kioさんへのコメント一覧(19ページ)全472件
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記憶
kioさんこんばんは!久しぶりに、なだらかにカーブを描くようにスーッと脳に入ってくるkioさんの文面を拝見しました。
何だか「ああ、そういわれてみればそんなことアルアル〜」みたいにうなずきながら。
幼稚園に入園した辺りの4歳、5歳あたりになると割と誰々とこんなことがあって、父母に連れられあんな所に行ったり、、などとはっきりと覚えているものですが、それ以前の記憶になると、何となくそんなようなことはした覚えはあるんだけど、果たしてそれが実際なのかただの夢なのか想像なのかがはっきりしないことが多いです。
結構親に聞いてみると、「あんたよくそんな昔のこと覚えているわね〜」と返答され、まんざらただの想像ではなかったのだと実感することもあります。
ただしうっすら覚えていることと言えばだいたい、目でみただろうボンヤリした光景だとか、何かをして心地良かったその感覚だとか、非常に抽象的なものですが・・・
ためしにその場所を大人になってから訪ねてみると、具体的な記憶は何もないのにその当時多分感じたような、妙にむずがゆいような変な気持ちになったりします^^
戦争の爪跡関係といえば九段下にある「しょうけい館」という展示館は、戦中戦後の傷病者の方の記録や資料があり、非常に見ごたえがありました。RE: 記憶
ゆみナーラさん こんばんわ〜
書き込み そして投票頂き有り難うございます〜(*^_^*)
いつもながら訳の分からぬ旅行記と呼ぶには
とてつもなく程遠い事を書いているような感じです(・・;)
自宅から祖母に手を引かれて電車に乗って有楽町まで
出たのでしょうが、そんな記憶は毛頭残っているはずもなく、
皇居の玉砂利の上を歩いている場面から日の丸を打ち振り、万歳を
している場面で記憶は途切れます。でも幼児の目線の高さの記憶まで
覚えているという事は、子供心にも、とてつもなく印象深かったとしか
いいようが有りませんね。
三島由紀夫は新生児、産湯を浸かって居たときにタライの淵に
ほんのりと光が射していた記憶があると、書いていますが、
ちょいと驚愕モノですね
随分と前に<前世を記憶する子供たち>という本を読んだことが
ありますが、記憶にまつわる解明されていない<神の領域>のような
エリアは存在するのかもしれないですね
って すんげええ 話が脱線してしまいました( ̄□ ̄;)!!
2008年01月26日21時35分 返信する -
皇居の思い出
Kioさん
3歳児でも強烈な印象は記憶に残るのですね。幼児教育は本当に大切ですね。昭和天皇の一般参賀に手間のかかる3歳の孫の手を引いて連れて行かれたお祖母さんは立派だと思います。
昭和天皇は敗戦で意気消沈した国民を日本中まわられて励まされました。関西にこられたときは小学校全体で日の丸を持って天皇の車列の中ほど、確かロールスロイスだったと思いますがお迎えしました。ずっと手を振り続けておられました。海外ではヒットラーなみの独裁戦争犯罪人扱いする国もありましたが、常に国民に配慮されるすばらしい天皇でした。私も日の丸を振ってお迎えした記憶はずっと生き続けています。
私も東京に6年住んでいたことがあるのですが、皇居に行ったことがなく、昨年11月に二重橋の奥の鉄橋に近づいて初めて見て、東御苑の松の廊下跡、天守閣跡も初めて見て靖国神社まで歩きました。Kioさんが旅行記に書かれた赤穂義士ゆかりの場所も印象に残りますが靖国神社は胸が痛かったです。東御苑も北の丸公園も美しく良く整備されており、もし見ておられないならkioさんも一度訪問されることをお勧めします。
去年から関西中心に日本を歩いていますが、長く住んでいても目的を持っていないと近所も見ないものだと反省しています。今年は目的を持って近場を歩こうと思います。またkioさんの旅行記を楽しみにしております。
皇室との遭遇
さすらいおじさん殿 書き込みありがとうございます。
併せて投票も頂き有り難うございます。
さすらいおじさん殿の小学生時代に天皇陛下がご巡幸に
小学校に来られたのですか?多分 低学年の頃だったんじゃないかな?
