Lillyさんのクチコミ(62ページ)全4,848件
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投稿日 2021年05月20日
総合評価:4.0
旧日本陸軍戦闘機「飛燕」。
太平洋戦争で使用されていました。
戦闘機に限らず日本の飛行機を空爆から守るために作られたのが掩体壕です。
以前茨城県の鹿島臨海工業地帯で海軍が開発した人間爆弾「桜花」の掩体壕を見ました。
その衝撃は一生忘れられそうにありません。
桜花のレプリカが設置してあり鳥肌が立つほど恐ろしかった。
大沢掩体壕も闇を曝け出して不気味な姿…。
ですがどちらも残しておくべき戦争遺産です。
今回は東京都に残る掩体壕を見学することにしました。
こちらの2基と白糸台の1基は陸軍所有。
飛燕は太平洋戦争の後半に誕生しました。
本来は液冷式エンジンを搭載する予定でしたが物資不足で間に合わず、空冷式に変更されたと聞きます。
東京大空襲の時にはB29に挑んだ戦闘機でした。
生産力も物資もない中、一機でも多くの飛行機を守る事が勝利への一縷の望みだったのでしょう。
ちなみに飛燕は岐阜県各務原市の博物館に一機だけ現存しています。
ここで不思議な縁に辿り着きました。
陸軍戦闘機「飛燕」の設計者は川崎飛行機の土井武夫氏。
対する海軍戦闘機「零戦」の設計者は三菱重工業の堀越二郎氏。
2人は東京帝国大学工学部航空学科の同級生だったのです。
ライバルであり盟友ですね。
個人的にはものすごい発見でした。
堀越二郎氏が零戦を誕生させるまでの経緯を知るには映画「風立ちぬ」がお勧め。
宮崎駿監督のアニメなので理解しやすいですよ。
調布飛行場近辺だけでなく、多摩地区は陸軍関連施設がとても多かった場所です。
関心がある方は戦跡を廻ってみて下さい。- 旅行時期
- 2020年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2021年05月20日
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投稿日 2021年05月20日
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投稿日 2021年05月20日
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投稿日 2021年05月20日
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投稿日 2021年05月20日
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投稿日 2021年05月20日
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投稿日 2021年05月20日
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投稿日 2021年05月20日
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投稿日 2021年05月20日
総合評価:3.0
日本医大の碑だけは他と違って石柱タイプではありません。
ですがつつじの植え込みの中にあるのですぐわかります。
この大学はスパニッシュの装飾を施して建てられたモダンな建物だったようです。
その建物写真が墓石のような黒い石に彫り込まれています。
それが石柱タイプにしなかった理由でしょう。
今の日本医大本院は根津・千駄木エリアです。
救命救急に力を入れている病院だと認識しています。- 旅行時期
- 2021年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2021年05月19日
総合評価:3.0
東京府立中学校=頭が良い。
これは後の進学率でもわかります。
そして当時のエリート校である陸軍幼年学校、陸軍士官学校、海軍兵学校等の軍学校へ多くの生徒が入学していたという歴史もあります。
同じような時期に建てられた大学や中学。
その多くが後の戦争に関わっていきました。
学徒動員もあり多くの学生が道半ば命を落としています。
この辺一帯の学校乱立を見ていたら、近づいてくる太平洋戦争の匂いを感じました。- 旅行時期
- 2021年05月
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投稿日 2021年05月19日
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投稿日 2021年05月19日
総合評価:3.0
皇典講究所が母体とのこと。
「國學院」という校名でピンときますね。
明治時代後半は大学設立ラッシュ。
そして飯田橋から九段下エリアに跡地の石柱が点在。
なぜこのエリアに多くの学校が?
江戸城、皇居に近いことも何か理由だったのか。
農大が旧幕臣の子弟と関わりがあったように。
当時一般家庭からの入学者が少数だったのは間違いないと思います。
この辺にきて学校案内を読まされているようで退屈になってきました。
台所町跡、徽章業跡、北辰社牧場跡からの農大くらいまではまあまあ面白かったのですが…。
観光で歴史のプロムナードめぐりはあまりオススメしません。
趣味だったら良いのですが、大学跡地の石柱ばかり見ていてもつまらないですよ!
消滅した学校跡地なら興味も湧きますが、皆移転しただけで今も残っています。- 旅行時期
- 2021年05月
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投稿日 2021年05月19日
総合評価:3.0
隣が北辰社牧場だった東京農大。
こんなに多くの学校や家屋敷がある場所に数十頭の乳牛が飼育されていた事の経緯を憶測していたら当たっていました。
農大の経営母体は思った通り育英黌農業科!
