kioさんへのコメント一覧(17ページ)全472件
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古城Y・Hの名前が・・・・・
ライン川の丘の上にある古城Y・Hに泊まったことがありますが名前が思い出せ無かったのですが、調べてみるとバッハラッハY・Hですよね・・・????
記憶が曖昧なのですが古城のY・Hという事で思い出として残っていました。
ヒッチハイクの旅でしたのでいろんな小さい町も通っていて記憶がゴチャゴチャになってまして全く整理がつきませんね・・・・まして1970年の頃の話ですから・・・
当時の物はほとんど残っていなくて写真なんかはカメラが盗まれた為に撮れなくて絵葉書ばかり買って居ましたね。
今、手元に残っているのは絵葉書と数少なくなったワッペンですね。
どんな経緯でカメラを盗られたかを語りますとコペンのY・Hを満員で断られまして数人の日本人と共に野宿を公園でやりましてグッスリ寝入っている間にバックを荒らされましたね。
寝袋の中にカメラなど入れて寝れませんし、まして盗難なんて頭には無かったですね。日本を出て三ヶ月目の記念すべく盗難第一回目でした。
Kioさんの友達のミュンヘンのキャッチバーの話は思わず笑ってしまいましたよ。なぜかと言いますとそんな話をバックパッカーから聞いた覚えがありますから・・・
その人の話に依りますと万が一怪しげなお店に入ったならば、決して奥の席に座らなくて入り口の席に陣取ってイザとなったら逃げるが勝ちだそうです。
日本人は料金交渉を直ぐにやりますが、こんなボッタクリの人間相手には話なんかは無用でとにかく人の多い外に逃げるのが一番だそうです。
店の中ではなにが有っても不利ですから、多少なりとも店の外なら変わるかもしれませんね・・・・・
但し自己責任でやってくださいよ・・・当方は無関係ですから・・・・
君子の私はそんな危ない場所には近寄りませんが、未だにその種の話が出てきますね・・・・・2008年10月20日09時58分返信するRE: 欧州四方山話
鳩摩羅汁さん こんばんわ〜
いつも書き込み頂戴し有り難うございます!
ライン川沿いのユース 私が泊まったのはコブレンツでしたから
バッハラッハYHとは違うかも?
> ヒッチハイクの旅でしたのでいろんな小さい町も通っていて記憶がゴチャゴチャになってまして全く整理がつきませんね・・・・まして1970年の頃の話ですから・・・
バッハラッハという言葉で唐突に思い出した事があります。
スイスはグリンデルワルドにあるユースホステルの管理人<1960年代〜70年代>のお名前がバッハラーさんというとてつもなく厳しく口煩い事で
有名である意味、伝説的な人なんですが、鳩摩羅汁さん、もしかして
ご存じではないでしょうか?70年代半ばに初めて欧州を初めて
旅したとき、幾人かのパッカーからバッハラーさんにまつわる話を
聞いたことがありましたが、実は旅に出る前からその人の存在を
知っていました。このユースでヘルパーとして1966年頃に働いて
いらした方の欧州滞在記を20歳くらいの学生の頃に読んでいた所為で
随分と欧州一人旅に影響を受けた書物の一つになりました。
その方は(kaubeさん)というHNで4トラベルにも登録されて
私のお気に入りにも入れさせて頂いているので、鳩摩羅汁さん もし未読でしたら
是非 ご覧ください。画像は全くない文章だけの旅行記ですがグイグイと
引っ張り込まれますよ。このグリンデルワルドのYHの日本人ヘルパーは
koubeさんで三代目らしいのですが、初代の日本人ヘルパーは1964年頃に
ここで働いていた女性だそうです。縁あってこの女性からメールを頂戴したことが
あったのですが、日本人ヒッチハイカーの先駆けと自負していると書かれていましたね。
> Kioさんの友達のミュンヘンのキャッチバーの話は思わず笑ってしまいましたよ。なぜかと言いますとそんな話をバックパッカーから聞いた覚えがありますから・・・その人の話に依りますと万が一怪しげなお店に入ったならば、決して奥の席に座らなくて入り口の席に陣取ってイザとなったら逃げるが勝ちだそうです
