますが双子は狼によって育てられ、祖父を復権させます。 -
「カンピドリオ」は、ローマの7つ丘の1つです。現在の頂上にはミケランジェロが設計したカンピドリオ広場があり、中心にはマルクス・アウレリウス像、その周囲をカピトリーノ美術館、コンセルヴァトーリ宮殿などが建ち並びます。
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ヴェネツィア広場側にはヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂がカンピドリオの丘に背を向けるように建っています。ここでようやくバスルートに戻る事が出来ました。ここから「真実の口」に向かいます。
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サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の外壁の教会の正面柱廊の奥に飾られています。元々はフォロ・ボアリオ地区の寺院内にあった集水器の覆いであったと考えられています。刻まれている顔は海神オーケアノスのものとされます。「ローマの休日」で有名になった場所ですね。
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「ナヴォーナ広場」まで歩いてきました。1世紀にドミティアヌス帝が造らせたドミティアヌス競技場が元になっているので円を長く伸ばしたような形をしています。何度来てもこの広場は美しいです。1994年にはローマの噴水とベルニーニの彫刻を巡る旅をしたことがあります。
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広場中央には4つの大河(ナイル川、ガンジス川、ドナウ川、ラプラタ川)を擬人化した彫像の噴水型のオベリスクがあります。この彫像はバロック時代ジャン・ロレンツォ・ベルニーニによって造られたものです。オベリスクは、西暦80年のローマの大火のあと、ドミティアヌス帝の時代に立てられたものです。ベルニーニはインノケンティウス10世の栄光を讃えて、当時壊れていたオベリスクを修理し1649年に噴水の上に立てました。エジプトで造られたものではないので象形文字が逆さまになったりしています。
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ダン・ブラウン原作の「天使と悪魔」の映画ではローマに残るベルニーニの作品がたくさん出てきて、自分がテーマを作って旅した場所と重なっていたことに驚きました。ストーリーの先が読めてしまい、次はあの彫刻だとかあの教会だとか分かってしまうのは嬉しくもあり残念でもありました。
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「ネプチューンの噴水」も同じ広場の中にあります。ジャコモ・デラ・ポルタが造った水盤に19世紀末の彫刻が据えられているようですが、富士美術館に収蔵されているカナレットの絵には描かれています。カナレットは18世紀の画家です。
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18世紀のナヴォーナ広場も現在と同じくらい混み合っていたのですね。
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オベリスクのトップにはインノケンティウス10世の紋章の鳩が据え付けられているのまで描かれていました。
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いつか泊まってみたいと思いながら通過するだけのラファエロ。考えてみるとローマには5~6回滞在していますが、テルミニ駅周辺のホテル以外に泊まったのは1度だけです。
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中も空いたのでそろそろお昼にしましょう。妻も甥もピツッアが良いようなので広場を少し離れた店に入りました。お手頃なセットメニューのある店でしたが、味は良かったです。私は絶対にクアトロフロマッジオです。イタリアではビアンコ(トマトソース抜き)が普通ですが、イタリア周辺の国に行くとビアンコと伝えないとトマトソース付きになって台無しになります。
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大きなカラフェで白ワインをいただきながら久しぶりの多リアのピツッアを楽しみます。
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もちろん「パンテオン」にも来ました。最初のパンテオンは紀元前25年に初代ローマ皇帝アウグストゥスの側近のマルクス・ウィプサニウス・アグリッパによって建造された様々なローマ神を奉る万神殿でした。2代目のパンテオンはローマ皇帝ハドリアヌスによって118年から128年にかけて再建されます。現在ローマで見ることが出来るのはこの再建されたパンテオンです。
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正面にはアグリッパに敬意を表し M. AGRIPPA L. F. COS TERTIUM FECIT(ルキウスの息子マルクス・アグリッパが、3度目のコンスルの際に建造)と記されています。
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建物は、深さ4.5メートルのローマン・コンクリート基礎の上部に直径43.2メートル の円堂と半球形のドームが載った構造で、頂上部分にはオクルス(ラテン語で「目」の意味)と呼ばれる採光のための直径9メートルの開口部があります。
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開口部だけで9メートルとするとこのドームの大きさが想像できると思いますが、2000年近く前にこれだけの建築技術があったと思うと驚かざるを得ません。
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床に輝く円もきっと9メートルくらいの大きさなのでしょう。ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世と、ルネサンス期の巨匠ラファエロもここに埋葬されています。ラファエロはパンテオンに埋葬されることを希望したと言われますがその気持ちは分からないでもありません。
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ファサードの円柱も14メートルもの高さがあります。パンテオンの前にはロトンダ広場が広がります。
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ファサードはほぼ真北に向いていますが、宗教的な意味があるのでしょうか?日陰は観光用の馬車の休憩場所になっています。
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パンテオンの脇のミネルヴァ広場にある象のオベリスク。ミネルヴァ・オベリスクは高さが 5.47メートル、台座を含めても 12.7メートルという小さなものです。このオベリスクは1世紀末ごろにイタリアに持ち込まれて、ローマのイシス神殿に建てられたものと考えられています。
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このオベリスクは1655年に現在の場所の近くで発見され、1667年にローマ教皇アレッサンドロ7世によって再建されました。ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの作品です。以前この広場は駐車場だったので、哀れな姿を晒していましたが改善されたようです。