時代背景的にそうなんじゃないかと考えていました。
まず北辰社牧場の石柱から読みました。
次に農大の石柱を読んで大いに納得。
やっぱりね!という感じです。
歴史のプロムナードとして観光地化しているのであれば、もう少し片付けた方が良いですよ。
農大の石柱の下はゴミ置き場になっていました。- 旅行時期
- 2021年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 1.0
- ゴミ置き場になっている
-
投稿日 2021年05月19日
総合評価:3.0
幕臣の一人がオランダに留学し、様々な知識を取り入れて帰国。
その後いろいろと衝突はあったが、最終的には敵方に能力を買われ新政府では幾多の要職に着いた、と。
その人が旧幕臣子弟のためにここへ農業学校や牧場を作ったという。
最盛期には乳牛が数十頭飼育されていて牛乳を提供していたと石柱にあります。
歴史のプロムナードでわかると思いますが当時からこの辺りは家屋敷や大学がやたら数多く点在していました。
そんな中に牧場があったとは。
信じ難い話です。
隣が東京農大だったから連携していたのでしょうか。
ここの農業学校から農大に進学したとか?
時代的にその可能性もありそう。
今と比べると信じられない光景だけど、昔は普通だったのかもしれません。- 旅行時期
- 2021年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2021年05月19日
総合評価:3.5
徽章をザックリ説明すると職務や身分を示すバッジ。
現在でも会社員、議員、弁護士等が付けて付けていますね。
職務を示す点においては警察官や自衛隊などにも取り入れられているし、身分を示すという点では校章も身近な徽章のひとつでしょう。
これはほんの一握り。
現在でも需要は多く、なくてはならない仕事なんだなと感じました。
今まで意識したことはありません。
新たな発見ができたのはちょっと嬉しいです。
徽章業の始まりは明治18年。
この時代には日本軍が存在していました。
一般兵や下士官にも階級を示す徽章が帽子や襟や肩に付いてました。
階級が上がるに従ってその数は増えていきます。
軍服の胸にズラリと何段にも付けられたバッジをご存知な人は多いでしょう。
それと同じように付けられた勲章も該当します。
昔は今とは違った意味での需要が高かったのがわかります。
徽章は立体的なバッジのみならずプリントやワッペンというような平面的なものから始まっています。
今ではトロフィーなど大きな物も徽章のひとつとされています。
知ると面白くなりますね。- 旅行時期
- 2021年05月
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投稿日 2021年05月19日
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投稿日 2021年05月19日
総合評価:2.0
飯田橋から発祥の地を見ながら帰りました。
同じような石柱が所々にあるのは知っていましたが、ひとつひとつ見ようと思った事がなくて。
だって面白くなさそうだから。
道の両脇にあるので渡りながらで疲れます。
東京女子医科大学発祥の地に関しては探してもなく、ホテルの裏側のトンネルまで通っちゃって怖かった。
挙げ句の果てには地下工事中で撤去されてるし。
歴史のプロムナードめぐりを予定されている方、ここは探しても絶対にみつからないのでご注意ください。- 旅行時期
- 2021年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 1.0
-
投稿日 2021年05月19日
総合評価:4.0
ここは私のお気に入りで定期的に通っています。
先週も行ってきましたよ!
目的は一階です。
街歩きの冊子やパンフレットがいっぱい!
地元じゃない街のものがほとんど。
下町にハマっている私はここで冊子をもらっては大いに楽しんでいます!
今は墨田区に凝っていて、先日はスカイツリーの近くに泊まって散策しました。
もちろんここで得た情報と両国観光案内所でもらった地図を参考にして。
まだまだ墨田区を巡りたいけれど、緊急事態宣言で博物館が閉まっているので行っていません。
次に目を付けている街は八丁堀近辺。
江戸時代の捕物に興味津々なのです。
現在ステイホームで本を読みまくり。
先週は中央区散策に備えて冊子をもらってきました。
ドトールは充電もできるし良いですよ。
この日は歴史のプロムナードを散策しながら帰りました。
発祥の地碑ばかりで正直つまらなかった!- 旅行時期
- 2021年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2021年05月19日
総合評価:3.0
説明板には「昔はこの辺りは寺町だった」とありますが、いまでも充分寺町です。
駅周りも神楽坂方面も早稲田方面もお寺だらけ。
昔は今以上にあったなんてスゴイ!
住宅街はほとんどなかったのでしょう。
この階段は長いので避けたい所です。
幽霊坂とも言われていたとのこと。
今でも暗くなるとなかなか雰囲気ありますよ。- 旅行時期
- 2021年05月


















































