もう余りにも定番な笑ってしまう程のボラレ話ですよね。
私も当事者の彼からこの話を聞いたときは、腹を抱える程に
大笑いしたモノです。自分もプチぼられ話は幾つか持っていますが
アテネなんか、昔から多かったですね。その手のお店・・
※ 客の居ない様なその手の店に間違えって入店したときは様子を見る事なく、即 店を飛び出すのが鉄則です(頭が痛い〜とか腹がいて〜とか派手なジェスチャー混じりで)座ったらもう ダメ(爆)シャンパンなんぞをすぐに開けられてしまいます。そうなったら悪夢のベルトコンベアーですよん(経験あり)泣・・・
イヤハヤ〜 妙なレスになっちまいました(滝汗)
2008年10月20日23時12分 返信する -
kioさん40回目のご訪問ありがとうございます。
こんばんは、ご無沙汰です。
不思議なんですが再投票で来ちゃうんです。ほとんどkioさんの旅行記は投票してるはずなのにかなり投票で来ました。
久しぶりに「旅」に出るつもりです。西アフリカに行こうと思ってます、モロッコよりアフリカ入り、マリへ空路で入ってからバスをメインに東進しニジェールから西進、ブルキナファソ、コートジボアールを下り、ガーナ、トーゴ、ベナンと東進しナイジェリアより中東経由で帰国のルートを計画中です。まぁ、チケット屋さんとも話して希望通りのチケットがあるかどうかというのもありますが。
3週間という期間は制限されますが久しぶりにひとりでパックを背負うのは楽しみです。2008年10月03日22時33分返信するRE: kioさん40回目のご訪問ありがとうございます。
arfaさん ご無沙汰してます。!
書き込みありがとうございます。
そして幾つも幾つも投票いただきありがとうございます
> 久しぶりに「旅」に出るつもりです。西アフリカに行こうと思ってます、モロッコよりアフリカ入り、マリへ空路で入ってからバスをメインに東進しニジェールから西進、ブルキナファソ、コートジボアールを下り、ガーナ、トーゴ、ベナンと東進しナイジェリアより中東経由で帰国のルートを計画中です。まぁ、チケット屋さんとも話して希望通りのチケットがあるかどうかというのもありますが。
すんげ〜〜 辺境のコースですよね!
季節はいつ頃いかれるんでしょうか?
予防注射もおそらく何種類も打たなければならぬようなエリアですね。
arfaさん おそらく私とほぼ同世代のはず・・
もうすんげ〜〜〜と云うか感服モノですよん
体力、気力、知力、現地情報 充分過ぎるほどに整えて
出掛けてください!
> 3週間という期間は制限されますが久しぶりにひとりでパックを背負うのは楽しみです。
旅は出掛ける前にあれこれ夢想したり計画したりする時が
一番楽しいですよね2008年10月03日22時49分 返信するRE: kioさん40回目のご訪問ありがとうございます。
>すんげ〜〜辺境のコースですよね!季節はいつ頃いかれるんでしょうか?
はーい、早速ありがとうございます。来月22日頃から出発予定です。バスでオアシスを順次進みながら行くつもりです。
>予防注射もおそらく何種類も打たなければならぬようなエリアですね。
問い合わせたら3週間なら黄熱病だけでいいようです。10年有効なので南米も行けますよ。マラリアは発症遅延薬を持って行くつもりですが狂犬病や何とか病、20種類くらいの病気の蔓延地のようです。
>arfaさん おそらく私とほぼ同世代のはず・・もうすんげ〜〜〜と云うか感服モノですよん
いいえ、先達だったkioさんには全然及びません、多くのことが恵まれた今と30年前は違いますよ。年齢はもう少しで53歳になります。まだ体力が残っているうちに一番行きにくいところを行っておきたいのです。
>体力、気力、知力、現地情報 充分過ぎるほどに整えて出掛けてください!
はい、ありがとうございます。
2008年10月03日23時10分 返信するarfaさんといい、がましゃんといい、ひたすらに眩しいですよん
> はーい、早速ありがとうございます。来月22日頃から出発予定です。バスでオアシスを順次進みながら行くつもりです。
オオ〜〜 来月出発ですか!
