blumentalさんへのコメント一覧(3ページ)全44件
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確かに
blumentalさんは、2014年。私のツェレは、2017年。旧市街までまっすぐ歩いて行ったから、この図書館見逃すはずないんだけどと、残念がっています。本旅行記を拝読、拝見しながら、私の街の印象と重なり、少し驚いています。極めて美しい建物が並んでいますが、泊しても、愛情の湧いてこない町は何なんだろうと思っていました。旧市街からの続きの中流家庭住宅エリアのB&B。メイン道路から入る家々へプロムナードの素敵さ。翌朝、お散歩で、ご近所さんらしい父と小学生ぐらいの息子でしょうか。一心不乱に花の手入れをいるのを見て感心しました。パブリックな部分です。屋内も町外観の印象と重なります。素晴らしい!ですが・・・。馬産地なのですか。帰りは、タクシーを頼んでもらいました。中年のあたたかみを感じる女性。(私)つい「メルケル首相どうですか?」私は尊敬しているので。(彼女)「アンヘラは、よくやってるわ。」と、にっこり。激しく共感、大満足。この町では、最高の印象は彼女。まちびとは、ドイツで初めて、気位の高さを感じました。Re: 確かに
mom Kazukoさん、今晩は。
そうですか、Kazukoさんもツェレに行かれたんですね。
「極めて美しい建物が並んでいますが、泊しても、愛情の湧いてこない町」という表現、なるほどそういう印象をお持ちですか、頷けます。確かにこの町の木組みの並びは素晴らしいものの、町としては、広い敷地に行儀よく整備された木組みの家々が綺麗に塗られて訪問客を待ってるような感じです。舗装された幅広い通りに色彩豊か過ぎる家がきちんと並んでいて、中世の雰囲気は全く感じられません。
私の好きな木組みの町は、中世の市壁の一部や町の防御塔がちらっと頭をのぞかせ、背景には山かあるいは手前に川があるような所なんですが、ツェレで撮った写真を見ても、この条件に合うものが一つもないんですね。
温かみを感じる中年女性との出会いはよかったですね。もしかしたらそんな人が、歩道わきの青空図書館の世話をしているのかもしれませんよ。
blumental2021年04月19日20時37分 返信する -
なあるほど
”大学の街”だったのですか。なあるほど、ゲッティンゲン。あの落ち着きとカジュアルなおしゃれさとなんとなく安全な雰囲気は、アカデミックからくるんですね。全然知らずに途中下車。ペルシャ料理のテラス席のお客さんたちの顔ぶれ思い出しても納得。
昔ボローニャに下りたときも「この町なんだ!」と驚いたことを思い出しました。ヨーロッパの中世に始まる大学の街を結果的に多く歩いています。
黒熊はいつまで営業されていたんでしょうか。この手の宿、アデレードで見つけて、ホテルから移動した経験あり。blumentalさん、宿泊可能なところご存じならお教えください。Re: なあるほど
mom Kazukoさん、
コメントありがとうございます。そうです、大学生の街なんです。ご指摘のとおり、街の落ち着きと安全な雰囲気はアカデミックです。大学生のアンケートによると、ゲッティンゲンのいい点は凄く治安がいいこと、悪い点はこれといった観光名所がないことらしいです。でもこれは昼間の話。
mom Kazukoさんのゲッティンゲン、ワールドカップに歓喜するおじさんが印象的でした(再読しました)。でも、大学生が店を占領してワールドカップのTV観戦を始めたら、夜はけた外れの大騒ぎでしょうね。そんなレストランの上階に宿泊でもしたら、夜は眠れないでしょうね。
blumental2021年04月12日19時34分 返信する -
行って見たい街
blumentalさん、こんにちは。
少し前の旅行記を再訪しました。ヒルデスハイムには行ったことはありませんが、
写真を拝見するとゆっくり見物したい街ですね。ドイツは戦災に遭った建物を本当に
