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<2005年12月20日(火)><br /><br /> 6時半に起床しました。その時にメモをしたこの日の予定を記しておきます。結果は、大分予定が変わってしまいました。<br />*8:30分ホテル出発、ブロンボン駅で1日券購入<br />*スクンビット駅へ、北へ徒歩5分、カムティエン夫人の家見学<br />*サイアム駅へ、徒歩でサイアムスクエア見学<br />*ナショナルスタジアム駅へ、徒歩で北へトンプソンの家見学<br />*昼食後、タクシーで国立博物館へ、国立美術館も見学<br /> 等でした。この日も最高の天気に恵まれました。見学の途中、ご高齢の現役スキーヤーの母娘さん達とも出会いました。(ウィキペディア)<br /><br /><BTSの一日券を使って市内見学><br /> BTSについては、最初の方で説明しましたから、1日券を使った感想について記しておきます。1日券は100バーツ、約350円です。乗り場は、建物で言えば、3階建くらいの高さになります。線路が交差する場所では、線路が縦に配置されたり、並べて配置されたりしています。<br /> 階段だけを使って上り下りを繰り返しますと、からりハードな乗り物です。エレベーターも併設されていますから、これを利用するのも草臥れ防止策になります。上り下りはハードですが、高架ですから、市内見物にはもってこいです。ビルの間を曲がりくねった線路もありますし、見晴らしのいい郊外を走る区間もあります。<br /> 線路は単純で、スクンビット線とシーロム線の二つだけです。今回の旅行で、この線の全てに乗車しました。このBTS線と地下鉄線が、いくつかの駅で交差しますから、上手に使い分けると、効率よくバンコク市内の見学が出来ます。<br /><br /><カムティエン夫人の家><br /> カムティエン夫人の家は、ホテルを出発してBTSで最初に向かいました。プロンボン駅で乗車して、隣の駅での下車でした。ホテルから歩いても大した距離ではありませんでした。<br /> 最初に、カムティエン夫人のことですが、手元のガイドブックや、インターネット情報で検索しても、詳しいことは分かりませんでした。推測ですが、タイ国の伝統文化を大切にされた、裕福な家柄の方だった人でしょう。インターネット情報では、王族に関連する家柄の記述もありましたが、確かなことは分かりません。<br /> ガイドブックでは9時から開館とされていましたので、朝一番にやって来ましたが、開館はまだでした。それでも正門が開いていましたから、高床式の1階の展示物や、屋外の展示物などは見学できました。庭にはテントが用意されて、イベントが準備されているようでした。<br /> タイの中心部に位置していますが、この一角だけは鬱蒼とした木々に守られて、別世界となっています。建物自体が見所となっています。19世紀中頃のタイ北部、ラーンナー形式の高床式の家が、40年ほど前に移築されたもののようです。カムティエン夫人は、実際にこの家に住んでいたとのインターネット情報もありました。<br /> 1階部分を一通り見学し、写真を撮った後で、階段の下で靴を脱ぎ、2階に上がりました。そこでは、民族衣装に身を包んだ女性の方が、掃除の最中でした。勝手に上がってきたことを咎める風でもなく、『まだ、清掃中ですから、見学はもう少し後にしてください』と言われたように聞こえました。その、ゆったりした仕草と言葉に、この国の素晴らしさを、実感させられました。<br /> 実は、2階の1室はすべて見学した後でのことでしたから、民具や織物などの見学もすることができました。インターネットでも展示物の閲覧ができました。タイ北部の彫刻や織物、木製品などの民芸品が豊富に揃っていました。機織機も展示してあります。<br /> 本来は入場料100バーツですが、チケット売り場も開いていませんでしたから、結局は無料での見学となってしまいました。私の他には、1組のカップルの方が、高床式の1階で開館を待ってみえました。<br /><br /><シーロム線の終点駅へ><br /> 地下鉄とBTSの路線図は最初に紹介しておきましたが、この日はBTSを主体の見学となりました。台北の新交通システムのMRTのように、地下鉄と高架鉄道が一体運用されると、更に乗換えや料金面などでも便利になるはずですが、実現していません。<br /> その理由を推測してみますと、地下鉄が建設された時の経緯に遡るようです。ガイドブックにも載っていましたが、地盤軟弱で建設が困難とされた地下鉄が、技術の進歩で2004年7月に開通の運びとなりました。その建設には相当の資金が必要だったはずです。通称MRTと呼ばれる地下鉄路線は、18駅がありますが、この資金回収のために、別路線として運用されているのではないでしょうか。<br /> 話をBTSの方に戻します。こちらはスクンビット線とシーロム線の2つがあります。折角、1日フリーパスを買い求めましたから、全ての路線に乗ってみることにしました。<br /> カムティエン夫人の家からは地下鉄駅の方が、少しだけ便利ですが、スクンビット線のアソーク駅からサイアム駅まで行き、そこでシーロム線に乗換えました。この線路の終点駅がナショナルスタジアム駅です。次の見学予定地のジム・トンプソンの家の最寄り駅になります。<br /><br /><ジム・トンプソンの家><br /> 先にジム・トンプソンのことから紹介しておきます。ボランティアの日本語ガイドさんからお聞きし、日本語パンフレットにも紹介してあったことです。持参したガイドブックにも簡単に記載してありました。<br /> トンプソンは、1906年にアメリカで生まれました。第二次大戦前は、建築家として働いていました。34歳の時、志願してアメリカ陸軍に入隊し、ヨーロッパで従軍しました。<br />タイとの縁は、第二次大戦の終了間際に、CIAの前身であるOSSの情報将校として派遣されたことに始まります。退役するまで東南アジアで勤務し、タイに永住することになりました。<br />トンプソンは、タイシルクに興味を持ち、手織り製品の普及に努めました。デザイン力に優れ、染色家としても天賦の才能に恵まれていました。