哈桑湖さんへのコメント一覧(9ページ)全127件
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大事なお話ですね。
浦潮斯徳さん こんにちは
いつもご訪問&ご投票を頂き有り難うございます。
南京へ行かれたのですね。
戦争のことは、本当に重大な問題ですね。
インパール作戦のことは、私も本で知りました。平坦を無視した強行軍で、バタバタと倒れていく兵士たち。テレビでもやってましたね。
あれこそが日本軍の偽らざる姿だったと今も思っています。
日本が中国で犯してきた悪行については、私も中国戦線に従軍した従兄弟(16以上も歳の離れた従兄弟でした)から、100人切りなどのほか、幾たびもの悪行をしていたことを直接聞いていました。
兵站を無視した作戦や、太平洋の島々で起こった「玉砕」、死を覚悟の片道燃料の特攻隊なども、日本軍自身による自滅行為なのに、次々と起こりましたね。
自分の兵隊の命さえ守ろうとしなかった軍隊。それはまさに、日本軍を覆う体質のようなものと言えましょう。
そんな風潮が今になっても抜けきらず、地域の末端では馴れ合いが横行しています。 他方では長時間労働と過労死・人事査定の秘匿など、社会のあり方を整備できない日本社会の体質からくる問題が消えることはありませんね。
戦後数十年もしてから、南京大虐殺がなかったとか、重慶爆撃は限定的だったとか言う人たちが出てきましたが、資料などに難癖を付けるばかりで議論そのものが底が浅く一方的ですね。
そして何より、日本が行った大陸侵略そのものの責任を、いろいろな言い分を付けて曖昧にしていると言えます。
戦争を許してはなりませんね。また、国の破綻も許してはなりません。
そのためには、先ずは国民自身がメディアに振り回されることなく、当たり前の常識を持つほかありません。
そのためにも、浦潮斯徳さんのお話をより多くの方々に聞いてもらいたいものと思っております。
ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。
カメちゃんRE: 大事なお話ですね。
カメちゃん様
お便り、有り難うございます。
今回の原発の事故も、先の大戦も、責任の所在がどこか、分かりにくいです。
責任逃れのために、初めからわかりにくくしているのかも知れません。
南京への爆撃を、渡洋爆撃と称して、推し進めたのが、海軍の米内光正です。
重慶への爆撃は、海軍の井上成美が推し進めたものです。
この重慶爆撃は、重慶上空では、戦闘機の護衛が無かったので、結果的に無差別爆撃となりました。
この重慶爆撃に対して、日本は世界的に孤立をし、アメリカの対日強硬の論一因になります。
真珠湾攻撃も海軍がやったのです。
終戦時には、陸軍に責任を押し付けました。
東條英機自身は、自ら望んで首相になったのでは、ありません。
日米開戦必至になったときに、天皇の仰せとあれば、東條なら首相を引き受けるだろうと、木戸が昭和天皇に、東條を首相に任命させたのです。こうして東條は開戦の責任を、撮らされました。
敗戦が決定的となると、東條を首相の座から引き摺り下ろし、敗戦の責任を取らせました。
木戸が昭和天皇に、東條を首相に任命させておいて、東京裁判では、自らを平和主義者だとのべ記者団から、失笑を買いました。
また戦争に反対すれば、陸軍の連中から、命を狙われると。
あと海軍の特攻の第一号の報告を、昭和天皇にしたのが、米内光正です。
米内光正は、一部の作家により、戦後は善玉に仕立てられていますが、彼こそ日米開戦の発端を作ったという人もいます。
石原莞爾は東條英機のことを、「彼には主義も主張も無かった、私には若干の意見があった。意見のあるも者と意見のない者との間に、対立などあるはずがない」、このように言っています。
先の大戦における責任は、うやむやにされました。
悪い奴ほど、生き延び、さらに悪い奴は、戦後は上り詰めるよころまで、上り詰めたという人もいます。2012年07月03日23時48分 返信する -
ありがとうございました!
浦潮斯徳さん、こんにちは!