よく再建しています。日本は木造が多かったせいか昔の建物が残っているのはそれなりの由緒あるところだけで、街並みはすっかり変わってしまっているのが残念です。
日本もドイツも中世は豊かとは言えないと思いますが、それでも蓄積の差や、何にお金を使ったかが違うのでしょうか。ドイツのある程度の歴史の中身がある街は、小さくても魅力的なところが沢山ありますね。コロナが終わったらゆっくり見物したいものです。
RolleiguyRe: 行って見たい街
Rolleiguyさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。私もまったく同感です。
ドイツ戦後の建物再建、敗戦国がよくここまでできたのか不思議で仕方ありません。終戦時の街が瓦礫と化した姿を写真でよく見ますが、戦前のまま残されていたかのように、歴史的建造物や綺麗な街並みが復元されているのは脅威です。ニュルンベルクやハノーファー、ドレスデン(ここだけ未訪問)のような被災規模が大きくて、歴史的建築物の多い大規模都市なら戦前の姿への復興・再現も意義が大きいかもしれませんが、ヒルデスハイムなどの小規模都市まで戦前の再現を行っているなんてすごいことですね(だから、ドイツが好きなんですが)。
一方で、Rolleiguyさんがよくご存じのマンハイムや(今、旅行記を書いたばかりの)カッセルなどは、中世以降の歴史で重要な街なのに、昔ながらの街並の復元をしようとしなかったのは逆に不思議です。街それぞれの復興に、戦前の街並みにするか近代建築の街並みにするかをどのような理由から選択したのか、非常に興味のあるところです。
blumental2021年04月02日23時33分 返信する -
南ドイツの旅
blumentalさん、今日は。
2013年のご旅行の記録を拝見しました。私も40年くらい前に家族とスイスから3泊4日でこの辺りを旅行しましたが、特にアウクスブルクには感銘を受けました。
朝早く教会のミサに行きましたが、カトリック教徒ではないので、そばで見ただけでした。ネルトリンゲンは、空から見た町の形に私も感銘を受けて是非行きたいと思って訪れたのですが、当然地上からではあの美しさは無理でした。
ロマンチック街道を車で走ると、最初は感激するのですが、同じように美しい街でも、
段々じっくり見物するのが億劫になった記憶があります。今行けば別の楽しみ方ができるのに残念なことをしました。 2013年は6月に私もドイツに行ったのですが、数百年ぶりの豪雨で至る所沼地と化していましたが、9月は回復したようですね。
昨年も今年もコロナで旅行は難しそうですが、早期の回復を願っています。
RolleiguyRe: 南ドイツの旅
Rolleiguyさん、
たくさんのいいねとコメントありがとうございます。
確かにネルトリンゲンは空から見た円形の街のインパクトが強すぎて、市街からはそれを感じ取ることができず、少し期待外れの感がありました。街を囲む城壁を一周すれば、円周を体験できたろうにと後で悔やんでいます。
私は列車の移動しか経験がありませんが、Rolleiguyさんのように車でロマンチック街道、というよりもバイエルンの田舎町を車で移動できたら素晴らしいだろうなと思います。以前拝見したミュンヘンの聖体行列の旅行記を思い出し、再読したところ、これが2013年の御旅行だったんですね。こんな場面に出会えるのって大変羨ましいことです。きっと他にもたくさんのネタや写真をお持ちなのでは?いつか拝見できればと思います。
自作の旅行記を眺めて当時を忍ぶこともありますが、新しい旅ができないのは寂しいものです。私も早期の回復を願っています。
blumental2021年03月09日20時52分 返信する -
別人のハイネさん?
☆ヨーロッパ紀行は古くても新しい?いつ見ても建物や通りが清々しくて~
☆ハインリッヒ。ハイネ~ならば詩人だと思いますよね。どんな先生だったのかな?