三週間ならかなりの超強行スケジュール、しかもバスでの移動ですか
本当に体力、気力 整えてお出かけください。
過ぎるほどの無理は禁物ですよ。ご自身の体力に余力が残る程度に
旅のスケジュールを組まれてください。
文字通りの老婆心ながら・・・
2008年10月03日23時31分 返信する -
しんみりと・・・うれしい気分に
kioしゃん
途方もなく随分、ご無沙汰しております。
あらためて「リスボンのハヤシ君」を読みました。
僕もチベット・カムで少し似たような経験がありまから、去来するものがあって随所で胸打つものがあります。
そうなんですよね!
どうしょうもない言葉のハンディキャップだけは切ない、それでも次第に以心伝心していく。そんな情景が克明に描かれて、うれしくなります。
でも僕には、kioしゃんと違って文才がな〜いのでツライ!
次回からパクリますね。
そっくりに(爆)・・・本気!
RE: しんみりと・・・うれしい気分に
がましゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん !!
元気でおられましたか??
また中国のおいらも知らないような場所で沈没する予定は?
有るや無しや??
> あらためて「リスボンのハヤシ君」を読みました。
> 僕もチベット・カムで少し似たような経験がありまから、去来するものがあって随所で胸打つものがあります。
いや〜〜 もし今の時代にリスボンの街角で同じように声を掛けられても
多分、ついていかないでしょうねえ おそらく・・・
> どうしょうもない言葉のハンディキャップだけは切ない、それでも次第に以心伝心していく。そんな情景が克明に描かれて、うれしくなります。
> でも僕には、kioしゃんと違って文才がな〜いのでツライ!
以心伝心も勘違いと云う事も多々ありますから(爆)
> 次回からパクリますね。
> そっくりに(爆)・・・本気!
がはは〜〜 その時は是非ゼヒご連絡ください〜
おいら 速攻で見にいきますよん2008年10月03日21時34分 返信する -
パリの理髪師の話・・・・・
私の時も理髪師の人がいましたよ。
出会った場所は覚えていませんが1970年〜71年のヨーロッパですね。もしかしたら私が出会った同じ人かも知れませんよ・・・???
その人も私と同じナホトカ航路で来たと言っていましたね。
そしてやはり手に職があれば世界のどこでも働けると言っていましたね。
ですが、いくら手に職があるとは言え、言葉が判らないのにどうやって客とのコミュニケーションを取るんだと言ったら、いきなり客の髪を坊主頭にするわけにはいかないから、下働きから始めるんだと言っていましたね。
私なんかは北欧で皿洗いの職でも見つければどうにかなると思っていましたが、
現実はそんなに甘くなく、あわや野垂れ死になる所ヒッピー達に助けてもらいましたね。2008年10月02日21時39分返信するRE: パリの理髪師の話・・・・・
鳩摩羅汁さん こんばんわ〜
いつも書き込みありがとうございます。
> 私の時も理髪師の人がいましたよ。
> 出会った場所は覚えていませんが1970年〜71年のヨーロッパですね。もしかしたら私が出会った同じ人かも知れませんよ・・・???
あっ それは違う人ですね。私が出会った理髪師は私と同じ歳、
70〜71年の頃はまだ高校生の頃でしたから、彼はもう働いていましたが。
> 私なんかは北欧で皿洗いの職でも見つければどうにかなると思っていましたが、
> 現実はそんなに甘くなく、あわや野垂れ死になる所ヒッピー達に助けてもらいましたね。
1970年の頃、週間プレイボーイ誌で北欧でちょいと皿洗いでも
すれば数十万すぐに貯まるというようなイージーな記事が載っていたことを
覚えてます。当時高校生のバイト代が時給300円程度だった時代の話
ですから、子供心に眩しいように感じた記憶がありますよん2008年10月02日22時41分 返信する -
旅行記、コミュで紹介しました。
kioさま、はじめまして。
先日、自分のアルハンブラの旅行記をアップして確認している時にkioさまの旅行記を発見し、面白くて読みふけってしまいました。
その時には読みきれず、また今日再訪しました。
私はコミュニティ、「4トラベル・ファンクラブ」作って、管理人やっているんですが、
kioさまの旅行記を読んだ後、ぜひコミュで紹介したくなって、こんなトピを作りました。
http://4travel.jp/community/topic/10000459/10039517/
勝手にkioさまの旅行記のアドレス貼り付けましたが、もし差支えがあれば削除いたしますので、お知らせください。
では、また読みにきます。
追伸:今から旅行記作るところですが、この夏、洞窟フラメンコ見ました。
ホテルからバス送迎、アルバイシン地区の観光付き、フラメンコは1時間ほどで25ユーロでした。
安くて安全になったんですね!
