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大連市内の紹介です。旧満鉄本社や中山広場を取り囲む歴史的建築物などです。中山広場の周りには、歴史的建造物と近代的な超高層ビルが併存していました。

2009春、中国旅行記15(20/24):4月24日(5):大連、旧満鉄本社、中山広場、旧大和ホテル、旧大連市役所

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2009/04/22 - 2009/04/25

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旅行記グループ 2009春、中国旅行記16

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旅人のくまさん

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大連市内の紹介です。旧満鉄本社や中山広場を取り囲む歴史的建築物などです。中山広場の周りには、歴史的建造物と近代的な超高層ビルが併存していました。

交通手段
観光バス
  • 旧南満鉄本社の玄関光景です。南満州鉄道株式会社は、日露戦争後の1906年(明治39年)に設立され、1945年(昭和20年)の第二次世界大戦の終結まで満州国に存在した日本の特殊会社です。通称、『満鉄』です。

    旧南満鉄本社の玄関光景です。南満州鉄道株式会社は、日露戦争後の1906年(明治39年)に設立され、1945年(昭和20年)の第二次世界大戦の終結まで満州国に存在した日本の特殊会社です。通称、『満鉄』です。

  • 旧南満鉄本社の正面光景です。『満鉄』は、鉄道時事業が主体ですが、極めて広範囲に亘る事業を展開し、日本帝国時代の満洲経営の中核となった国策会社です。

    旧南満鉄本社の正面光景です。『満鉄』は、鉄道時事業が主体ですが、極めて広範囲に亘る事業を展開し、日本帝国時代の満洲経営の中核となった国策会社です。

  • この旧満鉄本社ビルは、2代目とされます。『満鉄』は1907年(明治40年)に、本社が東京から露西亜町の『旧ダーリニー市役所』に移転し、初代の本社ビルとなりました。その後、1908年(明治41年)に竣工したこの建物が2代目本社ビルとなりました。

    この旧満鉄本社ビルは、2代目とされます。『満鉄』は1907年(明治40年)に、本社が東京から露西亜町の『旧ダーリニー市役所』に移転し、初代の本社ビルとなりました。その後、1908年(明治41年)に竣工したこの建物が2代目本社ビルとなりました。

  • 二階部分のアップ光景です。コリント様式の柱などに、白大理石が使われているような風合いです。

    二階部分のアップ光景です。コリント様式の柱などに、白大理石が使われているような風合いです。

  • 旧満州鉄道時代の石碑ではなく、現在の建物用の表札です。『大連鉄路弁事処』の文字がありました。南満州鉄道本社から業務を引き継いだ会社のようです。

    旧満州鉄道時代の石碑ではなく、現在の建物用の表札です。『大連鉄路弁事処』の文字がありました。南満州鉄道本社から業務を引き継いだ会社のようです。

  • 玄関の右手方面の建物光景です。中央の社屋だけでは手狭だったため、両側の建物も譲り受け『別館』とされました。

    玄関の右手方面の建物光景です。中央の社屋だけでは手狭だったため、両側の建物も譲り受け『別館』とされました。

  • 旧満鉄本社の敷地内にあった大木です。新緑の時期となっていました。高いが所に黒っぽく見えるのは、カササギの巣でしょうか。

    旧満鉄本社の敷地内にあった大木です。新緑の時期となっていました。高いが所に黒っぽく見えるのは、カササギの巣でしょうか。

  • こちらは花壇で咲いていたピンク色の花です。ライラックのようでした。ライラックは、紫丁香花(むらさきはしどい)の和名を持つ、モクセイ科ハシドイ属の落葉樹です。芳香のある花は、香水の材料ともなります。

    こちらは花壇で咲いていたピンク色の花です。ライラックのようでした。ライラックは、紫丁香花(むらさきはしどい)の和名を持つ、モクセイ科ハシドイ属の落葉樹です。芳香のある花は、香水の材料ともなります。

