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<はじめに><br />2009年最初の海外旅行です。2005年から年8回と決めて、今年で5年目となりました。満州族の王朝、清朝の創成期の故宮、瀋陽故宮の紹介です。北京の紫禁城は1987年に世界文化遺産に登録されましたが、瀋陽の故宮は、明・清朝の皇宮群として、2004年に登録されました。<br />今回はツアーを利用しての旅行です。『瀋陽・旅順・大連4日間』のタイトルが付いていました。世界文化遺産の瀋陽故宮のほか、日露戦争の激戦地となった旅順・203高地や乃木大将とステッセル将軍の会見場となった水師営なども見学しました。<br /><br /><旅のあらまし><br />4月22日(水):出発、瀋陽国際空港まで直行便で、瀋陽故宮<br />瀋陽に到着後、最初に見学したのは、『北京と瀋陽の明・清王朝皇宮』として2004年に世界文化遺産に追加登録された、瀋陽故宮です。瀋陽故宮の初代主であるヌルハチの後を継いだ2代目のホンタイジは、1636年に玉璽を手に入れたことを機に、満州族・漢族・モンゴル族の三族から推戴を受けました。これにより、ヌルハチが創立した後金の国王から、皇帝となり、国号を大清と改めました。清朝(1637〜1912年)の始まりです。<br />瀋陽故宮は、北京の故宮と並んで、保存状態の良い後金時代の皇居とされます。ホンタイジ皇帝の時に首都が北京に移った後は、離宮として使われ盛京皇宮と呼ばれました。北京故宮の紫禁城と比べますと規模は12分の1程と小さいものの、十分に歴史を感じさせる建物群でした。<br />4月23日(木):瀋陽、昭陵<br />旅行2日目です。昨晩は、ホテルへのチェックインの後、ホテル近くを少しだけ散策しました。翌朝も食事前に、付近を散策しました。表通りは近代ビルが立ち並ぶものの、裏通りは廃墟のような建物が残り、格差が際立っていました。<br />今日の見学は、2000年に世界文化遺産に登録され、2003年と2004年に拡張された、『明・清王朝の皇帝墓群』の内、後金二代目王で、清朝の初代皇帝の、ホンタイジとその妃の孝文端皇后の陵墓の『昭陵』の見学です。瀋陽市の北部にあることから、『北陵』とも呼ばれます。ホンタイジが死去した1643年(崇徳8年)に着工され、完成したのは順治8年(1651年)のことでした。<br />昭陵は、参道と祀りを執り行う建物が四角形の城壁で囲まれた方城と、皇帝が埋葬されている円丘を囲む円い城壁の宝城から構成されています。墳墓の上の1本の樹が印象的な王陵でした。<br />瀋陽での二個所の世界遺産の見学を終え、昼食の後、特急列車で大連に向かいました。瀋陽〜大連間はちょうど400キロ、特急ですと約4時間の列車の旅ですが、急行ですと6時間ほどかかります。いわゆる満鉄での旅を楽しみ、まだ明るい18時頃に大連に到着しました。大連でも2泊です。<br />4月24日(金):大連、203高地、水師営<br />大連に2泊し、今日は日露戦争時の激戦地、203高地と、水師営の見学です。生憎の雨模様となりましたが、私の場合、旅には雨もまたよしです。<br />雨で煙る203高地には、復元されたらしい当時の大砲が今も睨みを利かし、旧日本軍が築いた記念碑も取り壊されずに残されていました。また、乃木将軍とステッセル将軍の会見場となった水師営には、当時のセピアの写真が展示してありました。<br />大連市内では市電に乗車したほか、旧満鉄本社、中山広場、星海広場や星海公園等を見学しました。大連港はビルの屋上から見学しました。<br />夜はオプショナルの大連雑技を鑑賞しました。大きな劇場ではなく、同じ高さの目線で観劇できる高層ビル内の広間でした。<br />4月25日(土)<br />早朝の帰国です。大連の国際空港を8時5分発のCZ619便での出発のため、6時にはホテルを出発しました。ホテルのレストランは開いていない時間帯でしたから、朝食は弁当を用意して戴きました。約2時間10分のフライトでセントレア国際空港に到着しました。16回目の中国旅行でしたが、かつて満州と呼ばれた東北地方の旅行は初めてでした。<br /><br /><中国旅行記一覧><br />これまでに作成した中国旅行記一覧です。<br />中国旅行記1(1997年6月):西安と上海を訪ねて<br />中国旅行記2(2001年1月):北京、万里の長城を訪ねて <br />中国旅行記3(2002年6月):香港、桂林を訪ねて <br />中国旅行記4(2003年10月):九寨溝、黄龍を訪ねて <br />中国旅行記5(2004年10月):ホームステイ上海、杭州の旅 <br />中国旅行記6(2005年2月):新年好!上海・2005、朱家角の旅 <br />中国旅行記7(2005年4月):龍勝、桂林、広州の旅 <br />中国旅行記8(2006年1月):新年好!in上海・2006の旅 <br />中国旅行記9(2006年6月):雲南省、香格里拉、麗江古城の旅 <br />中国旅行記10(2006年9月):山西省、雲岡石窟、平遥古城の旅 <br />中国旅行記11(2006年12月):青島直行、第1便の旅 <br />中国旅行記12(2007年2月):新年好!in上海2007  <br />中国旅行記13(2008年2月):マカオの世界遺産巡りの旅 <br />中国旅行記14(2008年9月):江南地方を巡る旅 <br />中国旅行記15(2008年11月):北京の世界遺産巡りの旅  <br />