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好きなアンティーク街を横目に眺めながらサンタンジェロ橋に到着しました。この橋の天使10体もベルニーニの作品です。オリジナルは別の場所に安置されていますが、それぞれの天使像はキリストの10の受難を表しています。磔刑になった十字架や、磔にされた釘や、ロンギヌスの槍などが見てとれます。
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「サンタンジェロ城」は135年にローマ帝国の皇帝で「五賢帝」のひとりハドリアヌスが自らの霊廟として建設を開始し、アントニヌス・ピウス治世の139年に完成します。霊廟はきれいな円形平面をなし、太陽を象徴したハドリアヌスが戦車を引く像が頂上に設置されますが、しばらくすると軍事施設として使用されはじめます。サンタンジェロ城の名は590年にローマでペストが大流行した際、教皇グレゴリウス1世が城の頂上で剣を鞘に収める大天使ミカエルを見て、ペスト流行の終焉を知ったことによります。
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サンタンジェロ城を曲がるとヴァチカンのサンピエトロが姿を見せます。サンタンジェロ橋のキリストの受難を経験するとヴァチカンが見えるという壮大な演出をベルニーニと法王クレメンス9世は仕掛けたのでしょうか。
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このルートを何度通ったでしょうか。数々の思い出があります。サンタンジェロ橋のたもとは円が「ローマの休日」でオードリー演じる王女が乱闘騒ぎの中ギターで人の頭をたたく場面を写真にとられた場所です。
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到着したサン・ピエトロ大聖堂の入り口はとても混んでいて、長い列ができていたので中の入るのは旅の最後にしました。ベルニーニはこの広場を幅240メートルもある巨大な楕円形として完成させます。
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広場を取り囲んでいるのは4列に並べられた合計372本の石柱であり、柱の上には140体もの聖人像が広場に集まった人々を見守るように立ち並んでいます。ベルニーニは古代ローマの闘技場コロッセオからインスピレーションを受けたと言われますが、サン・ピエトロは全ての教会の母なのであるから、母のように両腕を広げて受け入れることを表現したスケッチを残しています。手前は1675年にベルニーニによって造られた噴水が気持ちよさそうに水を噴いています。
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列柱(コロンナート)はドーリア式で4列で楕円形の広場を囲んでいます。広場の中心にある一点からは放射状の柱がすべて重なるそうですが、まだ探したことはありません。
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大聖堂に入るだけで長蛇の列ですから、ヴァチカン博物館も入れないと思い、オープントップバスの停留所に向かいます。旅の最終日の再挑戦することにしました。甥をローマまで連れてきてヴァチカンを見せないわけにはいきません。
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またバスに乗ってコンドッティ通りの近くで降りました。カフェ・グレコにも立ち寄りました。ローマで現存する最も古いカフェとして知られ、イタリア内ではヴェネツィアの カフェ・フローリアンが1720年創業で1番古くなります。
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間近にあるスペイン大使館にちなんで命名された「スペイン広場」が見えてきました。16世紀にフランス王ルイ12世の命により建立されたトリニタ・デイ・モンティ教会は工事中です。教会の名前は「丘の上の三位一体教会」という意味です。
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広場には「バルカッチャの噴水(舟の噴水)」があります。テヴェレ川が1598年に氾濫した際に、1艘の舟がこの場所まで流れ着いたという話から、ベルニーニはこのデザインにしたと言われます。
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妻はここでもクールダウンです。梅雨のない6月中旬のローマは既に真夏のようでした。
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昔は自分もオードリー・ヘップバーンのようにここでジェラートを食べましたが、現在は飲食禁止になってしまった「スペイン階段」です。春先に来るとツツジの鉢植えで階段は覆われて、それは美しい姿を見せてくれます。
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スペイン広場の階段を上り、トリニタ・デイ・モンティ教会に向かって右手側の三叉路の中央に立つ建物です。16世紀に活躍したマニエリスム画家・建築家フェデリコ・ツッカリの屋敷でした。ツッカリはヴァザーリの死により未完のままとなっていたフィレンツェのドォーモのクーポラのフレスコ画を完成させた人でもあります。残念ながら修復工事中でした。
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1994年にローマを旅した時の写真ですが、囲いが無いとこんな感じです。澁澤龍彦を追い求めて行ったボマルツォのオルシーニ家のパルコ・ディ・モストリの怪物たちを思い出させます。
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美しいバロック様式のデザインですが発想が奇抜すぎます。一度見たら絶対に一生忘れられません。
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ローマの駆け足の観光は「トレヴィの泉」で終わりです。元々は古代ローマ時代に皇帝アウグストゥスが造らせたもので、ヴィルゴ水道の終端施設としての人工の泉でした。その後教皇クレメンス12世の命によりローマの建築家ニコラ・サルヴィの設計で改造が始まり、彼の没後の1762年に完成します。ローマにある数ある噴水の中でも最も巨大なバロック時代の人工の泉(噴水)です。
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後ろ向きにコインを泉へ投げ入れると願いが叶うという言い伝えがあり、投げるコインの枚数によって願いが違います。コイン1枚だと再びローマに来ることができ、2枚では大切な人と永遠に一緒にいることができ、3枚になると恋人や夫・妻と別れることができると言われます。3回目のローマに一緒に来たガールフレンドとは3週間の旅の終わりと同時に会わなくなったので願いは叶いますのでご注意を。
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子供の頃よく行った豊島園のプールを思い出しました。1日に何回かお客を全員水から出して、係員が水中の安全確認をしている時がこんな感じだったからだと思います。
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テルミニ駅に戻りナポリ行きのチケットを購入して、荷物をピックアップします。前日の夕方に成田を出たままローマを観光して、これからナポリに移動です。妻と甥はようやく一日が終わったような顔をしていますがまだこれからです。「ローマは一にして成らず。」とはよく言ったものです。まだ夜のナポリ観光が待っています。
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