2014/08/29 - 2014/08/29
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2年前に女房を海外旅行に連れ出したのがきっかけで、毎年夏にはドイツに行きたいということになり、夫婦で行く海外旅行も今回で3回目となります。今回は北ドイツからメルヘン街道を南下するルートで計画。観光2日目はハンブルクを観た後、リューベックに向かいました。
旅行の日程は以下の通り:★印がこの旅行記です。
8月27日(水) 10:45関空~15:00ヘルシンキ経由17:30~18:30ハンブルク着(ハンブルク泊)
8月28日(木) ハンブルク、シュヴェリーン、リューネブルク(ハンブルク泊)
8月29日(金) ハンブルク、
★ リューベック(ハンブルク泊)
8月30日(土) ベルリン(ハノーファー泊)
8月31日(日) ゴスラー、ヒルデスハイム、ハノーファー(ハノーファー泊)
9月01日(月) ブレーメン、ツェレ、ハーメルン(ハノーファー泊)
9月02日(火) カッセル、ゲッティンゲン、ハン・ミュンデン(ハン・ミュンデン泊)
9月03日(水) フルダ、アルスフェルト、フランクフルト(フランクフルト泊)
9月04日(木) 11:45フランクフルト~15:10ヘルシンキ17:20~(機内泊)
9月05日(金) 8:55関空着
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- フィンランド航空
-
リューベック駅です。
ハンブルクの観光後、11:01発のICで11:37リューベック着。今日は完全な曇り空。 -
駅前のすぐ東にあるリンデン広場Lindenplatz。広場中央を横切る道の北側には騎馬像があります。ヴィルヘルム1世、ドイツ帝国初代皇帝(在位1871-88年)です。ドイツ統一を達成した人。
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道を隔てて南側にはオットー・フォン・ビスマルクの像。ドイツ帝国首相(在位1871-90年)で、ドイツ統一の中心人物。
いきなり有名人2名に会いました。 -
こちらは無名の人。
旧市街地へはトラヴェ川に架かる橋を二つ渡ります。一つ目の橋はプッペン橋Puppenbrücke。橋にはたくさん彫像が並んでる中の一つです(なぜこれを選んで撮ったのか思い出せません)。 -
一つ目の橋を渡ると目の前にホルステン門Holstentorが登場(1464-78年建設)。この街のシンボルです。
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ホルステン門の後ろに、にょっきり建っているのは聖ペトリ教会St. Petrikircheの尖塔です。修復工事中ですが高さは108mあります。まず最初に向かう場所はあそこ。
何と聖ペトリ教会の写真を1枚も撮っていないことに帰国後気づきました。部分的でも、たまたま写っていた貴重な1枚を拡大しています。 -
イチオシ
しかしながらホルステン門の写真を撮るのには、後ろから塔が生えている姿は格好悪いですね。後ろの尖塔が隠れる位置に移動して撮ります。もちろんイチオシはこちらの写真。
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ホルステン門の横(南側)には塩倉庫があります。二つ目の橋ホルステン橋Holstenbrückeから振り返った風景です。
橋を渡ってホルステン通りHolstenstr.を東に進むとすぐに聖ペトリ教会です。 -
ここで絵葉書を挿入。世界遺産となっているリューベック旧市街はトラヴェ川と運河に囲まれた中の島にあります。今いる聖ペトリ教会は写真左(西)から川を渡って旧市街に入ってすぐの場所。
リューベックが「7つの塔の街」と呼ばれるとおり、北から聖ヤコビ、聖マリエン(2基)、聖ペトリ、聖エギーディエン教会、大聖堂(2基)の7基の尖塔が突き出ているのがわかります。 -
豊かなリューベック市民は、職業ごとに教会を持っていました。この聖ペトリ教会は「塩商人の教会」ですが、現在の教会内部には礼拝席もなく、白い柱だけのイベント会場のようでした。
高さ108mの聖ペトリ教会の塔にエレベーターで登ることが出来ます(といっても50数mまでですが)。上がってみると、何と目の前は工事のパイプだらけ! 撮影妨害です。 -
邪魔なパイプを外して写真を撮ろうとすると、角度が制限されてしまいます(以下同様)。
まずは北方向に見える聖マリエン教会St. Marienkirche、「ハンザ商人の教会」です。「司教の教会」である大聖堂をさしおいて、市街の中央にあります。しかも大聖堂よりずっと高い尖塔(125m)を有します。
聖マリエン教会の背中から緑色の頭を出しているのは「船乗りと漁師の教会」聖ヤコビ教会の尖塔です。ここからは先端しか見えません。 -
その手前には市庁舎Rathausとマルクト広場。
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北東の方向には聖カタリーネン教会St. Katharinenkirche「職人の教会」、この教会には塔がありません。後ろにトラヴェ運河が見えます。
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南の方向にはリューベック大聖堂Lübecker Domがあります(高さ115m)。ハンザ商人との力関係で市街の南端にひっそりと。
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イチオシ
そして西にはホルステン門。先ほど歩いてきた道です。もっと手前も撮りたいんですがパイプが邪魔しています。
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さて、塔から降りて北へ移動しました。次はマルクト広場Marktです。
広場に面してL字型に黒い市庁舎と白い市庁舎が並んでいます。ゴシックやらルネサンスやら様々な建築様式が混在しています。 -
1225-40年の建築です。塩と牛の血を混ぜて焼いたとかいう光沢のある黒煉瓦は、すごく重厚な風格が感じられます。壁には風を通すための大きな丸穴があります。