  • 旧満鉄本社ビルの左手方面の光景です。高層ビルが遠望できました。この後見学した中山広場までは400メートルくらいの距離でした。

    旧満鉄本社ビルの左手方面の光景です。高層ビルが遠望できました。この後見学した中山広場までは400メートルくらいの距離でした。

  • 旧満鉄本社ビル紹介の締め括りです。略歴を記した漢文の石碑がありました。左右半分に分けて撮影した前段部分です。現在の会社の『大連鉄路弁事処』により設置されたものでした。

    旧満鉄本社ビル紹介の締め括りです。略歴を記した漢文の石碑がありました。左右半分に分けて撮影した前段部分です。現在の会社の『大連鉄路弁事処』により設置されたものでした。

  • 略歴を記した漢文の石碑の後段部分です。文化革命時の1979年12月までは、『大連鉄路分局革命委員会』の支配下にあったことが記されていました。2004年11月に設置された石碑です。

    略歴を記した漢文の石碑の後段部分です。文化革命時の1979年12月までは、『大連鉄路分局革命委員会』の支配下にあったことが記されていました。2004年11月に設置された石碑です。

  • 旧満鉄本社の見学を終えて、次は中山広場にやって来ました。広場の周りに歴史的建造物が並び、その背後には高層ビルが林立する大連の中心街です。

    旧満鉄本社の見学を終えて、次は中山広場にやって来ました。広場の周りに歴史的建造物が並び、その背後には高層ビルが林立する大連の中心街です。

  • 右手全歩に見えていた光景です。餌付けをされたらしい鳩が、パラソルのお店の周りに群れていました。

    右手全歩に見えていた光景です。餌付けをされたらしい鳩が、パラソルのお店の周りに群れていました。

  • かつての南満州鉄道が経営した高級ホテルチェーンの大和ホテルが運営した旧大和ホテルです。1909年に着工、1914年に竣工しました。建物正面は花崗岩のイオニア式オーダーを並べたルネサンス様式です。現在はホテル大連賓館として営業しています。

    かつての南満州鉄道が経営した高級ホテルチェーンの大和ホテルが運営した旧大和ホテルです。1909年に着工、1914年に竣工しました。建物正面は花崗岩のイオニア式オーダーを並べたルネサンス様式です。現在はホテル大連賓館として営業しています。

  • 同じく、旧大和ホテルの建物光景です。着工から竣工までに5年を要しました。旧南満州鉄道が経営した高級ホテルチェーンでは、最も格式が高かったホテルです。

    同じく、旧大和ホテルの建物光景です。着工から竣工までに5年を要しました。旧南満州鉄道が経営した高級ホテルチェーンでは、最も格式が高かったホテルです。

  • 同じく、旧大和ホテルの建物光景です。客室数は115室で、蒸気暖房やエレベータも設置されていました。

    同じく、旧大和ホテルの建物光景です。客室数は115室で、蒸気暖房やエレベータも設置されていました。

  • 旧大連市役所の建物です。塔屋のデザインは京都祇園祭の山車をイメージしたとされ、玄関の唐破風等にも日本建築が採り入れられています。設計者の松室重光は京都府技師時代に社寺建築の保存修復にも業績を残した人です。

    旧大連市役所の建物です。塔屋のデザインは京都祇園祭の山車をイメージしたとされ、玄関の唐破風等にも日本建築が採り入れられています。設計者の松室重光は京都府技師時代に社寺建築の保存修復にも業績を残した人です。

  • 同じく、旧大連市役所の建物光景です。1919年8月に竣工し、現在は中国工商銀行の大連分行として使用されています。

    同じく、旧大連市役所の建物光景です。1919年8月に竣工し、現在は中国工商銀行の大連分行として使用されています。

  • 1909年に竣工した、日本唯一の外国為替管理銀行だった横浜正金銀行の旧大連支店です。3連のバロックドームを持つタイル貼りの建物です。現在は、中国銀行遼寧省分行として使われています。

    1909年に竣工した、日本唯一の外国為替管理銀行だった横浜正金銀行の旧大連支店です。3連のバロックドームを持つタイル貼りの建物です。現在は、中国銀行遼寧省分行として使われています。

