2009/08/11 - 2009/08/13
110位(同エリア200件中)
哈桑湖さん
毎年送られて来る同窓会名簿を見ると、所々抜けています。ああ、私も齢をとったんだ。思い残すことないように、残された人生を、送ろうと。
カスピ海の東から、こぶのように突き出た、カラボガズゴル湾と、晴天のもとで東部バルハシ湖が、見ることが出来れば、もういいかなあと。
今回は、アクタウから車で南下して、カザフスタンのグラニーツァまで行きます。ここから、2キロ重い荷物を引きずり、トルクメニスタンのグラニーツァへ。
ここから、ベクダーシュ(Бекдаш硬い石という意味です)を経て、クラスノヴォーツク(赤い水、という意味です)に着きます。
今回宿泊するホテルは、「トルクメンバシ」という、5つ星ホテルです。
クラスノヴォーツク市は、ソ連時代の呼び方で、今は、トルクメンバシ市です。でも、地元の人は、クラスノヴォーツクと、呼んでいます。
クラスノヴォーツクには、トルクメン人は勿論ですが、カザフ人が沢山住んでいます。ロシア人、アゼルバイジャン人、アルメニア人も結構います。私は、この他に、朝鮮人、チェチェン人、ウクライナ人の方にも、お会いしました。
今回、現地にこちらの希望が、正確に伝わっていなかったので、クラスノヴォーツクに長く居すぎて、カラボガズゴル湾には、行くことが出来ませんでした。でも、色々な民族が、仲良く暮らしているこの町を、私は大変気に入りました。本当に気持ちがいいです。勿論、町並みも綺麗です。
- 同行者
- 一人旅
- 航空会社
- アシアナ航空
PR
-
ベクダーシュに、入る手前のカスピ海です。もう、太陽は、沈んでいます。
-
5つ星の「トルクメンバシ・ホテル」です。
-
クラスノヴォーツクの建物です。こじんまりとして、綺麗です。
-
-
-
ロシア正教会です。
-
ロシア正教会の敷地内に住む、ロシア人の女の子です。
-
ソ連時代からあった、ハザル・ホテルです。ガイドさんに寄れば、星の数は、「マイナス1」だそうです。でも、ロケーションはいいです。「トルクメンバシ・ホテル」は、街中から、2キロも離れています。
-
まだ、現役のラーダ(ソ連の車)です。
-
これは、抑留日本兵が、建てた建物です。
-
抑留日本兵が建てた、文化宮殿です。ちょうど駅前です。
-
この通りの建物は、抑留日本兵が、建てました。
-
-
-
抑留日本兵の、お墓です
-
トルクメン人の姉、弟です。トルクメン人は、普段民族衣装を、着ています。
-
バザールのトゥルクメンカです。笑顔が、素敵です。
-
朝鮮人(高麗人、コリョサラム)の、エレーナさんです。朝鮮人は、トルクメニスタンでも、勤勉でとおっています。
-
アゼルバイジャン人です。
-
アゼルバイジャン人の親子です。
-
カスピ海の塩の濃度は、通常の海水の3分の1位です。それゆえ、ボラが大変多いです。こちらは、バザールの魚売り場です。
-
トゥルクメンカです。
-
ルフナーマを、売っていた本屋さんの、カザシカです。ニヤゾフ大統領の、トルクメニスタン国民に対する、思いが書かれています。
-
クラスノヴォーツク郊外のアヴァザ地区です。カスピ海のアンタリア(トルコの地中海沿岸の景勝地)を目指して、トルコ資本の5つ星ホテルが、立ち並んでいます。
-
ホテルには、歯医者さん出身の、ベルディムハメドフ大統領の、肖像画が掲げられています。
-
アヴァザ地区の海水浴場です。バスで、やって来ます。
-
アヴァザ地区です。
-
塩工場です。
-
カラボガズゴル湾を、形成する、南の砂洲にの上からです。
-
-
カラボガズゴル湾を形成する、南北の砂洲を結ぶ橋です。北側の砂洲に、検問所があります。
かつて、カスピ海の水位が低下したときに、カスピ海からカラボガズゴル湾に流れる海峡を、せき止めるために、ソ連政府はダムを作りました。そのためカラボガズゴル湾は、干上がってしまい、第2のアラル海の悲劇が、起ころうとしていると、言われました。
トルクメニスタンは独立した後、ニヤゾフ大統領は、このせき止めたダムを、爆破しました。現在は、カスピ海の水位は上昇しています。
この橋の南側から、砂漠の中の道なき道を、ジープで行けば、カラボガズゴル湾に出られます(2010年5月)。今回は、行きませんでしたが。 -