2009春、中国旅行記15(1/24):4月22日(1):セントレア出発、瀋陽へ

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2009/04/22 - 2009/04/25

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旅行記グループ 2009春、中国旅行記16

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

<はじめに>
2009年最初の海外旅行です。2005年から年8回と決めて、今年で5年目となりました。満州族の王朝、清朝の創成期の故宮、瀋陽故宮の紹介です。北京の紫禁城は1987年に世界文化遺産に登録されましたが、瀋陽の故宮は、明・清朝の皇宮群として、2004年に登録されました。
今回はツアーを利用しての旅行です。『瀋陽・旅順・大連4日間』のタイトルが付いていました。世界文化遺産の瀋陽故宮のほか、日露戦争の激戦地となった旅順・203高地や乃木大将とステッセル将軍の会見場となった水師営なども見学しました。

<旅のあらまし>
4月22日(水):出発、瀋陽国際空港まで直行便で、瀋陽故宮
瀋陽に到着後、最初に見学したのは、『北京と瀋陽の明・清王朝皇宮』として2004年に世界文化遺産に追加登録された、瀋陽故宮です。瀋陽故宮の初代主であるヌルハチの後を継いだ2代目のホンタイジは、1636年に玉璽を手に入れたことを機に、満州族・漢族・モンゴル族の三族から推戴を受けました。これにより、ヌルハチが創立した後金の国王から、皇帝となり、国号を大清と改めました。清朝(1637〜1912年)の始まりです。
瀋陽故宮は、北京の故宮と並んで、保存状態の良い後金時代の皇居とされます。ホンタイジ皇帝の時に首都が北京に移った後は、離宮として使われ盛京皇宮と呼ばれました。北京故宮の紫禁城と比べますと規模は12分の1程と小さいものの、十分に歴史を感じさせる建物群でした。
4月23日(木):瀋陽、昭陵
旅行2日目です。昨晩は、ホテルへのチェックインの後、ホテル近くを少しだけ散策しました。翌朝も食事前に、付近を散策しました。表通りは近代ビルが立ち並ぶものの、裏通りは廃墟のような建物が残り、格差が際立っていました。
今日の見学は、2000年に世界文化遺産に登録され、2003年と2004年に拡張された、『明・清王朝の皇帝墓群』の内、後金二代目王で、清朝の初代皇帝の、ホンタイジとその妃の孝文端皇后の陵墓の『昭陵』の見学です。瀋陽市の北部にあることから、『北陵』とも呼ばれます。ホンタイジが死去した1643年(崇徳8年)に着工され、完成したのは順治8年(1651年)のことでした。
昭陵は、参道と祀りを執り行う建物が四角形の城壁で囲まれた方城と、皇帝が埋葬されている円丘を囲む円い城壁の宝城から構成されています。墳墓の上の1本の樹が印象的な王陵でした。
瀋陽での二個所の世界遺産の見学を終え、昼食の後、特急列車で大連に向かいました。瀋陽〜大連間はちょうど400キロ、特急ですと約4時間の列車の旅ですが、急行ですと6時間ほどかかります。いわゆる満鉄での旅を楽しみ、まだ明るい18時頃に大連に到着しました。大連でも2泊です。
4月24日(金):大連、203高地、水師営
大連に2泊し、今日は日露戦争時の激戦地、203高地と、水師営の見学です。生憎の雨模様となりましたが、私の場合、旅には雨もまたよしです。
雨で煙る203高地には、復元されたらしい当時の大砲が今も睨みを利かし、旧日本軍が築いた記念碑も取り壊されずに残されていました。また、乃木将軍とステッセル将軍の会見場となった水師営には、当時のセピアの写真が展示してありました。
大連市内では市電に乗車したほか、旧満鉄本社、中山広場、星海広場や星海公園等を見学しました。大連港はビルの屋上から見学しました。
夜はオプショナルの大連雑技を鑑賞しました。大きな劇場ではなく、同じ高さの目線で観劇できる高層ビル内の広間でした。
4月25日(土)
早朝の帰国です。大連の国際空港を8時5分発のCZ619便での出発のため、6時にはホテルを出発しました。ホテルのレストランは開いていない時間帯でしたから、朝食は弁当を用意して戴きました。約2時間10分のフライトでセントレア国際空港に到着しました。16回目の中国旅行でしたが、かつて満州と呼ばれた東北地方の旅行は初めてでした。