先日は、フランスの旅行記へ訪問&投票をありがとうございました
駆け足で回ったイル・ド・フランスですが、なかなか堪能出来たかな〜と思ってます。
ところで。ウズベキスタン旅行の計画は進んでいらっしゃいますか?
良いご旅行となりますように!!
何かご質問ありましたら、分かる範囲でお答えしますので、どうぞご遠慮なく☆
babyanan2012年07月01日10時45分返信するRE: お便り有り難うございます
babyanan様
フランスは緑豊かで綺麗ですね。
一度は行きたいものです。
ウズベキスタンは、ヌラタとアイダルクル湖がメインです。
サマルカンドにあるチムールのお墓にも寄ります。
ただ実際の棺は、地下深くにあります。
チムールの棺を開ける者には、災いを為すと言われてきました。
ここへソ連の学者が、チムールの棺をあけにやって来たのです。
このときに、一人の老人が現れ、棺を開けると、大変なことになると言って、消えていったのです。しかし棺を開けたのです。
翌日、1941年6月22日、ヒトラーはバルバロッサ作戦を始動させ、ドイツ軍はソ連になだれ込みました。
私は今度の旅行で、もしチムールの棺を開けなかったら、ヒトラーの軍隊は攻めて来なかったかを、質問したいのです。
今、チムールの棺は、開けられないように地下深くにあります。2012年07月02日22時10分 返信するRE: RE: お便り有り難うございます
とても興味深い話をありがとうございます!
ティムールの墓というと、グリ・アミール廊ですね。
訪れました。実際の亡骸は地下にあるというのはガイドにも書いてあり知った上で訪れましたが、ヒトラーの軍隊の話は初めて耳にしました。
ぜひ、私も、棺が開けられなかったらどうだったのか、知りたいものです☆
babyanan
2012年07月02日22時40分 返信する -
はじめまして
浦潮斯徳さん、はじめまして。
この度は、ご訪問&投票ありがとうございました。
浦潮斯徳さんの旅行記、沢山あるのでいくつか拝見しました。
「中央アジア」「ロシア」「南京」等・・・普通の海外ツアーでは
あまり訪れない場所が多くて、興味深く拝見しました。
私は日本も見所が多くて、まだまだ知らない素敵な場所が沢山あるなぁ〜と
思いますが・・・世界はホントに広いですね。カザフスタンの「イシク湖」も
カナダや北欧を連想されるような・・・絵葉書のような素敵な風景でした。
訪れる事は出来ないのかも・・・・と思う場所も多いですが、これからも
浦潮斯徳さんの旅行記で知らない場所を色々と堪能させて下さいネ!
みかり2012年06月28日14時33分返信する -
おはようございます
浦潮斯徳さん、おはようございます。
当方にも御訪問&投票ありがとうございました。
トルクメンバシ旅行は、絵葉書のようですてきですね。
ホテルの情報もとても面白かったです。
また寄らせていただきます。
ありがとうございました。RE: おはようございます
Gruss Gott 様
お便り有り難うございます。
トルクメニスタンにいかれたようですね。
中央アジアの北朝鮮といわれる割には、バザールには活気があり、人々の表情は明るかったです。
大統領について尋ねると、街の人は皆一様に「ニズナーユ(知らない)」とニコニコして答えていました。
出国は大変でした。
デジカメの写真を全て見られました。
そしてベクダーシュからアクタウへ旅行者を通していいかどうかを、首都まで問い合わせしていました。
この間2時間、どきどきしていました。
カザフ人の車に同乗させてもらい、カザフスタンに向かって走りだしたときには、ほっとしました。
