2014/08/31 - 2014/08/31
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blumentalさん
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観光4日目、ゴスラーの次はヒルデスハイムを訪問します。当初の予定になかったベルリン行きを加えたため、今日も明日も忙しい観光になりました。でも本日以降に観光する街は全て初めての訪問地なのでわくわくしています。
夏に夫婦で行く海外旅行も今回で3回目、今回は北ドイツからメルヘン街道を南下するルートで計画しています。
旅行の日程は以下の通り:★印がこの旅行記です。
8月27日(水) 10:45関空~15:00ヘルシンキ経由17:30~18:30ハンブルク着(ハンブルク泊)
8月28日(木) ハンブルク、シュヴェリーン、リューネブルク(ハンブルク泊)
8月29日(金) ハンブルク、リューベック(ハンブルク泊)
8月30日(土) ベルリン(ハノーファー泊)
8月31日(日) ゴスラー
★ ヒルデスハイム
ハノーファー(ハノーファー泊)
9月01日(月) ブレーメン、ツェレ、ハーメルン(ハノーファー泊)
9月02日(火) カッセル、ゲッティンゲン、ハン・ミュンデン(ハン・ミュンデン泊)
9月03日(水) フルダ、アルスフェルト、フランクフルト(フランクフルト泊)
9月04日(木) 11:45フランクフルト~15:10ヘルシンキ17:20~(機内泊)
9月05日(金) 8:55関空着
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- フィンランド航空
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ゴスラー駅です。ハノーファーに戻る途中にあるヒルデスハイムに寄ります。
12:06ゴスラー発のREで12:41ヒルデスハイム着。 -
ヒルデスハイム駅から南に延びる広い通り(ベルンヴァルト通り、さらにアルムス通り)を進むと左手に聖ヤコブ教会St.Jakobi Kircheがあります。もとは1503-14年の建造の教区教会でしたが、2年前(2012年)から閉鎖されています(2014年からカルチャーセンターLiteraturhaus St.Jakobiになったようです)。
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聖ヤコブ教会前を通り過ぎて左折、東に延びるマルクト通りMarktstr.へ進みます。緩い上り坂の右手には、とても豪華な装飾の木組みの家(肉屋ギルド会館の北側の面)。
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ヒルデスハイムの観光名所、マルクト広場Marktplatzに到着。
ゴスラーのマルクト広場と甲乙つけがたい豪華な建物の広場です。 -
広場の北側。
左の木組みは街の居酒屋Stadtschenke、中央はロココハウスRokokohaus、右の木組みは毛織物職人のギルド会館Wollenwebergildehausと呼ばれる建物でしたが、これらは現在ホテルVan Der Valk Hotel Hildesheimの一部となっています。 -
広場の西側。
右の三角屋根は肉屋組合のギルド会館Knochenhauser Amtshaus、もとは1529年の建造ながら世界大戦で壊され戦後忠実に再建されました。現在は市立歴史博物館Stadtmuseumにもなっています。
左の建物はパン屋組合のギルド会館Bäckeramtshaus。 -
肉屋のギルド会館を見上げるとこんな感じ。
木組みだけでなく、絵やら彫刻やらの装飾も凝っていますね。 -
いや、むしろ凝りすぎでは。派手すぎます。
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イチオシ
こんな角度で豪華な木組みの家が並んだ姿を捉えると、まるでヒルデスハイムは木組みたっぷりの街のようなイメージを持ってしまいます(が、実際はそうではありませんでした)。でもこの広場の建物の鮮やかさは感動ものです。
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広場の南側。
中央木造のヴェーデキントハウスWedekindhausと右側の白い建物リュントツェルハウスLüntzelhausも再建され、現在はドイツでおなじみの銀行Sparkasseです。
左側のゴシック風の建物はテンペルハウスTempelhausと呼ばれ、現在は旅行案内所になっています。 -
イチオシ
ヴェーデキントハウスはルネサンス様式の木造ファサードが素晴らしいです。
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1598年に建造されたこの建物も大戦時に破壊されましたが、銀行がファサードだけをオリジナルに忠実に再建したそうです(えらいぞ!Sparkasse)。
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この広場では1番感心した建物です。青空の下で撮りたかった。
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こちらは隣のテンペルハウスの見事な彫刻の出窓です(1591年作)。床ごと飛び出しているので出窓と呼んでいいのかわかりませんが。
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そして広場の東側には市庁舎Rathaus。広場の三方には豪華な木組みが並んでいますが、こちら側だけは木組みはありません。
1945年の爆撃で広場周辺はほとんど破壊されましたが、市庁舎と広場の泉だけは部分的に残っていたそうです。 -
広場中央のローラントの泉Rolandbrunnenに立つ像です。
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マルクト広場からラートハウス通りRathausstr.を西に進んでアンドレアス広場Andreanplatzへ。広場には聖アンドレアス教会St.Andreaskirche(写真は教会の北側)。