<中国旅行記一覧>
これまでに作成した中国旅行記一覧です。
中国旅行記1(1997年6月):西安と上海を訪ねて
中国旅行記2(2001年1月):北京、万里の長城を訪ねて 
中国旅行記3(2002年6月):香港、桂林を訪ねて 
中国旅行記4(2003年10月):九寨溝、黄龍を訪ねて 
中国旅行記5(2004年10月):ホームステイ上海、杭州の旅 
中国旅行記6(2005年2月):新年好!上海・2005、朱家角の旅 
中国旅行記7(2005年4月):龍勝、桂林、広州の旅 
中国旅行記8(2006年1月):新年好!in上海・2006の旅 
中国旅行記9(2006年6月):雲南省、香格里拉、麗江古城の旅 
中国旅行記10(2006年9月):山西省、雲岡石窟、平遥古城の旅 
中国旅行記11(2006年12月):青島直行、第1便の旅 
中国旅行記12(2007年2月):新年好!in上海2007  
中国旅行記13(2008年2月):マカオの世界遺産巡りの旅 
中国旅行記14(2008年9月):江南地方を巡る旅 
中国旅行記15(2008年11月):北京の世界遺産巡りの旅 

交通手段
観光バス
航空会社
中国南方航空
  • スカイデッキから眺めた、セントレア国際空港の滑走路の光景です。コンチネンタル航空機が到着しました。<br /><br />(注)コンチネンタル航空は、2012年3月にアメリカのユナイテッド航空に完全統合されて消滅しました。<br />

    スカイデッキから眺めた、セントレア国際空港の滑走路の光景です。コンチネンタル航空機が到着しました。

    (注)コンチネンタル航空は、2012年3月にアメリカのユナイテッド航空に完全統合されて消滅しました。

  • 同じく、スカイデッキの先端から眺めた、セントレア国際空港の滑走路の光景です。中型機が伊勢湾上空に飛び去って行きました。

    同じく、スカイデッキの先端から眺めた、セントレア国際空港の滑走路の光景です。中型機が伊勢湾上空に飛び去って行きました。

  • 機体にドリーム・リフターの文字があった、少しずんぐりとした飛行機です。ボーイング社の最新鋭機ボーイング787の主翼や胴体の一部など、組立て前のパーツを運ぶための世界最大級の運搬用輸送機とされます。

    機体にドリーム・リフターの文字があった、少しずんぐりとした飛行機です。ボーイング社の最新鋭機ボーイング787の主翼や胴体の一部など、組立て前のパーツを運ぶための世界最大級の運搬用輸送機とされます。