2008年10月01日23時16分返信するRE: 旅行記、コミュで紹介いただき ありがとうございます
夏への扉さん こんばんわ〜 そして初めまして!
書き込み頂き有難うございます。
私の1970年後期の珍妙な旅行記を夏への扉さんのサイトで紹介頂き、
トピックまで立てて貰いもう恐縮至極です。ありがとうございます。
> 先日、自分のアルハンブラの旅行記をアップして確認している時にkioさまの旅行記を発見し、面白くて読みふけってしまいました。
その時には読みきれず、また今日再訪しました。
<アルハンブラの変な思い出>から読んで頂いたようで
ありがとうございます。あの頃のスペイン、本当に治安が良くて
物価も安く、人々もフレンドリィで良い記憶しかありませんでしたね
スペイン編は<失踪花嫁・マドリード編><バルセロナの驚愕>と
妙な遭遇やお馬鹿な老女ストーカー話とか尋常ではないような
出来事ばかり載せています。
> 追伸:今から旅行記作るところですが、この夏、洞窟フラメンコ見ました。
ホテルからバス送迎、アルバイシン地区の観光付き、フラメンコは1時間ほどで25ユーロでした。
安くて安全になったんですね!
1ユーロがどの位なのか今確認したら146円くらいなんですね
25ユーロで3650円くらいなんですねえ
サクロモンテの洞窟フラメンコもすっかりと観光組織化され
アヤシゲな客引きの入る余地もないようで・・・
もう70年代とは隔世の感がありますね
2008年10月02日21時14分 返信する -
asiaさんの掲示板から
kioさま。
asiaさんの掲示板を見ていて、asiaさんが「かなりハマった」kioさんのブログって・・・というわけでお邪魔いたしました。
1957年4月って、化石のようなものに出会いビックリ。
とはいうものの、私めが4才の時です。よく似た年代の方というのがこのサイトでは何となく懐かしい気がするのです。
maniと申します。RE: asiaさんの掲示板から
manihoujyuさん はじめまして!
書き込み有り難うございます
> asiaさんの掲示板を見ていて、asiaさんが「かなりハマった」kioさんのブログって・・・というわけでお邪魔いたしました。
いやはや〜 asiaさんの吸引力あるお言葉に感謝〜感謝です。
> 1957年4月って、化石のようなものに出会いビックリ。
>とはいうものの、私めが4才の時です。よく似た年代の方というのがこのサイトでは何となく懐かしい気がするのです。
もう若い人から見れば すべての旅行記が<化石もどき>かと
察します。1978年の頃の旅を中心に書いていますからね(汗)
manihoujyuさんは私と、もしかしたら学年が一緒かもしれませんね
東京五輪が小学5年の時、大阪万博が高校二年、三島由紀夫の自決が
高校二年の11月25日、浅間山荘事件が高校三年の3月の受験期、
ほとんど一緒でしょ? 多分? これからも宜しくお願いします
2008年09月15日22時18分 返信するRE: RE: asiaさんの掲示板から
> 東京五輪が小学5年の時、大阪万博が高校二年、三島由紀夫の自決が
> 高校二年の11月25日、浅間山荘事件が高校三年の3月の受験期、
> ほとんど一緒でしょ? 多分? これからも宜しくお願いします
1952年12月生まれの1才下です。
なるほどこのように列記されると、あのころの記憶を呼び覚まされる思いです。
大学一年の6月、初めての海外旅行に香港へ行きましたが写真も残っていません。というより、当時は写真を撮って残そうという意識も持ち合わせていませんでした。
以前はビルマであった国なども、今思えばカメラを持って行くべきでした。
4トラベルというこのサイトを知ってから、旅行でカメラを意識するようになったというのが正直なところです。ここ数年のことです。
とはいえ、今だに旅行中しばしばカメラを向けることを忘れてしまいます。
これからもよろしくお付き合いの程お願いします。
maniでした。
2008年09月15日23時31分 返信するRE: maniさん 投票たくさん頂きありがとうございます
maniさん こんばんわ〜
私のお馬鹿で間抜けな旅の体験記を色々と読んで頂き
更に数多くの投票まで頂戴し、ありがとうございます!