うちの息子が小学6年の時に創立百数十年記念に
皇太子ご夫妻が来校したことがありました。
講堂にて息子は幸運にも両殿下の前で踊りを披露するという
栄誉を頂戴しました。(六年生全員で踊ったんですけどね)(*^_^*)
息子も成長してから、とてつない経験をしたと判るでしょう
んでこの時の警備が物々しかった。小学校を望む周りのマンションの
すべてに何時から何時まではベランダに干し物を出してはいけない。
この時間帯はベランダに出てもいけないという通達が地元警察を
通じてあったそうな・・講堂の催し物に出席できるのも身元が
ハッキリした学校関係者のみ、皇室警備はかなりナーバスになるようですね
>東御苑も北の丸公園も美しく良く整備されており、もし見ておられないならkioさんも一度訪問されることをお勧めします。
東御苑は未踏ですが、北の丸公園は大学が神田だったので
休講があったりすると、しばしば出掛けたものでした。
ボートから観る千鳥が淵の桜は、それは見事なものでした。
自分は東京での桜のベストビューポイントは千鳥が淵だと思っています。
>去年から関西中心に日本を歩いていますが、長く住んでいても目的を持っていないと近所も見ないものだと反省しています。
うんうん(^-^) そうですね。私の住む街は様々な施設が
出来た所為ですっかり観光化されて休日になると数多くの
人が訪れるようになりましたが、地元の人間はあまり
そういった施設にはいきませんねえ(^-^;
いつでも行けるという意識がある所為だろうなあ・・・
2008年01月23日21時39分 返信する -
リュックのワッペンは勲章ですね・・・
当時はいろいろな事をしましたね。
私なんかはヒッチハイカーでしたのでバックパックには日の丸を付けていましたね。又、カナダのヒッチハイカーも自国の国旗を良く付けていました。
もちろん、エンブレムや都市の市章も集めていましてパック旅行用のトランクに縫い付けました(その為にわざわざ布製のトランクを買いました)
空港ではすごく目立ちまして今、考えますと赤面の思いですが・・・
そんなカバンもターンテーブルから降ろすたびにKioさんと同様ワッペンが消えていきました。
昔話になりますが当時はいろんな旅人がいまして私みたいなヒッチハイカーは普通で中には西郷さんのスタイルでヒッチハイクをした人もいたそうです。
(注)上野公園の銅像ですよ・・・もっとも犬はつれてはいませんでしたが・・
そして、女の子では振袖を持参した人もいたそうです。
なぜか私もスーツにネクタイ持参でヒッチハイクをしていまして・・・・・
本当におかしな時代だったな〜〜と思い出し笑いをしていますよ・・・・???
2008年01月16日00時45分返信するRE: リュックのワッペンは勲章ですね・・・
鳩摩羅汁さん こんばんわ〜
>カナダのヒッチハイカーも自国の国旗を良く付けていました。
うんうん(^-^) そうでした。赤いメープルのカナダ国旗って
ザックにとても似合っているんですよね
<富士には月見草が良く似合う>と太宰は富獄百景で書いていましたが
<ザックにはメープル国旗が良く似合う>と心底 思いますね(*^_^*)
カナダ人バックパッカーから聞いた話ですけど、バックパッカーが
海外にザックスタイルで出るときにカナダのどんな機関か知りませんが
カナダ国旗が支給されるそうな・・今は知りませんが・・
>昔話になりますが当時はいろんな旅人がいまして私みたいなヒッチハイカーは普通で中には西郷さんのスタイルでヒッチハイクをした人もいたそうです。
結構 破天荒な人とも数多く遭遇しましたねえ
自分はブリュッセルのユースホステルで二人乗りのダンデム自転車を
さらに改造し二つのサドルの間に更に幼児用のサドルをつけて
三歳の女の子を真ん中に乗せて自転車で欧州を旅している日本人夫婦と
遭遇した時は驚きましたねえ でも彼等曰く、何処に行ってもとても
良くして貰っている、親切にして貰えると言ってましたね
2008年01月17日21時49分 返信する -
こちらこそご無沙汰です(*^◇^*)
今年もどうぞ宜しくです。今年の春一番のミステリーは何がでてくるのでしょうか?ますますの筆の冴えを楽しみにしています。またお邪魔します。2008年01月15日16時34分返信するRE: こちらこそご無沙汰です(*^◇^*)
ちょめたんさん こんばんわ〜
年末にドイツに行っていたのですねえ
>今年の春一番のミステリーは何がでてくるのでしょうか?