  • セントレア国際空港の管制塔の光景です。今回の中国・東北地方への旅行は13時10分発の便での出発ですから、暫く暇を潰しました。

    セントレア国際空港の管制塔の光景です。今回の中国・東北地方への旅行は13時10分発の便での出発ですから、暫く暇を潰しました。

  • 2つ並んだ鉄塔はアンテナ用のようです。右は棒状の垂直アンテナでしょうか、左手は赤い部分が回転するレーダーのようです。

    2つ並んだ鉄塔はアンテナ用のようです。右は棒状の垂直アンテナでしょうか、左手は赤い部分が回転するレーダーのようです。

  • 韓国のアシアナ航空機の尾翼です。定期便がありますので、いつも見かける機体です。時々搭乗し、マイレージも貯めています。

    韓国のアシアナ航空機の尾翼です。定期便がありますので、いつも見かける機体です。時々搭乗し、マイレージも貯めています。

  • 青地に赤い花柄模様の尾翼は、中国南方航空機です。広州国際空港をハブ空港としています。何度か搭乗したことがあります。今回の搭乗機です。

    青地に赤い花柄模様の尾翼は、中国南方航空機です。広州国際空港をハブ空港としています。何度か搭乗したことがあります。今回の搭乗機です。

  • 右奥に見える尾翼は既に紹介した韓国のアシアナ航空機、中央手前が台湾のチャイナ・エアライン・中華航空機です。台湾旅行の際にはよく利用します。今回搭乗した中国南方航空機は、その中間に駐機していました。

    右奥に見える尾翼は既に紹介した韓国のアシアナ航空機、中央手前が台湾のチャイナ・エアライン・中華航空機です。台湾旅行の際にはよく利用します。今回搭乗した中国南方航空機は、その中間に駐機していました。

  • 赤地に白い幾何学模様風の尾翼は、ノースウェスト機です。私にとっては印象の悪い航空会社でした。<br /><br />(注)デルタ航空と合併し、2010年1月に消滅しました。<br />

    赤地に白い幾何学模様風の尾翼は、ノースウェスト機です。私にとっては印象の悪い航空会社でした。

    (注)デルタ航空と合併し、2010年1月に消滅しました。

  • 定刻にセントレア国際空港を飛び立ち、瀋陽国際空港に到着しました。現地時刻は15時ですからほぼ定刻での到着でした。

    定刻にセントレア国際空港を飛び立ち、瀋陽国際空港に到着しました。現地時刻は15時ですからほぼ定刻での到着でした。

  • 瀋陽国際空港に到着した中国南方航空のCZ698便の中からの撮影です。セントレア国際空港から瀋陽国際空港までは週2回の定期便があります。

    瀋陽国際空港に到着した中国南方航空のCZ698便の中からの撮影です。セントレア国際空港から瀋陽国際空港までは週2回の定期便があります。

  • 同じく、初めて利用した瀋陽国際空港の屋外光景です。セントレアからは約2時間40分のフライトでした。

    同じく、初めて利用した瀋陽国際空港の屋外光景です。セントレアからは約2時間40分のフライトでした。

  • 瀋陽国際空港のターミナルビル内の光景です。現地集合、現地解散の旅ですから、ここで現地ガイドさんと落ち合いました。

    瀋陽国際空港のターミナルビル内の光景です。現地集合、現地解散の旅ですから、ここで現地ガイドさんと落ち合いました。

  • 文字が滲んで読み取り難い国際線到着便のボードです。シンガポール、ニュージーランド、ソウル、香港などの文字が何とか読み取れました。

    文字が滲んで読み取り難い国際線到着便のボードです。シンガポール、ニュージーランド、ソウル、香港などの文字が何とか読み取れました。

  • 待合室の光景です。全員が揃うまで、暫く待ちました。ネット検索ではヒットしませんでしたが、まだ新しい造りのターミナルビルでした。

    待合室の光景です。全員が揃うまで、暫く待ちました。ネット検索ではヒットしませんでしたが、まだ新しい造りのターミナルビルでした。

  • 全員が揃ったようです。現地スルーガイドさんが名簿で最終確認されました。総勢14名のツアーグループになりました。

    全員が揃ったようです。現地スルーガイドさんが名簿で最終確認されました。総勢14名のツアーグループになりました。

  • 手元に中国元を用意していましたから、外貨両替の必要はありませんでしたが、参考にターミナルビル内の銀行を撮影しておきました。中国銀行です。北京に本店を置く、中国第2位の大手銀行です。

    手元に中国元を用意していましたから、外貨両替の必要はありませんでしたが、参考にターミナルビル内の銀行を撮影しておきました。中国銀行です。北京に本店を置く、中国第2位の大手銀行です。

  • 瀋陽国際空港のバス乗場付近の光景です。空港は、瀋陽市内からはタクシーで40〜50分、南西30キロほどに位置します。リムジンバスが、馬路湾(太原街)との間を往復しているようです。

