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中国最後の王朝となった清朝発祥の地、瀋陽故宮紹介の続きです。

2009春、中国旅行記15(3/24):4月22日(3):瀋陽、瀋陽故宮、中路、崇政殿、日時計、容積原器

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2009/04/22 - 2009/04/25

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旅行記グループ 2009春、中国旅行記16

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旅人のくまさん

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中国最後の王朝となった清朝発祥の地、瀋陽故宮紹介の続きです。

交通手段
観光バス
  • 『崇政殿』とその周りの建物矩形の紹介の続きです。松の木越しに眺めた、『崇政殿』の甍の光景です。

    『崇政殿』とその周りの建物矩形の紹介の続きです。松の木越しに眺めた、『崇政殿』の甍の光景です。

  • 甍の先端に並んだ魔除けのアップ光景です。一番前が鳥に乗った人物、動物たちが5頭と、殿軍が一際大きな龍です。

    甍の先端に並んだ魔除けのアップ光景です。一番前が鳥に乗った人物、動物たちが5頭と、殿軍が一際大きな龍です。

  • 焼物で出来た防火用水の光景です。前に粗油回した防火用水の焼物は龍の絵柄でしたが、こちらは花鳥図でした。

    焼物で出来た防火用水の光景です。前に粗油回した防火用水の焼物は龍の絵柄でしたが、こちらは花鳥図でした。

  • 『崇政殿』の前にあった石造の建築物の光景です。灯楼などとは異なる構造をしていました。貴重な品らしく、周りを鉄柵で囲ってありました。

    『崇政殿』の前にあった石造の建築物の光景です。灯楼などとは異なる構造をしていました。貴重な品らしく、周りを鉄柵で囲ってありました。

  • 別の角度から見た石造の建築物の光景です。日時計でした。1746〜1748年(乾?11年〜13年)頃に行われた、崇政殿と宮殿中路の増改築の際に置かれたとされます。秦始皇帝が天下統一後に度量衡を統一した故事に倣う、国家統一のシンボルです。

    別の角度から見た石造の建築物の光景です。日時計でした。1746〜1748年(乾?11年〜13年)頃に行われた、崇政殿と宮殿中路の増改築の際に置かれたとされます。秦始皇帝が天下統一後に度量衡を統一した故事に倣う、国家統一のシンボルです。

  • 日本で例えれば、石燈籠の光景ですが、容積の原器とされる『嘉量』と呼ばれるものです。日時計と並んで中国の国家の統一と皇帝の権威を象徴する品とされます。

    日本で例えれば、石燈籠の光景ですが、容積の原器とされる『嘉量』と呼ばれるものです。日時計と並んで中国の国家の統一と皇帝の権威を象徴する品とされます。

  • 中国皇帝のシンボル、龍のレリーフ像です。上下2つに分けて焼成されていました。2頭でしょうか。

    中国皇帝のシンボル、龍のレリーフ像です。上下2つに分けて焼成されていました。2頭でしょうか。

  • 龍の下には唐獅子がいました。唐獅子と呼んだのは、日本の国宝である狩野永徳筆の『唐獅子図屏風』の獅子とそっくりだったためです。

    龍の下には唐獅子がいました。唐獅子と呼んだのは、日本の国宝である狩野永徳筆の『唐獅子図屏風』の獅子とそっくりだったためです。

  • 『崇政殿』の説明看板です。『盛京皇宮正殿』の正式名と、通称も紹介されていました。天聡年間(1627〜1635年)に完成し、崇?元年(1636年)、正式に崇政殿と命名されました。

    『崇政殿』の説明看板です。『盛京皇宮正殿』の正式名と、通称も紹介されていました。天聡年間(1627〜1635年)に完成し、崇?元年(1636年)、正式に崇政殿と命名されました。