タイシルクの名を世界に広めた功績者とされています。<br /> そのトンプソンは、1967年3月にマレーシアのキャメロン高原での休暇中、謎の失踪を遂げました。その原因は、今尚、手がかりが掴めていません。<br /> 現在の一般公開は、1976年にトンプソンの法定管財人が、タイ王国からトンプソンの名を冠した財団法人の許可を受けてからのものです。その邸宅と美術コレクションが、国立博物館として登録されています。<br /> 次に、そのコレクションの概要について紹介しておきます。まず、6軒の家屋そのものが、タイ様式を取り入れたチーク材で出来た価値の高いものです。5軒分の建材は、アユタヤから河を下って運ばれ、伝統的な様式に従って、復元されたものです。また、随所に建築家であるトンプソンのアイデアが生かされています。建築に際して、タイ国の風習に従って、占い師と占星家達が占いを行ったとされます。<br /> 収蔵品の方ですが、履物を脱いで、手荷物をロッカーに預けての見学となります。小物の展示品が、当時のままに展示されているなどの理由であると推測しました。<br /> この項目の締めくくりの感想を述べておきます。案内をして頂いたのは、ご主人と一緒にタイに住まわれることになって、30年が過ぎたと紹介された日本語ボランティアの女性の方でした。私と同世代の方です。入場券に記載された時刻に従って案内された、もう一人の見学者は、この後、インドに向かわれると言う30前後の女性の方でした。<br /> 1時間程の時間をかけて案内して頂きましたが、ガイドさんとの話が弾んで、あっという間でした。トンプソンは中国との貿易も多かったらしく、その折に入手されたと思われる陶磁器、絵画などのコレクションも数多くありました。その中には、仏像もありました。<br /> しかし、景徳鎮の名品だと言われる器は、言われた年代より、どう見ても新し過ぎるようでした。台北の故宮博物院の展示品との比較などで、そのことをガイドさんに質問しますと、『トンプソンが蒐集した美術品は、一切、鑑定が行われていません。もし、贋作が混じっていても、彼が蒐集したことを尊重して、そのまま展示してあります』との説明でした。ガイドさん自身は、中国や台湾の国宝級の陶磁器類は、眼にしたことが無いとのお話でした。<br /> 最初は30分ほどの見学予定でしたが、予定を変更して、ボランティアのガイドさんの説明に沿った1時間コースの見学となりました。BTSでのアクセスが便利ですし、バンコクに泊まられる場合は、是非お薦めしたい見学コースです。<br /> 予定コースの見学は、履物を脱いで上がる2階が主でしたが、その後には、1階の展示物を見学しました。小さなロッカーにバッグを預けましたが、取り出す時に一寸したハプニングがありました。紐の部分が隣のロッカーに挟まれてしまっていたからです。 インドに出かけられると言う女性の方も手伝ってくれて、何とか隣のロッカーが開く前に、私の荷物を取り出すことが出来ました。一時は、お隣の方が戻ってくるまでの待ちぼうけを覚悟しました。お互いの旅の無事を祈ってお別れしました。<br /><br /><デパートのフードセンターで昼食><br /> ジム・トンプソンの家の構内には、レストランが併設されていました。しかし、ここで食事をするには少し躊躇しました。観光場所ですから、多分メニューが限られると考えたからです。それで、BTS駅へ戻って市街地へ移動することにしました。ナショナルスタジアム駅からは1駅戻るだけのサイアム駅です。<br /> お店を探したのは、デパートビル1階のフードセンターでした。地元料理を含め、各国の料理店が寄り集まって、その一角にはフリーのテーブルもありました。こちらは、テイクアウトした食べ物を持ち込んで食べる場所でした。<br /> 一通り回ったお店の中で、焼き魚定食の写真がありましたので、このお店に決めました。タイ国の娘さんが浴衣を着て呼び込みをやっていたお店です。レジで先払いをして、テーブル席に着きました。お店の囲いが無い、オープンタイプのお店が並んでいたお店の一つです。<br /> 焼き魚は鮭でしたが、大根おろしも付いていました。野菜の煮物も付いていましたが、ちゃんとした味付けでした。ご飯はタイ米ではなく、日本と同じジャポニカが使ってありました。値段も安く、申し分の無い昼食となりました。<br /><br /><スアン・パッカード宮殿><br /> スアン・パッカード宮殿のことを簡単に紹介しておきます。ラーマ五世の孫に当たるチュンポット殿下の所有の宮殿だった建物です。タイの伝統家屋の中に、殿下が蒐集されたスコータイ期の陶磁器、家具類が展示されています。<br /> 入場料金は100バーツ(約350円)ですが、専属の日本語ガイドさんが付いてくれた上に、お土産の団扇を貰いました。椰子の葉を編んだ民芸品です。ガイドさんは、学校で日本語の勉強中と自己紹介された明るい女性の方でした。<br /> 話が弾む中で、私が名古屋からやって来たことを紹介しますと、『私の大学の日本語の先生は、宇佐美さん(私の記憶は、やや不確か)と言われる名古屋出身の方でしたが、最近、帰国されてしまいました。今は日本人の先生がいません』と残念がっていました。中々流暢な日本語を話されていました。<br /> アルバイトでの日本語ガイドのようでした。最初はガイド役だったものの、見学のお仕舞の方では、私のほうが説明役、日本語の先生に立場が入れ替わってしまいました。<br /> 例えば、収蔵品の中で焼成中にくっついてしまった陶磁器がありましたが、『これを失敗作と説明した方がいいのでしょうか?それとも出来損ないと説明すべきでしょうか?』と言った質問等でした。答え方が難しかったのですが、『ほとんど同じ意味ですが、出来損ないは、少しきつい表現ですから、失敗作の方がいいでしょう』と言った具合でした。<br /> 話のついでに、『日本ではこういった失敗作の展示は中々見ることが出来ません。登り窯で薪を使って焼いた品は、炎の具合でも出来栄えが違い、陶芸作家は気に入らない作品は、その場で粉々に割っていまいます』などの補足説明もしておきました。『亡くなられた有名な陶芸作家の加藤唐九郎さんが、典型的な方でした。