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乃木将軍とステッセル将軍の会見場となった水師営の紹介です。当時のセピアの写真が展示してありました。

2009春、中国旅行記15(17/24):4月24日(2):大連、水師営会見所、日露戦争当時のセピアの写真

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2009/04/22 - 2009/04/25

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旅行記グループ 2009春、中国旅行記16

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

乃木将軍とステッセル将軍の会見場となった水師営の紹介です。当時のセピアの写真が展示してありました。

交通手段
観光バス
  • 水師営の会見所に掲示してあったセピアの記念写真です。元はセピア色だったでしょうが、新しく焼直された白黒写真でした。

    水師営の会見所に掲示してあったセピアの記念写真です。元はセピア色だったでしょうが、新しく焼直された白黒写真でした。

  • この場所で行われた、旅順停戦条約(1905年)の記念撮影です。中央左が乃木希典大将、右がアナトーリイ・ステッセル中将です。写真の下に会見室の看板がありました。

    この場所で行われた、旅順停戦条約(1905年)の記念撮影です。中央左が乃木希典大将、右がアナトーリイ・ステッセル中将です。写真の下に会見室の看板がありました。

  • 水師営の厦意見書のことを説明して戴いた現地ガイドさんです。この場所で会見が行われたのは1905年1月15日、現在の建物は1996年に復元されたものです。

    水師営の厦意見書のことを説明して戴いた現地ガイドさんです。この場所で会見が行われたのは1905年1月15日、現在の建物は1996年に復元されたものです。

  • 会見室の食器戸棚の光景です。レプリカが造られることはないでしょうから、当時の品か、あるいは同時代の陶磁器類を集めたもののようです。

    会見室の食器戸棚の光景です。レプリカが造られることはないでしょうから、当時の品か、あるいは同時代の陶磁器類を集めたもののようです。

  • 食器戸棚の一番上のアップ光景です。赤絵と青絵の大皿と、青絵の徳利が展示いてありました。

    食器戸棚の一番上のアップ光景です。赤絵と青絵の大皿と、青絵の徳利が展示いてありました。

  • 天井の光景です。写真に残されていたのでしょうか、あるいは近所の類似の建物を参考にしたのでしょうか、萱葺きでした。

    天井の光景です。写真に残されていたのでしょうか、あるいは近所の類似の建物を参考にしたのでしょうか、萱葺きでした。

  • 会見所のテーブルと椅子の光景です。写真等を基に、当時の施設が再現されたもののようです。元々は農家の建物とされる会見所です。

    会見所のテーブルと椅子の光景です。写真等を基に、当時の施設が再現されたもののようです。元々は農家の建物とされる会見所です。

  • 会見室の古い看板です。オリジナルの看板か、レプリカか判断付きませんでした。

    会見室の古い看板です。オリジナルの看板か、レプリカか判断付きませんでした。

  • 昔は日本でもよく使われていたノップ式の屋内配線です。ノップ碍子に被覆電線をバインドで留めて配線するものです。水師営会見所では、当時の建物を再現するために使用されていたようです。

    昔は日本でもよく使われていたノップ式の屋内配線です。ノップ碍子に被覆電線をバインドで留めて配線するものです。水師営会見所では、当時の建物を再現するために使用されていたようです。

  • 同じく、柱に碍子を取付けたノップ配線の光景です。日本では特別の場合を除いて、新規に使用されることはありませんが、禁止されたわけではなく、配線を行う基準等はまだ残されています。

    同じく、柱に碍子を取付けたノップ配線の光景です。日本では特別の場合を除いて、新規に使用されることはありませんが、禁止されたわけではなく、配線を行う基準等はまだ残されています。

  • 水師営の会見所址の壁に貼られていたセピア写真を纏めて紹介します。最初は、『在白玉山上修建納骨祠』のタイトルのセピア写真です。白玉山は旅順港の近くにある高さ130メートルの山です。

    水師営の会見所址の壁に貼られていたセピア写真を纏めて紹介します。最初は、『在白玉山上修建納骨祠』のタイトルのセピア写真です。白玉山は旅順港の近くにある高さ130メートルの山です。

  • 『在白玉山西側建港口閉塞石碑』のタイトルのセピア写真です。日露戦争中に日本軍が行った旅順港閉鎖の作戦を記念した石碑でしょうか。三次に渡った作戦は、ロシア軍の反撃に遭い、いずれも失敗しました。

    『在白玉山西側建港口閉塞石碑』のタイトルのセピア写真です。日露戦争中に日本軍が行った旅順港閉鎖の作戦を記念した石碑でしょうか。三次に渡った作戦は、ロシア軍の反撃に遭い、いずれも失敗しました。

  • 『在鳳凰山頂立石碑』のタイトルのセピア写真です。鳳凰山頂に建てられた石碑の光景です。鳳凰城には、満州軍総司令官の大山巌大将の大本営があったようです。

    『在鳳凰山頂立石碑』のタイトルのセピア写真です。鳳凰山頂に建てられた石碑の光景です。鳳凰城には、満州軍総司令官の大山巌大将の大本営があったようです。

  • 『水師営会見所旧址』のタイトルのセピア写真です。旅順軍港攻防戦の停戦条約が締結された会見が行われたのは、日露戦争中の1905年1月15日のことです。この写真が撮影されたのは、それから相当の日時が経ってからのようです。

    『水師営会見所旧址』のタイトルのセピア写真です。旅順軍港攻防戦の停戦条約が締結された会見が行われたのは、日露戦争中の1905年1月15日のことです。この写真が撮影されたのは、それから相当の日時が経ってからのようです。