☆オーストリアで同じ様な経験をしました。雨の中、ガイドさんに急かされながら歩く途中の建物に「ドップラー」のプレートが有ったことを思い出し、音楽家のドップラーと説明したら・・・全然違います。とコメントを戴き、訂正したことが~
☆故きを温ね、新しきを知る世界が再び来ますように~Re: 別人のハイネさん?
salsaladyさん、
コメントありがとうございます。詩人のハインリッヒ・ハイネがゴスラーに!? なんて、私としては大発見のつもりが同姓同名の間違いとは、残念。
以前拝見したsalsaladyさんのハルシュタット・ザルツブルク再読しました。すいません、不勉強でフルートのドップラーの方を知りませんでした。理系人間の私にはドップラーといえば物理学者の方が浮かびます。この旅行記のおかげで彼がザルツブルク出身ということを知ることができました。ありがとうございます。
いつ見ても建物や通りが清々しいというご意見、全く同感です。数多い木組みの町の中でもゴスラーは格別でした。
Blumental2021年03月04日20時18分 返信する -
あの場所に脳内旅行
blumentalさん、わが愛するハンブルグ旅行記に共感してくださってうれしいです。でも、ソーセージは、ニュルンベルグのが、私は一番好み。あの映画村みたいな界隈は、そのいわれでしたか。納得です。お店が観光客が入りやすいところばかりでしたから。地元感がもう一つ感じられなくて。でもソーセージのお店でその焼いたままの缶詰、日本へ。レストランそのままのお味でびっくりでした。中央広場の歴史を教えてくださってありがとうございます。1泊のつもりが2泊でも足りない町でしたから、再訪決めています。何しろ素手で訪問でしたから。コロナ禍お気を付けください。 -
ハンザの女王にふさわしい
blumentalさん、初めまして。ペットボトル記に共感してくださってうれしいです。私はリューベックの写真は1枚もなく、貴旅行記で旅を再現させていただきました。泊まっていますが、これほど見て回ってもいませんし、塔の上からの眺望も知らずじまい。ですから、見逃していたなあと。トーマス・マンの祖父母の家があったなんて。ギュンター・グラスが亡くなった年だったのとベルリンからハンブルクに向かう途中の都市で選びましたから。市民(商人)が豊かだった町は食も豊かな気がします。舌の記憶だけが大きくて。かろうじて市庁舎のガイドツアーと船員組合を思い出しました。ありがとうございます。今は昔の旅をとりだして、反芻する日々。Re: ハンザの女王にふさわしい
mom Kazukoさん、
リューベック旅行記に訪問並びに投票下さりありがとうございます。大した写真は撮れていませんが、街を思い出すのに少しでも役立っていれば幸いです。リューベックにお泊りでしたか。ギュンター・グラスが亡くなった年というと、私どもが訪問した翌年ですね。私どもはハンブルクからの日帰りでしたが、宿泊するならリューベックの方が絶対良かったと思っています。
mom Kazukoさんのベルリン拝見しました。変わった視点でまとめられた旅行記に大変興味を持っただけでなく、記載の内容に大いに共感しました。これを機に他の旅行記にもお邪魔します。よろしくお願いします。
blumental
2020年12月03日20時28分 返信する -
リンブルフの大酒豪ハットシュタインの泉
blumentalさん、
今晩は。お立ち寄りありがとうございました。
リンブルフの街並み、美しいですね。その昔、確かに旧市街の通りを歩き、この泉を見ていますが、もう記憶も定かでなくなりました。
≪広場の中央にあったハットシュタインの泉Hattstein-Brunnen。樽からワインを飲んでいるのは14世紀、街の指導者だったFriedrich von Hattsteinだそうですが、どんな謂れがあるのかわかりません。≫
と文中にありましたので、気になって調べてみました。
検索してもそれほどうまい説明が見つかりませんでしたが、
意訳した以下をご参考までに追記しました。
jijidaruma