割られずに残った作品の方が少ないくらいでした』と、つい余分なこともお話しました。<br /> この学生さんに中庭で写真を撮って頂いてスアン・パッカード宮殿の見学を終えました。下の写真です。次のガイドをするためにロビーに戻る途中で、何度も振り返って別れの挨拶をしてくれました。<br /><br /><少し遅すぎた国立博物館とワット・プラケオ見学><br /> スアン・パッカード宮殿の見学の後は、パタヤイ駅から2駅南のサイアム駅まで戻りました。16時頃になっていました。ガイドブックに載っていた国立博物館の開館」時間の9時から16時を確認しなかったのが失敗でした。到着した時間が16時半過ぎでしたから、残念ながら、入館できませんでした。<br /> その国立博物館へ向かうタクシーのことに触れておきます。初日にガイドさんから教えて頂いた『メーターが無いタクシーは絶対駄目です。緑と黄色の個人タクシーが、観光客とのトラブルが多いようです』と言ったアドバイスに反したことでした。渋滞がひどくなった繁華街でのことでしたから、つい、メーターの無い個人タクシーを拾いました。<br /> 乗った後で、行き先のスアン・パッカード宮殿を告げると、分かっていても知らない素振りをされました。『それなら降りますと』日本語でしゃべって、ドアを開けようとしましたら、今度はあわてて、『大丈夫だ』と言った仕草を見せて、値段交渉が始まりました。30代前後の運転手でした。<br /> 最初に150バーツを片言の英語で提示されましたので、『100バーツならOK』と返事してスタートしました。しかし、その途中、ずっと値段交渉でした。150バーツから始まって、目的地に到着した時には『混雑していたから、200バーツ』と言った具合でした。そのまま払うのも我慢できませんでしたから、180バーツに、小銭を少し添えてその車を降りました。それでも、まだ半分は納得していないような顔をしていました。1回だけの経験だけなら面白い部分もありましたが、2度と、こんなタクシーには乗りたくないものです。<br /> 行き先をワット・プラケオと告げたのは、歩いて5分くらいのところに国立博物館があることを予め確認しておいたからです。目的地を間違えたふりをして遠回りされる可能性も考えました。少し苦労して到着した国立博物館でしたが、残念ながら閉館時間の16時を大きく回っていました。<br /> それでも正門が開門されていましたので、守衛に人に断って、構内の写真を何枚か撮ることができました。写真を撮り終わって、会釈をして門を出ますと、すぐに閉門されました。当然、ワット・プラケオをはじめ、その他の見学地も終了時間を過ぎていました。<br /> 折角やってきても、引き返す以外に方法はありません。バスも走っていましたが、行き先を正しく見極めるのが難しく、これは諦めました、何しろ文字が全く読めません。タクシーを拾おうと付近を見回していましたら、日本語が話せる人が近寄ってきて、『今からでも無料で見学できる寺院があるから、案内します』と言って、私が手にした地図に印を付けてくれました。髭を生やした、がっちりした中年の運転手さんでした。<br /> しかし、海外旅行での一番危ないパターンの可能性もありますから、丁寧にお断りして、タクシーとは反対方向のワット・プラケオ方面に歩き始めました。ワット・プラケオ前でタクシーを拾うことが出来ました。<br />往きと違って、今度はメータータクシーでした。行き先は、サイアム駅を告げました。道路が渋滞していましたから、30分ほど掛かりましたが、メーターでは75バーツでした。チップの5バーツを加えて、駅近くでタクシーを降りました。<br /> 運転手さんもBTSの駅近くで降りたいことを理解してくれていましたから、サイアムのBTS駅を指差して教えてくれました。僅かのチップでも、丁寧にお礼を言われましたから、倍の料金を請求された個人タクシーとは大違いでした。国立博物館見学は出来ませんでしたが、タクシーの乗り方では、大いに勉強になりました。<br /><br /><晩酌はサイアム駅近くで><br /> 晩酌は、ホテルを出発する時から、バンコク中心街のサイアム駅近くに決めていました。タクシーを降りた場所が、ぴったり、デパート1階のフードセンターの前でしたから好都合でした。一通り店を回って店を決めることにしました。<br /> バンコクのお酒は、ビール以外に見当たりませんから日本酒かワインが飲める店を中心に探しました。紹興酒は輸入品で、ウイスキーのボトルと同じような値段でしたから、これは対象外にしました。その結果選んだお店は『FUJI』でした。日本料理のお店で、日本酒が各種置いてあるようでした。<br /> 『FUJI』のお店は、会員制のような高級店がこのビルか、別のビルの階上にありましたので、見覚えがありました。こちらのお店は、100席を超える大型店でした。突き出しにキムチが出てきましたから、韓国人のオーナーが経営される日本料理店のようでした。<br /> 注文した品は刺身の盛り合わせと寿司でした。飲み物は、最初にビール、そのあとに熱燗を頼みました。キムチの突き出しの時には、少し心配しましたが、ちゃんとした醤油とワサビでした。ただし、お寿司はワサビ抜きで、別の皿にワサビが出されました。<br /> このお店では、話しぶりや、周りの方の気遣いから推し量って、オーナーの娘さんと思しき方が、采配を振るっていました。まだ20代の前半の年齢の方でした。中々気さくな、かわいい方でした。何度も私の注文がちゃんと出されているか、席を覗いては笑顔で会釈を送ってくれました。<br /> 注文した品は、メニューの中では高い値段でしたが、会計はそれほど高く感じませんでした。お酒は銚子を、追加で注文しました。刺身、お寿司とも予想以上の味でした。刺身には、私の大好きなしめ鯖が入っていたのが感激でした。<br /><br /><br />  カムティエン夫人の家で<br /> 伝統のタイ王朝の品飾る掃清める板敷の部屋<br /><br />  ジム・トンプソンの家で<br /> 日本を離て長きボランティア話題は弾み巡る広き家<br /><br />  スアン・パッカード宮殿で<br /> 案内の若きガイドに補足して何時しか我が聞かれる立場<br />

