2000/06/02 - 2000/06/14
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森鴎外は1884(M17)〜1888(M21)年まで独逸に留学した。1886年のルードヴィッヒ2世の溺死事件の時は丁度ミュンヘンで勉学中であった。(ミュンヘン滞在1年3ヶ月)
小説「うたかたの記」はこの時の経験から生まれた。発表は1890年(M23)である。
この地は1997年 2000年と二回訪問。
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鴎外 独逸3部作
ベルリン(ベアリーン)を訪れるなら「舞姫」を。ドレスデン(ドレースデン)なら「文ずかひ」。 そしてミュンヘンとノイシュヴァンシュタイン城を訪れるなら「うたかたの記」を読んで出かけられたら、明治時代前半、独逸帝国が統一(1871年・明治4年)されて間もない頃の雰囲気が良くわかり、その旅の印象もより深く記憶されるであろう。
※以下のコメントはこの岩波文庫から抜粋借用させて頂いた。 -
人はこの城をデズニーランドのモデルだという。
しかしながら、ルードヴィッヒ2世は自分だけの為にデズニーランドを作ってしまったという方が適切なのかも知れない。しかもバイエルン王国に莫大な借金を残してまで。おかげでバイエルンはビスマルクのプロイセンの風下に立ってしまった。
ところが今日、一世紀以上たってから、この城には世界中からワンサと観光客が訪れる。この城を管理している財団?にはさぞや莫大な収入が入る事であろう。黄泉の国でこの王様は苦笑いをいているに違いない。 -
王の繁華の地を嫌いて、鄙に住まひ、昼寝て夜起きたまふは、久しきほどの事なり。独
逸、仏蘭西の戦ありし時、加特力(カトリック)派の国会に打勝ちて、普魯西(プロシャ)方につきし、王が中年のいさをは、次第に暴政の噂におおわれて、公にこそ言ふものなけれ、陸軍大臣メルリンゲル、大蔵大臣リイデルなど、故なくして死刑に行はれむとしたるを。その筋にて秘めたるは、誰知らぬものなし。王の昼寝し玉ふときは、近衆みな却けられしが、うわごとにマリイといふこと、あまたたびいひたまふを聞きしもありといふ。 -
新聞の号外売る婦人あり。買ひて見れば、国王ベルヒの城に遷りて、容体穏やかなれば、侍医グッテンも護衛を弛めさせきとなり。汽車中には湖水の畔にあつさ避くる人の、物買いに府に出でし帰るさなるが多し。王の噂いと喧びす。「まだホオヘンシュワンガウの城ゐたまひし時には似ず、心鎮まりたるやうなり。・・・・・・」
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国王の棲めりといふベルヒ城の下に来し頃は、雨いよいよ劇しくなりて、湖水のかたを見わたせば、吹寄する風一陣々、濃淡の竪縞おり出して、濃き処には雨白く、淡き処には風黒し。
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蘆の一叢舟に触れて、さわさわと声するをりから、岸辺人の足音して、木の間を出づる姿あり。身の長(たけ)六尺に近く、黒き外套を着て、手にしぼめたる蝙蝠傘を持ちたり。
・・・・・「彼は王なり」・・・・ -
岸に立ちたるは、実に侍医グッテンを引きつれて、散歩に出でたる国王なりき。あやしき幻の形を見る如く、王は恍惚として少女の姿を見てありしが、忽ち一声「マリイ」と叫び、持ちたる傘投棄てて、岸の浅瀬をわたり来ぬ。
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Alp See(アルプ湖)
確かに城の窓から見る景色は実に美しい。 -
180mmで撮った山並み、迫力がある。3000米にはとどかない山々だが登山意欲が湧く。(独逸には3000米を越す山は皆無)
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Schwan See(白鳥湖)
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時は耶蘇暦千八百八十六年六月十三日の夕の七時、バワリア王ルウドヰヒ第二世は、湖水にて溺れてそせられしに、年老いたる侍医グッテンこれを救はむとて、共に命を殞し、額に王の爪痕を留めて死したりといふ、おそろしき知らせに翌十四日ミュンヘン府の騒動はおほかたならず。街の角々には黒縁取りたる張紙に、この訃音を書きたるありて、その下には山をなしたり。 新聞号外には、王の屍見出だしつるをりの模様に、さまざまの憶測附けて売るを、人々争ひて買ふ。
1886年6月20日 発行 「Das Deutsche Vater Land」に掲載された挿し絵。
※「Ludwig 2.」H.F.Nohbauer / Taschen から転載 -
六月十五日の朝、王の柩のベルヒ城より、真夜中に府に遷されしを迎へて帰りし、美術学校の生徒が「カッフェ・ミネルワ」に引上げし時、エキステルはもしやと思ひて、巨勢(主人公)が「アトリエ」に入りて見しに、彼はこの三日がほどに相貌変りて、著しるく痩せたる如く、「ロオレライ」の図の下に跪きてぞゐたりける。
国王の横死の噂におおわれて、レオニに近き漁師ハンスルが娘一人、おなじ時に溺れぬといふこと、問ふ人もなくて已みむ。(完)
※「Ludwig 2.」Hans F.Noehbauer/ Taschen
から転載
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