  • 風化が進んで、ほとんど判別が付きませんが、『崇政殿』の石像のレリーフの紹介です。北京の紫禁城などでは、輿に乗った皇帝が通る場所とされます。

    風化が進んで、ほとんど判別が付きませんが、『崇政殿』の石像のレリーフの紹介です。北京の紫禁城などでは、輿に乗った皇帝が通る場所とされます。

  • 判別が付かないレリーフ像ですが、雲竜図が刻まれているようです。

    判別が付かないレリーフ像ですが、雲竜図が刻まれているようです。

  • 同じく、雲竜図が刻まれていると思われる石段中央のレリーフの光景です。周りが鉄柵で囲われ、立ち入り禁止になっていました。

    同じく、雲竜図が刻まれていると思われる石段中央のレリーフの光景です。周りが鉄柵で囲われ、立ち入り禁止になっていました。

  • 『崇政殿宝座』と呼ばれる玉座の光景です。天空を舞う二匹の龍が巻き付いた柱が左右上部に見えています。

    『崇政殿宝座』と呼ばれる玉座の光景です。天空を舞う二匹の龍が巻き付いた柱が左右上部に見えています。

  • 『崇政殿』の周りの手摺などのアップ光景です。風化した石材がそのまま残されていました。草木等の文様があるようですが、はっきりしませんでした。

    『崇政殿』の周りの手摺などのアップ光景です。風化した石材がそのまま残されていました。草木等の文様があるようですが、はっきりしませんでした。

  • 『崇政殿』の周りの手摺のアップ光景です。文様の一部は、草木紋のようです。縦に入ったひび割れは深刻に見えます。

    『崇政殿』の周りの手摺のアップ光景です。文様の一部は、草木紋のようです。縦に入ったひび割れは深刻に見えます。

  • 同じく、『崇政殿』の周りの手摺のアップ光景です。雲竜紋を中心に、周りには唐草文様がありました。

    同じく、『崇政殿』の周りの手摺のアップ光景です。雲竜紋を中心に、周りには唐草文様がありました。

  • 風化が進み、顔も判別付かなくなってしまった獅子像です。風化し易い石材が使われていたのかも知れません。

    風化が進み、顔も判別付かなくなってしまった獅子像です。風化し易い石材が使われていたのかも知れません。

  • 『崇政殿』の正門に向かって左手方面の屋根上光景です。大棟の左右には、鴟吻(しふん)と呼ばれる神獣が置かれ、軒先には魔除けの置物があります。

    『崇政殿』の正門に向かって左手方面の屋根上光景です。大棟の左右には、鴟吻(しふん)と呼ばれる神獣が置かれ、軒先には魔除けの置物があります。

  • 雨水の排水施設の龍頭のようです。口から雨水を吐き出す龍は絵になります。中国では、各所で見かけた光景です。

    雨水の排水施設の龍頭のようです。口から雨水を吐き出す龍は絵になります。中国では、各所で見かけた光景です。

  • 出入口から眺めた周り建物と庭の光景です。庭には新緑の光景がありました。

    出入口から眺めた周り建物と庭の光景です。庭には新緑の光景がありました。

  • 扁額は掛かっていなかった小さな門の光景です。反対側に懸かっているのかも知れません。木造部分のベンガラ色や緑色が、分厚く塗り重ねられて補修されていました。

    扁額は掛かっていなかった小さな門の光景です。反対側に懸かっているのかも知れません。木造部分のベンガラ色や緑色が、分厚く塗り重ねられて補修されていました。

  • 建物の名前が分からなかった、黒いレンガ積の破風を持った建物光景です。平面図を参照すれば、霞綺楼当たりの建物になります。

    建物の名前が分からなかった、黒いレンガ積の破風を持った建物光景です。平面図を参照すれば、霞綺楼当たりの建物になります。

  • 『東掖門』の扁額が懸かった建物光景です。『西掖門』と対になった建物のようです。現地ガイドさんを先頭に団体行動です。

    『東掖門』の扁額が懸かった建物光景です。『西掖門』と対になった建物のようです。現地ガイドさんを先頭に団体行動です。

  • 『東掖門』の扁額のアップ光景です。『東掖門』と同じように、右側に満州文字がありました。当然ながら、『掖門』に相当する文字は『西掖門』の場合と同じでした。それぞれ漢字1文字に相当する満州文字でした。『掖門』は、宮殿・神社・寺院などの主要な門の脇にある小さな門のことです。旁門や脇門とも呼ばれます。

    『東掖門』の扁額のアップ光景です。『東掖門』と同じように、右側に満州文字がありました。当然ながら、『掖門』に相当する文字は『西掖門』の場合と同じでした。それぞれ漢字1文字に相当する満州文字でした。『掖門』は、宮殿・神社・寺院などの主要な門の脇にある小さな門のことです。旁門や脇門とも呼ばれます。

  • 『左翊門』の文字が記された古い扁額のアップ光景です。『翊』の音読みは『よく』、鳥の飛ぶさまなどの意味があります。

    『左翊門』の文字が記された古い扁額のアップ光景です。『翊』の音読みは『よく』、鳥の飛ぶさまなどの意味があります。

  • 『左翊門』の建物のコーナー部分の光景です。緑やベンガラ色に彩色された木造建築でした。色等にもそれぞれの籠められた約束事や願いがあるようです。

    『左翊門』の建物のコーナー部分の光景です。緑やベンガラ色に彩色された木造建築でした。色等にもそれぞれの籠められた約束事や願いがあるようです。

  • 軒先と、その上に置かれた魔除けの動物達の光景です。動物達の頭の上には、避雷のための銅線がありました。

    軒先と、その上に置かれた魔除けの動物達の光景です。動物達の頭の上には、避雷のための銅線がありました。

  • 同じく、屋根の端のアップ光景です。大屋根の端にある鬼瓦の位置には、鋭い嘴を持った鳥の様な動物がいました。

    同じく、屋根の端のアップ光景です。大屋根の端にある鬼瓦の位置には、鋭い嘴を持った鳥の様な動物がいました。

  • 修復されて間がない建物でしょうか、鮮やかなベンガラ色の破風辺りの塗装でした。避雷設備も整備されていました。

    修復されて間がない建物でしょうか、鮮やかなベンガラ色の破風辺りの塗装でした。避雷設備も整備されていました。

  • 1階建の建物光景です。中央付近に大砲の光景がありました。日本で例えれば、「明治の大砲』でしょうか。

    1階建の建物光景です。中央付近に大砲の光景がありました。日本で例えれば、「明治の大砲』でしょうか。

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