トルクメニスタンの税関では、張り詰めたものがありましたが、カザフスタン側の税関では、親しげに話しかけてきて、ほっとしました。
出国が大変だったので、トルクメニスタンからは、足が遠のいています。
あと入国審査が長いので、ロシアからも遠のいています。
ウズベキスタンは、入国が大変なようですね。
ロシアには、テロがあるので、街には警官が結構います。パスポートチェックされ、賄賂を要求されます。
ウクライナには、テロがないので、警官があまりいません。ロシアより写真撮影も自由です。ウクライナでは大統領の悪口も、おおっぴらに言えるようです。ロシアからウクライナに来たときに感じたのが、開放感でした。2012年06月24日07時13分 返信する -
投票ありがとうございます。
浦潮斯徳様
初めまして。
この旅は「スーパー駅長たま 平日編」に投票して頂き
誠にありがとうございます。
また、お礼が遅くなりましたこと、お詫び申し上げます。
たま駅長もお歳を召してきたので
今後の駅長室がどうなるのか、ちょっと不安でもあります。
チビ助役も行方不明になっちゃったし・・・
休み休みですが、ボツボツ更新していますので
今後とも宜しくお願いします。
2012年05月14日16時50分返信する -
初めましてこんにちは
浦潮斯徳様
初めましてこんにちは、ムロろ〜んと申します。
この度はウズベキスタンとタジキスタンの旅行記に投票をして下さいましてありがとうございます。
シルクロードにある仏教遺跡を見ることができただけでなく、異教徒にもかかわらず自分たちの先祖を大切にするために残さなければならないとの精神に本当に感銘を受けた旅でした。そこに住む方の歴史遺産を大切にする考えを学びました。
浦潮斯徳さんのカザフの旅行記を拝見しました。湖のきれいさに本当に驚きましたが、どうしてあのように青いのでしょうか?驚きました。
ソ連時代のレジャー施設の栄光のある姿も驚きました。全く未知でしたので、ただただ驚きばかりです。
今後も旅行記を書いて参りますので、何卒宜しくお願い致します。
ムロろ〜んムロろ〜ん様 お便りありがとうございます。
お便り有り難うございます。
イシク湖の水の色は、恐らく静岡の寸又峡と同じく、チンダル現象ではと思います。とても不思議な色です。
バルハシ湖は、東が塩水で色がブルー、西が淡水で色がグリーンです。グーグル・アースで見ると、色の違いがよくわかります。
タジキスタンですが、旅行記を読むと、安全みたいですね。ペンジケントは、大丈夫だと聞きましたが。
タジキスタンの西部には、イスカンデル湖という、とても神秘的な湖があるようです。
あとタジキスタンの東部には、カラクリ湖という山岳湖がありますが、いつか行きたいのです。ただ東部タジキスタンは、アクセスがキルギスのオシュから向かうようで、少し大変そうです。、
今後もムロろ〜ん様の旅行記を、読ませていただきます。今後もよろしくお願いいたします。2012年04月03日22時00分 返信する -
ケーニヒスベルク(敢えて)に再訪
浦潮斯徳さま こんばんは。
ケーニヒスベルク(私の中ではこの名前の方が覚えやすい)編見せていただきました。
丁度1年前、拝見しているのですね。
その時は、へぇー、ロシアにドイツの名前のついた地があるんだー、と思ったものでした。
でも、今回は違います。カリーニングラード編にコメントを追加なさったのを読んで、少し勉強しました。
ちょっとここのところ忙しかったもので、ネットから取り出したwikiを出力して電車の中で読みました。
浦潮斯徳さまの旅行記と合わせて読むと、面白い面白い!