人間にとって一番最初の記憶というものは大事なものになると
云う話を昔 五木寛之のエッセイか何かで読んだ記憶があります。
実は私 一番最初の記憶をある理由で年月日まで特定して刻みこんでいる
というとても特異な話を近い内に書きたいと思います。
三歳と一ヶ月の時の記憶、、いやはや〜 都内某所での話、、
乞うご期待?(・_・?)ハテ
画像を一枚 何処からか頂戴して旅行記にしてしまいましょ(爆)
2008年01月17日21時27分 返信するRE: RE: こちらこそご無沙汰です(*^◇^*)
大々的に予告されましたね!!ヾ(℃゜)々
kioさんは最初の記憶なんて覚えているんですか、凄いですね。私は矢車草の咲き乱れている庭に立ってるそれだけしか覚えてないです。
期待してお待ち致します_(_^_)_2008年01月18日14時45分 返信する -
kioさんのリュックについて教えてください!!!
kioさん今日は♪
前々から気になっていたのですが
プロフィールの写真のリュックは
かなり年季が入っていますね。
kioさんが昔旅してきた証のようなものなんでしょうね!
国旗をはじめ色んなものが張り付いていますね。
・・・りみ・・・2008年01月09日19時20分返信するRE: kioさんのリュックについて教えてください!!!
りみさん こんばんわ
リュックについての書き込み、ありがとうっ
学生の頃 初めてバックパッカーで欧州を旅したとき
ミュンヘンのYH<ユースホステル>で同室になった
カナダのバックパッカーが、ザックに各国、各都市の
エンブレムやワッペンを一杯に縫い付けてあるのを見て
若かかりし御馬鹿なおいらは (ノ゜ο゜)ノ オオオオォォォォォォ−
カッコィィ〜〜〜と思ってしまったわけですよ(爆)
んで 今度旅に出ることがあったら 絶対に自分も同じように
やろうと思い(^-^; ヤッパリ〜アホだ〜〜
しかし 無残に最後に訪れたマニラの空港で
日の丸をはじめとして目ぼしいエンブレムのほとんどを
ナイフで切り取られてしまい、、(T^T)
マニラの空港ではやられると聞いていたので、隠す為のザックカバーを
何処かで購入しようと思ってたけど、それを怠った所為で(・・;)
今は我が家の物置で静かに眠っている私と一緒に世界を旅したザック・・・
2008年01月09日21時55分 返信する -
謹賀新年
kioさん、あけましておめでとうございます。
真夜中に機関銃のような音で目を覚まし
とうとうここいらも銃撃戦がはじまったのかと緊張したら
新年の花火でした、ははは。
まぎらわしい(怒涙)
ブット暗殺の夜
友人の夫は渋滞の車に次々と火がつけられるのをみて
車を捨てて逃げようと思ったそうです。
近くで燃料タンクが爆発したので。
幸い近場に知り合いの工場があったのでそこまでたどりついて
夜中の3時には家に帰れたそうです。
暗殺に抗議するために
なんで他人の車や銀行や商店に放火するのか?
楽しみでやる焚き火みたいに考えてるんでしょうかねー?
とんでもない「あけおめレター」になってしまいました。
この1年が平和でありますように。
でも面白いことはいっぱい起こりますように♪
〜唐辛子婆〜
2008年01月04日03時00分返信するRE: 謹賀新年
唐辛子マダム〜 謹賀新年です!
大変な時期に大変な場所にいますね
マダムのお住まいの近辺の治安は保たれているのでしょうか?
1月の選挙は予定通りに実施されるんですかね?
>暗殺に抗議するためになんで他人の車や銀行や商店に放火するのか?
楽しみでやる焚き火みたいに考えてるんでしょうかねー?
文字通りにアナーキーな状態になっているのでしょうね
大使館筋からは邦人に対して特に避難勧告のようなものは
まだ出ていない? 選挙結果では更に事態が大きく動く
可能性もありますよね。
唐辛子婆様 くれぐれも文字通りにご自愛ください!
2008年01月06日19時51分 返信するスコットランドヤード
>マダムのお住まいの近辺の治安は保たれているのでしょうか?
もうすっかり平穏になりました。
>1月の選挙は予定通りに実施されるんですかね?
2月18日に延期されました。
>大使館筋からは邦人に対して特に避難勧告のようなものは
>まだ出ていない?