2005暮、タイ王国旅行記1(19/24):12月20日(1):バンコク、カムティエン夫人の家、木造伝統家屋

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

<2005年12月20日(火)>

 6時半に起床しました。その時にメモをしたこの日の予定を記しておきます。結果は、大分予定が変わってしまいました。
*8:30分ホテル出発、ブロンボン駅で1日券購入
*スクンビット駅へ、北へ徒歩5分、カムティエン夫人の家見学
*サイアム駅へ、徒歩でサイアムスクエア見学
*ナショナルスタジアム駅へ、徒歩で北へトンプソンの家見学
*昼食後、タクシーで国立博物館へ、国立美術館も見学
 等でした。この日も最高の天気に恵まれました。見学の途中、ご高齢の現役スキーヤーの母娘さん達とも出会いました。(ウィキペディア)

<BTSの一日券を使って市内見学>
 BTSについては、最初の方で説明しましたから、1日券を使った感想について記しておきます。1日券は100バーツ、約350円です。乗り場は、建物で言えば、3階建くらいの高さになります。線路が交差する場所では、線路が縦に配置されたり、並べて配置されたりしています。
 階段だけを使って上り下りを繰り返しますと、からりハードな乗り物です。エレベーターも併設されていますから、これを利用するのも草臥れ防止策になります。上り下りはハードですが、高架ですから、市内見物にはもってこいです。ビルの間を曲がりくねった線路もありますし、見晴らしのいい郊外を走る区間もあります。
 線路は単純で、スクンビット線とシーロム線の二つだけです。今回の旅行で、この線の全てに乗車しました。このBTS線と地下鉄線が、いくつかの駅で交差しますから、上手に使い分けると、効率よくバンコク市内の見学が出来ます。

<カムティエン夫人の家>
 カムティエン夫人の家は、ホテルを出発してBTSで最初に向かいました。プロンボン駅で乗車して、隣の駅での下車でした。ホテルから歩いても大した距離ではありませんでした。
 最初に、カムティエン夫人のことですが、手元のガイドブックや、インターネット情報で検索しても、詳しいことは分かりませんでした。推測ですが、タイ国の伝統文化を大切にされた、裕福な家柄の方だった人でしょう。インターネット情報では、王族に関連する家柄の記述もありましたが、確かなことは分かりません。
 ガイドブックでは9時から開館とされていましたので、朝一番にやって来ましたが、開館はまだでした。それでも正門が開いていましたから、高床式の1階の展示物や、屋外の展示物などは見学できました。庭にはテントが用意されて、イベントが準備されているようでした。
 タイの中心部に位置していますが、この一角だけは鬱蒼とした木々に守られて、別世界となっています。建物自体が見所となっています。19世紀中頃のタイ北部、ラーンナー形式の高床式の家が、40年ほど前に移築されたもののようです。カムティエン夫人は、実際にこの家に住んでいたとのインターネット情報もありました。
 1階部分を一通り見学し、写真を撮った後で、階段の下で靴を脱ぎ、2階に上がりました。そこでは、民族衣装に身を包んだ女性の方が、掃除の最中でした。勝手に上がってきたことを咎める風でもなく、『まだ、清掃中ですから、見学はもう少し後にしてください』と言われたように聞こえました。その、ゆったりした仕草と言葉に、この国の素晴らしさを、実感させられました。
 実は、2階の1室はすべて見学した後でのことでしたから、民具や織物などの見学もすることができました。インターネットでも展示物の閲覧ができました。タイ北部の彫刻や織物、木製品などの民芸品が豊富に揃っていました。機織機も展示してあります。
 本来は入場料100バーツですが、チケット売り場も開いていませんでしたから、結局は無料での見学となってしまいました。私の他には、1組のカップルの方が、高床式の1階で開館を待ってみえました。