maniさん 私より学年で一つ上ですが、ほぼ同世代と云う事で
共通体験、共通認識、数多くあると察します。
丁度 我々の頃からですよね 卒業旅行に欧州に個人旅行で
出掛けるのが少しずつファッションになってきたのは・・・
私は中学の頃に小田実の<何でも見てやろう>そして高校の頃に
五木寛之の<青年は荒野を目指す>を読んで、欧州バックパッカーの
旅にとてつもなく憧れを持ったものでした。
今の若い人達は沢木耕太郎の<深夜特急>が個人旅としてバイブル視されて
いるんでしょうね。きっと・・・2008年09月16日22時20分 返信する -
混沌とした時代の旅でしたね・・・・・
もう二度とあんな時代の旅は出来なくなりましたね・・・・??
懐かしさの反面、二度と戻らない青春時代をお互いに有意義な時間を費やしましたね・・・・・???
こんな年になつても昔の事を思い出せるなんてキット思い出深い旅だったんだな〜と感じていますよ。
ブタペスト編を読んでいまして私もモスクワでの出来事を思い出しましたよ。
東西冷戦時代のソ連邦は統制経済の為に極端にあらゆる物が不足していましたね。国営の百貨店を覗いて見ても貧弱な製品がガラスケースの中にポッンと置かれているだけでまして選り好みして選ぶなんて、全く皆無の状態でしたね。
有るだけで幸運で日常は長蛇の列がモスクワ名物でしたね。
そんな頃に西側から、着飾った旅行者が街中を歩いていると服を売ってくれとか挙句には履いている靴まで譲ってくれと声をかけられましたね。
勿論、高額なカメラや時計も一部の裕福そうな人から声が掛かりましたが、ひとつ問題がありまして・・・・それは支払いがドルではなくてルーブルで有った事です。
ホテル内では支払いはドルで一部のレストランだけルーブルの支払いが可能でしたね。
外ではルーブルが当然使えましたが悲しいかな旅行者が欲しがるそうな物が全く見当たりませんでしたね。
当然ですよね・・・日常品でも不足しているのですから・・・
それと外には旅行者相手の店などありません時代でしたね。
私と言えば、数枚のシャツを売って8000円ぐらいのルーブルを手に入れましたが前記の如く買う物が無く、ドルへの再両替も不可能で(たとえドルからルーブルの両替のレシートが有っても再両替はしてくれない時代です)
泊まっていたホテルの旅行者を集めてレストランでお互いの旅の成功を祈っての大宴会の開催になりましたです。
余りにも羽目を外した為に後で精算したら2000円ぐらいの赤字になつていましたね。
ホテルの食事は割高が相場ですが、これには堪えましたです・・・・
それと市内にはKGBみたいな秘密警察が徘徊していまして闇ドル買いや闇商人の摘発に目を光らせていましたね・・・・・2008年09月12日10時24分返信するRE: 混沌とした時代の旅でしたね・・・・・
鳩摩羅汁さん お久しぶりでっす!
書き込み有り難うございます。
> もう二度とあんな時代の旅は出来なくなりましたね・・・・??
懐かしさの反面、二度と戻らない青春時代をお互いに有意義な時間を費やしましたね・・・・・???こんな年になつても昔の事を思い出せるなんてキット思い出深い旅だったんだな〜と感じていますよ。
当時はそう思わなかったんですが、今になって振り返ると
あの長い旅の日々はちょいと臭い言い方ですが
<青春のハイライトの日々>だったんだな〜とつくづく思いますよん
> ブタペスト編を読んでいまして私もモスクワでの出来事を思い出しましたよ。
> 東西冷戦時代のソ連邦は統制経済の為に極端にあらゆる物が不足していましたね。国営の百貨店を覗いて見ても貧弱な製品がガラスケースの中にポッンと置かれているだけでまして選り好みして選ぶなんて、全く皆無の状態でしたね。
1978年当時、比較的 東側諸国のなかでも水準の高いと云われた
ハンガリーさえも西側の工業製品はドルショップで販売されていました。
私の所有していた八年落ちの!キャノンの一眼レフでさえも何度も
売って欲しいと云われたものでした。
鳩摩羅汁さんは10代で欧州行脚されたんですよね?