ドイツ騎士団によって建設されたケーニヒスベルクは東プロイセンの中心都市だったのですね。
もともとはドイツの地だったものが、いろんな歴史を経て、最終的には第二次大戦後はロシアに渡った。しかも現在は、リトアニアの独立により全くの飛び地帯。
地図で見ても、リトアニアとポーランドにはさまれて窮屈な姿で頑張っている昔のケーニヒスベルク。
そこには物凄い歴史があったのですね。
wikiを見る限り、第二次世界大戦はケーニヒスベルクが火種となって起った、と言っても言い過ぎではないと私は解釈しました。
でも、ドイツによってきれいに復興された現在のケーニヒスベルク、とても魅力的です。
ドイツ旅行者が押しかけるのも無理はないでしょう。私も行ってみたいです。
ポーランドのポツナンやクダンスクには前から行きたいと思っていました。
そこから日帰りでもいけそうな感じですね。
カントの「エス イスト グート!」
私もそんな生涯を終えることが出来たらいいなと思います。
それから、ヒトラーが自殺した後、後継者となって彼の尻拭いをさせられたデーニッツ、
彼がケーニヒスベルクに住んでいた多くのドイツ人を救出した話は胸が熱くなりました。
あの悪評高き「ニュルンベルク裁判」では、彼は死刑判決を受けなかった。
ヒトラーの後継者であるにも関わらず、ですね。
連合軍にも良心的な裁判官がいたのですね。
とても興味深い面白い旅行記ありがとうございました。
himmel2011年12月27日20時53分返信するRE: ケーニヒスベルク(敢えて)に再訪
frau.himmel様
お便り有り難うございます。
このカリーニングラードは、ソ連崩壊時には、廃墟のような町でした。外国人は立ち入り禁止。ソ連国民も、自由には入れませんでした。
麻薬や犯罪、人身売買が、はびこり、すさんだ町でした。
この町にドイツは医薬品、食料、衣類を送りました。ドイツの援助で町は復興し始めました。
またプーチンさんの奥さんが、カリーニングラード州出身です。この町は、経済特区に指定され、今はピカピカの町です。急成長を遂げています。
このケーニヒスベルク一を含む、東プロイセン一帯は、ドイツ人とスラブ人の混血によって出来た町です。さらにここへ、カトリックに迫害されたユグノーのフランス人が、やってきます。プロイセン人の勤勉、倹約、規律正しい精神は、このユグノーによってもたらされたものです。
あとデーニッツは、あのヒトラー暗殺未遂事件を、きっぱりと否定しています。そしてこれに連座した人たちを軽蔑しています。
2011年12月28日00時34分 返信する -
工事終了予定は?
浦潮斯徳さん こんばんは。
早くコメント読みたいです。
いつごろ工事は終了しますか?
himmelRE: 工事終了予定は?
> 浦潮斯徳さん こんばんは。
>
> こんばんわ
戸中川紀行は、写真の向きを変えないと、です。
ここは、林道を車で行くのでスリル満点です。
ヴォルゴグラードは、ドイツ軍を包囲したカラチ近辺のコメントが、まだです。
カリーニングラードは、バルチースクの写真がまだです。
現在、ホテルになっている建物の2階から、ヒトラーは立ちました。
ドイツ国民は、「アイン・フォルク、アイン・ライヒ、アイン・フューラー
(一つの民族、一つの国家、一つの総統)」とウィーン市民のように、言ったのでしょうか。
東プロイセン地域は、ドイツ人とは言っても、ポーランドやカシューブ人の血が混じっていたので、ナチスの人種理論には、冷淡だったようです。
「ブリキの太鼓」の著者、ギュンター・グラスも母親は、カシューブ人でした。
お正月の間に出来る限りのことを。2011年12月24日19時31分 返信する -
序章の一人語り、引き込まれます
浦潮斯徳さま おはようございます。
いつもながらのイントロダクションの一人語り、いいですねー。
いつも引き込まれてしまいます。
若き日の辛かったこと、楽しかったこと。
一人語りを読みながら、自分の若かった頃の日々を重ね合わせて読んでいます。
浦潮斯徳さまよりはちょっとばかり(かなり)年代は上ですから青春時代の背景も違うでしょうが、浦潮斯徳さまの文章力の「なせる技」でしょうか、同世代に青春時代を送ったような親近感を覚えます。