<シーロム線の終点駅へ>
 地下鉄とBTSの路線図は最初に紹介しておきましたが、この日はBTSを主体の見学となりました。台北の新交通システムのMRTのように、地下鉄と高架鉄道が一体運用されると、更に乗換えや料金面などでも便利になるはずですが、実現していません。
 その理由を推測してみますと、地下鉄が建設された時の経緯に遡るようです。ガイドブックにも載っていましたが、地盤軟弱で建設が困難とされた地下鉄が、技術の進歩で2004年7月に開通の運びとなりました。その建設には相当の資金が必要だったはずです。通称MRTと呼ばれる地下鉄路線は、18駅がありますが、この資金回収のために、別路線として運用されているのではないでしょうか。
 話をBTSの方に戻します。こちらはスクンビット線とシーロム線の2つがあります。折角、1日フリーパスを買い求めましたから、全ての路線に乗ってみることにしました。
 カムティエン夫人の家からは地下鉄駅の方が、少しだけ便利ですが、スクンビット線のアソーク駅からサイアム駅まで行き、そこでシーロム線に乗換えました。この線路の終点駅がナショナルスタジアム駅です。次の見学予定地のジム・トンプソンの家の最寄り駅になります。

<ジム・トンプソンの家>
 先にジム・トンプソンのことから紹介しておきます。ボランティアの日本語ガイドさんからお聞きし、日本語パンフレットにも紹介してあったことです。持参したガイドブックにも簡単に記載してありました。
 トンプソンは、1906年にアメリカで生まれました。第二次大戦前は、建築家として働いていました。34歳の時、志願してアメリカ陸軍に入隊し、ヨーロッパで従軍しました。
タイとの縁は、第二次大戦の終了間際に、CIAの前身であるOSSの情報将校として派遣されたことに始まります。退役するまで東南アジアで勤務し、タイに永住することになりました。
トンプソンは、タイシルクに興味を持ち、手織り製品の普及に努めました。デザイン力に優れ、染色家としても天賦の才能に恵まれていました。タイシルクの名を世界に広めた功績者とされています。
 そのトンプソンは、1967年3月にマレーシアのキャメロン高原での休暇中、謎の失踪を遂げました。その原因は、今尚、手がかりが掴めていません。
 現在の一般公開は、1976年にトンプソンの法定管財人が、タイ王国からトンプソンの名を冠した財団法人の許可を受けてからのものです。その邸宅と美術コレクションが、国立博物館として登録されています。
 次に、そのコレクションの概要について紹介しておきます。まず、6軒の家屋そのものが、タイ様式を取り入れたチーク材で出来た価値の高いものです。5軒分の建材は、アユタヤから河を下って運ばれ、伝統的な様式に従って、復元されたものです。また、随所に建築家であるトンプソンのアイデアが生かされています。建築に際して、タイ国の風習に従って、占い師と占星家達が占いを行ったとされます。
 収蔵品の方ですが、履物を脱いで、手荷物をロッカーに預けての見学となります。小物の展示品が、当時のままに展示されているなどの理由であると推測しました。
 この項目の締めくくりの感想を述べておきます。案内をして頂いたのは、ご主人と一緒にタイに住まわれることになって、30年が過ぎたと紹介された日本語ボランティアの女性の方でした。私と同世代の方です。入場券に記載された時刻に従って案内された、もう一人の見学者は、この後、インドに向かわれると言う30前後の女性の方でした。
 1時間程の時間をかけて案内して頂きましたが、ガイドさんとの話が弾んで、あっという間でした。トンプソンは中国との貿易も多かったらしく、その折に入手されたと思われる陶磁器、絵画などのコレクションも数多くありました。その中には、仏像もありました。
 しかし、景徳鎮の名品だと言われる器は、言われた年代より、どう見ても新し過ぎるようでした。台北の故宮博物院の展示品との比較などで、そのことをガイドさんに質問しますと、『トンプソンが蒐集した美術品は、一切、鑑定が行われていません。もし、贋作が混じっていても、彼が蒐集したことを尊重して、そのまま展示してあります』との説明でした。ガイドさん自身は、中国や台湾の国宝級の陶磁器類は、眼にしたことが無いとのお話でした。
 最初は30分ほどの見学予定でしたが、予定を変更して、ボランティアのガイドさんの説明に沿った1時間コースの見学となりました。BTSでのアクセスが便利ですし、バンコクに泊まられる場合は、是非お薦めしたい見学コースです。
 予定コースの見学は、履物を脱いで上がる2階が主でしたが、その後には、1階の展示物を見学しました。小さなロッカーにバッグを預けましたが、取り出す時に一寸したハプニングがありました。紐の部分が隣のロッカーに挟まれてしまっていたからです。 インドに出かけられると言う女性の方も手伝ってくれて、何とか隣のロッカーが開く前に、私の荷物を取り出すことが出来ました。一時は、お隣の方が戻ってくるまでの待ちぼうけを覚悟しました。お互いの旅の無事を祈ってお別れしました。

<デパートのフードセンターで昼食>
 ジム・トンプソンの家の構内には、レストランが併設されていました。しかし、ここで食事をするには少し躊躇しました。観光場所ですから、多分メニューが限られると考えたからです。それで、BTS駅へ戻って市街地へ移動することにしました。ナショナルスタジアム駅からは1駅戻るだけのサイアム駅です。
 お店を探したのは、デパートビル1階のフードセンターでした。地元料理を含め、各国の料理店が寄り集まって、その一角にはフリーのテーブルもありました。こちらは、テイクアウトした食べ物を持ち込んで食べる場所でした。
 一通り回ったお店の中で、焼き魚定食の写真がありましたので、このお店に決めました。タイ国の娘さんが浴衣を着て呼び込みをやっていたお店です。レジで先払いをして、テーブル席に着きました。お店の囲いが無い、オープンタイプのお店が並んでいたお店の一つです。
 焼き魚は鮭でしたが、大根おろしも付いていました。野菜の煮物も付いていましたが、ちゃんとした味付けでした。ご飯はタイ米ではなく、日本と同じジャポニカが使ってありました。値段も安く、申し分の無い昼食となりました。