なかなかいい度胸というか、向こう見ずというか(爆)
でも若い感性の柔らかく、豊かな時に一生モノの良い体験を
したと思いますよ。
ひたすらバックパッカー同士の怪しげで不確かな口コミ情報だけが
頼りだった本当に手探りのような旅の日々だったですね
2008年09月15日21時47分 返信する -
一人旅は幸・不運は紙一重、その通りですね。
>深夜にバンコックに到着した私も・・・・・、ドライバーは法外な金額を我々に告げたくらいだった。
こうして旅文を綴っていて私は思う。 一人旅は幸・不運は紙一重、判断はすべて自分自身に委ねられる。臆病者の私でさえ、時には思いもしない大胆な行動や判断をしてしまう事も多々あった。ナイフで脅された事も有った。ただ、今になって振り返って考えれば、ひたすら運が良かったとしか云いようが無い、とつくづく感じてしまうのだ。
私も深夜のタクシーなど実はひとこと以上は値切らないようにしています。実際はもっと安いだろうと思っても深夜にケンカしてもいいことないし、反対に仕返しにやばいところで放り出されたり、強盗になられるのもいやなので。
とはいえこれも運ですので運が悪ければ悪い運転手にあたるかもかも知れません。
旅先のケンカはしない、旅してればいろんなことがありますけれど本当に私も運に助けられていると思います。ナイフもありましたし、自動小銃を向けられたこともありました。でも運がいいために今も生きておられると思っています。刺されたり撃たれるのもありえるシーンでした。
運を過信することなく旅先では絶対に不利なのでケンカはしない、慎重に臆病に旅を続けます。いつかは切れるものですから。
RE: 一人旅は幸・不運は紙一重、その通りですね。
arfaさん こんばんわ
書き込みありがとうございます
> 私も深夜のタクシーなど実はひとこと以上は値切らないようにしています。実際はもっと安いだろうと思っても深夜にケンカしてもいいことないし、反対に仕返しにやばいところで放り出されたり、強盗になられるのもいやなので。
> とはいえこれも運ですので運が悪ければ悪い運転手にあたるかもかも知れません。
うんうん(^-^) 事故に遭う、事件に巻き込まれる ってもうほとんど
紙一重のことなんですよね。如何に巧みに無用なアクシデントから
身を守っていくという事は、常識的な落とし処で決着させるという事なんですよね
> 旅先のケンカはしない、旅してればいろんなことがありますけれど本当に私も運に助けられていると思います。ナイフもありましたし、自動小銃を向けられたこともありました。でも運がいいために今も生きておられると思っています。刺されたり撃たれるのもありえるシーンでした。
後々になってゾッとしたりしませんか? あん時はマジでやばかったなあ〜
と・・・思い返すと幾つもの場面を思い出す事ができてしまいますよね。
結果的に刺されることも撃たれることもなかったゆえ、今 お互いにPCに
向かってキーボードを叩いていることが出来るわけですが・・
でもarfaさんにおかれましては、オンタイムで海外一人旅をされているわけで
好漢arfa氏 本当にくれぐれもご自愛ください
2008年05月26日23時11分 返信する -
そんでかな〜in台湾・・・・
オーストラリアには神戸からクルーズ船で3週間ばかりかけて、基隆と高雄そして香港に寄航しながら行きましたです。
当時の台湾はビザが必要でしたが一時上陸としてビザ無しで街を徘徊しましたです・・・・・そんな時ですが街ゆく人達が私をジロジロ見たり、ひどいのは家の中から飛び出してきて見ていましたです。
単にヒッピーみたいな人間が珍しいのかと思っていましたですよ・・・
この旅行で私もカンガルーの毛皮と特大のコアラのぬいぐるみを買ってしまいましたが同じ船で帰国する人に頼んで運んでもらいましたです。
今でも我が家に置いて有りますが、他になぜかコアラのぬいぐるみが大小合わせて四体も有ります・・・・みんなお土産品で頂いた物ですが昔も今も同じ土産しか無いのですかね〜〜???