カラボガズゴル湾を、形成する南北の砂洲の間を、カスピ海の水が吸い込まれていきます。
とても流れが速いです。 -
しばらく北上すると、丘を上ります。丘の上にお墓があります。真下を見下ろすと、こんな感じです。
-
この丘から、向かって右を見ると、カスピ海が見えます。
帰国してから、グーグル・アースを調べて分かったのですが、ここから南下する道路は、一度カスピ海すれすれまで、近づきます。そこから少し行くと、進行方向左手に、カラボガズゴル湾への道があります。今回は行くことができず残念でしたが。 -
この高台から向かって左、遠く見えるのが、カラボガズゴル湾です。
-
カラボガズゴル湾を、望遠レンズで。
私としては、カラボガズゴル湾を、間近でみて、触りたかったのですが。 -
ベクダーシュ市に、入ります。なお、ベクダーシュは、改名されて、ガラボガズ市となっています。
でも、地元の人は、ベクダーシュと、呼んでいます。
塩工場と、塩田です。 -
工場を、アップで。
ベクダーシュ市は、ソ連時代は、トルクメンで一番発展した町で、色々な民族の人が、仲良く暮らしていたようですが。
今は、寂しい町です。 -
塩田です。かつては、塩田の向こうに、小さい飛行場が、あったのですが。
-
ベクダーシュのビーチです。
カスピ海の水は、綺麗ですが、透明度は低いです。 -
ベクダーシュ沖合いの、Караーада(カラ・アダ)島です。トルクメニスタン海軍の宿舎と、灯台があります。
カラボガズゴル湾に、行けなかったので、ガイドさんが、地元の人に頼んで、この島の周りを、モーターボートで、一周してくれました。
カスピ海の、沖合いは、緑色です。綺麗ですが、透明度は、低いです。 -
ベクダーシュのモスクです。
-
ベクダーシュの町です。
-
塩工場を、アップで。
-
ソ連時代は、使われていた鉄道です。
-
トルクメニスタン最期の朝です。
ここが、貨車を改装したカフェです。ここの縁台で寝ました。
このカフェは、ベクダーシュの出口にあり、グーグル・アースでも、見ることが出来ます。 -
このカフェのすぐ近くに、今は使われていない検問所があります。
この検問所を、西に折れるとカザフスタンに。
このカザフスタンまでの道は、国境近くとあって70キロが、未舗装です。(2010年5月、雨でぬかるみのため、大変でした)
あと、帰国しいてから、分かったのですが、この検問所をまっすぐに行くと、カラボガズゴル湾沿岸のマラタという小さい集落に、出られます。(15分位です。マラタまでは、舗装されています。そこから先は、未舗装ですが) -
遠くにベクダーシュが見えます。カスピ海のこの青を、カスピアン・ブルーと、いうようです。
-
もう少しアップして。
-
カザフスタンのアクタウです。
残念ながら、カラボガズゴル湾には、出られませんでした。
嗚呼、また来年まで、おあずけかあ。
このあと、カザフスタンのアルマティまで飛び、ここから東部バルハシ湖へ行く予定です。
カラボガズゴル湾と、東部バルハシ湖の、二つを見ることが出来れば、もう女房も子どももいない私なんぞと、思っていただけに、力がぬけました。
でも二つのうちの東部バルハシ湖が、まだ残っていると。
しかし、こちらも、旅行社との連絡不十分だったため、西部バルハシ湖に、連れていかれました。ため息です。
仕方ないです。でも、クラスノヴォーツクは、綺麗な町でした。色々な民族の人が、仲良く暮らしています。
また、ルフナーマも買えました。本当に、素晴らしい内容です。
帰国したことを、知人に連絡しました。
この二つが、見れたら、もう人生、終わってもいいと言っていたのに。「でも来年がありますよ。延命になったことを、お祝いしましょうよ」と言われました。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (4)
-
- Gruss Gott さん 2012/06/23 10:05:16
- おはようございます
- 浦潮斯徳さん、おはようございます。
当方にも御訪問&投票ありがとうございました。
トルクメンバシ旅行は、絵葉書のようですてきですね。
ホテルの情報もとても面白かったです。
また寄らせていただきます。