<スアン・パッカード宮殿>
 スアン・パッカード宮殿のことを簡単に紹介しておきます。ラーマ五世の孫に当たるチュンポット殿下の所有の宮殿だった建物です。タイの伝統家屋の中に、殿下が蒐集されたスコータイ期の陶磁器、家具類が展示されています。
 入場料金は100バーツ(約350円)ですが、専属の日本語ガイドさんが付いてくれた上に、お土産の団扇を貰いました。椰子の葉を編んだ民芸品です。ガイドさんは、学校で日本語の勉強中と自己紹介された明るい女性の方でした。
 話が弾む中で、私が名古屋からやって来たことを紹介しますと、『私の大学の日本語の先生は、宇佐美さん(私の記憶は、やや不確か)と言われる名古屋出身の方でしたが、最近、帰国されてしまいました。今は日本人の先生がいません』と残念がっていました。中々流暢な日本語を話されていました。
 アルバイトでの日本語ガイドのようでした。最初はガイド役だったものの、見学のお仕舞の方では、私のほうが説明役、日本語の先生に立場が入れ替わってしまいました。
 例えば、収蔵品の中で焼成中にくっついてしまった陶磁器がありましたが、『これを失敗作と説明した方がいいのでしょうか?それとも出来損ないと説明すべきでしょうか?』と言った質問等でした。答え方が難しかったのですが、『ほとんど同じ意味ですが、出来損ないは、少しきつい表現ですから、失敗作の方がいいでしょう』と言った具合でした。
 話のついでに、『日本ではこういった失敗作の展示は中々見ることが出来ません。登り窯で薪を使って焼いた品は、炎の具合でも出来栄えが違い、陶芸作家は気に入らない作品は、その場で粉々に割っていまいます』などの補足説明もしておきました。『亡くなられた有名な陶芸作家の加藤唐九郎さんが、典型的な方でした。割られずに残った作品の方が少ないくらいでした』と、つい余分なこともお話しました。
 この学生さんに中庭で写真を撮って頂いてスアン・パッカード宮殿の見学を終えました。下の写真です。次のガイドをするためにロビーに戻る途中で、何度も振り返って別れの挨拶をしてくれました。

<少し遅すぎた国立博物館とワット・プラケオ見学>
 スアン・パッカード宮殿の見学の後は、パタヤイ駅から2駅南のサイアム駅まで戻りました。16時頃になっていました。ガイドブックに載っていた国立博物館の開館」時間の9時から16時を確認しなかったのが失敗でした。到着した時間が16時半過ぎでしたから、残念ながら、入館できませんでした。
 その国立博物館へ向かうタクシーのことに触れておきます。初日にガイドさんから教えて頂いた『メーターが無いタクシーは絶対駄目です。緑と黄色の個人タクシーが、観光客とのトラブルが多いようです』と言ったアドバイスに反したことでした。渋滞がひどくなった繁華街でのことでしたから、つい、メーターの無い個人タクシーを拾いました。
 乗った後で、行き先のスアン・パッカード宮殿を告げると、分かっていても知らない素振りをされました。『それなら降りますと』日本語でしゃべって、ドアを開けようとしましたら、今度はあわてて、『大丈夫だ』と言った仕草を見せて、値段交渉が始まりました。30代前後の運転手でした。
 最初に150バーツを片言の英語で提示されましたので、『100バーツならOK』と返事してスタートしました。しかし、その途中、ずっと値段交渉でした。150バーツから始まって、目的地に到着した時には『混雑していたから、200バーツ』と言った具合でした。そのまま払うのも我慢できませんでしたから、180バーツに、小銭を少し添えてその車を降りました。それでも、まだ半分は納得していないような顔をしていました。1回だけの経験だけなら面白い部分もありましたが、2度と、こんなタクシーには乗りたくないものです。
 行き先をワット・プラケオと告げたのは、歩いて5分くらいのところに国立博物館があることを予め確認しておいたからです。目的地を間違えたふりをして遠回りされる可能性も考えました。少し苦労して到着した国立博物館でしたが、残念ながら閉館時間の16時を大きく回っていました。
 それでも正門が開門されていましたので、守衛に人に断って、構内の写真を何枚か撮ることができました。写真を撮り終わって、会釈をして門を出ますと、すぐに閉門されました。当然、ワット・プラケオをはじめ、その他の見学地も終了時間を過ぎていました。
 折角やってきても、引き返す以外に方法はありません。バスも走っていましたが、行き先を正しく見極めるのが難しく、これは諦めました、何しろ文字が全く読めません。タクシーを拾おうと付近を見回していましたら、日本語が話せる人が近寄ってきて、『今からでも無料で見学できる寺院があるから、案内します』と言って、私が手にした地図に印を付けてくれました。髭を生やした、がっちりした中年の運転手さんでした。
 しかし、海外旅行での一番危ないパターンの可能性もありますから、丁寧にお断りして、タクシーとは反対方向のワット・プラケオ方面に歩き始めました。ワット・プラケオ前でタクシーを拾うことが出来ました。
往きと違って、今度はメータータクシーでした。行き先は、サイアム駅を告げました。道路が渋滞していましたから、30分ほど掛かりましたが、メーターでは75バーツでした。チップの5バーツを加えて、駅近くでタクシーを降りました。
 運転手さんもBTSの駅近くで降りたいことを理解してくれていましたから、サイアムのBTS駅を指差して教えてくれました。僅かのチップでも、丁寧にお礼を言われましたから、倍の料金を請求された個人タクシーとは大違いでした。国立博物館見学は出来ませんでしたが、タクシーの乗り方では、大いに勉強になりました。