    瀋陽国際空港のバス乗場付近の光景です。空港は、瀋陽市内からはタクシーで40〜50分、南西30キロほどに位置します。リムジンバスが、馬路湾(太原街)との間を往復しているようです。

  • 今度はカメラアングルを横にしての同じ場所からの撮影です。バスが停まっているのは左側、それが右側のガラスに写り込んでいました。

    今度はカメラアングルを横にしての同じ場所からの撮影です。バスが停まっているのは左側、それが右側のガラスに写り込んでいました。

  • 瀋陽国際空港のターミナルビルの側面光景です。旗を持った現地ガイドさんの先導で、迎えのバスの駐車場所まで移動です。

    瀋陽国際空港のターミナルビルの側面光景です。旗を持った現地ガイドさんの先導で、迎えのバスの駐車場所まで移動です。

  • 壁面が総ガラス張りの瀋陽国際空港のターミナルビルの光景です。正式名称は、瀋陽桃仙国際空港です。中国語表記では空港が機場となります。

    壁面が総ガラス張りの瀋陽国際空港のターミナルビルの光景です。正式名称は、瀋陽桃仙国際空港です。中国語表記では空港が機場となります。

  • 瀋陽国際空港のターミナルビルの紹介を続けます。瀋陽市は人口810万人ほど、中国の東北地方最大の都市にある国際空港です。

    瀋陽国際空港のターミナルビルの紹介を続けます。瀋陽市は人口810万人ほど、中国の東北地方最大の都市にある国際空港です。

  • 少し離れた場所から撮影した瀋陽国際空港のターミナルビルの光景です。手前にキノコのような屋根を持った建物が並んでいました。

    少し離れた場所から撮影した瀋陽国際空港のターミナルビルの光景です。手前にキノコのような屋根を持った建物が並んでいました。

  • 全員が揃ったところで、迎えのバスが停まっている場所まで歩いて移動することになりました。

    全員が揃ったところで、迎えのバスが停まっている場所まで歩いて移動することになりました。

  • 迎えのバスが駐車していた場所です。全員が揃ったところで早速瀋陽市内の車窓観光です。ところが、予定変更で翌日の見学予定の瀋陽故宮に向かいました。壁には昨年終わった北京五輪の看板が残っていました。

    迎えのバスが駐車していた場所です。全員が揃ったところで早速瀋陽市内の車窓観光です。ところが、予定変更で翌日の見学予定の瀋陽故宮に向かいました。壁には昨年終わった北京五輪の看板が残っていました。

  • 車窓からの瀋陽市内の観光です。現地時刻は16時少し過ぎです。ソロソロ夕方の交通ラッシュが始まりそうでした。

    車窓からの瀋陽市内の観光です。現地時刻は16時少し過ぎです。ソロソロ夕方の交通ラッシュが始まりそうでした。

  • 同じく、車窓から眺めた瀋陽の繁華街光景です。左手の建設工事中のビルには、『沈陽商業航母』の垂れ幕がありました。『沈陽』は「瀋陽」と同義のようです。商業拠点を目指すビルの宣伝文句のようでした。

    同じく、車窓から眺めた瀋陽の繁華街光景です。左手の建設工事中のビルには、『沈陽商業航母』の垂れ幕がありました。『沈陽』は「瀋陽」と同義のようです。商業拠点を目指すビルの宣伝文句のようでした。

  • 瀋陽故宮に到着です。『武功坊』の扁額が懸かった門が入口になっていました。漢字の上下には満州語の表記がありました。

    瀋陽故宮に到着です。『武功坊』の扁額が懸かった門が入口になっていました。漢字の上下には満州語の表記がありました。

  • カメラアングルを横にして、『武功坊』の門のアップ光景です。屋根瓦などは葺き替えられたようですが、木製の扁額や飾り板などは年代を感じさせました。

    カメラアングルを横にして、『武功坊』の門のアップ光景です。屋根瓦などは葺き替えられたようですが、木製の扁額や飾り板などは年代を感じさせました。

  • 大きな衝立の様な飾り壁の光景です。左側中央の文様は、白波の中に立つ白鷺と蓮の葉、白い花等がモチーフです。陶器製でしたから、その右後ろの壁の文様も相似形でした。

    大きな衝立の様な飾り壁の光景です。左側中央の文様は、白波の中に立つ白鷺と蓮の葉、白い花等がモチーフです。陶器製でしたから、その右後ろの壁の文様も相似形でした。

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2009春、中国旅行記16

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