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Friedrich von Hattsteinフリードリヒ・フォン・ハトシュタインはStadthauptmann von Limburg an der Lahnリンブルフ・アン・デア・ラーン市長で、1363年に死去。
この一族はフランクフルト・アム・マインにも近いTaunusタウヌス山地にあるハトシュタイン城を居城とした騎士領主であった。
親しみを込めて名前が付けられた「Saeuferbrunnen大酒豪の泉=Hattsteinbrunnen in Limburgハットシュタインブルンネン」はリンブルグの広場に面して立っている。
Raubritter Friedrich von Hattstein強盗騎士フリードリヒ・フォン・ハットシュタインの記念碑である泉(噴水)は、彼に敬意を表して建てられたと云う。
フリードリヒは外向的で人好きの良い性格であったが、反面、退廃的な生活をしていた事で知られている。しかし、1353年、フリードリヒの良い所を知るリンブルグの市民たちは彼をまともな男になるように説得したと云う。
その説得に反省し、まともな男になったフリードリヒは1357年から1363年までリンブルフ市長になり、市政に尽くしたと伝えられている。
大酒飲みでもあったフリードリヒは今もワイン樽から流れ出るワイン(水だが)を飲み干すような姿で広場に立っている。
・・・・・
Re: リンブルフの大酒豪ハットシュタインの泉
jijidarumaさん、
おはようございます。
ハットシュタインに関する情報をお知らせ下さりありがとうございます。なるほど、彼は騎士領主からリンブルク市長になった人だったのですか。大酒飲みというのは、人物を評する逸話や伝説によくでてくるキーワードですね。きっとハットシュタインにも樽を飲み干すような逸話があるのかもしれませんね。
リンブルク訪問時にはハットシュタインなんて名前も知らず、旅行記を書くときになってわかった名前です。どんな素性の人物か気になっていましたがjijidarumaさんの情報提供でだいぶすっきりしました。ありがとうございました。
blumental2020年07月16日07時52分 返信する -
朝の聖堂
blumentalさん、お早うございます。
トリーアとリンブルクの美しい旅行記を楽しく拝見しました。
トリーアは行ったことがあるのですが、リンブルクは行きたいと思いながらまだ行けていません。行きたい理由は旅行記にいある聖堂を訪れたいと思うからです。
昔、東山魁夷の作品「朝の聖堂」を見て、これがリンブルクだと知り、行きたいなと思い続けているのです。魁夷の作品ではフライブルクの聖堂を描いた「晩鐘」が有名ですが、私は「朝の聖堂」に惹かれます。朝から旅行記を楽しめました。
RolleiguyRe: 朝の聖堂
Rolleiguyさん、今晩は。
トリーアとリンブルクの旅行記、お読み下さっただけでなく、コメント下さりありがとうございます。
確かに「朝の聖堂」と言えばリンブルクですよね。但し、お恥ずかしいことにこの時のリンブルク訪問時には「朝の聖堂」のことは全く知りませんでした。帰国後数年たって東山魁夷の「朝の聖堂」を知り、ラーン川を渡って対岸からリンブルク大聖堂を見ておくべきだったと後から悔やみました。
私が東山魁夷のドイツ題材の作品を初めて見たのは「古都遠望」です。これも「朝の聖堂」同様、青色フィルターをかけたような作品ですね。この作品からバート・ヴィンプフェンに興味を持ち、数年後(2018)訪問が実現しました。しかしながら訪問時、作品中の塔は修復工事中の幕で覆われ「古都遠望」のような光景は臨めませんでした。東山魁夷の描くドイツの風景には修復工事の足場や幕が登場しませんよね。これらの地を現在訪問すれば半分以上の確率で修復中に出くわしそうな気がします。
リンブルクは木組みの家の密集度の高い街で、幅の狭い坂道の両側に木組みの家がぎっしりでした。対岸からの大聖堂風景を見ていないこともあり、リンブルクはぜひ再訪したい街のひとつですが、コロナ禍で実現がどんどん遠ざかっています。今年の夏は何の予定もなく、全く楽しみのない夏です。
blumental2020年07月11日20時48分 返信する