  • 同じく、旧横浜正金銀行大連支店の建物光景です。現在では、背後に巨大な近代ビルが建ちます。

    同じく、旧横浜正金銀行大連支店の建物光景です。現在では、背後に巨大な近代ビルが建ちます。

  • 1920年に竣工した、旧朝鮮銀行大連支店の建物です。コリント式オーダーが並ぶルネサンス様式の鉄筋煉瓦造3階建の建物です。現在は中国工商銀行中山広場支行が使用しています。

    1920年に竣工した、旧朝鮮銀行大連支店の建物です。コリント式オーダーが並ぶルネサンス様式の鉄筋煉瓦造3階建の建物です。現在は中国工商銀行中山広場支行が使用しています。

  • ヒマラヤシーダーに隠れてしまいましたが、その先に見える建物は、旧関東逓信局です。旧大連市役所と同じ、関東都督府民政部土木課所属の松室重光の設計とされます。1917年に竣工しました。

    ヒマラヤシーダーに隠れてしまいましたが、その先に見える建物は、旧関東逓信局です。旧大連市役所と同じ、関東都督府民政部土木課所属の松室重光の設計とされます。1917年に竣工しました。

  • 同じく、ヒマラヤシーダーに隠れてしまいました。時間の都合で、近くまで寄っての撮影が出来なかったためです。旧大連民政署(大連警察署)の建物です。日本統治下の大連で、最初に建てられた官庁建築とされます。塔屋付の煉瓦造2階建のゴチック様式の建物は1908年3月に竣工しました。

    同じく、ヒマラヤシーダーに隠れてしまいました。時間の都合で、近くまで寄っての撮影が出来なかったためです。旧大連民政署(大連警察署)の建物です。日本統治下の大連で、最初に建てられた官庁建築とされます。塔屋付の煉瓦造2階建のゴチック様式の建物は1908年3月に竣工しました。

  • 左手前の建物は、1914年に竣工したイギリスの在大連領事館跡に、2000年に建てられた大連金融大厦の建物です。大広場に面した唯一の在外公館でした。

    左手前の建物は、1914年に竣工したイギリスの在大連領事館跡に、2000年に建てられた大連金融大厦の建物です。大広場に面した唯一の在外公館でした。

  • 中山広場で枝を広げたヒマラヤシーダーの光景です。その背後には超高層ビルクラスのビルが霞んで見えました。ヒマラヤシーダーは、マツ科ヒマラヤスギ属の常緑針葉樹です。時には60メートルの高さにまで成長します。

    中山広場で枝を広げたヒマラヤシーダーの光景です。その背後には超高層ビルクラスのビルが霞んで見えました。ヒマラヤシーダーは、マツ科ヒマラヤスギ属の常緑針葉樹です。時には60メートルの高さにまで成長します。

  • 少し場所を変えてアップした、超高層らしいビルの光景です。尖端部分はアンテナではなく、飾りのようでした。

    少し場所を変えてアップした、超高層らしいビルの光景です。尖端部分はアンテナではなく、飾りのようでした。

  • 空に浮かんでいるのは飛行機ではありません。飛行機の絵が描かれたた凧でした。中山広場から揚げられているようです。

    空に浮かんでいるのは飛行機ではありません。飛行機の絵が描かれたた凧でした。中山広場から揚げられているようです。

  • 歴史的建造物が立ち並ぶ中山広場の背後に林立する高層ビルの光景です。『盛益大厦』の名前のビルもありました。

    歴史的建造物が立ち並ぶ中山広場の背後に林立する高層ビルの光景です。『盛益大厦』の名前のビルもありました。

  • 同じく、歴史的建造物が立ち並ぶ中山広場の背後に林立する高層ビルの光景です。相変わらず小雨が降り続いていました。

    同じく、歴史的建造物が立ち並ぶ中山広場の背後に林立する高層ビルの光景です。相変わらず小雨が降り続いていました。

  • 旅行最後となるこの日の夕食は、レストラン『天天漁港』での海鮮料理でした。夕食を終わった後での大連雑技鑑賞のビルからの眺望です。大連雑技は、この後紹介します。

    旅行最後となるこの日の夕食は、レストラン『天天漁港』での海鮮料理でした。夕食を終わった後での大連雑技鑑賞のビルからの眺望です。大連雑技は、この後紹介します。

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