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広場の北側には聖マリエン教会。次はそちらへ。
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聖マリエン教会は1250-1350年にゴシック様式で建てられ、ハンザ商人の富と権力の象徴となりました。塔は125mあり、ドイツの教会では8番目の高さ。
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広々とした内陣です。祭壇は小さめです。
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身廊の天井がすごく高い、39mあります。
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天井が高くて、模様の詳細がわかりません。花模様のように思えますが。
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身廊に面した柱は白に茶色のラインがあります。
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こちらの茶色だけの柱の方が好みです。
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拝廊の上にある巨大なパイプオルガン。えらく高いところにありますね。
もともとあったオルガンは1942年の空襲で壊されたため、1968年に新たに設置されました。8512本のパイプがあるそうです。 -
天文時計Astronomische Uhr。これも1942年の空襲で壊され、新たに作られたものです(1967年作)。
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爆撃で壊された鐘がそのままに展示してあります。割れて地面にめりこんでいます。
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教会の外壁には悪魔Teufel が座っていました(1999年作)。早くお酒を飲みたいな~という顔ですね(そんな逸話があるそうです)。
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聖マリエン教会の北側に出ました。
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教会の北側メンク通りMengstr.に面した白い家はブッデンブロークハウスBuddenbrookhaus、トーマス・マンの祖父母の家です。
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こちらの関心はメンク通りに建ち並ぶ煉瓦の家々の方。ハンザ商人たちの館だったようです。階段状破風の屋根がいいですね。
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マリエン教会の東側のブライテ通りBreite Str.を北へ進みます。
その先に見えるのは聖ヤコビ教会St. Jakobikirche(1334年建設)。 -
身廊です。ここは「船乗りと漁師の教会」です。
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主祭壇(1717年作)とその彫刻部分です。
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黒っぽいパイプオルガンは重厚に感じます。
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教会の西側には船員組合の家Schiffergesellschaft。1535年に建てられた船員のギルドの館です。レンガの階段破風がいいですね。
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入り口の上には店内は帆船の絵と1535の文字。現在はレストランで、中を覗いてみると帆船の模型やランプが飾られていました。
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北側のコーベルク広場Koberg Platzから見た聖ヤコビ教会。
間もなく14:00、だんだん空模様が怪しくなっています。 -
コーベルク広場の東側には聖霊養老院Heiligen-Geist-Hospitalがありますが、修復工事中です。尖塔の屋根部分のみ外されていますね。ここは13世紀後半、裕福なハンザ商人が建てた貧民のための福祉施設。
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これは昔訪れた時の写真(1995年8月撮影)。
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内部は当時買った絵葉書とほとんど同じでした(当たり前です)。アーチ状の天井とフレスコ画で飾られたホールになっています。
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収容施設となっている部分を見たかったのですが、奥には進めないようになっていました。170の小部屋があるそうです。
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建物の模型がありました。施設の奥行きがかなりあることがわかります。
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聖霊養老院の南北に伸びるケーニヒ通りKönigstr.。北の突き当りに見えるのはブルク門Burgtor(1444年建造)。あちらに行こうとしたところ、とうとう雨が降りだしたので、予定変更。南方向に戻りつつ、雨宿りを兼ねてどこかの店で軽食をとりました。
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20分ほどで雨は止み、ブライテ通りを南に移動、市庁舎の東側に来ました。