  • 『1904年2月8日夜、日本艦陣突然装缶旅順沙俄艦陣、日俄戦争爆発』のタイトルのセピア写真です。日露の会戦が勃発した当時の写真のようです。

    『1904年2月8日夜、日本艦陣突然装缶旅順沙俄艦陣、日俄戦争爆発』のタイトルのセピア写真です。日露の会戦が勃発した当時の写真のようです。

  • 『俄軍戦争前的旅順口全景』のタイトルのセピア写真です。戦争前の旅順口の光景です。『俄軍』は、『ロシア軍』のことです。

    『俄軍戦争前的旅順口全景』のタイトルのセピア写真です。戦争前の旅順口の光景です。『俄軍』は、『ロシア軍』のことです。

  • 『沙俄軍艦在旅順構内』のタイトルのセピア写真です。旅順構内に停泊したロシア軍艦の光景です。

    『沙俄軍艦在旅順構内』のタイトルのセピア写真です。旅順構内に停泊したロシア軍艦の光景です。

  • 『沙俄要塞指令●特塞●去会見所途中』のタイトルのセピア写真です。会見所に向かうロシア軍の馬列のようです。

    『沙俄要塞指令●特塞●去会見所途中』のタイトルのセピア写真です。会見所に向かうロシア軍の馬列のようです。

  • 『俄軍代表選入水師営会見所』のタイトルのセピア写真です。会見前後はイギリス人によって活動写真に撮られましたが、会見の模様は撮影されていません。その理由は、敗将ステッセルを写すのは、武士の情けで忍びないと言って、乃木大将が写させなかったためです。会見所に入るロシア軍の代表です。記録では4名とされるようです。

    『俄軍代表選入水師営会見所』のタイトルのセピア写真です。会見前後はイギリス人によって活動写真に撮られましたが、会見の模様は撮影されていません。その理由は、敗将ステッセルを写すのは、武士の情けで忍びないと言って、乃木大将が写させなかったためです。会見所に入るロシア軍の代表です。記録では4名とされるようです。

  • 『民房被炸毀』のタイトルのセピア写真です。爆撃された民家のようです。

    『民房被炸毀』のタイトルのセピア写真です。爆撃された民家のようです。

  • 『●城子鉄橋被炸毀』のタイトルのセピア写真です。鉄橋爆破事件でしょうか。1931年9月18日の満州・奉天郊外の柳条湖で南満州鉄道が爆破された柳条湖事件か、1937年7月7日に起きた北京郊外の盧溝橋事件のどちらかのようです。

    『●城子鉄橋被炸毀』のタイトルのセピア写真です。鉄橋爆破事件でしょうか。1931年9月18日の満州・奉天郊外の柳条湖で南満州鉄道が爆破された柳条湖事件か、1937年7月7日に起きた北京郊外の盧溝橋事件のどちらかのようです。

  • 『無●百姓被日軍殺害』のタイトルのセピア写真です。無実とされる(中国人の)お百姓さんが日本兵によって処刑される場面のようです。日付は分かりません。

    『無●百姓被日軍殺害』のタイトルのセピア写真です。無実とされる(中国人の)お百姓さんが日本兵によって処刑される場面のようです。日付は分かりません。

  • 『村庄駐●大批日軍侵略軍』のタイトルのセピア写真です。日本が満州支配していた時代の写真のようです。

    『村庄駐●大批日軍侵略軍』のタイトルのセピア写真です。日本が満州支配していた時代の写真のようです。

  • 『戦後日本人在東鶏冠山北堡塁立碑』のタイトルのセピア写真です。日露戦争の戦後に建てられた日本の陣地に建てられた記念碑のようです。

    『戦後日本人在東鶏冠山北堡塁立碑』のタイトルのセピア写真です。日露戦争の戦後に建てられた日本の陣地に建てられた記念碑のようです。

  • 『在二〇三高地建子弾形塔』のタイトルのセピア写真です。実物を見学することができましたが、よくぞ撤去されずに残ったものだと、不思議な思いでした。

    『在二〇三高地建子弾形塔』のタイトルのセピア写真です。実物を見学することができましたが、よくぞ撤去されずに残ったものだと、不思議な思いでした。

  • 『日本280毫米榴弾炮陣地』のタイトルのセピア写真です。日本の280ミリ砲の陣地光景のようです。亡くなった吉村昭さんの小説で、日露戦争の戦況を変えた大砲として登場していました。

    『日本280毫米榴弾炮陣地』のタイトルのセピア写真です。日本の280ミリ砲の陣地光景のようです。亡くなった吉村昭さんの小説で、日露戦争の戦況を変えた大砲として登場していました。

  • 『在水師営会見所外的俄軍』のタイトルのセピア写真です。ステッセル将軍に随行したロシア将兵のようです。

    『在水師営会見所外的俄軍』のタイトルのセピア写真です。ステッセル将軍に随行したロシア将兵のようです。

  • 『12月29日日軍攻占二龍山堡塁』のタイトルのセピア写真です。

    『12月29日日軍攻占二龍山堡塁』のタイトルのセピア写真です。

  • 『1905年1月1日軍攻占望台炮台、俄軍戦敗投降』のタイトルのセピア写真です。ロシア軍が戦に破れて投降する場面のようです。

    『1905年1月1日軍攻占望台炮台、俄軍戦敗投降』のタイトルのセピア写真です。ロシア軍が戦に破れて投降する場面のようです。

  • 『俄軍在二〇三高地運彷兵』のタイトルのセピア写真です。日本軍の肉弾戦で大きな犠牲を払って攻略した203高地の戦闘光景のようです。

    『俄軍在二〇三高地運彷兵』のタイトルのセピア写真です。日本軍の肉弾戦で大きな犠牲を払って攻略した203高地の戦闘光景のようです。

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2009春、中国旅行記16

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