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教会の内陣。プロテスタント教会(ヒルデスハイムでは第1号)ですから内装は質素です。教会は1504年に完成、1883年に尖塔を増築。大戦では外壁を残して全焼しましたが、1956-65年に再建されました。
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拝廊側にはパイプオルガンが銀色に光っていました(1965-66年作)。
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教会の西側、エッケメカー通りEckemekerstr.から。
尖塔は高さ114.5m、ニーダーザクセン州では1番の高さです。今回の旅行では100mを超すたくさんの尖塔にお目にかかっています。尖塔には上れるらしいのですが、もっと重要な2つの教会を見なければならず、時間の関係で断念。 -
アンドレアス広場からエッケメカー通りEckemekerstr.を西に。あとは路上のバラのマークに導かれながら移動。いろんなバラがありました。
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ランガー・ハーゲン通りLanger Hagenを西に進むと、右手の小高い丘の上に聖ミヒャエル教会St. Michaelis-Kirche。
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1010年に礎石が置かれ、12世紀後半にロマネスク様式の建物が完成。1945年の爆撃で破壊されましたが、1950-57年に再建。
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高い天井の広々とした空間ですが、天井以外にはあまり装飾がなく、白い壁が清楚な感じ。身廊の先(東側)には簡素な内陣。
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東側内陣の十字架は印象的でした(2008年作)。十字'架'ではなく十字のポーズ。
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そして西側にも内陣があり、こちらの方が奥行きがあります。
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内陣の奥には聖ヨハネ祭壇Johannesaltar(1520年作)。
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そして祭壇の手前には聖ベルンヴァルトの墓碑。ヒルデスハイムの司教(在職993-1022)で、この教会の建設を始めた人です。実際の墓は下の納骨堂にあります。
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圧巻なのが教会の天井です。1300枚の板で構成されたフレスコ画(13世紀作)で、長さ27.6m、幅8.7mからなります。1943年に取り外されて戦禍を免れました。
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エッサイの樹と呼ばれる、ビデ王の父エッサイからキリストまでの系統樹が描かれています。この教会の世界遺産登録はこの天井画のおかげらしいです。
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うーん、これはどこで撮ったか。。。。
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教会の北東側。教会の北側は修道院の棟に繋がっています。
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東側の塔と後陣部分。
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イチオシ
なかなかいい場所に建てられていますね。
次はもうひとつの世界遺産である聖マリア大聖堂に向かいます。 -
南へ延びるブルク通りBrugstr.を進んでいます。途中、左手(東方向)に聖アンドレアス教会が見えました。高い尖塔は目立ちますね。
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間もなく聖マリア大聖堂Domkirche St. Mariä Himmelfahrt のあるドームホーフ広場Domhofに到着。
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大聖堂の北側に立つベルンヴァルト司教の像。
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大聖堂の北聖側から。
872年を起源として1110-20年にロマネスク様式で建設。1945年の空襲で全壊ながらも、1950-60年に再建されました。 -
大聖堂の十字交差部分です。大聖堂の両脇にはバロック様式の礼拝堂が並んでいます。
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身廊です。真っ白な天井と壁が印象的です。以前は天井は焦げ茶色でしたが、2010~14年8月(何と2週間前)までの大改装作業で、白く塗り替えらたそうです。見学が再開されて間もない大聖堂内部に入れてラッキーでした。
手前の燭台はヘジロの円形燭台Heziloleuchterと呼ばれ、直径6mあります。ヘジロ司教(在職1054-79年)による寄贈。 -
この大聖堂はヒルデスハイムでは珍しいカトリック教会なので、豪華な内装に期待していたのですが、聖堂内部に装飾は全くありませんでした。空襲で破壊されたのですから仕方ありませんね。ロマネスク様式の教会でも当然バロックの装飾もあったろうにもったいない話です。
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ブロンズ製の洗礼盤Taufbecken。
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大聖堂の西側入り口にある青銅製のベルンヴァルトの扉Bernwardtür (1015年頃製作)。左は創世記、右は福音書の内容を描いているそうです。ベルンヴァルト司教の名はよくでてきますね。