今はオーストラリアも日本人観光客でいっぱいですが当時は少なかったですよ
又、バンコク編のつづきには寄らせて頂きます・・・・・2008年05月25日22時41分返信するRE: そんでかな〜in台湾・・・・
鳩摩羅汁さん こんばんわ
書き込みありがとうございます
> オーストラリアには神戸からクルーズ船で3週間ばかりかけて、基隆と高雄そして香港に寄航しながら行きましたです。
いいっすねえ〜 神戸からオーストラリアへクルーズ航海なんて 素晴らしい
40年位前には神戸からマルセイユ行きの船便も有ったらしいですね
私の直近のクルーズ?は九州の日向から川崎へ向かうサンフラワー号(爆)
数年前ですが、それでも船旅をそれなりに堪能したものでした。
> 又、バンコク編のつづきには寄らせて頂きます・・・・・
バンコック編 鳩摩羅汁さん的には突っ込み処が沢山あると思いますので
是非 是非 突っ込みにきてくださいませ2008年05月26日22時53分 返信する -
バンコク編を読ませて頂きました。
物々交換で絨毯を手に入れられたんですが、損得はどちらでしょうか・・・??
モロッコ商人が相手ですから多分、損をしたと思いますが絨毯が手織りのシルクならば換えて良かったですよ。
良い物ならば今でもリビングの床に在るのではないですかね〜〜
旅先で絨毯を担いでの旅行は本当にご苦労様ですよ。
私なんかは逆に荷物が減っていきましたね・・・・
盗難に遇ったり、荷物(家電やら衣服)を売り払いながら旅をしていましたね。
70年代の前半にバンコクには行きましたよ。
オーストラリアを二ヶ月間ヒッチハイクしてフリマントル港からシンガポールを経てマレーシアとタイを旅しました。
シンガポールでは入管でひと悶着ありましたね・・・当時、ヒッピー族の入国はお断りで髪の毛を短くしないと入国できず、追い返されましたね・・・・
なんでも髪の毛が長くてふらついている人間はヒッピーの烙印を押されまして反社会人間だそうですよ・・・私かァ〜〜〜?????
そんな私でも堂々と入国しましたよ。もちろん髪の毛は切らずに・・・・
実はパスポートの写真は一年前にヨーロッパから帰国した頃のでして髭は生やすわ髪の毛は長いわで本場ヒッピー族そのものでしたね。
そんな姿からみれば、現在はまともだと押し通しましたね・・・たった髭を剃っただけでしたが・・・・・2008年05月21日11時37分返信するRE: バンコク編を読ませて頂きました。
鳩摩羅汁さん こんばんわ
書き込み有り難うございます
> 物々交換で絨毯を手に入れられたんですが、損得はどちらでしょうか・・・??
モロッコ商人が相手ですから多分、損をしたと思いますが絨毯が手織りのシルクならば換えて良かったですよ。
良い物ならば今でもリビングの床に在るのではないですかね〜〜
外人観光客向けのスーベーニールの類ですよん
たとえて云うなら浅草の仲見世で外人観光客向けに販売している
奇妙奇天烈なKIMONOもどきな感じでしょうね
今は多分押入の肥やしです。一度 車の後部座席に敷いた
事がありましたね(*^_^*) イマいちでしたわ(´ヘ`;)ハァ
あんなに苦労して持ってきたのに(^-^;
http://4travel.jp/traveler/kio/album/10024075/
<seikoと絨毯を交換したものの>編 よかったら読んで
みてください(#^_^#)
> シンガポールでは入管でひと悶着ありましたね・・・当時、ヒッピー族の入国はお断りで髪の毛を短くしないと入国できず、追い返されましたね・・・・
なんでも髪の毛が長くてふらついている人間はヒッピーの烙印を押されまして反社会人間だそうですよ・・・私かァ〜〜〜?????
1970年代後半は台湾も長髪は不可でしたね
空港に散髪屋が居てそこで髪を切れば入国が許可されたそうな・・
時代の変遷と共にモラルや風俗文化の価値基準も移り変わっていくものなんですね
2008年05月24日22時45分 返信する