ありがとうございました。
- 哈桑湖さん からの返信 2012/06/24 07:13:56
- RE: おはようございます
- Gruss Gott 様
お便り有り難うございます。
トルクメニスタンにいかれたようですね。
中央アジアの北朝鮮といわれる割には、バザールには活気があり、人々の表情は明るかったです。
大統領について尋ねると、街の人は皆一様に「ニズナーユ(知らない)」とニコニコして答えていました。
出国は大変でした。
デジカメの写真を全て見られました。
そしてベクダーシュからアクタウへ旅行者を通していいかどうかを、首都まで問い合わせしていました。
この間2時間、どきどきしていました。
カザフ人の車に同乗させてもらい、カザフスタンに向かって走りだしたときには、ほっとしました。
トルクメニスタンの税関では、張り詰めたものがありましたが、カザフスタン側の税関では、親しげに話しかけてきて、ほっとしました。
出国が大変だったので、トルクメニスタンからは、足が遠のいています。
あと入国審査が長いので、ロシアからも遠のいています。
ウズベキスタンは、入国が大変なようですね。
ロシアには、テロがあるので、街には警官が結構います。パスポートチェックされ、賄賂を要求されます。
ウクライナには、テロがないので、警官があまりいません。ロシアより写真撮影も自由です。ウクライナでは大統領の悪口も、おおっぴらに言えるようです。ロシアからウクライナに来たときに感じたのが、開放感でした。
-
- Hidechanさん 2011/09/18 15:24:36
- 浦潮斯徳さん。初めまして。
- 浦潮斯徳さん。あなたの旅行記興味深く拝読させていただいております、またわたくしの旅行記にも時々来ていただきありがとうございます。
どの旅行記にもコメントをしたくなるものばかりですが、ここトルクメンバシュの写真懐かしく拝見いたしました。昨年(2010.11.27)トルクメンバシュに滞在してました。2泊しましたが、泊まったところは駅から700m位離れた新しいホテル、チヤイカでした。
駅前の例のホテル、ハザムに行ってみたのですが、料金10$で安いのは良かったのですが、大変汚れていて泊まるのはやめました。チャイカは高く50$もしましたが2食付きで、部屋も広く豪華で日本では2万円程度は取るられそうなホテルでした。
わたくしはトランジットビザでトルクメニスタンは5日間の滞在でしたが、あまり良い印象は受けませんでした。警官、兵隊の、ゼンギ、ゼンギ攻勢にうんざりしました。
滞在日5日間を32分間超過して、不法滞在で国外退去処分を受けました。
後刻此処にもトルクメニスタンの旅行記を上げるつもりです。
- 哈桑湖さん からの返信 2011/09/18 16:03:25
- 入国、出国は、緊張しました。
- Hidechan様
お便り有り難うございます。
トルクメニスタンの入国は、緊張しました。
出国もです。ともかく時間がかかります。
税関で奥に進むたびに、パスポート提示、スーツケースの点検です。モタモタして凄く時間がかかるんです。
あとベクダーシュからアクタウに向かう旅行者は、年に一人か二人しかいないと言って、わざわざ首都まで電話をかけて、ここの国境を通過させていいかどうか、相談しているのです。この時間が2時間です。すごく心配になりました。係官は、険しい顔つきでした。
カザフスタンに入国できたときには、ほっとしました。カザフの係官や国境警備隊の人たちは、人懐っこくやっと生きた心地が。
ロシアでは、かなりの貧富の差があります。トルクメニスタンでは、食べていけないほどの人は、いません。クラスノヴォーツクは、警官も殆どいなくて、町も綺麗でした。
ただ首都に行った人と帰りの飛行機で一緒でしたが、警官があちこちにいて、町は掃除しつくされており、まさに北朝鮮みたいだったと。
ガイドさんが、2回ともいい方だったので、トルクメニスタンの印象が悪くなかったように思うのです。
お金、お金はびっくりしました。ウズベキスタンの官憲の腐敗は中央アジア一酷く、トルクメニスタンでは、ないと聞いていただけに、びっくりです。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
4
50