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納骨堂部分にあるゴデハルトの聖櫃Godehardschrein (1140年作)。聖ゴデハルトの遺物が入っているのでしょうか。
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大聖堂の東側には回廊に囲まれた中庭があります。
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後陣裏側の墓地です。後陣の壁にまとわりついているのが有名な薔薇の樹。千年の薔薇Tausendjähriger Rosenstockと呼ばれています。
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樹齢1000年の伝説に、1945年の空襲で焼失しても8週間後に芽を出したという新たなエピソードも加わりました。枝にはそれの分枝した年を示すプレートが付いていました。
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中庭の中央にはアンネ礼拝堂Annenkapelle(1321年建築)。
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礼拝堂の反対側。
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回廊は2層になった珍しい構造です(1060-70年建築)。
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2階の回廊も歩けます。
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2階の回廊から見た中庭。
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大聖堂の西側。ここだけ見たら違う教会かと思います。
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大聖堂の南側にもゴシック風の礼拝堂が並んでいます。
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大聖堂の南側を眺めてから移動です。
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ドームホフから南に延びる石塀に挟まれた小路Stinekenpforte(悪臭の門という意味?)を進み、左折すると大聖堂の東側に出ます。
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大聖堂の東側からクロイツ通りKreuzstr.を進むと聖十字架教会Heilig-Kreuzkircheの正面に出ました。バロック様式のファサードです(18世紀初め)。もちろん戦禍後の再建。
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中はこんな感じ。
ゆっくりしてはおられません、駅に向かわねば。 -
聖十字架教会の前からクレーパーハーゲン通りKläperhagenを北に進むと聖アンドレアス教会の南側に出ました。
駅に向かうべく北の方向へ。ついでながらマルクト広場をもう一度見て帰りました。 -
確かに見事なマルクト広場です。この風景を見納め急いでヒルデスハイム駅に戻り、15:07発のS-bahnでハノーファーへ向かいました(15:38着)。
3泊するハノーファーですが、見学する時間は今日しかないのです。
(ハノーファー)https://4travel.jp/travelogue/11676668
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この旅行記へのコメント (2)
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- Rolleiguyさん 2021/04/01 17:13:06
- 行って見たい街
- blumentalさん、こんにちは。
少し前の旅行記を再訪しました。ヒルデスハイムには行ったことはありませんが、
写真を拝見するとゆっくり見物したい街ですね。ドイツは戦災に遭った建物を本当に
よく再建しています。日本は木造が多かったせいか昔の建物が残っているのはそれなりの由緒あるところだけで、街並みはすっかり変わってしまっているのが残念です。
日本もドイツも中世は豊かとは言えないと思いますが、それでも蓄積の差や、何にお金を使ったかが違うのでしょうか。ドイツのある程度の歴史の中身がある街は、小さくても魅力的なところが沢山ありますね。コロナが終わったらゆっくり見物したいものです。
Rolleiguy
- blumentalさん からの返信 2021/04/02 23:33:01
- Re: 行って見たい街
- Rolleiguyさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。私もまったく同感です。
ドイツ戦後の建物再建、敗戦国がよくここまでできたのか不思議で仕方ありません。終戦時の街が瓦礫と化した姿を写真でよく見ますが、戦前のまま残されていたかのように、歴史的建造物や綺麗な街並みが復元されているのは脅威です。ニュルンベルクやハノーファー、ドレスデン(ここだけ未訪問)のような被災規模が大きくて、歴史的建築物の多い大規模都市なら戦前の姿への復興・再現も意義が大きいかもしれませんが、ヒルデスハイムなどの小規模都市まで戦前の再現を行っているなんてすごいことですね(だから、ドイツが好きなんですが)。
一方で、Rolleiguyさんがよくご存じのマンハイムや(今、旅行記を書いたばかりの)カッセルなどは、中世以降の歴史で重要な街なのに、昔ながらの街並の復元をしようとしなかったのは逆に不思議です。街それぞれの復興に、戦前の街並みにするか近代建築の街並みにするかをどのような理由から選択したのか、非常に興味のあるところです。
blumental
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