<晩酌はサイアム駅近くで>
 晩酌は、ホテルを出発する時から、バンコク中心街のサイアム駅近くに決めていました。タクシーを降りた場所が、ぴったり、デパート1階のフードセンターの前でしたから好都合でした。一通り店を回って店を決めることにしました。
 バンコクのお酒は、ビール以外に見当たりませんから日本酒かワインが飲める店を中心に探しました。紹興酒は輸入品で、ウイスキーのボトルと同じような値段でしたから、これは対象外にしました。その結果選んだお店は『FUJI』でした。日本料理のお店で、日本酒が各種置いてあるようでした。
 『FUJI』のお店は、会員制のような高級店がこのビルか、別のビルの階上にありましたので、見覚えがありました。こちらのお店は、100席を超える大型店でした。突き出しにキムチが出てきましたから、韓国人のオーナーが経営される日本料理店のようでした。
 注文した品は刺身の盛り合わせと寿司でした。飲み物は、最初にビール、そのあとに熱燗を頼みました。キムチの突き出しの時には、少し心配しましたが、ちゃんとした醤油とワサビでした。ただし、お寿司はワサビ抜きで、別の皿にワサビが出されました。
 このお店では、話しぶりや、周りの方の気遣いから推し量って、オーナーの娘さんと思しき方が、采配を振るっていました。まだ20代の前半の年齢の方でした。中々気さくな、かわいい方でした。何度も私の注文がちゃんと出されているか、席を覗いては笑顔で会釈を送ってくれました。
 注文した品は、メニューの中では高い値段でしたが、会計はそれほど高く感じませんでした。お酒は銚子を、追加で注文しました。刺身、お寿司とも予想以上の味でした。刺身には、私の大好きなしめ鯖が入っていたのが感激でした。