暗殺直後に領事館から不要不急の外出はひかえるようにとの指示が
でましたが避難勧告にはいたりませんでした。
>選挙結果では更に事態が大きく動く可能性もありますよね。
そうですね、どうなるか予測がつきません。
とりあえず今のところの大きな関心♪は
死因の真相究明にやってきたスコットランドヤードがどう動くか
どのような結果を出すのか、出さないのか(!)ですね。
ワクワクワク(*^_^*)♪
2008年01月08日02時55分 返信する -
kioさん新年明けましておめでとうございます!
今年も宜しくお願いします。
まだまだ昔の写真でアップしていないものがあります。
ちなみに今日の予定は初ザルツブルクの写真だけ
アップしようかと思います
ぜひkioさんご覧になっていただきたいです。
これからも時々遊びに来てくださいね☆
・・・りみ・・・2008年01月01日16時29分返信する -
これからもコメントを書きますね・・・・
私自身は旅行記は一冊も書いていませんが、他の旅人(主にバックパッカーの旅行記)の面白い経験談などを拝見してコメントを寄せています。
Kioさんのバンコク編なんかは是非にコメントしたいですよ・・・???
2007年12月31日00時50分返信する -
旧ソ連邦でのパスポート置き忘れ事件
1970年にナホトカ航路で北欧の国へインテリアデザインの勉強を兼ねて旅をしましたが、私が出会った事件を書きます。
当時のソ連邦は自由旅行は皆無でほとんどの人は通過ビザでヨーロッパへ通過する唯一の安いルートでした。
只、最低2泊は強制で滞在させられてモスクワかレーニングラードに観光してヨーロッパ各地へと向かいましたね。
国際列車はヘルシンキとウィーン行きがあり、私はヘルシンキ行きの列車に乗車してましたが、その中の一人がパスポートをホテルに置いてきてしまいました。
当時はホテルに宿泊する場合はフロントに預けてチェックアウト時に受け取るシステムだと記憶しています。
フロントの対応のまずさは勿論のこと、国営インツーリストのサービスの皆無でその人は、あわれ国境の駅で降ろされてしまいました。
多分この列車がヘルシンキから戻るまでこの地に止められてホテルに戻ったと思われます。
又、モスクワに滞在中にウィーンへ音楽留学する女の子がインツーリストの手配した駅までのタクシーをホテルで待っていましたが時間になっても迎えに来ず、同じホテルに泊まった数人で駅まで送っていきました。
簡単に書きましたがタクシードライバーには英語など通じなく、ましてモスクワの駅は方面別に分かれていてオーストリアの地図と列車の絵を描いて辛うじて判らせました。駅へ着いたらほとんど発車時間になっており、皆で手分けして列車のモスクワ〜ウィーンのプレートを見つけてギリギリセーフで乗せてあげました。当の女の子は不安で目からは大粒の涙をこぼして一緒に付いてきてと懇願していましたが別れの挨拶も出来ないほど時間が迫っていて、皆で手を振るのが精一杯でしたね。
当時は旅行者同士で助け合っていましたが今の時代は・・・・・・?????
2007年12月28日12時23分返信するそれぞれのパスポート置き忘れ事件
鳩摩羅汁さん お久しぶりです
鳩摩羅汁さんが十代の時にモスクワ経由でヘルシンキに向かったという
書き込みを鳩摩羅汁さん の掲示板で知りました。10代での海外一人旅は
相当に思い切らないと出来なかったでしょうな。
1970年に 鳩摩羅汁さんが欧州に向かった時、自分は高校生でしたが
既にVIAモスクワでヘルシンキに向かう計画を立てていました。
東京にあるインツーリストのオフィスから資料を取り寄せ、
確かヘルシンキまで11万〜13万位だったと記憶しています。
五木寛之の<青年は荒野をめざす>を読んだ影響もあったかも・・
でも三度欧州に出掛けていますが結局 すべて飛行機利用でした。
旧ソビエトの時代、サービスという概念が無かったお国柄、
旅行者は大変だったと思います。私も1978年にハンガリーに
入国して<IBIZU>と呼ばれる国営ツーリストに宿を斡旋して貰った
時はずいぶんとクールな扱いを受けたものでした。
当時は<地球の歩き方>などという懇切丁寧なガイド本も無く、
バックパッカー同士の心細くなるくらいの不確かな口コミ情報が
唯一無二の拠り所でしたね。
私も旅の先々で、邂逅するパッカー達からは随分と親切にされ、自分も親切に
接したものでした。
あの頃の事を折に触れ、思い出す時、何故か妙に胸が熱くなりますね
2007年12月29日23時13分 返信する