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マルクト広場側だけでなく、こちら側にもいろいろ立派な装飾があります。見事な出窓です。
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市庁舎入口のホールだけ覗いてみました。黒光りの柱です。
ガイドツアーもあるようですが時間が合わないのでパス。今朝、ハンブルクの市庁舎の内部見学をしたので、比較してみたかったのですが。 -
そしてブライテ通りを更に南へ、プフェーデルマルクト通りを経てたどり着いたのはこちら、マリエン教会に居場所を奪われたというリューベック大聖堂です。
1173年ハインリヒ獅子公によって建設開始、1230年にロマネスク様式の大聖堂が完成、14世紀にはゴシック様式に改装されました。大戦時の損壊後、マリエン教会の修復が優先されたため、大聖堂は後回しにされて1982年にやっとで再建されました。 -
身廊です。中央に「勝利の十字架」Triumphkreuzがあります。
どっしりとした感じの内部ですが、柱には何の装飾もなく簡素な感じがします。もともとこうだったのか、それともマリエン教会の修復に比べ、それほど力を入れていないのか。 -
内陣仕切りにある大きな時計。
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南側の礼拝堂には、かなり繊細なバロック調の装飾も見られました。
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聖マリエン教会には負けるものの、115mは結構な高さです。
100mを超す教会は、この街で3つ、ハンブルクで5つ、リューベックで1つ、リューネブルクで1つ、この2日間で合計10個にお目にかかりました。北ドイツには高い教会が多いのには感心します。ハンザの街は豊かだからでしょうか。
ちなみに南ドイツのバイエルン州とバーデン・ヴュルテンベルク州で数えてみても、100mを超す教会は広い両州を合わせて4つしかありません。 -
大聖堂から西に移動してトラヴェ川沿いのアン・デア・オーバートラヴェ通りAn der Overtraveを北上します。目を引かれたのはこの家。木組みと煉瓦造りがうまく調和しています。
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さらに北に向かうと通りはパステルカラーの建物ばかりになります。
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オーバートラヴェン橋Obertravenbrückeの欄干にはたくさんの「愛の南京錠」がぶら下がっていました。あちこちで見られる儀式です。
向こうにホルステン門の尖がり屋根が見えます。 -
川沿い西側の塩倉庫Salzspeicher。6個の倉庫のうち、1番古いのは1579年、1番新しいのは1745年の建造です。リューネブルクから運ばれてきた岩塩を保管していました。
塩はリューベックのハンザ商人によって船でバルト海沿岸諸国へ運ばれていきました。バルト海の塩分濃度は低くて塩の生産には不向きだったため、リューネブルクの岩塩が必要とされたわけです。 -
ホルステン門まで戻ってきました。こちらはホルステン門の東側。今になってだんだん空が明るくなってきました。
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中は歴史博物館になっているようですが素通り。最後に西側からもう1枚。駅に向かいます。
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途中で気が付いたアンペルマンの信号。あれっ、リューベックはどっちのドイツだったかなあと考えてしまいましたが、北ドイツということにしておきましょう。
今の旅行ガイドはドイツを東西ではなく、南北に分けています。我々も今回は北ドイツを体感しに来ています。 -
リューベック駅です。15:39発のICでハンブルクに戻りました(16:16到着)。
もう少しハンブルクの散策が残っています。
(ハンブルク)https://4travel.jp/travelogue/11623027
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この旅行記へのコメント (2)
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- mom Kさん 2020/12/02 17:24:33
- ハンザの女王にふさわしい
- blumentalさん、初めまして。ペットボトル記に共感してくださってうれしいです。私はリューベックの写真は1枚もなく、貴旅行記で旅を再現させていただきました。泊まっていますが、これほど見て回ってもいませんし、塔の上からの眺望も知らずじまい。ですから、見逃していたなあと。トーマス・マンの祖父母の家があったなんて。ギュンター・グラスが亡くなった年だったのとベルリンからハンブルクに向かう途中の都市で選びましたから。市民(商人)が豊かだった町は食も豊かな気がします。舌の記憶だけが大きくて。かろうじて市庁舎のガイドツアーと船員組合を思い出しました。ありがとうございます。今は昔の旅をとりだして、反芻する日々。
- blumentalさん からの返信 2020/12/03 20:28:52
- Re: ハンザの女王にふさわしい
- mom Kazukoさん、
リューベック旅行記に訪問並びに投票下さりありがとうございます。大した写真は撮れていませんが、街を思い出すのに少しでも役立っていれば幸いです。リューベックにお泊りでしたか。ギュンター・グラスが亡くなった年というと、私どもが訪問した翌年ですね。私どもはハンブルクからの日帰りでしたが、宿泊するならリューベックの方が絶対良かったと思っています。
mom Kazukoさんのベルリン拝見しました。変わった視点でまとめられた旅行記に大変興味を持っただけでなく、記載の内容に大いに共感しました。これを機に他の旅行記にもお邪魔します。よろしくお願いします。
blumental
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