  カムティエン夫人の家で
 伝統のタイ王朝の品飾る掃清める板敷の部屋

  ジム・トンプソンの家で
 日本を離て長きボランティア話題は弾み巡る広き家

  スアン・パッカード宮殿で
 案内の若きガイドに補足して何時しか我が聞かれる立場

同行者
一人旅
交通手段
鉄道 タクシー
  • いつもの通り道、ホテルに隣接した王妃のための公園です。水辺近くに鳩の群れがいました。

    いつもの通り道、ホテルに隣接した王妃のための公園です。水辺近くに鳩の群れがいました。

  • 池のほとりを歩いて来ました。先程、鳩が群れていた石畳が対岸に見えます。その後ろには泊まったホテルも見えます。

    池のほとりを歩いて来ました。先程、鳩が群れていた石畳が対岸に見えます。その後ろには泊まったホテルも見えます。

  • 公園の中で咲いていた花です。余り目立たない紫の小花を咲かせていました。

    公園の中で咲いていた花です。余り目立たない紫の小花を咲かせていました。

  • これで公園とはお別れです。公園を通り抜けると、BTSの駅は直近くです。もう一度振り返って、泊まったホテルの撮影です。

    これで公園とはお別れです。公園を通り抜けると、BTSの駅は直近くです。もう一度振り返って、泊まったホテルの撮影です。

  • 20日は、一日中、自由時間でした。1泊を延泊で申し込んでいたためです。それで、BTSのワンデイ・パスを使っての市内見学です。

    20日は、一日中、自由時間でした。1泊を延泊で申し込んでいたためです。それで、BTSのワンデイ・パスを使っての市内見学です。

  • 最初の目的地はカムティエン夫人の家です。BTS線では、スクンビット駅が最寄です。駅近くの商店街の水槽でメダカが泳いでいました。

    最初の目的地はカムティエン夫人の家です。BTS線では、スクンビット駅が最寄です。駅近くの商店街の水槽でメダカが泳いでいました。

  • カムティエン夫人の家は、地下鉄駅の方が更に近くにありました。その家が左手に見えてきました。

    カムティエン夫人の家は、地下鉄駅の方が更に近くにありました。その家が左手に見えてきました。

  • カムティエン夫人の家に到着しました。正門は開いていましたが、人影はありませんでした。樹木の陰、右奥に入口がありました。

    カムティエン夫人の家に到着しました。正門は開いていましたが、人影はありませんでした。樹木の陰、右奥に入口がありました。

  • 右手の建物を通り抜けて、更に中庭のような場所に出ましたが、こちらにも人影はありませんでした。

    右手の建物を通り抜けて、更に中庭のような場所に出ましたが、こちらにも人影はありませんでした。

  • 人影がありませんし、チケット売り場も開いていませんでした。それでも、屋外に展示された文物を見学することができました。馬車に荷車のようです。

    人影がありませんし、チケット売り場も開いていませんでした。それでも、屋外に展示された文物を見学することができました。馬車に荷車のようです。

  • 花で飾られた祭壇です。説明文もあるようですが、文字が小さくて読めません。勝手な推測ですが、カムティエン夫人の遺骨か、位牌でしょうか。

    花で飾られた祭壇です。説明文もあるようですが、文字が小さくて読めません。勝手な推測ですが、カムティエン夫人の遺骨か、位牌でしょうか。

  • 卓上に説明プレートがあります。タイシルクの説明ではなく、午前9時開館、午後5時閉館などの案内です。大人100バーツの料金も記されています。

    卓上に説明プレートがあります。タイシルクの説明ではなく、午前9時開館、午後5時閉館などの案内です。大人100バーツの料金も記されています。

  • 自由に通り抜けができる1階の展示室です。この場所も自由に見学でしました。トーテンポールのような細かい彫刻がほど凝られた柱、セピア色の写真、絵などです。

    自由に通り抜けができる1階の展示室です。この場所も自由に見学でしました。トーテンポールのような細かい彫刻がほど凝られた柱、セピア色の写真、絵などです。

  • 樹木が生い茂った一角に、小さなお社がありました。欠かさずに、お供えがされているようです。

    樹木が生い茂った一角に、小さなお社がありました。欠かさずに、お供えがされているようです。

  • 入口の右手の木製の看板に記されているのは「カムティエン・ハウス」の文字です。改装の時に英文案内が充実されたようです。左手の棚は、一対の壷です。

    入口の右手の木製の看板に記されているのは「カムティエン・ハウス」の文字です。改装の時に英文案内が充実されたようです。左手の棚は、一対の壷です。

  • 一対の壷のアップ写真です。蓋付で、赤みを帯びた焼物です。日本の焼物に例えれば、常滑焼に似た艶と色彩です。タイ北部の焼物でしょうか。

    一対の壷のアップ写真です。蓋付で、赤みを帯びた焼物です。日本の焼物に例えれば、常滑焼に似た艶と色彩です。タイ北部の焼物でしょうか。

  • 1階に人気がありませんでしたから、履物を脱いでこの階段を登り、2階に上がりました。掃き掃除の最中でした。

    1階に人気がありませんでしたから、履物を脱いでこの階段を登り、2階に上がりました。掃き掃除の最中でした。

  • 各所から集められてきた飾り板です。おそらくタイ北部の民芸品でしょう。デフォルメされた花の文様などです。

    各所から集められてきた飾り板です。おそらくタイ北部の民芸品でしょう。デフォルメされた花の文様などです。

  • 白と黄色をベースにした飾りです。儀式に使われる印象です。椰子の葉も使われているようです。日本の水引きを連想しました。

    白と黄色をベースにした飾りです。儀式に使われる印象です。椰子の葉も使われているようです。日本の水引きを連想しました。

  • 掃掃除中の女性の方達から、「すみません。見学はもう少しお待ちください」といった仕草をされましたので、少しだけ写真を撮って、1階に戻りました。

    掃掃除中の女性の方達から、「すみません。見学はもう少しお待ちください」といった仕草をされましたので、少しだけ写真を撮って、1階に戻りました。

  • 開館時間の9時を回っていましたが、まだ準備中でした。それで、カムティエン夫人の家の見学はこれでお終いです。

    開館時間の9時を回っていましたが、まだ準備中でした。それで、カムティエン夫人の家の見学はこれでお終いです。

  • 開館前の見学を終えた後、振り返っての一枚です。カムティエン夫人の家は、交通至便な街中にありました。

    開館前の見学を終えた後、振り返っての一枚です。カムティエン夫人の家は、交通至便な街中にありました。

  • カムティエン夫人の家の次は、ジム・トンプソンンの家の見学です。その前に、シーロム線の終点駅を目指しました。BTSからの寺院の遠景です。

    カムティエン夫人の家の次は、ジム・トンプソンンの家の見学です。その前に、シーロム線の終点駅を目指しました。BTSからの寺院の遠景です。

  • シーロム線の終点駅に到着しました。サパーン・タクシン駅です。チャオプラヤー川に面した駅です。

    シーロム線の終点駅に到着しました。サパーン・タクシン駅です。チャオプラヤー川に面した駅です。

  • BTS駅構内の時計は、10時15分くらいを指しています。欧米からの観光客を多く見かけました。終点駅ですから、乗降客は多いようです。

    BTS駅構内の時計は、10時15分くらいを指しています。欧米からの観光客を多く見かけました。終点駅ですから、乗降客は多いようです。

  • チャオプラヤー川の見学の前に、駅近くにあった寺院の見学です。仏教寺院か、道教寺院のような外観でした。観光案内に記されるような、大きな寺院ではありません。

    チャオプラヤー川の見学の前に、駅近くにあった寺院の見学です。仏教寺院か、道教寺院のような外観でした。観光案内に記されるような、大きな寺院ではありません。

  • 寺院の中での撮影は出来ないでしょうから、入口近くでの撮影です。お髭を生やした武人のような像が祀られていましたから、道教寺院のようです。

    寺院の中での撮影は出来ないでしょうから、入口近くでの撮影です。お髭を生やした武人のような像が祀られていましたから、道教寺院のようです。

  • お堂の中では、ボランティアのような係りの人が詰めていました。日本で例えれば、檀家の人の持ち回り当番と言った雰囲気でした。

    お堂の中では、ボランティアのような係りの人が詰めていました。日本で例えれば、檀家の人の持ち回り当番と言った雰囲気でした。

  • 道教寺院の見学の後は、チャオプラヤー川の見学です。車止めの柵が並んでいました。いくつかの小さなお店が出ていました。

    道教寺院の見学の後は、チャオプラヤー川の見学です。車止めの柵が並んでいました。いくつかの小さなお店が出ていました。

  • チャオプラヤー川の光景です。対岸に白い高層ビルが見えました。ホテルのようです。ワット・アルンはもっと上流になります。

    チャオプラヤー川の光景です。対岸に白い高層ビルが見えました。ホテルのようです。ワット・アルンはもっと上流になります。

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2005暮、タイ王国旅行記1

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