深ーい葛藤があったと思われる高校時代、でも、それを思い起こすことが出来るようになった浦潮斯徳さまの心境の変化、良かったね!って言ってあげたくなりました。
himmelRE: 序章の一人語り、引き込まれます
frau.himmel様
お便り有り難うございます。
私は寅さんのDVDを見るのが、好きです。
今まで色々なことがありましたが、寅さんと自分に共通するものがあるからです。
また寅さんの一言、一言が、自分の心に染み渡るのです。
私が二回目に生きているのは、素晴らしいと感じたのは、大学を辞めたあと、沖縄の海を見たときでした。
これまでに沖縄の海は、3回見ていましたが。
沖縄北部の東村の民宿に、夜遅く到着でした。
翌朝、東村の浜辺を見たときに、黄色い砂浜とエメラルドグリーンの海の美しさに、呆然となりました。
前日までの気分が吹っ飛び、気分がハイになりました。
日本で一番美しい景色は、大学2年と、それから5年後に見た、奄美大島南部と加計呂麻島だと、今のところは確信しています。
次が新潟と山形の県境にある、笹川流れと呼ばれる海岸です。
あと旅行前にネットで検索して、バルハシ湖、カラボガズゴル湾、アラコリ湖などを検索して、片っ端から印刷して、それを読んだりグーグルアースなどを眺めたりしますが、やはり自分の目で確めないと、何もわかっていないに等しいと悟りました。
何か、この3つを見たら、人生目標が達成できたという気持ちに。
少し力が抜けたのです。
タジキスタンのカラクリ湖にいきたかったのですが、キルギス南部のオシュを通るのですが、この町では、ウズベク人とキルギス人の反目があります。
また、タジキスタンの国境超え、これが大変なので中止しました。
来夏行ければと思うのが、カザフスタンのマルカコリ湖です。
途中、第一次世界大戦で、帝政ロシア軍の捕虜になったオーストリア兵が造ったという、通称「古いオーストリアの道路」を通って行くのです。
2011年12月04日17時49分 返信する -
自然の色
浦潮斯徳さん、こんばんは。
旅行からもどり、ちょうど一週間になり、やっと体調も戻ってきました。
浦潮斯徳さんは、かなりハードな旅行をされているように思えるのですが、
旅行先の情報を知らないからそう思うのかな?
カザフスタンの旅行記でも、かなり問題意識を持って臨んでいらっしゃるので、
尊敬の限り・・
読ませて頂かないとわからない事ばかりで、のほほんと旅行しまわっているのが
恥ずかしく思えます。年を経てくると、だんだん楽な方にながれますね。
こちらの旅行記は、癒され魅せられました〜
あの、イシク湖のトルコブルーに・・
こんな光景に出会うことを求め旅するのでしょうね〜
ロマンそのものの浦潮斯徳さんですね!
いつも、投票ありがとうございます。 パルファン
RE: 自然の色
バルファン様
お便り有り難うございます。
ご無事に帰国されて、何よりです。
イシク湖の水の色には、驚きました。
どうして、こんな色に見えるのか不思議です。
静岡の寸又峡のダム湖の水の色が、青く見えるのはチンダル現象によるものと、観光掲示板に書かれていましたが、イシク湖もそうかも知れません。
中学の理科で習った記憶が。
カザフスタンの面白いところは、色々な民族が共生していることでしょうか。
120もの民族がいます。
少し前には、ドイツ系ソ連人と結婚していた、サハリンから強制連行された日本人男性もいました。
興味深いのは、どんな地方都市のバザールに行っても、キムチを売る朝鮮人がいます。
彼らは、もともとはロシア極東にいたのですが、スターリンによって、カザフの地に強制移住させられた人たちの子孫です。
アラリスクの町では、朝鮮人の方が、食堂を経営していました。
クズィルオルダの町には、この朝鮮人の方が沢山住んでいます。
クズィルオルダ空港の職員たちを見回すと、まるで日本にいるような感じさえしました。
もっとも朝鮮人と日本人も良く似ていますが、カザフ人と日本人も良く似ていますが。
私なんかは日焼けするとアゼルバイジャン人に、よく間違えられます。
カザフの人たちは、大陸的なで、細かいことにこだわらず、人懐っこく、あけっぴろげな性格です。
顔は似ているのに、性格は全く違います。
そんなところに惹かれてカザフスタン旅行を、続けています。2011年10月27日16時48分 返信する



